年別アーカイブ: 2012年

【※終了しました】ポット出版へ直接のご予約いただくと先着30名様まで田亀源五郎直筆サイン入り!!─『銀の華【復刻版】』上、中、下巻(著●田亀源五郎)の予約を開始しました

2012年10月3日刊行予定の近刊『銀の華 上 【復刻版】』、『銀の華 中 【復刻版】』、『銀の華 下 【復刻版】』の予約受付を開始しました。

弊社へ直接ご予約いただくと、ご注文冊数に関係なく先着30名様まで「田亀源五郎直筆サイン入り」となります!!
(※上巻〜下巻までセットでご購入いただいても、一巻のみのご購入でも、「1名様」とカウントします)
たくさんのご予約をお待ちしております。ご予約方法は以下をご覧ください。

【2012.9.7追記】応募者が定員に達したため、締め切らせていただきました。たくさんのご予約、ありがとうございました。

通常のご予約は引き続き承ります。

◎予約方法

本のタイトル(※セット購入の際は「銀の華セット」とご記入ください)/冊数お名前郵便番号住所電話番号メールアドレスお支払い方法(郵便振替または代引がご利用できます)をお書きのうえ、こちらへメールをお送りください。折り返しご確認のメールを差しあげます。
※ご注意 サイン本を希望される方は必ず当ページからご応募ください。
※サイン本を希望されない場合は、希望しない旨お書き添えの上、ご予約下さい。

ご予約希望の方は本が出来次第、送料無料でお送りします(代引の場合は代引手数料300円[代金1万円以下]のみご負担いただきます)。

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トレーニング開始!

アメリカに住むドッグトレーナーが行なっているメールセッションというものを
受講しはじめた。

DOGGIE’S 911メール・オンラインセッションっていうやつ。

MASUMIさんというすご腕トレーナーと、メールと動画のやりとりをして進めていく。

このメソッドは、犬のトレーニングというよりも飼い主(人間)のトレーニングですね。
飼い主が変われば、犬も変わるという。

なので、頑張るのは鉄・すずよりもワタクシでございますっ。
うう、どうなることか?
経過はちょっとずつ報告していきます。

鉄すず「なんか、ヤな予感……」
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有元伸子さんからいただいた書評

51fXkkLfnRL._BO2_204_203_200_PIsitb_sticker_arrow_click_TopRight_35__76_AA300_SH20_OU09_.jpg広島大学大学院文学研究科の教授の有元伸子先生から、『百年の憂鬱』の書評をいただきました。有元先生は『三島由紀夫 物語る力とジェンダー』(翰林書房)などで知られる三島研究の第一人者! 心より感謝申し上げます。

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 世に認められていないという屈託を抱えた中年の男性作家が、目の前に出現した若さに夢中になり、そして……。いわば「私小説」の常道ですが、『百年の憂鬱』が従来の作品と大きく異なるのは、ひとつには主人公の前に現れるのが若い娘ではなく、アメリカ出身の若い男性だということ。
 数十年来のパートナーの忠士との自然で馴れ合った関係と、新たに目の前に現れたユアンとの激情。主人公は二つの男同士の関係の意味を知悉していながら、両方に手を伸ばそうとしますが、その狡猾さと純情さとが、真摯に、ときにコミカルに描かれ、ぐいぐいと小説世界に引き込まれました。

『百年の憂鬱』のもうひとつの特徴は、「松川さん」というゲイコミュニティの先駆者との交流が描かれること。小説の主筋であるユアン-私-忠士の恋愛関係に、松川さん-私-ユアンという世代の問題が交錯し、同性愛に対する世代や文化による感覚の差が、この小説のもう一つのテーマとなっています。
 明治末年生れで敗戦後のゲイ社会を生き抜いた松川さんが語るオーラル・ヒストリーのすさまじさ、面白さ。彼が身につけた猜疑心や厭世観は同性愛受難の時期をサバイバルするのに必須のものだったのでしょう。同性愛に向けられた当時の社会のまなざしが実感させられますが、そうした差別や疎外をリアルに受け止められる主人公と、まったく想像9784780801842_2.jpgの外にあるユアンの世代・文化の感覚の差。にもかかわらず、三者は確かにつながっています。
 主人公は一人暮らしの松川さんを長年にわたり訪問し、彼の語る貴重なゲイの歴史を記録しながらも、書き手としての利益のために松川さんと関わっているのではないかといった葛藤を抱えていました。松川さんが主人公をどのように見ていたのか、最後に開示された松川さんの言葉と松川さんの歴史そのものである「アルバム」の行方は、血縁によらない男性たちのすがすがしい関係を示して、大きな救いとなっています。

 初読では主人公とユアンの恋愛の顛末に目を奪われて、あっというまに読了してしまいましたが、再読すると、図と地が入れ代わるように、松川さんの語るゲイの歴史の物語の方が表層に浮び上がり、主人公の恋愛劇が地模様に転じて映りました。
 主人公にとって切実な愛の喜びや悶えは、もちろん彼にとってはかけがえのないものなのですが、松川さんの語ったような多くの男たちの関係や情念の歴史の一コマに過ぎないものでもあります。『百年の憂鬱』のタイトルそのまま(マルケス!)、個人的な恋愛関係や感情が、日本近代100年の男たちの歴史のなかに溶かし込まれていくような、なにかとても大きな広がりをもつ世界に誘われました。

 知的で魅力的な一人の男性の身の丈の感情と、その背後に広がる男たちの歴史的な連続性。二つの世界を交錯させる緻密な構成と、意欲作でありながらナチュラルな描写。
 小説中の松川さんの語りには、江戸川乱歩や三島由紀夫を思わせる人物も登場します。三島の『仮面の告白』や『禁色』からほぼ60年。男同士の恋の小説はここまで豊かに成熟したのだなあという感慨にかられました。

 伏見さんにとって「もっとも重要」な作品だという言葉に、素直に納得です。

マンガ単行本の復刊について

現在、田亀源五郎さんの『銀の華 上〜下』復刻版、全三巻の編集作業中です。
刊行は2012年10月上旬予定、書誌情報が決定し次第、ウェブサイトで告知を始めます。

復刊、底本があるにしても、編集作業は他の本と変わらずけっこう大変だったりします。以下、僕の経験を。

例)「劇画家畜人ヤプー【復刻版】」(2010年3月刊)の場合

◎著作権者→作画・石ノ森章太郎(石森プロダクション)/原作・沼正三
石ノ森章太郎氏(故人)は石森プロに、沼正三(故人)は全権代理人・康芳夫氏(暗黒プロデューサー)に許諾を得ました。

◎元原稿→なし
底本発行元の「辰巳出版」に問い合わせ、過去「辰巳出版」から発行された『劇画家畜人ヤプー』の誌面からスキャンしました。その際、イラストはPhotoshopのグレースケールで、セリフ、ノンブルなどの文字はモノクロ二階調でそれぞれ別々にスキャン。
※注意 ポットの場合ですが、イラスト中のスクリーントーンなど、モノクロ二階調でグレーを表現しているものは、グレースケールで印刷するとモアレを起こしました。その場合、画像データは3つに。1. イラスト(スクリーントーン部分を切り抜いたもの)、2. イラスト2(スクリーントーン部分/モノクロ二階調のデータ)、3. セリフなど文字(モノクロ二階調)です。

◎入稿用データ→InDesignで作成。
イラストとセリフ、それぞれをページに一枚ずつ貼り付けていきます。貼り付け→位置調整→貼り付け→位置調整の繰り返し。根気が必要です。

◎カバーデザイン→一新
元のカバーからイラストを抽出し、新規デザインしました(担当・小久保)。表紙も同様に新規デザイン。シリーズを通して、「あっ!!」と思わせる一コマを小久保がピックアップしています。

◎復刊に際してプラスオン→丸尾末広さんに解説文を依頼。
ファンだったので……。ちなみに、『JUN』シリーズには全巻購入者特典を作りました。『銀の華』にも全巻購入者特典として「『銀の華』単行本未収録図画集」を作成しています。

まだまだあるような気がしますが、このへんで。

パリで開催される展示「united dead artists」に春川ナミオが参加

2012年9月7日から10月6日まで、パリのarts factoryにて、フランス人アーティストのステファン・ブランケ主催の展示「united dead artists」が開催されます。

日本からは蛭子能収、根本敬、友沢ミミヨ、春川ナミオ、市場大介、瘡原亘、各氏が参加。
先日ポット出版から『絵物語 ドミナの園』を出版した春川ナミオの原画も展示されます。

開廊時間など詳細は以下をご確認ください。

dead artists / 400 vivid drawings

第15回■コンビニのおにぎり

逆戻り

まだ、私にも良心らしきものは残っていたのかもしれない。埼玉の家電量販店に勤める20代の女性とアポをとりつつもの、すっぽかして、家に帰ろうとしていたところで、(「連続幼女誘拐殺人事件」の)“臨時ニュース”。思い込みだけで深夜にタクシーを飛ばし、渋谷まで来て、ハチ公前で知らない男に声をかけられ、ほいほいとついていってしまう女性だ。もし、変な男につかまったら大変なことになる、と急に不安になった。「東電OL事件」が起こるのはまだ10年ほど先(1997年)だが、道玄坂を上った先の円山町のラブホテル街では、女性が行きずりのセックスの果てに傷害や殺人などの被害者になる事件も起きていた。

もし、その女性が見ず知らずの男とホテルに消え、事件などに巻き込まれたとしたら、それこそ罪悪感のようなものが重くのし掛かり、一生、後悔して生きなければならないだろう。翌朝、新聞に彼女の名前や顔写真が出ていたら、寝覚めが悪いこと、この上ない。いくら私でもそのぐらいの良心(というか、自分かわいさゆえの自己防衛本能だろう)はあったようだ。

慌てて渋谷へ戻ると、その女性はハチ公前で待っていた。改めて見ると、歯並びが悪く、口元がだらしない。そんな容貌にかかわらず、やっと会えたことが嬉しいらしく、にやりと微笑むから、よけい不気味(失礼!)である。

既に時間は遅く、飲食店はほとんど閉まっていたが、道玄坂に深夜までやっている喫茶店があることを知っていた。テレクラの朝までコースを利用しない場合、始発までの時間稼ぎに使っていた店だ。深夜だと、珈琲を頼んでも必ず食べ物(マドレーヌやカステラみたいなもの)が付いてくる。当時、喫茶店を深夜営業にするためには、食品衛生法か、風営法かの関係で、食べ物を提供しなければならなかったのだ。

本来であれば、深夜ということもあり、居酒屋やカフェバーなど、アルコールの出る、雰囲気のあるところに入るべきだろう。しかし、酔った勢いでことに及ぶ、というのを避けるため、なるべくソフトドリンクのみ、アルコールのないところにした。店内の照明も明るく、性的な匂いのするところから、敢えて遠ざかる。

“地雷女”?

喫茶店では、マドレーヌを紅茶に浸してみるが、その女性との“永遠”は見えなかった(プルーストの「失われた時を求めて」ではない、当たり前だ!)。他愛のない話で時間をやり過ごしていたら、いきなり、その女性が顔を近づけ、私の耳元で、「いいのよ、ホテルへ行っても」と、甘く(?)囁いた。

この積極性に余計、引いた。普通なら、男は女性からこんなことを言われたら嬉しく、天にも昇る気持ちになるところだ。私自身も散々、テレクラで粘り、釣りあげたのだから、本来であれば話に乗らなければいけない。ところが、なかなか、話の先へ行く気になれないのだ。

まだ、「草食系」や「肉食系」などの“陳腐”な表現がない時代だった。そんな例えで敢えていえば、私はテレクラに行くくらいだから、「肉食系」で、性欲旺盛だった。ところが、あまり“やる気まんまん” (©横山まさみち)に迫られると、こちらも思い切り引いてしまう。

ご存知の通り、意外と強引になれず、押しも弱い私だが、逆に、相手が無理矢理に押してくると引いてしまうもの。天邪鬼なものだが、そんな弱腰の態勢のせばかりでなく、私の中の危険を察知するレーダーが反応していたことも確かだ。

深夜に埼玉から渋谷までタクシーで来てしまうくらい思い込みが強い、しかもすれ違った(!?)後に指名コールをされたことで、ストーカー的な資質を感じた女性だ。セックスなどしたら、面倒くさいことになる、後にテレクラ界で流行る“地雷女”になりそうな予感を抱いたのだ。

性欲にまみれていても理性はなくしてはいけない。我ながら、遊びながらもちゃんとわきまえている。たった一度の火遊びで、人生を台無しにしたくない、と漠然と考えていたのかもしれない。単純に容貌が好きか嫌いかだけでなく、その女性が放つ危険な香り(異臭!?)が私を遠ざける。

ちなみに、その女性の容貌だが、当時、人気だったロック・バンドの女性キーボード奏者に似ていた。多分、同じバンドのメンバーと結婚したはずだ。前述した通り、笑うと、独特の不気味さがある。怖いと感じてしまう。体系もスレンダーというより、痩せぎすといったようなスタイルで、あまり、抱き心地がいいとは思えない。勿論、抱く気はない(笑)。すべてがきつかった。

円山町へ

甘い囁きをさりげなく聞き流し、かみ合わない話をしながらも、時間をやり過ごそうとするが、なかなか、時間は過ぎていかない。始発まではまだ大分ある。「変な人についていっちゃだめだよ」と、子供に諭すように言い含め、先に帰りたくなるが、流石、そこまで非情にはなれない。そのうち、だんだんと眠くもなる。当時、深夜喫茶は、睡眠が禁じられていて、仮眠などしていると起こされてしまう。その頃、いまのようなネットカフェや漫画喫茶があればきっと、利用していたはずだが、まだ、そんなものは出揃ってはいなかった。

仕方ないので、深夜喫茶を出て、道玄坂を上った。女性は嬉しそうに腕を絡めてくるが、横断歩道を渡る隙にさりげなく振りほどく。露骨に嫌な顔は出来ないので、あくまでも自然な流れで離れた、といったそぶりをとる。道玄坂を上ると、百軒店を過ぎ、円山町の入口になる。いまのようにクラブやバー、ライブハウス(「オンエアー」が出来たのは1991年)などもなく、あるのはラブホテルばかり。その街に消えるものたちの目的は既に決まっていた。

円山町は道が入り組み、迷路のようになっている。実際、その時、どこにいたのか、どこのホテルに入ったかは覚えてない。道玄坂から東急本店に抜けるメインストリートに面したホテルではなく、少し奥まったところだったと思う。まさに意を決して、ラブホテルに突入だ。嫌々に不承不承でラブホテルへ行くなんて、初めてのこと。考えてみれば、これまでとは真逆の展開だ(いつもはこれから始まることに期待を込めつつ、喜々として入った)。深夜なので既に休憩料金ではなく、宿泊料金になっていた。多分、タクシーで帰った方が安かったと思う。

蛇に睨まれた蛙

派手な内装や凝った間取りではなく、とりたてて記すべきものがない、何の変哲もないラブホテルだった。昔からある連れ込み宿的な風情があったことだけは覚えている。たたきを上がると和室があり、障子の向こうには寝室がある。畳に座り、机を囲み、お茶を飲む。まるで、不倫旅行にでも来たような感じになる。和室から寝室へ目をやると、当時の流行なのだろうか、浴室がガラス張りで、寝室から見えるようになっている。ここら辺は、せめてもか、ラブホテルらしいところ。

うだるような暑さだった。汗もかき、身体もベタついている。その女性は風呂に入ると言うと、急ぐように浴室へ消えた。ガラス越しに薄ぼんやりと、シャワーを浴びる肢体が見えるが、敢えて見ないようにする。もし間違いでも起こしたら、大変なことになる(笑)。浴室から出てくると、その女性は裸体をバスタオルを包んだだけの姿だった。すっかり、やる気だ。私も汗だくなので、シャワーを浴びることにする。汗を洗い流しながら、この絶体絶命のピンチをどう切り抜けるか、考えを巡らす。と、その時、天啓のように閃いた。「星空のドライブの看護師作戦!」(もう随分前のことになる。連載では第5回だ。シティ・ホテルでのプール・デート後、「星空のドライブ」をした看護師を覚えているだろうか。彼女はホテルに入り、ベッドを共にしながらも「好きな人とでないと、できない…」と、言い放ったのだ。この手がある!)があった。

浴室から出て、脱衣所で、濡れた体をバスタオルで拭き、ホテルの浴衣を羽織る。裸体にバスタオルだと、変な期待をさせてしまう。

寝室ではなく、和室へ行き、冷蔵庫から清涼飲料水を出し、火照った身体を静めていく。その女性にも勧める。コップの縁に口をつけると、性的なものを暗喩させるようなしぐさで、飲み干す。目つきも獲物を狙うように妖しい光を帯びる。まるで、私は蛇に睨まれた蛙だが、修羅場を切り抜ける算段はついている。「大丈夫だ、頑張れ、自分」、と、心の中で言い聞かせた。

前のめりになっているその女性をすかし、かわすように、少し落ち着いた声色で話し始めた。

「ぼくは、そんな男性じゃないから」
(そんな男とは、いきなり会った見ず知らずの女性と一夜を共にするような男性のこと)

「身体目当てじゃないんだ。何もしないよ」
(勿論、テレクラだから身体目当てできている)

天使と悪魔ではないが、誰も二面性があるもの。まったく意に反することを、さもいい人という面持で、しらっと言う。“なんて誠実な人、変な人じゃなくて良かった”と、思ってくれることに賭け、一芝居を打ったのだ。

本来、“誠実さのかけらもなく、笑っている”(©ブルーハーツ)ような人間だが、相手のことをさも大事に思っているように見せかける。

多分、いま、こんなことをラブホテルというシチエ―ションでいったら、女性に興味がないと思われるか、自分が女性として見られてないと思い、女性自身がショックを受けるはず。昔は、敢えてセックスしないことが“いい人”だと判断され、通用する、のどかな時代だった。

その女性は不満な表情を浮かべつつも、なんとなく、私の誠実(!?)な対応に納得したようだ。かの「星空のドライブの看護師作戦!」、我、成功せり、である。

ただ、睡魔が襲い、性欲は限界ではないが、睡眠欲が限界に近づいてきた。始発の時間まで、寝ることにする。寝室には当然の如く、ベッドがひとつしかない。仕方なく、二人で寝ることにする。

しかし、ベッドで二人いることで、何か間違いが起こってはいけない。ここは慎重な私のこと、しっかりと、「星空のドライブの看護師作戦!」に続く、次の作戦は用意していた。

“誠実な人”

まず、その女性にベッドに寝てもらい、その上から掛け布団を横にして掛ける。そして、私も横になり、掛け布団の上に寝る。そして、掛け布団を折り曲げ、身体に掛ける。こうすると、直接、肌と肌が接しないようになる。丁度、コンビニのおにぎりのようなもの。ご飯と海苔が包装フィルムで仕切られ、直に接しないようになっている。それゆえ、食べる時にフィルムを剥すので、海苔がべとべとになることなく、パリッとした食感で、食べられる。

コンビニのおにぎりの包装方法のような形で、寝ることになった。いまにして思えば、この「コンビニのおにぎり作戦」、かなり滑稽ではあるが、その時は、生身の女性が隣に寝ている気の迷いで、良からぬことをしてしまうかもしれない、そんなことは決してあってはならない──そんな思いで、布団にくるまったのだ。

なんとなく落ち着かず、浅い眠りが続き、何度も目を覚ますが、欲望に駆られることなく、気づくと、完全に寝落ちしてしまった。

不思議なもので、こんな時は早起きになる。多分、6時過ぎには目覚め、顔を洗い、歯を磨いていた。起きてきたその女性に、おはようと、優しく声をかける。約束通り、何もしてない。“なんて誠実な人だろう”と、彼女は思っていると勝手に判断させていただいた。

着替えてもらい、ホテルを出る準備をする。一番近い駅はと聞かれ、京王井の頭線の神泉の駅を教え、ホテルの玄関を出たところで、「じゃあ、またね」と、心にもないことを言って(勿論、連絡先など聞いていないし、教えていないので、会う術などはない!)、別れる。もう朝だ。ホテル街を一人で歩いても危険なことはないだろう、と判断し、その女性を“放流”した。

私は渋谷駅を目指し道玄坂を急いで下る。修羅場(!?)を無事に切り抜けた安堵感に包まれる。やはり、この日も朝だというのに日差しは強く、眩しいくらい。また、汗をかいてしまいそうだ。駅の売店には、昨夜の“臨時ニュース”で、第一報が流れた“事件”を報道する朝刊が並ぶ──。