投稿者「大原 真理子」のアーカイブ

ライブ

去る10月27日、沢辺社長(会長?)のバンドのライブに、写真係として行ってきました。
飯島会長イチオシのカメラを沢辺さんがポット用に購入してくださったので、それをお借りしました。
http://panasonic.jp/dc/fz200/

F2.8の明るいレンズなので暗い所でもブレずに撮る事が出来て、さらに600mmの望遠ズーム!!
これで薄暗いライブ会場でもばっちりだろう。
結果、全撮影枚数の半分はブレてる仕上がり。すみません。

ライブはとても楽しかったです。毎年楽しさがグレードアップしている気がします。
10月は仕事か寝るか食べるかしかしていなかったので、いろいろなかたとおしゃべりして、心臓まで響く音楽のなかにいることが夢のようで終始そわそわしてしまいましたが、等身大で楽しい気分を味わいました。
終演後にライブハウスを出て、人で賑わう新宿の街を歩いている、それだけのことが妙に小気味良いのでした。
なんだか街が、景色がはっきりと見える。これがリフレッシュ効果というやつでしょうか。

白いユリのような花嫁

「こじらせ女子」という言葉が浸透してきました昨今(?)。
先日、高校時代の同級生である「こじらせてない女子」の挙式&結婚披露宴に出席しました。

普段はこじらせ気味女子に囲まれているので、この日はこじらせてない女子に囲まれ、うすうす感じていた現実を目の当たりに。
披露宴の「新婦高校時代友人席」を埋めるメンバーは、既婚(二児の母)、既婚(一児の母)、既婚(二児の母)、既婚、既婚、既婚、バツイチ、独身。
いうまでもなく、最後の独身が私だッ!
この現実がまぎれもなくこの世の29歳女子のメジャーなのだろうか……うーん、ま、いっか!!
と、頭の中で一瞬激しく渦巻く思考。恥ずかしながら、既婚者に対しておそらく初めてコンプレックスを感じた瞬間でした。

新婦はオーケストラ部の仲間なので、スライドショーで部活動の写真が出てきてなつかしかったです。
2年間毎日毎日、朝練・昼練・午後練と狂ったように練習に精を出していたのが嘘みたいに思えます。疲れなんて知らなかった。箸が転んでもおかしい年頃とはまさに当時のことで、笑ってる記憶がほとんどです。今までの人生で一番笑っていた時期なんじゃなかろうか。笑いすぎて廊下や通学路をちゃんと歩けていなかった。ヨロヨロしてた。

結婚式って、なんだかんだで感動的な瞬間があって、油断するとほろっとくることがあるんですよね。
キリスト教式の挙式で、賛美歌を参列者全員で歌うときに、たまに泣きそうになります。
絵に描いたような才色兼備・大和撫子である彼女の花嫁姿が、美しくて可憐で、力強くてまぶしかったです。

岩泉、盛岡、遠野

お盆休みに、大学の同期が住む岩手県岩泉へ遊びに行きました。
去年、彼の結婚式のときに岩泉に遊びに行った以来、2度目になります。
さっそく子宝に恵まれ7月末に娘さんが生まれたそうなので、
盛岡にいる彼の奥さんと娘さんに会いに行く目的も兼ねて。

1日目は岩泉へ。
岩泉には宇霊羅山と龍泉洞という鍾乳洞があり、とっても良いところなんです。
同期の友人は奥さんの実家である早野商店さんで働いています。
http://i-hayano.jp
お盆ということで龍泉洞観光会館も合わせて大忙しのようでした。手伝う話も出たのですが結局力になれず。
岩泉駅にちらっと寄ったのですが、岩泉線というローカル線は運休のままでした。

この岩泉がご先祖の努力でどのように栄えてきたか、奥さんのお父様が教えてくださいました。
ちなみに宇霊羅(うれいら)山は、もともとはアイヌ語で「ウラーピラー」といい、「霧のかかる山」という意味なのだそう。そして岩手の土地は古いプレートで出来ていて、岩泉の地質は古生代のものも含んでおり、ミネラルたっぷりの水が湧き出ているのだとか。岩手すげー!

2日目は盛岡へ。
午前中、岩泉の安家洞という鍾乳洞を探険してから、盛岡へ移動。鍾乳洞に行けて満足。
赤ちゃんに会う。当たり前のことなのだけど、子孫繁栄とはこういうことを言うのだと思った。
奥さんが、連日連夜の赤ちゃんの抱っこによって手首を痛めて腱鞘炎になってしまったらしい。
こ、これは、ねんねこりんを送らねば!!
夜は、酒好きの友人に連れられワインバーへ。私は体調が良くなかったので飲まなかったのですが思いっきり楽しみました。友人は龍泉洞貯蔵の山ぶどうワイン「宇霊羅」を、ソムリエのかたと去年ものと今年もので飲み比べるために去年ものを持参していました。が、そのバーで出す今年の「宇霊羅」はあと3ヶ月ほど龍泉洞で寝かせるそうで、飲み比べることは出来ず。

3日目は遠野へ。
遠野には男根信仰があるそうで、「山崎コンセイサマ」(漢字では、金勢(精) 様と書く)へお参りしてきました。
アラサー独身男女3人、必死です。山の麓にある男根と女陰をかたどったご神体に、お祈りを捧げる。
コンセイサマは、子宝祈願だけでなく、豊作や成功の神でもあるという。産むという意味なんだろう。さらには山頂にある賽の河原とあわせて、死と再生の意味を持つのだそうだ。
遠野、すごく良いところでした。ビビッと来たので、次回は遠野に一泊することにしました。
それまでに柳田國男の遠野物語を読んでおきたいところ。

道中、大人げなくケンカをしたりと毎回なぜだか珍道中になってしまいますが、みんなの気持ちはひとつ。岩手が大好き。

東京ドームデビューを逃した夏

今年の夏は暑い。
かなり暑いと感じる。
これは、例年より早い梅雨明けからの猛暑だけがそうさせているのではない。
かなり太ったことが原因かと思われる。
なので、今年はキュウリが美味い。トマトが美味い。冷や奴が美味い。アイスが美味い。冷たい麦茶が美味い。
旬の食べ物の有り難さが身に沁みる。

先日、東京ドームで社会人野球の応援をするから来ないか、という誘いをもらったが体調不良で断ってしまった。
たったいま会社の近くにある神宮球場から花火の音が聞こえてきて、あの夏の野球観戦の楽しみを(消極的ながら)享受する機会を逃したことへの後悔が湧いてきた。東京ドームは行ったことがないのでいい機会だったのになぁ…。

といっても、私は野球に興味がない。ナイター中継で押されている観たいテレビ番組を父親の背中の後ろでただひたすら待った記憶しかない。観戦はというと、一度小さい頃に父親に連れられて神宮球場で巨人戦を観戦したことがあるだけだ。それなのにあのときの開放感ある球場でホットドッグを食べたかすかな記憶が、確かに二十数年後の今、「夏の楽しさ」として蘇るのだから不思議だ。

後日談で聞いたのだが、東京ドームは冷房が効いているらしい!!
あー野球全然興味ないけど楽しいんだろうなー!

団体様と呼ばれて

先月は、友人が出演する舞台を観に行った。
毎回誘い合わせて4〜7人で観劇する、この「団体で観劇するおばさんのような会」は春公演と秋公演の年2回の恒例行事になりつつある。待ち合わせでバタバタし、受付でバタバタし、開演前のお手洗いでバタバタし、たくさんのフライヤーが置いてある席への着席でバタバタし、楽屋へ行くのにバタバタし、そのあとみんなでご飯を食べながらワイワイするという一連の行動を毎回繰り返す特徴を持ち、発展性はほぼないのだが非常に楽しい、という評価が目立つ。ふと「なんだかおばさんみたいだなぁ」と思い、回を重ねるごとにしあわせを噛み締めてきた。
関係性のコミュニティが異なる友人たちが混ざり合う席でもあるので、年2回のこの観劇が本当に楽しみだ。なんといっても舞台がおもしろいから、この「団体観劇おばさんの会」は続いていくんだけれども。(集まれなかったらおのおので観に行くくらいである)

この団体の個々人に共通する点を挙げるとすれば、「ストーリー」や「文脈」が大好きであるということ。
「ストーリー」や「文脈」は毎日そのへんにごろごろ転がっているけど、それを組み立てて演出しちゃう人ってすごいなぁと思う。作家でも音楽家でも芸人でもカメラマンでも。昨日の日曜に東京都写真美術館に世界報道写真展2013を見た。最近は展覧会に行ってもキャプションを読む視力と体力がないので読まないことが多いのだけど、日常風景写真や肖像写真のたぐいは、キャプションを読むとストーリーが一気に生まれてくるのが面白くて必死で読んだ。

GWなど徒然に

GWネタが続いているので大原もGW報告します。
どこにもでかけずに、家で華原朋美の動画を延々と見ていました。グラドル時代から、先日の復帰まで。
そして華原朋美の音源を購入しました。90年代TKサウンドを再見したい。イケイケドンドン。

最近会う人会う人に「でっかくなったねw」「育ってるねw」「太ったねw」と言われます。
ここ1〜2年のあいだに体重が十数キロ増加したからですね。ツイてるね、ノッてるね!
もともとファッションには無頓着なほうなのですが、さらに無頓着になってきて非常にまずいです。

(昔読んだ本の影響だと記憶しているのですが)個性とは、たとえば爪の形だったり、髪の毛がうねっていることや、足の親指が人差し指より長いことや、でべそであること、一重であること、ホクロがたくさんあること……そういうことだと考えているので、身長・体重だって「個性のひとつ」だと当然考えられるのですが、ちょっと太りすぎました。非常にまずいです。

「君のガサガサのアトピー肌だって個性だ!!」と言う友人がいました。
最近、私自身のアトピー治療として【マクロビオティックのアレルギー食事療法】に興味があります。
体に入れるものがかなり限られてくるので、ダイエットにも効果ありそうです。
が、今は自炊をほとんどしないので道のりは果てしなく遠い……。

DTP勉強会[第9回]レポート

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DTP勉強会 [第9回]講師/深沢英次さん
2012.07.03
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●レジストレーションカラーが混ざっていないか確認する方法
◯Indesign
・検索機能の「検索形式の設定」で「カラー」の項目でレジストレーションを検索する
・CMYK分版プレビュー機能を使って確認する(Kのオン/オフを切り替えるだけでも分かる)
・ライブプリフライト機能を使って常時見張ってもらう

◯PDF
・CMYK分版プレビュー機能を使って確認する

●ピクセル縦横比について
ピクセル縦横比とは、テレビやビデオなど映像用の概念。
対して、印刷・Web・コンピュータモニタではピクセルの縦横比は1:1が基本。
→もしスキャンした画像データなどがピクセル縦横比率でのサイズになってしまった場合は、
短編に合わせて長辺を縮小して1:1にリサイズする。

●バグへの対処
・データが不調だったり変な動きをするときは、怪しいと思われるところを外して行って原因を調べる。
はっきりとした原因をつきとめることはできなくても“この条件を満たすと不調になる”という点がわかれば、
不調を回避することができるから。
また、ネットで「他に同じようなバグで困っている人」「解決方法」を調べるのも◎。
・サーバ上での作業は不安定なのでローカルにファイルをコピーして作業すると安定することもある。
・普段使っているアカウントとは別にまっさらなアカウントを作って、その環境ではバグが起こるのかどうかを調べるのも◎。

●組版の考え方
・組版の考え方は人それぞれ。なぜその組版ルールにするのか?というところが大事。
「こうでなければならない」ということはない。
たとえば和欧間のアキやマージンなどは、目で見て変じゃないかどうか考えて決めればOK。

・どんな組み方をしようが、合理性があればよい。
その合理性をどこに置くかを判断していく。
いまの時代、一番考えられる合理性は「みんなが見慣れていること」。

・プロ中のプロや経験のある人、知識のある人にどんどん教えてもらおう。
ただ、それをすべて受け入れる必要は無く、自分で考えて選択していけばよい。
そういった人とのコミュニケーションが大事だったりする。

春ですね

桜の花がぶりんぶりんになっていることにも気がつかず、年明けからずっと忙しない日々を送っておりました。
今週やっと、桜を見上げる余裕がちょっと出てきました。
テレビを見る余裕もなかったので、
桑沢時代の友人からの「みんなでドラゴンボール観に行く?」というメールの内容にもついていけておりません。

出版部の高橋さんが本日で退職となりました。
最後の日誌の表示フォントがちっちゃくて不穏な気持ちに駆られますが、
みんなに見送られ笑顔でポットを去ったので大丈夫だと思います。
そんなこんなで今日は高橋さんの送迎会と松村さんの歓迎会を兼ねて、プチ宴会をしました。

そういえば数年前、私が入社して3カ月ほど経った年末のころ。
ポットの大掃除をしていたときに高橋さんから2冊の本をもらいました。
分厚いフォントブックと、鈴木一誌さんの「重力のデザイン」という本です。

“編集者とデザイナーと営業がひとつのフロアで仕事をしている現場”
私がポットで働きたいと思った一番の理由がそれでした。

高橋さんに上記の2冊の本をもらったときに、
「ポットでは編集者のかたも、文字のことやデザインのことに興味を持って探究しているんだ……!!(ガガーン)」
という驚きとともに、ポットはやはりタイヘンおもしろく、ヘンタイな場所なんだなぁと感じたのでした。

補足)高橋さんが“組版好き” だということを、その後しばらくして知ったとさ。

話は戻って、4月から松村さんが正式入社し、制作部に配属です!
春ですね。
鈴木一誌さんの「ページネーションマニュアル」の本がいよいよ動き出したようで、ドキドキです。

青の色ムラ

紙に色を乗せて、「おお…!」と思う体験が少なくなりました。
(しいて言うなら万年筆を使ったときと、ハンコを押したときくらいでしょうか)

先日、ポット出版の新刊『まるわかり幼稚園ライフ』の色校正が出来上がってきました。
今回表紙の厚紙には、気包紙Uという紙を使いました。気包紙にはU(非塗工)とC(塗工)の2種類があり、CはUV印刷専用で、Uに比べてちょっとつるつるしています。紙本来の風合いを持ち、やさしい手触りで、コンセプトはその名の通り「気持ちを包む紙」。
この本は、幼稚園ってどんなところだろう?というギモンを解消してくれたり、子育てに関する悩みや不安を和らげてくれる本なので、あたたかみのある紙を使いたかったのです。

ところで最近のポットでは、並製本に見返しをつけないことが多くなりました。
見返しは、表紙の内側に貼られる紙のことで、半分は表紙に貼られ、もう半分は「遊び」として独立しています。(のどから数ミリは、本文束に貼られて表紙と本文束をつなぐ役割を果たしている、であっているのかな…)
見返しには色紙が使われることが多く、本を補強するだけでなく、装飾する役割をもっています。

いまから数年前、この「見返し」がなくても本の強度に問題はないのではなかろうか。という説が有力になってきた頃に、見返しをつける/つけないという選択肢を持てるようになりました。(たしか沢辺さんに「見返しをつける理由を考えろ」と言われたことがきっかけだった)

見返しをつけない場合は、表紙の内側が丸裸になるので、ポットではそこに印刷をして装飾することが多い。
今回は表紙の外側(表1から表4)はは真っ黄色に、内側(表2から表3)は真っ青にしたいので、それぞれブルーナカラーのような特色インキで刷ってもらう計画です。

話は戻って、気包紙Uに刷った表紙の色校正紙を見てみたところ、青色の塗りにムラがありました。
紙の表面がぼこぼこしているためにムラが出たのだと思います。
(黄色は色味が薄いのでムラがほとんど見えない)

私は「インキを盛ってなるべく色ムラを軽減させてください」と指示を入れたものの、なんだか違和感が残る。
そして小久保さんにチェックしてもらったところ…
「この色ムラも、テクスチャみたいで良いじゃない。この色ムラを活かすのもアリだよ」という言葉。
そうか! かすれやズレやムラ、自分の予想外の現象も楽しむ!
ふだんデスクトップで文字を入力したり色を塗ったり描いたりしていると、忘れがちなこの姿勢と感覚。

桑沢に通っていたとき、印刷実習の先生がシルクスクリーン工房をやっていたので何度かシルクスクリーンを体験させてもらったことがありました。木枠に糸を張って作った布のような版の絹目にインキを乗せ、スキージというゴムの道具でインキを押し通して印刷物に色を乗せるので、インキが滲んだり、かすれたり、乗りすぎたり、ずれたりと仕上がりには失敗がつきもの。版がうまく作れたかどうか、インキの量は適切かどうか、スキージの押し引きの力加減、版を印刷物から離すときなど、とにかく加減がむずかしいのです。

はじめてシルクスクリーンでTシャツに印刷したとき、案の定うまくはいかず、インキが刷りたいところからはみ出て滲んでしまいました。 先生は、それを見て「失敗もたのしむんだよ〜」と言って筆でぴゅっぴゅっと書き足して模様にしてしまいました。

小久保さんの言葉に思い出されました。先生がおっしゃっていた、「失敗もたのしむ」。
今回でいう失敗とは、紙の性質によってインキの乗り方、発色の仕方が違うことによる刷り上がりを想像しきれなかったこと。もちろん失敗したらまずいこともありますが、“この種の”失敗はたのしんでなんぼ。
「インキを盛ってなるべく色ムラを軽減させてください」という指示を消した私は、満足したのでした。

愛と諦め

先日、近所で育ててくれたばあちゃん(祖母)が亡くなりました。
大原家にとってばあちゃんはスーパーマンであり、アイドルであり、クイーンであったので、
みんなしょんぼりしています。しょんぼりしすぎたせいか、実家の家族は全員インフルエンザに感染したそうです。

ばあちゃんの遺影になりそうな写真を家族で探していたとき、写真の力の凄さにびっくりしました。
35mmフィルムで撮り、L判に引き伸ばした「スナップ写真」と、写真館で撮る「家族の肖像写真」。
どちらも凄い。もの凄い記録媒体だよ!!!!!
肝心なのは「プリント」にして残すことなんじゃないかと思いました。
私も家族が出来たら(友人もいいな…)写真館で4×5の大判フィルムで撮ってもらおうと心に決めました。凄いから。

スナップ写真ひとつとっても、写真に対する気合いが違うんですよ。昭和は。
それにつけても、こんなにも、抱いて、肩を寄せ、手を握り、微笑んでもらっていたのかと驚きました。

老人が一人死ぬと、図書館がひとつ無くなることと同じ、と聞いた事がありますが、
図書館というより1つの物語が終わったんだなぁと思いました。
それは私の中でも同じことが起きていて、
生まれた時からその腕に抱かれて、幼少期は手を握ってあちこち連れていってもらい、日常の世話をしてもらい、
思春期には「ちょっとくちうるさいなぁ」なんて思うこともありつつ、実家を出てからはめっきり疎遠になり…と、
ごくごく普通の物語が一気に加速して幕を閉じてしまいました。

我が家では、毎週日曜日はみんなでばあちゃんちに行くのです。
みんなでお昼ご飯を食べて、大相撲、笑点、ちびまる子ちゃん、サザエさんを見て、帰るのです。
じいちゃんが生きていた頃はみんなで競馬もしました。
今頃になって、たくさんたくさんのことが思い出されます。
今頃になって、たくさんたくさんの後悔が、私の体を包みます。

私もいつか「ばあちゃん」になったら、孫たちをかわいがりたい。
もし子どもや孫がいなかったら、 何か育てたいなぁ…。