エッセイ」タグアーカイブ

スカスカのアドレス帳 [北尾トロ 第4回]

だがそうはならなかったのである。初めてアルバイト代をもらったとき、これでやめさせてくれと社長に言ったところ、機関銃のようなトークで引き止められ、もう少し続けると答えてしまったのだ。

「どうしたの。理由があるでしょ、言ってみてよ」

「えー、その、給料11万ではちょっと……」

「わかった、上げましょう」

一瞬で逃げ道をふさがれる。 続きを読む

編集プロダクション「イシノマキ」は天国か地獄か [下関マグロ 第4回]

編集プロダクション「イシノマキ」に籍は置いたものの、いったい何をどうすればいいかまったくわからなかった。

まあ、事情というのは、あとからわかってくるのだが、これは伊藤秀樹(のちの北尾トロ)がイシノマキを辞めたため、その穴埋め要員として僕が雇われたのである。

そんなことはまったく知らない僕だったが、とにかく何をどうしていいのかわからない。一応、イシノマキへは朝10時くらいに顔を出すのだが、ほとんどの人は出社していなかった。何がどうなっているのかがよくわからない。というより、僕個人として、社会人感覚が身についた段階でなく、「空気を読む」とか「気を利かせる」ということがまったく不可能だった。

社長の姫路さん(仮名)はいつもいる人ではなかった。仕方がないので、経理の女性の厳原さん(仮名)なんかと無駄話をして一日を終えるなんてことが何日か続いた。何日間そんなことをしていたのか記憶があいまいだが、とにかく最初のうちは退屈で居づらくてしょうがなかった記憶がある。 続きを読む

離れがたきナナオ設計 [北尾トロ 第3回]

「はい、もうすぐ中に入るから急いで作業服に着替えて」

イシノマキでアルバイトを始めて半月ほど経った金曜日の深夜12時前、ぼくは丸ノ内線茗荷谷駅の近くに止めたハイエースの車内で、あわただしく着替えをしていた。軍手をはめて、ヘルメットを装着したら準備完了。作業に必要な荷物を運ぶ段取りはすっかり板についている。

仕事の内容は単純だ。終電が行ってから始発が走るまでの間に、駅構内から線路に降り、地盤沈下を調べるための測量と、壁面のクラック(ひび割れ)調査をするのだ。測量は社員がするので、アルバイトの仕事は、ミリ単位で刻まれた板を、指定の場所に立てて持ち、手持ちのライトで照らすこと。クラック調査は、壁面に走るひび割れに沿ってチョークで線を引くこと。これは、ひび割れの太さごとに赤、青、白と色を変える。たまに工事車両が通るくらいで危険は少ないし、誰でもできる簡単な仕事だった。進む距離は一日に500メートル程度。これを月曜日から金曜日まで、毎晩続けてゆく。実労時間はせいぜい4時間だったが、拘束時間がそれなりにあるのでアルバイト代は4千円ほどと割がいいので、学生時代からずっと続けている。社員や他のアルバイト連中ともすっかり顔なじみだから気楽なものだ。 続きを読む

名刺を作ればライターというけれど [下関マグロ 第3回]

1983年の年末から1984年の正月。僕はひとりで中野坂上のフレンドマンションにいた。スーさんは年末から栃木の実家に帰っていたが、僕は山口の実家には帰省しなかった。理由は、単純に金がなく、電車賃が払えなかったからだ。

部屋にはスーさんがクリスマスに買ったファミコンがあった。正式名称はファミリーコンピュータで、その年の夏に出たヒット商品であった。まだソフトはドンキーコングくらいしかなかったけれど、年末年始の間ずっとそれをひとりでやっていたのだ。

年が明けて帰ってきたスーさんにそのことを言うと、彼は苦笑いをしていた。そんなことより、僕らはそのころ、会社を辞め、自分たちで仕事をやろうという話で盛り上がっていた。写真集を作るような編集プロダクションをやろうというのだ。 続きを読む

岩松了の『溜息に似た言葉』-02

前回のつづきです。

岩松さんと、カメラマンの土屋文護さん&石井麻木さんとの対談も終え、いよいよ編集作業ですが、ここで下手な順番に並べては台無しです。

一番基本的な順番は発表順の時系列ですが、今回は5人のカメラマンに撮りたい8本をバラバラに選んでもらったので、改めて時系列にするとデコボコした感じになってしまいます。

そこでカメラマンごとに8本をまとめようということになったのですが、ではカメラマンの5人の順番をどうするか、各カメラマンの8本の並びはどうするか。

おおまかな方向性は決まっているものの、エッセイと写真が組合わさったものが40本なので、両方のリズムを考えねばならず、倍悩みます。

エッセイのことだけを考えても、例えば、岸田國士の『屋上庭園』の中の「お金がなくなると友人が減っていく」というようなセリフの近くにテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』の中の「大金持ちってときには孤独になるものだから!」(訳・小田島雄志)というセリフを持ってくるのは食い合わせが良いのだろうか(今は、良くない、と思う)。

そんなこんなで、作業を進めております。

最後に対談のときの写真を載せて、つづく。

撮影はいずれも岩松了さんです。

土屋文護
土屋文護さん。舌を出してる。

石井麻木
石井麻木さん。岩松さんのカメラが思ったより近いので照れてます。

岩松了の『溜息に似た言葉』-01

9月刊行予定の岩松了さんのエッセイ集のための対談を、先週から今週にかけて行なっています。

岩松さんが古今東西の小説や戯曲の中から心に残るセリフを抜き出し、そのセリフの周辺にある人生の機微を書いたエッセイが40本。

今回の単行本では収録する40本それぞれに写真が付きます。
その写真は5人の若手写真家に8本ずつ担当してもらいました。
どのカメラマンもそれぞれ個性があり、セリフ/エッセイ/小説・戯曲に対するアプローチの仕方が違うので、「岩松了」という芯が一本通っていつつも、カラフルな単行本になりそうです。

現在行なっている対談も、テープ起こしをまとめたものを収録するのではなく「対談の中のセリフの一つから、その写真家を読み解く岩松さんの書下し」という形での収録となる予定なので、「岩松了vs若手写真家5番勝負」といった雰囲気も漂わせております。

岩松さんとカメラマンとの1対1での対談は、先週の金曜日に中村紋子さんと高橋宗正さん、本日インベカヲリ★さんとの収録が終わり、残すところ明後日の土屋文護さん、石井麻木さんの2人という状況です。

対談の内容は徐々に公開していく予定ですが、本日はひとまず、これまでの対談の様子を写真で簡単に振り返ろうと思います。

岩松了&中村紋子
金曜日、中村紋子さん。「岩松さんとのツーショットを…」と言ったら「じゃあギャル撮りしましょう!」と自ら撮影してくれました。まだまだ人生経験の浅い私ですが、一眼レフでギャル撮りする人は初めて見ました。パワフルでした(「ギャル撮り」という言葉も初めて知った)。

高橋宗正
同じく金曜日、高橋宗正さん。イケメンだ。『マリクレール』に顔写真入りで紹介されたこともあるそうです。年内に、写真集の出版予定も(別の版元さんですが)。この写真は岩松さんが撮影。

岩松了&インベカヲリ★
本日のインベカヲリ★さん。今回のインベさんの写真は、全作品で女性のモデルさんが登場します。全員かわいいので凄い。インベさんのサイトで、これまでの作品が沢山見れます。

続く…

初めて出会ったフリーライター [下関マグロ 第2回]

大阪から東京へ来て、雑誌『スウィンガー』を発行する会社に勤務することになった1983年の春。東京駅から中央線に乗って驚いたのは、窓から見える桜の美しいことだ。飯田橋あたりから四谷にかけての線路脇の土手には、桜の樹が植えられている。

初出勤の日、会社で新入社員歓迎会を兼ねた花見が催されることとなった。場所は電車から見た土手だった。

小さな会社で、新入社員といっても僕ひとりだけである。それでずいぶんと飲まされ、いつしか酔いつぶれてしまった。生まれて初めて、前夜の記憶がないほど飲んだ。そして、気がつけば、まったく知らない家で目が覚めた。

「増田くん、増田くん」 続きを読む

序章 [北尾トロ 第1回]

大学3年末の試験が終わってすぐ、生まれて初めての海外旅行でインドへ行き、すっからかんになって帰国。そのまま九州の実家に転がり込んでしばらく過ごした4月初旬、ひとり暮らしをしていた阿佐ヶ谷のアパートに戻り、2カ月ぶりで大学に行ったら留年が決定していた。インドで遊んでいる間に、法政大学社会学部では追試が終わっていたのである。

間抜けだ。落とした必修単位は英語かなにかだったと思うが、ほとんど白紙の答案を提出したにもかかわらず、ぼくは追試とか、留年なんてことが全然頭になかったのである。留年者を貼り出した掲示板の前で呆然としていると、通りかかった知り合いがニヤニヤしながら声をかけてきた。

「もう一度3年生かよ。ま、お前らしいな」

どこが“らしい”のかはわからなかったが、いまさら騒いでもしょうがない。それより、この事実を親にどう伝えるかだ。父は他界しており、母は決してラクな生活をしているわけじゃない。この上、1年余計に学費と生活費の面倒を見てもらうのは心苦しい。今年はともかく、5年目となる来年は、学費くらい自分で出すべきだろう。

その5年目、ぼくはほとんど大学へ行かず、アルバイトばかりしてなんとか卒業にこぎつけた。だが、サラリーマンになりたくなかったので、就職活動もしなかったし、自分の将来にさしたる関心もなかった。 続きを読む

序章 [下関マグロ 第1回]

「せっかく受かったんじゃから、そこへ行きなさい」

母親は、唯一合格した大学に行けと言う。もっともなことだ。僕は、一浪しており、その年に受けた大学もほとんど落ち、たったひとつだけ合格した大学なのだ。しかし、この唯一合格した大学は、たまたま予備校で試験があったので、受けただけで、まったく行く気がなかった。だいたい東京の大学に行きたいと思っていたのだが、その大学は大阪にあった。僕はどうにも気が進まず、母親の言葉にも黙っていた。

「おばあちゃんも心配して、どこでもええから、行きなさいって言うちょったよ」
と母親が言う。祖母は、病気で入院していた。そんな祖母に心配をかけちゃいけないなと思い、この大学へ行くことにした。

大阪の大学とは桃山学院大学であった。入学してもやる気は起こらず、僕は5年間も大学生活を送ることになった。1年留年したのだ。

つまり一浪一留で、僕は社会に出るのに通常の人よりは2年多めにかかったことになる。これだけ、時間を費やしたにもかかわらず、僕は自分がどういう仕事をしたいかとか、何をやりたいかということはさっぱりわからなかった。

でも、とりあえず東京へ行こうという考えはあった。不思議なことに東京に行けばなにかあると思っていたのだ。

就職活動というものはほとんどせず、とりあえず上京。高校時代の同級であった岡本くんの下宿先へ転がり込んだ。 続きを読む

食卓で会いましょう

岩松了、初めてのエッセー集

タバコとパチンコ/タバコといえば思い出す/タバコ供養の日/ヘビースモーカー/ヘビースモーカーへの一通の手紙/ハイライトを喫う女/五万円と二百円/嗚呼パチンコ/五万円負けた日のこと/純朴とは/スズメと牛と恋/手紙をくれた女/ロールスロイスの運転手/あとひとり/四谷美談/結婚した?/外人の友だち/私を救った男/本気/普通免許持ってます?/天気待ち/D・ボウイの『スターマン』/その一枚サービスしとくよ/名前いろいろ/電車の中はクイズだらけ/不眠症の夜明け/「秀吉」の暗躍/とんだ冗談いやあ参ったの巻き/さまよえる不動産業者/或るお父さんの生態/父親を知らぬ娘?/「伝える」ということ/「わからない」ということ/年の瀬の情緒不安定/わがままも時には感動を誘う/舞台袖という舞台/万歩メーター/風呂場でションベン/募金箱をかかえた人々/或る借金の風景/「死」とは「ビジョン」のようなもの/尾行、その正体/演劇という職業について/私が「探偵」になって言ってみたいセリフ/人間の基本「ウェイター」/教師という職業について/歌手という職業について/モノマネは不滅の職業か/鴨川に浮かんだ女/下心/地獄の主婦A/乳房への道/忘れじの人妻、あの千円/銀杏を掃く女/結びつかぬ女たち/少年ジャンプの女/自堕落な色気/年の瀬の官能/演劇へのドアノブ/つかまれた手/A子のしあわせ/夜行列車の女/マタニティな女/とても大事なこと/飲み屋に行けば/踊る女と背広の男/ここに幸あれ/誰も決めることはできない/ちょっとした自叙伝/劇作家であり演出家であること/姫錦と握手した/私はどういうことを考えながら演劇をやっているかということ/絶望あれこれ/修行について/中途半端という王道/物語ときいて思うこと/演劇の映画に対する一方的言い分/チェーホフの現代的魅力/