南会津の工務店、芳賀沼製作。
4代前から木に携わってたどり着いた、
ふつうの人が住みやすい木の家のかたちとは。
納得のできる木の家をつくりたい人のための1冊。
南会津の工務店、芳賀沼製作。
4代前から木に携わってたどり着いた、
ふつうの人が住みやすい木の家のかたちとは。
納得のできる木の家をつくりたい人のための1冊。
「梶木さん、ナルシシズム入り過ぎですよ〜」
と、この連載を担当している美人敏腕編集者に言われてしまった。うっうーっ、がっくしである(アスキーアートを使ってみると“orz”という感じだ)。
分別のある五十男。己というものを知ってはいる。当然、ナルシシズムなど、日常生活では浸ることはありえない。しかし、せめてテレクラ物語の中ぐらいは耽溺させてくれ……。束の間のヒーロー気取りをしたいのだ。
“女狐”と行ったコンサートで、アーティストは、アンディ・ウォーホールの“誰でも一日だけならヒーローになれる”という言葉を引用した歌を歌っていた。私も自らの恥を晒すような真実を語ることで、ヒーローになれるかもしれない。束の間でもいい、ナルな気分に浸らせていただき、暫くはナルシシズム溢れる週刊“実話タイムス”にお付き合い願いたい。
さて、話を戻そう。田園調布に住むお嬢様を籠絡し、それを契機にこの国を支配する上流階級にのし上がろうというハードボイルドな“野望と妄想”(笑)を抱きながら、私は彼女の後についてお嬢様のお屋敷を目指した。桜並木(かどうかは、良く覚えていない)を歩いていくと、果たせるかな、10分もせずに、お嬢様の家へと辿り着く。玄関から母屋まで数分はある“お屋敷”を想像していたが、実際に目の前にあるのは普通の2階建の木造の一軒家。田園調布だから、地価などを考えれば安くはないだろうが、特に広いとも思えない、近郊都市にある建て売り住宅のような作りだ。値踏みをするようで嫌らしいが、下町と山手という地代を差し引いても、私の実家の方が平米数も広く、建物自体4階建のビルだから、資産価値は高いだろう。
いきなり拍子抜けである。私の“野望&妄想”は脆くも崩れ去る。確かに、田園調布というブランドに惑わされていたふしもある。田園調布だからといってお屋敷ばかりではない。普通に庶民(!?)が暮らす住宅だってある。もっとも、小さくても田園調布の一戸建てだから、ある程度の富裕層であることに間違いはない。
彼女の家に入ると、すぐにリビングがあり、ピアノがあった。当然、グランドピアノかと思っていたら、アップライトピアノだった。これまた予想外である。陽の当たる広い部屋に白いグランドピアノが置かれている、これではジョン・レノンの家のようになってしまうが、そんな風景を想像していたのだ。
家には幸い、両親はいなかった。親を紹介されるという、最悪の事態は免れる。何しろ、テレクラ男など世の親の敵だろう。財産や閨閥目的であれば親との面談は必須だが、そんな淡い夢は、数分前に崩れたばかり(笑)。
彼女の部屋にも通されたが、小さなベッドと勉強机(デスクというより、勉強机というのが相応しい)があるぐらいで、普通の女の子の部屋という感じで、これといった特色はなかった。人形やぬいぐるみが所狭しと置かれていたり、クローゼットに高級ブランドの洋服やバッグがぎっしりだったら印象も変わるのかもしれないが、そういう面では精神的な安定や経済的な堅実さが部屋に表れていた。壁紙やカーテン、インテリアなども女の子らしい風情はあるが、変にファンシーでないのも自分的には違和感はなかった。
テレクラを通して女性の自宅へ何度となく家庭訪問をしてきたが、そのほとんどは独居女性で、いわゆる実家みたいなところは今回が初めて。流石、彼女の部屋で、ベッドに押し倒すような危険な真似はできなかった。父親は房総へゴルフ、母親は二子玉川へ買い物に行っているらしいが、変なこと(!?)をしているところに鉢合わせなんていうのは避けたい。どことなく落ち着かず、長時間の滞在は避けるべき、と、家を出ることにする。本当に短時間の家庭訪問だ。東急東横線を渋谷へ1駅戻る形になるが、自由が丘へ行くことにする。
カメレオンマン
当時、既に自由が丘は、若者向けのお洒落な街になりつつあった。しかし私としては駅前にあった餃子店(自由が丘・餃子センター)へ行ったくらいで、あまり縁のないところだった。その餃子センターに行ったのも、自由が丘にあった名画座、武蔵野館にウディ・アレンの『カメレオンマン』を見に行ったのがきっかけだ。カメレオンのように周囲の環境に順応する能力をもつ男、レナード・ゼリグの生涯を、ドキュメンタリー調で描いた1983年の作品。ちなみに、日本公開時には吹き替え版が上映されたが、UFO番組でお馴染みの矢島正明のナレーションが印象的で、字幕スーパーだと思っていたら、いきなり日本語が飛び出してきて驚いた記憶がある。いささかこじつけ臭くなるが、周りに合わせ、自分を変えてしまうというカメレオンマンぶりはテレクラマンとしても大いに参考になった、なんてね。
と、“自由が丘・青春プレイバック”をしてしまったが、私にとっては縁遠い場所(AWAY)でも、お嬢様にとっては地元(HOME)。流石に馴染みの店も多く、お洒落な店もたくさん知っている。彼女の行きつけという、いまでいうなら、イタリアン・バールのような雰囲気の、パスタやリゾットが美味しい店へ案内された。
赤ワインを嗜みながら、お嬢様を籠絡するという野心は既に消え失せたが、根がいい人である私は、またもや熱心に彼女の恋愛相談に乗ることになる。女性心理はわからずとも男性心理はわかる。彼女が二人の恋人から聞かされている言葉の真意などを尋ねられる。当人ではないので正解はわからないが、男の狡さというものを加味して、詳らかにしていく。彼らの真意を変に捻じ曲げず、多少、露悪的になるところもあるが、そんなところも含め、男の心理みたいなものを語っていく。二人の恋人の言動や行動からは打算めいた深謀遠慮みたいなものも感じたので、そんなところもさりげなく指摘していく。逆に、私の行為は打算がなく、無償の行為のように感じたらしく、知らぬ間に私の好印象度はさらに上がっていくことになる。
テレクラなどは、ある種、手練手管や権謀術数を弄するところだが、それらを放棄することで、逆に好印象を抱かせてしまうのだから、不思議なものだ。物事は道理のようには進まない。愛の不可逆性とでもいうのだろうか。
家庭訪問後の自由が丘では、軽くお酒を飲んで、食事しての健全デートだった。普通であれば、そろそろ欲望の牙を剥き出し、肉体関係モードに持っていくところだが、私自身にそういう気持ちが起きてこない。別に女狐の後遺症で好きな人でないとセックスができない、なんて、乙女チックな御託をいうつもりはない。以前、“エロブス理論”でも触れたが、一般的には魅力的とされる女性でも自分にとっては性的な魅力に乏しく、欲望に火がつかない。やる気が起きないのだ。当然、不能などではない。性的なモチベーションは、可愛いとか、綺麗とか、育ちが良いとかとは別なところにある。テレクラ男子たるもの、選り好みはご法度、やれるもの拒まずだが、流石に10代20代のやりたい盛りではない、そんなに飢えてもいない。『粋の構造』信者の私としては、武士は食わねど高楊枝ではないが、痩せ我慢の美学みたいなものもあった。
お嬢様からのアプローチ
そんなわけで、私としては、そろそろ、お嬢様を放流状態(キャッチ&リリースがゲーム・フィッシングの基本だ!)にしたいところだが、お嬢様の方から食らいついてくる。その頃には、餌付けもしてないし、釣り糸も垂らしてない。彼女にとっては、男の本音を知ることのできる数少ない情報源、逃したくないのだろう。
あまり会うことはなくなったが、それでも頻繁に連絡はくるし、相談は受ける。そしてこれまた意外な申し出というか、お誘いを受ける。それがなんと、誕生日を祝って欲しいというのだ。誕生日など、クリスマスと同様、本命の彼氏・彼女の“仕事”である。私達、隙間産業たるテレクラ男子の出る幕ではない。二人の彼氏のうちのどちらかに祝ってもらえばいいものを、私におはちが回ってくる。
多分、ゴールデン・ウイークだったと思う。正確な日時などは覚えてないが、その誕生日に起こったいろいろなことがそう記憶させている。
待ち合わせは渋谷だった。渋谷の百軒店に行きつけの台湾料理屋があり、そこに案内したと思う。イタリアンやフレンチではなく、ここも変化球を繰り出す。ひょっとしたら、変化球ついでで、台湾料理ではなく、桜ヶ丘のロシア料理屋にしたかもしれない。その辺の記憶は曖昧で不確かだが、店選びに関して、お嬢様には徹底して変化球を投げ込んだはずだ。
誕生日ということで、プレゼントも用意した。特に目論見も打算もなかったので、とりあえず、コストパフォーマンスを考え、スタージュエリーのネックレスにした。流石、ティファニーやカルティエをプレゼントする関係でもない。考えてみたら、当時からティファニーも随分と身近になったものだ。私でさえ、ティファニーの3連リングをプレゼントしたことがある(残念ながらテレクラで会った女性ではない!)。しかし、かのヘップバーンも価値暴落(価格が安価になったという意味ではない。特別な階級の持ち物ではなく、20代や30代のサラリーマンが平気で、買えるようになったということ)を嘆くだろう。既に“ミツグくん”も出没していた。
私自身、イベントやサプライズは大好物。放流しようという女性の誕生日を祝うなど酔狂なことだが、イベントをプロデュースする感覚で、それなりに楽しんでしまう。おそらく、彼女的には上々の誕生日になったはずだ。それに気分をよくしたらしく、思いもかけない“お礼”をいただくことになる。“プレゼントのお返しは私!”みたいなベタな対応をしてきたのだ。折角の申し入れだが、正直、気乗りはしないというか、我が“エロブス理論”(ちなみに“ブス専”というわけではない)に照らしても、積極的にしたいという気も起らなかった(セックス目的でテレクラ利用をしているにも関わらず、もったいないことだが、性的魅力以前に面倒なことは避けたかったというのもあったかもしれない)。
しかし、ここで断っては、女性の面子をつぶすことになる。あまり熱心にいうものだから、生来のスケベ心(笑)もあり、渋谷の円山町のラブホテル街を彷徨うことになる。ところが、どこのホテルも満室で、空室がない。まるでバブル時期のクリスマス状態だが、ラブホテル難民となる。たぶん、ゴールデン・ウイークだったから、おのぼりさんを含め、いつも以上に稼働率が上がっていたのだろう。十何軒(どんだけ、熱心なんだ!)も当たってみるが、どこも満室。30分ほど歩きまわり、疲れてきたので、そろそろ、今日は日が悪いから撤収しようかというところに、絶妙なタイミングで空室のあるホテルが見つかる。円山町もかなり奥まったところだったと思う。
セックスの不等価交換
ラブホテルに入れば、やることは同じ、久しぶりにねちっこく&じっくりと情感たっぷりに官能描写といきたいところだが、そのセックスには、残念ながら特筆すべきものがなかった。私自身は、ある程度、相手に不快な思いをさせず、同時に、ある種、誠意の伝わる対応をしたつもりだが、彼女からはその対価に見合うものは与えては貰えなかった。かのビートルズは“結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい”と歌ったが、等価ではなかった。もっとも、お嬢様の技術が拙く、魅力的な肢体ではないことが原因ではなく、それ以前に私の男性性に火をつけるもの、欲情を喚起するものが不足していた。そういう面では対価を要求する資格もないのかもしれない。
テレクラ時代以降、ただセックスをするだけでなく、どんなセックスをするかに拘るのは、ある程度テレクラでセックスができるようになると、回数や人数ではなく、量より質みたいな拘りも芽生えてきたからだ。私からしたら、淡泊なセックスだった(本音をいえば、味も素っ気もなく、情感不足だった)。短時間だが、枕を交わし、身体を重ねるも、泊まることなく、終電に間に合わせる(!)。
不思議なもので、そんなしつこくない、あっさりとした対応が逆に相手には好印象を与え、変に身体目的でないこと(私自身は身体目的に何の問題を感じてはいないが)に余計、信頼感が増したらしく、いままで以上に懐いてきてしまう。何が幸い(?)するか、わからないものだ。
そんなわけで、誕生日後も頻繁に電話がかかってきたり、セックスなしのデートを重ねることになる。いい人気取りの私も、そろそろ次のことを考え、だんだんと“親身”の度合いを薄くし、揶揄するような態度も見せ始めることにした。ある種、偽悪的に、ろくでなしな振る舞いをするようにしたのだ。いい人ぶるのに疲れたというところだろうか。そんな豹変(!?)に彼女も気付いたらしく。ある日、こんな手紙を寄越してきた。
「いつも会うたび、二人の恋人のことをおもしろおかしく聞いてくるけど、どうしても興味本位で聞いているとしか思えない。私の友人達は本当に親身になって助言をしてくれるけど、梶木さんはとてもそうは思えない。誠実なものを感じない──」
多分、もうちょっと辛辣なことも書かれていたと思うが、まさに彼女の言うとおりだ。そこに書かれていることに間違いはない。お嬢様だからといって、世間知らずかというとそうでもなく、本当にの心配や気配りと、そうではないものの区別はつく。もっとも私自身、故意に馬脚を現すではないが、私と関わっているとろくでもないことになると思わせるようにもした。私達のような人種に誠実さを求めるのは土台、無理な話であり、親身に相談に乗っていても、それはあくまでも興味本位や物見遊山でしかない。ハードボイルドにいうと、“お嬢さんがこんなやくざな男とつきあっていると、火傷してしまうよ”という感じか。私的には、私の父が愛したギャング映画の名作『汚れた顔の天使』(1938年・アメリカ映画)のジェームス・キャグニー気取りでもある。テレクラ男など、美化されてはいけない。
そろそろ、潮時だ。いい人ぶるにも限度というものがある。そんな気持ちが私の中を支配し、行動や言動も自然と、そんな思いを体現するものになっていった。
田園調布戦線からの撤退だ。逃げ足は速く、切り替えは早い。フットワークの軽さは、テレクラ男子ならではだ。彼女からの手紙を“最後通牒”と判断し、以後、関わらないことに決めた。彼女のテレクラ相談員という役回りは、辞退させていただくことにする。彼女が寄越した手紙に返事を出すこともせず、ほうっておいたら、自然と連絡も来なくなった。基本的にこちらから連絡を取るような立場ではない。時間がある時に立ち寄ってもらう飲み屋のようなものだ。何年か後、来たくなったら来ればいい。“開いていて良かった”と思ってくれれば充分である。そのくらいがテレクラ男子には分相応であろう。
田園調布とは縁遠くなったが、渋谷を前線基地とし、そこに地歩を固めながら、別の沿線に網を張ることにした。そうすると、同じ渋谷基点でも井の頭線方面に釣果が出てくる。それが今度は、私にとって、“開いていて良かった”的な“居酒屋”や“スナック”のような女性と出会うことになった。
時は明治39年、春。日本橋「月島屋」の主人、月島銀次郎は株でひと財産を築き、浅草、新吉原の遊郭で金にものを言わせて派手に遊んでいた。
しかし一年後、株の暴落とともに財産を失った銀次郎は借金を帳消しにしてもらう代わりに、「金華楼」という廓の用心棒となることとなる。
が、銀次郎に与えられた本当の役職とは、「男女郎」だった。銀次郎に科せられる数多の責め苦。やがて銀次郎は身も心も女郎へと堕ちていく──。
田亀源五郎の原点。男女郎が受ける責め地獄を描いたゲイ・SMコミック傑作長編を復刻!!
時は明治39年、春。日本橋「月島屋」の主人、月島銀次郎は株でひと財産を築き、浅草、新吉原の遊郭で金にものを言わせて派手に遊んでいた。
しかし一年後、株の暴落とともに財産を失った銀次郎は借金を帳消しにしてもらう代わりに、「金華楼」という廓の用心棒となることとなる。
が、銀次郎に与えられた本当の役職とは、「男女郎」だった。銀次郎に科せられる数多の責め苦。やがて銀次郎は身も心も女郎へと堕ちていく──。
田亀源五郎の原点。男女郎が受ける責め地獄を描いたゲイ・SMコミック傑作長編を復刻!!
時は明治39年、春。日本橋「月島屋」の主人、月島銀次郎は株でひと財産を築き、浅草、新吉原の遊郭で金にものを言わせて派手に遊んでいた。
しかし一年後、株の暴落とともに財産を失った銀次郎は借金を帳消しにしてもらう代わりに、「金華楼」という廓の用心棒となることとなる。
が、銀次郎に与えられた本当の役職とは、「男女郎」だった。銀次郎に科せられる数多の責め苦。やがて銀次郎は身も心も女郎へと堕ちていく──。
田亀源五郎の原点。男女郎が受ける責め地獄を描いたゲイ・SMコミック傑作長編を復刻!!
小浜逸郎さんからいただきました。

書名●[新訳]歎異抄─「絶対他力」の思想を読み解く
著●親鸞・唯円
訳●小浜逸郎
発行●PHP研究所
定価●950円+税
2012年11月6日発行
ISBN978-4-569-80737-9 C0030
新書判/200ページ/並製
「地獄は一定すみかぞかし」という名文句の真意とは? 近代以降の日本人に最も親しまれている仏教書を、平易な訳と解説で読者に贈る。
お待たせしました。
田亀源五郎氏の復刻版『銀の華』上・中・下をいよいよ発売します。
11月前半と告知していたのですが、少し早く発売できそうです。
早いところでは今週末から、遅くとも来週前半には、全国の書店、ネット書店での発売が始まります。
全巻セットをお買い求めいただいた方には、特典小冊子『「銀の華」未収録図画集』を無料で進呈。
本の中に入っている応募券を3枚はがきに貼って、ポット出版にお送り下さい。
11月末日までに応募してくださってみなさんには、田亀源五郎氏のサインを入れてお送りします。
ぜひふるってご応募ください。
前回、伝説になる「コンサート」の後に“彼女”と六本木のビストロで食事をした、と書いた。実は、その時、なんとなく近況を話したくらいで、肝心なことは話していない。勿論、別離の「理由」は聞けなかった。また、知ってもどうにかなるわけではない。おそらく、想像通りのことだろうが、その理由に真実を肉付けしていく必要などないだろう。さらに傷つけ合うのは愚かしいこと。男女の仲では、知らなくていいことはたくさんある。
真実は残酷で、人を傷つけもする。別離の泥濘に嵌り、もたつきはしたくないだろう。何も知らない、いまなら、笑顔で別れられるというもの。去り際は、ボギーのようにありたい。“君の瞳に乾杯”だ。二人の間には「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As Time Goes By)」が静かに流れる。
そんな女狐との格闘。喪失感と徒労感に苛まれつつも、真底に落ちないのが私である。春に向け、次の一手を打っていた。新宿を離れ、再び、渋谷へと舵を切る。すると、自然と釣果が出る。今度は、田園調布の“お嬢様”だ。
名だたる一等地に住む女
下町生まれ、下町育ちゆえの山手コンプレックスなどはないが、ある種、生息地(!?)のランクによる、女性のランクアップもある。まるで、四万十川の鰻や大間の鮪、勝浦の鰹、丹波の黒豆、小布施の栗のようだが、グルメたるもの、ブランドというか、その産地や漁場には拘りたい。東京でも田園調布は特別な響きがある。麻布や六本木などではびくともしないが、やはり、田園調布には、豪邸が立ち並び、人生の成功者が住まいしところというイメージがある。かつて、1980年には、成功し、大金持ちになれば、“田園調布に家が建つ!”という、星セント・ルイスのギャグがあったくらいだ。
そもそも田園調布の発祥は、かの渋沢栄一の息子・秀雄がイギリスのガーデン・シティーに魅せられて構想を立てた田園都市計画だった。しかし、この構想は、五島慶多を始めとする野心あふれる実業家によって欲望に満ちた不動産業へと変貌したという。大学の誘致、住宅地と鉄道敷設を一体にした開発、在来私鉄の買収劇など、東急王国はみるみる増殖、ロマンあふれる構想はもろくも挫折し、生臭い話が残るが、田園調布そのものは変わることなく、イギリスのガーデン・シティー構想を端緒とした田園浪漫が残る街ではある。その辺の経緯は現在、東京都副知事の猪瀬直樹の『土地の神話』(1988年)に詳しい。同書は第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『ミカドの肖像』(1987年)の続編ともいえる作品。近代の日本を描いた名著である。まさに、バブルの時代。土地開発など、どのように近代日本が作られていったか、西武と東急の暗躍(!?)を含め、自然と興味を持ち、貪るように読んだ記憶がある。東京生まれ、東京育ちの自分にとって、東京がいかに変わっていったか、気にならないはずはない。後の「地上げ」や「土地転がし」などに繋がる因子が書かれている。バブルの萌芽は既にあった────というような「都市論」は、またの機会に譲ろう。
田園調布のお嬢様と出会ったのは、90年の春だった。丁度、女狐とのラブ・アフェアーがクロスフェイドした頃である。多分、再会の「コンサート」の前には会っていたと思う。懲りないとは、私のことだ(笑)。
渋谷の桜ヶ丘にある、私の隠れ家「アンアン」で、コールを受けた。おそらく、夜の9時過ぎくらいだろう。どんなことを話したか、ぼんやりとしているが、お嬢様の恋愛相談に乗ったことだけはよく覚えている。好きな人が二人いて、その間で揺れる女心みたいなことを散々、聞かされた。テレクラ相談員としては、うんざりするようなことでも嫌な顔せず(当然、見えないが)、親身に聞くのが作法というもの。そういう点では、本当、根気のいる仕事(!?)だろう。
ある意味、お嬢様はもてる女性、引く手あまただ。同時に、気の多いというのも確かである。一途などという言葉は、バブル時代以降、完全な古語、死語になっていた。そんな性格ゆえ、その気の多さゆえに、私も知らぬ間に彼氏候補になっていった。私の誠実(!?)な対応が気にいったのだろう。相談を受けながら、私への興味が増していったようだ。恋愛相談など、当人にとっては悩みごとだが、他人にとってはどうでもいいこと。しかし、それにちゃんと対峙するだけで、好印象を抱かせる。単なる思い違いや勘違いでないことは、この後の様々な出来事がそれを立証することになる。
コマ劇場近くの映画館で
私が彼女と話していて一番、驚いたのは、お嬢様らしく、ピアノを嗜んでいる、その発表会が春にあるから、予定を空けておいてと言われたこと。その“春”だが、今春ではない、来春である。一年も先のことを言われたのには、正直、ある意味、驚きを超え、何を考えているのだろうという気さえした。数時間、話をしただけで、まだ、会ってもいないのにだ。その場限りや、セックスしたら終わりという出会いしか、考えられないテレクラ遊びをしている私にとって、1年後などは、とても考えづらいことだ。
多分、ピアノの発表会の話が出るくらいだから、恋愛相談以外にも音楽などの話もしたのだろう。その流れから映画などの話題も出た。実は、そのお嬢様との最初の“デート”が「映画鑑賞」だったのだ。
当時、封切られたばかりの『フィールド・オブ・ドリームス』(監督&脚本:フィル・アルデン・ロビンソン)を見に行くことになった。同作品は1989年4月にアメリカで公開され、日本では1990年3月に公開されている。ケビン・コスナー主演で、某映画評論家が「生涯最高の映画」と絶賛したもの。アメリカ文学の巨匠、W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』を原作にした映画で、とうもろこし畑を野球場に変えたところ、続々と人が来るという夢物語のようなストーリーで、かの相棒と村上春樹ともに愛読した作家、サリンジャーを思わす幻の作家も登場する。私自身も気になっていた映画である。
ある日の夕方、主人公はとうもろこし畑を歩いていると、ふと謎の声(”If you build it, he will come.” = 「それを作れば、彼が来る」)を耳にする。その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるとうもろこし畑を切り開き、小さな野球場を作り上げた……。
1989年には『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー 2』などがヒットし、翌90年にも『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』『ダイハード2』など、満漢全席のようなハリウッド産の大作の豊漁は続くが、その狭間に“小品ながら良心的”な映画として、話題になっていた。実際、日本では、かのハリウッド大作に負けないくらいのヒットを記録している。毎回、満漢全席では飽きが来るというもの。精進や薬膳のような料理もいいというところだろうか。
その女性、お嬢様らしく、女子大学(どこか、忘れてしまったが、いわゆるお嬢様大学だった)を卒業後、会社などに就職することなく、「花嫁修業中」という名の「家事手伝い」をしている。年齢は20代半ばだった。それゆえ、休みに関しては、平日も土日も関係ない。
翌日、私達は新宿・歌舞伎町のコマ劇場の側にある映画館の前で、待ち合わせた。平日の昼間である。歌舞伎町は夜とは違う顔を見せる。まだ、コマ劇場もあったし、シアターアップルもあった。当然、映画館もいまとは比べものにならないくらい、たくさんあった。ある意味、文化的な街でもあったのだ。シネコンなどが普及する以前のこと、まだ、新宿は歌舞伎町を始め、新宿南口や靖国通り沿いにも映画館が林立していた。幼い頃、父親とかのコッポラの『ゴッドファーザー』の封切を見たのも新宿のコマ劇場の側だった。
歌舞伎町は男と女の欲望が交錯する街だけではない。文化や芸術の街でもあったのだ。新宿のアルタ前(同所は既に1979年には出てきていた)などではなく、歌舞伎町の映画館の前で、待ち合わせたのも昼なら女性一人、歩かせても問題ないと考えたからだろう。
さて、私の前に現れたお嬢様、どこかしら浮世離れした雰囲気があり、独特の浮遊感がある女性だった。良家の子女だからといって、高級ブランドを纏うことなく、落ち着いた、どことなくコンサバな服装をしているのも好感を抱かせる。顔立ちも特に目を引くような容貌ではないが、育ちの良さが現れている。皇室にでもいそうな雰囲気を持っている。どこか、理知的で聡明な風情を漂わせつつ、若干、メルヘンな香り(いまなら、不思議ちゃんとでもいうのだろうか)が包んでいく。
予想外なお誘い
とりあえず、簡単なあいさつをして、映画の上映まで、あまり時間もないので、そのまま映画館へ入ることにする。テレクラで会って、いきなり映画館というのも不思議な感じだが、昨夜のトークで、なんとなく、お互いを知り得たようなところがあるので、まさにあいさつもそこそこに、敢えて自己紹介するまでもなく、すんなりと映画を見ることになる。
映画館では当然、隣り合わせに座る。本来であれば、手を握ったり、肩に手を回したり、軽く前戯の前戯(!?)をするものだが、流石、初対面である。そこまではできないだろう。同時に、私自身、結構、映画を見入ってしまうタイプなので、そんなお遊びをすることもなく、かなり真剣にスクリーンと向き合ってしまった。
映画そのものは、このところのハリウッド大作に食傷気味だったので、私的には丁度いい塩梅の腹持ちだった。ちょっと、いい時間を映画とともに過ごしているという感じである。ところが、お嬢様はお腹が痛くなり、途中で出てしまった。私も当然、最後まで見ることなく、出てしまったのだ(後日、ちゃんと、一人で見直した。映画の評価そのものは変わらない、名作である。私のように汚れきった生活をしているものを浄化してくれる)。
映画館のベンチで休んでいたら、容態も落ち着いたらしく、顔色も良くなる。聞いたところ、前夜は興奮して、あまり寝ていなかったらしい(子供の遠足か?)。多分、睡眠不足が原因だろう。当然の如く、映画そのものは見ていて気持ち悪くなるような描写はない(ホラーやパニックものではない!)。
とりあえず、軽く食事を取りに、コマ劇場から靖国通りに向かったところにあるタイ料理へ行くことにする。店選びは、敢えて変化球を投じることにした。
シンハビールを飲みながら、トムヤムクンやパッタイ、グリーン・カレーなどを食す。お腹が痛いのに香辛料が強いものはどうかと思ったが、お嬢様は体調が戻ったらしく、もりもりと食べる。フレンチやイタリアンではなく、エスニックというのが珍しいらしく、彼女のツボに嵌る。私の目論み通りである。
話した内容は、昨夜の繰り返しのようなものだが、それよりもお互いのことを話し合ったと思う。多分、その頃には、すっかり打ち解け、お互い信用したようで、結構、プライバシーを明け透けに話す。家族のことや学生時代のことなども聞いたはず。
いつもであれば、時間を引き伸ばし、「終電逃し&ホテルへGO作戦」を取るところだが、今回は、誠実感(!?)を演出するため、すんなりと帰すことにする。すると、意外な申し入れがされる。今度の日曜日に家に来ませんか、と、誘われたのだ。家庭訪問を断る理由はない。テレクラ男を親にでも紹介しようというのか、あまりに予想外な展開である。
まぼろしの旧駅舎
数日後、私は田園調布の駅舎に降り立った。先日、複々線化にともない、地下化していた旧駅舎が復元されたが(この辺は東京駅の復元と同様だ)、まだ、地下化される前だったと思う。東京急行電鉄のHPには「旧駅舎は東横線の抜本的な輸送力増強工事である『目蒲線改良工事および東横線複々線化工事』の一環として実施した田園調布駅改良工事により平成2年9月4日に解体されたものです。」とある。平成2年だから1990年のこと。お嬢様の家庭訪問時には、旧駅舎であり、それは昔の風情を残したものだった。その駅前には噴水や花壇があり、らせん状に道が広がっていた、と、記憶している。勘違いなら申し訳ないが、洗練されながらもどこか鄙びた趣きがあった。都心に比べれば、緑多く、空気澄む、田園地帯である。まさに田園浪漫、フィールド・オブ・ドリームスだ。
お嬢様は駅舎に迎えにきていた。多分、家で昼食を取ってから出かけているから午後だったと思う。彼女の笑顔が迎えてくれる。その笑顔を見た時、私の頭の中には、セント・ルイスの“田園調布に家が建つ!”が木霊する。
そして、伊達邦彦や北野昌夫など、我が敬愛する大藪春彦が描く世界の主人公たちは、政財界の要職にあるものの令嬢を誑かし、落として、上流階級に食い込み、地位や財産を築き上げていく。そんなハードボイルドな野望も擡げてくるのだ。
そのために、羊の皮を被った狼は牙を隠し、誠実を装っていた。いきなり会って、すぐセックスしないのは、相手のことを大事にしているからと思われていた、のどかな時代でもある。テレクラ男子の大いなる野望劇の始まりである────なんてね。
2012年10月31日発売予定の新刊『芳賀沼製作と建てる家』の予約受付を開始しました。

南会津で木の家を設計・施工する工務店、芳賀沼製作。
これまで建ててきた「ふつうの家」を、地域コミュニティ「はりゅうウッド村」や、東日本大震災における木造仮設住宅建設など、独自の仕事とともに紹介。
長く付き合える木の家をつくりたい人のための1冊です。
◎芳賀沼製作と建てる家
続きを読む