ゲスト:竹田青嗣

談話室沢辺 ゲスト:竹田青嗣 第2回 「資本主義と国家の市民的制御」

●資本主義に替わる経済システムはありえない

沢辺 発展途上国も前より部分的によくなっているけれども、先進国の上がり方がすごいから、その距離に問題を感じるわけですよね。だからルサンチマンも生まれやすい。ある意味イスラムや911に通じる。

竹田 いま宗教的原理主義がルサンチマンの受け皿になっているんだね。

沢辺 貧しい国を引き上げる以外に、ルサンチマンの解消の道はないですね。

それから、たっぷんたっぷんになってしまった我々の欲望はどうしたらいいのでしょうか。いま若い人達が就職せずフリーターに流れているのは、社会が悪いと言われることもあるけど、たっぷんたっぷんの状況のなかで、なにも無理してやることないんじゃないの、と考えているのではないでしょうか。
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談話室沢辺 ゲスト:竹田青嗣 第1回 「自由と労働」

●労働、仕事、活動に分類される人間の行為

沢辺 今回のテーマは「労働」です。竹田さんは、人間の社会の大きな流れが経済ゲームから文化ゲームへと変わっていくと言われています。僕は「労働」というものも、やがて文化ゲームと混じっていって、生きるためにするのか、楽しむためにするのか、その境目が溶けていく性質を持っている気がするんです。そこでまず、そもそも「労働」とは哲学的に言うとどういう性質のものなのでしょうか?

竹田 哲学的には、人間の活動を「労働」と「文化」と分けるのがわかりやすいです。これを私はハンナ・アレント(Hannah Arendt,1906-1975)から受け取って、なるほど、と思いました。

有名ですが、アレントは人間の行為を<労働>、<仕事>、<活動>の三つに区分しました。<労働>は人間が共同体をつくって生きていく上で絶対的に必要なもので、もし<労働>がなければ人間は滅びてしまう。しかしアレントの図式では、<労働>の必要が大きくなればなるほど人間の生の条件としては悪くなる。アレントが言う人間の条件の基本は「自由」であり<活動>がこれを担います。<労働>は自由と背反的なものです。

アレントのいう人間の生の条件はギリシアの自由ポリスをモチーフにしていますが、自由ポリスでは、市民は奴隷労働の上で何もせず遊んでいるわけです。市民は労働をしないので、自由がある。その自由があることによって、言論活動を行ない、「人間の自由は、言論活動のなかではじめて成立している」というのがアレントのイメージです。
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