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[004] 病室名主の権力構造(1)

あ、忘れないうちに書いておきますが、ぼこぼこ状態にされている漢字能力検定協会の件ですが、おそらく遺漏はなかろうとは思うけど、新聞記者のみなさまは、この協会と文科省からの天下りで不適切な関係は、いちおう調べてみたけど、なかったよ、とコメントされておかれるほうがよろしいのでは、と。天下り受け入れをキョヒっていじめられているとしたら。なんてこと、あるわけないか。

いわゆるところの「差額ベッド」についてのアレコレに関しては、20年前から言いたいことはヤマほどあって、黙っていろといわれても、そのうち書かせていただきます。

で、その件についてはひとまず措いておきながら、入院病棟には、基本的に大部屋と1人部屋、2人部屋〜が存在している。大部屋というのは(よく知らないんだけどね)6人部屋がキホンであるようで、それ以下の部屋も1人用以外はシンメトリー構造になっているのが普通みたい(みたいみたいの連続で、信頼性のかける文章である)だから結局のところ、部屋のタイプは1人、2人、4人、6人ということになる。

いつのまにか、1人部屋をのぞき、すべてのタイプの部屋への入院を経験したことになる。

未知の1人部屋は別にして、ほかのタイプの定員は必ず偶数になっており、ベッドのレイアウトは、入り口からマドまでまっすぐ通路、左右に「非」の字型にベッドを配置、というふうになっている。いや、2人部屋は違ったな。足側に通路、奥がマドで平行にベッド2台だった。

6人部屋は通称大部屋であって、ここでは追い銭はとられない(あたりまえだ)。残る2人部屋、4人部屋は無茶苦茶な料金設定の追加料金をふんだくられるようになっている。

そもそも入院は個室がキホンだとぼくは思う。加療しているのに、夜な夜な40cmほど歯科はなれていないベッドでずっとうなり声をあげ続ける患者の苦行につきあわされていなければならないんだ。日本の経済関係の法律のどっかには「むちゃなことをして金をとってはダメだ」という規定があるはずで(なければ我が国は野蛮である)、その法律からしても、現行システムは無茶苦茶だ。

冒頭に宣言したように、それはまた別途考察する。本日はひとまず冷静に……。

つまり、なにが言いたいか、といえば、ひとくちに2人部屋、あるいは4人部屋といっても、ベッドの配置によって、2or4人部屋/窓際、2or4人部屋/通路側という「亜種」が存在することになる。いうまでもないが、両者の間に料金設定に差はない。

同じ金をふんだくられながら(払っている、わけでは絶対にない)、どちらのタイプのベッドをあてがわれるかは、まったくの偶然によって支配されている。ルールは(トロいプレーヤーが介在していない限り)、新入りが通路側、なのである。

風呂敷まとめて夫婦で彼らは病室にやってくる(たいてい老年だからね)。はーい。大川さん(仮名)、ここが大川さんのベッドです。あちらが山本さん(仮名)、田中さん、河野さん(以下同)。「あ、よろしくおねがいします…」ぺこぺこ、というプロトコルである。

大川さんとしては、同じカネはらっているのに、なんでぼくがこっちなんや、と主張することはできない。だって、奥に鎮座している田中さんと河野さんは、もう1週間も前から服役して、ようやく出世を遂げた「ベッド名主」様であるからである。そんなことを新入りの分際で口に出そうものなら、サンピン。100年早いや。と凄まれてしまうのである。

大川さんにとっては、入院そのものもショックであろうが、通路側のベッドという屈辱と不利益にも耐えなければならない日々が続く。しかし、安心なさるがよい。ぼくもよく知らぬが(またかよ)、最近の病院は長くは逗留させていただけない仕組みになっており、病棟などによっても違うだろうが、名主のかたがたは、早晩ご退院召されるのである。

退院は午前中。新規入院は午後。というふうに決まっている。これはホテル業と同じで、やはり、病院といえども「宿泊業界」というククリのなかでの仕組みには従わざるをえないのだ。大川さんとしては、田中さんが退院され、新しい患者が午後にやってくる前に、ナースに「奥へ直りたい」旨の申し立てを行う。

すると、存外軽い感じで、「ん? 奥へ移りますか。いいわよ。じゃあ、ロッカーの中の荷物をベッドに上にでも出してくれる」なんて感じでそく行動に移ったりする。病院のベッドやテレビセットは移動が楽にできるように作ってあるので、作り付けのロッカーの中さえ空にすれば、幌馬車隊のようにどこまでも簡単に転がっていけるのである。

病室の窓は大きい。この大きな窓から外を見ながらベッドに腰を下ろしているだけでも、病は少しは癒えていくような気すらする。それに窓際の幅50cm程度の「共有地」は、だれも入ってくることができないため、実質的には窓際名主の支配下に組み入れられる。

病院の立地がいかに悪かろうとも、窓から外がいつも見えている明るい窓際ベッドと、四周をへんなカーテンで取り囲まれている入り口側ベッド。その違いはもう筆舌に尽くしがたい。

いや、実は、窓際の権力の源泉は、この「単純にきもちいい」ということにはとどまらない。その真実は「窓際だけが、カーテンのコントロール権を掌握できる」というところにこそ、あるのである。

岩田書院の裏だよりで、図書館の本の購入を考える

図書館は無料貸本屋だ、という批判がある。
とくに、副本という、人気のある本(だいたいはベストセラーだと思われる)/複数(例えば町田市では60冊とかの例もあった)買うのがけしからん。という意見だ。
で、これにはこれまで、批判的でした。
200人とか数百人の予約があると、いくら60冊買っても数ヶ月、読めるまでかかる。
240の予約÷60冊購入×一人2週間借りる=8週間(2ヶ月)で、60冊買うのは珍しいようだから、
実際借りられるまでは、もっと日数がかかるはず。
そんなにまたせてるんだからイイじゃん、というのが一つ。

複本がないと、本を買う人が増えるとも思えんというのが二点目。

そもそも、重箱のスミをつつくようなことを言わずに、図書館と一緒にハッテンするように考えるほうがいいじゃん、というのが三点目。

でも最近は少し図書館側も考えてくんなきゃ、という気分が増えている。

本の年間総売り上げ冊数が7千551億冊で
図書館の館外個人貸出総数=6千548億冊(都道府県/市区町村/私立20館 計3,111館)
こんなに売上げに迫るくらい館外貸出があるんだから、もっと本を買ってくれなきゃ、って思う

それから、岩田書院の新刊ニュースの裏だよりの記事も。
TRC(図書館流通センター)の販売実績が、
・岩田書院「日本古代の外交制度史」7900円が4冊。
NACSIS Webcatで調べた大学の所蔵数が32冊。
他にも、同じような専門書の例が「裏だより」には書いてあって、どれも一桁。
都道府県立図書館はなにをやってるんじゃいってかんじ。
都道府県立は資料保存と、市区町村立のバックアップが役割なんだから。

この二点から、図書館は、もっと本を買うべきじゃないか、と思う今日この頃。

図書館の商売のネタは出版界が商売で作ってる本ですぜ。
出版界がないと、図書館は仕事なくなりますよ。

と、考えてくると、出版という民業にも、公共的な役割があるんだなと思う。
いや、そもそも、公共はイコール役所の仕事、なんかでは何でもなく、
さまざま民業にも公共性があって、その公共性割合はグラデーションのように、
業種によってちがうってだけだと思う。

役所が公共性を独占してるとおもったら大間違いなんだ、きっと。

青き闘球部

朝高ラグビー部には魂がある。
それは日本人が忘れてしまったものだ。
─竹内伸光・國學院久我山ラグビー部監督

70年代。東京朝鮮高校にラグビー部が産声を上げた頃、彼らは日本の社会でどこからも相手にされなかった。
…それでも、ほんの偶然から交流が始まり、身体と身体をぶつけ合い、互いに互いの痛みを知ることによって、少しずつ相手を知り始めた。(本文より)

そして未経験者が大半のラグビー部は、東京都予選決勝まで勝ち上がる強豪となった─

1994年に公式戦出場が認められ、全国大会・花園にあと一歩まで迫る朝高生たちの姿を描いたノンフィクション。