図書館の中では見えないこと」タグアーカイブ

お部屋1969/図書館の中では見えないこと 1・図書館はコンビニである【訂正・追記あり】

もう図書館の話は飽きました。今回からまとめに入って、もともと論じたかった書影の話に移行します。このまとめがまた長いんですが、都立多摩図書館の廃棄問題に限らず、私は図書館の何を問題だと考えているのかについて書いておくとします。今まで何度も書いていることですが、読んでいない人もいましょう。

本に対する興味はあっても、私は図書館に強い興味があるわけではないです。本当は強い興味があるのですが、現状の図書館には興味を抱きようがないとでも言った方がいいかな。したがって、図書館のことを書くと批判的なトーンにならざるを得ないところがあります。

だからといって、図書館の役割を否定する意図はないですよ。図書館を敵視する一部のバカな出版社や書き手とは違いますので、誤解なきよう。

「図書館のせいで本が売れなくなる」なんて言っている人たちは正気なんですかね。今現在はともあれ、子どもの頃に図書館に世話になったことがないのかな。

ひとつの図書館に何冊も本が入るような人たちは、十分印税を得ているわけで、どこまで金に貪欲なんかと。たぶんこういう人たちと、本のデジタル化に反対する人たち、著作権保護期間の延長をもくろむ人たちとは重なっていそうです。全部、バカみたい。

私の本はどんどん図書館に入れてもらいたい。「1933/エロの排除」で、「マツワル」の購読者が、都内の二カ所の図書館に『エロスの原風景』のリクエストを出したところ、どちらも「お断り」だったとの話を書きました。

早稲田大学の図書館にリクエストした段階ではすでに予定しているとの回答があったとの話もコメントされていましたが、ウンコの写真が出ている本なんざ、その辺の公立図書館には一冊も入らないのだろうと思ってました。

ところが、その購読者がまた教えてくれたところによると、入れてくれた図書館もけっこうあります。
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お部屋1968/除籍予定本の大半は多摩の資料ではないのでは?【追記あり】

前回書いたことを踏まえて、地域資料についてもう少し書いておきます。

「市販されたものに比べて入手が難しい」という側面があるのは事実でしょう。図書館で地域資料の書架を眺めればわかるように、市販されているものも多いですから、あくまで「入手が難しいものもある」ってだけですが、一部を除いて、行政資料は販売されないですし、増刷されることもまずない。市史の類いは古本市場にナンボでも出ますが、会計報告書は売りに出ない。欲しがる人がおらず、値段がつかないためです。

同時に、行政の発行物は、黙っていても図書館に配布されるという側面もあります。『武蔵野市史』が、三市町の図書館を除いて、東京の全市立・町立・区立の図書館に収蔵されているのも、「購入するかどうか」の判断をするまでもなく配布されるからでしょう。これが地域資料が広く収蔵されている理由の第一点です。羽村市立図書館にないのは、その当時はまだ羽村町だったためでしょうか。

続いて、「地域資料は貴重」という意識が図書館側にあることが第二点目です。そのため、廃棄されない。40年近く前に出た『武蔵野市史』が今も残っているのはこのためです。

これが成文化されている自治体もあります。例えば厚木市図書館資料除籍基準志木市立図書館除籍基準など。どちらも郷土資料と行政資料に限って廃棄できないということなので、地域資料のすべてを捨ててはいけないというわけではないでしょうが。
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お部屋1967/改めて地域資料を調べてみる

正直なところ、多摩図書館の廃棄本問題についての皆さんの反応を見ていると、「何を大袈裟な」といった印象を拭えません。たぶん、「地域資料」というところで、とてつもなく重要なものが捨てられるとの想像を膨らませているのでしょう。「どうせおまえらは、エロだったら、なんの反応もしないくせに」と思わないではいられない。

各地域で出された雑誌や報告書の類いが重要ではないと言っているのではないのですよ。私もそういったものを探すのに苦労した経験が幾度もあります。

かつてその地域にあった遊廓について詳しく知っている世代の人が近隣に残っていないことがあって、こういう時は、市史の類いを丹念に調べていくと、ひっそりと出ていたりするものです。あるいは、地元の郷土史家が自費出版していたり。

今回廃棄されるものの中にも、八王子や調布、府中、三鷹の遊廓や赤線、街娼に関する資料があるかもしれない。たぶんほとんどないと思いますけど、あったとしても、どっかの図書館が保存していればいいや。
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お部屋1966/廃棄本・里親探しの実情

「多摩図書館の廃棄本問題」はもういいかと思っていたのですが、これに関する話題をつらつらと見ているうちに、他にもいろいろいと気になることが出てきてしまいました。

ふだんだったら、「マツワル」に書くところですが、「黒子の部屋」で公開してしまったので、続いてこちらに書いておきます。

多摩図書館の廃棄本問題は、NPO法人「共同保存図書館・多摩」の事務局長の話から始まったようです。

多摩地区の図書館では年間60万冊の本が廃棄されているのをなんとかしたいというのがこの団体の設立趣意です。気持ちはわかりますが、意味のあることをやっているとはどうしても思えないです。

その実績はこちらの記事に出ています。

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図書館関係者でつくるNPO法人「共同保存図書館・多摩(多摩デポ)」(座間直壯(なおよし)理事長、調布市)が、廃棄される蔵書の「里親探し」を始め、注目を集めている。蔵書を維持できない図書館と蔵書が足りない図書館を橋渡しする事業で、民間団体による取り組みは全国でも例がない。これまでに148冊の仲介に成功したという。【山本将克】
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お部屋1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示

ポット出版のサイトで、このところ話題なのが「朝焼けの図書館員」のエントリー「救いたい!」です。アクセス急増中です。

しかし、協力貸し出しができるようになったために、都立図書館の中で重複している本を捨てるってだけのことですから、何が問題なのか私にはさっばりわからないです。なぜそう思うのかについては、東京国際ブックフェアで語った話を参照のこと。

こんなことはよくある話であって、どうして今回これが特別に問題視されるのか、どなたか説明して欲しいです。単純に「もったいない」という気持ちはわからないではないですが、それを保存するための税金の方が私にはもったいない。そんなことでは、オリンピック招致に150億円を使った石原都政を批判できないです。

保存を目的とする国会図書館で、行方不明になったり、破損したりする本があることについては私は怒りに近い感情がありますし、箱やカバーを廃棄していることについても同様です。それを放置していることと、利用者の少ない重複本の破棄に反対することは、根っ子は一緒のようにも感じます。それぞれの図書館の役割をはき違えています。

国会図書館以外の図書館でも保存を考えてもいいですが、限られたスペース、限られた人員、限られた予算の中で保存するのであれば、より多くの種類の本を保存すべきであり、重複しているものは廃棄していいでしょう。

都立図書館はどうなのか知らないですが、廃棄本はもらいうけることができるはずなので、これを批判する人たちは、私財を投げ打って個人で保存すればいいのではなかろうか。税金を使わないでください。
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