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小児病院の図書サービスカリヨン文庫
子どもたちの入院生活が少しでも潤えば

佐藤智砂
[1996-09-05]

病院は治療の場である。と同時に、発育期にある子どもたちにとっては、成長の場であり生活の場でもある。成長過程の子どもは、遊びから多くのことを学ぶ。埼玉県立小児医療センターでボランティア活動を続けるカリヨン文庫は、図書サービスを主軸にして子どもたちにさまざまな遊びを提供している。
カリヨン文庫は、今年で10年目を迎える。


●カリヨン文庫プロフィール
1986年に月1回のお話し会をスタートする。
やがて、子どもたちがお話し会で読まれた本を借りたがるようになり、埼玉県立久喜図書館と岩槻市立図書館から400冊の団体貸出しを受け、1987年から本の貸出しを始める。
現在では蔵書数約1800冊、ボランティアも19名となった。


 埼玉県立小児医療センターには、新生児から一五、一六歳までの子どもたちが、常時約二五○名入院している。入院病棟は全部で八つ。年齢と病気の種類によって病棟がわかれている。
 入院病棟に出入りできるのは、原則として、医師・看護婦をはじめとする病院スタッフ。そして、面会に訪れる人のみ。面会時間は午後三時から七時までと決められている。入院している子どもたちにとって、病院は限られた人としか会えない世界だ。
 ところが火曜日(第二・四)と木曜日(毎週)になると、ふだんは見かけない人たちが子どもたちに会いにやってくる。図書サービスを行っているボランティア、カリヨン文庫の人たちだ。図書サービスといっても、本の貸出しをするだけではない。絵本の読み聞かせやストーリーテリング(お話しを覚えて、話して聞かせること。語り)をしたり、歌をうたったり、お絵かきをしたり、その内容は多岐に渡っている。たとえば、乳児がいる病棟では、子どもを膝の上に抱っこして、人形やお手玉などを使って一緒に遊んだりするなど、各病棟に合わせた活動をしていることもカリヨン文庫の自慢だ。
 ボランティアの人たちは病院に着くと、まず、ブックトラックというキャスターのついた本棚に本をめいっぱい積んで、病棟に入る。それぞれの病棟には子どもたちが遊ぶためのプレイルームというスペースが設けられていて、そこで本の貸出しやお話し会を開くのだ。
 病棟内に「カリヨン文庫の時間です」とアナウンスが流れると、病室から子どもたちがガヤガヤと集まってくる。外見だけ見れば、どこが病気なのかわからないくらい元気そうな子もいれば、包帯を巻いた子、車椅子に乗ってくる子、点滴の台をひっぱりながらくる子もいる。借りていた本を返してから、新たに借りる本を選んでいく。一回に借りられるのは五冊まで。さっさと選び終えてしまう子もいれば、どれにしようか迷いに迷っている子、「おばけの本ないの?」とリクエストする子もいる。
 本の貸出しは基本的にプレイルームで行っているが、ベッドから動けない子が多い外科病棟や個室から出られない子がいるところでは、病室までブックトラックを押して入っていく。そして、ベッドサイドまでブックトラックを寄せて、子どもが自分でちゃんと本を見て、好きなものを借りられるように心配りをしている。
 本の貸出しが終わると、次はお話し会。一本のろうそくに灯がともされると、それがお話し会の始まる合図だ。


子どもたちに本と遊びを提供

 カリヨン文庫が、小児医療センターで活動を始めたのは一九八六年のこと。その頃はまだカリヨン文庫という名前もなく「お話し会」と呼んでいた。当時、小児医療センターの専門図書室(病院スタッフ向けの図書室)の司書だった篠塚邦子さんが、たったひとりでスタートさせた。
 お話し会を始めるにあたって、篠塚さんは最初、事務局に「お話し会をやりたいのだけれど」と申し込んだ。しかし、事務局の答えはノー。図書室の仕事があるだろう、というのが理由だった。しかし一回断られたくらいで篠塚さんはあきらめない。今度は看護婦さんに話しを持っていった。それを聞いた当時一A病棟(比較的症状の軽い慢性疾患の幼児が入院している病棟)の婦長だった服部さん(現看護部副部長)は、「ぜひ、やってほしい」とすぐに賛成してくれた。
 「私たち看護婦は子どもたちの入院生活を援助することが仕事です。看護全体を考えると、遊んであげたり、勉強をみてあげたり、散歩に連れて行ってあげたりすることも必要なんですが、どうしても治療だとか検査の介助のほうを優先してしまうんですね。ドクターからそれを要求されるし、自らも優先しやすい傾向があるんです。
 多くの看護婦がそうなんだけど、最初はとにかく仕事を覚えようと夢中なんです。そのうち仕事も覚えて、ある程度余裕が出てくると、看護っていったい何なんだろうって悩むようになるんですね。そばにいてほしいって泣いている子どもがいても相手をしてあげる時間がない。工面してつくった三〇分の遊びの時間も、確保するのが難しい。
 もっと、子どもたちにやすらぎや楽しみを与えて、子どもたちの生活を守ってあげるのが看護婦の仕事じゃないだろうかって、壁にぶつかるんです。こんなはずじゃなかったって、やめていく人もいるし、割り切って治療やドクターの介助に徹してしまう人もいます。
 どうすればこの問題を解消できるのか、いい方法が見つからずにいたんです。だから、篠塚さんからお話し会の相談をされたときは、『そうか、自分たちができないのなら、できる人に任せればいいんだ』って思いました」
 さっそく服部さんが婦長を務める一A病棟からお話し会がスタートした。事務局に言われたように、篠塚さんには専門図書室の仕事が山のようにあったので、無理をしないように月一回、三〇分のお話し会にした。
 その半年後には、図書室にアルバイトとして採用された東海陽子さんがお話し会に加わり、ふたりで嬉々として病棟に通ったという。そのうちに他の病棟の婦長さんからも 「うちの病棟にも来てほしい」と言われ、ふたりではまかないきれなくなるという、うれしい事態になった。
 現在では新生児室を除く全病棟(七病棟)でサービスを行い、ボランティア数も一九名と増えたが、すべてがトントン拍子に進んできたわけではない。ここまでくるには一進一退を繰り返しながら、一〇年という時間がかかった。
 病院は医師中心、治療中心で動いている。お話し会を始めた当初は、病院に遊びなんか入れてもらっては困ると言われたこともあった。
 「ドクターは治療を中心に考えますから、その妨げになる可能性のあるものに対しては、すぐには賛成してくれないんです。だからお話し会も、検査がそれほどシビアでない慢性疾患の病棟から始めてもらいました。少しずつ数は増えていったものの、手術をする患者さんのいる病棟や治療に追われるような患者さんがいる病棟には、去年まで入れませんでした。篠塚さんや東海さんが努力し続けてくれて、各病棟の婦長がドクターを説得して、ようやくここまで拡げることができたんです」と服部さん。
 子どもたちは病気を治すために入院しているわけだが、同時に病院は生活する場でもある。その場をできるだけ気持ちよくしてあげたいという考えが、服部さんや篠塚さんたちに共通した思いだった。
 服部さんが慢性疾患の幼児病棟から乳児病棟(一歳から三歳)に移動になったとき、カリヨン文庫に入ってもらおうかどうか、少し迷ったそうだ。年齢的に幼ないので、入ってもらってもあまり意味がないのではと思ったからだ。でも、幼児病棟での子どもたちの楽しそうな様子を思い出し、他の看護婦さんたちにも相談して入ってもらうことにした。
 カリヨン文庫のメンバーは、この病棟の子どもに合わせた遊び方で接してくれた。プレイルームに集まった子どもを膝に抱っこして絵本を読んだり、人形やお手玉を使って遊んだり、三〇分があっと言う間に過ぎてしまう。
 「一歳くらいの子でもすごく喜ぶんですよ。最初は離れて見ている子も、しばらくすると仲間に入りにくるんです。乳児にはまだ早いだろうとか、手術後の子どもは痛みで遊びどころじゃないだろうという先入観は当てになりません。どんな子どもにも遊びは大切だし、反対にそういう子どもだからこそ、治療とは関係のない時間が、白衣ではない人と関わる時間が必要なんです」と服部さん。
 最初に比べたら、医師側の考えもずいぶん変わってきたというが、お話し会の最中でも、「採血だ」「治療の時間だ」と言って中座させてしまうことがある。「あと一〇分待ってくれればいいのに」と思うことがあるそうだ。でも最近は「あと五分待ってください」と看護婦全員が医師に言えるようになってきたという。
 「病棟数が増えたことでカリヨン文庫の人たちはたいへんになったけど、私たちはその分本当に助かっています。看護婦がしゃかりきになってがんばらなくても、子どもたちにやすらぎを与えてくれる人がいる。子どもたちの喜んでいる姿を見ると、ああ、これでいいんだなって思います」
 自分たちができないなら、できる人にお願いする。そういう割り切り方が必要だと服部さんはあらためて実感したそうだ。


病院という場所での戸惑いと発見

 新しいものを受け入れることに対する病院側の戸惑いがあったように、篠塚さんたちにも悩んだり、迷ったりすることがあった。
 篠塚さんは、自宅で地域の子どもたちを対象にした『瞳文庫』という文庫活動を行っていた。東海さんも読み聞かせやストーリーテリングを長く続けており、豊富な経験を持つ。
 たくさんの子どもたちに接してきたふたりだったが、その子たちはいわゆる健康な子どもたち。やはり最初は病気である子どもたちに慣れなければいけなかったという。
 「頭ではわかっていても、実際に点滴台をひっぱっていたり、病気のために髪の毛がなかったりする子を目の前にすると、どう対処していいかわからないから立ち止まってしまうというのかしらね。どこの病棟に入るにも緊張していましたね。少し肩の力をぬいて行けるようになるには、そうですねぇ、五年くらいかかったかしら」と東海さん。
 お話し会の最中に点滴がピピと鳴り出し、「どうしよう、どうしよう」と、お話しどころではなくなってしまうこともあったそうだ。そして亡くなる子どももいる。
 「お話し会を始めた当初、病気の子どもに与えちゃいけない本があるのかどうかが心配でした。たとえば、死が描かれている作品がありますよね。昔話とか、最後に悪者が死んでしまいました、なんてよくあるでしょう」
 悪者の死は当然の報いとして書かれていて、パターン化されたストーリーなのだが、最初のころは気になったと篠塚さんは言う。
 本の内容について病院側に質問したところ、元気な子と同じように選んでくださいということだった。今はそれぞれのボランティアの判断に任せている。それに長年やってると、子ども達がどういうものを喜ぶのかが見えてくるのだそうだ。慣れないうちは、これを読んだらどういう反応があるだろうかといろいろ悩みながら選ぶが、病棟の様子がわかってくると、あそこの子どもたちだったらこの本がいいな、と読んであげたい本がわかるようになってくると篠塚さんは言う。
 病院内の子どもたちとつきあうことで、地域の文庫活動ではなかった経験や発見がふたりにはある。東海さんは、ストーリーテリングのよさを再確認した。
 「たとえば、手術後、病室を無菌状態にするために中に物を持って入れないことがあるんです。そんなときストーリーテリングなら、身ひとつで行ってもいろんな話しを語れるわけですよね。どの話しにするのかも、年齢やその子の様子を見てその場で決められるし、具合が悪そうだったら、五分の話を三分に短くすることもできます。
 それから、病院の子どもたちは元気な子どもたちに比べて呼吸のリズムがゆっくりなんです。ストーリーテリングだと本を見る必要がないから、子どもの全体の様子をよく見て呼吸に合わせて語ることできるんです。いろんな面で臨機応変に対応できて、本当にいいなって思いました」
 篠塚さんは、よい本とされている本はやっぱり本当にいい本なのだということを、子どもたちの反応から、あらためて気づかされた。
 「病院の子どもたちは、元気な子どもたちに比べて制限されることが多いんです。だから、私たちのささやかな活動も楽しみにしていてくれて、本にしてもかみつきがいいっていうのかしら、変な言い方なんですけど。それは、どういう本だったかというと、ロングセラーとして何十年も読み継がれている本だとか、基本的にいい本だとされているものなんです。ああ、やっぱりこの本はいい本なんだと、私たちが教えられることも多かったですね」
 「入院している子どもたちは、人と話しをしたがっているし、人とのふれあいを欲しています。子どもたちが過ごすカリヨン文庫の時間は、病院生活のなかでは点のような短い時間です。けれども、その小さな積み重ねが、本やお話しを媒介とした楽しい時間として子どものなかに残っていくのだと思うし、そう信じたいですね」と東海さんは言う。
 重症児が入院している病棟では、目に見えて症状が悪化していくことがある。自分でプレイルームにきていた子が、次には移動ベッドでやってくる。そして個室に入ってしまう。
 とてもヤンチャな男の子がいた。お話し会のときも、うれしくてはしゃいでしまう、そんな子だった。
 ある日、東海さんがその子の病室に行くと、青白い顔をして寝ている。その姿に胸をつかれながら、きょうは本は無理だなと思って帰ろうとすると、男の子がそばで付き添っているお母さんに、小さな声で本を借りたいと言っている。
 「体の状態でいえば、本を読めるような状態ではないんです。でも本を枕元に置いておくだけで、彼のなかにカリヨン文庫で大騒ぎしたいろんな思い出が膨らむのだと思います。そのことが少しでも全身状態にいい影響を与えることができれば、本当にうれしいですね」


医療者とは違った視点から子どもとつきあう

 センターに入院している多くの子どもたちが楽しみに待っているお話し会だが、なかには参加できない子もいる。個室に入院していたカズコちゃん(仮名)もそのひとりだった。
 カズコちゃんは先天的に免疫の働きが弱いため、生まれたときからずっと病院の中で生活してきた。新生児室から生後三か月には個室に移り、家族はもちろん、他者と一緒に暮らしたことがなかった。
 四歳になったときに、初めて大部屋に出ることが許された。昼食をはさむ一時間程度を大部屋の子どもたちと一緒に過ごしたが、肺炎になってしまい、以後個室から出られなくなってしまった。ベッドと小さなタンスが置かれている約六畳程度の病室が、カズコちゃんの生活の場であり、成長の場だった。
 カズコちゃんの部屋に入る人は誰でも、手を消毒液で洗い、備え付けのガウンとマスクをしなければならない。週に一、二回、無菌ストレッチャー(車椅子をビニールでグルッと覆い、外の空気が入らないようにしてあるもの)を看護婦さんに押してもらい病院内の散歩に出る。これがカズコちゃんの最大限の外出だ。
 無菌ストレッチャーに乗ったカズコちゃんが、お話し会に顔を見せたことがあり、東海さんたちもカズコちゃんは気になる存在だったという。
 ある日、服部さんと東海さんが話しをしているときにカズコちゃんの話題になった。その時のことを服部さんは次のように語ってくれた。
 「このままずっと隔離された状態でカズコちゃんが大きくなっていくことが、いいことなのか疑問だったんです。病気を治すため、感染を防ぐために、マスクとガウンをした看護婦が対応する生活。私たちはそれに慣れてしまっているけれど、人間的な関わりがあまりにも少なすぎる。これは、もしかしたら間違っているんじゃないか。極端に言ってしまえば、普通の人と生活をさせることで、病気が悪くなったとしても、そっちのほうがいいんじゃないかって思い始めていたんです。
 それにカズコちゃんは、平均年齢と比べて発達が遅れていました。当時五歳でしたが、発達のレベルで見れば二歳程度でしたね。病気そのものが原因になっている部分もあったんでしょうが、限られた人間関係による二次的なことも原因のひとつになっている気がしたんです。そんな話しを東海さんにしていたら、『カズコちゃんの個室に入りましょうか』って言ってくれたんです」
 服部副部長と話し合った結果、毎回同じ人が接したほうがよいだろうということになり、カリヨン文庫のメンバーのなかから東海さんを含める三人が担当になった。
 一九九五年四月六日から、毎週木曜にカズコちゃんの病室を訪ねた。時間は午前一一時から正午までの一時間。以前にも、骨髄移植の手術を受ける子どものために単発的に個室に入ったことはあったが、今回のように継続的に入るのは、カリヨン文庫にとっても初めてのケースだった。
 カズコちゃんのいる病棟の婦長である大殿さんもカリヨン文庫が入ることを歓迎してくれた。
 「カズコちゃんは、肺炎を起こしてから言葉が出なくなってしまったんです。看護婦の言うことは理解するんだけれど、自分の言いたいことは身ぶり手振りで表現していました。それぞれの看護婦が言葉を出すためのアプローチをしていたんですけど、効果は現れていませんでした。もっと多くの人と接することができればいいと考えていたので、病院のことをよくわかってくれている東海さんたちに関わってもらえれば、カズコちゃんの刺激になるなって思いました」
 東海さんたちも言葉の出ない子どものところへ入ることに、かなり戸惑いがあったという。そこで、カズコちゃんと数回接して様子を見てから、その後の方針を決めることにした。そして毎回、読んだ本のタイトルやどんな遊びをしたのか、そのときのカズコちゃんの反応、そして東海さんたちが気づいたことなどをノートに記録していった。
 カズコちゃんを担当しているふたりの看護婦さんにもそのノートを読んでもらい、看護婦さんからの要望・意見などを書いてもらった。看護婦さんは三交代制で勤務しているので、担当といっても毎回顔を合わせられるわけではない。記録ノートをお互いに読んで、連絡を密にするのが目的だった。
 実際にカズコちゃんと遊んでみると、具体的な疑問が出てきた。たとえば、『ずいずいずっころばし』をやっているときも、腕がすぐに下にさがってしまう。そういうときに、腕を上げさせていいのか、それとも無理をさせてはいけないのかが東海さんたちにはわからない。なかでも一番の疑問は、言葉のことだった。東海さんたちはノートのなかで、何度も「なぜ、一度は出ていた言葉が出なくなったのか」と、その原因を尋ねている。
 「看護婦さんと相談して病院の言語療法士さんにきてもらおうということになったんです。一度は、外来が忙しくて来られないって言われたんですけど、同じ病院にいるんだからいつでもいいから来てくださいって、再度お願いしました。そうしたら、時間をつくってくださったんです。職員同士だと一度断られると、もう一回は頼みにくいのだろうけど、私たちの場合は、もう少ししつこくお願いできるんですよね。
 私たちが遊びのなかで気づいたことをああだこうだ言う。それを看護婦さんが受けてくれて、『じゃあ、こうしましょう』と対応が広がっていきました。『ずいずいずっころばし』のときの疑問についても、看護婦さんがリハビリの先生に聞いてくれました。
 私たちは、先生や看護婦さんたちとは違うところからカズコちゃんを見ていくというのでしょうか。仕事と仕事の隙間を埋めるみたいな、そんな感じですね。でもそれがすごく大切だなって思います」と東海さんは言う。
 東海さんたちが、もっとカズコちゃんの病状について詳しく知りたいと言ったところ、ではカンファレンスに出席してください、との返事があった。カンファレンスとは、その患者に関わっているスタッフが集まって、患者の症状や治療法について話し合うもの。カズコちゃんの場合は、医師、看護婦、言語療法士、理学療法士、そしてカリヨン文庫のメンバーが参加した。
 「言葉が出ていたときのビデオも見せてもらったんです。たくさんは話していませんでしたけど、『ぞうさん』などの単語はしゃべっていました。それが全く出なくなったのは、どうしてなのか。私たちは、しつこく聞いたんですけど、はっきりした原因はわかりませんでした。
 では、言葉を出させるためにどうすればいいのかを言語の先生と相談しました。言語の先生は、当然のことながら治療という観点で考えていらっしゃるんです。私たちは、先生の話もアタマにいれつつ、でも治療として接するのではなくて、遊びのなかで話せるようになればいいんじゃないかって思っていました」
 記録ノートを読むと、徐々にカズコちゃんの発音が増えていくのがわかる。
 東海さんたちは、ほぼ毎回カズコちゃんに絵本を読んでいた。そのなかの一冊に『おおきなかぶ』(再話/内田莉莎子 画/佐藤忠良 発行/福音館)がある。ロシア民話を絵本にしたもので、いつの時代の子どもたちにも喜んで読まれているお話しだ。ストーリーは、おじいさんのつくったかぶがとてつもなく大きく育ってしまい、おじいさんひとりでは抜くことはできない。おばあさんを呼んできて一緒に抜こうとするが、まだ抜けない。おばあさんは、孫を呼び、孫は犬を、犬は猫を、猫は…、と繰り返しながら展開していく。
『おおきなかぶ』を二回目に読んだとき、カズコちゃんは、すっかりお話しのなかに入ってしまい、自分からかぶをひっぱるまねをしたり、次に誰を呼んできたのかと尋ねると、不明確な発音ではあったけれど、「いぬ」「ねこ」と声を出して答えた。
 服部さんも、カズコちゃんがカリヨン文庫と接するようになってから、表情や言葉の変化を感じた。
 「今まで見せたことのない反応を示したりしました。ドクターや看護婦など医療者と東海さんたちへの対応が違うんです。たとえば、ドクターが病室に入っていくと、ささっと辺りを片づけて早く帰ってほしいというそぶりを見せるんです。でも、東海さんたちには、長くいてほしいという反応を見せました。いてほしい人と早くいなくなってほしい人への対応に違いが生まれたんです。
 それは、カリヨン文庫が入ったことによって発達したものか、前からあったけど見えなかっただけなのかわかりません。でも、待っている人への反応を出したということは、とても大きなことだと思うんです」
 このまま順調に進展するかに見えたが、少しずつカズコちゃんの様態が悪くなっていった。カリヨン文庫と過ごすときもだるそうにしていることが多くなり、遊ぶことよりも抱っこをせがむようになった。そしてカリヨン文庫が病室に入り始めて約七か月目に、カズコちゃんは亡くなってしまった。
 東海さんはいまでもカズコちゃんと過ごした日々をきのうのことのように思い出す。
 「カズコちゃんは、ずっとひとりで食事をしていたんです。お母さんや看護婦さんがそばについて食べさせてあげることはしたかもしれないけど、人と一緒に食事をするということはなかったから、他人が食べているところを見たことがなかったんです。そのせいか、咀嚼が上手にできませんでした。
 私たちが病室に入るようになってしばらくしてから、看護婦さんがカズコちゃんと一緒にお昼ご飯を食べることにしたんです。そうしたら、少しずつ噛む力がついてきました。
 どうして、もっと早くからやらなかったのか不思議なんですよね。異常なことが病院のなかでは当たり前のことになってしまうのがこわいです。病気の治療が優先で、それどころではなかったのかもしれないけど、やはりそれではいけない。だって治療している時間なんてちょっとじゃないですか。あとの時間を、どう過ごしていくかがとても大切だと思います」


あらたなチャレンジはクッキー作り

 東海さんたちが次に挑戦しようとしていることに、病棟内でのクッキー作りがある。
 「女の子たちがクッキーを作りたいって言っているんです。それから、小学校高学年から中学生の女の子のなかには、病室に閉じこもってしまって、なかなか外に出てこない子たちがいるんです。お話し会なんかも、きっと子どもっぽく見えるんでしょう、顔を見せないんですね。そんな子たちと話してみると、クッキー作りには興味があるっていうんです。だったら、なんとしてもクッキーを作りましょうって思うじゃないですか。
 食事制限があったり、食べるものを作ることに病院側がどこまで許可してくれるか、いろいろ問題はあるんです。でも、無理だって思ってしまったら何もできないですから、どうやったら実現できるか、いま考えているところなんです。できれば、クッキーの生地を練るとことから始めたい。もし、それがだめなら生地は私たちが作ったものを持っていって、型抜きからやらせてあげたいって思っています」
 いつもは、消毒剤の匂いがする病院に、ある日突然、甘くて香ばしいクッキーの焼ける匂いが漂う。それはかなり素敵な事件だ。

 カリヨン文庫のお話し会は、ろうそくの灯を吹き消すことで終わる。
 「このろうそくは不思議なろうそくです。心の中でひとつ願いごとをすると必ずかないます」
 誕生月の子が「イチ、ニの、サン」で灯を吹き消す。
 この時、篠塚さんは「一日も早く、この子たちが元気になりますように」と願う。それは、子どもたちに関わっている人たち全員の願いでもある。

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