投稿者「ポット出版」のアーカイブ

第27回■クリスタルな愛人Ⅲ(3000円の愛人契約)

 交際、出会い、出張、社交、鑑賞会、露出、SM、変態、パーティ、マッサージ、熟女、人妻、ぽっちゃり……。一定の世代なら、『内外タイムス』や『レジャーニューズ』の“三行広告”に心を躍らせた記憶があるだろう。わずかな文字から想像を巡らし、勇気を出して電話を掛ける。怪しい風俗との出会いの契機がそこにはあった。

 その中にはセックスをお金に変える出会いを謳ったものも多かった。90年代半ば以降、「援助交際」などと婉曲な表現もされたが、いわゆる売買春である。ソープランドやホテトルなどが代表的だが、愛人紹介なども“自由恋愛”“当人同士の話し合い”としながらも、その実は、売春そのものである。基本的に交際相手を紹介するだけで、恋愛やセックスは両者の合意があれば自由とされているが、そこには金銭が介在し、代価、対価としてセックスが行われている。管理売春ではないものの、その実態は限りになく売春のあっせんに近いものがある。中には一回限りではなく、長期的な付き合いもある。そのものずばり、“愛人バンク”などという名称も一般化し、一斉を風靡したこともある。ちなみに、愛人バンクは1982年に筒見待子が始めた「夕ぐれ族」がヒットして、当時全国的にブームになった愛人紹介業ビジネス。1983年に全盛を迎え、全国的に類似ビジネスが乱立した。実態は売春の斡旋であるため、警察は1983年に売春防止法違反等により14軒を摘発し、595件、68人を検挙。いわゆる愛人バンクという形態は鳴りを潜めたが、その後も類似ビジネスは存続している。

 バブル時代は、店舗や交際倶楽部などはなく、個人事業主として、生業としているような女性も多かった。その後、援助交際の主役は高校生や主婦などにうつるが、それ以前は、バブルの吹き溜まりに耽溺していた女性にも、同様の行為が蔓延していたような気がする。

 当時、羽振りの良かった不動産業や金融業などの経営者が愛人を囲っていたり、一回、セックスをしたら何万も貰ったという話がたくさん転がっていた。決して、映画やテレビの世界のことではなく、私の身近なところでもそういう女性はたくさんいた。セックスをお金に変えることのカジュアル化みたいなものが加速度的に広がっていた。いわゆるその場限りの売買春ではなく、愛人契約みたいに、長期的な交際を約束するようなものもあった。
 平成の毒婦といわれ、複数の被害者を出したとされる婚活詐欺女性の事件を聞いた時、婚活としながらも、その実態は当時の交際倶楽部などに所属した女性と相通じるようなものを感じた。時を経ても変わらないものがある。多少、自分に性的な商品価値があることを知る女性の中には、セックスをお金に変えてきたものも少なくはない。勿論、その価値は時代によって変わり、オプションそのものも代わる。

 さて、ひろみの話に戻そう。彼女の白金のマンションに家庭訪問し、しこたま酔っていながらも、私に持ちかけられた意外な話とは……。

○○××△△○□□××○○

 と、「……」と「○○」を入れて、テレビドラマのCM跨ぎのようなことをしたが、彼女から持ちかけられた意外な話とは、「3000円くれたら、セックスさせてあげる」というものだったのだ。

 売買春を持ちかけられたのも驚きながら、その料金(!?)もある意味、法外(勿論、安価という意味である!)である。3000円だ。30000円ならわかる。当時でいえば、ワンツー式というソープも珍しくなかった。入浴料10000円、サービス料20000円で、30000円である。相場といったら変かもしれないが、売買春の対価としては、30000円なら妥当ではあった。当時は、愛人契約をして月に30万貰ったとか、後に援助交際で高校生が5万などという高値を呼んでいた。セックスが値崩れする前の時代の話だ。3000円はいかにも低料金である。まるでデフレ時代のようだ。

 当時のテレクラでは、いわゆる街娼、たちんぼが客を求めてテレクラに電話することはあったが、援助交際時代ほど、売りのコールが頻発することはなかった。私自身、これまで書き綴ったセックスしてきた女性にお金を渡したこともなかった。ある意味、幸せな時代だったのかもしれないが、ここにきて、まさか、ひろみのような女性から、それも3000円という料金で、売春を持ちかけられるとは思ってもみなかった。

あまりにも突然の申し出に、一瞬、なんのことかわからず、訝しがったが、何度も3000円と連呼するものだから、勢いに任せ、財布から3000円を出し、渡してしまった。彼女は嬉しそうに受け取り、笑顔を作ったかと思うと、3000円を私へ投げつける。千円札が3枚、宙に舞う。その刹那、彼女は私に抱きつき、いままで飲んでいた居間から寝室へと誘う。寝室は和室で、ベッドではなく、畳の上に布団が敷かれていたのをよく覚えている。

契約成立(!?)である。私は遠慮なく、彼女の唇を貪ると、ひろみも同じ勢いで貪る。淑女から雌へと変わる。私など、単なる相談員で、男性として、それも性の対象として見られていないと思っていただけに、彼女が私を男性として、それも性の対象として見ていることに驚く。やや焦りながらも、勢いよく、彼女の服を脱がす。特にグラマラスで魅惑的という肢体ではないが、大酒飲みの割には贅肉のない身体に、透き通った肌が目に飛び込んでくる(実際には部屋が暗くしてあったので、薄ぼんやりと見えただけだ)。

布団に押し倒すと、彼女は思いのほか、恥じらうそぶりや躊躇うこともなく、積極的に求めてくる。激しく、荒々しい。まるで性的な飢餓感を埋めるようだ。ただ、アドレナリンやホルモンを全開にし、欲求をぶつけている割には何故か、それがこちらにはぶつかってこない。どこか、違う方向に欲望の矢が放たれているよう。変な表現だが、二人でセックスという行為をしているにも関わらず、それが向き合ってなく、自らの欲望や欲求を、その出所にぶつけているようでもある。お互いの身体を使って、自慰行為をしているような感慨すら抱いてしまう。

勿論、それだけでも彼女の嬌態や媚態は凄まじく、下品な表現だが、“入れて出したら終わり”ではなく、夜中から朝まで、何度も繋がった。普通なら、向き合わないセックスなどは徒労感が付きまとうものだが、3000円が介在したことで、思いや気持ちではなく、快楽や快感に身を任せられると割り切ることができたのかもしれない。変な罪悪感や疲弊感はなかった。

朝、尿意とともに目覚める。布団の中には、昨夜の居間でのように、自らの恋愛の不毛を嘆き、食って掛かってきたひろみではなく、何かつきものが落ちたように安らかな顔をした彼女がシーツに包まる。幸せそうな寝息を立てている。

私は起きて、急いでトイレとバスルームを借り、シャワーを浴びた。服を着て、帰りしたくをする。居間に投げ捨てられ、床に落ちていた3枚の千円札を取り、自らの財布に入れるのではなく、きちんと四隅を伸ばして、居間のテーブルに置いておいた。まだ寝ている彼女を残して、そのままひろみのマンションを出た。

何故、ひろみが3000円の愛人契約を持ちかけたかはわからない。同時に、本当にセックスをしたかったのかどうかもわからない。私なりに類推するなら、誰でもいいから抱かれたい夜というのがあるのだろう。一人ではなく、二人でいる、繋がることで、孤独が癒される。彼女は恋の敗者だが、それでいてプライドだけは高い。孤独を癒す相手は誰でもよくはない。特に彼女をよく知る者には、恋に破れ、孤独に沈み、癒しを求める自分は絶対、見せたくはない。しかし、私ならそれを見せられ、かつ、所詮、身体目当てのテレクラ男だ。そんな男にならセックスをおねだりすることだって構いはしない。ほいほいと涎をたらし、従うに違いない、といったところか。しかし、ここでも小さなプライドがあって、いきなり甘えておねだりするというのは、いままでの関係性からはしたくはない。ならば、そこに金銭を介在させることで、セックスを成立させようとする。多分、彼女のまわりには、アッシー、メッシー、ミツグくんなどを侍らせながらも、愛人契約をしているような女性が身近にいたのではないだろうか。そんなこともあって、売春するということでセックスする理由としたのだろう。

後年、援助交際がブームになった頃、主婦売春をする者の中には、生活苦など金銭を求めてするのではなく、性的欲求を満たすためにしていた者もいたのと似ている。彼女らは、夫とのセックスレスに悩んではいるものの、ただセックスがしたいとはいえず、援助交際を隠れ蓑、言い訳にしていたのだ。

本当のところはわからない。ただ、ひろみは私に向かい合おうとはせず、自らの欲求だけに向かい合っていたとしたら、それはそれで、彼女なりの誠実さだと思う。勿論、私自身も肩すかし感を抱きつつも、分は心得ている。彼女の要望に応えるだけで充分と割り切っていたのも確かだ。

ひろみとはそれ以来、連絡を取ることはなくなった。流石、3000円では長期的な愛人契約を結ぶことは困難だ(当たり前!)。そろそろ潮時だったのかもしれない。不思議なもので、当然の如く、喪失感などはない。いたって平静な私である。これまた、当り前のように、テレクラ通いが続く。

ちなみに今回、敢えて、テレクラ女性に、ひろみという名前を使わせていただいた。これまで“その女性”や“彼女”という表現を使っていたが、仮名にしろ、名前を出したことはなかった。今回は対価や代価が発生した。バブル時代だからではないが、エルメスやグッチのように、ひろみというブランド品を買ったという意味合いで、名前を敢えて出させてもらった。いうまでもないが、仮名である。某作家の知り合いにひろみなんていう女性はいるかといったら、いるわけはない。調べようとしても無駄である。勿論、20年も前のこと、いまさら、調べようなんていう酔狂のものはいないだろう。しかし、泡沫の時代には、そんな珍しい話ではなく、どこでもあったことかもしれない。そんな時代だった――。

いただいた本●おどろきの中国

橋爪大三郎さんからいただきました。

書名●おどろきの中国
著者●橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司

定価●900円+税
講談社現代新書
2013年2月20日発行
ISBN978-4-06-288182-1 C0222
新書判/382ページ/並製

●Amazon.co.jpで『おどろきの中国』を見る

内容紹介

なぜ日本人の「常識」は彼らに通じないのか?
日本を代表する三人の社会学者が対症療法ではない視座を求めて白熱の大討論!

「中国が、こんなに存在感を増しているのに、私たちは中国のことを知らない。中国についてとてつもなく饒舌に語られているのに、日本人を含む中国の外の者には、中国という社会がわからない。……中国は、日本のすぐ隣にあって、歴史的にも深いつながりがあるのに、現在の日本人にとって、西洋以上に謎である。」(まえがきより)

目次

第1部 中国とはそもそも何か
第2部 近代中国と毛沢東の謎
第3部 日中の歴史問題をどう考えるか
第4部 中国のいま・日本のこれから

第26回■クリスタルな愛人Ⅱ(タッグ・オブ・ウォー)

前振りがすっかり長くなったが、“ひろみ”のことを話すとしよう。急がば回れ、恋は焦らず(ここ、何度か指摘しているが、“テレクラ試験”、出るので、メモしておくように!)だ。

最初の“呼び出し”があったのは92年2月のことだが、週末ではなかった。“花金”などの決戦日に、私などが呼び出されるはずもない。曜日は定かではないが、ウィーク・デイだったと思う。

渋谷のアジトに張り付き、コールを待つこと、数時間。漸く来た当たりは公衆コール。電話を取ると、周りは騒がしく、どこかの店内のようだ。コールしてきたのは、ひろみと名乗る女性で、20代後半のOL。いま、渋谷の居酒屋で一人飲んでいるので、これから来ないかと誘われる。特に会話らしきものはなく、ふわふわとした語り口なので、訳も分からず、かけてきたのかもしれない。

いきなりのお誘いであるが、その女性が飲んでいる居酒屋の名前を聞くと、どこにでもあるチェーン店、ぼったくりではないことは確か。これは行くしかないと、急いで店を目指す。

待ち合わせの居酒屋の店内に入ると、すぐわかった。周りには不釣り合いな、お嬢様然とした女性が一人、グラスを傾けていた。どういう経緯で一人飲みになったか、その時はわからなかったが、飲みたい気分だったのだろう。もちろん、会うなり、一人飲みの理由を聞いてみた。ひろみという女性は広告代理店に勤めているらしく、仕事仲間と飲んでいたが、電車の時間もあり、一人減り、二人減りという状況になる。結果として、その場は解散となったが、彼女はもっと飲みたく、一人にも関わらず、河岸を変え、飲み直しとなったそうだ。

バブル的な華やかさを纏いながらもコンサバティヴな落ち着きがある。服装や髪型も華美なデザインやスタイルにならず、上品な風情を醸し出す。それでいて、いわゆるブランドものは押さえている。仕事のできそうな“綺麗なお姉さん”(「きれいなおねえさんは、好きですか。」という松下のキャンペーンは1992年から開始されている)という感じである。普段であれば、絶対、テレクラなどとは縁のなさそうな人種である。かなり飲んでいるらしく、酔った勢いもあるのだろう。飲み相手、話し相手として、私が呼び出された。本人曰く、テレクラに電話するのは初めて、たまたま、貰ったティシュに書いてあった番号に電話したそうだ。本当か嘘かわからないが、特に警戒などすることなく、呼び寄せてしまうところなど、テレクラ初心者と言えなくもない。

そんな説明を「駆けつけ三杯」的な感じですると、いきなり、恋愛相談となる。付き合っている(!?)男性とのままならない恋の行方を嘆き、それをどう打開するかを相談される。何人もの女性を泣かせてきたような、かなり、問題のある手強い相手である。いいように遊ばれているといえなくもない。本来であれば、そんな男性とは付き合うのはやめなさいというべきかもしれないが、私は単なる通りすがりであるから、忠告や指図をするような立場ではない。なんとなく聞き役に徹し、答えを放棄させていただく。酔っているだけに、話はくどいくらいに繰り返され、回っていく。それは数時間にも渡り、酒量も上がる。私は時に笑顔、時には深刻な顔で、ちゃんと聞いているそぶり(!?)をする。さすが、テレクラ俳優、演技派と、自画自賛したくなる。

我ながら忍耐強いというか、内心では段々とどうでもよくなり、その場を逃げ出したくなる。しかし、その場に留まるのは、そんな面倒臭さを割り引いても魅力的な彼女の容姿や佇まいにある。酔った勢い、流れでセックスができてしまうのではないかというすけべ心があるからだ(笑)。私自身、行動のモチベーションをすけべ心と好奇心としているような人間である。“元気があれば何でもできる!”ではないが、“すけべ心があれば何でもできる!”。暫くは辛抱となる。

と、淡い期待を抱きつつも、話はさらに延々と続き、何度も回りまくる。まるでゴールのない、“血を吐きながら続ける悲しいマラソン”(by諸星ダン 「ウルトラセブン」第26話『超兵器R1号』)だ。“長距離ランナーの孤独”ではないが、終電も近づいてくる。連れ込む当てがなさそうなので、恋愛相談員をやめなければならない。ホテル代やタクシー代などを勘案しても撤収が妥当と判断し、終電で帰ることを決める。私のバランス・シート的には、本来であればこれっきりのはずだが、ひろみから電話番号を聞かれ、私が教えると、彼女もあっさりと電話番号(当時だから携帯ではなく、自宅の電話番号)を教えてくれる。また、相談に乗ってほしいので連絡するとまで言われた。

相談員登録

私にしては意外な申し入れ。まさかと思いつつも良からぬ期待もしてしまうというもの。とりあえず、話を聞き続けるという親身な対応に感じ入ったらしく、彼女の中では、私は相談員登録されたのではないだろうか。確かに、いくら友達でも酔いに任せての、終わりのない恋愛相談には付き合いそうもない。また、振り回されている自分のことは、自尊心もあり、知り合いには曝け出せるものではない。そんな彼女にとって、私のように自分の立場や面子を気にせず話せる相手というのは、貴重な存在ではないだろうか。ここでも私の“聞く力”が人を捉えて、離さないのである(笑)。

それからほどなくして、お呼びだしがあった。たぶん、一週間も経っていなかったように思う。今度は渋谷ではなく、新宿の居酒屋だ。デートなどではないので、前もっての約束もなく、ひろみの勝手な都合で連絡してくる。当時は携帯電話ではないので、自宅にいれば繋がるわけで、彼女は自分が今いるという店から掛けてくる。その日も都合良く在宅していたため、すぐに呼び出しに応じることができたというわけだ。

新宿の居酒屋で会ったひろみは、前回ほどは出来上がってはいないが、相変わらず、酒の乗りもあり浮かれ気分。決して、私とのデートにウキウキしているわけではない。前回は、いきなり恋愛相談だったが、今回は酒量も控えめなので、自分のことなども話出す。多分、初対面の際にも聞かされたと思うが、こちらも酒任せのでまかせと、ちゃんとは聞いていなかった。

聞けば、彼女の周りの華やかなこと。広告代理店勤務という派手な職場もさることながら、父親は一部上場企業の重役で、母親は華道や舞踊を教えている。大学もお嬢様大学出身だという。広告代理店を始め、証券会社、航空会社、芸能界など、華麗な人脈を誇り、彼女が足繁く通う飲み会(合コンか!?)にはスッチー(いまはそんな表現しないが)やモデルなども集うという。遊び場所も麻布や青山、銀座などの有名店で、セレブ感が漂うところばかり。また、都内だけでなく、国内のリゾートや海外まで、その行動範囲は広い。彼女の話の中には、ハイヤーの如く、高級車で送り迎えするアッシー、フレンチやイタリアンなど、高級レストランを定食屋にするメッシー、札束を高級ブランドの財布に詰め込み(アメックスのプラチナカードの日本での登場は1993年からだそうだ)、金に糸目をつけず、プレゼントしまくるミツグくんなどは普通に登場してくる。泡沫な話が満載である。まるで、バブルの総本山(成り上がり的なバブルっ子よりは一クラス上という感じではある)だ。

おまけに、バブルに先駆けた“ブランド小説”を著した有名作家ともお友達らしく、よく遊んでいるという。嘘くさいと思ったが、ディティールが正確で、私などに嘘をついて見栄を張る必要もないから、本当だろう。彼のことも“慣れた手つきで、ちゃんづけ”していた。

有名作家もいい女を引き当てるため、それなりに努力、精進をしているみたいで、微笑ましくもあった。ペログリな日常もまんざら嘘でもなさそうだ(笑)。

意外な大物を引き当てたわけだが、本来であれば、一切、縁もゆかりもないものを結びつけてしまうのが出会いメディアとしてのテレクラの不可思議さであり、醍醐味でもある。いきなりブランドやクラスを飛び越えてしまう。そういえば、テレクラ界では、後にアイドルがテレクラを利用しているという都市伝説まで生まれている。私自身は出くわしてはいないが、それも決して、起こらない話でもない。むしろ、現在のネットの世界で実現しているドラマを先取りしていたともいえる。

勿論、ひろみはアイドルなどではないが、なかなか、お目に掛かれない上玉(!)、粘る価値もありかと考えないでもない。そんなわけで、恋愛相談員として、この日も出動したわけだが、これまた、前回同様の恋愛話の輪廻転生、恋愛風車は空しく回り続ける。相談しながら、酒量も増えるから、最後は前後不覚になりつつ、どうして、なんで…みたいな感じで、ままならない状況に痺れをきらし、駄々をこねる。前述したが、多分、こんな姿はセレブな友達には晒すことができないのだろう。見栄と虚飾に満ちた“ソサエティ”では、決して弱音は吐けない。夜回り先生ではないが、いいんだよ、と言ってくれる相手が必要なのだろう。自分でも紋切型で表層的な分析だとは思うが、やはり、勝ち組が負け組の巣窟に吹き溜まるには理由があるというもの。世の中、光あるところに影あり、という感じだ。

という感じで、納得ずくでお付き合いをするものの、この日は目はないと、途中離脱させていただく。彼女自身も酒量の限度超え、店を出て、靖国通りでタクシーを拾うと、彼女を一人乗せて、運転手に託す。

それから何度となく、呼び出される。が、相変わらずの展開(さんざん恋愛相談をされ、最後は酔いつぶれ、ぐだぐだになるけど、セックスはできない)に段々、下心も失せてくるが、付き合いのいい私、相談をされるというのは頼りにされていることであり、それは悪い気はしない。また、周りが羨むようないい女といるという、つまらない自尊心のようなものもくすぐられる。恋愛やセックスにおいて、無理目だから、最初から引いてしまう人もいると思うが、そういう意味では、変な卑屈さを取り払い、明らかに無理目と思われるような相手にもなりふり構わずに行くという、私の攻めのスタンスは、このころ、出来上がったのかもしれない。自己評価は高くも低くも設定していないが、世間一般では無理目、高嶺の花といわれている女性でも、まずは挑んでみるものだ。扉が開くのを待つのではない。扉は叩いてみなければ、開くこともないだろう “Knockin’ on Heaven’s Door(「天国への扉」 by ボブ・ディラン)”だ。叩いたお蔭でいい思いもさせていただいている(笑)。何でも経験ではないが、修行(!?)である。私自身は、彼女のアッシーやメッシー、ミツグくんにならずに済んでいる。居酒屋の代金を払うくらいで、車の免許もないので、当然、送り迎えなどもできない。それでも付き合いが続いたのは、お互いに都合がよかったからかもしれない。

バブルの均衡

その日も渋谷の居酒屋に呼び出され、恋愛相談の無間地獄に落ちていくところだった。せん無い話の応酬に肉体的にも精神的に疲れ果てるというのがいつもの定番。そんな定食のような時間に付き合うわけだが、雪が降り積もるようにさんざん、繰り返し聞かされたにも関わらず、相談の内容はあまり覚えていない。親身になって聞いているふりをしていても、どこか耳をすり抜ける他人事なのだろう。とりあえず、前述通り、その男性が適当な言葉や行動で、彼女を惑わし、いいように振り回しているというのだけは覚えている。もちろん、彼女が貢いだり、彼女に貢いだりという関係ではなさそうだ。

そんな無為の時間が過ぎ、青山通りでタクシーを捕まえて、千鳥足の彼女を座席に放り込み、さよならするはずが、何故か、腕を掴まれ、私も座席に引きずり込まれる。酔っているのに、すごい力である。ひろみの自宅があるという白金まで付き合わされる。タクシー代を負担しなければならない。マンションの前まで着くと、これではアッシーか、と、トホホ感を噛みしめていたら、意外なことに、部屋まで来て、といわれる。思いもかけない、自宅訪問である。

親が彼女のために買え与えたというマンションは白金の奥まったところにあった。大型の集合住宅ではなく、戸数も少ないから、人付き合いの手間のかからなそうな佇まいである。ひょっとしたらという淡い期待を抱きつつ、酔人介護しながら部屋まで、彼女を運ぶ。内装は思いのほか簡素で、バブル期にありがちな華美なところはない。調度品なども品良くまとまっている。お茶などを出されるかと思ったら、ここでも酒盛りである。これでは飲み過ぎである。乱れれば乱れるほど、淫靡なものから遠ざかっていく。まったく、人のいいことである。

終わりのない飲みと、行くあてのない話は続く。考えてみたら、このバブルの時代、圧倒的に女性優位で、男性をいいようにあしらってきた彼女のように、容姿に恵まれ、金銭にも不自由することなく育ってきた女性でも、恋愛がままならないばかりか、逆に弄ばれてしまう。そんなあしらえない男性もいる。どちらが上か、下かではない。男女の不均衡はブランドやクラスだけではすんなりといかないもの。“強面で鉄火肌”(!?)の女性でさえ、都合のいい女に成り下がってしまう。私自身、都合のいい男を任じているだけに、都合のいい女であることに成り下がりと感じることもなく、何の抵抗もない。むしろ、その都合があうだけでも均衡は取れていると納得してしまうものだが、彼女としては、そうはいかなかったのだろう。恋の綱引きはままならないもの。以前も触れたと思うが、まだ、「アダルトチルドレン」や「共依存」などという言葉が一般化するにはもう少し時間がかかっていた(同用語は1993年には認知されるようになる)。

彼女にとっては帰る必要のない自宅飲み、いつ倒れてもベッドがあるという気安さか、エンドレスなドリンク&トークに私を巻き込んでいく。私自身は毎度のことながら後半からほとんどソフトドリンクという対応で、どう乗り切るかを考えていたところ、彼女は崩れる寸前、その刹那、目を光らせ、私の耳元に囁くのだった。それは、あまりにも意外な申し入れだったのだ。

いただいた本●新しい超伝導入門─実用化される、世界最高の日本の技術

山路達也さんからいただきました。

書名●新しい超伝導入門─実用化される、世界最高の日本の技術
著者●山路達也
定価●900円+税
PHPサイエンスワールド新書
2013年2月1日発行
ISBN978-4-569-81036-2 C0242
新書判/224ページ/並製

●Amazon.co.jpで『新しい超伝導入門─実用化される、世界最高の日本の技術』を見る

内容紹介

「超伝導」は、電気抵抗がゼロになり、物体を空中に浮かせることもできる、不思議な現象です。新しい超伝導物質が発見されたといった話題が時々ニュースになるものの、身の回りで超伝導を応用した製品を見かけることはほとんどありません。超伝導技術は、医療用MRIなどごく限られた分野でしか実用化されていないのです。
しかし、超伝導を利用した応用技術の開発は着実に進んでおり、少しずつ世の中に出てこようとしています。この『新しい超伝導入門』(PHP研究所、山路達也著)では、超伝導技術がどのような分野で実現されようとしているのかを紹介しています。
世界を変えていくかもしれない超伝導の可能性を覗いてみませんか?

目次

○第1章:超伝導とは何だろう?
・人類と超伝導の出会い
・超伝導とは何か?
○第2章:低温超伝導から高温超伝導へ
・高温超伝導の物質を求めて
・超伝導を実用化する
○第3章:エネルギー問題解決のために
・横浜5万世帯に電気を送った超伝導送電
・損失ゼロの超伝導直流送電
・超伝導送電の可能性
○第4章:リニアモーターカー、電車、自動車
・リニアのその先
・饋電線を超伝導化する
・船舶用モーター
・電気自動車用モーター
○第5章:医療分野では、かなり実用化が進んでいる!
・卓上MRIの可能性
・加速器でガンを治療する
・ドラッグデリバリーシステム
○第6章:エレクトロニクス分野の進歩
・超高感度センサーを作る
・未来のコンピューター

著者プロフィール

1970年、三重県生まれ。東京大学文学部卒。雑誌編集者を経て、フリーランスのライター/エディターとして独立。最新技術をわかりやすく解説する手法に定評がある。
主な著書に『日本発!世界を変えるエコ技術』(ポット出版)『インクジェット時代がきた!』(山口修一との共著、光文社新書)『弾言』『決弾』(共に小飼弾との共著、アスペクト)などがある。

『IDOL DANCE!!!』著者・竹中夏海出演Podcast公開●TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」2013年1月19日(土)放送分

『IDOL DANCE!!!〜歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい〜』の著者・竹中夏海さんが出演した2013年1月19日(土)放送のTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の特集コーナー「サタデーナイトラボ」のPodcastが公開されました。
無料でダウンロードして聴くことができます。

・1/19 サタデーナイトラボ「アイドルダンス特集 by 竹中夏海」【第1部】
・1/19 サタデーナイトラボ「アイドルダンス特集 by 竹中夏海」【第2部】
・1/19 サタデーナイトラボ「アイドルダンス特集 by 竹中夏海」【第3部】

「時に、身体は言葉よりも雄弁だー。
 アイドル振付師・竹中夏海さんに聞く、
 奥深き肉体言語”アイドルダンス”の世界!」特集

 アイドル好きな人もそうでない人も、
 「振り付け」についてまで考えたことありますか?

 アイドルの振り付け-通称「アイドルダンス」には、
 多くの意図とメッセージが込められていて、
 時にメロディーや歌詞以上に多くのものを伝えているのです。

 そこで次回は、「ぱすぽ☆」や「アップアップガールズ(仮)」などの
 振り付けを手がけ、昨年12月7日に初の著書、
 「アイドルダンス!!!歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい」を
 出版した、振付師の竹中夏海さんをお招きし、
 奥深い「アイドルの振り付け」についてたっぷり伺います!

ラジオの収録の様子は、竹中夏海さんのブログでも紹介されています。
・竹中夏海オフィシャルブログ「チロリアンぶろぐ」:まじ
ぜひお聴きください!

続きを読む →

第25回■クリスタルな愛人Ⅰ(バブルのバランス・シート)

新年あけましておめでとうございます。
昨年はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

と、本来は「寒中見舞い」とするところだが、新春らしい(というには随分、日が経っている!)、月並みなご挨拶をさせていただく。思えばこの連載も回を重ねること、25回、愛読者様には毎度、お読みいただき、感謝に耐えない。思いのほかの長寿連載(!?)、87年の出来事から書き始め、まだ、91年である。蝸牛の歩みだが、暫く、お付き合いいただければ幸いである。

このところ、ただ、遊ぶだけでなく、正しい性知識や情報を仕入れるため、恋愛やセックスに関するNPO法人などが開催する公開講座や講習会に足繁く通っている。昨年は「世界 性の健康デー」のシンポジウムにも顔出しさせてもらった。正しい知識や情報を仕入れることで、安全で安心して、楽しく遊ぶためでもある。いわゆる“オヤジ系”の週刊誌でさえ、真面目に女性器を語る時代だ。それ以前に、女性向けアダルトショップや女性ライター、カウンセラーによるカルチャー・スクール的な講習会も盛んで、そんな状況を鑑みると、いつまでも男子も“ホットドッグ”や“プレイボーイ”のセックス特集に頼ってはいけない。知識と情報をアップデートし、先回りしなければならないだろう。そのくらいの努力は必要だ。この年齢にして、なかなかの向学心と、自画自賛したいところ。

そんな講習会の中に、受講生同士があるテーマで話し合うワークショップを設けているところがあった。恋愛観やセックス観の変遷みたいなことを話し合ったが、その中で印象的だったのは、福祉関係の大学に通い、卒業後は介護施設に就職が決まっている20代前半の男性との“街コン”話。

彼がいうには、街コンなどで出会う女性に福祉&介護関係と話すと、引かれてしまうそうだ。いまの時代、仕事先が決まっているだけでも優良案件のはずだが、仕事時間が不規則で労働が過酷なため、二人の時間が持てない、そんな理由から敬遠されてしまう。いまでは古語ならず死語になる“3K(きつい、汚い、危険)”(89年の流行語大賞にノミネートされている)の職場なのである。

既に仕事にレッテルが張られ、悪い意味でのブランド化がされ、下層に位置付けられている。格差社会などという言葉があるが、ヒエラルキーが形成されているのだ。

男と女の恋愛やセックスにおける格差社会、そんな端緒はどこにあったのだろうか。それを紐解いでいくという作業は、私のすべきことではないが、92年にテレクラで出会った“ひろみ”という女性との交流の中から薄ぼんやりと見えてきたりもする。

バブルの女たち

海外のブランドの洋服や装飾品、流行のレストラン、ホテルなどをカタログ紛いに併記した小説が一世を風靡したことがあった。80年代のことである。ある種、時代の雰囲気を書き留めたものだが、そんな空気が濃厚になるのは、やはりバブルの時代である。以前もこの連載で触れたが、高級車で送り迎えする“アッシー”や高価なレストランで食事をご馳走する“メッシー”、高級ブランドの品物をプレゼントする“ミツグくん”などの言葉も80年代後半には一般化され、同時に3高(高学歴、高収入、高身長)などが交際や結婚の条件にもなった。

すべてが数量化され、その数値の上下で価値が決まる。また、この時代は、男性と女性の立場が逆転し、選択権は女性が握り、圧倒的に優位に立つということも少なくなかった。社会的に女性の権利や地位が向上したというわけではないが、恋愛やセックスの市場においては、売り手市場であり、生殺与奪の権利は女性が握っていた。そのため、男性は必至に媚びを売り続けるしかない。いわば、マハラジャやジュリアナなど、ディスコのお立ち台に象徴されるように、ボディコンとワンレンで武装した女性が鉄火肌で、男性を品定めし、こき使う時代でもあった。勿論、極端な例でしかなく、世の中の多くがそうではなかったが、雰囲気は完全にそうといってもおかしくない。男性は女性を求めるためには、必至だった。

以前、「Looser’s Game」と表題のところでも書いたが、そんな強気な女性達は、勝ち組であり、負け組の吹き溜まりであるテレクラなどには目もくれないと思うだろう。ところが、そんな女性も何の間違いか、その吹き溜まりに紛れこむことがある。

“ひろみ”と出会ったのは、1992年も年が明け、2月に入った頃だと思う。私自身は、その前後から仕事も順調になり、仕事で海外に出かけることも多くなる。遊び時間も削られていったが、寝る時間も惜しんでも遊ぶというのが遊び人たるもの。懲りることなく(!?)、テレクラ通いを続けていた。

実質的には、92年の時点では既にバブルは崩壊していたという。しかし、実感としてはもう少し後だったかもしれない。周りには、まだ、景気のいい話はたくさんあり、男も女も浮かれていた。当然の如く、バブルを体現するような価値観を持った人達もたくさんいたのだ。

紛れ込み組(!?)だが、いくらディスコで遊んだり、高級レストランやホテルで豪遊したりしても、どこかに孤独を感じることがある。イケイケを装いつつも心には隙間風が吹き抜ける。話し相手さえもいない、そんな時に、テレクラに電話をかけてしまう。当時は、それだけテレクラの勢いが増し、広く認知されるところになっていた。前々回、前回と触れたように、テレクラも全国規模、いたるところに出来ていた。それだけ、目にする機会も増え、主要駅等でのティシュ配りも常態化していた。バーキンやケリーのバッグにテレクラの宣伝のティシュが入っている。いまでは俄か信じにくい、そんな均衡を欠く、不思議な時代でもあった。

ひろみだけでなく、“バブル女性”にはたくさん遭遇している。ひろみの話の前に、その“生態”を少しだけ、紹介させていただこう。バブル女性がかかるのは渋谷。間違っても新宿ではない。その“バブル女性A”と出会ったのは日曜の夕方。渋谷の桜ヶ丘のアジトで、網を張ると、公衆コールがかかってきた。「土曜の夜と日曜の朝」というアラン・シリトーの小説があったが、テレクラでは日曜の夜が狙い目。“サザエさん症候群”ではないが、月曜を前に、何も楽しいことがなく、休日が過ぎてしまう、そんな強迫観念から女性はテレクラへ電話を掛けてくる。

買い物を終え、少し時間があるので軽く飲みたいという。公衆コールなので、あまり話し込むことはなかったが、なんとなく、話がまとまり、即アポとなった。駅前で待ち合わせし、合流すると、そのまま飲みに行くことになった。

公園通りにあるカフェバーへその女性を案内する。カウンターチェアーに腰をかけると、長く、すらりと伸びた脚に目が行く。20代半ばで、イベント・コンパニオンをしているそうだが、それも納得の美脚である。脚だけでなく、流麗な肢体に涼やかな顔も人目を引くものがある。誰が見ても“良い女”である。女性をランク付けするのもいかがなものか(といいつつ、よくしているが…)と思うが、“上物”である。こんな優良案件(!?)を逃してはなるものかとなるところだが、なんとなく話が噛みあわず、カクテルを数杯飲んだだけ、文字通り、少し時間の共有するに留まる。
口説いて恋人にしようという邪心(笑)はない。“俺は、ただ、お前と、やりたいだけ”(by ザ・ルースターズ「恋をしようよ」)だ。“引き”がなければ、潔く撤収である。その女性の御眼鏡に、私自身が適わなかったというわけだが、なんとなく、求めているものに明らかな乖離があるようだった。余分な労力は無駄というもの。素敵な恋人にはなれそうもない。なんていうことを考える間もなく、速攻の撃沈ではある(笑)。

ただ、その女性がいわゆる高ビーな、バブルと寝たような女かというと、そうではなかった。当時ならコンパニオンという強気に出られるような職業にも関わらず、いたって謙虚で、奥ゆかしいのが印象に残っている。たいしておごったわけではないし、おごられることが当たり前に思っているのが多い中、その女性は、ちゃんと、ご馳走様といってくれた。そのことをいまでも覚えている。

ひょっとしたら、派手な仕事で、上っ面の付き合いが続く中、本当に心が通うような相手を求めていたのかもしれない。究極の美化(笑)だが、泡沫に浮かれることなく、堅実に真実の愛を求めていたとしたら、それはそれでいて、本当の意味での“いい女”だったのではないだろうか。当然の如く、いまとなっては知る由もないが……。

と、余韻を残すような女性もいれば、バブルな世相に踊らされ、勘違いをする女性もいた。“バブル女性B”である。多分、その女性も同じく渋谷で、日曜日に掛かった。夕方ではなく、昼過ぎだった。起きたばかりで、朝食を兼ねた昼食を取りたいという。どっかで、食べさせてくれというものだった。まるで、メッシー扱いだが、昼食なら高くはつかないと、判断し、会うことにする。なんか、こう書くとせこいような気もするが、バブル女性に対抗するため、費用対効果、遊びのバランス・シートというものを考えていたように思う。

昼過ぎの渋谷駅頭はごった返していたが、どうにか、アポを取った女性と会うことが出来た。20代の後半で、アルバイトをしているという。どこかしら、あか抜けない感じを漂わせつつも、ほんのりしたものはなく、どこかに険がある。私が気に入らなかったのか、少し話していてもつっかかってくる。

とりあえず、昼食ということで、レストランを探すが、日曜日の昼時の渋谷、妥当な店がない。さすが、いまでいうサイゼリアやガストのような低価格のファミレスには案内はしなかったが、かなり大衆的なレストランへ行くことにする。フレンチやイタ飯にでも連れて行ってもらうつもりだったのか、そうではないことに不満たらたらである。メニューもそんな高価(というか、妥当)なものがなく(!?)、仕方なくパスタをオーダーすることになった。特にうまくもまずくもないが、その女性が“スパゲティ(パスタと言えば、まだ、イタ飯感があるが、敢えてスパゲッテイと言っているようだ)か…”といいながら、パクついていた。大衆店のスパゲティは私には相応しくない、私には高級フレンチや豪華な割烹がお似合いとでも言いたげである。実際、この前、会った人にはどこそこのレストランへ連れて行ってもらったなどとうそぶく。何が、その“バブル女性B”を勘違い女にさせてしまったかはわかないが、バブルの幻想に囚われ、自らの価値を見誤ったとしかいいようがない。

私のバランス・シートでは、費用対効果がないと、査定させていただいた。これ以上、愚痴を聞くのも嫌だし、出費も無駄と考え、ランチでさようなら、である。当然の如く、その女性からは、ご馳走様という言葉はなかった。

『IDOL DANCE!!!』記事掲載●朝日新聞2013年1月13日(日)「著者に会いたい」

『IDOL DANCE!!!〜歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい〜』の著者・竹中夏海さんへの取材記事が、2013年1月13日(日)の朝日新聞・読書面「著者に会いたい」のコーナーに掲載されました。

文・宮本茂頼さん、写真・倉田貴志さんです。ありがとうございます。

朝日新聞デジタルでも記事を読むことができます(全文を読むには登録が必要です。無料会員もあります)。

・(著者に会いたい)『IDOL DANCE!!!』 竹中夏海さん – 朝日新聞デジタル

続きを読む →

『IDOL DANCE!!!』著者・竹中夏海ラジオ出演●TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」2013年1月19日(土)

『IDOL DANCE!!!〜歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい〜』の著者・竹中夏海さんが、2013年1月19日(土)放送のTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」に出演します。

「時に、身体は言葉よりも雄弁だー。
 アイドル振付師・竹中夏海さんに聞く、
 奥深き肉体言語”アイドルダンス”の世界!」特集

 アイドル好きな人もそうでない人も、
 「振り付け」についてまで考えたことありますか?

 アイドルの振り付け-通称「アイドルダンス」には、
 多くの意図とメッセージが込められていて、
 時にメロディーや歌詞以上に多くのものを伝えているのです。

 そこで次回は、「ぱすぽ☆」や「アップアップガールズ(仮)」などの
 振り付けを手がけ、昨年12月7日に初の著書、
 「アイドルダンス!!!歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい」を
 出版した、振付師の竹中夏海さんをお招きし、
 奥深い「アイドルの振り付け」についてたっぷり伺います!

 この特集を聞けば、アイドルがもっと好きになるはず!
 お楽しみに!

放送はスマートフォンやPCからでも、radikoで聴くことができます。
番組は21:30から、特集コーナーは23時頃からの予定です。
土曜の夜はウィークエンドシャッフル!!

続きを読む →

『IDOL DANCE!!!』著者・竹中夏海インタビュー掲載●「BUBKA」2013年2月号

『IDOL DANCE!!!〜歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい〜』の著者・竹中夏海さんのインタビュー記事が、雑誌「BUBKA」2013年2月号に掲載されました(P30-31)。

連載「NEXTアイドル COUNT DOWN」特別編、「“アイドルダンスマスター”竹中夏海を直撃」という記事です。
撮影・松田和弘さん、取材&文・エドボルさん、撮影協力・タワーレコード新宿店さん、ありがとうございます。

また、P59の連載「マブ論」でも、RHYMESTER・宇多丸さんに紹介していただいています。
ありがとうございます!

続きを読む →