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放送作家にしてやると騙された [下関マグロ 第10回]

最初に買ったワープロは富士通のマイ・オアシス2だった。高見山がテレビコマーシャルをしていた「ザ・文房具」というシリーズのワープロで、こんなに小さいと宣伝していたわけだが、相撲取りのなかでも巨体の高見山が持っているのだから、そりゃ小さく見える。我が家にやってきたものは、たしかにそれまでのワープロに比べれば価格も安く、小さかったが、それでも机の上を占領していた。時期は1983年の秋くらいだったろうか。中野坂上でスーさんとルームシェアを始めた時期だ。つまり、まだ『スウィンガー』の営業マン時代。

価格は50万円くらいだった。もちろん現金では買えないので、丸井のローンである。

買った理由は、当時流行していたミニコミ誌を自分でも作ってみようと思ったからだ。しかし、新しく買ったワープロは、まったく使いこなせなかったし、ミニコミ誌についてもどういうものを作りたいかというような具体的なものはなかった。ただ漠然と作りたいと思っていただけである。今から思えばなんともアホな話だ。 続きを読む

四谷の間借り事務所に通い始めた [北尾トロ 第9回]

そうか、下関マグロ(増田剛己)は失業保険をもらっていたのか。前回の原稿を読むまで、そんなことはすっかり忘れていた。いまどうやって食いつないでいるかというのは切実なことではあるのだが、会社員経験がないぼくには関係のない話だったので、聞き流してしまったのだろう。

引っ越しして電話が復活したため、八重洲出版という会社で働く大学時代の友人から連絡がきた。

「ライターになったんだってな。仕事はあるのか」

「ない。毎日ぶらぶらしてる」

「そうか、じゃあオレんとこで仕事しろよ」

持つべきものは友である。『ドライバー』の編集をしているヤツは、すぐに仕事を与えてくれた。 続きを読む

無職になり、失業保険をもらうこととなった [下関マグロ 第9回]

雑誌『スウィンガー』の編集長である佐々木公明さんが、電話をくれた。

「増田くんも独身でどこで、ちゃんとご飯食べてないんじゃないの? たまにはウチにきなよ」

佐々木さんは新婚で、同じ会社の女性と結婚していた。だから、僕は両人を知っているのだ。家をきけば、歩いていけるほどの距離ではないか。

約束の日、佐々木さんの家に行くと、スーさんもいた。かつて一緒に暮らしていたスーさんである。彼は今、落合に住んでいると言った。

佐々木さんの奥さんの手料理をいただきながら、スーさんになにをしているのかと聞けば、

「失業保険をもらっているからなにもしてないよ」

という答えだった。 続きを読む

借金して吉祥寺に引っ越した [北尾トロ 第8回]

いたいだけいていいよと言ってくれたからといって、2カ月半は好意に甘え過ぎである。出て行ってくれとパインに言われるのも仕方なかった。新しい住処を見つけなければ。

さりとて引っ越し資金などあるはずもなく、借りるアテは親しかなかった。半端に借りたってすぐに困窮するのは目に見えているので、100万円の借金を申し込む。状況がわからない親は息子が居候生活していることを気に病んでいて、なんとかOKが出た。この借金には後々まで苦しめられることになるのだが……。

部屋を借りるにあたり、どうしても欲しかったのがシャワーとクーラーだ。独り暮らしを始めてから、風呂付の部屋に住んだことがなかったのである。クーラーも同じだ。 続きを読む

フリーライター初仕事と居候生活 [北尾トロ 第7回]

名刺を作ったからといって、すぐに仕事があるわけでもない。編プロのバイトをやめるついでにライターを名乗ったようなもので、計画性もなければ具体的なアテもなかった。さらに金もない。手元にあるのはイシノマキから最後にもらった給料の残り8万円だけである。身の自由は手に入れたものの、当座はパインの仕事を手伝うことが主な仕事。これは家賃の代わりなので収入には結びつかない。

だが、これはまずい、ライターとして身を立てるべく動き出さねば……と思わないのがナマケモノのナマケモノたるところで、時間があるのをいいことに毎日ぶらぶらと街へ出て名画座で映画なんか観てしまう。食べ物はパインのところにあるし、8万円あれば2カ月は生きていけると消極的に計算してしまうのだ。面倒見のいいパインのことだから、それくらいだったら居候させてくれるのではないかという甘えもあった。
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イシノマキで逢った人たち [下関マグロ 第7回]

僕の原稿が少し時間的に先に進みすぎてしまった。これでは、読者も少しわかりにくいかもしれないので、僕の原稿も少し時計の針を戻そうと思う。

イシノマキでは、本当に多くの人に出逢った。ただ、僕自身はイシノマキにおいて特異な存在であったため、どの人がどういうことで、ここにいるのかというのがよくわからなかったのだ。伊藤秀樹(北尾トロ)も同じことで、最初の頃はよく夕方になると会社にきていた男くらいの印象しかなかった。彼はいつもマイペースで、オフィスの片隅にいる僕に向かって「お前、いっつも暗いなぁ」などと声をかけてくれた。いったいどんな人なんだろうかと思っていたら、ある夜、会社に置いてあるエレキギターを取り出して、ステレオセットにつないで音を出していた。どうやら、この人の私物のようだ。会社にギターを置いている人だということがわかったが、どういう人かということはますますわからなくなった。というのも、そのギターの腕はお世辞にもうまいとは言えなかったからだ。

イシノマキは編集プロダクションといいながら、いろいろなことをしている会社で、岡林信康のコンサートなんかもプロデュースしていた。僕は部外者ということもあり、こういったことからはまったくの仲間はずれであったが、伊藤秀樹ほか、ほとんどの社員がこれに関わっていたと思う。北関東のどこの街かは忘れたが、伊藤秀樹もPAとして参加していたようだ。彼はPAもやるんだ。彼はきっと音楽畑の人なんだろうと思ったりもした。 続きを読む

フリーライターの名刺を作ってみた [北尾トロ 第6回]

3カ月働いたところで、やっとイシノマキを辞めることが了承されたものの、ふたつ条件があった。

ひとつ目は、他の編集プロダクションに行かないこと。社長はぼくがどこかの編プロに入り直す気でいると疑っていたのである。

「うちにきたとき、伊藤君は電話ひとつかけられなかったよね。かけさせても、敬語は使えないしメモも取らないほどだった。それが、いまでは何とかできるようになっただろう。そういうことも含めて、うちで培った編集ノウハウがよそに行くのは困るんだよ」

そんなことまで言われたが、編集だけは二度とやるまいと思っていたぼくにはどうでも良かった。 続きを読む

小さな広告代理店に入社した [下関マグロ 第6回]

イシノマキの入っているビルのエレベータでのことだ。

「お前、よかったらウチに来いよ」

そう、北関東訛りでしゃべりかけてきた男がいた。広告代理店ハリウッドの社長、葛飾さんだ。僕がイシノマキでなにもすることがなく、クサっているのを知っていて、声をかけてくれたのだろう。それにしてもせいぜい顔を知っているくらいで、よくそんなことが言えるなぁとちょっと不思議な気分だった。僕で大丈夫なのだろうか。とにかく詳しい話を聞くため、翌日、ハリウッドを訪れることにした。 続きを読む

イシノマキの過酷な支払いシステム [北尾トロ 第5回]

カメラマンのアゴから大粒の汗が流れ落ちていた。そばにいるライターも、まともに顔を上げることができない。シンとしてちゃあダメだということはわかっていて、「その調子!」「そうそう、その感じ」と意味もなく明るい声は出ていても、内心ドキドキなのが手に取るようにわかる。もちろん、ぼくも同じだった。

だって目の前に裸の女の子がいるのだ。それも、モデルとかではなくまったくの素人である。初めて人前で脱ぐ女の子と、初めてヌード撮影するカメラマンと、初めてヌード撮影に立ち会うライター、編集者。ほんの15分かそこらの撮影が数時間にも感じられ、終わったときには心底ヘトヘトになっていた。女の子が帰るとライターは「いやぁオッパイ大きくて勃起もんだったなあ」とおちゃらけたけど、そんな気持ちの余裕などどこにもなかったことはわかり切っている。

『スコラ』で、某社スピーカーの編集記事に添え物として載せる色気のある写真を撮っていたのだ。男性誌だし、裸のひとつも欲しいという宇野さんの軽い一言がきっかけで知り合い関係を探しまわること1週間。脱げるコなんているわけないとあきらめた頃、なぜか謝礼5千円で撮影させてくれるコが現れ、今号もなんとかメドがついたのだった。やれやれだ、まったくやれやれだ。 続きを読む

ライターのギャラについての話〜その1〜 [下関マグロ 第5回]

この原稿は北尾トロと僕が交互に書いているわけだけど、僕自身、北尾トロの原稿を読むのが楽しみである。あの頃は知らなかった新事実というものが、わかるからだ。

北尾トロの前回の原稿にあったイシノマキでのアルバイト料が月に11万円から12万円に騰がったという記述。これにはけっこう驚かされた。

すでに書いたが、僕はオナハマという会社で15万円の給料で雇われ、イシノマキに出向するというおかしな雇用関係だったが、北尾トロより僕のほうがたくさんもらっていたとは夢にも思わなかった。 続きを読む