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その6「抗議」が議論と出会うとき
   「伝説のオカマ」論争を「あす」に活かす
[2002年01月31日]

●第01回

平野広朗
高校教員/
OGC(大阪ゲイ・コミュニティ)
メンバー

 あの「論争」とは、いったいなんだったのか。どこに向かおうとしていたのか。すでに終息を迎えたのか。そもそも、「論争」と言えるようなものは成立したのであろうか。

 「論争」は、「伝説のオカマ」(及川健二、『週刊金曜日』2001年6月15日号)を読んで「傷ついた」とする伊藤悟・すこたん企画が編集部に「抗議」したことから始まった、はずだった。彼らの「抗議」の仕方と内容、および(すこたんサイドに立った)『週刊金曜日』8月24日号「性と人権」特集とに対して、すこたん企画以外の「当事者」たちからさまざまな異議や反発が噴き出して、さまざまな場で議論が闘わされてきたのだから。だが、それら異論に対してすこたん企画の側から反論が提出されたという話を、ぼくは聞かない。9月30日には伏見憲明さんの呼びかけによるシンポジウムももたれたが、直接に議論が交わせるせっかくのチャンスであったにもかかわらず、出席を求められたすこたん企画のメンバーは欠席をしている。残念なことである。

 これまでにも、ぼくは伊藤悟・すこたん企画の主張・言動に対しては少なからぬ違和感を抱いてきたが、「あとから活動を始めてがんばっているのだから、温かく見守ろう」「先輩風を吹かせたくはない」と思って、差し出がましいことは言わないできたつもりである。「個人攻撃」をしていると誤解されたくないとも考えて、名指しの批判も避けてきた。だが、今回の問題の経緯を見るにつけ、言うべきことを言わないでいたツケがここに回って来たとの想いを深くする。独り伊藤悟・すこたん企画に限らず、一部のゲイにも共通して見られる問題性が露呈したようにも思う。そこで、この機会に詳しく論じておきたい。

「分断」発言が意味するもの 

 本題に入る前に、8月24日号の「性と人権」特集におけるスタンスの問題にふれる。

 ぼくはすこたん企画の「抗議」内容に賛同はしないけれども、抗議する権利は誰にでも最大限保障されてしかるべきなのだから、「抗議」したこと自体には反対しないでおこうと思う。そこで終わっていれば、ぼくも黙っていたろう。

 だが、その結果としての特集では、すこたん企画の文章が半分を占めてしまっていた。「抗議」した人の意見が主になるのはありうることだとしても、「伝説のオカマ」に対して別の見解を表明している「当事者」が幾人もいて編集部に投書までしていたにもかかわらず、それらは無視されたのだ。多くの人たちが憤慨したのも当然のことである。ここに至るまでの経緯に関しても、編集部とすこたん企画の特殊な関係に関しても、ぼくにはまったく納得がいかない。

 「性と人権」特集を組むに当たっては、さまざまな意見を併せて載せようとする企画案は斥けられ、著者の見解を載せることも、記事を掲載した際の編集方針に基づいた「主張」を改めて展開することもなかった。「(さまざまな意見を載せたら)差別される側を分断することになる」「まず、傷ついた人に向き合うことが先決だ」と強く主張する辛淑玉前編集委員の意向に従って、すこたん企画中心の特集が組まれたのだという。

 彼女はきっと、ゲイのことを心配してこう言ってくれているつもりなのだろう。だがしかし、ぼくはこれを聞いて耳を疑う。幸か不幸か、「分断されること」を心配していただくような「統一された基盤」を、日本のゲイは持っていない。今回の論争の経緯を見ても明らかなように、さまざまな意見がさまざまな場でさまざまに交わされた。大多数のゲイは議論に無関心であった。さらに、こうした論争が闘わされていることすら知らないゲイも多かった。

 当然のことだが、誰も、すこたん企画にゲイの「代表」をしてくれなどと頼んだことは、一度もない。辛前編集委員に問う。「あなたはどれほど多くのゲイの意見に耳を傾けたのか」「いったい何人のゲイの友人をもっているのか」と。「分断」を心配してくださるほどゲイの実情に詳しいのなら、どこに「分断される惧れのある一枚岩ゲイ社会」が存在するのか、ぼくらが納得できるように提示していただきたいものである。ないものを「ある」かのように偽って、それを口実にして他を排除するのであれば、それは詐欺行為というべきであろう。

 さらに言えば、辛発言はぼくたちゲイをナメている。それぞれが自分の意見を持った自立した人間なのだということを、無視しているからだ。それとも、ゲイは十把一からげで扱われるべき存在だとでも言うのだろうか。

 この際だからはっきり言っておきたい。よく知りもしないのに、知ったかぶりをして「正義の味方」気取りをされたのでは、迷惑な話であると。

 やっと11月9日号に至って拙稿(「誰が誰を恥じるのか?」)をはじめとする論稿が掲載されて、とりあえずはバランスがとれた恰好になったが、ここにたどり着くまでには数ヶ月が費やされたのだ(アメリカでのテロ事件とアフガン戦争の影響もあって、10月12日号掲載の予定が二度にわたって延期されたことは明らかにしておくが、ぼくが元となる原稿を送ったのは、9月上旬のことであった)。「傷ついた人に向き合うのが先決だ」と言えば聞こえはいいが、そのひとことのために有意義な議論が数ヶ月にわたって封殺されてきたことの責任を、辛前編集委員はいまだに取ろうとしていない。議論を深めることと「傷ついた(と主張する)人」をさらに傷つけてしまう危険性とを混同するような雑な思考(志向)は、問題の本質を見誤らせるだけであろう。

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