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保坂展人・世田谷新区長インタビュー

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—選挙戦で4年で2500万、8年で5000万円の区長退職金を廃止すると公約されましたね。
保坂:就任直後から早速、実現に向け準備を開始します。早急に対応していきます。私は区長退職金はもらわない、そして廃止をすると改めてお約束いたします。

—「いつでも どこでも 誰とでも」区民であれば参加できる車座集会の実施を訴えられておられましたね。

保坂:区民であれば、基本的にだれでも入れるように制限はもうけない方向ですすめていきます。異なる意見・異なる考えの持ち主であっても、積極的に意見交換します。

—ガラス張りの区政を主張されていましたね。
保坂:とりあえず、外に出て、現場視察をしたり、区民と触れあったりする機会を増やしたい。世田谷区では区長はメールをこれまで受け付けてきませんでした。区長直通の目安箱として直通メールなどを考えています。

—記者会見はどの程度の頻度で行うのか。参加者は記者クラブ以外のプレスでも参加可能にしますか?
保坂:これまでは四ヶ月に一回だったのですが、これからは週に一度は開くようにしたい。記者クラブ以外のプレスにもオープンな形にします。

—外国人居住者に対する政策はどのようなものをお考えでしょうか。
保坂:震災時に情報がうまく伝わらず孤立しないように最善の策を講じたいと思います。教育の機会も保障していきたいと考えています。

—今夏、世田谷区は計画停電の範囲に入っています。また、不意の停電の可能性もあります。どのような対策をとりますか。
保坂:想定できるシミュレーションをもとに点検を徹底します。夏までに迅速に予防できることは予防する。とりわけ、計画停電や不意の停電で生命の危機にさらされるような人たちがどこに住んでいらっしゃるのか、あらかじめ、把握する必要があります。役所だけでは無理な面もある。地域密着の住民組織と連携をして、対処します。

世田谷区政のキュスティングボードは公明党に

市民無血革命ともいえる保坂展人・世田谷区長の誕生からもう少しで一週間になる。得票数を紹介しよう。

・保坂展人:8万3983票
・花輪智史:7万8444票
・川上和彦:6万0340票
・菅谷靖子:4万0831票
・慶野靖幸:  9963票

保坂氏は国民新党・新党日本・生活者ネットワーク・社民党の支持を受け、花輪氏は自由民主党本部・都連の推薦を受け、川上氏は自民党世田谷総支部の支援を受け、菅谷氏は民主党の推薦を受け、慶野氏は日本共産党の推薦を受けた。

取材したところ、民主党を支援してきた立正佼成会は今回は自主投票、創価学会は一部で川上和彦への投票という指示が出ていたようだが、基本的には自主投票だった。

得票数を見ると、民主党や日本共産党の支持者からも相当数、保坂氏に票がまわったことがうかがえる。

さて、5月2日に世田谷区議会が招集され、保坂区政が船出する。
キャスティングボードは10議席(定員50)を持つ公明党の出方にかかっている。保坂氏は衆院議員時代、死刑廃止議員連盟の事務局長を務め、浜四津敏子・副会長(当時)とも懇意にし、公明党とは敵対的な立場ではなかった。だから、公明党としてもいきなり、何でも反対野党というスタンスをとることはないと私は見る。自民党が15議席だから、自公がくっつけばそれだけで過半数となるから、公明党が与党にならないにせよ、是々非々で、議会運営を続けていかない限り、保坂区政は座礁する。

さて、保坂区長はどう出て行くのか。そして、各党・各会派はどう立ち向かうのか。

5月2日から新しい世田谷区議会が始まる。要注目だ。

※保坂・新区長への単独インタビューは近日中に掲載いたします。

保坂のぶと「4年で2500万円の区長退職金を即廃止」

4月22日のおやつの時間帯に、明大前駅にて世田谷区長選挙に出馬している保坂のぶと前衆院議員(国民新党・新党日本・生活者ネットワーク・社民党 支持)と応援に入った中川智子・宝塚市長による合同演説会が行われました。

保坂さんの演説要旨は以下の通りです。

[Ⅰ]高額の区長退職金は廃止

世田谷区長を一期(4年)務めるだけで2500万円の退職金がつく。二期務めれば5000万円、四期務めれば1億円だ。こんな世間の常識から外れた退職金は即廃止します。わたしは退職金を廃止し、受け取りません。

[Ⅱ]ガラス張りの区長室を庁舎1Fにつくる

昨日、田中康夫・衆院議員&新党日本・代表が応援に来られました。田中さんは長野県知事時代、県庁舎の一階にガラス張りの知事室を創られた。知事室が県民から監視される場所にあれば、怪しい利権屋は入ってこられない。わたしは情報公開が徹底されたガラス張りの区政をつくります。その象徴として、ガラス張りの区長室を創ることをお約束します。

[Ⅲ]区民みんなが参加できる車座集会を

現在の熊本区長のもとでもタウンミーティングは行われています。しかし、事前に質問を書かせて、参加者を区職員が選別する。これではいけない。「いつでも どこでも 誰とでも」を合言葉に、区民の誰もが参加できるような車座集会を私は実現します。

[Ⅳ]原発にNo!と国にいえる唯一の候補

わたしはチェルノブイリ事故の後に反原発の作家・広瀬隆さんをお招きして、大講演会を企画・主催・実現し、それをVIDEOにして頒布いたしました。根っからの反原発の立場です(※日本共産党はチェルノブイリ当時は原発の平和利用を主張し、広瀬隆さんら反原発の活動家を批判した。現在は原発からの脱却を唱えている)。
わたしは国会議員を三期11年務めました。国会とのその太いパイプを使って、国に原発No!を物申していきます。

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応援演説:中川智子・宝塚市長

「亀井静香&保坂展人」の絆 ~原爆と死刑廃止~

社民党・公認、国民新党・推薦。異色の組み合わせである。保革共存だ。

保坂のぶと(http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/)さんの応援者として6人が写真入りで名を連ねている。

・小沢一郎(民主党・代表)
・土井たか子(社民党・名誉党首)
・菅直人(民主党・代表代行)
・亀井静香(国民新党・代表代行)
・福島みずほ(社民党・党首)
・山口文江(東京・生活者ネットワーク・代表)

亀井先生が名を連ねているので目を引いた。

保坂さんは次の総選挙では杉並区(東京8区)から出馬する。
対立候補は現職の石原伸晃「自民党」幹事長代理だ。
石原慎太郎・都知事が御寵愛する御長男である。
自分でも「親バカ」とおっしゃるほどだ。

慎太郎知事と亀井先生は入会に血判が必要とされた「青嵐会」以来の親友・同志である。慎太郎知事が自民党総裁選に出馬した時には清和会(三塚派)の決定に反して亀井先生は助太刀した。その結果、派閥を除名された。派閥より友情を大切にしたのだろう。

慎太郎知事が1995年に衆院議員在職25年を記念した演説で引退表明するのを事前に知っていたから、用があって退席しようとした野中広務先生を

「おい、ちょっと待ってくれ。彼の演説を聴いてやってからにしてくれ」

と亀井先生は引き留めたそうな。野中先生「私は闘う」に載っている逸話だ。

慎太郎知事の演説は実に見事だ。下野した自民党の政策提言『二十一世紀への橋』のほとんどを、慎太郎知事が1人で執筆されたんだとか。(同氏の御著書として『わが人生の時の時』 (新潮社)を私は推薦したい。)

都知事に就任された後、3人は定期的に料亭で会食するようになった。

大切に護ってきた御長男の対抗馬を推せば、御父上はお怒りになろう。

保坂さんと亀井先生は「死刑廃止を推進する議員連盟」を通じて知り合った。議連会長を亀井先生に要請したのがはじまりと聞く。

「死刑廃止を推進する議員連盟」では亀井先生が会長を務めて、保坂氏が事務局長として支えている。バリバリの改憲派と頑固な護憲派。ミスマッチに思える組み合わせだ。だが、2人は密かに敬い、絆を固くしてきた。

会長が自民党を追われても、亀井派から誰もついてこなかった。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」

そんなやるせなさを抱いたのではないか。

「志帥会」会長の座にあった亀井先生は、「死刑廃止議連の会長が前面に立っているように思えますが……」という質問へ応答して、体育会系のノリで呼び捨てなのだろう、

「俺1人の力じゃないよ。保坂は真面目なヤツで、熱心に活動しているよ」

と語られた。2003年総選挙で保坂さんが落選する憂き目にあった折、
「次は亀井派から自由民主党公認で出ましょう」
と勝連太郎さんは笑い飛ばした。最高のユーモアだった。

亀井先生は事務所で油絵を描くことに時間を費やす。どちらかといえば、論理よりも、情の人だろう。ユーモアに溢れる親分だ。

保坂さんは資料マニアと呼ばれるほどに書類や本を多く読む。どちらかといえば、論理の人だ。真面目だ。真剣すぎる。実直の方だ。

亀井先生から今夏、お話を伺う機会を得られた。

師の根底には「人間へのやさしさ」がある。永遠のヒューマニストだ。

1945年8月6日が原点にあるように思えてならない。
静香先生は7歳で、広島にて原爆の閃光を見た。

「原体験」を次のように語る。

「私は小学生でした。広島県比婆郡山内北村という片田舎で、食料がなかったから、児童みんなで校庭に芋畑をつくるために、芋を植えていました。夏休みなのに、学校に行って、芋作りするために、校庭にたまたまいたんですよ。

山の向こうからピカーっと空に鮮烈な光が見え、キノコ雲が上がって、とてつもない地響きが伝わってきました。大変なことが起きたんだ……と幼心でも感じられました。

数日後、服も着ずに肌が焼け爛れ、逃げてこられた人が多くおられたのを現在(いま)も記憶しています。」

遺言と以下の通り伺った。

「親戚も被曝しました。私の姉貴が爆撃地近くの三次高等女学校にいたんですね。自分も被爆したとは知らなかったのでしょう。援助のため多くの女学生と一緒に爆心地へ通い続け、第二次被曝に苦しみました。

姉貴を亡くしたのは後年です。姉のクラスメートは原爆訴訟を起こしました。

出井知恵子さんは私と同じような体験を語っています。」

後日、知ったのだが、俳誌「茜」を主宰した俳人の出井知恵子氏は亀井先生の実姉だ。86年に白血病で逝去という。静香先生は姉2人、兄1人を持つ末っ子だ。生家には知恵子様が詠んだ

「白血球 測る晩夏の 渇きかな」

という句碑がある。

「まあ、原爆だけじゃなくてさ、東京大空襲や戦地で命を落とされた人を思うと、『一人殺そうが十万人殺そうが同じ』という戦争は永久に放棄されなければならない……と戒められる。神様が命令して、殺し合いをやらせているんじゃないよ。人間同士が利害衝突する中で戦争は起きる。」

亀井先生はこう語る。次の総選挙を「最後の決戦」と位置づける。

「何故に 心を魅かるる 桜花 咲くを惜しまず 散るを惜しまず」

現在の心中を自身の短歌に託す。

「キューバ革命」の指導者・チェ=ゲバラを「心の師」として仰ぎ、事務所に肖像写真を飾り、東京大学経済学部生の頃は「マルクスの亀井」と呼ばれることもあった静香先生が、ガチンコで「革命」を起こそうとしている。

次の衆議院解散を「亀井静香なる解散」と呼びたい。