2008-04-04

お部屋1442/その後の「靖国」

締切に追われているのですが、これは触れておかねば。

http://www.asahi.com/culture/update/0403/TKY200804020379.html?ref=rss
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「靖国」大阪で5月上映 「映画館を議論の場に」

2008年04月03日02時26分

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題で、大阪市淀川区の映画館「第七芸術劇場」が5月に予定通り上映することを決めた。同館は地元商店主らが出資する96席の市民映画館。松村厚支配人は「見たい人がいるなら提供するのが役目。映画館を議論の場にしてほしい」と話している。上映は同月10日から7日間の予定。

 「靖国」は、靖国神社に参拝する戦没者遺族や軍服姿の若者らをナレーションなしで撮影した中国人監督の作品。トラブルや嫌がらせを警戒した大阪、東京の5館が3月末までに相次いで上映中止を決めた。大阪で唯一の上映先となった第七芸術劇場には、中止しないよう求める電話やメールが相次いだという。

 社会派作品を多く扱ってきた松村支配人は「客観的に靖国をとらえている」と作品の感想を話し、「靖国がある東京はもう少し踏ん張ってほしかった」と話している。

(略)

 この問題について、社民党の福島党首は2日の記者会見で、超党派の国会議員に呼びかけ、ドキュメンタリー映画「靖国」の自主上映を検討する考えを示した。福島氏は「日本の表現の自由の危機だ。全力を挙げておかしいと言う」と語った。

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まずは上映できるようにすること。これが今現在の最大のテーマでしょうから、ともあれよかった。稲田議員も上映を実現してからこの映画を批判するのが筋であり、妨害をすることについては強く批判すべきです。

そこについては一部の人たち以外、異論はないでしょう。でもなあ、福島瑞穂がしゃしゃり出ると(以下略)。

1440号「『靖国』上映運動のお誘い」につけられたコメントで参議院内閣委員でこの映画について取りあげられていることを知りました。「あら探し」感は拭えないですが、なるほど、これは面白いです。こういう議論をどんどんやるためにも、まずは公開することでしょう。

自民党の有村治子議員の質問から、とりあえず肖像権について。

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映画の中でもっとも多くの時間を割かれ登場される刈谷直治さんは、靖国刀を造っていた現役最後の刀匠でございまして、現在90歳のご高齢です。「美術品として純粋に靖国刀匠、匠のドキュメンタリーを撮りたい」という若い中国人の青年の申し出に、刀をつくる自らの映像を撮影することは承諾され、「これが私の現役最後の仕事になるなあ」、と覚悟を決めて協力をされました。
 映画パンフレットによると「キャスト」というふうに刈谷さん書かれていますが、この刈谷さんは実際には本映画でキャストになることをまったく知らされておらず、このことを承諾されていないばかりか、完成品の映画を見る機会すら与えられていません。一時、進行過程での映像をご覧になって、当時政治問題化していた小泉総理の参拝映像や終戦記念日の靖国境内の政治的喧噪の映像とまぜ合わせて刈谷さんの刀をつくる映像が交錯されていることに違和感を覚え、ここからです、刈谷夫妻は不安と異論を唱えられました。すると刈谷さんの自宅に赴いた李纓監督と、助監督のナカムラさんは、「この映画には日本の助成金が出ているし、助成金を受けているというそのマークもついているから、大丈夫ですよ」と夫婦をなだめていらっしゃいます。助成金が公的お墨付きとして使われ、刈谷さん本人がキャストに仕立て上げられる、本人は嫌がっているんです。キャストに仕立て上げられることを承諾するよう、助成金のマークが入っているから大丈夫ですよ、日本政府も助成しているんですよ、という説得の材料になってしまっています。このような経過から最終作品は、刈谷氏の善意を踏みにじっており、刈谷さん夫妻はこの映画において刈谷氏の肖像が入ることをまったく承服しておらず、作品から刈谷さんの映像を一切外して欲しい、と希望をされています。これは私自身が一昨日、平成20年3月25日、刈谷さん本人と確認をとりました。
 このパンフレットにのっている制服姿の青年、この青年は現役自衛官であり、彼が靖国神社に参拝しているところを、この映画「靖国」をつくった人が無許可で撮影をし、その映像が無許可でこの映画に使われ、このパンフレットにおける掲載がされていることもこの自衛官の方は一切しらなかったんです。この現役自衛官の方がたまたま靖国神社にお参りしたときに撮られた、勝手に無許可で撮られた肖像権はまったく守られていないというのが、常態化、今も続いています。

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この文章を起こした産経新聞の原川記者は【有村氏が指摘した中で、映画が出演者らの承諾なしに映像を使用し、靖国神社の許可を得ずに境内で撮影されていた(善し悪しは別として、いかにも中国的!)事実は最も重要な点だと思います】と書いてます。

原則誰でも入れる場所での撮影において、その土地の所有者の許諾を得ないことが中国的かどうかは、日本の映画関係者やテレビ関係者、雑誌関係者の証言を待つとして、出演者の承諾なしに、ドキュメンタリー映像を撮ったことが最も重要な点だというので、これについて私なりのコメントをしておきます。

実のところ、私自身、チラシやパンフに使用されている人物の写真については気になりました。報道のための映像、ドキュメンタリー映画の映像において、私有地であっても、原則誰もが入れる場所での肖像権は問題にはなりにくい。初詣の報道で、風景に写り込んでいるだけでなく、晴れ着の女性がはっきり映されたとしても、肖像権の主張は難しいのではなかろうか。

しかも、この映画では、遠くから望遠で撮っているわけではありません。映画を観ればわかるように、他のカメラもしばしば見えているように、おそらくテレビなどの取材が入っていて、そのことを感得できる以上、肖像権の主張は難しいでしょう。これは肖像権の判例内で判断できることかと思います。

しかし、それをチラシやパンフに使用することについては、単なる報道の領域ではなく、宣伝利用ですから、許諾は必要ではなかろうか。その点につき、「これは許諾をとっているのだろうか」との疑問を抱いたのは事実です。あとは、このようなコラージュとしての使用法が、肖像権侵害になるのかどうかです。ここは私も判断がつきかねます。

続いて、刀匠の刈谷直治氏についてです。ここも議論が分かれましょうが、私は問題なしと考えます。すでに述べたように、靖国刀とその匠を描いた映画であることは事実であって、その部分についてはウソはない。

これについては、従軍慰安婦をとりあげたNHKの番組において、原告が「事前にあった説明と違う編集がなされた」として期待権を主張した例が参考になります。私はドキュメンタリー、あるいはそれ以外の表現においても、期待権なんてものを持ち出すのは大きな間違いであり、これを認めた判決も強く批判した文章を書いてます。

ドキュメンタリー映画にしても、ノンフィクションのルポにしても、予定していた筋書き通りに進むとは限らず、内容の変更はごく当たり前のことです。なおかつ事前に説明できる範囲は限られます。

私自身、インタビューを受けたり、テレビの取材を受けたりする場合、自分が思っていた番組や特集と違っていることは多々ありますが、自分の発言がもとの意図と違うように編集されている場合以外、つまり言葉の同一性が保たれていない時以外、著作権や肖像権の問題として文句を言うのでなく、その番組や特集のありようを批判するまでのことです。裁判に馴染むような話ではないでしょう。

あの裁判で、原告および判決を批判した私としては、ひとたび出演を承諾した以上、その映画全体が自分の意図と合わないことをもって、承諾した事実を否定することも撤回することもできないとするしかない。出演を承諾したということはドキュメンタリー映画のキャストになるということです。ここにおいても、あとは、宣伝用のチラシ、パンフ、広告などに名前をクレジットされることの是非が論じられるだけでしょう。映画出演の承諾は、宣伝物に名前を使用されることの承諾を含まないという立場もありそうですので。

原川記者が「最も重要な点」とする肖像権については、宣伝物に利用する問題が残るだけですから、改めて承諾をとるか、今後、宣伝物に名前や写真を使用しないことで解決ってことかと思います。

なお議論がなされる必要があるかとは思いますが、NHKの裁判において期待権を支持した人たちは、この点において「靖国 YASUKUNI」を批判するしかないでしょうし、期待権を否定した人たちは、この点において「靖国 YASUKUNI」を批判することは難しいでしょう。さあ、皆さん、どういう意見を言うのか、楽しみです。

残りはまたそのうち。

このエントリへの反応

  1. 貴重な情報,ありがとうございます。

  2. まだ詳しく調べていないのですが、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」におけるチャールトン・ヘストンの立場がこの「靖国」における「刈谷氏」の立場と似ているがその点はどうだろう?という意見があります。
    阿比留氏のブログでtomikyu08氏が述べているように。
    ヘストン氏はあの映画で出演を了解したのか、広告、宣伝にヘストン氏の名前は利用されたのか等々、調べなきゃいけないことはいろいろありますが。

  3. このあと、私もマイケル・ムーアについて触れる予定です。

    マイケル・ムーアは助成金をもらわないとは思いますけど、この点についての有村議員の質問は、あらゆる表現に通じるものとしてなされてますから、同様の論理で「公共の電波がやっていいのか」「社会の木鐸である新聞がやっていいのか」「社会的影響力のある雑誌がやっていいのか」って話にもなります。

    それらのメディアが同様のことをやっていたら、ダブルスタンダードのないように、有村先生には国会でとことん追及していただきましょう。

    滲み出す悪意を感じるとは言え、問題提起としてはとても面白くて、この際、肖像権にせよ、説明義務にせよ、助成金の選定基準にせよ、徹底的に論じるといいのではなかろうか。