投稿者「ポット出版」のアーカイブ

ゲスト:永江朗 第3回「紙の本の値段、電子書籍の値段」(最終回)

●出版社には、書店の利益を確保する義務がある(少なくとも現状では)

沢辺 あと、これまで出なかった再販維持論者の意見として、「再販制がなくなると価格が高騰するからよくない」というのがあるけどどう思う?

永江 筑摩の松田さんとよく言っていたのは、本の値段を倍にするだけで、日本の出版界が抱えている問題はかなり解決するよね、っていうことで。
本の原価率が高すぎるというのと、書店のマージンの絶対額が低すぎる、というのが解決するでしょ。出版点数も絞らざるを得なくなるから、値段を倍にするといいことばかりなんですよ。大洪水もブレーキかかるし、本ももっと大事にされるし、書店の余裕も多少出来るだろうし。
値段の高い安いを消費者がそんなに気にしているかというと、『○型の説明書』は中身薄くてぺらぺらで、1000円でしょ? あんなに消費者にとってコストパフォーマンスが悪い本はないのに、4タイトルで500万部売れるわけですよ。
『1Q84』だって、2冊合わせて3600円するのを100万人以上が買うわけですよ。6000円の『羯諦』がミリオンセラーになることはないけど、あの写真集は2000円でも買わない人は買わないし、売行きはあまり変わらない。
ただ、今回僕が出演しているラジオ番組のパーソナリティーの小西克哉さんに「えっ!? 『本の現場』、1800円? 村上春樹と同じ?」って言われたときは、ちょっとひるみましたよ(笑)
文豪村上春樹と同じ値段で消費者の方からお金をいただく自信は、正直ないですからね。

沢辺 いや、村上春樹のはユニクロのフリースと一緒で、いっぱい売れるから1800円なんでね。
で、書店のマージンの絶対額が低い問題を解決するのは、実額のことを考えなくちゃならないんだよね。

永江 そう。売上高で見ていてもしょうがないわけで、利益額をどう増やすかが問題なんですよね。
見かけの売上が上がっていても利益が全然なければ意味がないわけだし、売上が低くても利益が取れていればいいわけですから、パーセンテージの問題と絶対額の問題は、両方見ていかなきゃいけない。車を売るのに、ベンツのSクラスと軽自動車を、パーセンテージで勝負したら全然話にならないじゃないですか。

沢辺 そうそう。軽自動車なら、毎日1台売れなきゃいけないけど、ベンツなら月に1台でいい、小売りとしてそのための金の掛け方をしよう、ということだよね。
だから本もちゃんとその辺のことを考えたほうがよくて、ひたすら新書作って安く、以外の方向もにらんでやれるんじゃないかな、と思う。書店の取り分を増やすことだって、定価を上げればやりやすいもんね。

永江 少なくとも現状、本の価格の決定権は出版社にあるんですよ。
再販制っていうのは、出版社が一方的に小売店に自分の売りたい値段を押しつけて拘束しているわけだから、出版社は書店に対してその定価に対する利幅で食っていけるだけの利益を確保する義務があるんですよ。
それを、低価格のものが売れているとかなんとか言って低価格競争に走って、書店の絶対的な利益を少なくしているのは、本来からすると許されないと、私は思っていて。
だから、再販制を残したい出版社がいるなら、それはそれでいいですよ。その代わり出版社は、個々の書店がちゃんと食えて、彼らの子どもが、少なくとも親と同程度の教育が受けられるくらいのお金が家庭に生じるくらいの面倒は、ちゃんと見てやれよ、と思いますよ。

●『本の現場』を電子書籍にしよう

沢辺 ちょっと話は横道にそれるんだけど、電子本の場合でも、取次とか書店にあたるものがありますよね。例えばiPhone用の電子書籍を売ろうとすると、アップルが30%くらいとるわけですよ。
電子本だからといって直で売るのが効率がいいということはなくて、やっぱり配信するところは必要なわけよ。
『デジタルコンテツの現状報告』の中でも音楽配信をやっているモバイルブック・ジェーピーの佐々木隆一さんに聞いてるんだけど、彼の話でも30%から40%くらいは配信手数料と決済手数料でとるんだよね。
つまり、現状の出版の出し正味65%前後と、たいして変わらない。
そうすると、なくなるのは紙代と印刷代だけなんですよ。
例えば『本の現場』の場合に紙代と印刷代は何%くらいかかっているかというと、初版2500部で30万円くらいだから、ざっと1冊120円くらいですよ。希望小売価格1800円の、6〜7%。これで何で値段が半額に出来るのか、ですよね。
紙代と印刷代に編集制作費とデザイン代を合わせた20%弱がポットの原価率。
これに永江さんの印税を10%入れたと考えると、30%弱になる。
出版社から取次に卸す値段が約65%だから、65%−30%で、35%前後が1冊あたりポットに入ってくる金額ですよね。1800円の1/3、600円くらいになるのかな。
これを、紙の本の半分、つまり900円で売る場合、1/3はアップルに持っていかれるとしても、ポットには1部につき600円入る。紙の本用のデータを電子本のフォーマットにするのにコストがかからないわけじゃないし、紙の本を出さずに最初から電子本でやる場合はまた別だけど、ざっとこういう計算だよね。

永江 だから、日本で出た紙の本をスキャンして蓄えているGoogleが、「Googleはアナタの本の電子版を配信したいんですけど、いかがですか?」っていうビジネスは十分有り得ますよね。
今まではたまたま日本語の壁によって日本の出版社は守られていたけれど、これからは、新潮社が出した本もGoogleが世界に配信する、ということもあるかもしれないですよね。65%とか払って。

沢辺 じゃあ、とりあえず『本の現場』をiPhoneで600円くらいで売るかな。

永江 買う人いるのかな(笑)

沢辺 そのかわり、印税はダウンロード数に応じた額でお願いしますよ。データは全部永江さんに公開するから、ポットがかかった手間も考えて、具体的なパーセンテージはそのときに決めるっていうことで。

永江 それ面白いと思うなー。

沢辺 永江さんの言うように、電子本で大幅ダンピング、1800円の本が600円で読める。
俺、今後の本は、電子本と紙の本の同時発売っていうのをiPhoneでやってみようと思っててね。まだ電子本はそんなに売れないとは思っているけど。
その第一弾は、『本の現場』をやってみますか。

永江 やりましょう、やりましょう。そしたら、またどこか取り上げてくれるかもしれないですね(笑)
僕の本はそんなに大して売れないと思っているから、色々遊んでもらえればいいんですよ。これでまた仕事が大分減るんだろうなあ、とか思いつつね。

沢辺 出版ニュースの清田さんも、それを心配してましたよ。でも、攻撃的に出てこられるってことは一切なくて、ただ戸惑われてる感じだよね。もともと大した反発はないと予想していたけど、予想した通りで、色々やってみて全然平気だった。

永江 やってみて平気だってわかっただけでも、成果は大きいわけですけどね。

沢辺 あと、これは余談だけど、近江商人の「三方皆よし」っていう言葉があるじゃないですか。「売り手よし、買い手よし、世間よし」っていうね。
で、よく出版の公共性っていう議論があるんだけど、「公共性」という堅苦しい言葉で考えなくても、世間も含めてみんなが良くならないと、結局商売って長続きしないんだよね。
三方には「売り手」も入っているから、もちろん、働いてるやつがとんでもなく貧乏になるのも駄目だよ。

永江 なるほど。じゃあ、ポット出版の給料はさぞかし高いことでしょうねえ(笑)

(了)

●次回予定

永江朗さんインタビューは今回で終了です。永江さん、ありがとうございました。
次回の「談話室沢辺」も現在進行中ですので、公開日決定次第・告知いたします。どうぞよろしくお願いいたします!

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

目次など、詳しくはこちら。

対談:岩松了×若手写真家 第2回●高橋宗正/嘘のつきかた

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第2回目、高橋宗正との対談は、「嘘のつきかた」について。シェイクスピアは登場人物に「私は嘘をついている」と言わせるが、チェーホフは「人が話す言葉は必ずしも本当のことではない」という前提の元にセリフを言わせる。2人の劇作家の対比とともに見えてくる、人が嘘の言葉を吐く事情。

溜息に似た言葉
すべての収録作品など、詳しくはこちら。


写真家●高橋宗正

プロフィール

1980年 東京都生まれ。
2002年 写真新世紀優秀賞(SABA)
2004年 「hinterland」art & river bank(個展)
「チャウス展1〜導かれし者たち〜」CASO(グループ展)
2007年 フリーランスになる
2008年 littlemoreBCCKS第一回写真集公募展リトルモア賞
Web:http://www.munemas.com/

撮影した作品

「だんだん、いゝお友達が減ってくぢゃないの……」
─『屋上庭園』岸田國士/絶版
思い出せばあなたも、追いつめられて真実の言葉を吐いて素敵かも

「大金持ちってときには孤独になるものだから!」
─『欲望という名の電車』テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫
必死に嘘をつくとき、この世に絶対などないという普遍に近づいている貴方

「顔に血がついてるぞ」
─『マクベス』シェイクスピア/松岡和子訳/ちくま文庫
大きいことの始まりはいつも小さなこと。いいことも悪いことも

「さめが……」
─『老人と海』ヘミングウェイ/福田恆存訳/新潮文庫
人と人との隔たりに絶望するなかれ。もしやその隔たりにまた救いもあるものだ

「同じ話がだんだんへたになる」
─『勝負の終わり』(『勝負の終わり クラップの最後のテープ ベスト・オブ・ベケット2』より)サミュエル・ベケット/安堂信也、高橋康也訳/白水社/新装版あり
同じ話を繰り返しするとき次第に白けゆくのは人の常、と言いながら……

「御縁でもってまたいっしょになろう」
─『雪国』川端康成/新潮文庫
無関係であることは、残酷なことでもあり、また救いでもある。と肝に銘じよう

「どこって、おれは全体をみていたよ」
─『逢びき』(『鳴るは風鈴・木山捷平ユーモア小説選』より)木山捷平/講談社文芸文庫
同じものを目にしても人は見てるものが違うから

「これからだんだん寒くもなりますし……」
─『蓼喰う虫』谷崎潤一郎/新潮文庫
この本を読めば、あなたも男の優柔不断を許容できるかもしれない


対談●嘘のつきかた

岩松 高橋さんの写真は、結構直球ですよね。『老人と海』なんて、「さめが……」というセリフに、サメの写真で。

高橋 もう、これしかねえやって(笑) 『雪国』も、雪しかねえなって感じだし、なるべくシンプルにしたいと思って。「そのままじゃないかよ」くらいシンプルにしないと、見てる人がわからないというか。

岩松 「顔に血がついてるぞ」の血は本物ですか?

高橋 本物です。これも、血を出さないといけないのかな、と思ってまして。「ちょっと切るかー」とか思ってたんですけど、あるロケに行った時に、結構ハードなロケだったせいか、ホテルで朝起きたら鼻血が出て。「ああ、拭かなきゃ、間に合わない、間に合わない」ってなって、結局、鼻血がたれちゃって。「……血だ!」って(笑)

岩松 『屋上庭園』は、やっぱりデパートの屋上ですか?

高橋 そうです。渋谷駅の上の、東急の屋上です。この人形の顔が物悲しくて。『屋上庭園』では、「人のすることってあまり変わらないな」と思いました。友達に「金貸してくれよ」と言いたいけど、言えないとか。

岩松 俺、この戯曲を最初に読んだとき、おかしくて笑っちゃってさ。「だって、あなたは、だんだん、いいお友達が減ってくぢゃないの……」なんて最高の喜劇だよ。「けだし真実!」じゃないですか。お金がなくなると、本当に友達が減っていく。

高橋 僕は同じ会社で働いていた先輩と、同じ時期にフリーランスになったんですよ。一緒に失業保険を貰いにいったりして。ただ、僕の方がちょっと早く活動をしていたので、少し生活が安定していた時期があったんです。その頃に、先輩が「お金がない」と言うから「5万円貸してあげようか」と言ったら、一瞬悩んで「いや、いい、いい」ってなったんですけど、「金がないというのは人間関係もえらい狭めてるな」と思って。

岩松 真実なんだけど、喜劇的でしょ? 「あなたも、何時までもぶらぶらしてないで、早く仕事をして頂戴ね」「だって、だって、あなたは、だんだんいいお友達が減ってくぢゃないの」の後に「急に夫の胸に顔を埋めて泣く」とありますからね(笑)

高橋 暗くなりすぎないところが良いですよね。

岩松 俺、自分がデビューしたときに「岸田國士に似てる」と言われたんですよ。でも岸田國士を読んだことがなかったから、「岩波から全集が出てるので、買ったらどうですか?」と言われて、買ったんですよ。1回配本5千円くらいのやつを、ばーっと。家にある一番作家らしい持ち物って、それなんだけどね。でも、それを読んで岸田國士には詳しくなった。結構おかしいセリフもあるしね。
谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』は、この本のために撮ったんでしょ?

高橋 そうです。女の手の上で踊らされる男です。「踊らされるだけじゃなくって、最終的には抑圧もされるよな」と思って、上下から挟まれる形にしました。まあ、手法としては昔からあるものですけど。男性の動きは、サザエさんのオープニングテーマの最後にタマが果物を割って出てきて踊るのを完全コピーしようと思って、現場にiPodを持って行って研究しました。

岩松 女性2人は、モデルさんですか? その辺にいた人じゃないでしょ?

高橋 これは、前の日に友達同士で飲んでいて、そのまま「暇でしょ? 行こうよ?」と言って、雨の中頑張ってもらいました。この右側の子の顔が、冷たいこと冷たいこと……(笑) 「抑圧ってこのことか」という顔です。

岩松 『欲望という名の電車』のお金は、また単刀直入だったね(笑) これ、全部本物?

高橋 本物です。ちょうど100万円ですね。これも本当にいろいろ悩んだんですけど、「お金だろう」と思って。僕みたいにフリーで仕事をしていると、親はすごく心配をするんですね。リーマンショックとかあったし。このお金は、親が「困ったときに使いなさい」と言って封筒に入れてくれたお金です。

一回断ったんですよ。「いらない」と言って。でも僕も大人になったので、「ありがとう」と受けとるのが安心するのかな、と思って貰って、とりあえず写真撮っておこっかなって(笑) 撮って、ずっと放っておいた写真ですね。今回、「ああ、いい機会だ」と思って。

岩松 せっかくだから、本物だってわかるように、下のも2、3枚見せたかったね(笑)
『勝負の終わり』の写真は、すごいなと思いましたよ。

高橋 『勝負の終わり』は悩みましたね。文字だけ読む限りでは、絵のあるような内容ではないなと思っていて。多分これは何かが終っちゃった世界に違いないけど、それってどういうことだろう、と考えて、その分、夕日とかがもの凄く綺麗なんじゃないかと……。

岩松 なるほど。これはベケットの世界にかなり近いと思いますよ。

高橋 かなり不条理な物語ですよね。きっとノーマルじゃないことが起こっているに違いない、なんだろな、とずっと思っていて。何でも起こりうる、ということは、流れが反転して繋がっていくこともある、というところから1枚の写真を反転させてつなげているんですけど、やってみたら顔に見えてきた。怪獣にも見えるし。

岩松 見えるね。それに、コウモリ系のやつが飛んでいる風にも見えるね。

高橋 今回の8本で僕が一番好きだったのも『勝負の終わり』でした。こういうところに取り残されて、窓からしか外が見えない世界。

岩松 『勝負の終わり』は、車椅子に乗った男が、両親をドラム缶に詰めているという、とんでもないシチュエーションですよね。

高橋 かなり奇抜ですね。でも、僕らの世代って、ジュラシックパークだったり、ディズニーのアニメだったり、ジブリだったり、色んな物語や映像を浴びるように見てるので、そのくらいの方がいいのかもしれません。例えば、今僕が『マクベス』を読んで、「これって本当に悲劇なのかな?」と思ったりするんですけど、『勝負の終わり』くらい本当に見たことも聞いたこともないような世界だと、刺激がありますね。

岩松 『勝負の終わり』は、撮りたい作品の希望を聞いた時、誰も手を挙げなかったんじゃないかな? 高橋さんは希望してなかったでしょ?

高橋 確かに、「希望者がいなくて僕になりました」というメールをもらいました。

岩松 ベケットは人気がなかったんですよ。誰も○をつけてない。演劇をやってる人でも、ほとんど読まない本ですけどね。「ベケットってどういう人だろう?」と思って、やっと読むくらいだから。読んでも「よくわかんない」という反応がほとんどだし。
高橋さんは、『勝負の終わり』と『マクベス』と、あと『屋上庭園』で、戯曲が3本あったんですね。写真をやってる人って、そんなに活字を読んでなさそうですけど、どうですか?

高橋 僕は写真より小説の方が好きかもしれないですね。小説って、フィクションじゃないですか。フィクションの方が、共通することを掘り当てる感じがします。現実だと、その現実が何かの答えみたいなものになっちゃうけど、小説だと、受けとった側に答えが出来るというか。

岩松 そうだね。芝居もそうだし、演劇もそうだし、小説もそうだし、もしかしたら写真もそうかもしれないんだけど、自分の中で嘘を作るわけだからね。
だから例えばドキュメンタリー風の芝居を作ろうとしたとき、史実をずっと連ねていくだけでは、どうしても自分と関係ないものになってしまうから、そこに一個だけ嘘を入れようとする。それは自分の中から出てきたものだから、嘘なんだけど、自分にとっては本当なんだ、という風に、嘘と本当は結構逆転するんですよね。

だから、「作品は嘘だ」とは言いながら、「自分の中の何かが生んだもの」と考えると、逆に「作品が本当で、史実は嘘だ」という逆転したものになる。

だいたい、劇場の中でやる限り、外のシーンはまるで嘘ですからね。「家の外」に立ったところで、舞台の上に立っている限りは外じゃないわけだし。映画の場合は外に出て立つシーンは実際にそうすれば成立するんだけど、舞台の場合は、すごい極端なことを言うと、「家の中ではなく外に立つとはどういうことか」と考えないと成立しないところがあるんですよね。「お前ただ立ってるだけじゃねえか!」みたいな芝居もある(笑)

映画はそれでいいんですよ。「ただ立ってて。変なことすると、変になるから」みたいな。ところが演劇の場合は逆に、例えば「外に立ったときの感情になる」のが映画だとすると、「外に立ったときの感情」は舞台にはないから、外に立った時に人間の身体が受けるものを自分の中で再構成しなきゃいない。そんなことすごい緻密にやるわけじゃないんだけど、理屈で言うとそういうことになってる気がするんですね。

そういう風に、すごく本質的なところまで遡っていくのが演劇だから、実際問題、映画の役者は現場に来てその日に撮影出来るけど、舞台の役者はひと月くらい稽古をしないと成立しないものだし、稽古してないものを観ると客として腹が立つね。「どけ、お前!」って(笑)

高橋 例えば小説を映画化する場合、文字で読んでいる限りは現実感を感じる表現でも、映像化したら、ものすごく陳腐でおかしいものになることがありますよね。文字としてはすごく美しくて、雰囲気があって、物語としては入ってくるけど、いざ映像化しちゃうと、「お寒い」というか。それは小説としての表現コードみたいなものがあるからだと思っているのですが、舞台にも近いものがありますか?

岩松 『勝負の終わり』が面白いと言っていましたけど、やっぱり、わからないものに向かっていくという、基本的なアプローチがないと面白くないですよね。わかったものを説明していく作業をやられた日には、さっきの役者じゃないけど、「ちょっと退いててくれる?」ってことになると思うんですよ。完結して答えが出ちゃってるものに対しては、まったく興味を持たないし、緊張感もない。「どういうことなんだろう? わからない?」というものがないと。

でも、ただわからないのが面白いかというと、そういうわけでもないから、そこに謎と、その先を見てみたいとそそのかされる何かがあると思うんですよね。例えば、「ベケットの本を解読せよ」と言われても本当に難しいけど、ある印象とか、例えば今回のような写真の1枚を考えた時には、逆に広がりがある。

高橋 今日はひとつ、岩松さんに聞きたいことがあって来たんです。僕はシェイクスピアは今回の『マクベス』しか読んでないんですけど、岩松さんはシェイクスピアの舞台をやってみたいと思ったことはありますか?

岩松 あんまりないんですよ。『シェイクスピア・ソナタ』という本は書きましたけどね。あれは松本幸四郎さんから話をいただいたもので、松本さんはシェイクスピアの四大悲劇を実際自分で演じていて、「ついては岩松さん、シェイクスピアの四大悲劇をやった役者の話を書いてくれませんか」と言われて。最初、「僕、シェイクスピア、よく知らないんで」と言ったんですけど、「この際勉強するか」と思って書いたんです。

シェイクスピアや演劇についてもう少し話すと、16世紀から17世紀に活動したシェイクスピアに対して、19世紀末から20世紀にかけて作品を発表したチェーホフという人がいて、この人も、個人的な見解ですけど、偉い人なんですよ。

シェイクスピアの劇は、権力闘争があって、事件が次から次に起こって、というような万人にわかる話じゃないですか。ところが、チェーホフは事件がほとんど起こらない話を書いたんですね。自分が書く戯曲は限りなくチェーホフに近いと思っているんだけど、そうすると人からは「シェイクスピアはどうなの?」とよく言われます。

例えばシェイクスピアが「何かしないと始まらない」という演劇で、「世間の荒波に対して、人はどうやって動いていったか」を描いて大衆性を得ていったのだとすれば、チェーホフは「何もすることがない」という時間を演劇に変えた人だと思うんですよね。

簡単に言うと、今の時間に四畳半でぼーっとしてる学生もいれば、人殺しをした人も、同時にいる。そこでシェイクスピアはおおむね人殺しの方選んだんだけど、チェーホフは「明日良いことないかな」って言ってる人間の方を書いたんですよ。まあこれは、全部僕の解釈ですけど(笑)

つまり、「人というのは生きている限りにおいて、人を殺そうが、『つまんないな』と言おうが、一緒なんだ」とチェーホフはまず考えた。ところが「演劇は見世物だから、わかりやすく定義した方が良い」という演劇の流れが、チェーホフが出てくるまではあって。それに対して、「ちょっと待ってください」と。舞台の上だけが演劇じゃなくて、観てる観客も芝居じゃないんですか、という考え方をしたのがチェーホフのような気がするんですよね。

チェーホフの後は、今度はベケットという人が出てきて、「いやいや、どこを見たって一緒、死ぬも生きるも一緒」という演劇をやった。これはベケットの個人的な資質もあるかもしれないんだけど。シェイクスピアの劇は、言葉にすれば「人は死んでも生き返る」みたいな発想があるわけですよ。ところがチェーホフで、「人が一人死ぬことは大変なことだ」になって、ベケットになると「いや、死んでも生きても一緒」になった(笑) 自分は、そういう演劇の流れがあると思うんですよね。その中で自分に一番近いと思うのがチェーホフなんです。

例えば「演じる」ということに関していえば、「あの人は凄い演技が上手い」と言われる役者がいるじゃないですか。チェーホフの芝居は、「もしかしたら、芝居が出来ない人がやってもいいんじゃないか」と思わせることもあるんだけど、そこにはちょっとからくりがあって、「何もしないということは、逆に芝居が上手くないと出来ない」という理屈もあるわけですよ。シェイクスピアの劇なら素人がワーッとやっても通じるけど、例えば、黙って食事をしていて、何も起こらないで、「……ちょっと、そこの醤油とって」と言うセリフの面白さを出すには、役者が上手くないと駄目でしょ、やっぱり。色んな含みを持たせる力がないと。

高橋 普通に見えて、でも離れててもわかるような普通、ということですか。

岩松 「余計なことをするとマイナスなんだ」という理屈がこの人の中にないとね。シェイクスピアなら、余計なことをしても大丈夫なんだけど。だけど、シェイクスピアを無下に切り捨てることも出来なくて、セリフがあまりもカッコいいんですよね。「顔に血がついてるぞ」もそうだけど、『十二夜』の「そこにいるのは俺か?」というセリフもカッコいい。
『十二夜』は男と女の兄妹がいて、船が難波して、別れ別れになるんですよ。その後女の方は、ある王様みたいなのに、男の格好をして仕えてるんです。そして生き別れになった兄と、ある時ばったり遭遇するんですね。その時、兄のほうが、男装している妹に、「そこにいるのは俺か?」と言うわけよ。普通言わないじゃない(笑) チェーホフだったら、「……え?」ぐらいしか言わない。だけどそれをちゃんと言葉に代えて、ちゃんと意味を込めて、「そこにいるのは俺か?」というわかりやすさと、「わかりやすさ」と無下に切り捨てられないカッコよさね。『オセロー』の「剣を納めろ、夜露で錆びる」も、なかなか言えない。そういうカッコよさと、普遍的に人間が陥るストーリーラインがちゃんとあること。単純なんだけど非常に真実を得てるでしょ?

『マクベス』の「顔に血がついてるぞ」は、シェイクスピアのセリフの中ではスケールの小さな話なんですよ。それも、小声のセリフですよ。宴会場で、人殺しを頼んだ奴がもてなしをしていて、そこに仕事を終えて来た刺客に「おい、顔に血が付いてるぞ」と言うセリフだから、言ってみれば小振りなセリフですよね。そこに面白さを感じたんです。

一方で、チェーホフの芝居なんて、「この2人なんなの?」みたいな感じで始まるから、逆に難しいんじゃないかな。

高橋 チェーホフはどういう人だったんですか?

岩松 1904年に、ロシア革命の直前に亡くなった。最後、肺の療養に行ったドイツのホテルで死んだんですけど、死ぬ間際に「私は死ぬ」、ドイツ語で”Ich sterbe”と言ったそうです。本当かどうか知らないけど(笑)

その「私は死ぬ」も有名なんだけど、その前に、見舞いに来た奥さんに、「そういえばシャンパンをずいぶん飲んでいないな」と言ったらしいんですよ。作家のレイモンド・カーヴァーという人は、そのエピソードから、ホテルのボーイが夜中にシャンパンを買いに走らされる、『使い走り』という小説を書いてるんですよ。それを僕は、柴田元幸さんに教えてもらった。

そのエピソードは『夏ホテル』という、チェーホフが死んだホテルを舞台にした芝居を書いたときに使わせてもらいました。「夏ホテル」は南ドイツのバーデンワイラーという町にある、「ホテル・ゾンマー」というホテルで、そのホテルではチェーホフのシャンパンを買いに走ったボーイの子孫が訪ねてくる度に行なわれるお出迎えの式典があって、たまたまその日に居合わせた、日本から来たマジシャン一行がいて……、という話なんですけどね。重鎮が来るからと、マジシャン一行は泊まっていた部屋を空けなきゃいけなくなっちゃったり。

高橋 そういうのって、繋がっていくものだなって思いますね。チェーホフから刺激を受けたレイモンド・カーヴァーが小説を書いて、そこから岩松さんが戯曲を書いて、という風に。それって、すごく正しいことのような気がするんですよね。著作権がどうこうというのとは別に。

舞台って、再演はあまりしないんですか? 僕は今『夏ホテル』を観てみたいなと思っても戯曲を読むことしか出来ないんですけど、舞台と戯曲の違いは、どういうところがあるのでしょうか?

岩松 それは例えば、嫌いな役者が出てたら本の方がいいだろうしね(笑) 「役者が余計な芝居をするから、余計わかんないじゃないか。本を読んだ方がよっぽどわかるよ」ということが結構あるんですよ。本を読むと面白いんだけど、舞台がつまらないってことがね(笑)

逆ももちろんあって、本を読んでもわからなかったけど、舞台を観たらすごく面白かった、ということもある。でも、書く人間は上演を前提に書くので、書いたら上演、という段階を踏むんですけど、高橋さんみたいに外部者として接する時には、どっちがいいかは一概には言えない感じがしますね。

例えば『欲望という名の電車』の舞台は、僕は観てないんですよ。そうすると、自分なりの想像をしているわけです。だから実際に観たら、「俺の想像の方が面白いぞ」ということは、多分にあり得る。

高橋 例えば小説の映画化の話とか、よく出るじゃないですか。原作の方が良かったよね、みたいな。でも小説を先に見ちゃった時点で、初めて見る楽しみは味わえないので、両方をちゃんと並べては見れないですよね。

岩松 さっきの「嘘」の話じゃないけど、原作に対して自分なりにコンセプトを作ってやると「原作を壊している」と言われたりね。だから難しいですよね。そういう意味で本当に成功しているのは、例えば『浮雲』で、原作どおりに作っているのに、映画も面白い。

高橋 舞台をやったときに、「原作の方が良かった」というようなことを言われたこともあるんですか?

岩松 前にチェーホフの『かもめ』を、自分で翻訳してやったんですよ。その舞台のアンケートをチラッと見せてもらったら、その舞台は衣装も現代風にしてたんだけど、「19世紀ロシアの雰囲気を味わおうと思って来たのに……」と書かれたりした。そういう人にとっては「今、変に19世紀っぽくやっても仕方がないじゃない」という考えは、ほとんど敵対するじゃないですか。

高橋 そういうときは、どう思うんですか? 「てめー、このやろー」とか?

岩松 いやいや。そのときは「そういう人もいるんだ」と思うしかないですね。チェーホフの芝居は、「読んでもわからない」と言われることも多いけど、すごいクオリティが高いと思う。シェイクスピアは全部表で事柄がわかるように進むんだけど、チェーホフは水面下に隠れている問題が多いから。

チェーホフの芝居には、「人が話す言葉は、必ずしも本当のことではない」という前提があるんですよ。シェイクスピアは、「俺は嘘をついている」と言うから、「あ、この人、嘘ついてるんだ」と、ちゃんと記号としてわかる(笑)

だけどチェーホフの芝居は、「人は本当のことを喋らないよね」という前提があるような気がするんですよ。人は事情によって言葉を吐くんだ、というような。

例えば、結婚を申し込もうとする男が、「うちは生活が貧乏で、米代もかかるしどうのこうの……」と言うとするじゃないですか。でもそれは、「女の気を引くために自分の生活の窮状を訴えているだけかもしれない」という読み方も出来るわけで。だから、「弱気な男は自分の惨めさを見せて女の気を引こうとするんだ」という読み方をしないと面白くならない場合がある気がするんですね。

『かもめ』の出だしはまさにそういう場面で、「あなたはどうして黒い服なんですか?」「我が人生の喪服なの。私、不幸せな女だから」「いや〜、わかりませんね。だってあなた、生活に困らないし……」というような話から始まるんですよ。「我が人生の喪服なの」というのも、ある意味洒落たセリフなんだけど、男を見くびらないとなかなか言わないセリフじゃない? 「本当に好きな男には言わないだろ」という印象になっている。

だから、人間関係を想像しながら読まないと面白味が伝わっていかないような気がするんです。人間の取り巻かれている状況を想像する、というか。

もしかしたらチェーホフは、まったくまっさらで読むより、「こういう話だよ」とわかって読む方が面白いかもしれないですね。シェイクスピアは、そんなこと知らなくてもわかっていくけど。

●対談を終えて

文:高橋宗正

この仕事は、まず自分が興味を持ったことのない本を短期間に
グワっと読んだってことが楽しかったです。
シェイクスピアっていうのはこんなくだらない男の話を書いていたのか!
と身近に感じることができました。
その上で1冊に1枚、自分のイメージをつけるっていうのは
なんだか学生のころの課題を思い出して懐かしかったかったです。
テーマに対して一番しっくりくる写真を考えていくという、
やっていること自体は同じなのに、それが本になってお金も
もらえるんだから自分もなかなか成長したもんだと思いました。

岩松さんとはとてもダンディで会話もとても面白かったです。
あれ以来テレビで岩松さんをみる度、ぼくは画面に釘付けであります。


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

目次など、詳しくはこちら。

『溜息に似た言葉』●「週刊朝日」で紹介されました

『溜息に似た言葉』(岩松了著)が、「週刊朝日」2009年10月23日号で紹介されました。
P80、「週刊図書館」内の「話題の新刊」で、土屋敦さんによる評です。
ありがとうございます!

●「週刊朝日」

溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

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対談:岩松了×若手写真家 第1回●中村紋子/世間に対してどう立ち向かっていくか?

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第1回目、中村紋子との対談は、主に「人に見られるとはどういうことか/世間に対してどう立ち向かっていくか」。「演技をする/言葉を発する」とは、どういうことなんでしょうか?

溜息に似た言葉
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写真家●中村紋子

プロフィール

1979年、埼玉県生まれ。
2003年、東京工芸大学芸術学部写真学科卒。
2005年、東京工芸大学大学院メディアアート専攻写真領域卒。
Web:http://ayaconakamura.sub.jp

撮影した作品

「房子はまた風呂敷をさげてもどるんでしょうか」
─『山の音』川端康成/新潮文庫
不意の目覚めのひと言が、あなたの深層心理を表出させているとしたら?

「女って、お金をかけてくれる人がなくちゃ、綺麗にはならないもんなのね」
─『浮雲』林芙美子/新潮文庫
女にあっさりとこんな言葉吐かれたら、男はヘラヘラ笑うしかありません

「あたしちょっと散歩をしてきます」
─『死の棘』島尾敏雄/新潮文庫
無表情こそがケンカの王道。静かに勝利したくば「散歩に出る」と言うべし

「そんな笑いを浮かべちゃ、厭」
─『ある平凡』(『金輪際』より)車谷長吉/文春文庫
人が精神のみで生きてゆけるなら、とりあえず滑稽からは逃れられよう

「こんなに生きることの有難さを知った以上、それをいつまでも貪るつもりはございません」
─『豊饒の海(一)春の雪』三島由紀夫/新潮文庫
恋をして生活から遠く離れた言葉を吐くとき、あなたはだれかを救っている

「ねえ、私の顔、どう?」
─『秋風記』(『太宰治全集2』より)太宰治/ちくま文庫
自分の姿を客観的に見ることが出来ないしあわせを放棄する不しあわせ

「おい大変だ、伊藤さんが殺された」
─『門』夏目漱石/岩波文庫
結婚して口をきかなくなったって、そんなこと……ふたりが賢いだけのこと

「真剣になるなら、自分ひとりでなりたいわ」
─『花のワルツ』川端康成/新潮文庫/絶版
この言葉に得心するあなたなら、私はあなたの人生に幸多かれと祈るだろう


対談●世間に対してどう立ち向かっていくか?

岩松 今回、小説全体を読んでる時間なんてなかったでしょ?

中村 いや、読みました! 高校以来の読書に明け暮れて、風呂の中でも、ご飯食べてるときでも、必死で読みました。最初は苦行になるかと思ったんですけど、川端康成の『山の音』から読み始めたら面白くて「あれっ」って。川端康成は『花のワルツ』も面白かったです。

岩松 この中で、小説として一番面白いと思ったのは川端康成ですか?

中村 続きを読む →

ゲスト:永江朗 第2回「今の出版界でも出来ること」

●本のニセ金化は、もう続かない

沢辺 永江さんの考えは「新刊洪水の制度的な要因を考えると、本のニセ金化、地域通貨化だ」ということだよね。
そのことに関して言うと、俺が自分で本を出している感じでは、ニセ金化をやり続けていたら、最終的には出版社はやっていけないと思うんだよね。保ってあと数年じゃないかな。

永江 具体的な社名を挙げるのはあれだけど、「河出書房神話」ってあるじゃないですか。あそこもずっと自転車操業で来て、もう駄目だと倒れそうになった時に、いつも何かヒットがあるっていうね。オカルトじゃないんだけど、不思議なことに、出版社って自転車操業で倒れそうになると、何か当たるんですよ。
 例えば筑摩書房だと、駄目かと思ったところで『老人力』とか『金持ち父さん貧乏父さん』とか、ポコンポコンと来るんですよ。松田哲夫さんも言っていたけど、ちくま文庫とちくま新書を創刊してなかったら、多分また倒産していただろう、ということだし。少なくとも自社ビルをまた購入することはなかったと思う。
もちろん、それぞれ厳しくやりくりしているんだと思うんですけど、でも、ニセ金化での自転車操業状態のところって多くて、「本当にこれであと十年続くの?」っていうところは一杯ありますよ。
 十年後のことを考えると、欧米は日本と構造が全く違うので、また別の話ですけど、欧米で起きたのはコングロマリット(複合企業)化でしょ? コングロマリットが出版社を買って、出版社もグループ化していって、メディア総合産業になっていったり、全然関係ない企業がメディアを買ったり。そういう風になっていく可能性はありますね。ポット出版が、キリンビールに……それはないか(笑)
 でも、日本でも小規模な出版社がIT系の会社に買われたりするし、出版社のブランド構築がちゃんと出来ていればお互いにメリットがあるし、別に良いことでも悪いことでもなんでもないと思いますけどね。

沢辺 俺は、余力を使い切って自転車操業を続けてるような出版社を買って得られるメリットは、取次口座くらいだと思うな。

永江 その取次口座も最近では、資本関係が変わると条件見直しになったりもするらしいね。古い出版社って滅茶苦茶取引条件がいいんだけど、それを狙って買ったら、実体が変わっているからといって、また歩戻しがついたりね。

沢辺 でも、新刊洪水の原因がニセ金化を利用した自転車操業なんだったら、出版社がつぶれていくことによって新刊が減っていくという面もありますよね。
 点数に関しては、日本の新刊は8万点で、アメリカの23万点と比べると少ないと言う人もいますが。

永江 それは単純に比較は出来なくて、日本の場合の8万という数は「取次経由」の数字ですから。だから、実はジュンク堂なんかが扱っている同人書籍だったり、大手町にある農業書センターが扱っている専門的な本だったり、あるいは自治体とか独立行政法人とか学校が作っているものも全てカウントしていくと、アメリカの20万点には及ばないかもしれないけれど、10万点は突破しているかも、と言われてますね。
 出版社でも、ミシマ社みたいに取次を使わないところもあるし、書店でも、神保町の南洋堂みたいに、大取次を使わずに神田村だけでやっていて、しかも定価で売らない、割引して新刊本を売っているようなところもあるんです。だから、やろうと思えば今だって出来る。

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●応援したい書店をえこひいきする方法

沢辺 永江さんがミシマ社や南洋堂、あるいはイハラハートショップなんかを取り上げるのは、書き手としてのエールだし、「こんな面白いことをやってますよ」というのを広めていっている、ということだよね。頑張っている店は生き延びて欲しいな、ということに対する具体的な行動として。

永江 ポット出版の具体的な行動として「面白い本屋は正味を安くする」というのはどうですか? 「沢辺ポイント」とかつけて、沢辺ポイントが高いところは、正味を安くする(笑)
 出版社がお気に入りの書店は優遇するくらいはあっていいと思うんですよ。あからさまに正味だとあれだから、見本をどんどんつけちゃいますよ、とかさ。それも現行制度でも出来ることだし。ただ沢山売ってくれる本屋を優遇するのではなくて、「ここは応援したいなあ」というところに高いポイントを付けて、良い本屋と悪い本屋を数値化するのはいいと思うな。

沢辺 うちでやっているところで言えば、お客が急いでいるとか、注文したのにまだ来ないとか、そういう連絡を直接ポットにしてくれた本屋さんには、送料無料、受領書の返送用封筒(切手付)を入れて送ってる。つまり、書店には一円も出してもらわなくていい、というようにしてるのね。
 それは、「何かあったときに直接電話して言ってくれる」というのを、嬉しい行為だと考えてるからですよ。ケチな話かもしれないけど、送料とかはこっち持ちで「とにかく今日中に送りますよ」という「特別扱い」をしているつもり。永江さんが言ったみたいに予めポイントをつけるのとは違うけど「こういう行動をしてくれたら、ありがたいのでおまけをつけます」という形にしてね。

永江 専門書店をはじめとして、面白い本屋は全国に沢山あるんですけど、どんどん閉店している。専門書店が成り立ち難いのは、どんなに児童書を揃えてもジュンク堂の児童書売り場には負けてしまう、ということがあるからです。でも、ジュンク堂の2千坪に行くよりも、60坪の児童書店に行くほうがいいことが一杯ある。その60坪の書店の意味を出版界も認めているのだったら、そういうところをえこひいきしたっていいじゃん、と思うんですよね。

●「直取り>取次ルート」の可能性は?

沢辺 それをやるとしたら、今のところは直取りしかないかな。

永江 そこなんですけど、何で直取りをもっと増やさないんですか? やっぱり面倒だから? 事務経費がかかり過ぎる? でもミシマ社の三島くんに出来るんだから、出来そうですよね。

沢辺 ポット出版も、全てではないけど直取りもしていて、取次と取引のない書店とも、積極的に取引をしていますよ。たとえば中野のブロードウェイにあるタコシェだったら、一度に合計30部以上注文してくれたら、60%で卸してるんですよ。その代わり、買切りだけど。

永江 まあ、その正味で返品されたら辛いよね(笑)

沢辺 他の書店でも、買切29部までが65%、30部以上は60%で卸すのを基本スタンスにしています。

永江 いま取次経由で取引している書店を直取りに変えていくのは難しいんですか?

沢辺 ひとつは、返品で取次に迷惑をかける可能性が怖い。例えば、直取りで卸した本が取次経由で返品されても、現状の取次のシステムではチェック出来ないと思う。そういうことはどうでもいいよ、とやってしまうのもアリだと思うんだけど、今の取次とつき合っている以上、細かな条件設定を書店毎、タイトル毎にやっていくのは、とても難しいんですよね。
 ちょっと話は変わるけど、今度中小出版社8社でやろうとしている35ブックスは、ある種「このタイトルは特別だよ」という処理を取次にしてもらうんです。全部の商品が一本正味で入っちゃう大型書店なんかにも書店の取り分35%で卸せるように、取次がシステムを改変してくれた。最初は「初回に配本するときは特別扱いでやれるけど、通常の補充の時には、いちいち特別扱いしてられないから、無理だ」と言われたのを「なんとか補充も特別正味でやってくれないか」と交渉したんです。これはつまり、商品によって特別扱いが出来るようになったということだから、今後ポット出版が出す本は全部時限再販でポットの出し正味65%にするとか、やろうと思えば出来る。
 で、「なんで直取りをやらないんですか?」ということについて言うとね。最初は直取りなんて発想にもなかったのが事実。でも、トランスビューが直取りをやりはじめて、そういうことも出来るということがわかった。そのときに、トランスビューのマネをするのは嫌だなって思ってさ。俺、あまのじゃくだから(笑) あとはさっきも言ったけど、既存の制度をもう少し引っ掻き回したいな、というのもあるかな。

永江 別に海外の制度が優れているとは思わないけど、アメリカでもイギリスでも直取りがメインじゃないですか。その上で、直取りでフォロー出来ないところは取次がやる。
 日本の場合それが逆で、メインが取次ルートで、取次がフォロー出来ないところは直取りでやる、ということになっている。それは必然的にマイナーな出版社とマイナーな書店にとっては厳しい戦いを強いられることになりますよね。だから、版元ドットコムが出来たり、地方・小出版流通センターが出来たりしたんだと思うんですけど。
 版元ドットコムとして直取りをやるっていうのはどうですか?

沢辺 ふーむ。版元ドットコムとして直取りをやるのは趣旨と違うかな。版元ドットコムは「私たちの趣旨は本の情報を出版社自身の手で発信していこう」って言って集まっているものだから。やるとしたら、版元ドットコムとは別の団体を立ち上げるかな。

永江 でも、版元ドットコムが取次機能も持って、「うちは流通までやります」って言えば、インパクトはあるよね。

沢辺 版元ドットとコムは、この前、出版社と取次の間の流通を請け負っている大村紙業と提携したので、直取りが出来る条件は整いつつあるんだけどね。発送は会員社140社分の本を集めて段ボールに詰めてもらえて、伝票も一個で済む。一社一社で伝票を作らなくて済むので効率的だし、版元ドットコムがやるのは集金機能だけ。でも、クレジットカード決済か何かを書店が選択してくれないと嫌だな。書店の支払いは常に課題だからね。

永江 確かにね。流通の話を色々してても、結局は金にまつわる仕事を取次におっ被せている以上は変わらないんですよ。

沢辺 でも、お金のことに関しては、技術革新でガラッと変わると思うよ。

永江 そうかなあ。あの金払いの悪い書店のオヤジにどうやって払わせるのか、難しいですよ。

沢辺 でも、金払いの悪いオヤジはポットの本を扱ってくれないと思うよ。

永江 業界全体での話をしようという時になかなか動かないのも、その辺ですけどね。

沢辺 出版社でも「支払い悪い問題」ってあるんだよね。版元ドットコムでは会費を4ヶ月滞納したら自動的に退会処理をするようにしている。版元ドットコムに参加するような、比較的新しい出版社は元々キチッと支払うところが多いんですけど。

永江 それは書店もそうですよ。新しいところは、取次にお金を支払わなくていいなんて想像もしていない。払うのが当たり前だと思っている。まあ、当たり前なんだけどさ(笑)

沢辺 でしょ?

永江 しかも、新しい書店だと歩戻しもなかったりする。日書連の集まりとかで歩戻しの話になると、新参の書店は「それって何のことですか…?」って感じなんだよね。で、「100%払うと取次からご褒美でお金がもらえるんだよ」って説明すると「うちは今までちゃんと払ってるのに、一回ももらってない!」ってことになる。取次は書店同士をあまり仲良くさせたがっていなくて、それはタレント事務所がタレント同士をあまり仲良くさせるとギャラの話をされるから、個別管理したがってるのと一緒だよね。

沢辺 さっきの話に戻ると、ポットにつき合ってくれるようなところは、支払いとかそういうところをちゃんとやってくれる書店なんだよね。小さい書店からすれば、ポットの本を並べるってことは、ちょっと工夫してみようとか、チャンレジしてみよう、っていうことじゃん。だからポット単体で考えたら、実は直取り自体にそんなに心配はないのかもね。

永江 最初の話と言うか、今回のテーマに戻すと、再販じゃなきゃいけないとか、委託じゃなきゃいけないとか、「なきゃいけない」っていうのを外せば結構自由に出来るわけですよね。
 今回の『本の現場』だって、単にノリで「希望小売価格」にしたんだけど、あれは加賀美(アルメディア)さんだったら怒るよ。加賀美さんは、「希望小売価格が当たり前」という人だから、わざわざ希望小売価格とか非再販って表示すること自体がおかしいってね(笑) 「定価」の方がイレギュラーなんだからって。

沢辺 それはあまりにも原理主義だな〜。

永江 あとは今回トーハンの広報誌の担当編集者が、「永江さん、やっぱり『書店経営』に『本の現場』を紹介出来ませんでした。ごめん」って謝りに来て。「室長もぴりぴりしてたもんで」って。「でも、昔出した『菊地君の本屋』(アルメディア)も非再販なんだけど、あのときは別に何もなかったけどなあ」って言ったら「誰も気がつかなかったんです」って(笑)
 実際はそれくらい別にどうってことないことですよ。非再販にしたって。
 委託制だってしなくていいんだし、本当の委託である、売れた時清算の委託だって、取次を通さなければ出来るわけで。取次だけが本を書店に並べるルートじゃないですから。

沢辺 何か俺、挑発されてるなあ(笑)

永江 ははは。でも、現にミシマ社とかトランスビューとか、やれてるところはあるわけで。それに、やってみて失敗して潰れたら、また別でやればいじゃない。アメリカのリーダーズ・ダイジェストが破産法の適用を申請してたけど、あれは日本でいう民事再生みたいなもんだから、要するに死んだフリして借金チャラにして、またゾンビのように甦れるということ。法律がそれを認めてるんだから、どんどんやればいい。まあ、取引先は泣きますけども。

沢辺 その他現実に出来ていることは、新刊委託をしないで、最初から注文だけ受けるということ。
 全部を注文だけにしているわけじゃないけど、最近ポットが出した本でいうと『羯諦』(山中学、定価6000円+税)は新刊委託をしなかったです。

●次回へ続く

次回、「談話室沢辺 ゲスト:永江朗 第3回『紙の本の値段、電子書籍の値段』」は、10月16日(金)に更新予定です。どうぞよろしくお願いいたします!

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

目次など、詳しくはこちら。

新連載●談話室沢辺

ポット出版サイト内「マガジンポット」で、新連載「談話室沢辺」をスタートしました。

「談話室沢辺」は、ポット出版社長の沢辺均が最近気になる人に会って、あるテーマについてざっくばらんに対談するコーナーです。

第1回は、『本の現場』の著者永江朗氏との対談です。
●ゲスト:永江朗 第1回「重要なのは再販制度、じゃない」

ゲスト:永江朗 第1回「重要なのは再販制度、じゃない」

●再販制は、あってもなくてもどっちでもいい

沢辺 今回の「談話室沢辺」は『本の現場』の販促も兼ねているので、再販のことについて話そうと思うんですよ。

永江 やっぱり、再販のことになりますか。

沢辺 出版業界の人も、新聞やテレビも、再販のことになると来るんだよね。

永江 最初から話をひっくり返すようだけど、それが不思議なんだよね。再販についてはさんざん議論され尽くしたじゃん、っていう気分があって。まだ出てない論点ってないだろう、という気もするんだけど。

沢辺 でも、再販必要論は山ほど出てるけど、「再販はいらない」論がない。永江さんはどうかわからないけど、俺は「再販いらない」論じゃなくて、「再販絶対必要論がよくわからん」という立場なんです。
 もうちょっと手前から言えば、俺は、完全な市場原理は基本的には成り立たなくて、経済に対する一定程度の介入は必要だと思ってる。だから、再販も市場をコントロールする制度として選択することがあってもいいとは思う。存在そのものが悪なんじゃなくてね。だけど現状、再販制度が出版活動に何か良い作用を与えているかというと、現実的、具体的には何も感じない。だから「絶対必要」という人に対しては「何で?」って聞きたいんです。
 一方で、わざわざ再販を壊そうとは全く思ってなくて、正直なところ「どっちでもいいや」が俺の考えなんです。永江さんの基本スタンスはどうですか?

永江 僕も「どうでもいい」なんですよ。どうでもいいし、再販を選択してもしなくても、それは出版社と書店が自由に決めれば良いんじゃないか、ということですよね。再販というよりも「定価制度」と言った方が良いかもしれないけど、再販じゃない定価制度のやり方はありますよ。
 たとえば本当の委託。「エンドユーザーに渡るまでは、所有権は出版社のもの」ということにすれば、売れた後に清算するまで、書店はお金を払わなくて済む。だから書店の負担もうんと軽くなるし、出版社も売価のコントロールができるわけです。デパートなんかでは、そういう本当の委託、「消化仕入」という形態でやっていて、商品が売れるまで、そのデパートにとって在庫はゼロなんですよ。売れた瞬間に仕入れと売上が同時に立つという感覚。出版界は今まで50年くらい再販制でやってきたけど、例えば「消化仕入れ」というやり方もある。
 とにかく「再販制はあってもなくてもどっちでもいい」というのが私のスタンス。でも、「永江朗が取材するような書店」という限定が付くけれど、これまで会ってきた書店の経営者の多くが「再販制はなくてもいいんだよね。大きい声で言えないけど」って言うんです。特に異業種から参入して来た人は「ない方がいい」とまで言います。だけど取次は「再販制守れ」って言うし、日書連も「再販制守れ」が公式見解だから「大きい声では言えないんですけどね」って言うわけですよ。
 「それは何でかな」って考えた時に、再販制が委託とくっついて運用されていることによって、けっこう弊害があるからじゃないかな。 一番大きな弊害は、このままいくとネット書店と大型店、ナショナルチェーンとローカルチェーンだけが残り、あとはインディペンデント系の書店が大都市部でちょぼちょぼ、という状況になるであろう、ということ。そんな状況になって楽しいのだろうか?
 もうひとつの弊害は、この10年くらいメガストア化が進んで来た中で、ランキング依存と言われるような状況がどんどん酷くなってきていること。チェーン店を取材して「どういう風に仕入れしてるんですか?」と聞くと「本部からの指令で、トップ50のタイトルは欠かさないようにしています」と言うんです。ランキングの上位だけ置いておけば良いとまでは言わないけど、「それだけは欠かさないように」と言うわけですよ。10年後20年後に全国のチェーン書店がそうなってしまったら、やっぱりつまらないんじゃないの?
 もちろんランキング下位の本でもAmazonで買えるんだけど、小売店がもう少し「遊べる」要素を作るには、今と違う流通の仕方も考えていかなきゃいけない。再販制を守っていこうという人の論拠はわかるけど、「じゃあ現状このままでいいの?」「このまま行ってどうなるの?」と聞きたい。

●書店の自由のつくりかた

沢辺 『本の現場』を出したことで、新聞記者やテレビ局に取材されたんですけど、やっぱり「何で非再販の本を出したんですか?」って聞かれるんですよね。自分なりに理由を考えてみたけど、正直に言えば「ノリでやった」で、理屈をつけるとしたら「書店に自由を増やしたい。その自由を色々行使して、永江さんの言葉でいえば『遊べる書店』が増えていって欲しい」ということ。
 メーカーである出版社として、どんな「書店の自由」が提供出来るかというと、ひとつは、「販売価格を縛っていることをやめて、自由に設定できるようにする」ということ。もうひとつは、35ブックスでやっているように、書店の取り分を増やすことで値引き原資を作ることですよ。

永江 35ブックスに関していうと、商品を自分たちに選ばせて欲しかったって、書店は言ってますけどね。

沢辺 確かに、35ブックスが完璧じゃないのは十二分にわかってますよ。ラインナップに不満があるということもね。ただ、35ブックスに対する一部の書店の反応に対して、腹が立つこともある。書店が「たった35%じゃん」という言い方なんだよね。「35%のマージンで歩安入帳なんてやってられません」っていう意見があった。書店はいつも正味が高すぎて利益幅がないって言っていて、それに対して、35ブックスは何かをしようとしたのに、「全体の中のこれだけじゃ意味ない」とか「もっと利幅を上げろ」とか、マイナスを先に見つけて言ってもしょうがない。

永江 それは流対協(出版流通対策協議会)の『本の定価を考える』という本の論調でもそうだけど、こういうことをしたら、こういう悪いこともあります、ああいう悪いこともあります、って先回りして悪いことばかり並べて「このままで行きましょう」っていうやり方だよね。自民党が民主党のマニフェストにいちゃもん付けてたのとそっくりで、「じゃあ変わらずこのまま沈没すれば?」っていう感じですよね。

沢辺 そんな中で積極的なのは大手チェーン店なのよ。色々考えて、現状に何か風穴空けなきゃな、と思ってるのは、むしろ大手チェーン店なんじゃないですか? 日書連からは、「試しにやってみよう」とか「こう変更したらどうだ」といった声が聞こえてこない。
 Googleのブック検索に対する出版社の対応もそうでさ。確かにいきなり「合意しないならオプトアウトしろ」とか言われたのは乱暴と言えば乱暴だけど、結果、本を検索出来るようになって読者に利益があるんだからさ。それで本がいちじるしく売れなくなるような可能性が滅茶苦茶高いかというと、そんなこともないと思うし。

永江 電子本の状況を見ていると、アメリカは本当にダイナミックだな、と思いますよね。方やハードカバーで30ドルくらいの本が、電子本だと9.95ドルで売ってたりする。ソニーのリブリエは日本では撤退したのに、アメリカではニューバージョン出すでしょ? それはつまり、ソニーとしては「日本人はバカだからもうつき合わない。日本人にはプレステだけ与えておけばいいよ」みたいなもんじゃない。経営者がアメリカ人だからかもしれないけどね。
 日本でも紙の本と電子本を同時発売して、しかも電子本は紙の本の半額とか3分の1くらいの値段でやっていくくらいのダイナミックさがあればね。現行の色々な取引の枠の中では、書店がやれることはすごく少ないから。大げさな言い方をすると、中小零細の書店に「発注する自由」とか、「発注する自由を成り立たせる諸条件」が整っていない。
例えば、計画的な発注をしていくためには、事前の出版情報が必要ですよ。再販制がなくて、委託制もないアメリカでは、本のビジネスもアパレル業界と同じようにツーシーズン制がベースになってるんです。具体的に言うと、あらかじめカタログを作って事前情報を書店に行き渡らせたうえで、版元の営業やセールスレップ(Sales Representative:営業代行)が回って「我が社は今度こういう企画の本をやります」と説明をしながら注文を取っていく。実際はもっと複雑だけど、少なくとも理想としてはそうなっている。
 日本の場合、その仕組みを取次が代行してきましたよね。極端なことを言うと、来週自分の店に入ってくる商品を知らないでもやれるのが日本の書店です。少数の、パターン配本を使わずに全部自分で仕入れるという店は別ですけども。その状況が読者として楽しいのか。

沢辺 でも俺、本でそれをやるのは無理だと思うんだよね。たとえばレヴィ・ストロースの幻の原稿が発見されたのなら、「翌年の春に発行しますよ」でいいと思うんだけど、Googleのブック検索問題があったので、アメリカの「フェアユース」って何なのかとか、知的財産ってそもそも何なのかとか、アメリカと日本の著作権法の違いを扱った本を1ヶ月か2ヶ月で仕上げて出すということだって、あると思うんですよ。むしろどっちかというと、そういう本のほうが多くなっているんじゃないですか?
 ハリー・ポッターとか村上春樹のレベルになれば、「来年の春」でもいいだろうけど、それ以外の、例えば携帯小説だって、流れが来ている時に即出そうよ、というほうが多いのだろうし、「半年後じゃなければ出来ない」としちゃうと、逆に出版がつまらなくなっちゃうんじゃないかな。

永江 それはもちろん、ガチガチの制度は要らないという前提の上でね。それから、実は日本だって老舗でかための出版社を中心にして、ちゃんと事前情報を出して計画的にやっているとこもあるんです。例えば新潮社は「来期の主力企画発表会」として、業界の人を集めるパーティーを定期的にやってるんですよ。みすず書房や岩波書店も、年末になると「来年度の我が社の出版計画」を出してるし。

●悪いのは出版界の制度?

永江 実を言うと、再販制と委託制も、スタートしてから四半世紀くらいは上手くいっていたと思うんですよ。それが高度経済成長期を終えるくらいの段階、つまり1970年代半ばから80年代頭くらいの段階で、最初の想定と条件が大きく変わったんだと思う。
 変わった点のひとつは「出版点数の増大」で、もうひとつは、講談社文庫の市場参入がきっかけと言われているけど、「フリー入帳にした」こと。もともと新刊だけ委託配本という形だったのは「サンプル」だったからですよね。アメリカのように前もって出版計画を作ってセールスレップが全国の書店を回るわけにいかないから、取次経由でサンプルを配って、見てよかったら追加発注してください、ということだから。それを全品委託配本・フリー入帳にした。そのときに「本のニセ金化」が始まって、本とお金が同じように売れるようになってしまった。
 制度を作る時に想定していなかった事態が色々生まれたのだから、制度も少しくらいいじってもいいんじゃないの、と思うんですけど。

沢辺 結局、書店員が選書をする必要があるっていうことじゃないのかなあ。

永江 うん。でも、それが何故難しくなっているのかというと、ひとつは取次が良く出来すぎているから。

沢辺 でもそれはしょうがないよね。「子どもたちに主体性がなくなった。教育システムが完備されて、通信教育から塾から何まで全部あるから、自分で図書館に通って勉強する奴がいなくなっちゃった」って言っても、意味がないと思うんだよね。「もっと自覚的に、何もかも与えられるんじゃなくて、やらせるべきだ」という「べき論」は出来ると思うんだけど、そのときに、便利なシステムを提供しているところが悪いと言っても、意味がないでしょう。つまり、取次が出来過ぎだと言っても意味がない。そこで甘えてた書店に自主性がなくなったって、それは書店自身に奮起を促す以外にはないんじゃないかな。

永江 小泉純一郎みたいな言い方に聞こえるかもしれないけど、委託配本・フリー入帳であることによって、頑張りたい書店が足を引っ張られる状況があるじゃないですか。たとえば、注文しても本が取れないとか。さっきも言ったように、特に新規参入のところから「買切りでいいのになんで本を売ってくれないのか」という意見が出る。買切りで100部欲しいと言ってるのに、「これは行き先が決まってますから」となるのは、硬直ですよ。
つまり「米は一粒たりとも輸入しません」みたいに「非再販は認めません」となる空気は気持ち悪いね、と思う。実用書なんかだと、出版する段階で「これは一年後には陳腐化して、市場で価値ないよな」っていう本もあるんだから、そういう本は時限再販でいいじゃないですか。時限再販にする必要すらないかもしれない。「その辺りをもう少し緩くやっていけばいいんじゃないの?」という程度のことです。
 もうひとつは、別に諸外国が上手くいっているとは言わないけど、再販制のある国って、先進国では珍しいくらいになっているわけですけど、たとえばフランスなんかは再販制があってももう少し緩いですよね。例えば一定枠内での値引きは認めていたり、基本は時限再販だったり。公取みたいな言葉だけど、もう少し柔軟性のあるやり方をしないと、息苦しくて窒息しちゃうんじゃないかな。

沢辺 でも、やる気のある書店は本当に足を引っ張られてるのかな? たとえば神宮前にあるJ−STYLE BOOKの大久保さんという書店員が『本の現場』を読んで思ったことを書いてくれたんだけど「現状のシステムの中でも努力して頑張れるノリシロはある」と彼がいうのは、今の永江さんの言葉で言えば、「僕は足引っ張られてるって感じはしませんよ」っていうことですよ。
 大久保さんみたいな人が増えていくことが、「チェーン店ばかりになってしまう」という危惧に対する、ひとつの対抗になるんじゃないかな。大久保さんの売りたい本とポットの出す本って微妙に違うので直接には役には立たないんだけど、大久保さんとか、そういう固有名詞をめがけて、その人に「沢辺さん、それグッドだよ」って言ってもらえるようなことをしたいな、と思うんだけど。

永江 それはいろいろなんじゃない? 「足を引っ張られてる」っていう人もいれば「そうじゃない」という人もいる。僕が取材をしていて中小の書店から言われるのは、「なんでウチにはベストセラー送ってこないの? 隣のチェーン店にはあんなに積んであるのに」ということですよ。それは取次が悪い。日書連の議論を見ていても、取次の不公平な取引条件の改善を申し入れる、という話ばかり30年間くらい、ずーっと同じことを言ってる。

沢辺 日書連みたいな人がいて、ずっと同じことを言いつづけている、っていうのは分かりますよ。おっしゃるとおりだと思うし。『本の現場』に関しても、「いきなり最初から非再販にするのではなくて、時限再販じゃない。いきなり非再販にして、Amazonに値引きされちゃったら敵わない」って感じ。そういう人がいる一方で、かたや大久保さんみたいな人もいて、スムーズだとまでは言わないけど「不公平は感じていませんよ」という人もいるわけよね。

●本が読者に届くなら、今の制度はなくなってもいい

永江 再販含めて本についての色んな制度を考える時に、何を優先して考えるかってなると思うんですけど、従来の「再販制を守っていこう」という話は、「出版社や書店をどうやったら生き残らせるか」というのが多いじゃないですか。
 私は出版社や書店がなくなろうがどうでもよくて、まずは「本が生き延びること」が大元にあるんです。次に、読者にとって本を読む機会が沢山あること。それに付随して出版社があったり著者があったり、取次や書店があると思う。
だって、本の五千年の歴史を考えたら、最初は書店も出版社もなかったわけですよ。プロの書き手が出て来てそれで食えるようになったのは遡ってもせいぜい200年ぐらい。それも、日本でも何人かいるか、くらいの規模ですよ。紫式部は原稿料もらってなかったですからね。
 そう考えると、本があって読者がいるっていうことがまず大事なんだけど、それが今の出版流通の中でどうなっているかというと、本の圧倒的な短命化ですよ。作ってもすぐ消えて、読者に届かない。平均返品率が40%ですから、新刊だけで考えたら60%を超えていますよ。この前学生に「需給バランスっていう概念は出版界にはないんですか?」って言われましたけど、少なくとも、作った本があっという間に市場から消えて読者に届かないとか、手に入らないとか、そういう本が存在したことすら知らない間になくなっていくという状況は、あまりよくないでしょう。
 「じゃあ、なんでそういう風になっているの?」って考えた時に、出版大洪水の状況があり、なんで出版大洪水の状況になるのっていうと、本のニセ金化があるからであり、本のニセ金化がなんで起こるのかというと、委託制と再販制が一体化して、本がお金と同じようになっていて、その要に取次の存在があるからだ、と考えてるんですけど。

沢辺 永江さんはちょっと断定的すぎるんじゃないかなあ。「出版社や書店が生き延びることよりも、本が生き延びることが大事」というところまでは大賛成なんですよ。いまはもう、近所に山ほどあった写植屋はなくなっちゃった。出版界はデザイナーに写植屋や製版屋の代わりをやらせることで、そういう職業をつぶしてきたわけだから。それをセンチメンタリズムでいえば物悲しい感じもするんだけど、でも技術や環境が変わった結果だから、しょうがないとしか言いようがない気がする。
 その写植屋を出版社に置き換えても同じで、「技術や環境が変化したから、お前のとこ、もう要らないんだよ」と言われたら退場する以外にないし、それを生き延びさせるのは価値が逆転しちゃってる。永江さんみたいに、本そのものとして良いものを作っていくとか、それを読者に届けていくというところに価値を置いた時、結果的に生き延びていく出版社は生まれると思うけれど、「生き延びる」の方に価値を置いたら、上手くいかないと思いますよ。ここまでは永江さんと同じ。でも、「本の存在を知らない」という点に関しては、ネットが補完していると思うんだよね。それは極論?

永江 うーん。それは大都市の、それなりの環境のある人だけだよね。

沢辺 でもネットなら、大都市に限らず全国平等ですよ。

永江 僕、この前田舎に帰ったんですけど、地方と東京の環境の格差、それから年齢や所属している環境による格差っていうのは結構凄いんだなと思って。70歳以上でネットを使いこなす人は少ないじゃないですか? 彼らにとっては、たまに行く地方のチェーン店に並んでいるのが、新刊書の全てなんですよ。「本読みたいんだったらパソコン買って使い方を覚えろ!」というのも正論かもしれないけど、70歳超えた人には言えないよね。だからと言って、私は別にネットをなくせと言っているわけじゃなくて、ネットは本の存在を知らしめる、もの凄く役に立つ道具であることは事実だと思ってますよ。でもまだまだ十分とは言いがたい。
 その上で書店の店頭での話に絞ると、書店に並んでいる時間が1週間が良いのか、1ヶ月がいいのか、3ヶ月がいいのか、ということですよ。今だと、否応無しに1週間になっちゃってるところがある。それは制度的な原因が色々あって、個々の書店がそう選択せざるを得ない状況があるんだと思います。じゃあ例えば、それをもう少し辛抱して3ヶ月ずつくらい並べるにはどうしたらいいだろうかって考えた時に、全国1万6千の書店がみんな同じ品揃えにしようとすると1週間しか並ばないかもしれないけど、その地域にあるA、B、Cの各書店がそれぞれ違う本の並べ方をしようとすれば、頑張れば1ヶ月半ぐらいずつは並ぶかもしれないよね、という組み替えをやっていけると思うんですよ。そのためだったら制度をいじってもいいんじゃないのかな。

沢辺 その辺が、永江さんと俺との温度差なのかな……。制度をいじるという結論には賛成なんだけど、どっちかというと俺は、今の制度の中にあっても大久保さんをどれだけ増やせるか、というところに興味があるんだよね。大久保さんは多分、3ヶ月くらい並べている本の方が多いと思う。

永江 でもそれは一部のとてもやる気のある書店の話で、このままじゃチェーン店ばっかりになっちゃいますよ。

●次回へ続く

第2回「今の出版界でも出来ること」は、こちら。

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

目次など、詳しくはこちら。

いただいた本●「ミンシュラン政権交代人物ガイド」「全議員版ミンシュラン 民主党人物ガイド」

第三書館の北川さんからいただきました。


書名●ミンシュラン政権交替人物ガイド
編●ミンシュランリタイヤ(シンクタンク)
発行●第三書館
定価●600円+税
装丁●勝木雄二
四六判 160ページ 並製

●全国の書店で買えます
●版元ドットコムで購入する
●Amazonで購入する


書名●全議員版ミンシュラン─民主党人物ガイド
編●ミンシュランリタイヤ(シンクタンク)
発行●第三書館
定価●1500円+税
装丁●勝木雄二
四六判 512ページ 並製

●全国の書店で買えます
●版元ドットコムで購入する
●Amazonで購入する

『羯諦』●田亀源五郎さんに紹介していただきました

ポット出版9月の新刊『羯諦(ぎゃあてい)─山中学 写真』(山中学)が、田亀源五郎さんのブログで紹介されました。

●田亀源五郎’s Blog: 『羯諦 山中学 写真』

羯諦 山中学 写真

著者●山中学
定価●6,000円+税
ISBN978-4-7808-0132-3 C0072
250mm×250mm / 144ページ / 並製函入

目次など詳細はこちら。