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第15回■コンビニのおにぎり

逆戻り

まだ、私にも良心らしきものは残っていたのかもしれない。埼玉の家電量販店に勤める20代の女性とアポをとりつつもの、すっぽかして、家に帰ろうとしていたところで、(「連続幼女誘拐殺人事件」の)“臨時ニュース”。思い込みだけで深夜にタクシーを飛ばし、渋谷まで来て、ハチ公前で知らない男に声をかけられ、ほいほいとついていってしまう女性だ。もし、変な男につかまったら大変なことになる、と急に不安になった。「東電OL事件」が起こるのはまだ10年ほど先(1997年)だが、道玄坂を上った先の円山町のラブホテル街では、女性が行きずりのセックスの果てに傷害や殺人などの被害者になる事件も起きていた。

もし、その女性が見ず知らずの男とホテルに消え、事件などに巻き込まれたとしたら、それこそ罪悪感のようなものが重くのし掛かり、一生、後悔して生きなければならないだろう。翌朝、新聞に彼女の名前や顔写真が出ていたら、寝覚めが悪いこと、この上ない。いくら私でもそのぐらいの良心(というか、自分かわいさゆえの自己防衛本能だろう)はあったようだ。

慌てて渋谷へ戻ると、その女性はハチ公前で待っていた。改めて見ると、歯並びが悪く、口元がだらしない。そんな容貌にかかわらず、やっと会えたことが嬉しいらしく、にやりと微笑むから、よけい不気味(失礼!)である。

既に時間は遅く、飲食店はほとんど閉まっていたが、道玄坂に深夜までやっている喫茶店があることを知っていた。テレクラの朝までコースを利用しない場合、始発までの時間稼ぎに使っていた店だ。深夜だと、珈琲を頼んでも必ず食べ物(マドレーヌやカステラみたいなもの)が付いてくる。当時、喫茶店を深夜営業にするためには、食品衛生法か、風営法かの関係で、食べ物を提供しなければならなかったのだ。

本来であれば、深夜ということもあり、居酒屋やカフェバーなど、アルコールの出る、雰囲気のあるところに入るべきだろう。しかし、酔った勢いでことに及ぶ、というのを避けるため、なるべくソフトドリンクのみ、アルコールのないところにした。店内の照明も明るく、性的な匂いのするところから、敢えて遠ざかる。

“地雷女”?

喫茶店では、マドレーヌを紅茶に浸してみるが、その女性との“永遠”は見えなかった(プルーストの「失われた時を求めて」ではない、当たり前だ!)。他愛のない話で時間をやり過ごしていたら、いきなり、その女性が顔を近づけ、私の耳元で、「いいのよ、ホテルへ行っても」と、甘く(?)囁いた。

この積極性に余計、引いた。普通なら、男は女性からこんなことを言われたら嬉しく、天にも昇る気持ちになるところだ。私自身も散々、テレクラで粘り、釣りあげたのだから、本来であれば話に乗らなければいけない。ところが、なかなか、話の先へ行く気になれないのだ。

まだ、「草食系」や「肉食系」などの“陳腐”な表現がない時代だった。そんな例えで敢えていえば、私はテレクラに行くくらいだから、「肉食系」で、性欲旺盛だった。ところが、あまり“やる気まんまん” (©横山まさみち)に迫られると、こちらも思い切り引いてしまう。

ご存知の通り、意外と強引になれず、押しも弱い私だが、逆に、相手が無理矢理に押してくると引いてしまうもの。天邪鬼なものだが、そんな弱腰の態勢のせばかりでなく、私の中の危険を察知するレーダーが反応していたことも確かだ。

深夜に埼玉から渋谷までタクシーで来てしまうくらい思い込みが強い、しかもすれ違った(!?)後に指名コールをされたことで、ストーカー的な資質を感じた女性だ。セックスなどしたら、面倒くさいことになる、後にテレクラ界で流行る“地雷女”になりそうな予感を抱いたのだ。

性欲にまみれていても理性はなくしてはいけない。我ながら、遊びながらもちゃんとわきまえている。たった一度の火遊びで、人生を台無しにしたくない、と漠然と考えていたのかもしれない。単純に容貌が好きか嫌いかだけでなく、その女性が放つ危険な香り(異臭!?)が私を遠ざける。

ちなみに、その女性の容貌だが、当時、人気だったロック・バンドの女性キーボード奏者に似ていた。多分、同じバンドのメンバーと結婚したはずだ。前述した通り、笑うと、独特の不気味さがある。怖いと感じてしまう。体系もスレンダーというより、痩せぎすといったようなスタイルで、あまり、抱き心地がいいとは思えない。勿論、抱く気はない(笑)。すべてがきつかった。

円山町へ

甘い囁きをさりげなく聞き流し、かみ合わない話をしながらも、時間をやり過ごそうとするが、なかなか、時間は過ぎていかない。始発まではまだ大分ある。「変な人についていっちゃだめだよ」と、子供に諭すように言い含め、先に帰りたくなるが、流石、そこまで非情にはなれない。そのうち、だんだんと眠くもなる。当時、深夜喫茶は、睡眠が禁じられていて、仮眠などしていると起こされてしまう。その頃、いまのようなネットカフェや漫画喫茶があればきっと、利用していたはずだが、まだ、そんなものは出揃ってはいなかった。

仕方ないので、深夜喫茶を出て、道玄坂を上った。女性は嬉しそうに腕を絡めてくるが、横断歩道を渡る隙にさりげなく振りほどく。露骨に嫌な顔は出来ないので、あくまでも自然な流れで離れた、といったそぶりをとる。道玄坂を上ると、百軒店を過ぎ、円山町の入口になる。いまのようにクラブやバー、ライブハウス(「オンエアー」が出来たのは1991年)などもなく、あるのはラブホテルばかり。その街に消えるものたちの目的は既に決まっていた。

円山町は道が入り組み、迷路のようになっている。実際、その時、どこにいたのか、どこのホテルに入ったかは覚えてない。道玄坂から東急本店に抜けるメインストリートに面したホテルではなく、少し奥まったところだったと思う。まさに意を決して、ラブホテルに突入だ。嫌々に不承不承でラブホテルへ行くなんて、初めてのこと。考えてみれば、これまでとは真逆の展開だ(いつもはこれから始まることに期待を込めつつ、喜々として入った)。深夜なので既に休憩料金ではなく、宿泊料金になっていた。多分、タクシーで帰った方が安かったと思う。

蛇に睨まれた蛙

派手な内装や凝った間取りではなく、とりたてて記すべきものがない、何の変哲もないラブホテルだった。昔からある連れ込み宿的な風情があったことだけは覚えている。たたきを上がると和室があり、障子の向こうには寝室がある。畳に座り、机を囲み、お茶を飲む。まるで、不倫旅行にでも来たような感じになる。和室から寝室へ目をやると、当時の流行なのだろうか、浴室がガラス張りで、寝室から見えるようになっている。ここら辺は、せめてもか、ラブホテルらしいところ。

うだるような暑さだった。汗もかき、身体もベタついている。その女性は風呂に入ると言うと、急ぐように浴室へ消えた。ガラス越しに薄ぼんやりと、シャワーを浴びる肢体が見えるが、敢えて見ないようにする。もし間違いでも起こしたら、大変なことになる(笑)。浴室から出てくると、その女性は裸体をバスタオルを包んだだけの姿だった。すっかり、やる気だ。私も汗だくなので、シャワーを浴びることにする。汗を洗い流しながら、この絶体絶命のピンチをどう切り抜けるか、考えを巡らす。と、その時、天啓のように閃いた。「星空のドライブの看護師作戦!」(もう随分前のことになる。連載では第5回だ。シティ・ホテルでのプール・デート後、「星空のドライブ」をした看護師を覚えているだろうか。彼女はホテルに入り、ベッドを共にしながらも「好きな人とでないと、できない…」と、言い放ったのだ。この手がある!)があった。

浴室から出て、脱衣所で、濡れた体をバスタオルで拭き、ホテルの浴衣を羽織る。裸体にバスタオルだと、変な期待をさせてしまう。

寝室ではなく、和室へ行き、冷蔵庫から清涼飲料水を出し、火照った身体を静めていく。その女性にも勧める。コップの縁に口をつけると、性的なものを暗喩させるようなしぐさで、飲み干す。目つきも獲物を狙うように妖しい光を帯びる。まるで、私は蛇に睨まれた蛙だが、修羅場を切り抜ける算段はついている。「大丈夫だ、頑張れ、自分」、と、心の中で言い聞かせた。

前のめりになっているその女性をすかし、かわすように、少し落ち着いた声色で話し始めた。

「ぼくは、そんな男性じゃないから」
(そんな男とは、いきなり会った見ず知らずの女性と一夜を共にするような男性のこと)

「身体目当てじゃないんだ。何もしないよ」
(勿論、テレクラだから身体目当てできている)

天使と悪魔ではないが、誰も二面性があるもの。まったく意に反することを、さもいい人という面持で、しらっと言う。“なんて誠実な人、変な人じゃなくて良かった”と、思ってくれることに賭け、一芝居を打ったのだ。

本来、“誠実さのかけらもなく、笑っている”(©ブルーハーツ)ような人間だが、相手のことをさも大事に思っているように見せかける。

多分、いま、こんなことをラブホテルというシチエ―ションでいったら、女性に興味がないと思われるか、自分が女性として見られてないと思い、女性自身がショックを受けるはず。昔は、敢えてセックスしないことが“いい人”だと判断され、通用する、のどかな時代だった。

その女性は不満な表情を浮かべつつも、なんとなく、私の誠実(!?)な対応に納得したようだ。かの「星空のドライブの看護師作戦!」、我、成功せり、である。

ただ、睡魔が襲い、性欲は限界ではないが、睡眠欲が限界に近づいてきた。始発の時間まで、寝ることにする。寝室には当然の如く、ベッドがひとつしかない。仕方なく、二人で寝ることにする。

しかし、ベッドで二人いることで、何か間違いが起こってはいけない。ここは慎重な私のこと、しっかりと、「星空のドライブの看護師作戦!」に続く、次の作戦は用意していた。

“誠実な人”

まず、その女性にベッドに寝てもらい、その上から掛け布団を横にして掛ける。そして、私も横になり、掛け布団の上に寝る。そして、掛け布団を折り曲げ、身体に掛ける。こうすると、直接、肌と肌が接しないようになる。丁度、コンビニのおにぎりのようなもの。ご飯と海苔が包装フィルムで仕切られ、直に接しないようになっている。それゆえ、食べる時にフィルムを剥すので、海苔がべとべとになることなく、パリッとした食感で、食べられる。

コンビニのおにぎりの包装方法のような形で、寝ることになった。いまにして思えば、この「コンビニのおにぎり作戦」、かなり滑稽ではあるが、その時は、生身の女性が隣に寝ている気の迷いで、良からぬことをしてしまうかもしれない、そんなことは決してあってはならない──そんな思いで、布団にくるまったのだ。

なんとなく落ち着かず、浅い眠りが続き、何度も目を覚ますが、欲望に駆られることなく、気づくと、完全に寝落ちしてしまった。

不思議なもので、こんな時は早起きになる。多分、6時過ぎには目覚め、顔を洗い、歯を磨いていた。起きてきたその女性に、おはようと、優しく声をかける。約束通り、何もしてない。“なんて誠実な人だろう”と、彼女は思っていると勝手に判断させていただいた。

着替えてもらい、ホテルを出る準備をする。一番近い駅はと聞かれ、京王井の頭線の神泉の駅を教え、ホテルの玄関を出たところで、「じゃあ、またね」と、心にもないことを言って(勿論、連絡先など聞いていないし、教えていないので、会う術などはない!)、別れる。もう朝だ。ホテル街を一人で歩いても危険なことはないだろう、と判断し、その女性を“放流”した。

私は渋谷駅を目指し道玄坂を急いで下る。修羅場(!?)を無事に切り抜けた安堵感に包まれる。やはり、この日も朝だというのに日差しは強く、眩しいくらい。また、汗をかいてしまいそうだ。駅の売店には、昨夜の“臨時ニュース”で、第一報が流れた“事件”を報道する朝刊が並ぶ──。

学生インターンふたりの2週間

8月20日(月)ポットに学生インターンが2人やってきた。専修大学の3年生Tくんと廣井くん。
二人とも長身で、掃除のときに天井にあるクーラーの蓋を椅子なしでラクラクにはずしたときには「つかえるやっちゃ〜」とほれぼれ。
今日までの2週間、10時〜17時まで私たちと一緒に机を並べ、一生懸命耳を傾け、まじめに取り組んでくれた。
そんな二人のインターンシップ体験記。猛暑のなか毎日お疲れさまでした![那須ゆかり]

●会社訪問記
文学部 人文・ジャーナリズム学科 3年  S.T.
 
 専修大学の火曜一限にインターンシップという講義がある。これは文学部、人文・人文ジャーナリズム学科の3.4年生のみが履修出来る専門科目だ。この学部学科の三年生である私は、この科目を履修して、夏期休暇期間にポット出版さまへ二週間の会社訪問をすることを決めた。
 放送・新聞・出版業界と様々な選択肢があった中、私は兼ねてからその実態が気になっていた出版業界を選んだ。その中でポット出版さまは募集人数2名だったのにもかかわらず、応募が6、7名いたので、選考が行われた。その方法というのが作文や面接ではなく、ジャンケンであったため、自信のなかった私でも何とかその当選者として名を連ねることが出来た。
 講義内で配布された資料には、会社ごとに簡単な紹介文が書いてあった。ポット出版については「本の企画、編集、デザイン、流通、etc……本のすべてがわかる」といったような紹介文が書かれており、「すべてがわかるならここしかない」と、それが決め手となった。しかし、自分で調べても教授に聞いても、会社が原宿にあり、犬がいて、多種多様な本を出版しているということ以外ほとんど分からないまま、8月20日のインターンシップ初日を迎えることになった。
 事前に那須さんに、メールでお尋ねして、分かっていたことは「10時に、普段通りの格好で、最低限の筆記用具を持って」会社へ行くこと。その言葉だけとってみると、大学の一限へ行くよりも気軽であるはずだった。しかし、初めてのインターンシップに私はひどく緊張していた。一緒にインターンシップへ行く廣井君と、炎天下、駅から会社へ歩く途中、私は寒気すら感じていた。
 オートロック式の黄色を基調とした、吹き抜けのあるデザインマンションの303号室に、ポット出版はあった。中に入ると那須さんと佐藤さんと犬2匹が迎えてくださった。挨拶をした後、デザイン・編集・出版部に分かれて仕事をしていることを教えて下さった。次に、大田さんに社内のどこに何があるかということと、ゴミの出し方を教えていただくと、早速はじめの仕事をいただいた。エクセルを使って番線印の情報を入力していく作業。私と廣井君は、背中合わせで1人ずつ仕事机を貸していただき、心の準備も整わぬまま初仕事にとりかかった。左の席でセンスのよい音楽をかけながら、煙草を吸いつつ颯爽と仕事をこなしていく上野さんを見て、圧倒されながら私は「本当に出版社に来たんだ」ということを実感していた。そして私は、社員の方々の話を聞き逃さないようにしたり、メモをとったりすることに必死で、緊張している場合ではなくなっていた。

 そうこうしているうちに2週間。土日をのぞいて10日間。いつの間にか私の会社訪問は最終日を迎えていた。その中で私は、今まで知らなかった出版・本のことを多く知る事が出来た。それは例えば、注文販売と委託販売の違いや今までほとんど気にもとめていなかった書誌データのこと、社長の沢辺さんから講義していただいた著作権のことなど数えきれない。私がこのようなことを知ることが出来たのは、会社の方々が私の稚拙な質問に懇切丁寧に分かりやすく答えてくださったり、会議や話し合いを見学させてくださったりしたからだ。
 「出版業界のことを知ってみたい」という好奇心を第一の理由に講義を履修した私にとって、出版・本のことを多く知ることが出来たこのインターンは、本当に充実したものになった。ただ、私はその出版業界のこと以上に、【人が一つの場に集まり仕事をする】ということにおいて大切なことを、この会社では教えていただけたと感じている。それは仲間への気遣いであったり、礼儀であったり、まず自分で考えて行動するということだったりと様々だ。これらのことは直接アドバイスしていただいたものもあるが、私が個人的に肌で感じたものも多々ある。
 ポット出版さまは、服装や喫煙、ツイッターなど自由・自己責任な部分が多い。しかし私が思ったのは職場然としたピンと張りつめた空気が途切れることがないということだった。息苦しいとか全員が黙って仕事をしているとかそういう訳ではない。どこかで談笑がはじまってもそのまま話し続けているということはなく、社員の皆さんはすっと仕事モードに切り替えることが出来るのだ。また、何方かが別の何方かをただ怒鳴るというふうな光景は一度もなく、その個別のことがらをよりよくするにはどうしたらいいかということを分かりやすく指摘・説明されているのが印象的だった。

 仕事をする上でというよりもむしろ、社会に出て様々な人々とコミュニケーションをとっていく上で重要なこと、と言った方がいいだろうか。このインターンでは、そのようなことも学べたと思っている。そう思えた理由に、特に印象的だった二つの出来事がある。ひとつは、上野さんが私と廣井君が作ったメールを確認してくださった時、「自分がどう見られているか、どうしたら丁寧(にみえる)か考えて行動するといいよ」という話をしてくださったこと。そしてもうひとつは廣井君が沢辺さんへインタビューをした時、自分の弱点を見つけ、見つめ、カバーをするとよい、という趣旨のことを話して下さったことだ。それらは全く自分では思いつかないような視点であり、また、いつも何となくごまかしながら「正しそうな」言動を選択していた私にとって非常に新しく心強い考え方であり、アドバイスだったのだ。

 私はインターンシップでこの会社にこれて本当に良かったと思っている。会社の方々は皆さん優しく、私たちに割いていただいた時間や労力のことを思うと感謝してもしきれない。学んだことは多く、消化出来るか不安もあるが、私はこの会社訪問をさらに良いものにしたいと思えたので、学校に戻ったら今まで以上に勉強しようと思った。株式会社スタジオ・ポットの皆様、本当にお世話になりました。そして本当にありがとうございました。

●インターンシップの反省・感想文
専修大学 文学部 人文ジャーナリズム学科三年 廣井俊貴 

 今回、私は専修大学文学部•人文ジャーナリズム学科のインターンシップという形でポット出版にて二週間、職場体験、社会人としての経験をさせていただいた。
 実際に、社会人と仕事をしていく中で様々な課題•反省点が浮き上がってきた。やはり、大学や家庭などでは意識出来ていなかったこと、自分に足りないことや欠点に、このインターンシップを通して気づくことが出来たのは、大きな収穫になった。
 初日のパソコン作業では、番線と書店名、書店コードをエクセルの表に記入していくというものだったが、エクセルの基本操作を忘れていたため、作業に入るまでに時間がかかってしまった。また覚え書き(ISBN、出版社名、著者名、紙質、製本の型•大きさなど)のアプリ起動の仕方を忘れ、ここでも作業に入るまでに時間がかかってしまった。
 Windows7でしかパソコン操作をしたことがなかったため、マックの基本操作にすぐに馴染めず戸惑った。その上、指示された作業の手順を一回で理解する事が出来なかったので、作業の取りかかりが遅れてしまった。パソコンを仕事上、不自由なく使いこなすようになる必要性があると痛感した。
 
 メールの文章構成にも問題があり、上野さんから指導していただいた。撮影に使うクッキーをネットで探し、メールで報告することになった。私は見つけたクッキーのサイトのアドレスだけを記したため、これではクッキーの販売元と販売状況がどこに書いてあるのかが一目瞭然で分からない、とご指摘を受けた。日頃は何となく、相手も理解してくれるだろうという考えで、メールを作成してしまっていたため、このような失敗をしてしまった。件名は短く、丁寧に書く。相手にわかり易く伝えることを意識して書く重要性を学んだ。社会人になってからでは、懇切丁寧に教えてもらえず、失格の烙印を押されてしまうだけなので、上野さんに今回の失敗のご指導をしていただいたことは自分にとって、とても有り難かった。
 
 また、態度や人間性など生活面でも色々とご指摘していただいた。

 沢辺さんに著作権についてレクチャーをして頂いた際、教科書に載っている内容をただ丸覚えするだけでは、応用力が身につかず、社会では通用しないと教えていただいた。言われた事、教わった事をそのままやるのではなく、自分の頭で考え、自発的に行動する事が重要だということ。そして自分の意見をしっかり持つこと。たとえ人から違う意見を言われたり指摘されても、相手に無理に合わせないことだと教えていただいた。

 そして、自分にとって一番気をつけなければならないことを上野さんからアドバイスしていただいた。
 それは、人の話をよく聴くこと。内容をよく理解すること。自分の頭で考え、場に応じた対応をする。自分が話すときも、意見や主張を相手が理解出来るよう、順序立てて話すようにするくせ(習慣)をつけることだ。余計な(聞かれてもいないこと)を話すのはやめる。単刀直入に話すことだ。これらの行為を自分では出来ているつもりでいたが、実は全く出来ていなかったことに改めて気づいた。今後は、人と接する時にはこれらを意識し、自覚しながらコミュニケーションをとっていきたい。お互い気持ちよく過ごしていくためにも。
 
 私がポット出版をインターンシップ先に選んだ理由は、大学卒業後に出版業界(特にスポーツ雑誌を扱っている出版社)に身を置きたいと考えていたため、本•雑誌がどのような過程で製作され、世に広まっていくのかということを学びたかったからだ。
 前回、私が専攻しているゼミの教授である植村先生と共にポット出版を見学させて頂いた際、はたから見ていた作業を実際に自分でやってみると、チェック一つとってみても神経を使い、根気のいる仕事だと実感した。
 一冊の本が出来るまでには、多くの工程があり、また多くの人が関わっている。地道な作業の積み重ねを経て世の中に出ていく。身近な本がどういう風に完成するのかを、ごく一部ではあるが、実際に自分で経験することが出来たのは本当に嬉しく思う。改めて、出版の仕事に携わりたいという気持ちを強くした。 
 
 最後に、お忙しい中、私たちに色々と手取り足取り指導していただき本当にありがとうございました。社員の皆様にはご迷惑をおかけしましたが、色々とご指導をいただき感謝しております。このインターンシップでの経験をこれからの学生生活でも活かせていけるよう努力しつづけます。

                       
 
                               

第14回■トレンディドラマと臨時ニュース

理想と現実のあいだ

“エロブス”な30代独身女性を始め、テレクラ活動では、一人住まいの女性の家へお邪魔する機会も少なくなかった。私自身が実家住まいということもあり、家に連れ込むわけにもいかず、自然(!?)と、女性の家へ雪崩れ込むことになる。

特に統計などを取っていたわけではないが、どの女性の家も慎ましやかだったという印象がある。東京での女性の一人暮らし、いくらバブル期とはいえ、生活そのものまでバブルというわけにはいかなかった。実際の収入と家賃や光熱費、食費などの生活費を勘案すると、生活そのものは汲々として、大変ではなかったかと思う。当時、『君の瞳をタイホする!』や『抱きしめたい!』、『君が嘘をついた』、『君の瞳に恋してる!』、『ハートに火をつけて!』、『愛しあってるかい!』など、トレンディドラマといわれる、都会に住む男女の“シティライフ”を描いた恋愛ドラマが流行っていた。一連のドラマを見ると、主人公は高層マンションのお洒落なインリアに囲まれた部屋に住み、バルコニーからは東京タワーが見え、シャンパンやカクテルを片手に眺めるみたいなシーンも多かった。いまなら子供有りの若夫婦が慎ましやかに暮らしていそうな2LDKや3LDKのマンションに一人で住んでいるという感じだ。ドラマの中ではセンターキッチンのダイニングにウォークインクローゼットまであった。そんなところに「W浅野」(浅野ゆう子、浅野温子)や中山美穂、鈴木保奈美、石田純一や三上博史、陣内孝則、柳葉敏郎などが住んでいる。多分、ドラマを見て、そんな東京暮らしに憧れた女性も少なくないはず。トレンディドラマなど、まさにバブル期の幻影のようなものだが、当時は憧れや夢の対象でもあった。

ところが、実際にそんな生活をしているのはごくまれである。私が“家庭訪問”させていただいた部屋は、どれもこぢんまりとして、質素な佇まいであった。少なくともバルコニーから東京タワーが見えるようなところはなかった(そもそも東京生まれ、育ちのわたしとしては、東京タワーへの憧れなんていうものはない!)。

バブル期には、その崩壊前後を境にして、理想と現実の乖離みたいなものがあった。ある種、脅迫概念みたいなものがあって、メディアが垂れ流す虚飾と現実の生活との落差に、追い詰められていたものも多かったはずだ。後年、頻発する虚飾と粉飾にまみれた、恋愛商法や結婚詐欺などの“偽セレブ事件”的な犯罪の萌芽や温床もそんなところにあったのではないだろうか。

渋谷

そんな現象については、また、この連載の中で、触れる機会も(覚えていたら?)あるだろう。話は先へ進ませていただく。その頃、狩りや釣りの主戦場を新宿から渋谷へと変えていた。店は以前、紹介した桜ヶ丘にひっそりと佇む「アンアン」、そして、宮益坂を上ったところにある「トゥギャザー」。2カ所を渋谷テレクラ作戦のアジト(もしくは根城)とした。

新宿から渋谷へと“転入”したのには、理由がある。以前も触れたが、新宿の当たりが悪くなり、魚影も薄くなったから、渋谷へと移動したわけだが、その背景には、人の流れが新宿から渋谷へ移ってきたと感じたことも影響している。同時に新宿と渋谷のイメージも大きく変わってきた。

暴力団の抗争(小説『不夜城』ではないが、90年代以降は無国籍化・多国籍化することで、外国人犯罪も頻発する)や薬物取り引きなど、新宿の“物騒な街”化が進み、さらに、キャバクラやAVなどのスカウト、ホストクラブなどのしつこい勧誘も多く、いずれにしろ、新宿は女性が安心して歩けるところではなくなってきた。雑誌や新聞、テレビなどでも事件や事故が連日、報道されていたのだ。

渋谷は“若者の集まる街”化は進み、お洒落なブティック(死語!)やレストラン、バーなども多く、公園通り(既にパルコは誕生している)やセンター街などに人が集まりだす。まだ、チーマーも暗躍してはいないし(1989年には誕生したらしいが、実際に隆盛を極めるのは92年前後から)、ブルセラ(ブルセラショップなども乱立するのも90年代に入ってから)もなかった。まだ、不穏な空気を孕む前の渋谷は平和で、若者の楽園(!?)でもあった。渋谷駅を基点にする、田園都市線や京王井の頭線、東横線などの沿線の繁華街、自由が丘や二子玉川なども若者の注目を集めつつあった。さらに原宿や青山、表参道などにも電車で数駅という、好立地でもある。

そんな状況を鑑み、もし、女性がテレクラに電話するなら、新宿の店ではなく、渋谷の店を選択するのは自明の理で、新宿より、渋谷の方がまともな男性がいると考えるのも当然だろう。いわゆる、地域におけるイメージ・ヒエラルキーが生じている。同時代には、地方格差だけでなく、地域格差まで起きている。後のタウン誌などの「住んでみたい土地ランキング」などで、それは如実になっていく。少なくとも足立(たけしさん、ごめんなさい!)や葛飾(寅さん&両さん、ごめんなさい!)は、女性が憧れる街ではなかった。そう難しく考えなくても単純に新宿と渋谷を比較したら、どちらがお洒落かといえば、やはり渋谷だろう。

風を読む

女性が新宿から渋谷へとシフトするなら、テレクラ男子も新宿から渋谷へとシフトせざるをえない。遊び人たるもの、風を読むことが必要だ。そんな嗅覚だけは、敏感だったりする。遊びながら考える、考えながら遊ぶを心掛けていた。むしろ、そんな創意工夫をし、意匠をこらして、作戦や戦略を練ることが楽しくもある。

その日はうだるような暑さだった。陽が沈んでも暑さは止むことなく、すんなりと眠りにつくなどできそうにない――そんな夜は、テレクラで、涼むに限る(!?)。

渋谷の宮益坂を上ったところにある「トゥギャザー」は、全国展開をしているような大型店ではないが、同じ渋谷圏内に何店舗かある中型店だった。システムは早取制ではなく、取次制。渋谷駅前や公園通りなど、宣伝用のティシュ配りも精力的で、渋谷ではコール数が多いところとして知られていた。

午後11時は過ぎていただろうか、埼玉に住む家電量販店に勤めている20代後半という女性と繋がった。面白いテレビがなく、暇なので(大体、コールする理由はテレビ番組がつまらない、暇をしていたからというのが当時、多かった。これから会って、すぐエッチしたいみたいなストレートなものは皆無である)、電話したという。

明日は休みらしいが、流石、埼玉ということで、これから会おうという「即アポ」は無理と考え、比較的、ゆったりとした気分で電話に付き合うことにした。彼女の店での客に対する愚痴など、丁寧に聞いてあげる。そんな中、彼女の話し方や受け答えが聞いていて心地良く、その声もとても感じがいいと、褒めあげる。

勿論、お世辞(このくらいの嘘は平気でつく!)だが、それが彼女を射抜いたようだ。そんな風に言われたのは初めてだと話す。私自身、特に意識していたわけではないが、客商売はストレスがたまるもの、俺様的な客も多く、店員の前で横柄な口をきくものも多い。この辺は風俗店や風俗嬢の私流の対応に近いものがあるが、常に相手の立場に立ち、相手を思いやる気持ちがあると、随分、印象も違うもの。相手も好感を抱きやすい。お世辞や嘘という表現を先ほど、してしまったが、どこか、相手を労い、敬うような姿勢が根底にあったからこそ、出てきた言葉だと思う。

埼玉に住んでいるにも関わらず、これから会いたいから、出てくるという。かなり話し込んだので、既に彼女が住んでいるところから渋谷への電車はなくなっている。タクシーを飛ばしてくるという、埼玉でも群馬寄りではなく、東京寄りらしいが、それでもタクシー料金は安くはない。1万円は超えるはず。当然、この時間だから、泊まり覚悟でくる。私自身はアポを取るつもりはなかったので、あまりに意外な展開に驚く。まだ、渋谷から私が住んでいる下町への電車はあったものの、これは“運命”(笑)と諦め(嘘!)、終電をやり過ごし、帰ることなく、待つことにする。服装や髪型など、待ち合わせの目印などを教え合い、待ち合わせ場所は渋谷のハチ公前にした。あまりにもベタな待ち合わせ場所だが、終電過ぎである、人も減り、昼間よりは見つけやすいはず。地方(失礼!)に住んでいる方には、わかりやすいにこしたことはない。

出会いを引き寄せる言霊

埼玉から東京まで深夜にタクシーでこさせてしまう、自らの言葉の力(言霊)に驚くばかりだが、たまたま、そういう女性に当たったから、そのような結果を引き出せたわけではない。やはり、会えるには理由があると考えている。もし、出会いの「必勝法」や「法則」(やっと、テレクラの“指南書”らしくなってきた!?)みたいなのがあるとしたら、焦らず、じっくりと相手の話を聞き、そこから相手のいいところを引き出す(もしくは言ってもらいたいところを見つけだす)ことではないだろうか。痒いところに手が届くではないが、その言葉を待っていた、みたいなものを察知することだろう。それが彼女の場合、客の対応への評価であり、感じのいい女性であるという彼女評ではなかったかと思う。その時点では、特にセクシャルな会話などはしていなかった。よくテレクラの個室の壁に、「出会いの3原則」みたいなことが貼られている。そこには、「じっくり話をする」、「いきなり会おうといわない」、「すぐエッチな話をしない」といった標語というか、教訓が掲示されているが、それもあながち嘘ではない。私自身、それを知らずのうちに、実践している。埼玉の彼女の場合、遠距離ということで、すぐに会おうと切り出さず、じっくりと腰を落ち着けて話したのが奏功したのかもしれない。

我ながら言葉の魔術師とうぬぼれたいところだが、日帰りから泊まりへ、嬉しい予定変更、心の中で、喝采を上げる。待ち合わせは電話を切ってから、1時間後だろうか。アポを取った後もドタキャンを考え、次のアポを取り付けようとするが、短時間勝負なので、なかなか会話が転がらず、空回りするのみ。

そうこうしているうちに、待ち合わせ時間が近くなり、慌てて店を出る。渋谷駅のハチ公前へと急ぐ。駅構内を通り過ぎ、ハチ公前に視線をやると、目印のボブヘアーで、カットソーに、ミニスカートというスレンダーな女性が見えてくる。多分、30メーターほど先だろうか、ところが、私が声をかける間もなく、彼女は声をかけた男性について行ってしまう。宮益坂ではなく、道玄坂を上りだす。

インターセプトされてしまった。横取りだ。実は、私自身も試したことがあるが、ハチ公前などは、テレクラでも待ち合わせのメッカ、必ず、一人や二人はテレクラのアポ待ちがいるもの。そういう女性に近づき、さもアポを取った男性のふりをして、女性を拉致してしまうのだ。すぐにそれが嘘だとばれることもあるが、アポを取った男性より、良さそうであれば、ほいほいとついていってしまう。この作戦、案外、成功するから、渋谷という街は浮かれている。

横取りされたわけだが、私としては若干、安堵はしていた。いくらエロブス狙い、低め打ちもいとわない私だが、彼女を見た途端、正直、きついなという感じを抱いたのだ。単純に容貌が好き嫌い以前に、考えようによれば、思い込みだけで、深夜、タクシーを飛ばしてまで東京へ来てしまう女性だ。呼んでおいていうのも変な話だが、妙な怖さみたいなものも感じていた。テレクラの利用時間(オールナイトコースにはしていなかった)も若干、残っていたこともあって、再び、宮益坂を上り、「トゥギャザー」へ戻る。個室に入った途端、ベルが鳴る。フロントから、待ち合わせをした女性から、指名コール(店からは女性のコールを取り次ぐ際に何番ボックスの男性に繋ぎますと、毎回、アナウンスがされる)だといわれる。

「待ち合わせ場所へ行ったけど、どうして来なかったんですか」と、詰問される。
私はあわてて、「待ち合わせ場所へ行ったけど、擦れ違いみたいで、見つからなかった(実際、その女性は他の男性と道玄坂方面へと消えていた)」と、答える。
その女性は声をかけられ、一緒に行ったものの、途中で違うことに気付いたようだが、そんなことはおくびにも出さず、「待っていますから、来てください」と、続ける。
私は「わかった。すぐ行くから待っていて」と、いって、電話を切り、店を出た。

その時点で、私は再び、ハチ公前へ行く気はなかった。指名コールされたことで、しつこいというか、いまでいうならストーカー体質みたいなものを感じ、余計、怖くなってしまったのだ。既に自宅までの電車はなくなっていたが、タクシーで帰ることを決め、宮益坂を表参道方面へ向かうタクシーを呼びとめる。

当時でも私が住む東京の下町までは渋谷からは5000円以上はしたと思う。いまなら高いと感じるが、その時は、タクシーを使うことにも料金にも抵抗はなかった。景気がいいからか、タクシー券みたいものが普通に手に入っていたのだ。バブルとはおかしな時代でもある。多少、広告や企画などの仕事をしていると、普通に、そんなものを貰う機会も増えてくる。別に仕事をしていなくても、ディスコ通いするようなイケイケの女性達もアッシーがいなければ、テレビ局や代理店などから当たり前のようにタクシー券を手に入れていた。

本連載は、前回も述べたように、自らのろくでなしぶりを告白し、懺悔するようなものではないが、それでも埼玉からタクシーを飛ばしてきた女性のアポをすっぽかし、タクシーで帰ってしまうという冷酷非情ぶり、お恥ずかし限り。反省することしきりである。あの時、私は普通ではなかった、どうかしていたのだ(笑)。もっとも、当時は、良心の呵責に苛まれることもなく、平気で、車上の人になった。

車のカーラジオからは、当時の退屈な歌謡ポップス(「Jポップ」という言葉は88年に誕生していたが、まだ、一般化されていなかった。90年代に入ってからだ)が流れていた。“バンドブーム”はもう来ていたはずだが、それでも同時期に流行ったものは、私自身には、歌謡曲ともポップスともつかない、曖昧なものだった。うるさいと感じ、耳を意識的に塞いでいた。そこに、突然、臨時ニュースが流れる。それは「連続幼女誘拐殺人事件」を伝えるものだった。社会を騒然とさせた、かの“宮崎勤事件”である。いまとなっては、被害者の遺体が発見されたか、宮崎が逮捕されたか、その報道の内容は、忘れてしまったが、とにかく、世間を揺るがせた事件である。既に「今田勇子」の名前とともに、連日、件の事件が報道されていた。ある意味、昭和から平成(事件そのものは前年88年から起きている)の端境期を象徴する負の事件である。

既にタクシーは青山通り、国道246号線を外苑前まで来ていたが、私はタクシーの運転手に、渋谷へ戻ってもらいたい、と告げた。

『隠密剣士、いまここに甦る!』(徳永文一)の予約受付を開始しました

2012年9月9日発売予定の新刊『隠密剣士、いまここに甦る!』の予約受付を開始しました。

昭和30年代──
忍者ブームの火付け役、テレビ映画「隠密剣士」の世界が帰ってきた。
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◎隠密剣士、いまここに甦る!
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第13回■LOSER’S GAME

セックスしたくなる記号

あまりに呆気なく、一線を越えてしまった。それまで散々、苦労し、策を弄しても果たせなかったことが、いとも容易く、それも自然な流れの中、恋愛という取り引きもせず、セックスをすることができたのだ。それまでの負け戦(?)が嘘のように、勝ち戦(!)へと転じる。詰めが甘く、強引になれない私でさえ、詰めることなく、強引になることもなく、セックスへ持ち込んだ。

過激な性描写は自主規制し、控えさせていただくが、あんなこともこんなこともしたと思う。“大人のエッチ”という感じで、欲望や願望を遠慮会釈することなく、二人は絡まり、睦みあう。まさに、“決めた、今夜!”、“なんだか、いける!”である。その時ばかりは、毎度、お馴染みの“トホホ…”というBGMは鳴り響かなかった。

一夜を共にした30代の独身女性。前回も書き記したが、決して器量がいいとか、見目麗しい美形というわけではない。ただ、性的な匂いだけは漂わせていた。思わず、セックスしたくなるような要素や記号が彼女にはばら撒かれていた。そういう点でいえば、30代で独身、一人住まい、むっちりとした肢体にいやらしい下着、甘えるような媚態、性に対して積極的……充分過ぎるほどだ。普通の男子であれば、ふるいつきたくなるというもの。セックスの対象としては、極めて、リアルな存在であろう。

テレクラ男子目線の“女の価値”

「女性の価値」などと、男性目線で語れば傲慢の誹りを免れないが、当時のテレクラ男子の立ち位置でいわせてもらうと、セックスができるか、セックスができないかで、その価値的な数量は上下も増減もする。モデルのように綺麗、アイドルのように可愛いなど、女性の美醜を推し量る物差しはあるものの、テレクラ男子にはもう少し実用的な物差しがあった。それは“セックスができるか、できないか”だ。
相手がやらせてくれる、やらせてくれないばかりではなく、自分自身ができる、できないも大きい。その女性“性”が男性“性”を刺激し、臨戦態勢にしてくれるかも重要である。下品な表現で申し訳ないが、やれる女か、やれない女か(あまり、「やる、やれない」など、直裁な言葉は好きではないが、わかりやすくするためなので、お許しいただきたい)が大事だったりする。

テレクラというフィールドはオーディションやコンテストの会場ではない。スターやアイドルを探す必要はないのだ。勿論、スターやアイドル候補生と出会えれば嬉しいが、変に甘い夢を抱かず、それより、確実にセックスできる女性を探す、極めて、実用的、実戦的な荒地である。セックスしたい男性がいて、セックスをさせてくれる(セックスをしたい)女性がいる、それだけで充分である。女性を前に審査員を気取り、目で愛でるより、“身体で味わう”という、実用的な女性があくまでも優先される。

当時の男性週刊誌風の、軽佻浮薄な表現を敢えてしてみれば、“やりたボーイがやりたガールに出会う場所”ということだろう。

テレクラのヒロインは「エロブス」

そのやりたガール、やりたがるだけに、とてつもないエロスを携えている。淫靡な仮面を被り、官能の鎧を纏う。美形や器量良しでなくてもエロい女性こそがテレクラでは実質的な主人公(ヒロイン)であった。私的には、そのような女性を「エロブス」と、勝手な呼称で、当時の遊び仲間の中では、表現させていただいていた。確かに美人ではないが、どこか色っぽく、男の噂や影が途絶えない。はたから見れば、どうして彼女がもてるのかわからないが、男を捉えて離さない、男から引く手あまたという女性のことである。誰もがアイドルやモデルのような端正な容貌の女性を好むわけではない。むしろ、整わないことがエロスの源であり、何かが欠ける、どこか整っていない、不完全や不均衡であることが情欲を掻き立てることもあるのだ。グラビアやAVを眺めるのではない、セックスという生のやりとりである、実態が伴う、絡みである。だからこそ、表層的にブスであることより、内実的にエロであることが立ちあがってくる。テレクラ実用主義者、テレクラ功利利主義者としては、エロであることが優先されるべきものだ。

木嶋佳苗のとてつもないエロス

昨今、“平成の毒婦”といわれた殺人事件の容疑者の容貌のことが喧伝され、何故、あんな女にいともたやすく男が騙されたのかと議論された。だが、私としては、それもわからないでもない。彼女は、決してマスコミが煽るような“ブス”ではないと感じていた。少なくとも “ブスのルサンチマン”が犯罪の温床とも思えなかった。むしろ、自らの性的な機能を特別なものと証言し、話題にもなったが、表面的には良妻賢母風の家庭的な女性と見せかけ、そこには性的な優位性を自慢するような、とてつもないエロスを内包している。女性に免疫のない男性がひっかかったというが、そうでなくても彼女が次々と男を毒牙にかけ、落としていくのがわかる(状況証拠だけなので殺人を犯したとは断定できないが、ある意味、蜘蛛女的な手技は弄したのは間違いない)。この“平成の毒婦”、私の定義する「エロブス」と被る。法廷ルポなどを読むと、彼女自身、優雅な佇まいの中に、どこか不均衡さや不自然さがあったと書かれているが、むしろ、それさえ、エロスを増幅しているような気がしてならない。

かの毒婦を論評することが本題ではないが、セックスというフィルターを通すと、見える景色や背景も違うということである。同じ脚本でも全く違うドラマが展開されることもあるのだろう。

テレクラの流儀は“低め打ち”

後年、テレクラでは「テレ上・テレ中・テレ下」など、美醜のランキング(!?)を示す用語が一般化するが、それは世間の物差しや座標より、基準を少し低いところに設定されていた。テレクラでは、好球必打でホームランやヒットを狙うだけではなく、低めでもバウンドでもとにかく打ち、出塁しろと、いわれている。ストライク・ゾーン(というか、ヒット・ゾーン)は上にも下にも縦にも横にも広い方がいい。バットは振らなければ、塁に出ることはできないのだ(当たらなくても振り逃げという方法もある!)。いわゆるやったもの勝ち、という状況。同時に、それだけ間口を広げれば、セックスの成功率も上昇していくというもの。

「勝ち組・負け組」みたいな表現が一般化(当然、第二次世界大戦後のブラジルの日系移民の話は抜かす)するのは、バブル崩壊後、90年代から00年代にかけての格差社会以降だと思うが、それ以前、男女ともそんな分類や区分があったような気がする。バブル華やなりし頃、派手に着飾り、女であることを武器に、男をアッシー、メッシー、ミツグくん扱いする、自分を高く売りつける“タカビー”(1990年には俗語として登場している)な女性がいる一方で、地味といわないまでも外見的なことを武器とせず、変に高く売りつけることもなく、むしろセックスをさせることで、女であることの自尊心や自己承認欲求を補填する女性もいた。ある意味、両者とも性を取り引き、駆け引きにしているが、それには落差や誤差がある。

二極分化などというと短絡的かもしれないが、テレクラという風俗(風俗産業という意味の風俗ではない)には、そんな「負け組」の男と女が吹き溜まりつつあった。本当の意味で、吹き溜まるのは数年後だが、当時から自嘲気味にテレクラなんかに行く男、テレクラなんかにかける女みたいな視点や目線があったように感じている。いわゆるディスコ(まだ、クラブの時代ではない)やパーティなどが晴れやかな「ハレ」としたら、テレクラは、しみったれた「ケ」だ。地縁、血縁のないところの非日常で、ハレであるはずなのに、ケであるというのは論理矛盾のような感じもするが、決して、誰にも誇れるような晴れがましい場ではないことは確か。テレクラで出会った男女の多くが出会いの契機が同所だったことをカミングアウトできないでいたのも、そのような理由からだろう。出会いのメディア・ヒエラルキーとしては、低位に位置していたのだ。ソーシャル時代のいまであれば、SNSやFacebookで、出会ったといっても、誰も指弾されないのとは、大きな違いがある。テレクラそのものは、アングラとはいえ、ソーシャル・メディアの先駆けであるにも関わらず、認知されることのない私生児、時代の鬼子のような存在かもしれない。

かのクラッシュも憧れたグラムロック・バンド、モット・ザ・フープル。彼らが1973年に発表した『革命』というアルバムの中に「モット・ザ・フープルのバラード」という曲がある。その中で、イアン・ハンターは“ロックンロールは敗者のゲーム”と、歌っている。
そういう点でいえば、テレクラは“敗者のゲーム”かもしれない。あらかじめ失われし者たちが集い、遊戯に興じる賭博場のようなもの。失われたピースのひとかけら、ひとかけらを寄せ集め、どこかで、心や身体の隙間を埋めようとしている。そんな気がしてならないのだ。

尾崎豊は「僕が僕であるために」で、“僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない”と歌っているが、むしろ、負けることを知ったからこそ、私自身は、勝ち続けることができたのではないかと、考えている。まるで、先のロンドン五輪で、3連覇を成し遂げた吉田沙保里のようだ。彼女は五輪前、5月の国別対抗戦W杯で、4年ぶりの黒星を喫したが、その「負けを知って、また、強くなれた」といっている。負けを知らなければ、勝つ意味を知ることや技を磨くこともなかっただろう。まるで、武道や剣術の極意のようだが、テレクラ道(!?)を極めるとは、そういうものである(当然の如く、極めるなど、遥か、先のこと。勿論、極めたかどうかは、未だにわからない)。

嘘のはてに

その女性との濃厚な時間は、数時間にも及び、知らぬ間に朝になっていた。寝る暇も惜しんでではなく、丸裸で、絡まりながらも、どこかで寝落ちしてしまっていた。特にアラームをかけたわけではないが、自然と目が覚める。気だるい空気に包まれながら、窓の外に目をやると、すっかり明るく、強い日差しが眩しい。まさに、絶好のドライブ日和である。しかし、当たり前だが、車があるわけでも、ましてや免許もあるわけではない。

特に、この連載で、自らのろくでなしぶりを自慢気に(まるで、元ヤンが昔は悪かった的に)カミングアウトをするつもりはないが、いま思い出しても自分自身、いい加減というか、とんでもない奴だと、自己嫌悪(というほどではないが)に陥る。ドライブを約束していたが、急に用事があったことを思い出し、帰らなければならなくなった、と、平気で言い放ったのだ。多分、そのままではなく、少しは言い訳らしいことも付け加えてはずだが、その時、どんな風に取り繕ったかは、すっかり忘れた。とりあえず、セックスしたら帰ってしまうなど、現金なことこの上もない。まさに、「やり逃げ」(今回の原稿、下品な表現の多用、お許しいただきたい)である。なんと適当(というか、なんと調子いい)なのだろう。何十年も前のことだが、いま思い出しても赤面し、反省したくなる。ところが、彼女は約束を反古にしたことを叱責するでもなく、私を開放(特に脱出を試みたわけではないが、開放という言葉が相応しい)してくれたのだ。

その時、ドライブという“嘘”はセックスへ切り替わった。いまにして思えば、ドライブしたいは、セックスしたいと同義語だったのかもしれない。「ドライブ」は「セックス」のための理由や言い訳だったのではないだろうか??

『百年の憂鬱』刊行記念・エフメゾ・トークライブ
「100%の自由や平等は、人を幸せにはしない!?」
中村うさぎ×伏見憲明

2012年8月4日、伏見憲明さんがママを務める「エフメゾ」のカフェ営業(毎月第一土曜日)にて、
作家の中村うさぎさんと『百年の憂鬱』著者・伏見憲明さんのトークライブが開催されました。
弊社新刊の『百年の憂鬱』をテーマに、恋愛、パートナーシップ、中年の恋/アイデンティティについて、
たくさんの笑いを織りまぜながら、熱く語っていただきました。
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第12回■セックスと嘘とドライブ

きっかけは「anan」のセックス特集

昭和から平成へ。
時代が変わり、何かが変わった、と、前回、書き記した。どんな変化が起こったのか。それを社会学的に分析するような立場に私はいないが、私のテレクラとの関わりの中でいえば、テレクラで、女性と会って、セックスができるようになったということだろう。

代替わりの瞬間から急に日本の女性の貞操観念が緩み出し、性に対して、寛容で解放的になったかはわからない。妙な符号といえば、かの「アンアン」が『セックスで、きれいになる』という特集を組んだのが1989年4月のこと。女性誌の特集だけで、この国のセックス状況が変わるわけはないが、特集の題名の持つインパクトは絶大だった。ひょっとしたら、私自身も都合良く、口説き文句で、そんな惹句を使ったかもしれない。

そんな分析や検証は、フィールドワークする社会学者や女性の性の変遷を書き留める女流作家に任せることにする。多分、魅力的な研究書は何冊も出ているはず。ところで、ここまで10数回、この連載を書き進めてきたが、濃厚な性描写が極めて少ないことに気付くはず。テレクラの武勇伝といえば、テレクラで何人の女性とセックスしたかを雄弁に語り、落とす手練手管を得意気に披露するものが一般的だ。そういう点でいえば、私の連載など、テレクラ・マニアには、いささか物足りないものかもしれないが、いま暫く、お待ちいただきたい。お楽しみはこれからだ!

実は、この連載、テレクラ体験を“黒革の手帳”のメモを元に、ある程度、時系列に書き進めている。ところが、テレクラで会った女性と、初めてセックスしたのがいつかという記述が見当たらず、記憶も曖昧のまま。多分、2年間もセックスなしでテレクラ修行をしているわけはないので、どこかで、済ませているはずだが、どうしても思い出せない。無意識に封印したくなるような辛い過去だったか、あまりにも浮世離れした夢心地の現実だったのか。

ただ、確実にセックスしたことを記憶し、メモにも記述しているのが1989年5月に池袋の居酒屋で会い、そのまま自宅まで雪崩れ込んだ30代の独身女性だ。多分、網にかかったのは新宿の「ジャッキー」だったと思う。同所では、久しぶりの当たりである。

アバター感覚の“嘘”

終電間際の時間のコールだった。池袋の近くに住む30代の独身女性で、金融関係の会社に勤めているという。明日は休日らしく、どう過ごそうか、また、休日を一緒に過ごす相手を探している風でもあった。折角の休日、一人ではなく、誰かどこかへ遊びにいきたいという。そんな時、私は都合のいい男になる。喜んで、休日を付き合うと、伝える。どこへ遊びに行くかとなった時に、どういうわけか、ドライブへ行こうということになる。私が運転して、どこかへ連れて行ってあげると言ってしまったのだ。

以前に“星空ドライブ”の看護師のところで書いたと思うが、その当時、私は免許を所得していなかった。勿論、車も持っていなかった。ところが、思わず、私はパジェロを持ち、運転が得意と、嘘をついてしまう。勢いとは恐ろしいもの(笑)。ちなみに、パジェロは三菱の四駆で、SUV。咄嗟に同車の名前が出たのは、一緒に温泉旅行やキャンプに行く仕事仲間の愛車がパエジェロだったからだ。当時は、車種や車名などもまったくというほど詳しくなかったが、何故かしらパジェロという名前だけは頭に入っていた。

いわゆる“嘘”(「いわゆる」も「“”」もつけるまでもない!)だが、口八丁手八丁ではないが、テレクラ遊びをしていると、麻痺してくるというか、適当な嘘をつくことを何とも思わなくなってくる。良心の呵責に耐えかねることもなく、誠実さとは対極にある言動や行動をしたりもする。後年、ネットの世界で、バーチャルとリアルではないが、平気で人物や人格を偽装、誰かになりきる。アバタ―感覚の自己演出や偽装工作が一般化するが、その萌芽がすでにあったように思う。

考えてみたら、私もいろいろな職業や年齢を詐称し、たくさんの嘘を騙った。仕事を聞かれ、コンピュータ関係(当時は、まだ、IT関係なんていう言葉はなかったはず)といい、会社も見栄を張って、「IBM」というところを「ICBM」といってしまったことがある。“コンピュータ会社”が“大陸間弾道ミサイル”では、意味も規模も大きく違い過ぎだ(笑)。

地縁も血縁もない、日常ではなく、非日常であることから、平気で嘘をつく、そんな人間をテレクラは大量増殖させたといっていい。私自身も嘘つき男になりながらも、多くの嘘つき女にも出会った。詐欺や偽装まがいの時間や空間を共有することになる。中条きよしの「うそ」のように“折れた煙草の 吸いがらであなたの嘘が わかるのよ”であれば、いいのだが、平気で騙されつつも、その嘘を楽しんだりもした。“本当のこと”を“綺麗な嘘”が凌駕することもあったのだ。

タクシーで彼女の家へ

その“30代の独身女性”とは、どういう経緯か、明日のドライブに備え、これから会い、朝まで一緒にいて、それから行こうということになった。終電ぎりぎりだったが、電車で新宿から池袋まで移動することにする。ドライブするのに電車で移動すること自体、話の辻褄がおかしく、嘘は破綻しているが、そこは適当な理由をつけ、一気に寄り切る。こういうところは、強引な私である(笑)。待ち合わせは池袋駅の北口を出たところで、そこにはデートクラブ嬢やキャバクラ嬢が客と待ち合わせに使うような胡散臭い喫茶店があった。その店の前で合流し、同所の近くにある大衆的な居酒屋へ行くことになった。

待ち合わせ場所に現れた彼女は、ふっくらした体型で、決して美形とはいえないが、愛嬌のある顔立ちで、性格の良さみたいなものが全身から漂う。その時は、まだ無かった言葉だと思うが、“癒し系”(1994年、飯島直子がコカコーラ『ジョージア』のCMに出演。このCMから、いわゆる「癒し系女優」として人気が上昇した、という記述もあるが、安らぎ系女優という表現が本当らしく、癒し系のブームとなったのは1999年以降のことらしい)という感じだ。

失礼なものいいだが、第一印象は金融関係に勤めているといっても銀行ではなく、信用金庫という感じ。ついでにいうと、時期は前後するかもしれないが、東京都下の信金勤務の女子職員が愛人に貢ぐため、預金者の口座から不正に金銭を引き出した事件があったが、その容疑者のような佇まいもあった。だからといって、その容疑者に顔が似ているとか、犯罪者顔というわけではない。何か、ちょっと、均衡を欠いたところがあるという雰囲気である。

とりあえず、居酒屋で当たり障りのない話をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。朝まで起きて、ドライブという段取り(勿論、ドライブするにも免許も車もない!)だったが、なんとなく流れで(と、書くと不思議な感じを抱くかもしれないが、無理やり家へ行きたいとか、強引に言い張ったわけではなく、気づくと、という感じである)、その女性の家へ行くことになる。

幸いなことに彼女の家は、池袋からタクシーで10分もかからないところにあった。うろ覚えだが、赤羽か、板橋かだったと思う。とりあえず、お洒落な高級住宅街ではなく、気さくな雰囲気の庶民的な街だった。

小さなマンションだが、室内はきちんと整理整頓され、独居者特有の荒んだところがない。キッチンなども綺麗にしてあり、流しに食器なども散乱していない。どことなく、家庭的な雰囲気があり、初めてながら居心地がいい。

軽くその家でも飲み直す。冷蔵庫からビールを出してくれる。考えてみれば、数時間前に初めて会ったばかりなのに、いきなり、家に上り込んでしまう――離婚歴&子供ありの30代肉感女性の時もそうだったが、いまでは考えられないことかもしれない。だが、テレクラで、女性の家に雪崩れ込むという体験をしたという方も少なくないはず。事実、私自身、女性の家に初対面で、何度も上り込ませていただいている。当時は、まだ、牧歌的な時代だったのだろう。テレクラが犯罪や事件とは無縁で、テレクラ利用者に悪人はいないという性善説が信じられていたのだ。

初めての“成功”

リビングで飲んでいたが、二人とも少し酔って、身体もだるくなってきたので、なんとなく寝室に行くことになる。ベッドではなく、畳の上に布団が敷かれず、積んであった。その布団を背もたれにして、二人は寄りかかりながら飲む。

いい感じで酔いの回った彼女の顔は紅潮し、同時に色香が漂い出す。前述した通り、決して整った顔立ちの美形ではないものの、彼女から醸し出されるそこはかとないエロスと甘えたような媚態は男の本能を充分過ぎるほど、そそるものがある。

決めてやる、今夜! なんだか、いけそうな気がする〜。私は期待感で胸が膨れそうになるが、油断は禁物、まだ、股間は膨らんでいない(と、親父ギャグをいれておく!)。私は他人の家ながら、環境整備として、部屋の照明を少し落す。薄明りの中、なんとなく二人見つめ合うと、口づけを交わす。私が先か、彼女が先かは覚えていないが、それは啄むようなものから貪るような激しいものへと変わる。口の中で、舌同士が覇権争い(!?)をしている。

服をわざと荒々しく脱がすと、豊満な身体(白ムチである。色白で、ムチっとしていた)は、嫌らしい下着にくるまれていた。黒のレースのお揃いのパンティーとブラジャー。いまなら、勝負下着とでもいうのだろうか。彼女は、会う前から、すっかり、やる気だったようだ。

彼女の秘めたる部位、欲望の源は、既に濡れそぼっている。それは、パンティー上からもはっきりとわかる。これから起こることの期待感が彼女の官能中枢を刺激したらしい。下着を剥ぎ取り、胸を弄り、乳首を激しく吸うと、彼女の快感の曲線は一気に上昇していく。

彼女は欲望剥き出し、裸の女を曝け出す。そこに恋愛などという、面倒くさい駆け引きは一切、ない。ただ、快楽を貪ることを欲していた。

もしものために、予め用意していたスキンを鞄から取り出し、いきり勃つ分身に装着すると、彼女を一気に突き刺す……と、まるで、三流官能小説のような表現で、お恥ずかしい限り。それまで、いいところまで行きながらも、毎度、お馴染みのコメディやギャグの落ちのように、一線を超えることができなかったものが、あまりに呆気なく超えることができてしまったのだ。

昭和から平成へ。時代は少しずつだが、動きだす。その時代を生きる男と女の性愛観にも僅かながら変化が訪れようとしていた。ドライブという嘘(ひょっとしたら、それは嘘ではなく、理由というか、言い訳だったかもしれない。この辺は改めて語る機会もあるだろう)がセックスを呼び込む。確かに何かが変わり始めている。