2008-05-06

お部屋1489/あれやこれやの表現規制 18

雑誌や本の表紙を出したことでカメラマンやイラストレーターが文句を言ってきた話は聞いたことがないのに対して、モデルがクレームをつけてきたという話は聞きます。「写真を出すな」ではなく、「金を出せ」ということだったりするわけですけど。

古い写真集で再発できないのがあるのは、肖像権がネックになっているためだったりします。昔は許諾を得ずに撮った写真を写真集にしたところで誰も文句を言わなかったし、雑誌用に撮った写真を写真集にしても文句を言わなかったのに、今はクレームがつく。

報道写真であれば別ですが、この場合は法的にも対抗しにくい。とりわけ著名人の写真は財産権がからみます。本人がいいと言っていても、契約書までは交わしていないため、遺族が文句を言ってくることもあります。すでに書いたように、日本の場合、死後、肖像権がどうなるのかよくわからないわけですが。

ギャラとして2万円払って済めばいいのですが、「100万円くれ」とか「絶版にしろ」と言われると、出版社は大損害ですから、こういうものを写真集にはできない。展覧会は人目につきにくいし、クレームがあったら、その写真を外せばいいのでまだいいとして、写真集は怖いのです。

こうして名作と言われる写真集が再発できず、名作と言われる写真を写真集に入れられない事態になってます。昔がアバウトすぎたってことですから、ここまではやむを得ないかもしれない。

しかし、クレームをつける範囲がどんどん拡大して、法律上問題がない写真の使用についても、「金くれ攻撃」を仕掛けてくる人たちがいるため、モザイクをかけるか、目線を入れるしかない。突っぱねればいいのですが、裁判を起こされると、勝てるとしても面倒です。

肖像権の知識がなく、自分で調べる気もない人に「あのね、それは問題がないのね」と一から説明するだけでも面倒です。私がこの「あれやこれやの表現規制」で、「あのね、『靖国 YASUKUNI』の肖像権は問題にならないのね」と説明しなければならなくなったのと同じです。

その結果、「ともかく目線を入れておけ」ということになりつつあるわけですが、そのために、顔を出してもいいのに目線を入れられることも起きてしまいます。

前にストリップ劇場のスカイベントを取材した際に、出演者たちに「目線を入れると訴えるよ」と言われました。冗談半分ですけど、たしかに目線を入れると、いかがわしくなりますから、「悪いことをしているわけではないのに、なんでこんなことをするのか」って気分になるのも理解できます。

そうされないためには、自ら「目線を入れるな」とアピールをしておかなければならなくなってきている。「顔を出したくない人はその旨を通告する」という時代から、「顔を出していい人はその旨を通告する」ということにまでなってきています。

法的に根拠のある主張をするのはまだいいとして、権利意識の肥大した人たちが、なんでもかんでも文句をつけてくる風潮と、今回の「靖国騒動」は重なって見えます。調べもしないで、気に入らないものを貶めるために利用できるものはなんでも利用する。浅ましいです。

目先の利害のために、こういう主張をすることによって、表現が萎縮することについてなんの配慮もない。自分らがよければそれでいい。3万円もらえればそれでいい。「反日映画」にイチャモンをつけられればそれでいい。

「靖国 YASUKUNI」の肖像権を国会で問題にする議員を支持し、「重要」と言う不勉強なメディアや個人は、最大限範囲を拡大した肖像権を自ら守る義務もあろうってものです。他者に求めるのであれば、まずは自分で実践すべし。

事故や犯罪の被害者の写真を遺族に無断で出すようなことは断じてしてはなりません。事故現場、火災現場、犯罪現場に写り込む人たち全員から許諾を得るべきです。許可をとれなかったらすべて目線を入れるべきです。デモの写真を出すなんてもっての他です。

有村議員の肖像権についての質問を支持するメディアや個人に肖像権についての事細かなクレームをつけることは筋が通りましょうが、他のメディアはそんな自意識過剰、権利意識肥大のクレームを受けつける義理などありません。文句を言う時は相手を選ぶようにしましょう。

肖像権についてはいったんここで終わります。刈谷直治氏の肖像権については、「期待権」として改めて論じます。