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学生インターンふたりの2週間

8月20日(月)ポットに学生インターンが2人やってきた。専修大学の3年生Tくんと廣井くん。
二人とも長身で、掃除のときに天井にあるクーラーの蓋を椅子なしでラクラクにはずしたときには「つかえるやっちゃ〜」とほれぼれ。
今日までの2週間、10時〜17時まで私たちと一緒に机を並べ、一生懸命耳を傾け、まじめに取り組んでくれた。
そんな二人のインターンシップ体験記。猛暑のなか毎日お疲れさまでした![那須ゆかり]

●会社訪問記
文学部 人文・ジャーナリズム学科 3年  S.T.
 
 専修大学の火曜一限にインターンシップという講義がある。これは文学部、人文・人文ジャーナリズム学科の3.4年生のみが履修出来る専門科目だ。この学部学科の三年生である私は、この科目を履修して、夏期休暇期間にポット出版さまへ二週間の会社訪問をすることを決めた。
 放送・新聞・出版業界と様々な選択肢があった中、私は兼ねてからその実態が気になっていた出版業界を選んだ。その中でポット出版さまは募集人数2名だったのにもかかわらず、応募が6、7名いたので、選考が行われた。その方法というのが作文や面接ではなく、ジャンケンであったため、自信のなかった私でも何とかその当選者として名を連ねることが出来た。
 講義内で配布された資料には、会社ごとに簡単な紹介文が書いてあった。ポット出版については「本の企画、編集、デザイン、流通、etc……本のすべてがわかる」といったような紹介文が書かれており、「すべてがわかるならここしかない」と、それが決め手となった。しかし、自分で調べても教授に聞いても、会社が原宿にあり、犬がいて、多種多様な本を出版しているということ以外ほとんど分からないまま、8月20日のインターンシップ初日を迎えることになった。
 事前に那須さんに、メールでお尋ねして、分かっていたことは「10時に、普段通りの格好で、最低限の筆記用具を持って」会社へ行くこと。その言葉だけとってみると、大学の一限へ行くよりも気軽であるはずだった。しかし、初めてのインターンシップに私はひどく緊張していた。一緒にインターンシップへ行く廣井君と、炎天下、駅から会社へ歩く途中、私は寒気すら感じていた。
 オートロック式の黄色を基調とした、吹き抜けのあるデザインマンションの303号室に、ポット出版はあった。中に入ると那須さんと佐藤さんと犬2匹が迎えてくださった。挨拶をした後、デザイン・編集・出版部に分かれて仕事をしていることを教えて下さった。次に、大田さんに社内のどこに何があるかということと、ゴミの出し方を教えていただくと、早速はじめの仕事をいただいた。エクセルを使って番線印の情報を入力していく作業。私と廣井君は、背中合わせで1人ずつ仕事机を貸していただき、心の準備も整わぬまま初仕事にとりかかった。左の席でセンスのよい音楽をかけながら、煙草を吸いつつ颯爽と仕事をこなしていく上野さんを見て、圧倒されながら私は「本当に出版社に来たんだ」ということを実感していた。そして私は、社員の方々の話を聞き逃さないようにしたり、メモをとったりすることに必死で、緊張している場合ではなくなっていた。

 そうこうしているうちに2週間。土日をのぞいて10日間。いつの間にか私の会社訪問は最終日を迎えていた。その中で私は、今まで知らなかった出版・本のことを多く知る事が出来た。それは例えば、注文販売と委託販売の違いや今までほとんど気にもとめていなかった書誌データのこと、社長の沢辺さんから講義していただいた著作権のことなど数えきれない。私がこのようなことを知ることが出来たのは、会社の方々が私の稚拙な質問に懇切丁寧に分かりやすく答えてくださったり、会議や話し合いを見学させてくださったりしたからだ。
 「出版業界のことを知ってみたい」という好奇心を第一の理由に講義を履修した私にとって、出版・本のことを多く知ることが出来たこのインターンは、本当に充実したものになった。ただ、私はその出版業界のこと以上に、【人が一つの場に集まり仕事をする】ということにおいて大切なことを、この会社では教えていただけたと感じている。それは仲間への気遣いであったり、礼儀であったり、まず自分で考えて行動するということだったりと様々だ。これらのことは直接アドバイスしていただいたものもあるが、私が個人的に肌で感じたものも多々ある。
 ポット出版さまは、服装や喫煙、ツイッターなど自由・自己責任な部分が多い。しかし私が思ったのは職場然としたピンと張りつめた空気が途切れることがないということだった。息苦しいとか全員が黙って仕事をしているとかそういう訳ではない。どこかで談笑がはじまってもそのまま話し続けているということはなく、社員の皆さんはすっと仕事モードに切り替えることが出来るのだ。また、何方かが別の何方かをただ怒鳴るというふうな光景は一度もなく、その個別のことがらをよりよくするにはどうしたらいいかということを分かりやすく指摘・説明されているのが印象的だった。

 仕事をする上でというよりもむしろ、社会に出て様々な人々とコミュニケーションをとっていく上で重要なこと、と言った方がいいだろうか。このインターンでは、そのようなことも学べたと思っている。そう思えた理由に、特に印象的だった二つの出来事がある。ひとつは、上野さんが私と廣井君が作ったメールを確認してくださった時、「自分がどう見られているか、どうしたら丁寧(にみえる)か考えて行動するといいよ」という話をしてくださったこと。そしてもうひとつは廣井君が沢辺さんへインタビューをした時、自分の弱点を見つけ、見つめ、カバーをするとよい、という趣旨のことを話して下さったことだ。それらは全く自分では思いつかないような視点であり、また、いつも何となくごまかしながら「正しそうな」言動を選択していた私にとって非常に新しく心強い考え方であり、アドバイスだったのだ。

 私はインターンシップでこの会社にこれて本当に良かったと思っている。会社の方々は皆さん優しく、私たちに割いていただいた時間や労力のことを思うと感謝してもしきれない。学んだことは多く、消化出来るか不安もあるが、私はこの会社訪問をさらに良いものにしたいと思えたので、学校に戻ったら今まで以上に勉強しようと思った。株式会社スタジオ・ポットの皆様、本当にお世話になりました。そして本当にありがとうございました。

●インターンシップの反省・感想文
専修大学 文学部 人文ジャーナリズム学科三年 廣井俊貴 

 今回、私は専修大学文学部•人文ジャーナリズム学科のインターンシップという形でポット出版にて二週間、職場体験、社会人としての経験をさせていただいた。
 実際に、社会人と仕事をしていく中で様々な課題•反省点が浮き上がってきた。やはり、大学や家庭などでは意識出来ていなかったこと、自分に足りないことや欠点に、このインターンシップを通して気づくことが出来たのは、大きな収穫になった。
 初日のパソコン作業では、番線と書店名、書店コードをエクセルの表に記入していくというものだったが、エクセルの基本操作を忘れていたため、作業に入るまでに時間がかかってしまった。また覚え書き(ISBN、出版社名、著者名、紙質、製本の型•大きさなど)のアプリ起動の仕方を忘れ、ここでも作業に入るまでに時間がかかってしまった。
 Windows7でしかパソコン操作をしたことがなかったため、マックの基本操作にすぐに馴染めず戸惑った。その上、指示された作業の手順を一回で理解する事が出来なかったので、作業の取りかかりが遅れてしまった。パソコンを仕事上、不自由なく使いこなすようになる必要性があると痛感した。
 
 メールの文章構成にも問題があり、上野さんから指導していただいた。撮影に使うクッキーをネットで探し、メールで報告することになった。私は見つけたクッキーのサイトのアドレスだけを記したため、これではクッキーの販売元と販売状況がどこに書いてあるのかが一目瞭然で分からない、とご指摘を受けた。日頃は何となく、相手も理解してくれるだろうという考えで、メールを作成してしまっていたため、このような失敗をしてしまった。件名は短く、丁寧に書く。相手にわかり易く伝えることを意識して書く重要性を学んだ。社会人になってからでは、懇切丁寧に教えてもらえず、失格の烙印を押されてしまうだけなので、上野さんに今回の失敗のご指導をしていただいたことは自分にとって、とても有り難かった。
 
 また、態度や人間性など生活面でも色々とご指摘していただいた。

 沢辺さんに著作権についてレクチャーをして頂いた際、教科書に載っている内容をただ丸覚えするだけでは、応用力が身につかず、社会では通用しないと教えていただいた。言われた事、教わった事をそのままやるのではなく、自分の頭で考え、自発的に行動する事が重要だということ。そして自分の意見をしっかり持つこと。たとえ人から違う意見を言われたり指摘されても、相手に無理に合わせないことだと教えていただいた。

 そして、自分にとって一番気をつけなければならないことを上野さんからアドバイスしていただいた。
 それは、人の話をよく聴くこと。内容をよく理解すること。自分の頭で考え、場に応じた対応をする。自分が話すときも、意見や主張を相手が理解出来るよう、順序立てて話すようにするくせ(習慣)をつけることだ。余計な(聞かれてもいないこと)を話すのはやめる。単刀直入に話すことだ。これらの行為を自分では出来ているつもりでいたが、実は全く出来ていなかったことに改めて気づいた。今後は、人と接する時にはこれらを意識し、自覚しながらコミュニケーションをとっていきたい。お互い気持ちよく過ごしていくためにも。
 
 私がポット出版をインターンシップ先に選んだ理由は、大学卒業後に出版業界(特にスポーツ雑誌を扱っている出版社)に身を置きたいと考えていたため、本•雑誌がどのような過程で製作され、世に広まっていくのかということを学びたかったからだ。
 前回、私が専攻しているゼミの教授である植村先生と共にポット出版を見学させて頂いた際、はたから見ていた作業を実際に自分でやってみると、チェック一つとってみても神経を使い、根気のいる仕事だと実感した。
 一冊の本が出来るまでには、多くの工程があり、また多くの人が関わっている。地道な作業の積み重ねを経て世の中に出ていく。身近な本がどういう風に完成するのかを、ごく一部ではあるが、実際に自分で経験することが出来たのは本当に嬉しく思う。改めて、出版の仕事に携わりたいという気持ちを強くした。 
 
 最後に、お忙しい中、私たちに色々と手取り足取り指導していただき本当にありがとうございました。社員の皆様にはご迷惑をおかけしましたが、色々とご指導をいただき感謝しております。このインターンシップでの経験をこれからの学生生活でも活かせていけるよう努力しつづけます。

                       
 
                               

動物王国2012

ナースが実家に帰っている間、点・咲・アビを預かった。
犬猿の仲、鉄&点は一緒に海に行ったせいか、
お互い「アイツがいても、まあ許す」くらいになった。

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適度な間隔をとって、みんなまったり。
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「かあちゃんがいなくても、へっちゃらだもんねー」自立したオンナ咲。
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「ぼくチン、ブルーな気分っす」甘えん坊将軍、点。
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「でも、愛する佐藤さんがいれば耐えられるっす」
ちょびベロも出てるよーーーー。

お部屋2435/踊ってはいけない国、日本

数日前から店頭に出ていた書店もあるようですが、昨日、磯部涼著『踊ってはいけない国、日本』が発売になりました。

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磯部涼が編集ということから、当初私はクラブ寄り、ダンス寄りのものを想像していたのですが、もっと範囲が広い。私が書いている性風俗産業に対する規制だけじゃなく、違法ダウンロード刑罰化だったり、ドラッグの規制だったり。取り上げている規制の範囲が幅広いだけじゃなくて、その背景に何があるのかまで踏み込んだ本です。

なぜ警察は、今まで一定の安定を見て、警察もまたメリットを得てきたグレーゾーンを次々に潰しにかかっているのかについても、いくつかのヒントがあります。
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第14回■トレンディドラマと臨時ニュース

理想と現実のあいだ

“エロブス”な30代独身女性を始め、テレクラ活動では、一人住まいの女性の家へお邪魔する機会も少なくなかった。私自身が実家住まいということもあり、家に連れ込むわけにもいかず、自然(!?)と、女性の家へ雪崩れ込むことになる。

特に統計などを取っていたわけではないが、どの女性の家も慎ましやかだったという印象がある。東京での女性の一人暮らし、いくらバブル期とはいえ、生活そのものまでバブルというわけにはいかなかった。実際の収入と家賃や光熱費、食費などの生活費を勘案すると、生活そのものは汲々として、大変ではなかったかと思う。当時、『君の瞳をタイホする!』や『抱きしめたい!』、『君が嘘をついた』、『君の瞳に恋してる!』、『ハートに火をつけて!』、『愛しあってるかい!』など、トレンディドラマといわれる、都会に住む男女の“シティライフ”を描いた恋愛ドラマが流行っていた。一連のドラマを見ると、主人公は高層マンションのお洒落なインリアに囲まれた部屋に住み、バルコニーからは東京タワーが見え、シャンパンやカクテルを片手に眺めるみたいなシーンも多かった。いまなら子供有りの若夫婦が慎ましやかに暮らしていそうな2LDKや3LDKのマンションに一人で住んでいるという感じだ。ドラマの中ではセンターキッチンのダイニングにウォークインクローゼットまであった。そんなところに「W浅野」(浅野ゆう子、浅野温子)や中山美穂、鈴木保奈美、石田純一や三上博史、陣内孝則、柳葉敏郎などが住んでいる。多分、ドラマを見て、そんな東京暮らしに憧れた女性も少なくないはず。トレンディドラマなど、まさにバブル期の幻影のようなものだが、当時は憧れや夢の対象でもあった。

ところが、実際にそんな生活をしているのはごくまれである。私が“家庭訪問”させていただいた部屋は、どれもこぢんまりとして、質素な佇まいであった。少なくともバルコニーから東京タワーが見えるようなところはなかった(そもそも東京生まれ、育ちのわたしとしては、東京タワーへの憧れなんていうものはない!)。

バブル期には、その崩壊前後を境にして、理想と現実の乖離みたいなものがあった。ある種、脅迫概念みたいなものがあって、メディアが垂れ流す虚飾と現実の生活との落差に、追い詰められていたものも多かったはずだ。後年、頻発する虚飾と粉飾にまみれた、恋愛商法や結婚詐欺などの“偽セレブ事件”的な犯罪の萌芽や温床もそんなところにあったのではないだろうか。

渋谷

そんな現象については、また、この連載の中で、触れる機会も(覚えていたら?)あるだろう。話は先へ進ませていただく。その頃、狩りや釣りの主戦場を新宿から渋谷へと変えていた。店は以前、紹介した桜ヶ丘にひっそりと佇む「アンアン」、そして、宮益坂を上ったところにある「トゥギャザー」。2カ所を渋谷テレクラ作戦のアジト(もしくは根城)とした。

新宿から渋谷へと“転入”したのには、理由がある。以前も触れたが、新宿の当たりが悪くなり、魚影も薄くなったから、渋谷へと移動したわけだが、その背景には、人の流れが新宿から渋谷へ移ってきたと感じたことも影響している。同時に新宿と渋谷のイメージも大きく変わってきた。

暴力団の抗争(小説『不夜城』ではないが、90年代以降は無国籍化・多国籍化することで、外国人犯罪も頻発する)や薬物取り引きなど、新宿の“物騒な街”化が進み、さらに、キャバクラやAVなどのスカウト、ホストクラブなどのしつこい勧誘も多く、いずれにしろ、新宿は女性が安心して歩けるところではなくなってきた。雑誌や新聞、テレビなどでも事件や事故が連日、報道されていたのだ。

渋谷は“若者の集まる街”化は進み、お洒落なブティック(死語!)やレストラン、バーなども多く、公園通り(既にパルコは誕生している)やセンター街などに人が集まりだす。まだ、チーマーも暗躍してはいないし(1989年には誕生したらしいが、実際に隆盛を極めるのは92年前後から)、ブルセラ(ブルセラショップなども乱立するのも90年代に入ってから)もなかった。まだ、不穏な空気を孕む前の渋谷は平和で、若者の楽園(!?)でもあった。渋谷駅を基点にする、田園都市線や京王井の頭線、東横線などの沿線の繁華街、自由が丘や二子玉川なども若者の注目を集めつつあった。さらに原宿や青山、表参道などにも電車で数駅という、好立地でもある。

そんな状況を鑑み、もし、女性がテレクラに電話するなら、新宿の店ではなく、渋谷の店を選択するのは自明の理で、新宿より、渋谷の方がまともな男性がいると考えるのも当然だろう。いわゆる、地域におけるイメージ・ヒエラルキーが生じている。同時代には、地方格差だけでなく、地域格差まで起きている。後のタウン誌などの「住んでみたい土地ランキング」などで、それは如実になっていく。少なくとも足立(たけしさん、ごめんなさい!)や葛飾(寅さん&両さん、ごめんなさい!)は、女性が憧れる街ではなかった。そう難しく考えなくても単純に新宿と渋谷を比較したら、どちらがお洒落かといえば、やはり渋谷だろう。

風を読む

女性が新宿から渋谷へとシフトするなら、テレクラ男子も新宿から渋谷へとシフトせざるをえない。遊び人たるもの、風を読むことが必要だ。そんな嗅覚だけは、敏感だったりする。遊びながら考える、考えながら遊ぶを心掛けていた。むしろ、そんな創意工夫をし、意匠をこらして、作戦や戦略を練ることが楽しくもある。

その日はうだるような暑さだった。陽が沈んでも暑さは止むことなく、すんなりと眠りにつくなどできそうにない――そんな夜は、テレクラで、涼むに限る(!?)。

渋谷の宮益坂を上ったところにある「トゥギャザー」は、全国展開をしているような大型店ではないが、同じ渋谷圏内に何店舗かある中型店だった。システムは早取制ではなく、取次制。渋谷駅前や公園通りなど、宣伝用のティシュ配りも精力的で、渋谷ではコール数が多いところとして知られていた。

午後11時は過ぎていただろうか、埼玉に住む家電量販店に勤めている20代後半という女性と繋がった。面白いテレビがなく、暇なので(大体、コールする理由はテレビ番組がつまらない、暇をしていたからというのが当時、多かった。これから会って、すぐエッチしたいみたいなストレートなものは皆無である)、電話したという。

明日は休みらしいが、流石、埼玉ということで、これから会おうという「即アポ」は無理と考え、比較的、ゆったりとした気分で電話に付き合うことにした。彼女の店での客に対する愚痴など、丁寧に聞いてあげる。そんな中、彼女の話し方や受け答えが聞いていて心地良く、その声もとても感じがいいと、褒めあげる。

勿論、お世辞(このくらいの嘘は平気でつく!)だが、それが彼女を射抜いたようだ。そんな風に言われたのは初めてだと話す。私自身、特に意識していたわけではないが、客商売はストレスがたまるもの、俺様的な客も多く、店員の前で横柄な口をきくものも多い。この辺は風俗店や風俗嬢の私流の対応に近いものがあるが、常に相手の立場に立ち、相手を思いやる気持ちがあると、随分、印象も違うもの。相手も好感を抱きやすい。お世辞や嘘という表現を先ほど、してしまったが、どこか、相手を労い、敬うような姿勢が根底にあったからこそ、出てきた言葉だと思う。

埼玉に住んでいるにも関わらず、これから会いたいから、出てくるという。かなり話し込んだので、既に彼女が住んでいるところから渋谷への電車はなくなっている。タクシーを飛ばしてくるという、埼玉でも群馬寄りではなく、東京寄りらしいが、それでもタクシー料金は安くはない。1万円は超えるはず。当然、この時間だから、泊まり覚悟でくる。私自身はアポを取るつもりはなかったので、あまりに意外な展開に驚く。まだ、渋谷から私が住んでいる下町への電車はあったものの、これは“運命”(笑)と諦め(嘘!)、終電をやり過ごし、帰ることなく、待つことにする。服装や髪型など、待ち合わせの目印などを教え合い、待ち合わせ場所は渋谷のハチ公前にした。あまりにもベタな待ち合わせ場所だが、終電過ぎである、人も減り、昼間よりは見つけやすいはず。地方(失礼!)に住んでいる方には、わかりやすいにこしたことはない。

出会いを引き寄せる言霊

埼玉から東京まで深夜にタクシーでこさせてしまう、自らの言葉の力(言霊)に驚くばかりだが、たまたま、そういう女性に当たったから、そのような結果を引き出せたわけではない。やはり、会えるには理由があると考えている。もし、出会いの「必勝法」や「法則」(やっと、テレクラの“指南書”らしくなってきた!?)みたいなのがあるとしたら、焦らず、じっくりと相手の話を聞き、そこから相手のいいところを引き出す(もしくは言ってもらいたいところを見つけだす)ことではないだろうか。痒いところに手が届くではないが、その言葉を待っていた、みたいなものを察知することだろう。それが彼女の場合、客の対応への評価であり、感じのいい女性であるという彼女評ではなかったかと思う。その時点では、特にセクシャルな会話などはしていなかった。よくテレクラの個室の壁に、「出会いの3原則」みたいなことが貼られている。そこには、「じっくり話をする」、「いきなり会おうといわない」、「すぐエッチな話をしない」といった標語というか、教訓が掲示されているが、それもあながち嘘ではない。私自身、それを知らずのうちに、実践している。埼玉の彼女の場合、遠距離ということで、すぐに会おうと切り出さず、じっくりと腰を落ち着けて話したのが奏功したのかもしれない。

我ながら言葉の魔術師とうぬぼれたいところだが、日帰りから泊まりへ、嬉しい予定変更、心の中で、喝采を上げる。待ち合わせは電話を切ってから、1時間後だろうか。アポを取った後もドタキャンを考え、次のアポを取り付けようとするが、短時間勝負なので、なかなか会話が転がらず、空回りするのみ。

そうこうしているうちに、待ち合わせ時間が近くなり、慌てて店を出る。渋谷駅のハチ公前へと急ぐ。駅構内を通り過ぎ、ハチ公前に視線をやると、目印のボブヘアーで、カットソーに、ミニスカートというスレンダーな女性が見えてくる。多分、30メーターほど先だろうか、ところが、私が声をかける間もなく、彼女は声をかけた男性について行ってしまう。宮益坂ではなく、道玄坂を上りだす。

インターセプトされてしまった。横取りだ。実は、私自身も試したことがあるが、ハチ公前などは、テレクラでも待ち合わせのメッカ、必ず、一人や二人はテレクラのアポ待ちがいるもの。そういう女性に近づき、さもアポを取った男性のふりをして、女性を拉致してしまうのだ。すぐにそれが嘘だとばれることもあるが、アポを取った男性より、良さそうであれば、ほいほいとついていってしまう。この作戦、案外、成功するから、渋谷という街は浮かれている。

横取りされたわけだが、私としては若干、安堵はしていた。いくらエロブス狙い、低め打ちもいとわない私だが、彼女を見た途端、正直、きついなという感じを抱いたのだ。単純に容貌が好き嫌い以前に、考えようによれば、思い込みだけで、深夜、タクシーを飛ばしてまで東京へ来てしまう女性だ。呼んでおいていうのも変な話だが、妙な怖さみたいなものも感じていた。テレクラの利用時間(オールナイトコースにはしていなかった)も若干、残っていたこともあって、再び、宮益坂を上り、「トゥギャザー」へ戻る。個室に入った途端、ベルが鳴る。フロントから、待ち合わせをした女性から、指名コール(店からは女性のコールを取り次ぐ際に何番ボックスの男性に繋ぎますと、毎回、アナウンスがされる)だといわれる。

「待ち合わせ場所へ行ったけど、どうして来なかったんですか」と、詰問される。
私はあわてて、「待ち合わせ場所へ行ったけど、擦れ違いみたいで、見つからなかった(実際、その女性は他の男性と道玄坂方面へと消えていた)」と、答える。
その女性は声をかけられ、一緒に行ったものの、途中で違うことに気付いたようだが、そんなことはおくびにも出さず、「待っていますから、来てください」と、続ける。
私は「わかった。すぐ行くから待っていて」と、いって、電話を切り、店を出た。

その時点で、私は再び、ハチ公前へ行く気はなかった。指名コールされたことで、しつこいというか、いまでいうならストーカー体質みたいなものを感じ、余計、怖くなってしまったのだ。既に自宅までの電車はなくなっていたが、タクシーで帰ることを決め、宮益坂を表参道方面へ向かうタクシーを呼びとめる。

当時でも私が住む東京の下町までは渋谷からは5000円以上はしたと思う。いまなら高いと感じるが、その時は、タクシーを使うことにも料金にも抵抗はなかった。景気がいいからか、タクシー券みたいものが普通に手に入っていたのだ。バブルとはおかしな時代でもある。多少、広告や企画などの仕事をしていると、普通に、そんなものを貰う機会も増えてくる。別に仕事をしていなくても、ディスコ通いするようなイケイケの女性達もアッシーがいなければ、テレビ局や代理店などから当たり前のようにタクシー券を手に入れていた。

本連載は、前回も述べたように、自らのろくでなしぶりを告白し、懺悔するようなものではないが、それでも埼玉からタクシーを飛ばしてきた女性のアポをすっぽかし、タクシーで帰ってしまうという冷酷非情ぶり、お恥ずかし限り。反省することしきりである。あの時、私は普通ではなかった、どうかしていたのだ(笑)。もっとも、当時は、良心の呵責に苛まれることもなく、平気で、車上の人になった。

車のカーラジオからは、当時の退屈な歌謡ポップス(「Jポップ」という言葉は88年に誕生していたが、まだ、一般化されていなかった。90年代に入ってからだ)が流れていた。“バンドブーム”はもう来ていたはずだが、それでも同時期に流行ったものは、私自身には、歌謡曲ともポップスともつかない、曖昧なものだった。うるさいと感じ、耳を意識的に塞いでいた。そこに、突然、臨時ニュースが流れる。それは「連続幼女誘拐殺人事件」を伝えるものだった。社会を騒然とさせた、かの“宮崎勤事件”である。いまとなっては、被害者の遺体が発見されたか、宮崎が逮捕されたか、その報道の内容は、忘れてしまったが、とにかく、世間を揺るがせた事件である。既に「今田勇子」の名前とともに、連日、件の事件が報道されていた。ある意味、昭和から平成(事件そのものは前年88年から起きている)の端境期を象徴する負の事件である。

既にタクシーは青山通り、国道246号線を外苑前まで来ていたが、私はタクシーの運転手に、渋谷へ戻ってもらいたい、と告げた。

隠密剣士、いまここに甦ります

2012年9月9日(日)大安、
ついに『隠密剣士、いまここに甦る!』が発売となります。
以前、私が日誌で「ニンニン!」と言っていた本です。

「隠密剣士」は今から50年前、私が生まれる前に放送されたテレビ映画で、
当時の日本に一大忍者ブームを巻き起こしました。
その人気は日本国内にとどまらず、
「The Samurai(ザ・サムライ)」というタイトルでオーストラリアでも放映されました。
サムライという言葉が海外でも通じるのは、もしかしたら隠密剣士のおかげなのかも…!

当時の人気は相当なもので、最高視聴率は40%近くにのぼったそうです。
視聴率40%で調べてみると、
「家政婦のミタ」最終回、ロンドン五輪なでしこジャパン戦(対スウェーデン)あたりが出てきます。
どれだけの人気だったか、なんとなくイメージしていただけますでしょうか。

隠密剣士のすごさはこれだけではありません。
誰もが知っている「忍法空蝉(うつせみ)」「忍法隠蓑(かくれみの)」のルーツは、実は隠密剣士なのです!
ちなみに忍法空蝉のアイディアは、
脚本家の伊上勝が温泉旅行に行ったときに、セミの抜け殻を踏んづけたことがヒントなんですって。

さらにさらに!
製作陣も豪華メンバー揃いです。
製作会社は、「月光仮面」を作った宣弘社。
プロデューサーは、のちに「水戸黄門」「大岡越前」などの超人気時代劇を生み出した西村俊一。
脚本は、のちに「仮面の忍者 赤影」「巨人の星」などを書いた伊上勝。
俳優も、主演の大瀬康一、良き付き人役の牧冬吉、
ラブリーな子役の大森俊介、悪役スターの天津敏などなど、
すてきすぎるメンバーが揃っています。

そして、この作品に欠かせない忍者たち。
敵として登場する彼らですが、そのストイックな精神やわくわくするような技の数々、
軽やかな身のこなし、チームプレイ(?)は、私たちの少年の心をくすぐります。
忍者走りとか、手裏剣放ったりとか、大人が見ても不思議としたくなるんですよ。

こんな魅力にあふれる「隠密剣士」の世界を、
本書はさまざまな視点でコンパクトに紹介しています。
隠密剣士を知らない人もすんなり入ることができて、
知っている人は「懐かしい〜!」と力いっぱい叫びたくなるような内容となっております。

昭和ブームがやんわり続いている昨今、
ぜひぜひ、一度手に取ってみてください。
赤い表紙をバックに、剣を構える秋草新太郎(主役)が目印です。
大事なことなので2回言いますが、書名は『隠密剣士、いまここに甦る!』、です。
現在、絶賛予約受付中です。

宣伝の一環として、名シーンをいくつかYouTubeで公開する予定ですので、
そちらもなにとぞ、よろしくお願いいたします。

『にじ色 ライフプランニング入門』トーク

51JwHAnKXxL._SL500_AA300_.jpg9/1のエフメゾのカフェ営業(毎月第1土曜日)は、16時からLGBTやシングルのみなさんにお役立ちの『にじ色 ライフプランニング入門』(にじ色ライフプランニング情報センター)を著した永易至文さんを迎えての、小さなお茶会トークがあります。

伏見も現在、親の介護問題などはじまって、「生きていくのって厳しい…」と噛み締めているところなので、永易さんにさまざまお伺いしたいと思っています。また、LGBTやシングルの人たちがどう後半生を生きていくのか、その可能性/不可能性についてみなさんと一緒に話すことができたら、と。

料金は飲み物代だけです(1000円/1drink)。LGBT以外でもご興味がある方は参加歓迎。カフェ自体は13時からオープンで、19時くらいまでやっています。トークとは関係なく休日の午後のカフェを楽しみたい方も、もちろん、遊びに来てください!

永易さんの本の概要→「同性愛者のライフプランは、持ち家、保険、老後などなど、いろんなところで「男女夫婦・子どもあり」とはちょっと違う。お金が続くか? 老親どうする? 子どもなしで迎える老後って? そんなゲイたちの疑問に、長年ゲイのエイジング問題を追いかけてきたライターでFPの著者が答えます。セクシュアリティを超えて、シングルや非法律婚カップルのライフプランニングにも最適な一冊。 」

佐藤雄駿 著『悪魔の飼育』

51b9NQvRbuL._SL500_AA300_.jpg8/29(水)のエフメゾははじめ、気鋭のロックバンド、NON’SHEEPのボーカリスト、佐藤雄駿さんを迎えたトークイベントを行います(19時〜20時)。

佐藤さんはバンド活動の他にも最近、徳間書店から『悪魔の飼育』という小説集を上梓するなど、才気あふれる28歳。伏見が二十歳で子供を作っていたらこんな年頃の息子がいて不思議ではない、というくらい年齢が離れていますが(笑)そんな世代も経歴もセクシュアリティも異なる二人が対話して、いったいどんな言葉が紡がれるのか。異文化間コミュニケーションを楽しみたいと思っています。

トーク後、佐藤さんの気持ちがノッていたらアコースティックギターによる生演奏もあり、とのこと。楽しみです。

『悪魔の飼育』も、佐藤さんならではの厭世的な?物語世界が広がっていて、刺激的な小説集です。「一度目の歌は、終結部(コーダ)で”喉が渇く前に埋葬を”と歌われる」「僕は”死”が放置されることが何よりも怖かった」「僕の今日は、僕の昨日と酷似している」「誰に届くでもないその言葉は、鵯(ひよどり)のさえずりとともに、そよ吹く風に入り交じっていく」……等々、印象的なフレーズも満載!

平日の夜の早い時間帯、という日程ですので、地味なイベントになると思いますが、異色のトークを聴きに来てください。そして、そのあとはゆっくりエフメゾで飲んで帰ってください。