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              |  |  | ●どすこい 出版流通 ──筑摩書房「蔵前新刊どすこい」営業部通信1999-2007
 [2008.7.17刊行]
 著●田中達治
 定価●1,800円+税発売●ポット出版
 ISBN978-4-7808-0117-0 C0000
 四六判/200ページ/並製
 印刷・製本●株式会社シナノ
 ブックデザイン●沢辺均
 在庫有
 
 
 
 【内容紹介】筑摩書房元取締役営業局長の名物コラム 
 ●出版業界のインフラ整備に尽力した、故・田中達治氏が軽妙につづる「出版流通思想」
 ●筑摩書房の書店向け「蔵前新刊どすこい・営業部通信」に1999年〜2007年まで掲載されたコラムを収録
 ●書店、取次、出版社……出版流通に携わるすべての人のテキストに
 ●「版元ドットコム」の若手出版人有志による詳細な脚注、索引付
 
 
 【目次】▼1999年8月共有書店マスタが出発……012 ▼1999年9月自動発注考……014
 ▼1999年10月筑摩書房のホームページプロジェクト進行中……017
 ▼1999年11月不安が蔓延する出版業界の存在意味……019
 ▼1999年12月古書が紛れて返品されたら……022
 ▼2000年1月自動発注考PART2……024
 ▼2000年2月取次・柳原書店の倒産……026
 ▼2000年3月またまた倒産……028
 ▼2000年4月決算を前にして……030
 ▼2000年5月ホームページがオープンです……032
 ▼2000年6月東京国際ブックフェア2000……034
 ▼2000年7月筑摩書房書店向けサイト……035
 ▼2000年8月配本パターン制作中……037
 ▼2000年9月物流はスムーズに作動して当たり前……038
 ▼2000年10月筑摩書房の文庫の見直し……040
 ▼2000年11月本の価格表示……042
 ▼2000年12月新刊配本直後のオンライン受発注……044
 ▼2001年1月金持ち父さん 貧乏父さん』ブレイク……045
 ▼2001年2月人文書を売ること……047
 ▼2001年3月新刊の自動発注をしてはいけない……050
 ▼2001年4月新刊配本パターンを更新……051
 ▼2001年5月オンライン書店ベスト10入りで勉強……053
 ▼2001年6月返品率、夢の20%は無理か……055
 ▼2001年7月ドジョウ本の意味はなんだ?……057
 ▼2001年8月猛暑の中で書店からの電話……058
 ▼2001年9月『白い犬とワルツを』の仕掛け……060
 ▼2001年10月9・11テロと関連本……062
 ▼2001年11月全集の謝恩価格本フェア……063
 ▼2001年12月謝恩価格本に貼るシール……065
 ▼2002年1月鈴木書店が倒産した……067
 ▼2002年2月不景気なご時世でも仕掛けること……069
 ▼2002年3月いよいよ参加、共同受注サイトBON……071
 ▼2002年4月来期の課題はベストセラーではない……073
 ▼2002年5月GW前後はとびきりせわしない……075
 ▼2002年6月変化のスピードがただ事ではないのだ……076
 ▼2002年7月死のロード、検定教科書促進……078
 ▼2002年8月強烈な教師の対応で変身するのだ……080
 ▼2002年9月謝恩価格全集セールは完全買い切り……081
 ▼2002年10月脱線、新札切替え……083
 ▼2002年11月ヤケクソで「発作性群発頭痛」について……085
 ▼2002年12月『ハリー・ポッター4』の買い切り……087
 ▼2003年1月筑摩が買い切りだったころ……088
 ▼2003年2月文庫と新書に力を入れた……090
 ▼2003年3月ロングセラーを支えるのは出版社の技……092
 ▼2003年4月筑摩書房はフツーなんである……094
 ▼2003年5月役に立つ物流講座「逆送」編……095
 ▼2003年6月役に立つ物流講座「逆送」編2……097
 ▼2003年7月役に立つ物流講座「返品処理」編1……099
 ▼2003年8月役に立つ物流講座「返品処理」編2……101
 ▼2003年9月役に立つ物流講座「返品処理」編3……103
 ▼2003年10月役に立つ物流講座「受注」編……104
 ▼2003年11月役に立つ物流講座……106
 ▼2003年12月役に立つ物流講座は今回でおしまい……109
 ▼2004年1月「売れる」コトだけが書店人の喜びではない……110
 ▼2004年2月BON参加のスタートラインに立った……112
 ▼2004年3月ISBNはユニークコードのはずだったのに……114
 ▼2004年4月出版業界商品マスタを構想する……116
 ▼2004年5月40年目の最終回配本……118
 ▼2004年6月教科書出張で救われること……120
 ▼2004年7月新人営業の恐ろしい告白……122
 ▼2004年8月方向音痴のつわものたち……124
 ▼2004年9月新入社員たちをよろしく……125
 ▼2004年10月新書10周年とプリマー新書の創刊……127
 ▼2004年11月「書店員本音炸裂ぶっちぎり匿名座談会」……129
 ▼2004年12月出版営業はこの10年で変わったのだ……131
 ▼2005年1月80年代営業日誌1……133
 ▼2005年2月80年代営業日誌2……135
 ▼2005年3月80年代営業日誌3……137
 ▼2005年4月80年代営業日誌4……139
 ▼2005年5月80年代営業日誌5……141
 ▼2005年6月80年代営業日誌6……143
 ▼2005年7月出版物流講座Part2-1……145
 ▼2005年8月出版物流講座Part2-2……147
 ▼2005年9月出版物流講座Part2-3……149
 ▼2005年10月出版物流講座Part2-4……151
 ▼2005年11月出版物流講座Part2-5……153
 ▼2005年12月共有書店マスタユーザー会関係者に感謝……155
 ▼2006年1月版元ドットコム日誌が呼んだ災い……157
 ▼2006年2月「品切れ」をめぐる営業センス……159
 ▼2006年3月やっぱり出版社の本質はメディア産業でしょ……160
 ▼2006年4月「良心・志」で情緒的粉飾する幼稚さ……162
 ▼2006年5月「良書」信奉者は営業・物流を理解しているか……164
 ▼2006年6月富と利便性がいつも豊かにするわけじゃない……166
 ▼2006年7月国語だけ、高校だけ、上級向けの教科書の販促……168
 ▼2006年8月自分の頭で考えるって難しいな……170
 ▼2006年9月SAが加速して書店がよくなったとは思えない……172
 ▼2006年10月「言葉使いをあれこれ言われたくない」?……174
 ▼2006年11月インフラ整備がもたらしたもの……176
 ▼2006年12月新書はどこまで膨張するか……178
 ▼2007年1月書店専用の「WEBどすこい」だぁ!……180
 ▼2007年2月メディアとしての「出版業界」……182
 解説および友人としての言葉 菊池明郎
 注索引
 プロフィール
 
 
   【著者プロフィール】著●田中 達治(タナカ タツジ) 1950年7月23日千葉県銚子市で生まれる。
 1976年3月法政大学文学部英文科を卒業。
 同年筑摩書房に入社。
 管理部(倉庫部門)に配属。
 1978年同社倒産劇を倉庫(管理部)で迎える。
 1980年12月営業部へ異動。千葉、埼玉、北関東の書店営業を担当。
 1988年課長に昇進。
 1993年4月営業部次長に昇進。
 1999年6月営業部長に昇進。「営業部通信」を菊池営業部長から代わり執筆開始。
 2000年6月取締役営業部長に就任。
 2001年10月「筑摩書房全集謝恩セール」(再販弾力運用)を実施し盛況に終わる(2002年も実施)。
 2004年10月組織改編で取締役営業局長就任。
 2007年7月病気療養に専念するため取締役を退任し顧問に就任。また、長年にわたり業界インフラ整備にかかわる。主なものは次のとおり。
 1990年出版社10社合同での全国主要38書店の売上スリップ回収を行い売上げ分析システム、レインボウネットワーク創設に参加。
 1991年からの出版VAN立上げ、書籍バーコード普及。
 1997年新潮社、文藝春秋、筑摩書房3社で文庫補充システム「コロンブス」(ColmBuS 文庫補充のハンディターミナルシステム)。
 1994年「S-NET」(スリップ共同回収)。
 1996年「P-NET」(POSデータ配信ネットワーク)。
 1997年7月共有書店マスタ・ユーザ会代表世話人。
 2000年「出版ゴールドサービス」(共有書店コードを利用したファクシミリ一斉同報サービス)。
 2001年「Book-Order.Net」(出版社・書店共用サイト)、7月物流部門も担当。
 2002年4月有限責任中間法人日本出版インフラセンター設立にかかわる。
 2003年4月日書連加盟店のみならず日本国内すべての書店を網羅した「書店データベース」(S−DB)を整備するため、共有書店マスタ・ユーザ会と日書連の協業化に尽力。
 2007年1月12日「田中達治さんに感謝する会」参加者へのお礼状で「病は誰にも等しく訪れるものです。私は思いもよらず早くその日を迎えてしまいましたが、悲観はしておりません。「明日」をイメージすることができる限り、病に向き合い、治療に取り組む覚悟です。またいずれそれが及ばなくなる日が訪れても、静かに流れるようにすべてを受容したい、そのような自分でありたいと念じております。出版業界はますます厳しい未来に直面しています。しかしながら、メディアとしての出版は他のメディアと比較し、深く、重く、誠実に伝える力を持っています。その力を最大に発揮するための業界システムをみなさんで築き上げてください。私はもとより、無数の読者がみなさんを応援しています。頑張ってください。」のメッセージを残し闘病生活に入る。
 2007年11月23日午前0時45分(2003年5月発病の前立腺癌で)癌研有明病院にて、永眠 57歳。
 
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