徳間書店・横尾さんからいただきました。

書名●仮面ライダー~決死戦7人ライダー~
原作●石ノ森章太郎
まんが●成井紀郎・石川森彦
発行●徳間書店
定価●686円+税
2012年8月15日発行
ISBN978-4-19-780540-2 C9979
A6判/304ページ/並製
●版元による紹介
文庫版 仮面ライダーコミックス第2弾! 『テレビマガジン』1975年8月号増刊所載の傑作コミカライズ成井紀郎:画『決死戦7人ライダー』を中心に構成。
徳間書店・横尾さんからいただきました。

書名●仮面ライダー~決死戦7人ライダー~
原作●石ノ森章太郎
まんが●成井紀郎・石川森彦
発行●徳間書店
定価●686円+税
2012年8月15日発行
ISBN978-4-19-780540-2 C9979
A6判/304ページ/並製
文庫版 仮面ライダーコミックス第2弾! 『テレビマガジン』1975年8月号増刊所載の傑作コミカライズ成井紀郎:画『決死戦7人ライダー』を中心に構成。
1989年
北京的西瓜――カレーライスに続く、食べ物シリーズではない。勿論、海外遠征でもお盆時期の納涼サービスでもない。1989年という年を思う時、私の頭に同題の映画が去来する。いうまでもなく、『北京的西瓜』は、かの大林宣彦が監督し、1989年11月に公開された映像作品である。
尾道三部作などで知られる青春映画の巨匠・大林宣彦と、エロまみれのテレクラ男子、およそ、似つかわしくない取り合わせだが、大林の初監督作品『ハウス』の音楽を当時、好きだったバンドが担当していたこともあって、同作を契機に、彼を知り、一般男子同様、『転校生』や『時をかける少女』、『さびしんぼう』など、前述の尾道三部作に嵌ってしまった。『廃市』や『野ゆき山ゆき海べゆき』、『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』(“ミナミの帝王”になる以前の竹内力が主演。「愛は勝つ」以前のKANが音楽を担当している。1988年の作品)など、比較的、知名度のないものまで、追っかけるようにもれなく見ていたのだ。
『北京的西瓜』は、千葉・船橋市郊外の八百屋「八百春」の主人と中国人留学生との交流を描いた映画だが、実話を元にしている。「八百春」の主人は、中国人留学生が日本の野菜が高くて買えず、困窮する彼らを見かね、店の野菜を原価以下で販売して援助をして行く。留学生達は「日本のお父さん」と慕って集まってくる。慕ってくる留学生に対して身を投げ出して献身的に関わるようになるが、やがて店の経営は傾き出す。実際に、その模様は新聞などにも報道され、八百春をすくうための基金も募られた(ちなみに、私も募金した)。
後年、中国に帰国した留学生は中国の官僚や政治家などになり、日本のお父さんを中国に招待する。当然、映画でもそのシーンが北京で撮影されるはずだった。
しかし、1989年6月4日に起こった「天安門事件」のため、撮影ができなくなってしまう。そのことを留めるため、日本で撮影した北京のシーンに37秒の空白が挿入された。37秒とは、1989年6月4日を数字にして全部を足した時間(1+9+8+9+6+4=37)である。画面がまるで事故でも起こったかのように意図的に37秒間、真っ白になるのだ。
特に声高に批判や批評などはないが、大林監督なりの主張であり、天安門事件があったことを書き留めなければならなかった。当時、大林監督は“映画が現実に負けた”みたいなことを語っていた(勘違いなら、申し訳ない)。映画としては、きわめてバランスを欠く表現かもしれないが、そうせざるを得なかった。大林監督といえば、前年の『おかしなふたり』まで、黒い画面上に線が四角く引かれ、その中に “A MOVIE”という文字が表れるオープニングがファンの間では有名だったが、“A MOVIE”という枠を超えてしまう“事件”が起こったのだ。
考えてみたら、1989年は、天安門事件だけでなく、東欧の自由化、ベルリンの壁崩壊など、大きく時代が揺れ動いていた。
そして、“崩御”。昭和から平成へと変わったのも1989年である。1月7日のこと。前年末から、その“ご容態”がテレビなどで逐一、報告され、その前後には歌舞音曲の自粛など、重苦しい空気が時代を横溢していた。その日から暫くは、テレビの画面からバラエティやドラマなどが消えた。かの「3・11」後のようでもあった。
私の1989年1月7日といえば、そんな自粛とは関係なく、仕事仲間と群馬へ温泉旅行に出かけている。特に予定を変更することなく、そのまま旅行を敢行したわけだが、その温泉旅館では、男性だけだったので、番頭が気をまわし、コンパニオンでも呼びましょうか、と、甘い言葉を囁かれた。世の中は自粛ムードだが、地方の温泉では、破廉恥な乱痴気騒ぎという、そのギャップがおかしくもあった。流石、親父旅行ではないので、温泉コンパニオンは遠慮させていただいた(私的にはありだが、仕事仲間なので、初心なふりをしていた)。
バブルは経済的には、まだ、終焉を見せずにいた。ただ、ある意味、“終わりの始まり”は始まっていたかもしれない。世の中の雰囲気は、自粛ムード後は新世紀への祝祭モードに切り替わり、崩御前後のうつ状態から再び、躁状態へとなっていった。
昭和から平成へに代替わりすることで、何が変わったかわからないが、一時の重苦しさが一瞬にして晴れたようにも感じていた。人の心にどのように影響があるのか、知る由もないが、テレクラという窓から社会を見ると、僅からながら風向きや潮目が変わってきたように感じる。
バブルを享受できる、できない、また、どこにいるかで、世の中の見え方は違うかもしれない。私といえば、調子をこいていたと思うが、何か、イケイケな高揚感があった。私が長いこと信頼を寄せていたパンクバンドが休眠状態(勿論、引退していたわけではないが、音楽的にレイドバックし、その活動も緩やかにしていた)を脱し、戦闘態勢(それまで髪は伸ばし放題だったが、デビュー時のように、気合の入ったパンクヘアーに変身。その音楽も時代を照射する先鋭的な言葉を鋭角的な音にくるんだものになった)で、復帰したことも大きかった。“1989年のパンクロック”、まさに、そんな言葉が相応しい。いま、何かが始まる、動き出すべきだ。そんな思いが突き動かした。といっても、私としたら、テレクラに行くくらいだ(笑)。
ポリアモリー
“カレーライスの泣きむし女王”の前後で、新宿のテレクラで会った“離婚歴&子供ありの30代肉感女性”とは、細々だが、連絡は取り合ってはいた。
何度か、居酒屋デートを繰り返し、セックスできる隙を伺っていたが、なかなか、好機は訪れない。あっさり、さっぱりと、女性離れがいい私だが、新たな狩場や釣り場で、試し打ちをしながらも“離婚歴&子供ありの30代肉感女性”は繋げていた。いまでいうところの“キープ”という状況だろうか。
テレクラ男子には一途などという言葉は似合わない。いわゆる普通の恋愛ではないところで、戦いを挑んでいるから、二股や三股などは当たり前だ。出会いの乱脈経営みたいなものだが、テレクラ男子は延縄漁を得意とするところ。一時に広範囲に仕掛けを施す。後年、出会い系などで、既に恋人を探し、恋愛関係になっているにも関わらず、新たな相手を探す書き込みを見つけ、トラブルになったりすることが問題になったが、ある意味、既にそんな“時間差乱交”状態の萌芽もテレクラにもあった。私自身はなかったが、テレクラで会ったことのある女性と再び、電話が繋がってしまうということもあった。テレクラにいる男性も男性なら、テレクラにかけている女性も女性ということだろう。いまであれば、ポリアモリーなんていう便利な言葉もある。ちなみに、“ポリアモリー (Polyamory) とは、つきあう相手、親密な関係を同時期に、一人だけに限定しない可能性に開かれていて、全ての関係者が全ての状況を知る選択が可能であり、全員がすべての関係に合意している、という考え方に基づく行為、ライフスタイル、または恋愛関係のこと”である(某ウィキペディアより)。
テレクラでの出会いと普通の恋愛関係を同次元に語ってしまうのは無理があるかもしれないが、まだ、恋愛を取り引き材料にしつつ、どうしたらセックスができるかを試みていた時代でもあった。デートなどという面倒くさいものにも時間を費やすことなど、いまとなっては面倒臭く、馬鹿らしいことだが、まだ、そんなには話が早くはなかったと思う。
離婚歴&子供ありの30代肉感女性とのデートで、いまでも覚えているのが混浴温泉デート(!?)である。混浴温泉といっても、山奥の秘湯へ行ったわけでもない。東京の下町にある、ひなびた健康ランドへ行っただけだ。いまなら「大江戸温泉物語」や「ラクーア」など、こじゃれたところもあるが、まだ、そんな時代ではない。その健康ランド、入浴施設は当然、男女別だが、温泉プールがあり、そこでは水着着用であれば男女混浴(正確には混浴とはいわないか)になる。
プールといえば、“星空ドライブの看護師”が懐かく思い出される(当時としたら、そんな前のことではないが、既に懐かしいものになっていた)が、どうやって裸にするではないが、一枚一枚と服を脱がすより、水着になってもらえば手っ取り早いという発想もあった。ひょっとしたら、水着萌えもあったかもしれない(笑)。
恒例の水中でのじゃれ合いを楽しませていただいたが、お互いの水着の中に手を入れ、局部をまさぐったりもした。AVの露出ものみたいだが、水面下で、他の人から見えないところでは、かなり過激なことをさせてもらった。意外とそういうところには乗ってくる。特に嫌がるそぶりも見せず、恥ずかしながらも破廉恥な行為に応じてくれる。そういうことは平気でさせてくれるものだから、今夜はなんだか、いけそーな気もしてくる。
彼女とは、そこまでは何度も行く。後、一押しである。なかなか、諦めきれず、性懲りもなく挑むのは、“肉感”と書いてあるように性的な匂いを持ち、それに惹きつけられるからだ。また、離婚歴&子供ありという身の上(というか、記号)もある意味では興奮させられるものがある。
『未亡人下宿』シリーズ(サングラスにちょび髭がトレードマークのかの山本晋也“カントク”のヒットシリーズ。すごいですねぇ)ではないが、旦那がいないため、生活も困窮し、かつ、欲求不満で、男を欲しているという成人映画のようなファンタジーを抱かすには充分である。彼女自身は当然、未亡人ではないが、ちょっとした薄幸な匂いも漂わす。多分それは、彼女が子供と暮らす、決して豪華とはいえないマンションという名のアパートに行ったことがあるからだろう。
男とは単純なものだ。男の性的な妄想は、ある種の記号(それは人妻や看護師、先生などでもいい)に喚起されるという、今も昔もそう変わらないところがある。
“水中遊戯”で、さんざん触りまくり、前戯はばっちりと、健康ランド後にお誘いをしたら、あっさりと断られた。めげずに一押し、二押しすればいいものの、相変わらずの私である。この詰めの甘さ、優柔不断さゆえ、また、もろくも淡い妄想は崩れ去るのである。未亡人下宿は男のロマンだなあ、メルヘンだなあでしかない。私のチョメチョメ(毎度、お馴染み、昭和の山城新吾ギャグ・シリーズである!)な欲望はかき消される。
毎回、負け戦(!?)が続く私だが、それが連戦連勝(なわけはないが)、歓喜の勝ち名乗り(?!)を上げるようになるには、そう遠くはなかった。昭和から平成へと、時代が変わると、緩やかに風向きや潮目が変わってきたのだ。私の中の“37秒”が弾けようとしていた。
物書き業のかたわらに週一回、ゲイバーを経営している義明。作家としてはすでに書きたいテーマを書き尽くしてしまった感を覚え、気鬱な日々を過ごしていた彼の前に、弱冠二十歳のハーフの美少年、ユアンが現われる。自分への無垢な好意に、暗い情動を突き動かされる義明。当然のように二人は関係を持つ。突然の僥倖に淫する義明だったが、彼には長年のパートナーがいた。
27年の年の差を埋めるように、すべてを欲しがるユアンと、そんな恋愛感情は長くは続かないことを知っている義明。若者のストレートな純愛と老獪な中年の恋愛は当然激しくぶつかり合う。
「どうやったって過去は手に入れることはできないよ」
「いや、俺は全部欲しい」
お互い傷つけ合い、貪り合うような恋。そしてついに終止符が訪れる──。
「これが男と女だったら、そこまで互いを追いつめたりしない気がするわ」(本文より)
“悲劇”のヒロイン、30代の看護師は、渋谷のパルコの前で待っていた。服装や髪型、持ち物など、目印を聞いていたので、すぐにわかった。
原色に近く、身体のラインが強調された派手なワンピース(当時の表現いえば、ボディコンだろう)に、前髪パッツンのワンレン(ヘアースタイルのこと)、彫りが深く、大きな目と口というエキゾティックな顔を艶やかなメイクが縁取る。名前は忘れたが、当時、“淫乱”や“変態”などのキャッチフレーズで、あまりに過激なシーンが話題になっていたAV女優の顔がすぐに浮かんだ。
偏見(という言葉を敢えて使う)かもしれないが、かのマザコン男(彼女の婚約者)の保守的で、頭の固そうな“お母様”には、とても好かれるような容貌ではない。そういった人種が好む清楚で、お淑やかな嬢様タイプからは、ほど遠いのだ。男性の気を引くために理想の女性を演じるというよりは、メイクやファッションなどは華美を極め、自ら女性であることを誇示し、自分のための装いをしている。おそらく、彼女が“退(ひ)かれた”のは、仕事や性格だけが理由ではなく、その容姿や佇まいであることも想像に難くない。
本来であれば、彼女は渋谷の街を颯爽と闊歩する“イケイケギャル”という雰囲気だが、傷心で寝ることが出来ず、食事も取れてないという状況が、彼女から生気や精気を奪っていた。実際の年齢よりは、随分、老けて見えた。顔を覆うメイクも浮いてしまっている。
挨拶もそこそこに、パルコのレストランフロア内にあるカフェバーへ入る。睡眠不足、絶食状態ゆえ、アルコールというわけにはいかず、コーヒーを頼むことにする。
昨夜から今朝にかけ、充分過ぎるほど話し込み、心の奥に詰まったものを吐き出したからか、興奮や激高は収まったらしく、話しぶりはいくらか落ち着いていた。
いまであれば、電子なつぶやきや電波な日記を綴り、思いを吐露することができる。“いいね”なんていう共感や承認を貰うことで、精神の均衡を保つということもある。当時でも「命の電話」などの悩み相談をするところはあったかもしれないが、それは決して、気軽なところではない。信頼できる親や先生、友人などに相談するにしても、内容によっては、その信頼すべきことが裏目となり、話すことを避けてしまう。昨今のいじめではないが、簡単にいえたら苦労はしない。甚だ怪しく、性的な記号を持ちつつもテレクラがあることで、そんな憂さを晴らし、悩みを解消したという人もいたはずだ。
ある意味、行くあてもなく漂白する魂が辿りつき、行き場を無くしたこの街のストレンジ?達が集いしところなのかもしれない??なんて、“ポエムだな〜、メルヘンだな〜”(昭和のギャグです)してみる。
“テレクラ相談員”の心得
さて、テレクラ相談員(!?)としての役目を果たす上でのコツを話しておこう。
繰り返し話されることを、嫌な顔をせず、ひたすら聞くことだ。当然のごとく、この手の話は、くどいくらいに、同じことが表現を変えて延々と繰り替えされるもの。ある種の忍耐力が要求される。相談員慣れしているから、我慢はお手の物。
不思議なもので、電話であれだけ話しても、相手を目の前にして話すのとは違うようだ。私は彼女に危害を与える人間ではないことは伝わっている。勿論、仕事や家庭環境などはまったく違い、話すことで立場を危うくするような利害関係にもない。それゆえ、彼女も安心したのだろう。話も滑らかになる。それを優しそうな眼差し(と、相手には見えるらしい)で、聞き入る。おかしなもので、ここまで話し込んでくると、私も邪心(というか、すけべ心)も霧散し、人畜無害の“いい人オーラ”も漂ってくる。東京人の“ええ恰好しい”かもしれないが、相手に良く思われたいという気持ちがそうもさせるのだろう。
彼女の話を一言も聞き漏らさず、懸命に聞く。もとより、学生時代の企画会社の仕事で、インタビュー千本ノック(!?)を経験。話を聞くことは朝飯前だし、相槌や話の回しは得意とするところ。ちゃんと、相手の話を聞きながら、その相手が何を求めているか、何を待っているかを先回りし、適切に言葉を落としていく。もっとも助言や提言などという、大層なものではない。具体的で建設的なもの言いなどはできないが、少なくとも混沌に沈み、湖底で自暴自棄になっている人間にとって、関わろうという人がいるだけで、充分な支えになるというもの。彼女へ言葉を振っても、それは先導ではなく、伴走のようなものだ。
話した内容は、例によってあまり覚えていないが、前述した通り、説教したり、諭したりではなく、ただ、彼女の言葉を肯定し、受け止めるとともに、マザコン男と子離れできない母親への反発を口にしただけだと思う。私自身、当時は実家住まいで、親に散々、迷惑をかけているので、子供の結婚を心配する親のことをとやかくいう資格はないし、結婚という制度そのものも必ずしも当人同士だけの問題ではないことはわかっている。勿論、そんなことはおくびにも出さず、憤りの感情を抱き、許せない思いであることを伝えた。既に電話で聞いていた話だが、本人を目の前にして、実際、怒りや悲しみは、少しは収まりつつあるものの、彼女の哀れを乞うような表情を見ると、“悲劇”のリアルさを感じないわけにはいかない。彼女のやるせなさ、切なさみたいなものが増幅される。
泣きながらカレーライスを食べる
ある程度、話してきたところで、彼女自身もリラックスしてきたらしく、少し空腹を感じるという。一昨日からまったく、食事をとっていない。あわてて、食べ物をと思い、とりあえず、カレーライスを注文する。いわゆるカフェバーだから、イタリアンやフレンチなど、こじゃれたものもあったが、とりあえず、精をつけてもらう。香辛料も意識を覚醒させるものだ。心が落ち着いて、漸く身体の機能が正常化したのだろう。空腹を覚え、食物を求めるのは、いい兆候だ。
当時のカフェバーのこと、見てくれは良くてもとても美味しそうに思えないものだが、それでも彼女はカレーを口に運ぶ。久しぶりに食する固形物の存在感と舌と鼻を刺激する香辛料の香りが、生きていることを実感させているかのようだ。カレーを食べながら、彼女は涙ぐんでくる。涙を拭うことなく、嬉しそうに頬張った。
カレーライスを頬張る彼女を見ると、何かいいことをしたという気持ちになる。いいことをする、善行など、まるでテレクラには似つかわしくない。だが、単なる欲望や性欲だけでなく、人と人の繋がりを信じ、絆みたいなものを大事にする(というと、昨年以降、やたらと、使い古された言葉であるが)、そんな遊び人も少なくなかったと思う。いいことをしたなど、自己満足でしかないが、まだ、そんな“良心”のようなものがテレクラにあった時代でもある。
前回、“一杯のかけそば”ならぬ、“一杯のカレーライス”という“ドラマ”が待っていたと書いた。実は、この「一杯のカレーライス」は、テレクラ版「一杯のかけそば」でもある。当時の遊び仲間には、テレクラ武勇伝ならぬ、テレクラ深いい話として、自慢げに話したこともあった。
時はバブルの時代。飽食や贅沢が良しとされていた(かはわからないが、少なくともそれが当たり前と化していた)。貧困や貧乏など、過去のことと、思われていた。ところが、そんな時代の反動、補完作用として、清貧や質素という言葉が世の中に浮上してくる。
『一杯のかけそば』は、栗良平の短編小説で、1988年から1989年にかけ、「涙なしでは聞けない」話として、一時は日本中で話題となり、社会現象にまでなった。
あらすじを某ウィキペディアから適当に引用する。“大晦日の晩、札幌にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそばを1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供達は就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ”??と、引用が長くなったが、いかにも貧乏くさい話で、とても泣けるよう代物ではない。それなら、まだ、かの『北の国から』の“子供がまだ食ってる途中でしょうが”みたいな話の方が泣けるかもしれない(いずれにしろ、私的には泣けない!)。
ただ、泡沫の時代の潮流に抗うかのように、社会的な注目を浴びたのは、単なる偶然ではなく、必然だったと感じている。
「一杯のかけそば」そのものは、実話か、創作かで議論になり、また、作者の詐欺師まがいの私生活がスキャンダルになって、あっという間に駆逐されてしまった。いまでも胡散臭い話だと思うが、当時であれば、余計、胡散臭く感じられたものだ。さて、「一杯のカレーライス」、かの「一杯のかけそば」の蕎麦屋の店主ではないが、彼女がカレーライスを嬉しそうに食べる姿を見て、私自身も嬉しかったのも確かである。ぎりぎりに追い詰められ、彼女の背中にのしかかっていた重荷のようなものを少しでも軽くすることができたと思っている。私の中では、テレクラにまつわる、ちょっといい話として、未だに記憶の中(というか、底!)に鮮明に残っているのだ。
結局、その女性とは、店には悪いが、一杯のカレーライスで、随分と長いこと、居座ることになる。閉店ぎりぎりまで話していたと思う。流石、パルコ内の店だったから、深夜営業というわけにはいかない。本来であれば、 “何気に終電をやり過ごし、泊まるしかない状況を作る”作戦を取るところだが、流石に、ほとんど寝てないということもあって、そのまま帰ってもらうことにした。そこに、深謀遠慮などはない。邪まな下心はなく、完全にいい人気取りである。言葉は悪いが、弱っている人間の間隙をつき、落としてしまうというのも口説きの常套手段かもしれない。しかし、そういうことは当時もいまも潔しとしない私がいた。どうしてもあからさまに弱みにつけこむことができないのだ(もっとも、あからさまでないところでは、つけこんでいたのかもしれない!?)。とりあえず、電話番号は交換したが、特に次の約束などはしなかった。“それっきり、それっきり、もうそれっきりですか”(“それっきり”ではなく、“これっきり”なら、山口百恵の「横須賀ストーリー」である。ちなみに、彼女は横須賀出身だった、とすると出来過ぎた話だが、当然、そんなことはない)でもいいと思っていた。それでも時々、思い出したように近況を伝える連絡は貰っていた。電話口の彼女の声はすっかりふっきれたらしく、軽やかになっていた。
再会
“もうそれっきり”だけで、二度と会うこともないと思っていた“悲劇”のヒロイン、“カレーライスの泣きむし女王”こと、30代の看護師と、意外なところで、再会することになる。もっとも再会といっても、どこかで会ったというわけではない。思いもかけないところで見かけたといっていいだろう。1年後くらいかもしれない。あるニュース映像の中に、彼女はいたのだ。
別に事件や事故のヒロインになったわけではない。それは、看護師の職場や仕事などの待遇改善を求める、大きなデモンストレーションがあったことを報じるニュース映像だった。彼女は、そのデモを牽引するものとして、マイクを持ち、自分達の職場での地位向上と、仕事環境の改善を主張していた。白衣姿(考えてみたら、私服は見たことはあるが、白衣姿は見たことはなかった)が眩しく、その声には精気が漲る。戦う女などといったら語弊があるかもしれないが、凛とした佇まいである。結局、彼女がその後、誰かと結婚をしたか、それとも結婚しなかったのか、わからない。仮にしていてもその相手などもわかる由もないが、しかし、仕事はやめていなかったことは事実のようだ。
泣きながら、嬉しそうにカレーを食べていた彼女の顔と、ニュース映像に写る戦う彼女の顔が私の中で二重写しになる。その時、彼女は光の中で、輝いていた。
そこのあなた、恋をこじらせていませんか?
「百年の憂鬱」で中年の恋を描ききった伏見憲明がその悩みにお答えします。
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◎相談日
8/5(日)〜8/8(水)、8/8(水)〜不定期に伏見憲明さんがツイキャス上で、寄せられたお悩みにまとめてお答えします(ゲストもあり!)。放送前には Twitterで告知をします。恋に悩む老若男女は伏見さんのアカウントを是非フォローしてください!!
◎伏見さんに恋の相談をしたい人は……
Twitter ポット出版のアカウントにリプライを飛ばしてください。
メール 担当編集・高橋宛て(taka★pot.co.jp)〈★を@に〉に送ってください。
ファックス 03-3402-5558まで。
ハガキ 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-33-18 #303 「伏見恋愛相談室」まで。(締め切り・8/7〈火〉必着)
お電話 8/2(木)〜8/3(金)、8/6(月)〜8/7(火)の10:00〜18:00に03-3478-1774までお電話していただき、高橋を呼び出してください。
泥沼のように暑い夏と恋のもやもやを吹っ飛ばしましょう![文●高橋大輔]
【2012.8/8追記】
お悩み相談の模様はアーカイブで視聴可能です。
2012年7月30日(月)〜8月10日(金)まで、銀座・ヴァニラ画廊にて『絵物語 ドミナの園』発行に合わせて、春川ナミオ展「ドミナの園」が開催されています。
会場では、著者のサインが入った『絵物語 ドミナの園』の販売も行なわれています。

場所●ヴァニラ画廊
〒104-0061
東京都中央区銀座 6-10-10 第2蒲田ビル4階
日時●2012年7月30日(月)〜8月11日(土)まで
平日12時~19時/土曜・祝日12時~17時/日曜休廊
また7月14日(土)〜8月10日(金)まで、中野・タコシェでも春川ナミオ展を開催しています。

著●春川ナミオ
英訳●ドミニク・ウルフ
希望小売価格●2,800円+税(この商品は非再販商品です)
ISBN978-4-7808-0183-5 C0071
A5判 / 168ページ / 並製
[2012年7月27日刊行予定]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎絵物語 ドミナの園
TOWER RECORDS ONLINEでの連載「アイドルのいる暮らし」の第3回:ぽこさん編を公開しました。
著者は『グループアイドル進化論』共著者の岡田康宏(@supportista)さんです。
この連載は、ポット出版から単行本として刊行を予定しています。
平日のライブ会場やショッピングモールで行われるイベントで、いつも見かける大人の姿がある。けっこういい歳してるけど、この人たちはいったいどんな生活をしているのだろう?
大人のアイドルファンは、アイドルファンであるだけではなく日常を生きる社会人でもある。お金も暇もある大人のオタクには、元気なだけの若者にはない深みと趣きがある。ライフスタイルとしての現場系アイドルファン、大人のオタクの遊び方とは?
今回お話を伺ったのは、ぽこさん(@fewpoco)だ。30代後半のシステムエンジニア。結婚12年目の奥さんと2人暮らし。ブレイク直前のPerfumeを見に初めてアイドル現場に足を運び、その後のアイドル遍歴はAira Mitsuki、ぱすぽ☆、東京女子流、LinQなど。Perfumeファンのクラブイベント「Perfume Night」運営スタッフで、11年6月、ぱすぽ☆のフランスツアーに参加した25名のうちの1人。既婚者にしてガチ恋系。アイドルに限らず、カメラに小説、野球に競馬、フライフィッシングからオンラインゲームまで多彩な趣味を持つぽこさんに話を聞いた。
物書き業のかたわらに週一回、ゲイバーを経営している義明。作家としてはすでに書きたいテーマを書き尽くしてしまった感を覚え、気鬱な日々を過ごしていた彼の前に、弱冠二十歳のハーフの美少年、ユアンが現われる。自分への無垢な好意に、暗い情動を突き動かされる義明。当然のように二人は関係を持つ。突然の僥倖に淫する義明だったが、彼には長年のパートナーがいた。
27年の年の差を埋めるように、すべてを欲しがるユアンと、そんな恋愛感情は長くは続かないことを知っている義明。若者のストレートな純愛と老獪な中年の恋愛は当然激しくぶつかり合う。
「どうやったって過去は手に入れることはできないよ」
「いや、俺は全部欲しい」
お互い傷つけ合い、貪り合うような恋。そしてついに終止符が訪れる──。
「これが男と女だったら、そこまで互いを追いつめたりしない気がするわ」(本文より)
豊かな女性のお尻に敷かれる悦びを描いて50年。
春川ナミオが贈る、輝くお尻の絵物語。
描きおろしの新作80点をあっ!と驚くストーリーとともにお届けします。
全ページ英訳付。
A gorgeous gluteus, a bounteous bottom, a robust rump, even an ample ass: there are many ways to describe the pleasures of the oshiri (pronounced o-shee-ree.) In Harukawa Namio’s delicately conceived drawings and their accompanying story, there emerges a holy bond of lust and love between cosmetics company president Ohara Kana and the men who would serve her. Kana loves to abuse men with her tremendous buttocks, and they explore the cruel joys found beneath her stunning endowment. Eventually, Kana creates a Garden of Paradise where she, her fellow lusty ladies, and their slaves discover the most exquisite ecstasies of the ass. A leading Japanese SM illustrator who has dedicated his oeuvre to the glories of the ass, Harukawa Namio both amuses and arouses his reader in this charming tale.
『絵物語 ドミナの園』(春川ナミオ)の紹介記事がメンズサイゾーに掲載されました。
ライターの菊池美佳子さんによる書評です。
ありがとうございます。