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コーナー●その4シンポジウム [2001-10-10]

●その4-05 
[01-10-10アップ]
シンポジウムの感想です

taka(ゲイの大学生)

 

9月30日のロフトプラスワンで開催されたQUEER JAPANナイト、友人と行きました。なによりもまず、議論がカチカチじゃなくて笑いがあるのって大切ですね。途中なんどか「糾弾」なんて表現もでましたが、そもそも議論なんてものは、自分の意見を持ったらなかなかそれを曲げずに、その役回りに徹底して、どんどんと自分の意見とは違う方向に行ってしまうものです。だからこそ余計ねじれる。そういう意味では、公開ディスカッションは、自分の役を演じ続けるショウだと思います。まぁ、もともと面白おかしく「オカマ」を学ぼうというのが趣旨であるイベントです。真面目な内容でも笑いがとぎれないなんて、なかなかステキなひとときを過ごせました。
当日、差別語の扱い、ゲイを扱うときの内容の扱いについて「一番弱い立場に合わせるべきだ」という見解をめぐっての議論がありました。しかし、一緒だった友人と「一番弱い立場に合わせるっつったって、ゲイとかオカマとか、そういう事がかいてあったら、一番差別意識に苦しんでるクローゼットなゲイはそれだけで手に取らないよね」と話していました。これはお互いの経験から出ている意見です。オカマ、ホモ、ゲイ、同性愛…言葉はどう変わっても、指しているモノは同じです。クローゼットの身としては、そうやって自分たちを指されること自体が煩わしいのです。差別語の根本的な問題は、その言葉自体ではなく、その言葉が指すものが、どういう状況にあるかではないでしょうか。言葉尻を捉えてあーだこうだいう前に、内実を変えて行かなくてはならないのでは?僕はそう思います。
週間金曜日の及川さんの記事は、オカマという言葉のもつニュアンスを変える意味でも、とても意義深いモノだったと思います。「オカマ」とタイトルに書いてあって、だれがそれを読むのかと言ったら「おっ、オカマだってよー、よんでみよー」というタイプの冷やかしも多いでしょう。そんな人たちがあの記事を読み、彼らの「オカマ観」が少しでも変われば、それこそが差別語と差別意識を薄めていく最善の方法ではないでしょうか?実際、今回は、「オカマ」という言葉を使ったという事に批判がでたワケですが、記事内容に問題があるという人は少なくとも会場内に誰独りいなかったように記憶しています。ならばなおのこと。
差別語があったら、それを隠すのには反対です。同性愛者というカテゴリーが社会的にあって、それが少なからず偏見を受けているとしたら、どれだけ差別語を無くしたって、僕らを指す言葉は生まれてきます。必要なんですもん。そんな言葉のモグラたたきをしていたって、埒があきません。差別語を堂々と使って、それに反応させて、反応した人間に正しいイメージを再インストールする。クィアジャパンのクィアだって、日本語で言ったら「変態」。だけどこれだって、否定的なカテゴライズの言葉を、逆手にとっていい意味にしてしまった恰好の例ではないですか?これを「オカマ」って言葉でもやればいいんですよ。そうすれば、だれも差別語だなんていわなくなりませんか?

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