投稿者「藤井 崇雅」のアーカイブ

本にかける情熱。

●本日のお仕事
○ブログ更新
○新刊の校正
○発送作業(直販個人)
○人間学アカデミーアンケートのデータ入力
○雑務(メールチェック、買い出し、ゴミ捨て等)

今日はなぜかすごく疲れていて、体調も悪くて、朝から大変だった。やる気がまったく起きないのだ。ここに来て、朝から晩まで会社に残って仕事に熱を上げる方に沢山出会った。会社で寝泊まりをしてまで仕事を仕上げていくなんて、本当にこの仕事が好きじゃないとできないことだ。皆の仕事に対する情熱に敬服。一生懸命で、仕事もばりばりこなせて、見ているだけでかっこいい。

本を売ることがどれだけ難しいか。

IMG_6d9397.jpg●本日のお仕事
○販促@新宿二丁目

愛してやまないadvocates cafeで一年ぶりに会った友人と、我がポットの宣伝部隊が現れるのを待っていた。今日は新宿二丁目で新しく創刊した雑誌、クィア・ジャパン・リターンズ Vol.0(QJr)の販促キャンペーンがあったのだ。advocatesは仲通りが見渡せる場所にあるのでこういう時にとても便利。夕方から美味しいお酒と懐かしい友人に酔わされて、とても素敵な気分だった。七時を少しまわった頃、お揃いのオレンジ色のTシャツに身を包んだ部隊が颯爽と現れ、僕も友人と別れそこへ向かった。QJrの表紙にも登場している溝口さんの写真入りのTシャツはとてもいい出来で、僕もそれに着替えて部隊に加わった。宣伝隊はとても豪華なメンバーだった。ドラァグクイーンとして有名なエスムラルダさんや美しい文章をいくつも創られてきた伏見憲明さん、そしてQJrでもその才能を余すところなく発揮しているフォトグラファーの森栄喜さんなど。そして表紙の溝口さん自身もそこにいらして、レインボーワールド前はいつもに増して華やかな空気が漂っていたのだった。(溝口さん、慌ただしい中で満足に挨拶もできず、ごめんなさい。QJrの写真とても素敵です。)

派手な格好のドラァグクイーン達が次々とタクシーで乗りつけ、オープンバーから溢れた人々が道を埋め尽くしはじめる。闇が濃くなっていくのに反比例して、ますます明るくにぎやかになっていくようだ。町全体が、まるでパーティーのような幸福なにぎわいになってきて、宣伝部隊のかけ声にも熱が入った。この新宿界隈で今一番ハッピーな四つ角の人ごみと雰囲気にぼーっとしていると、伏見さんが「本を売るのがどれだけ大変かその目でちゃんと見ておきなさい」とおっしゃられハッとした。「誰も本なんて買わないんだから」っと言った伏見さんが、買ってくださる方がいるたびに真っ先にお礼の言葉をかけている様子を見て表現者として大切な姿勢のひとつを教えられた気がした。いつもそこに読者がいるということ。その一冊を選んで、お金を出して買ってくださる人がいるということ。その厳しさを知らなかった僕は、まだまだ修行が足りない。キャンペーンは深夜まで続いたが、今回参加させていただいて本当に楽しかった。

ビデオの情報やメッセージ投稿などもない、ゲイ雑誌としてはとても新しいQJr。読み物がとても味があって、僕は大好きだ。ゲイのひとつひとつの人生に焦点をあてた、とても人間くさい、味のある、そしてクールな雑誌である。ひとりひとりのライターたちからのメッセージ性が高く、思わず自分の人生について考えてしまうこの新しさをぜひ多くの人が読んで感じていただけたらと思う。

QJrに興味を持っていただきキャンペーンに立ち寄ってくださった皆さん、この思いの詰まった雑誌を買ってくださった沢山の皆さん、キャンペーンの場にいた素敵な宣伝部隊の皆さん、本当にありがとうございました。

僕の未熟

a017.jpg沢辺さんに僕の文章について意見をいただいた。もっと具体的に結論をはっきり書け、と。美しい文章で自分の無知を隠すな、と。タイトルは何なのか。何が言いたくて書いているのか。沢辺さんは、自分の今の考えがどんなに子供っぽかろうとそれをさらけだして、そこにくる批判や意見にたちむかわなければならない、と言った。僕の未熟を正面から指摘された。認めたくないけれど、僕のどこか強がっていて自分を美化しようとしていた姿勢もちゃんと沢辺さんには見えていたのだと思う。文章にするということは読み手がいるわけで、沢辺さんは「他人に理解されるために書くのだ」というようなことを言っていたけれど、僕にはそれがあまりよくわからなかった。自分にとって、今まで文章は自分のためだけのものだった。そして、これからもそういうものであり続けるはずだった。自分を映し出すリアル。誰のためでもない、誰に認められるでもない自分だけの空間。主観だけの空間。文章は、僕だけの、僕だけが書ける、僕だけが理解できるものだと思っていた。どんな精神的オナニー日記でも文章が美しければ読者はついてくると思っていた。でも僕はそれが永遠に続くものではない、ということを心のどこかでわかっていたのかもしれない。「読者を意識して書いていると自分の文が媚びているようになって自分らしい文ではなくなってしまうんです」と言うと、媚びるか媚びないかを気にして発表できない文章など中身の薄い文章だ、と返された。本当に死ぬほど伝えたいことだったら、文体のくささやうるささなど気にならないというわけだ。まずはそれを発表したい、伝えたい、という思いが先だということだ。思えば、最近誰かに何かを伝えたくて文章を書くということが全くなかった。物書きそのものを愛しすぎて、物書きそのものがあまりに日常的なことになりすぎて、文章の本来の意義というものを見失ってしまったのかもしれなかった。僕は、文章に記すために日々の行動を変化させることすらあるのだ。文学的好奇心が人生のファーストプライオリティー。何よりも文の美しさと自分の理想を一番に優先してしまったことからきた矛盾だった。今まで書いてきた文章を思い起こすと、僕が本当に伝えたくて書いた、魂の叫びとも言うべき記事たちは、文の美しさなどまったく意識せずに書いていたのに常に多くの共感と高い評価を得てきた。沢辺さんに、19歳だからしょうがない、と言われ滅茶苦茶悔しかった。年齢で中身を判断されるのは大嫌いなのだ。子供みたいな大人だって、この世にごまんといる。大人みたいな子供が沢山いると同じように。年をとっていればとっているほど、世の中がきちんと見えるというわけではないと思う。きっと沢辺さんをうならせる文章を書いてやろう、と思った。沢辺さんに言われて、自分の文章について今までまったく見えていなかった改善策が少しだけわかった気がした。

東京人、社会人、自由人。

adfc.jpg●本日のお仕事
○ブログの更新
○ポットが作った他社雑誌の特集の校正(誤字・脱字はないか)
○人間学アカデミー第五期パンフレット作成の為、講師の方の情報収集
○校正(つけあわせ)の続き
○ゴミ捨て等雑用
○個人情報保護法の勉強会に参加

ビルの谷間をぬって走る電車。ものすごい人ごみ。恐ろしいほど狭い道路。英語と全く類似性を見いだせない日本語。アメリカの大学で「いつもドレスアップしている」と言われていたのが嘘のよう。みんながあまりにもお洒落でモデルみたいな格好なので気後れしてしまった。東京に戻ってきた日から毎日が驚きの連続だった。最初の一週間は、日本語を話そうとするとずっと使っていなかった脳の部分を使っているからかすぐに疲れてしまったし、会話や人ごみも怖くてたまらなかった。本当に最初は、ずっと居心地のいい場所(すなわち自分の大学)に帰りたくてたまらなかったし、東京の人ごみの中で自分が異質な存在に思えて仕方がなかった。ここは僕のいるべき場所ではない、とずっと頭のどこかで誰かがささやいているみたいだった。東京で生まれ育ったというのに。

今週は僕の東京での二週間目だ。やっとポットでの毎日、そして日本での毎日にも慣れ始めた。そして、新たに、少しずつではあるが、心のよりどころとできるものや愛着のわくものができ始めた。僕は大学でPublic Relations(広報)とInternational Studies(国際学)を二重専攻しているのだが、東京のPRの面白さには感激してしまった。ポットに来る時、僕は毎日山手線を使っている。山手線の広告は、毎日楽しみなもののひとつになった。NYやカリフォルニア、ましてや僕の住んでいたクリーブランドの電車ではあり得ない大々的な宣伝方法。電車の外側から内側までひとつの企業のPR一色だったりすると、もうわくわくしてたまらなくなってしまう。効果的な色使い、印象に残るデザイン、かわいらしい企業のロゴマーク。クリーブランドの生活に比べて、一日に目にする広告の数は本当に驚くべき数である。次に、表参道の新緑。原宿駅からポットに行くには竹下通りを通った方が早いのだが、僕の足ははやはり表参道に向いてしまう。僕の頭上をすっかり覆い隠してしまう鮮やかな新緑。どこまでも続く並木道に毎日とても癒される。そして路地裏までかわいいお店がずらりと並んでいて、歩いているだけで幸せな気分になる。最後は人々だ。東京の人たちはとても面白い。みんなかわいい格好をしていて、毎日電車に乗ってくる人々の洋服や髪型をみるだけでもすごく楽しい。そして、イケメンが多い(!)。髪はぼさぼさ、スエットパンツにTシャツ一枚というださださアメリカン学生たちに囲まれて過ごしていた僕には、もう東京人の大半がすごくかっこよく思えてしまう。毎日、外に出るのがルンルンだ。

さて、今日ははじめて雑誌の原稿の校正をした。いつも書店で見るいかにも雑誌という紙面が一枚一枚の紙として自分の手元にあるのは不思議な感じだった。書籍には出版社によっても独自の校正ルールもあるという。例えば、A社では「できる」はすべて「出来る」と漢字で表記することが定められている。B社ではもし一行のはじめに「〜によって」の「っ」(いわゆる、小さい『つ』)がきた場合それを前の行の「よ」の下につけるが、C社ではそのまま次の行に送ってしまうなどのルールがある。雑誌と書籍の校正をそれぞれやってみて、原稿というのは意外と間違いが多いものなのだな、と思った。僕のような素人では何の間違いも発見できないのではないか、と思っていたが、一行まるまる抜けている段落があったり統一されていない表現があったりでひとつの特集や一章分ともなるとかなりの量になる。

そして夕方、青弓社で開かれた「個人情報保護法」の勉強会に参加させていただいた。講師の方は個人情報に誰が責任を持つのか、個人情報保護法を業界的に見るとどうなるのか、などを中心にその概要についてわかりやすく話してくださった。個人情報保護法など学生の身分ではあまりきちんと意識したこともなかったが、企業としてはやはり具体的に対策をならねばならず法律がどれだけ実社会に影響を与えているかということを目の当たりにした。あまり意識することのなかった社会と行政のつながり。講師の方は、個人情報保護法は個人情報の自己コントロール権を認めようとするものだ、とおっしゃっていた。それは「一旦業者に提供した個人情報でも、引き続き自分の資産のように管理できる権利」なのだそうだ。個人情報を利用することが容易になってきた社会環境の中でプライバシーという概念では十分でなくなってきたためにこの法律ができたという。彼が「仮に使い道のない情報を持っているとそれについての責任も持っていることになるので、負債になってしまう可能性さえある」と言っていたのが面白かった。出版社における複雑な事例もお話しくださり、すごく有意義な勉強会であった。

うーん、会社の生活って面白い。

●実習生の教科書
沢辺さん、大庭さんが、「実習生としてこれだけは知っておくべき!」と熱く推薦してくださった本たちです。出版業界に興味のある方は読んでみると面白いかもしれません。ちなみに、藤井も行き帰りの電車の中で少しずつ読み進めています。

これを読まずして、編集を語ることなかれ。/松田 哲夫 著/径書房
決定版 ルポライター事始/竹中 労 著/筑摩書房
編集者の著作権基礎知識/豊田 きいち 著/日本エディタースクール出版部
出版幻想論/藤脇 邦夫 著/太田出版

はじめてのおつかいとお誕生日会

bb2a.jpg●本日のお仕事

○ブログの更新
○校正(つけあわせ)
○QJrを頼んでくださったお客様(直販個人)への発送
○おつかい(お誕生日ケーキ)
○海外からQJrに寄稿していただいた方へQJrを発送
○ポット内にお客様様(直販個人用)の書籍がどれだけ残っているか記録
○記録をもとに人気度や在庫、発送料金などを考慮し、ポットが委託している倉庫にFAXで発注
○食器洗い、ゴミ捨てなどの雑用

ポットに来て面白いな、と思ったことがある。それは、ポットが他の出版社と密接に関係し合っている、ということだ。僕は、各出版社がその出版社の本すべてにかわっているのだ、と思っていた。例えばA出版社(以下A)の本は、Aの編集者が編集し、Aのデザイナーがデザインし、Aの営業の方が営業するのだ、という風に。しかし、それは変わりつつあるのだという。最近では、企画から編集まで他の出版社に任せてしまう出版社も増え始めているそうだ。ポットには、印刷をのぞいて全ての行程を自社で行う出版部門と他社から委託をうけて編集やデザインだけを行う編集・プロダクション部門がある。ポットの社内で仕事をしていると電話口で他の出版社名を聞くこともよくあるし、社内には「ポットが関わったけれどポットからは出ていない本」というのが結構おいてある。今、ある本の校正をしているのだけれど、もしその仕事が終わって書店で自分の校正した本を見つけたら嬉しいだろうな、と思う。僕がもしここで社員として働いていたとしたら、きっとそれが一番嬉しい瞬間だと思う。自分の関わったひとつの「作品」がこの世界の誰かに届いている、という実感。みんなは何をモチベーションに毎日書籍と接しているのだろう。今度、ぜひみんなに聞いてみよう、と思った。

さて、この校正というのはかなり地道で根気のいる作業である。一字一字指で確認しながら膨大な量のページをめくっていく。校正にも沢山の種類があり、語彙の誤りを直すものから、実際にその出来事の真偽をチェックするfact checkまで色々なのだそうだ。僕は「つけあわせ」と呼ばれるひとつひとつの文字が百パーセント同じかどうかチェックする校正の仕事をいただいた。最近では原稿がテキストデータとして持ち込まれることが多いため、この手の校正はあまりないのだそうだ。今回、他の出版社で出され絶版になってしまった本をポットから出すことになった。しかし、テキストデータがないため、ポットが以前の本から一字一字コンピューターに入力し直さなければならなかった。そこで、本の内容を担当者が入力していくわけだが、やはりどうしてもそこで写し間違いがおこってしまう。その間違いを一字一句正していくのが、この「つけあわせ」という校正なのである。以前、ある出版社の編集の方が「編集というのは華やかなイメージとは裏腹に地味で地道な作業の連続ですよ」と言っていたのを思い出した。

今日は社員のひとりである佐藤さんが誕生日だったので、原宿のDECAFEさんにケーキを買いに行ってきた。会社のおつかいなどはじめてなので、子供のようにはしゃいでわくわくしてしまった。バースデーケーキはとてつもなく大きく、手に抱えると顔はおろか上半身全部がすっぽり隠れてしまう。かわいい会議室に椅子を並べ、14人という大所帯で佐藤さんのバースデーを祝った。大きくて美しい宝石のようないちごが並んだケーキはとても美味しくて、素敵なブレイクだった。改めまして、佐藤さん、お誕生日おめでとうございます!!

初日の憂い

dfec.jpg実は僕は以前のポットの実習生の日誌というやつを読んでいた。そこには、以前実習生だった彼が受けた数多くの叱咤叱責の様子がまざまざと書かれており、僕は「社会」というのはなんと恐ろしいものなのだろう、と本気でおびえた。出版について何の知識もない僕が突然入っていて平気なのだろうか。毎日失敗の連続でものすごい迷惑ばかりかけてしまうのではないだろうか。小心者の僕は、実は実習の前日ポットに下見にまで来ていた。表参道のお洒落でにぎやかな人ごみを抜け、ポットまでてくてくと歩いた。ポットは小さな路地裏の建物の中に入っている。第一印象は「か、かわいい…」 粋な建物と場所に、わくわくするのを感じた。

初日、緊張しながらポットのドアをあけるとすでに皆働いているようだった。「会議室」という名とはほど遠いあたたかなリビングのような空間でしばし待たされている間、僕はこの出版社の風景に驚いていた。僕は高校生の頃自分の原稿をいろいろな出版社に持ち込んだことがあったので、出版社のイメージというものをある程度持っていた。しかし、ポットは今までみたどの出版社とも違っていた。床も棚も木張りで小洒落ていて、まるでどこかの山小屋か小さなアパートの一部屋のように温かかった。これまでまわった出版社は、どれも決まって大きなビルの中にあり、空気が黄ばんでいるか無機質な白さと蛍光灯に囲まれているかのどちらかだった。ガラスと緑と木のあたたかさが混じりあい、その中で終始パソコンや原稿とにらめっこしている編集者やデザイン担当の方達。

僕が社長を待っている間、「会議室」の床に布団をしきすやすや眠っていたデザイン担当の方がようやく起き上がった。彼女は寝ぼけ眼で頭をぽりぽりかきながら洗面所へ向かっていく。周りのどの灰皿にも吸い殻があふれ、室内にはタバコのにおいが充満していた。これぞ、編集の世界。これぞ出版社、という感じであった。テレビドラマ「いつもふたりで」に出てきた出版社を思い出した。よく周りを見てみると、ここには宿泊グッズ一式がそろっている。布団もあれば、棚につまれたカレーやカップ麺まであった。もちろん、お風呂もシャワーもある。また他の出版社と違う印象を受けたのは皆が私服で来社していること、そして社内の99%のパソコンがマックだということだ。ポットはデザイン業からはじまったためにデザイン系に強いマックを多く使っているのだそうだ。

会議室には大きな本棚があった。本棚に並ぶ様々な本づくりに関する書籍と真剣にパソコンに向かっている社員さんたちを見て、彼らはこんな熱意と真剣さで日本語の将来、書籍と言う極めて伝統的かつ面白いメディアと向き合っているのだと感じた。そして、この世界を目の前にしている自分にとてもわくわくしてしまった。自己紹介、個人情報漏洩などに関する大原則についての注意、会社内ネットワークの使い方、倉庫への在庫の返送、伝票の打ち出し、雑誌に寄稿してくれた方への新刊の送付準備、社内ブログの使い方…。沢山のことを教わり、やってみて、勤務が終わる頃には僕はへとへとになっていた。ここで働いている皆は、こんな風にして毎日働いているなんて本当にすごい。十時間にも及んだ初日の実習。外国語のように聞こえる出版用語の数々。わき起こる真剣そのものの議論。ウイットに富みみんなのことを常にきにかけてくださっていた社長である沢辺さん。沢山のことが印象に残って、これ以上頭に入れられそうになかった。そして、大庭さんという頼もしい素敵な方に僕の面倒をみていただけることになった。とても新鮮で、とても濃い一日だった。

まえがき

73b9.jpgはじめまして。五月十六日からここポット出版で実習生をはじめた藤井崇雅(ふじいたかまさ)です。ポットには日高さんというコンピューターのプロフェッショナルの方がいて、彼が僕のためにこの実習生日誌を作ってくださいました。実習生日誌をクリックしてここにたどりついてきた方の中には、きっと出版業界に興味を持たれている方や、僕と同い年ぐらいでどんな仕事が向いているのか迷っている方も少なからずいらっしゃると思います。僕は出版の知識はゼロです。文字通り、本当に何も知りません。ただ本を読むのが好きで、文章を書くのが好きで、それに一番近い場所である出版社に興味を持ってポットの門をたたきました。そんな僕が飛び込んだ出版業界の片隅から、印象的だった出来事や新鮮な日々の出来事をここでお伝えできたらと思います。僕と同じように出版に興味を持っている方々が、出版社の日常をこの場所を通して少しでも感じていただけたら幸いです。

はじめに僕がどんな人間で、どんな風にしてポットにやってきたのか、ということについて簡単に記しておきたいと思います。僕は今年19歳になったアメリカの大学の学生です。専攻を一つにしぼれなかったことや他の価値観にどっぷりつかり自分を客観視してみたかったことなどから、幅広いリベラルアーツ教育を提供する今の大学を選びました。高校を卒業してから半年間、あるテーマパークで準社員として働き、その後渡米しました。今月、やっと僕の米国での一年目が終わり、夏期休暇にあわせて東京に戻ってきたところです。逆カルチャーショックの対処をする暇もないまま、この実習に突入し今これを書いています。

そう遠くない将来待ち受けている就職。自分は一年生とはいえ、それはもう三年後に迫っているのです。こんなに早く大人になっていくとは想像もしていませんでした。大学の図書館から戻り一杯のコーヒーで一息つく深夜、気がつくとGoogleの検索ボックスに「就職」だとか「仕事」だとかいうキーワードを打ち込んでいる自分がいます。掲示板のあふれる情報の中でひとつだけ明らかだったのは、大学への受験戦争と同様の厳しい日本の就職活動の現実でした。焦ってしまい、「バイリンガルの就職情報」や「みんなの就職掲示板」などを狂ったように読み進めてみるものの、そう簡単にやりたい仕事など見つかるはずもありません。結局、明け方近くになってようやくベッドに潜り込むのが前学期の僕の日常でした。今僕がここにいるのはそういった恐怖の現れです。「仕事」と聞いても、「出版」と聞いても、頭に何のイメージもわいてこない自分への挑戦です。

インターネットで、出版のインターンを探していたとき最初に見つかったのがポットの実習でした。自分の興味や会社の雰囲気などを考えて、一番面白い経験のできそうだったポットを選びました。

それでは皆様、もしよろしければこれから三ヶ月間、この日誌におつきあいくださいませ。何か質問やお叱りなどがありましたらぜひお願いいたします。