原発」タグアーカイブ

お部屋2270/やらせでおなじみ九電に抗議

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昨日は全国に名を轟かせるブラック企業、九電東京支社への抗議行動に行ってきました。

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お部屋2264/怒りを打ち鳴らせ! もうじき「怒りのドラムデモ」

勢いで昨日の続きを書いておきます。

改めてOCCUPYなんて言わなくても、デモはその時間道路を占拠する合法的な行為です。そして、沿道とデモとの境界線が消えた時、街は占拠されます。最近のデモはゴミ拾い隊も充実しているので、占拠されたあとの街はきれいになります。

先日のツイッターデモではたかが小旗が境界線を溶融させる役割を果たしました。繰り返されることによって共感する人が増え、見物人という層が膨らんだために、渋谷の街は毎週末着々と占拠されつつある。

デモに入る勇気のない人は見物に来るとよい。それもまた意味のあることです。ツイッターデモでは、隊列の最後は、ご老人や子ども連れの人たちが参加しやすいように、大きな音や声を出さないようにしていますが、それでも臆する人たちは、歩道で見物しましょう。

小旗くらいは大丈夫でしょうが、歩道でプラカードなどを手にすると警察に注意されることがあるので、「NO NUKES」Tシャツを着たり、ステッカーを持ち物に貼る程度にしておいた方がよいかと。
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プロテストソング『ダッ!ダッ!脱原発の歌』

時代変われば、歌変わる。

制服向上委員会(SKI)が8月15日にリリースした

制服向上委員会『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』

は、これまでにはなかった感じのハキハキして明るいプロテスタントソングである。
いや、抵抗歌という枠を超えている。

15歳の福島の女子高生が東電幹部に涙目で

「子供が産めない体になるのではないかと不安」

と迫ったが、女子中高生から成るメンバーは、
この言葉に共鳴する感受性を持っている。

お部屋2243/米袋の何が問題か【追記ありあり】

中国の核施設火災に続いて米袋の話です。今回も今まで「マツワル」やツイッターで書いたことのまとめであって、面倒なので、いちいちリンクはしないです。各自検索のこと。

ネットで販売している米袋業者が叩かれているのですが、意味ないです。

米がどういう状態で流通しているのか理解しておらず、農家やJAですべての米は2キロ、5キロ、10キロといった単位の袋に詰められていると思っている人がどうやら多いみたい。これを前提に、ネットで新潟産や秋田産の米袋が売られているのを見れば、即、「偽装用だ」と思い込む。

今の時代は、米をスーパーでしか買ったことのない人たちがいるんですから、やむを得ないとは思うんですけど、問題の解決を遠ざけるので、皆さん、冷静にやりましょう。
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お部屋2242/中国の核施設火災

また思い切り間が空いてしまいました。

なんのスペシャルか知らないですが、スペシャルシーズンとして、メルマガを1日3本ペースで配信し続けているものですから、ツイッターもブログも書いている暇がないです。ツイッターはたまにはやっていますが。

で、たまにツイートしたことがRTされたり、参照されたりしてるうちに、どんどんこちらの趣旨と違う話になってきて、「おいおい、そういう話じゃないんだけど」ってことになることがあります。つまりは、劣化していくわけです。

また、事態は変化しているのに、古いツイートがRTされることもあります。

あれ、困っちゃうんですよね。あたかも私がいい加減なことを言ったみたいで。RTする時は、元のツイートを確認してくれればいいんですが、短くされてしまったツイートしか見ていない人が多いようです。

数時間前もたまらず理解を求めて何人かにまとめてメンションを飛ばしたのですが、うち一人が逆切れしてやんの。最初のツイートをした私がその趣旨を説明しようとしているのに、聞く耳を持たないんですから、どうしようもないですわ。アホは一生アホってことで。

誰だって間違えるわけですから、そんなことで難詰するつもりはなく、理解しようとする人たちには説明もしますが、何度も何度も説明するのは面倒です。詳細に事情を書いているメルマガは一般公開していないので、「あれを読め」とも言えない。
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お部屋2234/7・23脱原発デモ@渋谷・原宿

昨日のデモで全種入手しましたが、脱原発うちわはいいわ。うちわマニア的に、じゃなくて、脱原発的に。

デモに出なくても、声を出さなくても、お祭りでこれを持って歩けば脱原発活動家。他者にアピールしなくても、ここに書かれた文字を読めば勉強になる。その上涼しい。

うちわマニアであるとともに提灯マニアである私としては、反原発提灯が欲しいなあ。提灯はそんなに高いものではないので、自分で発注して、盆踊りの提灯に紛れ込ませようかな。

で、昨日のデモはムチャクチャよかったんですよ。感動したと言ってもいい。デモに参加していない人たちにとってはどうでもいいことでしょうし、参加していた人にとってもわりとどうでもいい非常に個人的な事情、個人的な見方なので、広く語るような話でもなく、詳しくは「マツワル」に書くとして、もっと広く語るぺきことは改めてアップします。

ここでは写真だけ出しておきます。私は第二梯団にいて、出たり入ったりして撮っていたので、そちらのみの写真です。

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お部屋2219/デモの自由と不自由なデモ

台風のために延期になってしまったのですが、本日(5月29日)、「暗い日曜日」というデモが行われる予定でした。

これ、いいんですよ。声を出さない。顔も隠す。不自由なデモです。

デモ一般に「声をあげよう」という呼びかけがなされるわけですが、ここでは声をあげないのがルールです。楽器や鳴りものも禁止。

デモをやるだけで逮捕され、「デモをやって何になる」「ただのお祭り騒ぎじゃないか」と揶揄するヤツらが次々と出て来る。そんな国でしかないんだったら、中国の民衆に倣って沈黙のデモをやるのもいい。DOMMUNEに出た時にそんな話をしたと思いますが、その時は「全員鼻血を垂らしているのはどうか」と私は提案。

対して「黒い日曜日」では顔を隠す。そうすることで匿名性を協調し、すべての人の問題であることを見せるということなのか、肖像権を守るためなのか。

5月7日、渋谷のデモのあとだったと思いますが、ツイッターで「写真を撮られた」と不満を書いている人がいました。しかし、デモに参加すれば肖像権の主張はできないのですから、写真を撮られることやメディアに出されることは覚悟しておけって話。

デモに参加した体験が少ない人はこういったことにも無頓着なのでしょう。しっかり理解しておいてもらわないとトラブルになりかねないのですが、いちいち説明するのが面倒なので、デモにおける肖像権については、以下を読んでいただきたい。

1442/その後の「靖国」
1444/あれやこれやの表現規制 2

1447/あれやこれやの表現規制 3
1450/あれやこれやの表現規制 4
1452/あれやこれやの表現規制 5
1453/あれやこれやの表現規制 6
1455/あれやこれやの表現規制 7
1456/あれやこれやの表現規制 8
1457/あれやこれやの表現規制 9
1459/あれやこれやの表現規制 10
1462/あれやこれやの表現規制 11
1463/あれやこれやの表現規制 12
1467/あれやこれやの表現規制 13
1479/あれやこれやの表現規制 14
1481/あれやこれやの表現規制 15
1483/あれやこれやの表現規制 16
1487/あれやこれやの表現規制 17
1489/あれやこれやの表現規制 18

細かな部分では間違いがあるかもしれないですが、顔をアップにされない限り、デモに参加する人たちには肖像権は認められない事情が理解できましょう。

週末はUstで全国のデモを鑑賞するのを楽しみにしているのですが、時々、参加者に配慮しすぎで、ずっと足下ばっかりカメラが追っている中継があります。「なるほど、デモに参加する人たちはナイキが多いのか」なんて確認したって面白くねえってば。

デモによっては、写真を撮られたくない人たちの隊列を分けて、取材陣に対して「写真を撮らないように」と申し入れますが、強制力なんてあるはずがないですし、一般の人たちが撮ってしまうことを避けることはできません。

撮られたくない人は顔を隠すべし。自分でガードできるし、ガードすべきなのに、それをやらずに、写真を撮る人に文句をつけたり、主催に文句をつけるのは単なるわがままってもんです。

顔を出している人たちの中で顔を隠すことには抵抗がある人たちもいます。何か後ろめたいことがありそうで。しかし、「暗い日曜日」だったら、堂々と顔を隠せる。

原発関係のデモでは、内部被曝を避けるためのマスクは、演出を含めて必須アイテムなので、マスクはしやすいですけど、「暗い日曜日」では、顔を隠してもいいのでなく、隠さなければならない。これだったら、山本太郎の二の舞になりたくない芸能人もサングラスをしたり、全頭マスクをしたり、着ぐるみを着たりして、身元を隠して参加できます。

これらの不自由なルールを設定することで、「声を出すのは恥ずかしい」「お祭り騒ぎに見られるのはイヤだ」「顔を隠したい」という人たちの受け皿になる。

また、「誰でも参加できるように明るいデモを目指す」という方向の中で、「暗い日曜日」は暗いです。現実が暗いのですから、暗くてもいい。それに共感する人たちもいるでしょう。

私自身が「よし」と考えているデモのありようを相対化して、もう一度考え直す契機にもなりそうで、このデモに多大な興味を抱きながらも、「アートパフォーマンス」という打ち出しがちょっと恥ずかしいです。「アートパフォーマンス」というのは、「反原発デモ」「脱原発パレード」といった冠さえも避けるためでしょう。その意図は理解しつつ、どうしても「アートパフォーマンス」には抵抗があって、参加はせずに、ちょっと離れたところから見物だけしようと友人と話していました。

延期になったのが残念です。

こういったさまざまなデモが出てきていることを好ましく思っているわけですが、ここでちょっと気になることがあります。

長くなるので次回。

次回をアップするまで、ダミアの「暗い日曜日」をお聴きください。