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こうしてエロ本の仕事をすることになった [下関マグロ 第12回]

今でも四谷四丁目から四谷三丁目にかけての新宿通りを歩くと、ここを3輪の原付バイクで走ったことを思い出す。時期は1984年の秋から1985年の暮れまで。麹町にあるパインの事務所に通っていたのだ。

今でもそうだが、新宿通りから行けば、四谷四丁目の交差点から歩道も車道も広くなり、視界が開ける。僕は劇的に変わるこの景色が好きだった。

JR四ツ谷駅を通り過ぎると、右に上智大学がある。その並びのビルに『SPA!』になる以前の『週刊サンケイ』の入っているビルがあった。ここには、オリーブオイルのPR仕事で一度お邪魔したことがある。上智大学の学食はその後何度も食べに行ったことがある。

ルノアールがあり、その先につけ麺大王があった。今は両方ともない。その先に「蛇の目寿司」がある。これは今でもある。ただし一度も行ったことがない。というか、当時はお金がなく、自分たちにそんな選択肢があるということは思いもしなかったのだ。そのお寿司屋さんの手前のビルの地下にあったのがアートサプライという編集プロダクションで、パインたちはここに間借りしていたのだ。

パインが僕に期待をしていたのは、広告営業だった。 続きを読む

合格電報屋で一稼ぎをもくろんだ [北尾トロ 第11回]

アートサプライの事務所は四谷と半蔵門の中間にあり、食事処には不自由しなかったが、決して安くはなかった。そこで、少しでも食費を安く上げたい駆け出しライターたちは、上智大学の学食によく足を運んだ。ここなら300円もあればまともな食事にありつける。食べるのはもっぱらカレーで、定食だと贅沢した気分。経済事情は学生以下だ。

だが、挨拶代わりに「金がない」と言い合っているのも飽きてきた。何かてっとり早い現金収入の手段はないだろうかと考え、受験生相手の合格電報屋を思いついた。

「上智なら地方から受験に来る学生も多いから、けっこう注文があるんじゃないの。仕事もラクだよ。受験日、試験が終わった頃に行って2時間勝負ってとこだな。あとは発表日に見に行って『サクラサク』とか『サクラチル』とやるわけよ」

増田君と伏木君に提案すると、ふたりとも乗り気だ。

「元手もかからないし、いいバイトになりそうじゃん。伊藤ちゃん冴えてるねえ。伏木君もやろうよ」 続きを読む

第22回 出版不況の原因について

出版不況と言われますが新刊書籍だけでなく古書や図書館での貸し出しも含めて考えると単純に本が読まれなくなったということでもないようです。ただし、新刊書籍や雑誌一点あたりの売上は、決して全てが減っているわけではありませんが、全体として減少傾向にあるのは間違いありません。また、古本や図書館での貸し出しを除く、いわゆる一般の書店(以後、新刊書店と表記します)の売上の落ち込みには新刊書籍や雑誌だけでなく既刊書籍(一般的な新刊委託の期限を過ぎた書籍とします)の売上減も含まれているようです。

漠然と言われる「出版不況」ですが、その実体はなんでしょうか。私は、新刊書店における書籍や雑誌の売上減がいわゆる「出版不況」と呼ばれるものであろうと考えています(雑誌の広告収入の落ち込みも雑誌を出している出版社では収入減につながっており、不況を感じる要因のひとつとなっていますが、ここでは雑誌の広告収入の減少については基本的に触れません)。

では、出版不況=新刊書店における書籍や雑誌の売上減、の原因は何でしょうか。

テレビやゲーム、ケータイ、インターネットなどの影響が再三指摘されています。限りある時間を奪い合うという意味での競合は間違いありません。影響が無いなどとは言えません。が、テレビにしてもゲームにしても、それによって新たなジャンル(例:テレビのガイド本やタレント本、ゲームの攻略本、パソコン書籍、ケータイ小説など)が生まれ、出版業界全体が成長してきたというプラスの面も評価すべきでしょう。

ところが、インターネットはそうした従来の競合メディアとはやや趣を異にしています。それは、インターネット(上のWebサイトやブログなど)というメディアの特性としてテキストのウェイトが大きいという点、これがテキストを中心とする従来の出版と真っ向から競合する要素として大きくのしかかっています。台頭しつつある電子書籍というメディアもテキストが主体です。それらのテキストが大きなウェイトを占めるメディアの影響を小さく見積もることはできません。

とはいうものの、インターネットとの競合だけが「出版不況」の原因であるとは私にはどうしても思えません。それとは別に根本的な問題があるのではないでしょうか。

競合の登場や世間全体の不況によって縮小しつつあるという事実は理解したうえで、それとは別に(まったく無関係とは言えませんが)「出版不況」の三つの原因を考えてみました。あくまで私見です。異論反論等あると思いますが、しばらくお付き合いください。

出版不況の三つの原因
1.「供給過剰」
2.「本との出会い方の多様化」
3.「本の選び方の変化」

ここにあげた三つの原因は相互に関連しながらも性格の違う問題を含んでいます。そのため、切り分けて考えることで、この三つの原因によって起こされた問題を深く考えることができるようです。

出版不況の話題になると「出版物の質の低下」「編集者の質の低下」「書店員の質の低下」といった「質の低下」が必ずと言っていいほど話題に上ります。これについては、質の低下が出版不況を生み出したというより供給過剰が結果的に質の低下を招いたと考えるほうが自然ではないかと私は見ております。「質の低下」は原因ではなくひとつの過程に過ぎないという考え方です(この点については後ほどもう少し詳しく触れるつもりです)。

では、以下、出版不況の三つの原因について順に考えてみたいと思います。

出版不況の三つの原因 1.「供給過剰」

まずは「供給過剰」です。

言うまでもないことですが、出版物にも需要と供給のバランスは存在しています。需要を超える供給は一般的に一点あたりの売上低下・価格の下落・商品寿命の短命化・質の低下などをもたらすようです。出版業界も例外ではありません。既に長らく売上の低迷は続いています。

販売チャネルの拡大などによる需要の掘り起こしもあり、全体で見るとまだ需要に余裕があるのではないかという期待もあったようです。もちろん、圧倒的な人気を誇る書籍(コミックも含む)や雑誌では販売チャネルの拡大は売上増につながっている例も少なくないようです。

しかし、全体としてみると需給バランスの悪化は明らかです。

供給過剰による需給バランスの悪化による直接的な影響はやはり新刊書籍と雑誌一点あたりの売上減でしょう。この一点あたりの売上減をカバーするためにアイテム数はますます増えています。その結果として商品寿命が短くなるだけでなく、新刊を陳列するために押しやられた既刊の売上減少も発生しています。また、製作期間の短縮によってアイテム数の増加を図っている場合には手間のかからない企画が優先される傾向もあるようです。そうした企画が市場でどう評価されるか。「質の低下」といった印象を与えている例も少なくないようです。

売上の減少をカバーするための方法はアイテム数の増加だけに限りません。少しでも多く売るために価格を下げる例は少なくありません。例えば「新書」というジャンルはある意味、単行本の単価を大幅に下げたものと言えます。価格戦略が効果のあるうちはめざましい結果も生まれますが、それが煮詰まると低価格だけが残ってしまいます。

こうした低価格化によるジャンルの破壊は過去にも旅行書やコンピュータ書といったジャンルで発生したようですが、新書はひとつのジャンルではなく「単行本」という大きな形態に対して価格破壊を行ってしまったようです。この影響は決して小さくありません。

供給過剰による売上減を何とかするための方策は他にも考えられます。「売れるアイテムを作る」と「売れないアイテムを作らない」という方策をとっている社も少なくありません。売れるアイテムとは何か、売れないアイテムとは何か、それを知るためのマーケティングに期待がかかります。マーケティングは市場との対話でもあります。ですので、必然的に、売れるアイテムは「売れているアイテム(と類似したもの)」となり、売れないアイテムは「売れていないアイテム」となります。前者はどこかで見たことある企画につながり、後者は当たり障りの無い無難な企画の提案につながります。出版業界においてはマーケティングの限界を指摘する方が少なくありませんが、これはマーケティングが市場の声を聞くことを前提としている以上、仕方がないことなのかもしれません。もちろん宣伝や販促を前面に押し出し「需要を生み出す」マーケティングの可能性はあると思いますます。が、それによって本来の自然な需要が圧迫されることもありそうです。ともあれ、どこかで見たことのある企画や無難な企画が読者からどう評価されるかを考えると、それらが「質の低下」という印象につながっている可能性は否定できません。

「出版物の質の低下」だけでなく、特に内部からは「編集者の質の低下」「書店員の質の低下」が指摘されます。これも、出版社や書店が従来の給与体系を維持できなくなったことで優秀な人材が集まりにくくなった可能性はないとは言えません。が、それ以上に、編集者であれば「どこかで見たことのある企画と当たり障りの無い無難な企画の数をこなす」、書店員であれば「以前より少ない人数で年間8万点の新刊だけでなく時宜にあった既刊やロングセラーなども把握して以前より一人当たりで圧倒的に広くなった棚を管理する」という現状を鑑みると、決して「質が低下した」といった指摘が的を射ているとは思えません。

供給過剰が売上の低下を呼んだのではなく売上の減少が過剰な商品供給を生み出したという見方もあるかもしれません。確かにどちらが先なのかを厳密に判断することは難しいようです。が、少なくとも出版業界は随分と長い期間に渡って右肩上がりの時代を経てきただけでなく、世の中の好況も不況も出版のネタとしてきたという過去があります。それを考えると、やはり供給過剰が先に来たと考えるのが自然ではないかと思いますがいかがでしょうか。

ですが、供給過剰となってしまった理由が売上の減少ではないとするとそれは一体なんなのか。

「供給過剰」は、出版業界が適正規模より肥大化してしまったことによるのではないでしょうか。

では、なぜ出版業界は肥大化してしまったのか。

出版業界は中からも外から随分と心配してもらえる奇特な業界です。予想以上に多くの方に愛されているようです。多くの方に愛されるということはとても素晴らしいことですが、これが実は肥大化の元になっているではないでしょうか。

愛されているがゆえに色々なことが大目に見られ淘汰の機会が失われてしまった。この業界を愛する人々が次々と参加するだけでなく離れていくということが少なかったために全体の規模が徐々に膨らんでいく。

当然それに見合う収入を確保するためには供給が増えます。右肩上がりの頃はそれで何も問題は無かった。適正規模を越えてもしばらくは維持できていたのが、ここへ来て瓦解を起こしている(ここでのインターネットの影響は小さくないようです)。

それが今問題となっている出版不況の正体ではないかと考えていますが、皆さんはどうでしょうか。

結論を出すのは早いかもしれませんが、規模がある程度縮小すれば問題のいくつかは解決できそうにも思えます。ただし、ある程度縮小といってもそれがどの程度なのかが見えないことが新たな不安の原因ともなっているようです。

続いて肥大化の理由を項目を分けてもう少し細かく考えてみたいと思います。

1.参入が容易

机ひとつあったら始められる商売とよく言われます。事実、その通りです。今は机も要らないかもしれない。電話一台で始められます。ISBNコードは誰でも取れます。出版社記号を持てば出版社です。口座貸しをしている社に発売元をお願いすることもできます。自費出版をやっている社にお金を払えば著者にもなれます。取次口座の取得は難しいと言われますが不可能ではありません。運良く取次口座が取得できても書店営業が面倒なら取次に配本だけ任せることもできるし、営業代行を使うこともできる。

とにかく、出版社は小資本ですぐにでも始められます。事実、多くの出版社がそうして事業を立ち上げてきました。何の資格も経験も知識も要らない。資金もそれほど必要ない。外部からの参入も少なくありません。インターネットの勃興より少し前にはIT系の企業が出版に進出する例も多くありました。最近でも進出や撤退は少なくありません。

経験も知識もないよりあるに越したことがないと通常の企業であればそう考えるのが普通でしょう。ですが、なぜか出版業界が頑迷固陋な業界であるとのイメージが先行してしまったようで起業される方の中には現状のルールなど知らないほうがいいと思っていらっしゃる方もいるのではないかと見受けられます。

ともあれ、どんな話題でも世間で潮流になるほど盛り上がれば関連の本は出版され、同時にそれを専門とする出版社が立ち上げられます。会社は消えることもありますがヒトは何らかの形で関係を保ちこの業界に残ることが少なくない。当然の結果として膨らみます。

2.自分でやらなくてもなんとかなる(なった?)

自分で書けないから著者を見つけてきて書いてもらうと公言する方もいらっしゃるようですが、とにかく出版社は自分たちで直接やらなくても成立することが、昔から沢山あります。著者はもちろん、編集も制作も営業も広告宣伝も在庫管理も流通も全て外部委託可能です。それだけ外部スタッフ、つまり関わっている人間が多いということでもあります(中小零細の出版社では規模のメリットよりも小回りが優先され、結果的に内部にちゃんとしたノウハウが蓄積されないというデメリットもあるようですが)。取次はお願いすれば配本や流通だけでなく全国津々浦々の書店だけでなく図書館や外商部に営業までやってくれました。過去のひとり出版社が成立していたのはそういう至れり尽くせりの取次が前提になっています。

今は確かに変わりました。ですが、取次に甘えたらなんとかなっていた時代は長過ぎた。まだ夢を見ているヒトは少なくありません。だからまた始める。それだとやはり膨らみ続けます。

3.自分でやってもなんとかなる

外部委託せず自分たちで全部やろうという意気込みも特に問題も無く通用します。コスト的には外部に委託したほうが安いかなと思うこともないわけではありません。質の問題も重要です。自分でやって質を維持するのは意外と大変です。が、やろうと思えば大抵のことは自分たちでやってもなんとかなります。

取次が何もやってくれないという嘆きを聞きますが、それなら自分でやればいいと考えるのは自然な流れです。事実、宅急便やネットを使えば発送も宣伝も従来の枠組みにこだわらずに組み立てられます。書店に対する直取引も不可能ではない。アマゾンのe託のようにオンライン書店と直接取引きするための仕組みもある。儲かるかどうかはまったく別ですが、従来の取次システムによらない書籍流通も、始めるだけなら簡単に始められます。昔から取次を経由しない出版社は多々ありますが、最近はそういう出版社が新たな可能性の萌芽としてメディアで取り上げられたり自らがネットで発信する例も多く注目を集めているようです。

多くの出版社にとって相変わらず最大の販売チャネルである書店についてですが、そこでは自分たちの「頑張り」が顕著に出ます。出版社が頑張ればモノは並ぶしそこそこ売れる、この状況は変わっていません。相変わらず有効です。ですが、出版社の頑張りが効くというのはよく考えるとおかしな点も含んでいます。出版社が売りたい本と読者が読みたい・買いたい本は完全に重なっているのでしょうか。出版社の頑張りに、読者のニーズはどのように反映されているのでしょうか。

頑張る余地があるならヒトも金も注ぎ込んで頑張るか、となるのは必然です。右肩上がりの時はそこに金もヒトも注ぎ込んでいました。

4.バカは愛される

この業界ではいい意味でのバカ好きです。業界バカといった話だけではなく、とにかくバカは愛される。バカに至るドラマに共感があるのでしょう。ある意味、好きでやっているということが免罪符と成り得るやや欺瞞的な優しさに満ちた業界なのでしょう。

だからでしょうか、会社の居心地はともかく業界での居心地が悪いという話はあまり聞きません。ぬるい体質は離れがたい居心地の良さを生んでいます。なので誰も離脱しません。

出版社のリストラや自壊現象は随分以前から始まっています。運悪くそこでふるい落とされることがあっても、何とかこの業界で居場所をみつけようとする方が多いのは、単にこの仕事しか知らないからと言う理由だけではないようです。

出版社を起こすヒトもいますがフリーのライターやエディター、営業代行などを始めるヒトも沢山いらっしゃいます。リストラしたはずのヒトに外部スタッフとして仕事を回している社もあります。結果的にアウトソーシングすることになって若干の人的なコストが減らせるかもしれませんが、規模が小さくなるわけではない。ますます膨らみます。

5.頭がよいヒトは気楽

この業界はバカばっかだと苦言を呈する頭のいい方も少なくないのですが、そういう方にとっても実はこの業界、とても居心地がいいようです。切れ者ばかりの苦みばしった世界は緊張の連続ですが、好きだからが許容される世界はやはりリラックスできるのでしょう。協調はあっても厳しい競争はあまりなかったのは確かです。だから頭のいいヒトもいなくなりません。特に金儲けに興味のある頭のいいヒトはもっと儲かる仕事を見つけても良さそうな気がしますが、この業界には金儲け以外の面白さがあるということなんでしょうか。とにかく誰もこの業界を去りません。どこまでいっても膨らみます。

6.憧れの安い労働力(これに触れるのはやや気が重いです。)

出版不況と言われる中でも頑張っている社は徹底的にコストを抑え一人当たりの製造点数を増やして効率を上げています。そうした社の中には人的なコスト削減にちょっとした工夫を行っている社もあります。

この業界に憧れる新卒や第二新卒に近い若者を安い賃金で長く定着しないように使い回すのが人件費抑制の「ちょっとした」工夫です。中には新入社員は弟子扱いで、勉強させてやってるんだからこっちが金もらいたいぐらいだよ、という勢いの社もあったりします。確かに徒弟制度的な面があるのは否定できませんが……。

出版で言う大手の下手すると1/3ぐらいの格安の賃金で使い回された若者はこの業界の経験しかないうえに色々と勉強させてもらったと本気で思っていたりするようです。なので当然この業界に残ろうとします。というか残ります。大手も、格安の賃金でも気持ちだけで頑張り続けるそういった社とコスト面で勝負するのは大変でしょう。出版大手の「既得権」がよく喧伝されますが、全部の社が同じ取引条件になったとしても、大手(というか世間一般)の給与水準を実現できない中小零細の出版社は多いはずです。要はブラック企業なみということです。色々な意味でけっこうツライです。

ただし、現実には大手であっても給与水準の見直しは始まっています。また、アルバイトや契約社員、外注によってトータルの人的なコストは圧縮されつつあります。それによって「質の高い人材が確保できない」という嘆きも聞かれるわけですが、薄給でも働く若者を見ると一概にそうともいえないと思うのですが……。

7.「目立つ力」が発揮できる場

出版業界の規模はパチンコ業界より小さいというのは有名な話ですがトヨタ一社より小さいというのはご存知ですか。その中に4千とか5千とか言われる出版社(実際にアクティブ=年に一点以上刊行している出版社は2000を切る程度と言われていますが)があります。、大出版社と言っても世間一般の企業から見ると明らかに中小企業であり、多くの出版社は零細企業です。関連する仕事としての編集プロダクションなどの規模も大きくはない。ライターやデザイナー・カメラマンなどの個人事業主も、一部を除けば、規模はとても小さいものです。

そんな小さな業界なのに昔も今も、中からも外からも、けっこうな関心が寄せられ続けています。しかも、そこからの発信は、現実には大きな影響が無いことであっても、なぜか大きなこととして受け止めてもらえます。何か発信したいヒトにとっては天国のような話です、関心だけは持ってもらえるわけですから。残念ことにそれが売上につながるかどうかはまた別の話ではあるのですが。

出版に関わる全てのヒトビトが、なんとなく持っている小さな誇りのようなものを満足させられる機会を様々な場面で与えられています。自分の仕事に関心を持ってもらえる、それだけでもかなり幸せな話です。その満足感や幸福感に裏付けがあるのかどうかは定かではありませんが。

中からも外からも多くの方に愛されていること自体はとてもいいことです。が、その愛が淘汰に対しての甘さを生み出していないか、その愛にどうやって応えるべきか、反省すべき点は少なくないはずです。

出版不況の原因のひとつを業界の肥大化による「供給過剰」としたうえで、肥大化の理由について考えてみました。

繰り返しになりますが、実際には、ここ数年、トータルでの頭数はさほど増えていないはずです。もしかすると減っているかもしれません。破綻する会社や規模を大幅に縮小して生き残りを図る社も増えてきました。団塊の世代の引退の影響もあります。新卒や中途採用についてもさすがにどの社も減らしているようです。

これから先、書籍の電子化によるコスト減と価格減=売上減が予想されます。現在の規模を維持するためには国内市場だけに頼らず国際市場へ進出するという戦略もあると思います。が、多くの出版社はやはり国内市場を前提にせざるをえません。規模の縮小を前提とした戦略的な合従連衡は必須であると言えます。欧米であった出版社の統合・グループ化が日本でも行われるはずです。

出版業界が肥大化を続ける(続けた)事情についてはとりあえず以上とさせていただきます。

出版不況の三つの原因 2.「本との出会い方の多様化」

次は「本との出会い方の多様化」によって本が売れなくなった理由を考えてみます。

「本との出会い方の多様化」は、直接的な意味では出版業界の中でも特に書店業界に多大な影響を与えています。昔は本と言えば本屋でした。もちろん、昔から図書館も古本屋もあったし通信販売や訪問販売もあった。外商による配達や少し懐かしい割賦販売、学校図書館への巡回営業、出版社による直販なども行われていました。ですが、大きな流れとして、本も雑誌も本屋で「定価で買う」こと自体に違和感はありませんでした。

それが大きく変わり始めたのはそれほど昔の話ではありません。新刊か既刊か、新本か古本か問わず、書籍や雑誌の販路は拡大しました。今では販路の拡大は書店だけでなく出版社や取次にも、そして読者にも大きな影響を及ぼしています。

チャネルの拡大は一部のマスを対象とした書籍や雑誌では売上増につながりました。が、元々ニッチなターゲットを対象とした書籍や雑誌ではニーズを抱えた顧客と売場とのミスマッチにより売上減につながった例も少なくありません。新刊配本の問題はよく指摘されますが、書店の数より少ない初版部数の本が理想的な形で配本されることはかなり難しいことのように思えます。

話がやや逸れますが、流通チャネルの性格にあわせた商品開発(CVS向け商品等)によって刊行点数が増大してしまったことは「供給過剰」の理由のひとつとしても見逃せません。

「本との出会い方の多様化」、それ自体はどちらかと言えば歓迎すべき話です。が、上記のように、チャネル毎の対応のために点数や労力が増えたりミスマッチが発生してしまうといった弊害もあるようです。

そして、もうひとつ、非常に重要な問題があります。「本との出会い方の多様化」の結果、実は本の価格が既に「どこで手に入れても同じ」ではなくなってしまっているということに皆が気付いてしまいました。新古書店はもちろんですが、オンライン書店では古書が併売されています。図書館で借りれば無料です。ネット上のアーカイブに接続すれば無料の電子書籍が手に入ります。出版業界は再販制に守られているのかそれとも縛られているのか、よく考えてみる必要がありそうです。

さらに、まったく別の意味で深刻な問題もあります。選択肢が増えたことによって「いつかどこかで買おう」と思った本に対する気持ちが目新しい新刊の登場でどこかに追いやられてしまい、結果的に押し流されてしまう危険性です。「供給過剰」の結果による商品寿命の短命化とも合わせて売上減の直接的な原因のひとつではないかと見ていますが、皆さんはいかがでしょうか。

「本との出会い方の多様化」についてもう少し具体的な「場」を前提に考えてみます。

1.コンビニで買う

雑誌を一番売るチェーンはセブンイレブンです。他のチェーンも雑誌の陳列には力を入れています。一部店舗では実験的に書籍の販売にも力を入れているようです。本屋から足が遠のくはずです。店舗数が多く鮮度が要求されるコンビニの棚に合わせるために刊行点数も増大します。元々お客さんを集めるための要素でもある以上、鮮度の管理は重要な課題となっているようです。そのため、CVSの返品は決して少なくありません。とはいうものの、雑誌の販売チャネルとしての重要性は相変わらずです。

書店の棚にプラスしてCVSの雑誌棚が広がったわけですが、両方の棚を埋めるためにはある程度のアイテム数が必要となります。価格帯もCVSにあった価格帯でなければなりません。ムックの大量刊行などとCVSへのチャネル拡大に因果関係はあるようです。

CVSはどうしても雑誌の話題が中心となるので書籍の話題からは抜け落ちることも多いのですが、CVSでの販売を念頭に置いた低価格化や多品種化の問題はめぐりめぐって書籍にも影響しています。小さな問題とは言えないようです。

2.新古書店で買う

発売から数日で新刊が安い値段で売られています。すぐに安くなるのがわかっていたら買い控えるヒトは必ずいます。単行本は高いから文庫になるまで待つという話は昔からありましたが、新古書店に並ぶまで待つ、消費行動としての筋道は通っています。とはいうものの、現時点では古本市場でどれだけ書籍が流通しても著者にも出版社にも実入りは全くありません。根本的な解決策はなかなか見つかりそうにもありません。

古本屋は昔からありました。神保町のような巨大な書肆街はちょっと事情が違いますが、地方でも例えば大きな大学の近くには必ず古本屋が集まっていました。それとは別に繁華街の外れのあたりにも古本屋があったように思います。扱っているジャンルには違いがあったようですが。

現在のような「新古書店」が爆発的に増えたのはさほど昔のことではありません。急激に店舗数を増やすだけでなく、従来の古書店とは扱う商品の量も店の雰囲気も全く違う古書店は、従来の業態と区別するために「新古書店」と呼ばれるようになりました。

新古書店の登場によって本を買う読者の意識は大きく変わりました。本を手に入れる場として新古書店は新刊書籍を扱ういわゆる新刊書店と並列で語られる選択肢となったのです。

ここで重要なのは価格に対する意識の変革です。「本は高い」、昔からそう言われ続けてきましたが選択肢が無いからそれでも成立していました。再販制に守られていたわけです。が、新古書店では新しい本が安く手に入る。消費者=読者の視点からは実質的な値引きに見えるはずです。

再販制の論議の中では「一物一価」という言葉が頻繁に使われます。ですが、現状はどうでしょうか。本の値段は消費者から見た時、一物一価であると言えるのでしょうか。

新刊書店は再販制に守られているのではなく縛られているのではないかという視点を新古書店の存在は浮き彫りにしています。

3.図書館で借りる

図書館が貸出率の向上に真剣に取り組んできた効果でしょうか、本は図書館で借りて済ますという方はけっこういらっしゃいます。図書館の本来の目的や理想がどうであれ、無料の貸本として理解している利用者は少なくはないはずです。

書店売りではなく全国の図書館への納入を前提とした少部数の資料的な出版物を扱う出版社は昔から存在しています。そうした出版社は図書館営業に特化してきたわけで、図書館の動向が業績に直結しているようです。図書館の数は増えたのに全体の予算が削減されてキツイという話を伺います。もちろんそれは事実だろうとは思いますが、図書館が一般的な書籍も収集の対象としていることによって競合が発生しているという問題もありそうです。供給過剰の影響はここにも及んでいます。

図書館だけを対象としていない一般的な出版社では、貸し出しによる売上の減少といった直接的な影響は考えられているほど大きくはないのかもしれません。が、「無料で借りられる」「(今読まなくてもいつか)借りられる」という選択肢がより一般的になったという意味では間違いなく影響を受けています。新古書店での販売価格と同様、本の価格とは一体なんなのかについて考えさせられます。

4.オンライン書店で買う

オンライン書店は大型書店の売りであった「品揃え」が全く通用しなくなる強敵です。物理的な限界のあるリアル書店がどうしてもできない品揃えの限界を超えたのはWeb上の商品データベースでした。時間や場所の制約を超えたのも大きい。いつでもどこでもどんな本でも(もちろんそこには別の限界がありますが)。購入履歴による関連書籍のおすすめや読者からの感想などの影響も小さくありません(そのあたりの影響は次の「本の選び方の変化」で)。

しかも、アマゾンが売上のランクを公開したことで著者からの注目も一気に高まりました。出版社にとって著者の意向は無視できません。ということで出版社もアマゾン対策を考え、結果的にいわゆるバズ・マーケティング(クチコミ・マーケティング)の実験場みたいな感じになってしまいました。

売れ筋への傾斜はリアル書店でもネット書店でも顕著ですが、そこに違いも生まれています。ネットの変化は早く、従来の流れしか知らない多くの出版社はその流れにうまく乗れていません。

「本との出会い方の多様化」にはいい面も多々あります。ですが、定価で買わなくても本は買えるという事実の発見や増えるチャネルに対応した商品開発、さらには「いつか買えばいいや」が結局押し流されてしまう危険性といった問題も生み出しています。

従来の書店売りを前提とした販売促進が新しいチャネルに対応できていないといった問題もあるかもしれません。例えば不良在庫の処分に新古書店を使うということは今までもある程度行われていますが、出版社が新古書店と直接取引きするような流れはまだあまり一般的であるとは言えません。既に取次が参入したこともあり。今後はより普通の取引の一環となっていくかもしれません。e託の登場によってだいぶ変わりましたが、オンライン書店との取引もまだまだ多くの課題を含んでいます。オンライン書店に在庫を置いてもらうためにはどうしたらよいかという話題は小零細出版社の間ではいまだに繰り返されています。

書店は「いつでもどこでも本を手に入れたい」というニーズに応えるべく郊外型や大型化・専門店化・長時間営業など様々な変革を行ってきました。が、「安く手に入れたい」にはどうしても応えることができなかった。新古書店の急増は「安く」のニーズに応えるものであったと同時に他店舗化すること「安く買いたい」というニーズを掘り起こすことに成功しました。

読者のニーズに終わりはありません。「いつでもどこでもどんな本でも手に入れたい」という要望に応えるオンライン書店の登場によって物理的な限界のあるリアルの書店という意味を改めて考える必要が生まれてきました。リアル書店はどんなニーズに応えるべきか。どんなニーズを掘り起こすべきか。

これから先は「いつでもどこでもどの時代のどんな本でも無料か無料に近い値段で確実に手に入る」電子書籍と競合する時代になります。読者との関係を見直すのは書店や取次だけの課題ではありません。著者・読者、印刷会社・倉庫、物流業者など、出版に関わる全ての人間に影響は及びます。

出版不況の三つの原因 3.「本の選び方の変化」

最後に「本の選び方の変化」による売上の変化を考えてみます。

従来の取次を中心とした出版業界の構造は、ある意味において川上、つまり出版社にとってメリットが少ないとは言い切れない部分がありました。新刊委託や常備寄託による市中の在庫は出版社の在庫リスクを分散するものであったのかもしれません。「読者とのつながりが薄い」という話もよく聞きますが、声が届きにくい、つまり、実売が直接売上に反映しにくい構造だからこそ、読者による選別の影響は緩和されていたと言えそうです。読者によって厳しく選別され淘汰されるというイメージはあまりなかった(全くなかったということではありません)。なんだかんだ言っても出版業界は小さい出版社にとっても居心地が悪いばかりではなかったはずです。

その状況が、ITをベースとした技術革新によって始まった読者による選別と淘汰の大波によって劇的に変わりつつあります。

本のよしあしを見極めるのは今も昔も大変な作業です。とりあえず古典を薦める方は昔から少なくありません。常に最新の情報や価値観が必要なジャンルを除けば、長い年月をかけて取捨選択された古典を読むことは無価値ではないでしょう。さすがに古典を原文のまま読むのは使われている語句や文章の問題もありハードルが高い。ですので、新しく訳されたものが売れているのは納得です。もしかすると、新しい本は求められていないのかもしれません。

出版社が売りたい本と読者が買いたいと思う本には昔からややずれがありました。最近になってそれが増幅されつつあるような気がするのは思い過ごしでしょうか。

では、本の選び方の変化によって新刊書籍の売上が減少したのではないかという仮説についてもう少し考えてみます。

1.並んでいたから買った

本のよしあしを見極める作業が非常に難しいのは読者にとっても書店にとっても出版社にとっても、多分、著者にとっても、まったく同じです。選ぶのが難しいとなると、とりあえず店に並んでいるものを買う、というのは妥当な線かと思います。

出版社の販売促進のかなり大きな労力は「書店に並べること」に注ぎこまれます。書店に並べてしまえばある程度はなんとかなる、はずでした。(書店に並ばない本としての学校採用や図書館採用、高額書籍の外商などの変化についてはここでは触れません。)

書店に本を並べるシステムは時間をかけて作り上げられたものです。新刊委託も返品フリー入帳も本を並べるための手段です。もちろん出版社の営業も。書店に本を並べるという営業活動においては取次を経由しているかどうかはさほど大きな問題ではありません。広告ですら、読者向けではなく(本を並べてくれる)書店向けの広告という発想で作られることがままあります。

極端な話、読者のニーズが不在であっても、出版社が売りたい本を書店に並べることは可能です。実際の問題として、それでもうまく回っていました。書店に本が並ぶことによってニーズが生み出されていたという面は確かにあります。店頭での露出の確保が売上につながる可能性は昔も今もあまり変わりません。

どの時代も読者は値段にも品揃えにも内容にも不満を抱えています。その不満に応えようという試みは、従来の新刊書店という枠組みの中でも、何度も繰り返されてきました。しかし、大きな変化は従来の枠組みの外で生まれつつあります(全く別物というより近縁ではありますが)。CVSや新古書店、図書館の貸出率の向上、オンライン書店、電子書籍の誕生などは、従来の書店とそこに並んでいる本に不満を持っていた層のニーズと呼応しています。それに気がついた書店側も今、読者のニーズに応えようと方向を変え始めています。書店がより読者に向き合うこと、それによって川上からの働きかけが効かなくなる可能性はあります。出版社にとっては由々しき事態ですが、生き残りをかけた書店の変化は止まらないはずです。

2.誰が何をおすすめするのか(書評からクチコミへ)

刷部数も広告予算も少ない小出版社にとって新聞や雑誌での書評は生命線でした。新聞書評で増刷何万といった景気のいい話は過去の話になりつつありますが、最近は読書系の「アルファブロガー(もしかすると既に死語?)」で本が紹介されたことで売上が跳ね上がることがあるようです。現象としてはよく似ています。

それにやや遡るオンライン書店の登場は、本を選ぶという高度な思考作業の一部をITが肩代わりしてくれる(かも)という時代の幕開けでした。新聞の書評は新刊しか取り上げません(でした)が、オンライン書店のおすすめや熱いコメントの対象には長く売れ続けているロングセラーも含まれます。アルファブロガーも新刊だけを取り上げるわけではありません。徐々に風向きが変化しています。

新聞や雑誌の書評の多くは作家や評論家、編集者などによって書かれています。いわば出版業界の内側です。評者にそんな意図がなくとも、新刊を紹介することで川上、つまり出版社が売りたい本という意向を反映していると言えなくもありません。

アルファブロガーによる独自の視点での論考や書店員による思い入れたっぷりの手書きPOPに求められたのは読者=読み手の視点です。出版社が売りたい本ではなく、読み手が面白いと思える本、お仕着せではないストレートな思い。そこへの共感が売上に影響を及ぼします。

従来もクチコミはありました。ベストセラーとなった例もあります。小さな評判は立ち上がっては消えてを繰り返して、クチコミは、それが何らかの形で固定されることが無ければ、あくまで一過性のものだった。

インターネットの登場によって誰かによって気軽に公開されたテキストが電脳空間に蓄積されるようになりました。クチコミの一時的な盛り上がりも以前より大きくなりやすくなっていますが、それより重要なのはクチコミによる評判が時間をかけて蓄積されるようになったという点です。

クチコミが蓄積されることには大きなデメリットもあります。良い評判だけでなく悪い評判も蓄積されるのです。「良い評判が蓄積されているものを選ぶ」だけでなく、「悪い評判が蓄積されているものを選ばない」という行動。クチコミが一過性であった頃には考えられない淘汰の時代が始まっています。しかもそれは従来の一方通行のものではなく、ある種の双方向性を持っています(双方向性に乗れている出版社はまだまだ少ないのが現実ですが)。そこで取り上げられる本は今までの「書評」で取り上げられるものと同じものでしょうか。

出版社が売りたい本と読み手が評価する本に生まれつつある乖離に多くの出版社は気がつき始めています。売りたい気持ちと読みたい気持ちのミスマッチ、かなり深刻です。

3.初めて読んだ本はどれも皆とても新しい

「岩波文庫の100冊」の販促用で「私が選ぶ岩波文庫の3冊」というような小冊子がありました(タイトルはうろ覚えです)。その頃、本屋でアルバイトをしていたんですが、それこそ飛ぶように減っていったのを覚えています。文筆関係に限らずに限らず各界の著名人が岩波文庫の中からお気に入りの三冊をお薦めするという内容でした。皆さん思い入れたっぷりに本を紹介されていましたが、岩波文庫なので当然のごとく古典が多かったようです。

書評を書く作家や評論家・編集者も仕事だから新刊を読んで評を書いているわけで本当に推薦する本を選んでくださいと言われたら新刊は選ばないのかもしれません。出版業界にしがらみのない自由な意見が新刊ではなく長く売れ続ける定番のロングセラーに偏っていくのはある意味必然でしょう。

オンライン書店やネットでの「書評」やコメント、リコメンドによってロングセラーは息を吹き返しつつあります。読者による厳しい選別の可能性という意味ではロングセラーが再び陽の目を浴びるのは明るい話題かもしれません。そして、どんな有名な本であったとしても初めて読む人にはそれはある意味、とても新しいものです。

ところが、ここが重要なポイントですが、そういう本は図書館にも古本屋にも既に潤沢にあります。どころか、もうネットで無償で読めるものまである。

今の出版業界が負けそうになっている強大な相手は、ネットでもテレビでもゲームでもなく(いや、もちろんネットもテレビもゲームも限りある時間を奪い合うという点において競合していることはまったく否定しませんが)、自分たちも築き上げることに参加していた過去の定番書籍や古典という大いなる遺産なのです。強敵です。

もっと工夫がなければ売れるものも売れなくなります。出版社で働いている人間にしても、古典や定番をちゃんと読んでおかねばと思った時にどういう行動を取るでしょうか。新刊書店を回りますか? 古本屋に行きますか? 図書館で借りる? オンライン書店でクリック? それともパブリックドメインのテキストを検索? 要はそういうことだと思います。

4.書店から消えたロングセラー

どの店も同じ品揃えの金太郎飴書店で、というセリフを聞きますが、本当にそうでしょうか。実際はどこの店も売れ筋の商品を確保するのには非常に苦労しており、どちらかと言えばどの店に行ってもキチンと売筋を確保できている店などほとんどないのが現状ではないかと思います。やはり新刊は置かないわけにいかない(個性の強い品揃えがアイデンティティであるようなお店は違いますが)。

もちろん読者に刊行を待たれているような新刊の瞬間最大売上は相変わらず猛烈ですし、ネットや店頭を活用した出版社のマーケティングも盛んです。そうはいっても、新刊時の勢いのまま長く売れ続ける本はそんなに多くはありません。むしろ勢いのある本は陳腐化も早かったりします。

毎年増刷を重ねるような、いわゆるロングセラーは、書店の棚の定番でもありました。刊行点数が爆発する前は定番が棚から弾き出されることはあまりなかった。常備寄託(簡単に説明しておきます。要は出版社の在庫を書店の棚に置き、そこから売れた分を補充分として発注する仕組みです。書店が在庫を負担せずに済むのでなかなかよい仕組みですが、出版社が売れない本でもなんでもかんでも並べるための手段として使い始めてからおかしくなってしまいました)が活用されていた時代の話です。出版社による書店の囲い込みもある意味有効に機能していた。

新刊の刊行点数が増えるに連れて書店の店頭は新刊を置くことに忙しくなっていきます。さらに出版社の営業が場所取りに頑張れば頑張るほど定番の居場所は削られていき、とうとうロングセラーは読者だけでなく書店員にも知られなくなってしまいました。

新古書店の登場によって既刊の売行が昔ほど期待できなくなったということもあったかもしれません。とにかく、新刊の刊行点数が増大するのと反比例するかのように書店の棚から定番のロングセラーの姿が消えていきました。

そのロングセラーに再び陽の目を当てたのは間違いなくネットやオンライン書店です。そして、読者は今でもそれらを求めています。書店はPOSデータを5年とか10年といった長いスパンで見直してみてください。そこから見えてきた本、それはあなたのお店に読者が求めている本ではないのでしょうか。

最後に蛇足で出版不況の話から離れ電子書籍の登場で変わる「蔵書空間」について考えてみたいと思います。

本を買って読むというのはけっこう贅沢なことだと思います。お金や時間の問題もそうですが、買った本の置き場所を確保するためにはある程度の空間が必要です。家に書斎がある方はかなり余裕がある方でしょう。そういう方ほど本を沢山買う傾向があるようで、本好きの皆さんによる「本棚に入り切らなくて床に積んであるんだけど」とか「数えたら何千冊もあって」といった話は昔から定番です。

本を収集することが大好きだという方もいらっしゃいますが「読むのが好き」な方の中には読み終えた本の置き場所に困っている方も少なくありません。

本を所有するということにこだわらなければ捨てるとか新古書店に売るという方法もあります。所有することにこだわりが無ければ図書館で借りるのは現実的な選択です。図書館を自分の本棚代わりにしてしまえばいいわけです。書店で買うのも書店の棚を有料で自分の本棚として利用していると考えられるかもしれません。

自分の家の本棚に本を置いておくことにはお金がかかっています。それこそ本を納めるために離れを作ってしまったりという話を聞くと、そのコストが実感できます。

本の置き場所を仮に「蔵書空間」と呼びます。「蔵書空間」の利用には色々な制限があります。家の本棚という「蔵書空間」は利用は自由ですが収蔵できる冊数に限りがあり、限度を超えるとコストが跳ね上がります。図書館という蔵書空間は無料で利用できますがアクセスと利用時間にやや難があります。CVSという蔵書空間は立ち読みなら無料で利用できますがアイテムがあまりに少ない。新古書店は、書店は、オンライン書店は……。

電子書籍はどうでしょう。電子書籍を単に電子データとしてメディアやデバイスに封じ込めてしまうのではなく、電子書籍そのもののアーカイブをネット上の巨大な「蔵書空間」と理解し直してみると、従来の「蔵書空間」との違いが明らかになってくるのではないでしょうか。そこには大きな可能性を感じますが、その可能性と切り結んでいくのが今までの出版社や取次・書店である必然性は、個人的には、あまり感じていません。

以上、出版不況の原因に関する私見に長々とお付き合いいただきありがとうございました。数値的な裏付けはありません。あくまで私の仮説であり私見です。勘違いのある点などについてご指摘いただけるようであれば是非お寄せください。よろしくお願いいたします。

怪しいニューメキシコの水島 [下関マグロ 第11回]

去年の夏のことだ。千代田区立図書館で本を借りようとしているときに後から「まっさん」と声をかける男がいた。

僕のことを「まっさん」と呼ぶ人間は限られている。本名が増田だから、〝まっさん〟と呼ばれていたが、そういう呼び方をするのは、この世でほんの数人だろう。

振り返れば、そこには水島がいた。ニューメキシコの水島である。何年ぶりだろう。10年以上は会っていないはずだ。しかし、おもしろいもので、昔の知り合いというのは、時間を飛び越え、すぐに会話ができる。相変わらずおしゃれで、高そうなワイシャツを着ていたので、

「よぉ、なんだか、羽振りいいらしいじゃない。今、新宿?」

と僕は水島に言った。彼は一瞬、どうしていいかわからないという表情になり、照れ笑いを浮かべ、

「まあ、そんな時期もあったのぉ。いい夢を見させてもらったよ」

と言った。 続きを読む

ほろ苦い焼き鳥の味 [北尾トロ 第10回]

1985年になっても代わりばえのしない日々が続いていた。1月、ぼくは27歳になったが、それで気持ちが変化するわけでもない。唯一の趣味であり、かつては生活費稼ぎの手段でもあった競馬は、資金難のため当分封印。週に3日ほど四谷に行く他は、自宅でおとなしく過ごす。借金した100万円がきれいさっぱりなく なったので、前年にやった仕事のギャラが銀行に振り込まれるのをひたすら待つ毎日だった。もっとも、入金額が少ないので、家賃を払うといくらも残らなかったが。

だからといって暇を持て余すかというとそうでもない。時間があるし、周囲には似たような連中が多いから、ちょくちょく誘いがかかるのだ。用件が仕事じゃないだけなのである。

前年の秋頃はテレビ局の仕出しアルバイトなどで忙しそうにしていた増田君も、いまでは以前のようにヒマそうで、赤い3輪スクーターに乗っては遊びにやってきた。やっと花開いたかに思えたオフィスたけちゃんだったが、あっという間に開店休業状態に戻ったようだ。 続きを読む

放送作家にしてやると騙された [下関マグロ 第10回]

最初に買ったワープロは富士通のマイ・オアシス2だった。高見山がテレビコマーシャルをしていた「ザ・文房具」というシリーズのワープロで、こんなに小さいと宣伝していたわけだが、相撲取りのなかでも巨体の高見山が持っているのだから、そりゃ小さく見える。我が家にやってきたものは、たしかにそれまでのワープロに比べれば価格も安く、小さかったが、それでも机の上を占領していた。時期は1983年の秋くらいだったろうか。中野坂上でスーさんとルームシェアを始めた時期だ。つまり、まだ『スウィンガー』の営業マン時代。

価格は50万円くらいだった。もちろん現金では買えないので、丸井のローンである。

買った理由は、当時流行していたミニコミ誌を自分でも作ってみようと思ったからだ。しかし、新しく買ったワープロは、まったく使いこなせなかったし、ミニコミ誌についてもどういうものを作りたいかというような具体的なものはなかった。ただ漠然と作りたいと思っていただけである。今から思えばなんともアホな話だ。 続きを読む

四谷の間借り事務所に通い始めた [北尾トロ 第9回]

そうか、下関マグロ(増田剛己)は失業保険をもらっていたのか。前回の原稿を読むまで、そんなことはすっかり忘れていた。いまどうやって食いつないでいるかというのは切実なことではあるのだが、会社員経験がないぼくには関係のない話だったので、聞き流してしまったのだろう。

引っ越しして電話が復活したため、八重洲出版という会社で働く大学時代の友人から連絡がきた。

「ライターになったんだってな。仕事はあるのか」

「ない。毎日ぶらぶらしてる」

「そうか、じゃあオレんとこで仕事しろよ」

持つべきものは友である。『ドライバー』の編集をしているヤツは、すぐに仕事を与えてくれた。 続きを読む

ゲスト:永江朗 第1回「重要なのは再販制度、じゃない」

●再販制は、あってもなくてもどっちでもいい

沢辺 今回の「談話室沢辺」は『本の現場』の販促も兼ねているので、再販のことについて話そうと思うんですよ。

永江 やっぱり、再販のことになりますか。

沢辺 出版業界の人も、新聞やテレビも、再販のことになると来るんだよね。

永江 最初から話をひっくり返すようだけど、それが不思議なんだよね。再販についてはさんざん議論され尽くしたじゃん、っていう気分があって。まだ出てない論点ってないだろう、という気もするんだけど。

沢辺 でも、再販必要論は山ほど出てるけど、「再販はいらない」論がない。永江さんはどうかわからないけど、俺は「再販いらない」論じゃなくて、「再販絶対必要論がよくわからん」という立場なんです。
 もうちょっと手前から言えば、俺は、完全な市場原理は基本的には成り立たなくて、経済に対する一定程度の介入は必要だと思ってる。だから、再販も市場をコントロールする制度として選択することがあってもいいとは思う。存在そのものが悪なんじゃなくてね。だけど現状、再販制度が出版活動に何か良い作用を与えているかというと、現実的、具体的には何も感じない。だから「絶対必要」という人に対しては「何で?」って聞きたいんです。
 一方で、わざわざ再販を壊そうとは全く思ってなくて、正直なところ「どっちでもいいや」が俺の考えなんです。永江さんの基本スタンスはどうですか?

永江 僕も「どうでもいい」なんですよ。どうでもいいし、再販を選択してもしなくても、それは出版社と書店が自由に決めれば良いんじゃないか、ということですよね。再販というよりも「定価制度」と言った方が良いかもしれないけど、再販じゃない定価制度のやり方はありますよ。
 たとえば本当の委託。「エンドユーザーに渡るまでは、所有権は出版社のもの」ということにすれば、売れた後に清算するまで、書店はお金を払わなくて済む。だから書店の負担もうんと軽くなるし、出版社も売価のコントロールができるわけです。デパートなんかでは、そういう本当の委託、「消化仕入」という形態でやっていて、商品が売れるまで、そのデパートにとって在庫はゼロなんですよ。売れた瞬間に仕入れと売上が同時に立つという感覚。出版界は今まで50年くらい再販制でやってきたけど、例えば「消化仕入れ」というやり方もある。
 とにかく「再販制はあってもなくてもどっちでもいい」というのが私のスタンス。でも、「永江朗が取材するような書店」という限定が付くけれど、これまで会ってきた書店の経営者の多くが「再販制はなくてもいいんだよね。大きい声で言えないけど」って言うんです。特に異業種から参入して来た人は「ない方がいい」とまで言います。だけど取次は「再販制守れ」って言うし、日書連も「再販制守れ」が公式見解だから「大きい声では言えないんですけどね」って言うわけですよ。
 「それは何でかな」って考えた時に、再販制が委託とくっついて運用されていることによって、けっこう弊害があるからじゃないかな。 一番大きな弊害は、このままいくとネット書店と大型店、ナショナルチェーンとローカルチェーンだけが残り、あとはインディペンデント系の書店が大都市部でちょぼちょぼ、という状況になるであろう、ということ。そんな状況になって楽しいのだろうか?
 もうひとつの弊害は、この10年くらいメガストア化が進んで来た中で、ランキング依存と言われるような状況がどんどん酷くなってきていること。チェーン店を取材して「どういう風に仕入れしてるんですか?」と聞くと「本部からの指令で、トップ50のタイトルは欠かさないようにしています」と言うんです。ランキングの上位だけ置いておけば良いとまでは言わないけど、「それだけは欠かさないように」と言うわけですよ。10年後20年後に全国のチェーン書店がそうなってしまったら、やっぱりつまらないんじゃないの?
 もちろんランキング下位の本でもAmazonで買えるんだけど、小売店がもう少し「遊べる」要素を作るには、今と違う流通の仕方も考えていかなきゃいけない。再販制を守っていこうという人の論拠はわかるけど、「じゃあ現状このままでいいの?」「このまま行ってどうなるの?」と聞きたい。

●書店の自由のつくりかた

沢辺 『本の現場』を出したことで、新聞記者やテレビ局に取材されたんですけど、やっぱり「何で非再販の本を出したんですか?」って聞かれるんですよね。自分なりに理由を考えてみたけど、正直に言えば「ノリでやった」で、理屈をつけるとしたら「書店に自由を増やしたい。その自由を色々行使して、永江さんの言葉でいえば『遊べる書店』が増えていって欲しい」ということ。
 メーカーである出版社として、どんな「書店の自由」が提供出来るかというと、ひとつは、「販売価格を縛っていることをやめて、自由に設定できるようにする」ということ。もうひとつは、35ブックスでやっているように、書店の取り分を増やすことで値引き原資を作ることですよ。

永江 35ブックスに関していうと、商品を自分たちに選ばせて欲しかったって、書店は言ってますけどね。

沢辺 確かに、35ブックスが完璧じゃないのは十二分にわかってますよ。ラインナップに不満があるということもね。ただ、35ブックスに対する一部の書店の反応に対して、腹が立つこともある。書店が「たった35%じゃん」という言い方なんだよね。「35%のマージンで歩安入帳なんてやってられません」っていう意見があった。書店はいつも正味が高すぎて利益幅がないって言っていて、それに対して、35ブックスは何かをしようとしたのに、「全体の中のこれだけじゃ意味ない」とか「もっと利幅を上げろ」とか、マイナスを先に見つけて言ってもしょうがない。

永江 それは流対協(出版流通対策協議会)の『本の定価を考える』という本の論調でもそうだけど、こういうことをしたら、こういう悪いこともあります、ああいう悪いこともあります、って先回りして悪いことばかり並べて「このままで行きましょう」っていうやり方だよね。自民党が民主党のマニフェストにいちゃもん付けてたのとそっくりで、「じゃあ変わらずこのまま沈没すれば?」っていう感じですよね。

沢辺 そんな中で積極的なのは大手チェーン店なのよ。色々考えて、現状に何か風穴空けなきゃな、と思ってるのは、むしろ大手チェーン店なんじゃないですか? 日書連からは、「試しにやってみよう」とか「こう変更したらどうだ」といった声が聞こえてこない。
 Googleのブック検索に対する出版社の対応もそうでさ。確かにいきなり「合意しないならオプトアウトしろ」とか言われたのは乱暴と言えば乱暴だけど、結果、本を検索出来るようになって読者に利益があるんだからさ。それで本がいちじるしく売れなくなるような可能性が滅茶苦茶高いかというと、そんなこともないと思うし。

永江 電子本の状況を見ていると、アメリカは本当にダイナミックだな、と思いますよね。方やハードカバーで30ドルくらいの本が、電子本だと9.95ドルで売ってたりする。ソニーのリブリエは日本では撤退したのに、アメリカではニューバージョン出すでしょ? それはつまり、ソニーとしては「日本人はバカだからもうつき合わない。日本人にはプレステだけ与えておけばいいよ」みたいなもんじゃない。経営者がアメリカ人だからかもしれないけどね。
 日本でも紙の本と電子本を同時発売して、しかも電子本は紙の本の半額とか3分の1くらいの値段でやっていくくらいのダイナミックさがあればね。現行の色々な取引の枠の中では、書店がやれることはすごく少ないから。大げさな言い方をすると、中小零細の書店に「発注する自由」とか、「発注する自由を成り立たせる諸条件」が整っていない。
例えば、計画的な発注をしていくためには、事前の出版情報が必要ですよ。再販制がなくて、委託制もないアメリカでは、本のビジネスもアパレル業界と同じようにツーシーズン制がベースになってるんです。具体的に言うと、あらかじめカタログを作って事前情報を書店に行き渡らせたうえで、版元の営業やセールスレップ(Sales Representative:営業代行)が回って「我が社は今度こういう企画の本をやります」と説明をしながら注文を取っていく。実際はもっと複雑だけど、少なくとも理想としてはそうなっている。
 日本の場合、その仕組みを取次が代行してきましたよね。極端なことを言うと、来週自分の店に入ってくる商品を知らないでもやれるのが日本の書店です。少数の、パターン配本を使わずに全部自分で仕入れるという店は別ですけども。その状況が読者として楽しいのか。

沢辺 でも俺、本でそれをやるのは無理だと思うんだよね。たとえばレヴィ・ストロースの幻の原稿が発見されたのなら、「翌年の春に発行しますよ」でいいと思うんだけど、Googleのブック検索問題があったので、アメリカの「フェアユース」って何なのかとか、知的財産ってそもそも何なのかとか、アメリカと日本の著作権法の違いを扱った本を1ヶ月か2ヶ月で仕上げて出すということだって、あると思うんですよ。むしろどっちかというと、そういう本のほうが多くなっているんじゃないですか?
 ハリー・ポッターとか村上春樹のレベルになれば、「来年の春」でもいいだろうけど、それ以外の、例えば携帯小説だって、流れが来ている時に即出そうよ、というほうが多いのだろうし、「半年後じゃなければ出来ない」としちゃうと、逆に出版がつまらなくなっちゃうんじゃないかな。

永江 それはもちろん、ガチガチの制度は要らないという前提の上でね。それから、実は日本だって老舗でかための出版社を中心にして、ちゃんと事前情報を出して計画的にやっているとこもあるんです。例えば新潮社は「来期の主力企画発表会」として、業界の人を集めるパーティーを定期的にやってるんですよ。みすず書房や岩波書店も、年末になると「来年度の我が社の出版計画」を出してるし。

●悪いのは出版界の制度?

永江 実を言うと、再販制と委託制も、スタートしてから四半世紀くらいは上手くいっていたと思うんですよ。それが高度経済成長期を終えるくらいの段階、つまり1970年代半ばから80年代頭くらいの段階で、最初の想定と条件が大きく変わったんだと思う。
 変わった点のひとつは「出版点数の増大」で、もうひとつは、講談社文庫の市場参入がきっかけと言われているけど、「フリー入帳にした」こと。もともと新刊だけ委託配本という形だったのは「サンプル」だったからですよね。アメリカのように前もって出版計画を作ってセールスレップが全国の書店を回るわけにいかないから、取次経由でサンプルを配って、見てよかったら追加発注してください、ということだから。それを全品委託配本・フリー入帳にした。そのときに「本のニセ金化」が始まって、本とお金が同じように売れるようになってしまった。
 制度を作る時に想定していなかった事態が色々生まれたのだから、制度も少しくらいいじってもいいんじゃないの、と思うんですけど。

沢辺 結局、書店員が選書をする必要があるっていうことじゃないのかなあ。

永江 うん。でも、それが何故難しくなっているのかというと、ひとつは取次が良く出来すぎているから。

沢辺 でもそれはしょうがないよね。「子どもたちに主体性がなくなった。教育システムが完備されて、通信教育から塾から何まで全部あるから、自分で図書館に通って勉強する奴がいなくなっちゃった」って言っても、意味がないと思うんだよね。「もっと自覚的に、何もかも与えられるんじゃなくて、やらせるべきだ」という「べき論」は出来ると思うんだけど、そのときに、便利なシステムを提供しているところが悪いと言っても、意味がないでしょう。つまり、取次が出来過ぎだと言っても意味がない。そこで甘えてた書店に自主性がなくなったって、それは書店自身に奮起を促す以外にはないんじゃないかな。

永江 小泉純一郎みたいな言い方に聞こえるかもしれないけど、委託配本・フリー入帳であることによって、頑張りたい書店が足を引っ張られる状況があるじゃないですか。たとえば、注文しても本が取れないとか。さっきも言ったように、特に新規参入のところから「買切りでいいのになんで本を売ってくれないのか」という意見が出る。買切りで100部欲しいと言ってるのに、「これは行き先が決まってますから」となるのは、硬直ですよ。
つまり「米は一粒たりとも輸入しません」みたいに「非再販は認めません」となる空気は気持ち悪いね、と思う。実用書なんかだと、出版する段階で「これは一年後には陳腐化して、市場で価値ないよな」っていう本もあるんだから、そういう本は時限再販でいいじゃないですか。時限再販にする必要すらないかもしれない。「その辺りをもう少し緩くやっていけばいいんじゃないの?」という程度のことです。
 もうひとつは、別に諸外国が上手くいっているとは言わないけど、再販制のある国って、先進国では珍しいくらいになっているわけですけど、たとえばフランスなんかは再販制があってももう少し緩いですよね。例えば一定枠内での値引きは認めていたり、基本は時限再販だったり。公取みたいな言葉だけど、もう少し柔軟性のあるやり方をしないと、息苦しくて窒息しちゃうんじゃないかな。

沢辺 でも、やる気のある書店は本当に足を引っ張られてるのかな? たとえば神宮前にあるJ−STYLE BOOKの大久保さんという書店員が『本の現場』を読んで思ったことを書いてくれたんだけど「現状のシステムの中でも努力して頑張れるノリシロはある」と彼がいうのは、今の永江さんの言葉で言えば、「僕は足引っ張られてるって感じはしませんよ」っていうことですよ。
 大久保さんみたいな人が増えていくことが、「チェーン店ばかりになってしまう」という危惧に対する、ひとつの対抗になるんじゃないかな。大久保さんの売りたい本とポットの出す本って微妙に違うので直接には役には立たないんだけど、大久保さんとか、そういう固有名詞をめがけて、その人に「沢辺さん、それグッドだよ」って言ってもらえるようなことをしたいな、と思うんだけど。

永江 それはいろいろなんじゃない? 「足を引っ張られてる」っていう人もいれば「そうじゃない」という人もいる。僕が取材をしていて中小の書店から言われるのは、「なんでウチにはベストセラー送ってこないの? 隣のチェーン店にはあんなに積んであるのに」ということですよ。それは取次が悪い。日書連の議論を見ていても、取次の不公平な取引条件の改善を申し入れる、という話ばかり30年間くらい、ずーっと同じことを言ってる。

沢辺 日書連みたいな人がいて、ずっと同じことを言いつづけている、っていうのは分かりますよ。おっしゃるとおりだと思うし。『本の現場』に関しても、「いきなり最初から非再販にするのではなくて、時限再販じゃない。いきなり非再販にして、Amazonに値引きされちゃったら敵わない」って感じ。そういう人がいる一方で、かたや大久保さんみたいな人もいて、スムーズだとまでは言わないけど「不公平は感じていませんよ」という人もいるわけよね。

●本が読者に届くなら、今の制度はなくなってもいい

永江 再販含めて本についての色んな制度を考える時に、何を優先して考えるかってなると思うんですけど、従来の「再販制を守っていこう」という話は、「出版社や書店をどうやったら生き残らせるか」というのが多いじゃないですか。
 私は出版社や書店がなくなろうがどうでもよくて、まずは「本が生き延びること」が大元にあるんです。次に、読者にとって本を読む機会が沢山あること。それに付随して出版社があったり著者があったり、取次や書店があると思う。
だって、本の五千年の歴史を考えたら、最初は書店も出版社もなかったわけですよ。プロの書き手が出て来てそれで食えるようになったのは遡ってもせいぜい200年ぐらい。それも、日本でも何人かいるか、くらいの規模ですよ。紫式部は原稿料もらってなかったですからね。
 そう考えると、本があって読者がいるっていうことがまず大事なんだけど、それが今の出版流通の中でどうなっているかというと、本の圧倒的な短命化ですよ。作ってもすぐ消えて、読者に届かない。平均返品率が40%ですから、新刊だけで考えたら60%を超えていますよ。この前学生に「需給バランスっていう概念は出版界にはないんですか?」って言われましたけど、少なくとも、作った本があっという間に市場から消えて読者に届かないとか、手に入らないとか、そういう本が存在したことすら知らない間になくなっていくという状況は、あまりよくないでしょう。
 「じゃあ、なんでそういう風になっているの?」って考えた時に、出版大洪水の状況があり、なんで出版大洪水の状況になるのっていうと、本のニセ金化があるからであり、本のニセ金化がなんで起こるのかというと、委託制と再販制が一体化して、本がお金と同じようになっていて、その要に取次の存在があるからだ、と考えてるんですけど。

沢辺 永江さんはちょっと断定的すぎるんじゃないかなあ。「出版社や書店が生き延びることよりも、本が生き延びることが大事」というところまでは大賛成なんですよ。いまはもう、近所に山ほどあった写植屋はなくなっちゃった。出版界はデザイナーに写植屋や製版屋の代わりをやらせることで、そういう職業をつぶしてきたわけだから。それをセンチメンタリズムでいえば物悲しい感じもするんだけど、でも技術や環境が変わった結果だから、しょうがないとしか言いようがない気がする。
 その写植屋を出版社に置き換えても同じで、「技術や環境が変化したから、お前のとこ、もう要らないんだよ」と言われたら退場する以外にないし、それを生き延びさせるのは価値が逆転しちゃってる。永江さんみたいに、本そのものとして良いものを作っていくとか、それを読者に届けていくというところに価値を置いた時、結果的に生き延びていく出版社は生まれると思うけれど、「生き延びる」の方に価値を置いたら、上手くいかないと思いますよ。ここまでは永江さんと同じ。でも、「本の存在を知らない」という点に関しては、ネットが補完していると思うんだよね。それは極論?

永江 うーん。それは大都市の、それなりの環境のある人だけだよね。

沢辺 でもネットなら、大都市に限らず全国平等ですよ。

永江 僕、この前田舎に帰ったんですけど、地方と東京の環境の格差、それから年齢や所属している環境による格差っていうのは結構凄いんだなと思って。70歳以上でネットを使いこなす人は少ないじゃないですか? 彼らにとっては、たまに行く地方のチェーン店に並んでいるのが、新刊書の全てなんですよ。「本読みたいんだったらパソコン買って使い方を覚えろ!」というのも正論かもしれないけど、70歳超えた人には言えないよね。だからと言って、私は別にネットをなくせと言っているわけじゃなくて、ネットは本の存在を知らしめる、もの凄く役に立つ道具であることは事実だと思ってますよ。でもまだまだ十分とは言いがたい。
 その上で書店の店頭での話に絞ると、書店に並んでいる時間が1週間が良いのか、1ヶ月がいいのか、3ヶ月がいいのか、ということですよ。今だと、否応無しに1週間になっちゃってるところがある。それは制度的な原因が色々あって、個々の書店がそう選択せざるを得ない状況があるんだと思います。じゃあ例えば、それをもう少し辛抱して3ヶ月ずつくらい並べるにはどうしたらいいだろうかって考えた時に、全国1万6千の書店がみんな同じ品揃えにしようとすると1週間しか並ばないかもしれないけど、その地域にあるA、B、Cの各書店がそれぞれ違う本の並べ方をしようとすれば、頑張れば1ヶ月半ぐらいずつは並ぶかもしれないよね、という組み替えをやっていけると思うんですよ。そのためだったら制度をいじってもいいんじゃないのかな。

沢辺 その辺が、永江さんと俺との温度差なのかな……。制度をいじるという結論には賛成なんだけど、どっちかというと俺は、今の制度の中にあっても大久保さんをどれだけ増やせるか、というところに興味があるんだよね。大久保さんは多分、3ヶ月くらい並べている本の方が多いと思う。

永江 でもそれは一部のとてもやる気のある書店の話で、このままじゃチェーン店ばっかりになっちゃいますよ。

●次回へ続く

第2回「今の出版界でも出来ること」は、こちら

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

目次など、詳しくはこちら

無職になり、失業保険をもらうこととなった [下関マグロ 第9回]

雑誌『スウィンガー』の編集長である佐々木公明さんが、電話をくれた。

「増田くんも独身でどこで、ちゃんとご飯食べてないんじゃないの? たまにはウチにきなよ」

佐々木さんは新婚で、同じ会社の女性と結婚していた。だから、僕は両人を知っているのだ。家をきけば、歩いていけるほどの距離ではないか。

約束の日、佐々木さんの家に行くと、スーさんもいた。かつて一緒に暮らしていたスーさんである。彼は今、落合に住んでいると言った。

佐々木さんの奥さんの手料理をいただきながら、スーさんになにをしているのかと聞けば、

「失業保険をもらっているからなにもしてないよ」

という答えだった。 続きを読む

借金して吉祥寺に引っ越した [北尾トロ 第8回]

いたいだけいていいよと言ってくれたからといって、2カ月半は好意に甘え過ぎである。出て行ってくれとパインに言われるのも仕方なかった。新しい住処を見つけなければ。

さりとて引っ越し資金などあるはずもなく、借りるアテは親しかなかった。半端に借りたってすぐに困窮するのは目に見えているので、100万円の借金を申し込む。状況がわからない親は息子が居候生活していることを気に病んでいて、なんとかOKが出た。この借金には後々まで苦しめられることになるのだが……。

部屋を借りるにあたり、どうしても欲しかったのがシャワーとクーラーだ。独り暮らしを始めてから、風呂付の部屋に住んだことがなかったのである。クーラーも同じだ。 続きを読む