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ポット出版ず・ぼん全文記事ず・ぼん6

特集:児童書は元気かい?
[読書をめぐって]三人の少年、少女への手紙

長谷川摂子
[1999-12-18]

文◎長谷川摂子
イラスト◎塩井浩平
はせがわ・せつこ●夫とともに経営する赤門塾で約二〇年間、小・中学生とつき合ってきた。他に主として幼児を対象に、絵本の読み聞かせの会「おはなしくらぶ」を主宰。
著書に『子どもたちと絵本』、絵本に『みず』、『めっきらもっきらどおんどん』(以上すべて福音館書店)など多数の作品がある。


本をたくさん読むT子ちゃんへ

 小学校の頃から担任の先生に、クラスにひとりだけ大人がまじっているみたい、といわれるほどしっかり者だったT子。三歳の頃からおばちゃんの「おはなしくらぶ」の常連で、絵本ではオルセンの『ぬまばばさまのさけづくり』やラッセル・ホーバンの『フランシス』のシリーズなどが大好きだった。勉強もできるけど、本もじゃんじゃん読んできた。お母さんが図書館好きで、毎週のように通って自分の本とT子用の本を借りてきていた。『ナルニア』もエンデも小学校の時読み終えた。でもルーマ・ゴッデンが好き、というのもいかにもT子らしくていい。小学校の時は、無理な受験勉強もせずほんとにのびのび過ごしていたね。近くの公立中学に入ってからはしばらくバスケット部で大変な思いをしたみたいだけど、お母さんがT子の生活全体のバランスにいつも気を配って、無理な練習が続くと必ず休ませていた。でも、お母さんはその頃、「本なんか読める状態ではない」とよく嘆いていたっけ。結局、二年生の夏休み明けに退部して、やっとゆったりした時間がもてるようになった。お母さんとおばちゃんは「よかったねえ」って、ほっとしたんだよ。本好きなおばちゃんとしては、T子がこれからどんな読書歴をつんでいくか、興味津々。児童文学からどんな大人の文学に惹かれていくのかなあ。
 でも、二〇歳をすぎたおばちゃんの娘や息子たち、周辺の大学生たちを見ていると、本を読むっていうことが、おばちゃんの若い頃とはだいぶ意味が違っているような気もする。おばちゃんの若い頃は本を読むこと、つまり、気取っていえば教養をつむことが人間の成長や自立と不可分のように思い込んでいた。今の人はそんな風に思っていない。おばちゃんもこの年になって、いろんな人達と出会い、いろんな体験をかさねてきて、本をそんなに読まなくても自分の考えをしっかりもっている人がたくさんいることが分かった。また、逆に、本を読んだって社会に貢献できるわけでもないし、必ずしも自分を支えられるわけでもないってことも分かった。だって、もう五十年前の話だけど、戦争中、本をたくさん読んでいるはずの文学者たちの大半が雪崩をうって「文学報国会」という戦争協力団体に加入したんだからね。それに、芥川龍之介や太宰治みたいに本をたくさん読んで自死した人もいる。若い頃、本を読むことが人間の成長や自立と不可分と考えていたのはまちがっていたなあ、と思う。
 じゃあ、読書って何なのってT子に聞かれたらなんて言おうか。一般的な答えはないような気がする。おばちゃんにとって、という答え以外に答えようがない。おばちゃんにとって、読書は人生のかけがえのない楽しみ。言葉によって、さまざまな人生や思想を想像裡に体験できるかけがえのない楽しみ。その喜びをT子と分かち合えたら、ほんと幸せ。でも人間は本によって人間になるのではない。本を読むか、読まないかで人をはかるなんて不遜なことだと思う。今の世の中を渡るのに字が読めて、必要な時、必要な文書が読めることは教育によって最低限、保証されなければならない、と思うけれど、それは読書のおすすめとは次元が違うことだよね。結局、読書というのは個人の自発性から発する個人的な営み。それぞれの人によって本との出会いもそれぞれ。読書の意味もその個人が語るしかない。おばちゃんがつづけている絵本の読み聞かせの会もおばちゃんの個人的な営みの延長だと思う。つまり、絵本を子どもたちといっしょに読める楽しみは、おばちゃんの読書の楽しみの集団的形態。つき合ってくれる子どもに感謝、感謝の道楽なのよね。ほんと、子どもたちといっしょに絵本を読んで、みんなで笑ったり、心がきゅんとなったり、しいんとしたり、あの一体感、たまらない。その時間が輝いているから、おばちゃんはつづけてきたの。本を読む子を育てるためという使命感でやってきたわけではぜんぜんない。だから、おばちゃんには、読書感想文だの、読書週間だの、読書運動だのはピンとこない。読書同好会ならわかるけど、読書は良いものと決めて、旗をかかげて運動する、そんなブルドーザーで人をのすように読書をすすめるなんて、とてもできない。一冊の本に魅せられて、「これおもしろいよ」と、人に言いたくてたまらなくなって、分かってくれそうな人に、つい話してしまう、というのがいちばん自然な読書の広がり方ではないかしら。読書は社会事業じゃない。だから学校で読書をすすめるって、すごくあやういと思う。本が好きでたまらない先生が、その喜びを自分からこぼれるように子どもたちに伝える。そんな風であってほしいなあ。個人の自発性ぬきに読書のすすめに関わると、とっても変なことになりそう。これって、図書館員も同じよね。
 それに、良い本を読もう、なんてよく言われるけど、何が良い本か、なんて単純な問題ではない。その人その人の読書の歴史があると思う。おばちゃんは昔、小学校の頃、本の虫って親に呆れられていたけど、三文小説、少女小説を山と読んだ。それが無駄だったとも一概に言えない。おかげで、本は何か高級な、ありがたいものだという感覚なんかゼロ。ひたすら楽しいものだと思っている。
 おばちゃんが読書をつづけてきてよかったなあ、と思えることはいろいろある。でもそれって一般的なことじゃないの。たとえば、二〇代の時、一六世紀のフランス人、モンテーニュの『エセー』に会えたこと。おばちゃんの心にはもう三十年も?モンテーニュおじさん?が生きている。自分で自分に語りかけ、文をつづることで生きる証をえようとした最初の人。他にも、バルザック、ドストエフスキーなども人間のどえらい世界をみせてくれたし、日本では柳田国男や鶴見俊輔というおじさんたちも。そうそう、夏目漱石も忘れちゃいけない。森鴎外は忘れてもいいと、おばちゃんは思う。スケールは違うけど、この頃、町田康とかいうパンク歌手のお兄ちゃんの文も、あっ、会えましたね、という遭遇の幸せを感じている。でもそんな話は切り出したら、ほんと、きりがない。
 で、T子に今、言いたいことは、なぜ自分が勉強するのかをよーく考えてほしいってこと。なんだか、おばちゃんのまわりの大学生たち、成績がよくて名のある大学にいるだけで自足していて、自分が何をしているのか、何をもとめているのか、真剣に考える必要がないみたいな顔している。成績がいいっていうことは今、怖いことなんだよ。社会がそれしか要求しないから、そこを満たせばOKで、ほんとうに自分がしたいことなんか見えなくなってしまう。Z会だの進研ゼミだの、ダイレクト・メイルでよく送ってくるけど、あんなの、教養とは何の関係もない。えっ、教養って何、と言われるとまたまた大変なことになるけど、とにかく、成績以外のことは二の次三の次にして、自分の力でほんとうに築きあげる人生から人を遠ざけているんだもの。自分の価値は他人から貼られるレッテルではなく自分で見つけなくちゃね。そのために本が役に立つかどうか、それはT子の本とのつき合い方にかかっている。でも、本を読みさえすれば、なんてとんでもないからね。人の流れにのせられず、自分自身の考えをもつことって、今の時代、とてもむずかしい。自分の考えがあること自体、学校の先生なんかに厄介な目で見られる。会社でもそう。そこをかいくぐって生きるには、自分を信じる強い意志がいるよね。
 じゃあまた、いつかゆっくり面白かった本の話をしにきてね。おばちゃんはすごく楽しみにしてる。


本が読めるのにあまり読まないS子ちゃんへ

 先日街角で出会った時、「おばちゃーん」と大きな声でよびとめられ、だれかと思ったらS子ちゃん。「げんきー?」と言ったら「元気、元気。高校でもテニスやってるけど、らくだからだいじょうぶよ。また、あそびにいくからね」と答えてくれた。その声は一六歳の少女らしいはちきれんばかりの生気があって、おばちゃんは「おお、よかよか」と、いい気分になった。
 中学の時は練習のめちゃくちゃ厳しいテニス部に入っていた。毎日の朝練の上に土日の休みもなし、疲れ切って、塾にきても机につっぷしてねてばかり。目がどんよりして、勉強だってどんどんわからなくなっていった。エンデの『はてしない物語』などみんなで読んだけれど自分の番がくるのが辛そうだった。結局、あの物語はS子ちゃんの皮膚の上をすべるだけだったみたい。残念だったけれど、仕方がない。その時は部活をがんばるのがS子ちゃんのいちばんの選択だったのだから。でも、おばちゃんはほんとは腹をたてていた。S子ちゃんにじゃない。他になにもする元気も残らないほど生徒を消耗させて、それでよしとしている大人に。
 三年になって、部活動が終わり、数学があんまり分からなくなり、愕然としておばちゃんに助けを求めてきたね。それから塾の正規の時間外にS子ちゃんとおばちゃんは、家のリビング・ルームで顔をつきあわせて勉強を始めた。おしゃべりもした。でも、S子ちゃんはやせて、体力も容易にもどらなかったみたい。「もう、つかれて、ねるのがいちばん」とS子ちゃんが言った時、おばちゃんはふと思いついて、『あなたが守る あなたの心・あなたからだ』(森田ゆり作、童話館出版)という本を開いて見せて、言った。
「あなたはとにかく元気にならなくちゃ。元気のもとが何かこの本はよく分かるように書いてあるよ」
 この本にはまず、最初に、「すべての人は、元気に生きる権利をもっている」とあって、次に元気であるための大切な三つの権利があげてあった。それは「安心して生きる権利 自信をもって生きる権利 自由に生きる権利」だった。イラスト入りの分かりやすい説明をS子ちゃんは「へーえ」という顔で見ていたっけ。そして「自由の権利」のページ、「あなたは、どんなとき、どこで、だれといるとき、自由だって思う? 学校がお休みのとき 青空を見上げているとき 大好きな友だちといるとき」と、読みすすんでいった時、あなたが、いきなり素っ頓狂な声をあげたから、おばちゃんはびっくりした。
「そうかあ、わたしって、自由がなかったんだ!」
「そう、おばちゃんはずっとそれが心配だったけど、あなたにうまく言えなかった」
 そう言いながら、おばちゃんは、この本がS子ちゃんの胸にずしっと届いたことが分かってどきどきしてしまった。
「こんな本があるんだ」と、あなたは感にたえたような顔をして繰り返しページを繰っていたね。それから、おばちゃんはあなたにテニス部の練習の仕方の理不尽さをじっくり話すことができた。あなたはくやしそうだった。「テニスが好きなのはいいことだけど、元気で生きる権利まで奪ってしまうような練習はいけない。でも若いから今から十分元気になれるよ。高校になったらよく考えてね」と言ったら、「うん」と大きくうなずいていた。ついでに本の話もしたっけ。「妹はよく読むみたいだけど、私はからだを動かしている方が楽しい」と、言っていたね。でもおばちゃんは一冊の本がずばっと、S子ちゃんの胸元に入っていったことが嬉しかった。おばちゃんは、この本よりうまく、冷静に、大切なことをあなたに伝えられなかったような気がする。でも、ってまた思うんだよ。この本が生きたのはおばちゃんとS子ちゃんの信頼関係があったからだと思う。この本、考えさせるより、何があなたにとって大切か、価値を教える本。おばちゃんはこの本の考え方に賛同するけれど、もし、違う価値観の人がS子ちゃんの信頼をかちとって、違う価値観の本を見せたら同じことが起こるかもしれない。それを思うと本って少し怖い。でも、S子ちゃんはこれからたくさんの大人や友達と出会うよね。おばちゃんと違う価値観の人に出会ったら、そこでS子ちゃんは自分を大切にしながらものごとを考え、判断していけると思う。数学が分からなくなった時、あなたはそれを自分の問題としてひきうけて、だれに指示されたわけでもない、自分からおばちゃんの所に相談にこられたんだから。
 文学などあまり読まないけれど、責任感は人一倍。自分にあった仕事を見つけたら、りっぱにやっていける。何かの出会いで本の楽しみを見つけることも長い人生であるかもしれない。でも、出会えなくても、他にたくさん人生の楽しみを見つけそう。S子ちゃんに幸あれ、だ。


本を読めないKくんへ

 君が好きなのはマンガの『こち亀』(こちら葛飾区亀有公園前派出所)。きっと擦り切れるまで読んでいるというか、見ているというか、おばちゃんにはKくんが両津さんの世界にどうはまっているか、よくわからないけど、塾の夏合宿では何時も片手に『こち亀』をもってあるいていたね。君のその没頭ぶりには感心してしまう。塾の授業で読む『大草原の小さな家』みたいな、いわゆる児童文学を読む時の君は、字を拾ったり、飛ばしたり、一〇行ほど読むのでふうふう言っている。ベッドに山とつんで毎晩読みふけっているとお母さんから聞いたけど、君は『こち亀』の活字をどういう風に読んでいるのだろう。時々ノートにマンガの絵を描いてるね。それはとても丹念で力がこもっている。文字どおり、入魂の絵だ。君が『こち亀』に出会ったことをおばちゃんは祝福したい。
 君がこの間、顔に傷をつけてきた時は心配になった。中学という所はなにが起こるか知れやしない。「学校でだれかにやられたんじゃないでしょうね。もし、そんなことがあったら、ぜったいだれか大人に言うんだよ、お父さんでもお母さんでもおばちゃんでもだれでもいいから、ぜったい言うんだよ」と言ったら「違うからだいじょうぶ」と君は小さな声で答えた。でも、泣きそうな顔だった。おばちゃんにそんなことを言われたのが情けなかったのか、事実を隠したのか、でも、おばちゃんは、おばちゃんがぜったい君の味方だということが伝わったから、泣きそうになったのだと勝手に信じている。
 君は字はなんとか読める。ほんとうに切羽つまったら、その能力は生きるだろう。だから今、君が本を読めないことなど小さなことだ。まして、本を読めと要求することなど論外だ。おばちゃんたち大人は、君が安心して働ける仕事が見つけられる社会を作らなくちゃいけない。でも、一方で、君が第二、第三の『こち亀』に出会えることを祈る。君の想像力が自由闊達に動き、喜びを見いだす場があることは、文句なしにいいことだから。そして、それが好戦的な刺激で君をひきつけるような作品でないこと、今の生活の領域を超えた広い世界に君を連れていく作品であることを祈る。しかし、それを判断するのは君自身。君がその判断力をもつためには君自身が生きていることに自信と喜びをもてるかどうかにかかっている。それを保証するのはやっぱり、おばちゃんたち大人の仕事だけれど、それが読書運動なんかじゃないのはあったりまえだ。君が自分の人生を賭けるにふさわしい仕事をどうやって見つけ出すか、おばちゃんたち大人は、この広い社会の野原や畑や山や川、縁の下や横丁や軒下など、いろいろ、いろいろ、人がそれぞれの場で生きている様子を子どもたちに見せなくてはいけないと思う。そして、学校の成績などふっとんでしまう生き方がいっぱいあることを教えられたらいいなあと思う。でも、実際、おばちゃんが塾で教えていることはなかなかそこまで届かない。ごめんね。でも、とにかく君がこの偏差値社会にめげず、元気をもちつづけるよう、応援してる。

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