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アダルトビデオの助監督という仕事 [下関マグロ 第17回]

「もしもし、増田くん、またお願いできるかな」

芳友舎の土屋監督から電話がくるとうれしかった。アダルトビデオ助監督の仕事依頼であるが、うれしい理由はギャラが取っ払いだからだ。

ライターが原稿料を受け取るのは、早い場合で仕事をしてから一ヶ月後、遅い場合は半年後なんていうのもあった。失業保険の支給がなくなった僕にとって、働いてすぐに現金が貰えるというのはとても魅力的だったのだ。

しかし、なんでその場でお金を貰うことを「取っ払い」っていうんだろう。

「たとえば芸能人なんかが、所属事務所経由でギャラを貰うんじゃなくて、興行主から直接お金を貰うってことだと思うよ。すなわち中間を〝取っ払う〟ということ」

1万円の領収書を書きながら土屋監督に質問したら、そう教えてくれた。 続きを読む

いきなり単行本の著者になった [北尾トロ 第16回]

パインの仕切りで、夏の終わりに総勢10名数名で長野県の野尻湖へ遊びに出かけた。車なんてシャレたものはないから電車である。大半が普段フリーで活動しているライターやデザイナーなので、大勢でどこかへ行くというだけでむやみに盛り上がる。30歳を超えているパイン以外は全員20代の、明日をも知れぬ生活をしている業界人たちだが、先行きの不安などないかのようにはしゃいでいた。みんなの気持ちはわかる。ぼくも、乏しい銀行残高をやりくりして参加したひとり。遠くまできてしみったれた話をするくらいなら最初から参加しない。1泊して、翌日にはレンタサイクルで湖を一周。テンションが下がることなく東京に引き上げた。

きっと、同じように貧乏で、同じようにヒマだった駆け出し仲間だったから盛り上がった小旅行だったのだろう。また旅行に行こうと誓い合ったものの、みんな忙しくなってそれぞれの道を歩き始めると、誘い合って大勢で出かけることは困難になってゆく。そればかりか、何人かとはやがて連絡も途切れ、ニ度とそんな機会が訪れることはなかった。 続きを読む

読者チャレンジ企画とAVの助監督 [下関マグロ 第16回]

新橋の駅ビルの地下に、ウエイトレスの制服がミニスカートの喫茶店があった。といってもいかがわしいお店ではなく、ごく普通の喫茶店だった。

僕はその喫茶店で雑誌『とらばーゆ』の原稿を書いた。『とらばーゆ』は週刊だったから、最初の頃は毎週足を運んだ。慣れてくると数週間分の原稿をまとめて書けるようになったので、そんなに通わなくなった。

調子よく原稿をこなせるようになり、それでとんとん拍子にライター専業になったかと言うと、答えはノーである。相変わらずエロ雑誌のカメラマンはやっていて、1985年の夏は伊藤ちゃんと鎌倉の由比ガ浜で「オイルぬりぬりマン」を撮影していた
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オイルぬりぬりマンの夏 [北尾トロ 第15回]

季節は巡り、暑い夏が近づいてきた。去年の今頃はパインの家に居候してプール通いをしていたのだ。あれからもう1年。相変わらず生活はカツカツだが、ライター稼業で持ちこたえてきたのは上出来のような気がする。

キンキンに冷房を効かせた部屋で、ベッドに寝転がってハイライトに火をつける。イシノマキのときは風呂なしアパート住まいだったことを思えば、ずいぶんマシになったもんだ。たまたま出会った仕事だけれど、辞めてしまいたいと思わない。最近はもっとうまく書けるようになりたいと欲も出てきて、自分でも驚く。こんなの初めての経験だ。

親父が典型的なサラリーマンだったため、ぼくは幼い頃から2、3年おきに転校を繰り返してきた。そして、平日はほとんど顔を合わせることもなかった親父は、ぼくが19歳のとき、目標だったマイホームを持つ前に、48歳で突然この世から去っていった。何だろう、この人生は。ぼんやり過ごしていたぼくに、親父の生き方はひどく虚しいものに思え、自分はその轍を踏まないようにしようと誓った。 続きを読む

初めてのライター仕事 [下関マグロ 第15回]

1984年の暮れのことだ。手帳に書きとめた住所と地図を交互に見ながら、新橋にある『とらばーゆ』の編集部にやっとたどりついた。

担当は長崎さんという、僕と同じくらいの年頃の女性だった。テキパキと事務的に打ち合わせが進んでいく。

「読者ページのこのコーナーなんですけどね」

と長崎さんは『とらばーゆ』のひとつのコーナーを指さした。 続きを読む

幻のアフリカ旅雑誌企画 [北尾トロ 第14回]

「アフリカの雑誌をやりたがっている人がいるんだけど会ってみない?」

1985年の3月頃、デザイナーの友人から電話がかかってきた。海外なんて学生時代にインドへ旅行したことしかないが、こっちはおもしろそうな仕事に飢えている身。返事は考えるまでもない。

「行く! コンゴでもケニアでも行く!」

「まだ企画段階で、これから会社に話を通さなくちゃならないらしいのよ。で、そのためにダミーっていうか、イメージを形にしたい。ついては、一部原稿つきのページを作りたいってことなんだけど。ギャラも出るんだか出ないんだか」

「ダミー? よくわからないけど、やる!」

「じゃあ紹介するよ。よかったわ、ヒマなライターはいないかって言われて伊藤君しか思いつかなくてさ」

その一言は余計だ。でも事実だからしょうがないか。 続きを読む

高橋名人とカメラ [下関マグロ 第14回]

このシリーズには多くの個人名や会社名が出てくるが、ほとんどは月並みな仮名にしてある。しかし、編集プロダクションの社長につけられた「パイン」という名前は、なんだか突拍子もない感じがするだろう。

それには理由がある。パインというのは仮名ではなく、僕と伊藤秀樹だけが使っていた社長のあだ名なのだ。
ちなみに由来は、とりあえずパイナップルとは関係がないとだけ言っておこう。詳述は避けるが、名前の一部分を英語にするとそうなるという単純なものだ。

パインは、歌舞伎役者のような古いタイプの二枚目で、声が低く、話し方に妙な説得力がある男だった。
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パイン事務所での暗黒時代 [北尾トロ 第13回]

パインの事務所では月刊誌の「ロンロン」に加えて、パソコン周辺機器のムック製作が始まった。当時はまだパソコンそのものが一般的になりつつあった頃で、この手のカタログ的なものにも需要があったのだ。いち早くパソコンを使いこなしていたパインにとって仕事はいくらでもあり、ひとりではさばき切れないほどである。そこでパインは、少しでも知識のある若手ライターにどんどん仕事をまわし、編集プロダクション「オールウェイ」を大きくする作戦を立てていた。

「俺はもう30過ぎだろ。このままライターで食っていけなくもないけど、プログラミングから自分でやるほど詳しいわけじゃないし、パソコンの専門家になりたいわけでもない。それよりは編プロのおやじになるほうが、この先生き残れると思ってるんだよ。秀樹も手伝ってくれると助かるんだけど」

そう言われてもパソコンは大の苦手。ぼくの出番はあまりなさそうだ。 続きを読む

エロ本の仕事で女の子の路上撮影 [下関マグロ 第13回]

若生出版の柳井が応接室で見せてくれた雑誌は『ムサシ』というごく普通のエロ雑誌だった。まだインターネットもない時代、エロ雑誌というのは、いまから考えられないほど種類があったし、部数もけっこう出ていた。

業界にはまだ余裕があり、当時はボクのようなズブの素人でもライターやカメラマンになれたのだ。

『ムサシ』での最初の仕事は、3ページほどのモノクロ記事であった。「新宿でナンパした素人の女の子」というような記事内容である。千葉くんが文章を書き、写真は僕が撮影することとなった。 続きを読む

等身大パネルと愛の暮らしを [北尾トロ 第12回]

いつものようにアートサプライ内のパイン事務所でうだうだしてると、増田剛己がやってきて仕事の話があるという。

「最近知り合ったムサシっていうエロ本の編集者から、何かやってよって言われてるんだよ。一緒にやんない?」

「ほぅ、ムサシか」

「あれ、知ってるの?」

「まったく。でもヒマだからいいよ。やる、やります、やらせてください!」

「ギャラはすごく安そうなんだけど、打ち合わせの経費は出るから、うまいもんでも食べてくれって。しゃぶしゃぶでも食べに行きますか」

「いいねえ。しゃぶしゃぶなんて一度しか食べたことないよ。行こう行こう。企画会議ってことで」
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