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ポット出版ず・ぼん全文記事ず・ぼん8
岐阜図書館と利用者の購入要求を巡るもめごと その後
[図書館大会分科会レポート]業界の「垢」がたまる一方だ

東條文規
[2002-10-03]

岐阜県図書館と利用者のトラブルを収録した『ず・ぼん』七号を発行した、その約三カ月後、岐阜県で全国図書館大会が開かれた。 その大会の分科会で、この問題が、おそらくはじめて公の場で語られた。 ず・ぼん編集委員のひとりであり、日本図書館協会の会員でもある東條文規がその模様をレポートし、図書館界の垢を指摘する。

文●東條文規
とうじょう・ふみのり●一九四八年、大阪生まれ。
一九七五年から四国学院大学・短期大学図書館に勤務。
本誌編集委員。
著書に『図書館の近代』(ポット出版)、共著に『巨大情報システムと図書館』(技術と人間)、『大学改革』(社会評論社)などがある。


一利用者の問い

 第八十七回全国図書館大会(二〇〇一年十月二十四日〜二十六日)に行ってきた。今年の大会テーマは「二〇〇一年・岐阜・図書館の旅│IT時代の図書館像を考える│」。メイン会場の長良川国際会議場を中心に三日間、約一八〇〇名の図書館関係者が十四の分科会に分かれて、さまざまな討議に参加した。
 私の参加した分科会は「図書館の自由」を扱った第九分科会、「情報格差と図書館における知的自由」。会場は、岐阜県美術館。三苫正勝(夙川学院短期大学)日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会委員長の基調報告「図書館の自由をめぐる最近の動き」以下、福永正三氏(大阪市立大学非常勤講師)の基調講演「IT時代の図書館と知的自由│情報格差と著作権を中心に│」、中村百合子氏(東京大学大学院教育学研究科博士課程)の「インターネットの有害情報対策と図書館」、山重壮一氏(目黒区立大橋図書館)の「青少年有害情報規制と『図書館の自由』」の報告をもとに、質疑応答がなされた。
 さて、この小論のテーマは、第九分科会全体の報告が目的ではない。先の四氏の報告のなかには直接出てこなかったが、当日会場から提出された一利用者からの質問に関しての報告である。質問者は浅野俊雄氏。『ず・ぼん』の熱心な読者なら記憶されていると思うが、第七号(二〇〇一年八月)に掲載された佐藤智砂(ず・ぼん編集委員)「岐阜県図書館と利用者・浅野俊雄さんとの図書購入要求を巡るもめ事」の一方の当事者。
 浅野氏の質問は二点。一つは、岐阜県図書館の恒常的な利用者としての資料購入要求に対する図書館側の対応への疑問。具体的な図書名や雑誌名を挙げて、自分(浅野氏)はこれぐらいの本は県立図書館レベルならば当然蔵書にあってもいいと思うのだが、岐阜県図書館の「資料選定基準」によって購入を拒否されたことへの疑問。
 もう一点は、一九九九年の滋賀県での第八十五回全国図書館大会での「図書館の自由」の分科会の事例発表「A県立図書館のリクエストへの対応について」が当日、別の事例発表に差し換えられたことに対する疑問。A県立図書館とは岐阜県図書館のことで、リクエストをしたのは浅野俊雄氏。
 浅野氏の質問に回答をした三苫委員長は、岐阜県図書館の「資料選定基準」には問題はあるけれども、要求されたすべての資料を購入して蔵書にすることもできない。要は、リクエストに対して購入、相互貸借等、何らかの方法で利用者に資料が届くことが肝心と回答。
 第二点については、『全国図書館大会要綱』をつくった時点では「自由の問題」に関して適当な事例がなかったので岐阜県図書館の事例を予定していたが、その後、他に、「自由の問題」に関してより重要な事例が出てきたのでそちらの方に切り換えた。どこかから圧力がかかったわけではない。


リクエストは「圧力」?

 次に、福永氏の基調講演のなかで住民の図書館への要求を干渉になることもあると語ったのはおかしいのではないかという質問状に対する福永氏の回答があり、福永氏は、やはり過度な要求は図書館への干渉であり、何が何でも自分の要求を実現させようと図書館に迫ることは、「自由宣言」のなかにもある「図書館への圧力」と考えざるを得ないと応える。
 この福永氏の発言に対し、浅野氏は、具体的な著者名などを挙げて、この程度の本は県立図書館レベルでは当然、蔵書に加えるべきではないかと質問。さらに、福永氏への質問状の提出者の棚橋満雄氏(元徳島県那賀川町立図書館長、現日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会委員)が、利用者のリクエスト要求に対してはでき得るかぎり応えるべきで、そのための予算的措置もしっかりする方向で、そのことによって利用者との信頼関係を結ぶのが最善の方法だ。利用者の要求を安易に図書館への干渉という言葉で捉えるようでは、図書館は住民の信頼を失ってしまうと発言。
 その後会場から、予算が決まっているのに、なんでもかんでも購入などできない。世界中の本をすべて買え、というのかという発言もでる。
 論点がかなりズレてきて、はなしを元に戻そうと思って私も発言を求めたが、他の質問状も出ており、時間的制約もあって司会者が発言をあと二人に制限する。
 その最初に発言の機会を与えられた私は、図書館はもともと足し算の世界であり、岐阜県図書館の「資料選定基準」は引き算的発想になっている。これを使って利用者の要求を図書館への干渉と受け取るのは間違っている。予算的制約のはなしが出たが、何百万円、何千万円の資料を要求しているわけではなく、浅野氏の要求の図書ぐらいは予算内で十分対応できるレベルのものである。棚橋氏が発言されたように、利用者との信頼関係を築くことが何より大切なのではないかと発言。
 最後に西河内靖泰氏(荒川区立南千住図書館、日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会委員)が、議論の混乱を指摘し、県立図書館と市町村立図書館の役割分担を利用者も理解して欲しいと発言。さらに利用者と図書館との考え方の違い、その違いを踏まえていろんな意見を出し合う場が図書館だ、というようなまとめ的発言でなんとなく締めくくる。
 以上が第九分科会での浅野俊雄氏と岐阜県図書館との「もめ事」を巡る討議の概要である。ただ、私の記憶だけで書いているので細部で誤りもあるかもしれないが概ね正しいと思う[*]


なぜ差し換えられたのか?

 さて、いかにも中途半端なかたちで終わらざるを得なかった第九分科会であるが、発言者のそれぞれの見解とは別に、事実関係の疑問点を指摘しておきたい。
 一九九九年の滋賀県での第八十五回大会での同じ自由の分科会で、浅野氏と岐阜県図書館との問題が事例発表というかたちで予定されていたのに当日、別のテーマに差し換えられた件に対する三苫氏の回答には疑問を呈せざるを得ない。
 三苫氏は、この件に対する浅野氏の質問に対し、先に書いたように、この問題より「図書館の自由」についてより重要な事例が出てきたので差し換えた、他意はない。このようなことをすると、すぐどこかから政治的圧力がかかったのではないかと疑われるが、そんなことはない、と発言した。
 三苫氏のこの発言は、『ず・ぼん』七号の佐藤智砂「岐阜県図書館と利用者・浅野俊雄さんとの図書購入要求を巡るもめ事」のなかの「浅野さんの手紙を軸にしたこれまでの経緯」の内容と異なっている。
 「経緯」によれば、滋賀の大会に参加した図書館員〈の方が調査委員のお一人に個人的に尋ねたところ岐阜県図書館の要求によりとりやめざるを得なかったとの返事だったそうです〉(『ず・ぼん』七号、一八一ページ)。
 一方、佐藤が岐阜県図書館に日本図書館協会に圧力をかけたのかとの質問したところ、答えはノー。〈事例として発表されるのは構わなかったのだが、日本図書館協会の物事の進め方にクレームをつけた、とのこと。どういうことかというと、日本図書館協会の内部で、第九分科会の事例として岐阜県図書館の件を発表するという話が出たときに、誰かがそのことを岐阜県図書館は知っているのかと聞いたところ、『了解を得ている』と誰かが答えたそうだ。後日、日本図書館協会の人が別件で岐阜県図書館に連絡をした際に、事例発表の話が出た。岐阜県図書館は、了解を出すどころかそんな話を聞いていなかったので、クレームをつけたということだそうだ〉(同書、一八四ページ)。
 前者は、一九九九年十二月一日に、浅野さんが書いたNさんへの手紙。じつは私もこの滋賀の大会に行っていて、自由の分科会に参加していた。浅野さんの手紙に出てくる図書館員は私ではないが、私も調査委員の一人(この方が浅野さんの手紙にある調査委員と同一人物かどうかは定かでない)に同じような話を聞いた。
 後者は、二〇〇一年一月十二日に、岐阜県図書館の資料課長から佐藤にメールが来て、佐藤がその資料課長に電話をかけ、そのやりとりのなかでのはなしである。
 両者とも三苫氏の発言とは異なっている。三苫氏の発言は、一九九九年の滋賀での大会の会場での発言と同じ。議事録によれば、〈大会要綱中にあるA県立図書館のリクエストの対応については、『自由』の問題の中心的テーマではないが、適当な事例がなかったので予定したが、その後、青少年保護育成条例にかかわる有害図書指定の問題が新たな状況を見せてきて、放置できないので、それを取り上げた〉(『平成十一年度(第八十五回)全国図書館大会記録 滋賀』全国図書館大会実行委員会、二〇〇〇年、二一四ページ)。


なんとなく灰色だけれど?

 当日、私もその会場にいたが、この件について三苫氏に質問をしていない。そのときの私の率直な気持ちは、「三苫さんもたいへんだなあ」というものだった。
 つまり、日本図書館協会という図書館員の職能団体を標榜しているけれども、必ずしも純粋な職能団体ではなく、行政との微妙なバランスのなかで機能している団体の性格上、そう思ったのである。まして、全国図書館大会の主催者が日本図書館協会単独ではなく主催地の県や市、その教育委員会など複数に渡っている大会という問題もあり、再来年(二〇〇一年)には、A県立図書館のご当地岐阜県での大会開催が決定していること等、これらの要素を考え合わせれば、差し換えになっても「仕方がないかな?」というのが私の当日の気持ちだったのである。
 さらに付け加えるならば、三苫さんとはそれほど懇意ではないけれど、顔見知りで、図書館界の先輩として尊敬できる方だと思っているし、その他の自由委員会の委員の方々もそれぞれ知り合いだし、といういわば業界内の一種の仲間意識も働いたように思う。
 他方、当時浅野氏については、お会いしたこともなく、「ちょっと困った利用者かなあ?」という思いが私にもあり、岐阜県図書館もまた、「下手な対応する、ちょっと困った図書館で、再来年の図書館大会は大丈夫なのかな」と思っていたのであった。
 だから、日本図書館協会と岐阜県図書館とのあいだで何度かの「やりとり」があって、どちらか一方が強力に「する!」「するな!」を主張したわけではないが、お互いに「(事例発表をすることは)まずいよ」というところに落ち着いたというのがほんとうのところではないのだろうか。
 少なくとも、私はそのように「理解」し、先に書いたように「三苫さんもたいへんだなあ」と思ったのであった。
 ついでに付け加えるならば、十年前なら、会場で「三苫さんの説明だけでは納得できない!」なんて叫んでいただろうな、とも思ったのであった。
 じっさい、私の知らない「だれ」かがそのような発言をするのをどこかで「期待」し、望んでもいたのだが、そういう発言は、どこからも出ることはなかった。
 そのあたりのところが、「自由の委員会」とか、偉そうなことをいっても、しょせん同じ業界内の仲間内、なんとなく、それなりに納めてしまう、というように、浅野氏に不信感を抱かせる結果になったことは否めない。浅野氏も控え目ながら、そのような主旨の発言を今年の大会の会場でされていた。
 大会の分科会同様、なんとも歯切れの悪い文章になってしまったが、三苫氏と、「図書館の自由に関する調査委員会」は、少なくとも滋賀大会の「差し換え」の「真相」だけでも明らかにする必要があるし、岐阜県図書館は「資料選定基準」を再検討する必要があるのではないだろうか。
 もしこのまま放置するならば、岐阜県図書館、ひいては図書館界は、浅野俊雄氏個人の信頼を失なうだけでは済まないと、かなり業界の垢をつけてしまった私でも、思うのである。

[*]この小論の校正の段階で『平成十三年度(第八十七回)全国図書館大会記録岐阜』(全国図書館大会実行委員会、二〇〇二年)が発行された。この冊子の二一五〜二三八ページが第九分科会の公式議事録である。ただ、テープ起こしの関係上か、誤解による発言やつじつまの合わないところもまま見受けられ、第三者にはわかりにくいと思われる。

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