●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントへ出す再校、つけあわせ(すべての校正部分が反映されているか)
◯クライアントへ出す再校、素読み(誤字脱字はないか/事実確認)
◯クライアントへ出す再校、表記ルール確認(常用漢字以外はひらがなになっているか/クライアントの指定する表記ルールに従っているか)
◯ネット書店アンケート集計のデータ入力(帰ってきたアンケートをテキストデータに)
◯人間学アカデミー新パンフレット、つけあわせと事実確認
◯クライアントのDMにつけるおまけのアイディア出し
投稿者「藤井 崇雅」のアーカイブ
校了までの流れを学ぶ
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ、宅急便等雑務
◯マンガのネームテキスト入力
◯トンボでクライアントの新刊カバー候補を裁断
◯クライアントへ出す再校、赤箇所まとめ、書き加え
◯青弓社へお届けもの
再校出しの原稿を直に見る機会をいただいたので、その時佐藤部長に教えていただいた言葉やシステムをここにまとめて書き記しておきたいと思う。ポットがクライアントから請け負って様々な原稿を作成していることは以前にも書いた。その場合、やはりそのクライアントの意向とポットの制作チームの意向とを練りあわせて原稿を作っていかなければ双方に満足のいく作品に仕上がらない。そのため、ポットで作られた原稿が実際に発行されるまでには何度かそのクライアントのチェックが入る。ポットで一回目の校正をした原稿を初校といい、それをクライアントに見せることを「初校出し」と言う。また、その原稿にクライアントのチェックが入ってポットに戻ってくることを「初校戻り」と言う。佐藤さんが、僕にその戻ってきた原稿を見せてくれた。僕がはじめてライターをやらせていただいたあの記事である。あの時白黒で見たレイアウトが実際に形になっているのを見るのは感慨もひとしおである。会社によっては、初校のことを1校といい、そこから校正の数が増えるに従って1校、2校、3校…という風に呼んでいくのだそうだ。ポットでは、2校のことを再校、3校のことを念校と呼んでいて、このクライアントに関してはこの念校が最終チェックになるそうだ。だから、この原稿は仕上げまでに少なくとも三回チェックを受ける、ということである。念校の時にクライアントの赤が入らずに帰ってきた場合はこれ以上直す必要がないので、「校了(文字通り、校正が完了すること)」となる。もし念校で赤が入って戻ってきた場合に、クライアントがもう直したのを再度見せてこなくても大丈夫ですよ、と申し出てきた場合には、こちらで責任を持って校了とする「責了」となる。今まであまりそういう社内で飛び交う言葉に敏感ではなかったが、これ以外にも会社内の用語がわかってくる広い視点で制作の動きがわかって面白いと思った。
平凡な一日
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ、洗い物等雑務
◯著書リストのエクセルデータ作成(リストを作っている著者の著書の多さに圧倒。文をそんなに書くことができるネタの豊富さにびっくり。)
◯アンケートデータ入力
平和な一日。仕事もあまりなく、皆さんもなんだかスロー。電車の中で「暑い」を連発する学生の集団を見て、自分と世間の感覚のズレを再認識。寒がり(&夏大好き)な僕はこれくらいの暑さがちょうどいい。そのかわり、冬はこたつから出られない。あぁ、夏っていい。じっとしていられないほど、体中が夏に支配されてしまう。今日は暇をみつけてはイラストレーターをいじっていた。楽しい。
デザインの現場
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○印刷物をテキストデータに(やっと終了!!目がイタい…)
○ゴミ捨て等雑務
◯デザインチームの仕事を見学させていただく
やっと長かったテキスト入力から開放されたので、前から興味のあったデザインチームのお仕事を見学させていただいた。この仕事を愛する齊藤さんの後ろにスタンバイし、わかりやすい説明を聞きながらその仕事ぶりを本人に負けないくらいの熱心さで観察していた。デザイン系の二大ソフトと言えば、InDesignとクォークというものが広く使われているらしいが、ポットではイラストレーターなどを併用しながらInDesignをよく使っていた。デザイナーさんからの絵を原稿とともにどこに配置するか頭を抱える齊藤さん。愚痴をこぼしながらも本当に楽しそうに仕事をしていた。斉藤さんが軽々とキーボードをたたくと、画面に映っている記事のイメージががらりとその印象を変えた。その様子を見ていて僕は、一週間ごとにホームページのデザインをリニューアルしていた高校時代のことを思い出した。授業中もよくノートの余白に企業や学校のロゴを遊び半分にデザインしていたし、高校の卒業文集や大学の願書なども自分だけめちゃくちゃ凝ったデザインを使ってみんなを驚かせた。昔から僕はそういうことが楽しくてたまらない質の子供だったのだ。考えもしなかったことだが、今僕の目の前にはそんなことを仕事にしている人たちがいる。それはすごく新鮮で、飛び切り素敵なことに思えた。すごく失礼な言い方をすれば、「こんなことやってお金をもらえるなんていいなー」というのが率直な感想だった。ポットのデザインチームの方達は、デザインの学校に行った人からすべて独学でやってきた人まで様々だった。趣味程度でも構わないから、自分もこういったソフトの使い方を覚えたいと切望した。文章も書けて、編集もデザインも自分で出来たら、すごく素敵だもの。自分で一通り自分の表現を完成させることができるということは、とても楽しいと思う。
終わらない…
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○入稿直前!素読み(誤字・脱字チェック)!!
○DUCAFEへおつかい
○印刷物をテキストデータに(まだまだキーボードたたいています…。一体なぜ終わらないの?涙)
○国会図書館にISBNについての確認
○お茶入れ、ゴミ捨て等雑務
表現者からの教え
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○印刷物をテキストデータに(一日中パソコンの前にいたのにおわらない〜!!!!!!)
今日は延々とデータ入力。何が何でも今日中に終わらせてやると。朝から燃えていたし、現に全力を注いでキーを叩いたのだが、結局半分も終わらなかった。それでも、今日はとても嬉しい一日だった。佐藤さんに先日書いた原稿を褒められたのだ。ポットに来てから、仕事のことで褒められたのはこれが初めてだったと思う。しかも、これは僕が初めて書いた原稿なのである。プロのライターの原稿と僕のではやはり出来は全然違っているだろうから、佐藤さんの「結構やるじゃん」には「初めてにしては(結構やるじゃん)」という台詞が省略されていたはずである。それでも初めて自分のやったことが認められたようでとても嬉しかった。佐藤さんが良かった、と指摘した主要ポイントは、「言われていないのにデザインまで考えて原稿を書いたこと」と「原稿がきちんと前ページの文脈や雰囲気に沿って書かれていること」だった。デスクトップに光る佐藤さんの原稿を見ながら、こんな風な紙面が早くつくれるようになりたいと熱望した。
それだけでも素敵なのに。今日僕の幸運はこれだけでは終わらなかった。会議のためにポットを訪れた伏見さんが、貴重な時間をさいて僕に意見をくださったのだ。僕が昔伏見さん宛てにとても生意気なライター志望のメールを書いた時の反応も聞かせてくれて、僕の姿勢の普通じゃなさを改めて気づかされた。中学生のときから僕は他の出版社の方に対しても、失礼で迷惑千万かつ自信過剰な姿勢をとりつづけていたし、それが失礼だとはつゆほど思わなかったのだ。それでも、こんな社会常識も能力もない僕に、あんなに親身になってくださった伏見さんに泣きそうなくらい嬉しかった。僕はここに来るまで、発信者側の視点というものを全く持っていなかったのだと思う。この豊かな日本で生まれた時から色々なものに囲まれて育ったけれど、僕にはそれが占める位置だとか役割だとかがきちんと見えていなかったようだった。
自分は発信者を目指していたというのに、僕は社会を発信者の側から見たことがなかったことに気づいていた。最近、街を歩いているときも、電車に乗っているときも、本を読んでいるときも、常に自分の中にもうひとつの眼が開いているのを感じている。それはポットの皆様が、そして伏見さんが、僕に教えてくれたもう一つの眼である。表現する側になくてはならない、そして僕に足りなかったとても大切な視点である。僕が席を外した時、伏見さんが冗談めかして「早くいい表現者になって、僕をアシストしてよ」と言った。冗談でもすごく嬉しくて、今までにないほどやる気が出た。こんな見ず知らずの僕にたくさんの素敵なことを気づかせてくれたことが本当にありがたくて、夏の夜の帰り道もますます愛しく思えた。雨を予期して持ってきた黒い雨傘だけがうらめしそうに僕の右手に揺れている。風がとても良い夜だった。
艶やかな夜の宴
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○社内ネット上にファイルコピー
○新DM作成のため DMサイズ計算
○データ入力(印刷物をテキストデータに)
○お茶入れ、ゴミ捨て等雑務
さて、最近コーヒー中毒である。朝コーヒーを入れる役目を担ってからというもの、その魅力に取り付かれてしまった。ポットで使っているコーヒー豆は、僕が普段口にするようなのとは格が違うとてもいいやつなのだ。もう香りからして全然違う。朝、昨夜皆が残業した気配が残っているぐったりと気怠い朝のキッチン。そのぼんやりしたキッチンの戸棚を開けると、途端に煎ったコーヒー豆の香ばしい香りがふわりと流れ出すのだ。そしてあっという間にキッチンを満たしてしまい、僕は早くコーヒーをいれなくちゃ、と思ってしまう。今までカフェインの力を感じるほど体力の限界に近づいたことがなかったが、今はコーヒーの力がはっきりとわかる。飲むと全然違うのだ。肩から足先まで全身の疲れが麻痺してわからなくなってしまう感じになる。ポットのみんなが、コーヒーとタバコを浴びるようにいただいている理由がだんだんわかりはじめている。つまり、これくらいカフェイン(もしくは、ニコチン)とってないとやってらんねーよ、ということなのではないかと思う。あぁ、それにしても美味しい。外は雨がしとしと降っている。ふー。
夜は、お芝居を観に行かせていただいた。久しぶりに下北沢のノスタルジックな町並みに酔わされ、しとしとと落ちる雨もまた艶やかで、もう僕はすっかり嬉しくなってしまう。劇場に入ると、外の不思議でどこか懐かしい景色にまったく劣らない(むしろますます素敵な)セットが僕らを迎えてくれた。あまりにも素晴らしいので、佐藤部長も「見事なセットだねー」と感嘆の声をもらしていた。日本のお芝居を見るのが久しぶりだったこともあって、僕はその人情とユーモアにすっかり引きつけられてしまいうっとりしながらその小劇場を漂っていた。すごくいい夜だった。
初ライター業務
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ポット会議に出席
○原稿書き(初体験♥)
○書庫整理
○参考書でお勉強
○ブックフェア書籍を再検索
○直販個人発送
○ゴミ捨て等雑務
クライアントから請け負った書誌の原稿を書かせていただく機会にめぐまれた。子供の頃、自分も何度か読んだことのあったなじみ深い書誌。その原稿を僕が書くことになろうとは、まさに神のみぞ知るという感じである。さすがに佐藤さんが先に書いた記事は、写真や図表などのレイアウトといい文字のデザインといいまさにプロフェッショナル。文章もわかりやすく、何より読みやすい。せっかく佐藤さんが実習生の経験値のために任せてくださった仕事、下手なマネはできない。それに、これこそ編集者として自分が最もやりたかったことなのだ。物を書く!!!ということ。しかし、なにしろ初めてなので佐藤さんにさらっと説明された状況から実際に書き出していくのは大変だった。日記を書くのとはわけが違う。何かをお金を払っている特定の顧客に伝える為に書くのだ。まず、その内容を把握するため資料を読み始めるのだが、僕のまったく興味も知識もない分野である為何度読んでもわからない部分がところどころにあった。インターネットや百科事典、教科書などを総動員して理解に努め、ようやく書き始める。どうしたら読者層にとってわかりやすいか、鈍い頭をフル回転させて書いた。とても楽しかったのだが終わった頃にはへとへとに疲れてしまい、こんなことを毎日何ページもやっているポットの方達の凄さに改めて感動してしまった。
目に飛び込んでくるひとつひとつのもの
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○アンケート送付の為、宛名書き
○人間学アカデミーパンフレット原稿、つけあわせ
○人間学アカデミーパンフレット原稿、校正
○人間学アカデミーパンフレット原稿、事実確認
○昨年度人間学アカデミーパンフレット、残数把握
○レインボーブックフェアの書籍案をまとめる
○ゴミ捨て等雑務
人間学アカデミーのパンフレットを今日印刷所へ入稿する、ということで朝からはりきってパンフレットとにらめっこしていた。僕の役目は、印刷所に出せる状態にする為に今年度のパンフレットの内容に不備がないか確認することである。いつも思うのだが、ポットのチラシや本というのはセンスがある。特に文字が多い出版物の字体や字の配置など、とてもシンプルで(それでも、ちゃんとすぐにそれと判るポットらしい特徴を持っていて)惚れ惚れしてしまう。パンフレットの中の講師プロフィールや著書の部分は以前に僕が調べていたものだったのでよくわかったのだが、ひとつパンフレットを刷り上げるだけでもデザインから校正までとてつもない時間のかかるものなのだな、と思った。今日だって、講師の方にあらかじめ確認をとった内容とつけあわせをして、誤字脱字を一字一句拾っていて、著書のデータなどを大元から確認していって……ということをやっていたらあっという間に三・四時間たってしまった。最近、そういうことをよく想う。電車の中や街中にすまして何の気なしに座っている広告もいきなりパッと現れるわけではなく、僕と同じような人間が丁寧にアイディアを温めて時間を費やして作っているのだ。当たり前のことなのに、僕は高速で変化していくこの東京でそういうもののひとつひとつを意識して見たことがなかったことに気づいた。
今日は日高さんが信州でおそばを買ってきてくれたのでみんなで食べた。キッチンでどんどんゆで上がるそばを見ながら、まるで大家族だ、と思った。会議室でそばと天ぷらを囲んで食べる昼食はとても満ち足りていてとっても満腹だった。
勉強の世紀
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○目録のためのデータ入力(お昼前におわった!!やったー!!)
○キャプチャ
○あんふぁん校正
○版元.com集会の為の書類準備(コピー、コピー、コピー!!)
○ゴミ捨て等雑務
沢辺さんが三好さんとともに僕を食事に誘ってくれた。80年代の素敵な音楽が流れる定食屋さんに入った。沢辺さんは「藤井が今のポットでまかされている仕事だけで、出版社ってこういうものなんだと思い込んでしまうのが一番怖い」と言った。僕が見ているのは氷山の一角にすぎない。僕がもしお金を払って雇われている身だとしたらみんなの態度も違っていたはずだ、と沢辺さんは言った。沢辺さんが指摘したのは、僕のポット社内での位置である。社会科見学的な感覚が抜けないのである。沢辺さんは、もし就職直前の学生が来たらもっと口うるさく色々なことを指摘するだろう、と言った。社会に出て実際に働くのが目前だからである。「じゃあ、これからは僕にももっとちゃんと言ってください」と言った僕はまったくもって無神経である。沢辺さんは「そこがお前の甘いところなんだよ」と答えた。会社は学校ではない。僕は心のどこかで、新人は教えられて当たり前、部下がうまくやれなかったら上司の責任、だと思っていた。(少なくとも、自分が上司だったらそういう風な姿勢でいたい、と思っていたし、教え方には自信があった。) そして、以前勤務していた会社と違い明確な目標やコンセプトが共有されていないことを疑問にすら思っていた。
勉強することは良いことだ、とされるこの世の中。面接で「ここで勉強させてください」と自信たっぷりに言ってくるような志願者には「じゃあ学費を払ってください」と返す、と言った沢辺さんの台詞が印象に残った。会社は勉強する場所である以前に働く場所だ。「本を読んで勉強していると、そんなことやっていないで仕事をしなさい、と言われる時代があった」と言った沢辺さん。常に教わる側であった僕は、教える側の負担や努力がまったくみえていなかった。体系づけられた教育システムの中で育ち、以前の勤務先にもあまりに整理されたシステムとマニュアルがあった。僕は、知らないことは教えられるのが当たり前で、会社というのはそういうことを一からしてくれるものだ、と思い込んでいたのだ。ポットのやり方は、僕にはもう想像の範疇外というか、ひたすら新しかった。自分から学んでいくこと、自分から仕事を見つけてモノにしていくということ。そうしなければ、いつまでたってもこの会社の一員になることはできない。自分で答えを見つけなければ、いつまでたっても窓際の座席に座った「ゲスト」でしかない。会社の方向をきちんとわかっていれば、自分が何をどうするべきなのかわかるはずなのだ。もっと自分からこの仕事に真摯に取り組んでいかなければならない、と思った。そして、言葉では指摘されない自分のミスにももっと敏感にならなくてはいけない、と感じた。
とてもありがたい愛のムチであった。今日正面から言われなかったら、きっといつまでたっても気がつかなかった。こんな自分に対して「入った時に比べたらすごく変わった」と言ってくれた三好さんの言葉がすごく嬉しかった。甘ったれな自分に、さよならしたい。こんなに親身になってくれる二人に、はじめてポットの一員としての意識が芽生えた瞬間だった。