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クリスマスイブの出来事 [下関マグロ 第25回]

荻窪の田辺ビルは、夏は暑く、冬は寒かった。夏の暑さは単に部屋にクーラーがなかっただけだが、冬はガスストーブやコタツがあっても底冷えがした。

だから冬は一日中コタツから出られなかった。仕事もコタツ、食事もコタツ、テレビを見るのもコタツだった。

ある夜、やはりコタツに入りながらテレビをつけたら、三冠王を3度も取った落合博満が、ロッテから中日へトレードされるというニュースをやっていた。落合ひとりに対し中日からは牛島和彦をはじめ4人の選手、つまり1対4のトレードであった。

へえ~、落合っていうのはすごい選手だなぁ、と思って見ていたら、電話のベルが鳴った。僕はテレビのボリュームを落として受話器を取った。

「まっさん? 伊藤だけど」 続きを読む

事務所がギクシャクし始めた [北尾トロ 第24回]

妹と暮らすようになって、生活が急に落ち着いてきた。朝は物音で起き、二度寝しても昼前にはベッドを抜け出す。作り置きの食事を済ませたら仕事にかかる。とはいえ集中などできないので、自宅で最低限のことをして、本格的に書くのはボブ・スキーの編集部に行ってから。帰りはたいてい深夜だ。家賃が高くなった代わりに掃除や洗濯はしてもらえるのでラクなのだ。

新宿にあるオールウェイの事務所に顔を出す頻度は激減した。ぼくの仕事のメインはボブ・スキーになっていたし、それ以外の仕事も知り合いを通じて得た取材ものが大半である。PR雑誌の店取材などでは増田君とコンビでやっていて、一方が執筆、一方が撮影と役割を分担した。クルマで出かけて1時間ほどで取材を終わらせるのだが、それでも半日はつぶれる。ギャラが全部で1万円といったものなので割に合わない仕事だけれど、気分は遊びなのでそれでも良かった。

一緒にいる時間、増田君とずっと喋っていたわけだが、話題はいくらでもあり、お互いの仕事に関してはあまり突っ込んだ会話にならない。だから、増田君が『BIG tomorrow』をレギュラー仕事にしていることは知っていたけど、どれほど時間を割き、どれだけギャラをもらっているかなんてわからなかった。一緒に遊べるってことは、毎月食べていけるだけの収入があるということなので、それで良かったのだ。 続きを読む

ライターの三種の神器がそろう![下関マグロ 第24回]

西暦で1986年、昭和でいえば61年、僕の仕事は前年より確実に忙しくなっていた。レギュラーの仕事が『とらばーゆ』『BIG tomorrow』に加え『ボブ・スキー』で三つになったからだ。いずれも伊藤ちゃんに紹介してもらったものだ。

『とらばーゆ』は小さなコラムだが週刊で、『BIG tomorrow』は月刊、『ボブ・スキー』は年に6ヶ月間刊行のシーズン月刊。年6ヶ月のシーズン月刊といっても、半年だけ働けばいいというのでなく、『ボブ・スキー』の場合は一年を通じてやることがいろいろあった。

また、レギュラー以外の仕事も増えていた。

この年の前半、僕はまだ東中野の三畳に住んでいて、原稿は手書きだった。とくに大量の原稿を書かなければならなかったのが『BIG tomorrow』だ。ここで僕はデータマン、取材記者をやっていた。誌面に出る原稿ではなく、アンカーマンが記事を書くためのデータ原稿なのだ。多いときにはペラで300枚もの原稿を書いた。 続きを読む

彼女と別れ、妹と経堂に住む [北尾トロ 第23回]

ボブ・スキー編集部は大田区にあり、僕の住む吉祥寺からは井の頭線で渋谷へ出て、山手線で五反田まで行き、さらに池上線に乗り換えなければならない。最寄り駅からも徒歩で15分かかるので、到着まで1時間半近くかかる。夏以降、編集部に行く頻度が増すとともに、往復3時間は堪え難くなっていく。

とくに帰りがつらい。要領が悪いため、仕事ははかどらないのに時間ばかり過ぎ、たちまち午後11時をまわってしまうのだ。3輪バイクで通ってきている増田君は時間を気にしなくていいが、あきらめて帰るか、朝まで働くかの決断を迫られる。終電近い電車はいつも満員で、家に着いたってシャワーを浴びて寝るだけ。かといって編集部で夜を明かして電車で帰るのもしんどい。編集者に頼み込み、ときどきならクルマできて会社の駐車場を使ってもいいことになったが、リッター7キロくらいしか走らないのでガソリン代が馬鹿にならん。警備のオジサンに「どこの部署?」と尋ねられるのも面倒だ。

ぼくもバイクが欲しいけど高いからなあ、と思っていたら、知人がホンダの赤いスクーターを安く譲ってくれるという。それで、ぼくもめでたく、時間を気にせず深夜の環七を突っ走るライターの一員に加わることになった。 続きを読む

「北尾トロ」が誕生した瞬間!  [下関マグロ 第23回]

スキー雑誌の取材に出かける前日、神保町にあるスキーショップで、ウエアの上下とバッグを買った。全部で2万円弱だったろうか。プライベートでスキーに行くことは有り得なかったので、なるべくスキー以外でも使えるものを選んだ記憶がある。

現場への移動については、まったくお気楽だった。なぜなら伊藤ちゃんがすべてお膳立てをしてくれて、僕は彼が運転する車にただ乗っていれば良かったからだ。

取材は何泊にも及んだが、食事代などすべては学研が支払ってくれるので、それがお金のない僕には何よりうれしかった。 続きを読む

ラーメンとカレーを食べまくった初取材 [北尾トロ 第22回]

福岡さんが編集長を務める雑誌は「bob SKI」(ボブ・スキー)と誌名が決まった。まったく意味不明な名称である。福岡さんに尋ねても「なんとなく、ノリでね」という説明。兄弟誌のテニス雑誌が「T.Tennis」(ティー・テニス)なので似たような語感を狙ったようだ。

福岡さん以下、田辺さんを筆頭に2、3名の編集者。その下につく僕らフリーの連中を、福岡さんはスタッフライターという呼び方をした。編集部から与えられたボブ・スキーの名刺を持って取材に当たるスタッフ程度の意味合いだろうか。とはいえ、しょせんは寄せ集め集団なので編集会議などには参加せず、めいめい勝手に企画を立て担当編集者と内容を詰めていくだけである。

僕たち滑れない組はもうこの段階で落ちこぼれていて、通っても取材する自信がないためスキー雑誌らしい企画など出しようがない。やむなくコラムページとか読者ページとか、現場感の薄い企画を提案するしかないのだが、なぜかそれが福岡さんに受けるのだ。「一般誌の感覚はやはり違いますねえ」とか、「こういう切り口はこれまでのようなガチガチのスキー雑誌にはありませんよ」とか、どこまで本気かわからないがこちらが気を良くするリアクションをしてくれる。お調子者の僕はそれでますますやる気になってしまったし、「伊藤ちゃんにだまされて合宿に連れて行かれた」と慎重な構えを崩さなかった増田君や水島君も前向きな姿勢に。坂やんと伏木君も、スキー場の取材はしたくないがコラムとかならやぶさかでないと、それなりの意欲を示した。 続きを読む

タダほど高いものはない。スキー合宿顛末記 [下関マグロ 第22回]

前回、北尾トロが書いたスキー合宿の顛末を、僕は全く忘れていたのだが、読んでいたらいろいろ思い出した。

この合宿だけれど、伊藤ちゃんこと北尾トロから誘われたのは、仕事というよりは遊びであったと思う。

といってもスキーなんて僕はまったくの未経験だし、とくに興味もなかった。「道具も持ってないし、いいよ」と最初は断ったと思う。すると伊藤チャンがこう言った。

「交通費も宿も全部タダだから」

「えっ、タダ? 無料ってこと!?」と、僕は聞き返した。スキーに興味はなかったが、そういうことなら話は別なのである。

そしてそのとき事務所にいた伏木くんが「それはいいですねぇ。ぜひ参加させてください!!」と言ったりして、話はトントン拍子に決まった。そしてほかにも、坂やんなどが無料合宿メンバーに名乗りをあげた。 続きを読む

スキーができないスキー雑誌のライター集団 [北尾トロ 第21回]

「じゃあ、ゆっくりボーゲンで滑るから、ぼくの後ろからついてきてくれますか。さっき教えた通りにやれば大丈夫ですから。行きますよ!」

副編集長の田辺さんが先頭に立ち、初心者用のなだらかなゲレンデを、これ以上ないほどの低速で滑り始めた。

「あた、あた、あたたたた」

スタートして5メートルで増田君がよろけ、最初のターンで伏木君が曲がり切れずに列を離れ、それにつきあうカタチで坂やんとぼくもコースアウト。唯一、難を逃れたニューメキシコの水島が、先頭に追いつこうとしてスピードを上げた途端に滑って転び、豪快に雪煙を上げた。

「はぁ〜。まだ転ぶところじゃないんですけどねえ」

田辺さんのため息は思い切り深い。 続きを読む

デカい明日になりそうな『BIG tomorrow』の仕事 [下関マグロ 第21回]

「それじゃ、ちょっと行こうか」

引っ越したばかりの「オールウェイ」の事務所で、伊藤ちゃんがそう言った。

行き先は、青春出版社の月刊誌『BIG tomorrow』の編集部だ。伊藤ちゃんが歩いて行くというので、僕も一緒に歩き出した。

靖国通りから厚生年金会館の先で路地へ入る伊藤ちゃん。

東京医大の横を抜けると住宅街があり、何度か曲がりながら進むと、「まねき通り商店街」という古い商店街に出た。

それは冬の日で、出発したときは明るかったが、抜弁天あたりに着いた頃には日が落ちて、すっかり真っ暗だった。

職安通りを河田町まで歩くと、青春出版社のビルがそこにあった。近いのかと思ったが、辿り着くのに結構な時間がかかった。

今でこそ青春出版社の真ん前に大江戸線の若松河田町駅があるが、当時そこにはバス停があるだけで、どこの駅からも遠かった。 続きを読む

データ原稿書きで、手のひらが真っ黒だ [北尾トロ 第20回]

1986 年が明け、それまでの四谷から、新宿に通う生活が始まった。パインは張り切っていて、いつ顔を出しても事務所にいる。留守のときは打ち合わせに出ているか人と会っているかで、夜遅くまで、椅子の上であぐらを組んで原稿を書いていた。家には睡眠と着替えのために帰るだけのようだ。

居候していたときも、パインは仕事ばかりしている人で、放っておくと俺は外にも出ないと言っていた。しゃにむに働くパインを見ていると、ハングリー精神という言葉を思い出す。フリーライターのフリーとは何の保証もないことであり、仕事を発注してくれるクライアントとは細い糸でつながっているだけで、いつプツンと切られてもおかしくない。だから仕事はちゃんとやらなければならないし、つながる糸は多いほどいい。そういう考え方だから、いつも多くの締め切りを抱え、寝る間も惜しんで働いている。

ぼくを居候させてくれたり、駆け出しライター連中に事務所を使わせてくれたりするのは、ひとりで働いてばかりいるのがつまらないという理由もあったみたいだ。そのうち野心が芽生え、編集プロダクションを設立。有能なスタッフがきびきび働いてくれれば、自分は社長として営業中心に動き、原稿用紙1枚いくらの生活にサヨナラできる。パインの皮算用はそんなところだったと思う。 続きを読む