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コーナー●その4シンポジウム [2001-12-03]

●その4-00
[01-12-03アップ]

『「伝説のオカマ」は差別か』
シンポジウムの記録
[前半]

●出席者
 伏見憲明
 及川健二
 野口勝三
 松沢呉一
 黒川宜之
 山中登志子(後半に出席)

 

 

●掲載について

ここに掲載するシンポジウムの記録は、2001年9月30日に新宿のロフトプラスワンで開かれたものの前半です。テープ起こしを伏見さんが整理し、出席者に点検してもらったものが、掲載したこの記録です。
前半は主に経過に関することを中心に話されました。また、『週刊金曜日』の編集長・黒川さんは、都合によりこの前半で退席。
後半は差別と表現・そのジャッジとジャッジする資格などが話されました。黒川さんに替わって問題の記事の担当編集者・山中登志子さんが参加しました。
ポット出版ではこのシンポジウムを中心にした単行本を制作しています。その過程で出席者の点検をへた前半部分をここに掲載しました。今後、出席者にはゲラの点検・校正などをお願いするなどの作業をしなければなりません。その意味で、一部に間違えなどがあるかもしれませんが、責任はポット出版・沢辺にあります。
また、シンポジウムのすべては単行本で読んで欲しいので、経過を中心とした前半だけをサイトで公開することにしました。全部を公開したら、本がまったく売れなくなるかな、と考えたからです。
でも、このサイトでの議論も重要ですから、みなさんからの公開の要望が強ければ、後半も公開します。要望される方は、ぜひこの問題に対する意見を寄せてください。よろしく。(沢辺均)

   ■それぞれの立場

伏見● 僕らは今回の件を「オカマ問題」と呼んでますが、ことの発端は、ライターの及川健二さんが『週刊金曜日』に書いた、東郷健さんに関するルポルタージュ「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」にあります。その記事に対して「同性愛に関する正確な情報を発信している当事者団体」を自称しているすこたん企画が抗議をした。批判の内容は、「オカマ」という言葉を記事のタイトルに使ったこと、及川さんの記事の中での「オカマ」という言葉の解説が間違っていること、そして、東郷記事が出る直前に、すこたん企画が『週刊金曜日』と編集部と同性愛に関する勉強会をやっていたにもかかわらず、そこで、「オカマ」を使用する件に関して取り上げられなかったことなどです。

 それを受けて、『週刊金曜日』サイドは、謝罪という意味でしょうか、数号おいて、「性と人権」という特集を誌面で組みました。16ページに及ぶその記事の中では、なぜか当事者の及川さんや東郷健さんの主張は一切取り上げられず、すこたん企画が書いた部分が半分、あとの半分を編集部内での議論の経過や編集員の意見が占めました。すこたん企画とは異なる意見の「当事者」の投稿などが載せられることもありませんでした。

 そうした編集部の対応に対して、また、すこたん企画の主張そのものに対して、同性愛者などの当事者やメディア関係者の中で疑問の声がかなりあって、今日のシンポジウムを僕が呼びかけることになりました。今回ご出席の方々の他に東郷健さん、すこたん企画の伊藤悟さん、簗瀬竜太さんにもご参加をお願いしましたが、東郷さんは日程のご都合がつかず、すこたん企画さんからは、「…私どもといたしましても、時間をかけて熟慮いたしましたが、現在の様々な状況をかんがみ、今回のお誘いは、まことに残念ですが、辞退させていただきます…」 というお返事をいただきました。すこたん企画さんに関しては、その後もお電話やメールで出演をお願いし、本日もお待ちしているとお電話とファックスでご連絡しておきました。が、来られなかったようで残念です。

 僕としては、今回の件は、差別語や言葉狩りの問題を考える上でいいケーススタディになると考えました。同性愛差別を理解していただく上でも絶好の機会になりますしね。

 それではシンポジストの皆さん、それぞれ自己紹介などしていただけますか。

及川● 及川健二でございます。一昨日まで、私、マニラに行っておりました。本当でしたら、今月いっぱい、フィリピンにいたいなと思っていたんですが、今回、シンポジウムを行うというのを聞いて、日程を繰り上げて帰ることにしたんです。しかし、当然参加されると思っていたすこたん企画の伊藤さんらが出席を断ったということを聞いて、大変残念に思っております。

松沢● 松沢です。今日は、とにかくひたすら「いい人」でいようと、それだけを考えて来ました(笑い)。

 「オカマ」という言葉を自分のパソコンの中で検索したら、200ぐらいは出てきました。たぶんライターの中でも、最も「オカマ」を多用してる部類に入るのではないかと思います。「オカマ」が、そもそもどういう定義の言葉で、どういうニュアンスで使われてるかということに関して、すこたん企画とは、相当違う考え方を持ってます。今日はその辺のお話しをしたいと思ってます。

野口● 初めまして、野口と申します。私は、哲学とか思想とかをやってきていまして、セクシュアリティ/ジェンダーの領域を哲学的に考えたらどういうふうに捉えられるのか、という問題を現在仕事の一つとしてやっています。今回は『週刊金曜日』さんの対応ということよりも、「一番傷つきやすい人を基準にする」というすこたん企画さんの提出された考え方そのものを検討したい、と思ってきました。というのも、この考え方は、すこたん企画さんだけではなく、現在の反差別論全体に根強く存在していまして、それが反差別運動を現在難しくしている一つの要因のように思えるからです。『週刊金曜日』さんの対応は、この考えをそのまま踏襲《とうしゅう》したものとも言えるんですね。そこで、これからの反差別運動がふまえるべき方法的な原則を提出できればと思っています。

伏見● 次は、本当によく出てきてくださいました。『週刊金曜日』の社長兼編集長の黒川宣之さんです(大きな拍手)。

黒川● 黒川です。今日は、なんか糾弾の会らしいんだけれども。

伏見● あら、やだ、社長。アタシたちは、愛と欲望に生きるオカマですよ。そんなこといたしませんわよ(笑い)。

黒川●私は雑誌を作っている人間なので、皆さんには、雑誌を見ていただきたい。本当は、雑誌に書いたことを後でいろいろ説明するということはしたくないんです。ここでそうしたとしても、ほかの読者は分かってくれないわけですから。

 及川さんの書いた記事で「オカマ」というタイトルを使ったことを、私たちは単純に反省したわけじゃありません。いろんないきさつがあって同性愛や性にまつわる差別をなくすための特集を組みました。その特集をやったことについて、どうも、皆さん方の間から批判があるらしいので、どういう意見が出るのかを聞いて、勉強できることはしたいし、反論できることはしたい。そういうつもりで参りました。

 ちょっと体調が悪いので、今日は2時間で帰らせていただきたいと思います。ご質問がありましたら、先にどんどんやってください。

伏見● どうもありがとうございます。で、司会は私、伏見憲明がやらせていただきます。それでは早速、今回の件について、事実確認から始めましょう。

■ 事実確認

及川● 経緯について少し話すと、『週刊金曜日』に東郷記事が出た翌日の6月16日に、すこたん企画の伊藤悟さんから編集部の方に抗議があったそうです。そして、私がその話を聞いたのが、6月18日の月曜日。その時点では抗議の内容も明確にはされておりませんでしたので、私は編集部を通して手紙を伊藤さんの方に出して、直接お会いして議論をしたいと申し入れをしておりました。編集部の方からは、ライターである私の方から、直接、すこたん企画にアプローチをしないでほしいということでしたので、対応を編集部の方におまかせしました[及川・注]。

[及川・注]●伊藤悟さんが抗議した日
東郷健.記事が出たのが、6月15日(金)。その翌日の6月16日(土)に、伊藤さんより渡辺妙子さん(編集長代理)あてに電話があった。しかし当日、渡辺さんは会社におらず、電話を受けた編集部員が渡辺さんに伝えて、渡辺さんが連絡をとる。渡辺さんが、当該記事担当者の山中登志子さんに抗議の概要を伝え、山中さんが同日の夜に、私に電話をした。6月18日(月)に対応を協議することを合意、私のほうからすこたん企画に連絡をしないで欲しい旨つたえられ、了承した。(この時点では、「すこたん企画」を代表しての抗議ということではなかった。後日、「すこたん企画」としての抗議行動に変わりった。)
 6月18日(月)の協議には、『週刊金曜日』黒川宣之さん(当時、社長。現・編集長兼任)、山中さん、渡辺さんと私が参加した。抗議箇所は複数あり、私の当時メモによれば、

(1)オカマという言葉を遣うな
  →タイトルに付ける必要はない。
(2)あの記事を見たら、同性愛の子ども達が傷つく
(3)同性性愛という言葉はない
(4)オカマという言葉に関する筆者の勉強が不足している。
(5)わたしはこの記事で傷つけられた。謝罪して欲しい
 ということだった。

(1)直接、及川・山中ですこたん企画と話し合いの場を持ちた(2)抗議内容を文面で欲しい
 という2つの申し出を山中さんが手紙ですこたんに伝えるという方向になった(後日、(1)、(2)の申し出ともに、すこたん企画は拒否。傷つけられたのだからまず謝罪をしてほしい、という要求をすこたん側は続け、話し合いは平行線になった)。

 ちなみに、わたしは(1)〜(5)の抗議に対して、おおよそ次のように、対応協議の場で、述べた。

(1)東郷さんは「オカマ」という旗印に差別解放を進めたのであり、タイトルにつける必然性は十分にある。
(2)東郷健さんの生き方を見て、励まされる子は多いのではないか。
(3)「Homo-Sexual」の訳は、「Sexual」が性愛を指す以上、「同性異性愛」のほうが相応しい。長谷川博史氏が「同性性愛」という語を使用し、そのことは『週刊金曜日』でも取り上げられている(及川健二「『金曜日』で逢いましょう」『週刊金曜日』2000.1.28(300号))。伊藤さんのほうが勉強不足なのではないか、とまで言い切ったかもしれない。
(4)勉強不足だと断定する理由の一つが、オカマの説明からTSやTGが抜けていること、だった。記事執筆の際に参考にした『〈性の自己決定〉原論〜援助交際・買売春・子供の性〜』(紀伊国屋書店)中の平野広朗「闘いと癒し……異性愛強制社会と対峙して」から、11あるオカマの意味を読み上げ、「TSやTG」の解説を省いた理由を、【東郷健さんはオカマを自称するだ。そのゲイに対して否定的にも遣われるオカマという言葉を受容する理由、つまり東郷さん自身を否定する場合にも用いられる語をあえて遣う理由を、私は知りたかったのであり、オカマと自称するTGを「シリーズ 個に生きる」で取り上げるならば、「あなたはなぜ、TGにたいして差別的意味合いも内包するオカマという語を遣うのですか」と質問していただろう】と説明した。

伏見● そして8/24号で「性と人権」という特集が組まれたわけですね。その中で、及川さんは何も書かれてはいなかった。

及川● はい、私は、文章を書いておりませんし、そのような依頼も受けておりません。

松沢● 特集があること自体は、及川さん自身は知ってたんだよね。

及川● 特集の細部にわたるまでの内容を聞いていたわけではないんですが、すこたん企画や編集委員の声を入れながら特集の方を組んでいくということは聞いていました。

松沢● それに関して、なんで自分は書かせてもらえないのかってことは言わなかったの?

及川● どのような形で組まれるというのが分からなかったので、直接、こちらからの要望を申し上げることはありませんでした。

野口● 伊藤さんの方から、直接のライターの及川さんと話し合いをしたいという申し入れはなかったんですか?

及川● 編集者を通して聞いたのは、ライター自体を問題としているのではないし、初めからライターと直接話す気もなかったと。

松沢● ただ、実際に出た特集「性と人権」に掲載された、すこたん企画の抗議内容の中に、及川さんの記事は「オカマ」という言葉に対する説明が間違っている、とありますよね。これに対しては、反論させろってことはなかった?

及川● その時点ではなかったです。もちろん反論はぜひともしたいと思っております。ただ、その特集では、伊藤悟さんや編集委員が記事への批判を10ページにわたって展開しておりますので、それに逐一反論するには、それだけの量と内容をいただいた上でないとできないと思っております。

松沢● その旨は、編集部には伝えてあるの?

及川● 担当の方にはそのように言っておりますが、今後、どのような経緯を踏んでいくのかということは、ちょっとまだ分からない状態です[及川・注]。

[及川・注]
判明しただけで、『ジャパン・ゲイ・ニュース』主宰の春日亮二さん、『クィアジャパン』編集長・伏見憲明さん、『アッパーキャンプ党』主宰の斎藤靖紀さんといった既カミングアウト=ゲイや、トランスジェンダーの宮崎留美子さんから、「すこたん企画」抗議に疑問を呈する投書が届いたのだが、残念ながら『週刊金曜日』は全てボツにした。

 「すこたん企画」に批判的な声がほぼ載らず、ゲイからの反発の声は日増しに強まり、その結果か、『週刊金曜日』11/9号で『「性と人権」私はこう考える』特集が組まれ、私が反論「私が伝えたかったこと」(2頁)を、ゲイ・アクティビストの平野広朗さんが「誰が誰を恥じるのか?」(3頁)を、志田陽子さんが「当事者としての言葉とメディアの権力性の両立について」(2頁)を、それぞれ発表する機会が与えられた。

野口● 黒川さんにお聞きしたいのですが、すこたん企画に抗議をされて特集を組むことになった時に、これに対して、他のゲイの人たちから抗議もあったと思うんですけど、記事の半分をすこたん企画に任せるということは、どういう形で決まったんですか? あるいは、すこたん企画とは異なる意見も編集部に送られてる聞いてますが、それらしいのが一つ載っただけで、あと全然載ってないですね。そこらへんはいかがでしょうか?

黒川● 東郷氏の記事に対しての抗議というのは、すこたん企画だけでした。ですから、私たちはすこたん企画と話し合って、特集を組むことにしました。それとは異なる考えの当事者からの投稿は、3通か4通くらい来ました。それで、1通は載せました。ほかの問題の投書もすごく来ましたので、そんな比率で取り上げたわけです。

 『週刊金曜日』という雑誌は、スポンサーがまったくいない、読者だけに支えられている雑誌です。定期購読が主体ですから、だれにも遠慮することがない、タブーがないんです。私たちが掲げている理念は、平和を守る、憲法を守る、人権を守る、言論の自由も守る、そして差別に反対するということです。そういう理念に共鳴した人たちが読者になって作っている雑誌なんです。ですから、もちろん人権を非常に尊重してますし、言論の自由も尊重している。普通の雑誌に比べればずっと、差別とか人権ということに配慮していると思います。ほかの雑誌だったら、当然載せるような記事や言葉でも、それが差別的な内容を含むのならば、なるべく使わないようにしています。そして間違いを犯した場合にはできるだけ丁寧な対応をしているつもりです。今回の件も、そういう問題だということですね。

 この雑誌には編集委員が5人いるんですが、その編集委員の辛淑玉さん(8月24日付で辞任)と本多勝一さんが、この問題の扱いについて意見が割れまして、それを編集後記にあたるところに書いたんですね。それで、それに対する投書がたくさんきたわけです。投書は東郷記事そのものというよりも、編集委員どうしの議論についてのものでした。その後、この問題について「性と人権」という特集を組みましたが、その時点まですこたん企画に関する投書はほとんど載せていません。両編集委員の”編集後記”以外には読者には全容がわからないわけですから、掲載するのは不適当と判断したわけです。

伏見● 全容が分からないって、なんの全容がですか?

黒川● 東郷記事について、どういう抗議があって、それについて我々がどう答えるかということは、「性と人権」という特集で、初めて明らかにしたわけです。

野口● そうじゃなくて…「オカマ」という言葉は差別語なので東郷記事は問題だということを、一部の同性愛者が言ってきたわけですよね。その時に、同じゲイというカテゴリーの人たちが、「オカマ」という言葉の使用に関してどういう意見を持っているのかを聞くのは、当たり前のことだと思うんです。実際に抗議はおかしいという意見も送られてきている。それが、なぜ、一つの意見だけをピックアップして、ああいう形の特集になったのか。そういう基本的なスタンスをお聞きしたいわけです。

黒川● 抗議があったのはすこたん企画だけですから、すこたん企画を中心に企画を組みました。

松沢● 3人か4人か分からないけれども、すこたん企画の抗議に反対する当事者からの投書もあったわけですよね。にもかかわらず、1団体の意見だけを誌面に反映させたのは、『週刊金曜日』がそこと仲良かったからだと考えていいんですか?

黒川● まず、一つは、「性と人権」の特集は8/24号でやることになっていたわけです。「オカマ」という言葉を使うことがいいか悪いかということについての誌上での本格的な議論は、その特集の後でやってもらえばいいと考えていました。これからも私たちはずっとこうした問題についての企画を続けていくつもりでしたから。

伏見● じゃ、その「性と人権」っていうのは、なんの特集なんですか? その抗議があって作られた特集なんでしょ。ということは、その特集の中で、「オカマ」という言葉が差別語なのかそうでないかとか議論がされるのが、当然では…。

黒川● されてます。ただ、それを見た後で、本格的に議論をやっていただきたいということは、一つありました。

松沢● いやいや、だから、後で本格的にやるにせよ、その時点でほかの投稿を掲載していろんな意見があることを見せることに、なんの問題があるんですか?

黒川● 載せてないということはないんですよ。「すこたん企画の意見だけを取り上げるのはおかしい」という投書もちゃんと載せてます。ただ、『週刊金曜日』の花形の編集委員たちが同じ雑誌の中で、議論していて、それについての投書がすごくあったわけです。だから、それをかなり載せました。

伏見● じゃあ、例えば、投書はあまり来てなくても、さっき、野口さんが言われたように、すこたん企画の他のゲイの団体とか、ゲイとして何か意見を発表している人とかに意見を聞いて、そこに入れようとは思わなかったんですか?

黒川● それは思いませんでした。すこたん企画とは、ずっと前からゲイに対する差別をなくすための連載記事を執筆してもらったという深いつながりがあります。2回か3回にわたって長期の連載をやりました。それから、東郷記事の前にも、ゲイ差別を含んだ漫画が掲載されていると、やはりすこたん企画から抗議を受けたことがありました。そして、「なぜ、そういう漫画を載せるのが悪いのか」ということについて、彼らにきてもらって勉強会をやりました。そこで、「『オカマ』という言葉は差別語だから使われては困る」ということも説明を受けました。そういういきさつあった上での、東郷記事への抗議だったものですから、やはりまずすこたん企画と話し合って、どういう企画をやるのかを決めました。それは、中国のことわざで言うと、「最初に井戸を掘った人に対しては、それなりに報いる」。

及川● 私、『週刊金曜日』編集部の会議の場に一度、出させていただいたんですが、そこに編集委員の辛淑玉さんがいらしていたんです。これは、辛さんのご意見だったわけですが、伊藤さんと異なるゲイの意見、あるいは、セクシュアルマイノリティの意見を載せることは、ゲイの運動を分断することになるので、避けるべきだというふうにおっしゃってました。

会場● (「えー」の声が起きる)

黒川● さっき言いましたように、編集委員は6人いるわけです。編集部員もいろいろいます。それで、いろんな意見がでます。「性と人権」の中で、編集部の中でどういう議論がなされたかということが逐一書いてありますので、よく読んでいただきたいのですが、私たちはいろんな問題をみんなで議論して決めてやってます。私は、社長兼編集長ですから、国でいえば、首相と国会議員の衆議院議長を兼ねたような存在なんですが、私の意見で何でも決めるということではなくて、みんなで議論して方向を決めています。編集委員についても同じで、本多編集委員や辛編集委員が言ったからといって、その通り決まるわけではない。非常に時間はかかるし、すっきりした議論にならないこともありますけど、やはりそういう手順を踏んでおけば、いざという時にやはり、きちんと対応できる力がついてくるということもあります。社内民主主義を徹底してやっているんです。ですから、辛さんからがそう言ったかどうかは知りませんが、それが編集部の意見というわけではありません。

 ただ、「性と人権」の中には「セクシュアリティの基礎知識」という記事があって、これは、セクシュアルマイノリティの人たちについての基礎的な知識を載せたページです。これは、別にすこたん企画の伊藤さんたちに書いてもらわなくてもいい部分なので、編集会議では、できたら伊藤さんたち以外に頼もうじゃないかということになったんです。けれども、時間的な問題がありまして、結局、今までずっとこの問題についてやってもらっていた伊藤さんたちに書いてもらうことなりました。

伏見● 自分で言うのもなんですが、僕も、そのテーマではかなりスペシャリストなんですよね(笑い)。っていうか元祖なんだけど。言ってくだされば僕が書いたのに。今度、僕で企画を組んでいただけますか?

黒川● それはちょっとここでは約束できません。

伏見● (笑い)今回のシンポジウムも、『週刊金曜日』で掲載してもらえないかと、黒川さんにお電話でお願いしたら、「検討する気はない」とおっしゃられたんですけど、それはなんでですか? 検討くらいしてくださったってよろしいじゃないですか?

黒川● 今回のシンポジウムは記事としては書くかもしれません。今、取材はしてますから。ただ、ここでの議論を逐一載せることはしないつもりです。

伏見● べつに「全部載せてくれ」って言ってるわけじゃないですよ。

黒川● この次にどんな記事を掲載するかってことは編集部で議論した上できちんと決めたい。それを今、ここで僕が約束するとか…。

伏見● そうじゃなくて、「ご検討しますよ」ぐらい言ってくださっても…。つれないじゃないですか、そんな。

   ■メディアとしての対応

松沢● 『週刊金曜日』8/31号で、永六輔さんの連載ページに「オカマ」という言葉が出てますよね。これはタイトルじゃないんで別に問題ないということですか?[編集部・注]

[編集部・注]
「おカマになりたいってことは、オンナになりたいってことなの? それでオンナになれたの?」

「江戸の陰間茶屋のカゲマがつまってカマになったという説と、お尻のことをカマというからという説があるけど、ゲイの仲間では女装しないゲイのことを女装するゲイがおカマっていってたのよ。
 バックバージンという人もいたけれど。
 ゲイは人類のホモセクシャル。ホモは質が同じということ。
 ホモは動物にも植物にもあるから、ちゃんとわけてるの。
 女性のゲイがレズ……。
 『いろはがるた』の『月夜に釜を抜く』っていうのは御婦人が月のものの時には陰間茶屋で……ってことよ……嘘よ」
 ◎
 「おカマにくっついてるおばさんたちはおコゲっていうのよ。
 私なんかおコゲにお小遣いいただいたりしちゃってるわ」

 (永六輔「無名人語録」『週刊金曜日』2001.8.31(377号)、48頁) 

黒川● これもやはり問題があると思います。ですから、永さんには、こういう時期なので、表現を変えてほしいということは言いました。ただ、読んでいただいている方には分かるんですけど、ここは「無名人語録」といって、永さんがで無名人の言葉を借りて、世の中の常識的なことを徹底的に風刺なさっている欄なんです。永さんにすれば、我々の今度の特集を「オカマ」という言葉をあえて使うことによって風刺なさっているんだろうと、そういうふうな解釈で載せました。

松沢● これに関しては読者なり、すこたん企画の方からは何もないんですか?

黒川● すこたん企画からは、直接はありませんけれども、喜んではいないと思います。けれども、読者からは抗議が2、3ありました。オカマというタイトルがいけないのに、あそこで使うのはいいのかと。

松沢● 当然、16ページの特集になるんですよね(笑い)。

黒川● いやいや、そういうことは全然考えてないです。

松沢● なんでですか? 永さんだからですか?

黒川● それは、あの欄がそういう風刺の欄だからってことです。

松沢● でも、すこたん企画の論理でいえば、冒頭の言葉は、本文であっても差別語として一人歩きしかねないですよね。「オカマ=女になりたい人」ということですから、内容的に言うなら、さらに問題がある発言とも言えるじゃないんですか? 聞くところによると、この言葉は、今回のことにも関わりの深い人物の単行本の中に出ている言葉だそうですよね。

[松沢・注]
なお、永氏の文章に出てくる[ゲイの仲間では女装しないゲイのことを女装するゲイがおカマっていってたのよ]というのは誰の発言がわかりませんが、このような使用法を私は知らず、一般には戦後間もなくから女装者に対して使用された言葉です。

黒川● 私たちの雑誌をちゃんと読んだ上での議論と聞いてたんですけれども、読んでらっしゃらないようですね。私たちが今度の特集を組んだのは、「オカマ」という言葉を使ったからではないんです。東郷さんが自分自身で「オカマ」という言葉を使うのはいいし、東郷さんを表現する上において、オカマという言葉は絶対に避けて通れない。だから、「オカマ」を使うってことについては、私たちは別に反省はしていません。

松沢● 東郷さんが「オカマ」と自称してもいいのは、「当事者だから」という論理ですよね。でも、永さんが紹介しているこの文章は、当事者も何もだれの発言かもわからないでしょ。

黒川● そうじゃないです。編集部がつけたタイトルにそういう言葉を使ったのは配慮が足りなかったというのが、私たちの立場です。

松沢● でも、すこたん企画の抗議内容は本文にも触れてますよね。

黒川● 今は、編集部の立場で話してるんです。すこたん企画のことは、どうぞ、伊藤さんたちを改めて呼んで聞いていただきたいと思います。それで、永さんの場合は、「無名人語録」にしろ、永さんの記事として永さんが表現しているということですから、編集部が使う言葉とはちょっと違います。

野口● だったら、タイトルに「オカマ」を使うってことが悪かったということで、「オカマ」が差別語で使ってはならない言葉かどうかとは、また別問題なわけですよね。

伏見● ちょっと確認したいんですけど、そうすると、『週刊金曜日』では、タイトルに「オカマ」という言葉を使わないことが決まったわけですか?

黒川● 決まっているということはないですけど、「オカマ」という言葉は差別的な言葉だと思ってます。だから、普通の文章には使わないんです。今回使ったのは、特別な事情があると考えたからです。それを使う必然性がある場合でなければ使わない。差別的な言葉に対してはかなり神経を使ってます。うっかりして使うことはよくありますけど、普通は使いません。「オカマ」という言葉は、やはり差別的な意識の染みついた言葉だと思っています。だけど、今回は東郷健さんという人物の生き様を表す言葉として、絶対必要だと思って使ったんです。ただ、それをタイトルに使う必要があったかというところで、議論が分かれました。本文にあるんだったらタイトルに使ってもいいじゃないかというのと、タイトルに使うと『週刊金曜日』も使ってるんだから使っていいんじゃないかと、その言葉だけ一人歩きしてほかの人たちが安易に使うかも知れないという意見があって、議論が分かれているんです。それで、内部でいろいろ話し合って、やはり、もうちょっと配慮すべきじゃなかったかという点で、あの特集を組んだわけです。

松沢● そもそも、その境界線がわからない。本文だと一人歩きしなくて、タイトルだと、なぜそうも簡単に一人歩きし始めるのか。

黒川● 分からないと思います。それは、議論して、ここで線を引いて、こっから先はだめで、こっからこっちはいいというものじゃない。言葉も社会情勢等で変わりますし、私たちの考えも変わります。ただ、さっきから言っているように、内部でいろいろ議論して、「これはちょっとまずかったのかもしれない」、「良かったかもしれない」と最後まではっきり結論が出てません。ただ、私たちがこの特集を組んだのは、「オカマ」という言葉を使ったのがいいか悪いかということではなくて、これを機会に、「こういう性差別があるんだ」ってことをみんなに知ってもらういい機会だと考えたからです。多分、皆さんの気に入らないのは、それをすこたん企画だけでやったのが、けしからんということだと思うんですけど。

会場・志田哲之● きわめて単純な質問なんですけど、そのタイトルに対して東郷健さんからは何かコメントとかはあったんでしょうか?

黒川● なかったようですね。その後、担当者が、東郷さんに会ってますけれども、特にはなかったです。

及川● 『ザ・ゲイ』という東郷健さんが編集人、発行人をやっている雑誌があって、それはかなり著作権等々に関してはアバウトにやっているんですね(笑い)。今回の「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる 」も、いつのまにか転載されてました(笑い)。そこでも、そのままタイトルが使われてましたので、東郷さんとしては、問題をお感じになったということはないんじゃないかな、と私は思っております。

会場・志田● 重ねてよろしいですか? 僕の判断だと、東郷さんはそのようなタイトルをつけたことを、おそらく容認されたと思うんです。インタビュー受けた当事者が容認したにもかかわらず、それを差別語であるというふうに規定するということはどういうことなのかということをお聞きしたいんですが。

黒川● それは、さっきから話してますけど、私たちには私たちなりの差別表現についての基準というものがあります。たとえ、自認している人がどのように使っていようが、それを媒体としてそのまま通すことはありません。もちろん東郷さんは、この見出しについて雑誌になる前にお見せしているので異論はないと思います。が、東郷さんがどう思われるかということと、私たちが雑誌にそういうタイトルを使うのがいいか悪いかと判断することと、それから読者がそういうタイトルを使うのをいいかどうかと思うことは、全く別なことであって、東郷さんがいいとおっしゃったから、それで自由に使うということではないと思います。

伏見● 「ゲイ」とか「同性愛者」とか「ホモ」とか「オカマ」とか、いろんな言葉がありますけれども、どれが差別語だと編集部では考えているんですか?

黒川● 「ゲイ」「レズビアン」「同性愛者」以外は、なるべく使わないようにしようということなってます。それらは多くのゲイの人たちが自分で使っている言葉ですよね。「オカマ」という言葉は、やはり使うのを嫌がる人がいるわけです。多分、ここに来てらっしゃる方も「オカマ」という言葉を使うことに抵抗感を持って方は多いんじゃないかと思います。

伏見● 「オカマ」を使うのを好む人もいっぱいいると思いますよ(笑い)。「同性愛者」とかいったら、かゆくなるタイプも結構いるんです。ゲイの中にももいろんな考え方、感受性の人がいます。いかかがですか?

会場・長谷川博史● 私は「性病病みのオカマ」の長谷川と申しまして、これまで『ジーメン』などゲイメディアを作ってきた人間です。私は、今回の集まりを糾弾だと思っておりません。まず最初に、『週刊金曜日』が東郷健さんをこういう形で、きちんと取り上げてくださったことに敬意を表したいと思います(拍手)。私は、及川健二さんから、こういう記事を書きましたと連絡をもらった時に、自分自身を恥ずかしくを感じました。というのは、東郷健さんに関しては、本来、私たち、ゲイメディアがきちんと評価すべきものだったんじゃないだろうかと思ったからです。それと、実際、読んでみて、あの文章から、いささかも差別的な内容を感じませんでした。それは、私が差別問題に鈍感なんだろうというふうにも思いましたが。

 今問題にされている件での「オカマ」使用が差別かどうかってことではなくて、おそらく「オカマ」という言葉が使われると非常に痛いという人たちは確かにいると思うんですね。私自身も、実は東郷健さんによってトラウマを受けた世代、伊藤悟さんと同じ年頃でございます。当時は、テレビに東郷健さんが出ていらっしゃる度に、自分が男が好きだけど、ああいうふうにはなりたくい、一緒にされたくないと思ったのが正直なところです。

 今は、差別という問題が被害者論から出てきているだけでは、だめなんじゃないか、と考えています。実は私も以前『週刊金曜日』に及川さんに記事を書いていただいたことがあります。その時、彼は私が自認する「性病病みのオカマ」という言葉を最初文中に記してきたのですが、私は使わないでくださいと申し上げました。というのは、おそらく『週刊金曜日』の読者の人たちは、1ページの記事の中だけでは、私たちを取り巻く現実を深く認識しえないだろう、表層の部分でしか、おそらく差別というものをとらえきれないだろうと思ったからです。そうした表現に託された本当の気持ちや実態が伝わらないんじゃないかという不安を持ったんですね。ですから、もう少しページを使って言いたいっていうのが、私の本音だったんですけど。

 けれども、そういうことに関する不安は、今回は何も感じなかったんです。『週刊金曜日』がメディアとして差別問題、性的な問題、性差別の問題も取り上げていらっしゃることに、非常に敬意を払うんですけれども、常に被差別者が正しい、あるいはマイノリティ/マジョリティの対抗の中だけでとらえてしまう、そういう形式的なとらえ方をすることで、逆に差別っていうのは見えなくなる、ということもありうると思うんですね。

会場・A● 僕は『週刊金曜日』を定期購読をしています。今回「オカマ」という言葉が問題化して、編集部は、ほかの同性愛者の方とか、取材されたんですか? こういう問題があれば『週刊金曜日』の方で、新宿二丁目とか、取材に動いているんだろうと思ったんですが。

黒川● まだ、あんまりしてません。もちろん、ゲイパレードの取材はしてます。特集「性と人権」の最後に、この問題は今後も議論すると書いている通り、現在、そのための企画を考えてますので、それについての取材はやっています。

会場・A● 僕は今週号まで読んでいて、この問題がどんどんうやむやにされてような印象を受けてているんですが。

黒川● 米国のテロ事件とかいろんな問題がありまして、少し遅れてますが、これは絶対にやります。

会場・B● 『週刊金曜日』を定期購読ではなく、書店で買って読んでいます。東郷さんの記事が出る前に伊藤さんたちすこたん企画と勉強会があったということですが、その後で、東郷さんの記事が載ってタイトルに「オカマ」という言葉が使われたというので、伊藤さんたちは、勉強会あったのになぜ? みたいな感じで傷ついて、抗議されたと思うんです。編集部側が勉強会をした後であえてその言葉をタイトルに用いたのは、どうお考えだったんでしょうか?

黒川● その勉強会では、「オカマ」という言葉がテレビなどで差別的に使われている例をいろいろあげて、そのようにこの言葉は用いられているので使ってはいけないという説明を受けました。しかし、それでもあえて、私たちが「オカマ」というタイトルを使ったのは、東郷記事が決して差別的、侮べつ的な内容ではなかったからです。

伏見● 正しい態度ではないですか、それ。

黒川● そうなんですよ(笑い)。そこはいいんですよ。

伏見● 共感します。

黒川● そうでなかったら使ってません。ただ、その後、抗議を受けたり、内部で勉強会をやったり、いろいろ議論していく中で、考え方も変わっていきました。内部の事情を簡単に説明すると、ひとつ一つのタイトルを記事につけるのに、編集委員や編集部員全員が関わるわけじゃないんです。ひとつの記事については、だいたい3、4人で関わって作っていくわけです。今までだって、時には判断を間違ったり、いろんなケースがあって、みんなで出来上がった雑誌を見て、これはちょっとおかしいんじゃないかとか、ひどいんじゃないかとか、こんな記事は載せるべきじゃなかったってなことはないわけではない。この場合も、改めて問題になって、社内全員で話してみて、これはちょっとまずかった、ちょっと配慮が足りなかったんじゃないかとなった。もちろん、東郷さんを取り上げたことは非常にいいし、東郷さんの記事の中に「オカマ」という言葉を使うこともいい。隣にいるから褒めるわけじゃないですけど、「個に生きる」というシリーズはこれまで5回掲載したけれど、この記事は今までの記事に比べてもとてもいいという高い評価だった。ただし、見出しの件に関しては、もうちょっと考えた方が良かったんじゃないかという議論を2ヶ月ばかりやってきました。

 その結果、「オカマ」という言葉がいい悪いということじゃなくて、もっと幅を広げて性差別について、これをきっかけに読者の皆さんに考えてもらう、世の中に訴えていくような企画をやっていこうという趣旨で「性と人権」の特集をやったわけです。ですから、さっきから「オカマ」という言葉に問題が収斂されていますが、それはことの発端ですからしかたがないとも思いますけど、東郷さんを取り上げたことも、私たちがあの特集をやった意図も、それから伊藤さんたちとずっとやってきた企画もすべてそうですが、やはり性の差別をなくしていこうという趣旨で一貫していることを理解してほしいんです。

伏見● 『週刊金曜日』の今のスタンスからいえば、差別をなくすためには、タイトルには、「オカマ」は使わないということですよね。

黒川● 使わないというか、使うんだったらもうちょっと慎重に、例えば、そのことを文章の中でしっかり説明した上で使うとかしないといけない、と。

伏見● それは、及川さんに失礼だと思います。彼は文中でしっかり説明しているじゃないですか?

黒川● それは、また別の話ですけれども。

野口● 逆に、『週刊金曜日』としては、「オカマ」をタイトルにするには、中に説明文を載せれば使っても良いということですか?

黒川● それは分かりません。場合によります。けれど、今回のケースでいえば、配慮が足りなかったという理由にはいろいろあります。例えば、ある編集委員は、「『週刊金曜日』は反差別を創刊の理念に掲げている雑誌で、そういう雑誌が「オカマ」という言葉をタイトルに使っていると、読んだ読者に、『週刊金曜日』でも使っているんだから、おおいに使っていい言葉なんだなと誤解される恐れがある」という意見もありました。

伏見● 僕がやっている『クィアジャパン』って雑誌も差別に反対する雑誌なんですよー(笑い)。最近出た5号なんて、表紙に「瀬戸内寂聴の釜に説法!」ですからね! こういうふうに肯定的に使ってもらえるのならば、表紙であろうがタイトルであろうが「オカマ」を使ってもらうのは大歓迎。もちろん、差別的使用するのならば、中だけだろうがなんだろうが抗議すればいい。

   ■「オカマ」の背景

伏見● 言葉ってニュアンスも使われ方もどんどん変わっていくし、本当に「オカマ」が差別語とし使っていけない表現なのかどうか、もうちょっと根本的なところに話を進めたいと思います。

松沢● そもそも、何が差別語かってことは、そんな簡単に決めつけれられることではないって思ってます。すでに、今回の問題に関してインターネットですこたん企画支持を表明している西村有史さんという大分のお医者さんは、「ゲイ」も差別用語であるという認識をしていると思われる文章を書いているわけですよ。これは実際ありえることだと思います。伊藤さん自身が、図書館で「同性愛」というタイトルの本を借りようとしたら白い目で見られたという話をしておりましたが、同性愛に差別意識を持っている人たちなら、「同性愛」という言葉に対しても、そういう反応をしてしまう。

 このような現実があるにもかかわらず、「オカマ」はダメで、「ゲイ」はいいと決めつけることによって、オカマ差別の助長に成りうるとも思ってます。どういうことかというと、僕自身、「オカマ」という言葉をたくさん原稿でも書いています。全国の男娼の人たちの取材をずっとやってまして、僕にとっては女装した男娼およびオカマバーの人たちが、オカマだという認識があります。こういう感覚には個人差が相当あると思いますが、歴史的にみると、戦後まもなくは「オカマ」はほぼ女装し街頭に立って客を引く男娼を指し示す時に限定して用いられています。分かりやすくいうと、女性ジェンダーを強く有している男性で、なおかつこれを商品化している人たちということですね。

 本来はそういう用語で、それが差別的に使用されるに従って、広く使われていったということなんでしょう。すこたん企画の説明のように、「ヘテロ/セクシュアルマイノリティ」という対立があって、前者が後者を差別している構造の中でオカマって言葉が使われているだけではなくて、同性愛者によって、「オカマ」だと差別されたという男娼もたくさんいるんですよ。だから、そんなに簡単にニ元化できる構造の問題じゃなくて、グラディエーションの中で、より強い者がより弱い立場の者を、女性性の薄い者がより女性性の強い者を、商品化していない者が商品化している者を差別するために使われてきた言葉ですよね。

 こういう構造のもとで、男娼とかオカマバーの人たちが、自称として「オカマ」という言葉を普通に使っている事実があります。今回の問題を最初に知るきっかけになったのは、『週刊金曜日』でのできごとを知った、ある編集者が「松沢さん、オカマって差別語だったの?」と聞いてきたことだったんですけど、彼には男娼の知り合いがいますし、日常的にニューハーフのお店に行っています。彼は、そういった場で、「オカマ」という言葉を聞きなれてますから、それが差別的に使われること自体が実感できない。もちろん、これは鈍感なり無知と言われればそれまでですけども、事実、そういう認識の人たちもいるわけです。

 「オカマ」という言葉をインターネットで試しに調べたら、5万いくつヒットしたんですよ。確かに問題のある使い方をしている人は一部にいます。ところが、ほとんどが自称で使ってますよね。だいたいは、オカマバーの人達々やゲイのサイトです。伏見さんも使ってますよね(笑い)。

伏見● はーい、そうです(笑い)。

松沢● 自称でこれだけ使っている現実があるのに、これを差別用語だといって使えなくするのは、いかがなものか。少なくとも『週刊金曜日』では今回の件でタイトルでは使いにくくなったわけで、その決めつけ自体が「オカマ」を自認している人たちに対して、相当失礼なんじゃないかと。

会場●(一部から大きな拍手)

伏見● 「同性愛者」あるいは「ゲイ」というのが、最近では新聞用語になっていて、それならOKということになっているんだけど、その二つだってそもそも「差別語」なんです。もっと言えば、近代になって、「同性愛」という概念が西洋から入ってきたわけですが、性科学、精神医学がそういうふうに性的指向で人を分類した時点で、すでに差別と排除が始まっているんですね。逆に言えば、差別と排除の眼差しによって、言説の権力が多様な性現象の中から「同性愛」を切り取ったわけです。つまり、分類された時点で言葉の中に差別が刷り込まれている。

 だから、ずっと以前は「同性愛」という言葉で差別が行われたし(最初は「同性愛者」ではなく、「同性愛」だったと年配の方から聞いています)、以後、「ゲイボーイ」とか「ホモ」とかいろんな言われ方がされてきた。僕なんか小さいころは、女性的なタイプだったので、「男女(おとこおんな)」とか「中性」といった言葉で侮蔑されました。多分、小学校の高学年くらいから、おすぎさん、ピーコさん、あるいは、東郷健さんなんかがメジャーになってきて、「オカマ」という言葉が知られるようになった。あくまでもこれは僕の近辺の話で、こういうのって、地域とか世代とか、その人のいる情報圏によって全然違ってきますが。

 つまり、同性愛、ホモセクシュアルな欲望を抱いている人たち、あるいは女性的な男性を指し示す言葉というのは、常に「差別語」だったわけですよ。だから、「オカマ」であろうが「ホモ」であろうが「レズ」であろうが、差別があるところでは、その人たちを語ろうとする言葉はすべて差別語になっていくわけですよ。中立的な表現なんてなかったんです。

 最近では「ホモ」や「オカマ」が、ホモセクシュアルな欲望を持つ人たちを指し示すメジャーな言葉だったから、それが用いられているわけですし、そのことに痛みを感じる当事者が多い。だからこそ用いるのには配慮があった方がいいと言えるわけですが、僕よりももっと上の世代だと「ゲイボーイ」という言葉にトラウマがある人もけっこう多いわけで、その人からすれば「ゲイ」に痛みを感じることだってあるだろうし、「同性愛」という言葉でいじめられた経験のある人なら、「同性愛者」という表現に不愉快に感じるわけです。言葉のリアリティは個別的なもので、誰の感覚が一番正しいということではない。

 だから、どれが差別語でどれならクリーンなんてことは本当のところないんです。痛みを感じる人たちの割合が違うということは言えるかもしれないけど、でも、それなら、痛みを感じる人が少ない言葉ならまったく問題なしとするのなら、「一番傷つきやすい人たちを基準に」とする人たちの考え方には反してしまうことになる。「オカマ」で傷つく人が「同性愛者」で傷つく人よりもより傷口が深いということは言えませんから。

 つまり、差別的に用いられてきたからといってその言葉を消すというのでは、自分たちを差し示すこと自体を否定することにもなり兼ねない。東郷さんじゃないけれども、その言葉を抵抗の拠点にして、「オカマ、いいじゃん」、「オカマだからいいんじゃん」っていう方に持っていくのもやり方なんです。短絡的に、痛みを感じる人がいるからその言葉をなくせばいいというのは、戦略として古いっていうか、だめなんじゃないかって思う。

及川● 東郷さん自身、オカマという言葉が差別的に使われなくなった時こそ、同性愛者にとって解放される日ではないかと考えているんですね。記事中でもこのようにおっしゃっています。「オカマって言葉は大好きやで。差別されてきたからこそ、私はこの言葉を愛しています」。東郷さんは、そういう運動家だということ。

伏見● 90年代に、僕なんか「ゲイ」「同性愛者」という言葉に言い換える戦略を取ったのは、とりあえず言葉をリニューアルすることで、「ホモ」「オカマ」といった表現に含まれいた無意識、あるいは意識的な差別を認識してもらいたいとか、当事者の意識を肯定的に変える「きっかけ」にするとかいう意味があったわけです。そして、言い換えさせることで、同性愛差別の問題に自覚的になってもらいたい、と。だから、なるべく「ゲイ」「同性愛者」を使ってほしいと僕も言いましたよ。また今もそう言います。「ホモ」「オカマ」が差別的に用いられている時には、それは差別だと批判もした。それも一つの政治的な戦略です。

 しかし、そのことと、「ホモ」「オカマ」といった特定の言葉の使用を禁止することとは別のことです。言葉自体が「悪」なのではなく、問題は文脈です。だから今回のケースのように、配慮ある使用をしている人たちには、言い換えも禁止も無用のものです。

 東郷さんや、現在のゲイ雑誌の書き手のように、「ホモ」「オカマ」を積極的に用いて、言葉のイメージ自体をプラスのものに変えてしまうのももう一つの戦略なんです。

野口● 特集「性と人権」の中で、編集部の中での議論の経緯が細かく書かれてますね。記事の内容やタイトルを見ても、それを書くにあたっての編集部のスタンスにしても、僕はまったく差別的だとは思いません。後の葛藤《かっとう》も含めて問題に実に誠実に向き合っていて、これ以上はないというくらい良心的に対応されていると思います。『週刊金曜日』編集部がああいう形で特集を組まれたというのは、すこたん企画との関係を大事にしたかったというのもわかります。黒川さんにお聞きしたいのは、今後、いろんな形でセクシュアルマイノリティに関する記事を扱っていきたいと言われましたけれども、その時のスタンスとして、「オカマ」という言葉を単純に差別語と規定されて、タイトルとかには使わないという形でやっていかれるのでしょうか。また、その時に、すこたん企画以外の人たちを起用するつもりがあるのか。今日はそこを一番お聞きしたいんです。

黒川● もちろん、いろんな形で取り上げます。私たちは言葉自体にこだわりたくないんです。そうじゃなくて、差別をなくすための記事を作っていきたいと思っています。ですから、そうするために、「ぜひ、誌面で取り上げたい」と思う人がいればできるだけ取り上げます。すでに、平野広朗に書いていただくことになってますし、そのほかもお願いしていくつもりです。

野口● 押さえておかないといけないのは、特集「性と人権」では、同性愛者の問題を『週刊金曜日』が代弁されたわけですが…

黒川● 代弁というのが、ちょっと気になるんですけどね。本当に読んでもらえましたか?

野口● もちろん、全部読んでいます。代弁というのは、『週刊金曜日』は別にすこたん企画の雑誌じゃないわけで、また同性愛者の媒体でありませんよね。編集部が特集を企画されて問題を提示されたわけで、それは『週刊金曜日』が同性愛者に関することを代弁したことにもなるという意味です。で、同性愛者のことを代弁する場合に押さえておかないといけないのは、それが、本当に同性愛者の利害を反映しているものなのかどうかということです。ところが、あの特集ではすこたん企画の考え方だけに集約されていた。彼らの主張が本当にほかの多くの同性愛者の代弁になっているのかどうかがまったく検証されずに特集が組まれていることが、いちばん問題だと思うんですよ。

 いろんな形の意見があっていいんですよ。すこたん企画のように抗議する人がいたっていい。その時に、『週刊金曜日』はメディアとして抗議にあそこまで誠実な対応をするのなら、他のゲイの人たちにもちゃんと取材するとか、すこたん企画とは異なる意見を投稿してきた人たちに連絡を取るとか、そういうことは普通にできたんじゃないかなと思うんですね。今後は、そういうスタンスでやってほしいと思っています。

 僕が言いたいのは、『週刊金曜日』の読者の人たちや、今回の問題を耳にしたメディアや一般の方が、「オカマ」という言葉が絶対的な差別語であって、メディアがこの言葉を使用するとどんな文脈であっても、同性愛者の人たちみんなが抗議をするものだと思われると困る、ということなんです。

会場●(かなり大きな拍手)

伏見● その言葉に傷つく人もいれば、傷つかない人もいる、と。

   ■さまざまな意見

伏見● 同性愛者の話にばかりなっているのですが、「オカマ」というのは、トランスジェンダーの人にも用いられる言葉なので、やはり『週刊金曜日』に投稿したのにボツになった宮崎留美子さんが会場に来ていらっしゃいますので、MTF(male to female)の彼女に意見を伺うことにしましょう。

会場・宮崎留美子● 宮崎留美子です。私は“人間と性”教育研究協議会の会員で、今年の夏、その集まりの分科会で、すこたん企画の伊藤さんと議論したんですよ。伊藤さんは、やっぱり、「オカマ」は授業の場で使わない、言わせちゃならないと言ったんです。私はそれに噛み付いたわけです。「言わせていいじゃないか」と。言わせっぱなしではだめですけどね。今の生徒は、教員が「人権は大事だよ、『オカマ』と言ってはだめだよ」としゃべれば、生徒は教員の気持ちを慮って、きれいなことを書いてくるんですよ。表面では「オカマ」という言葉使わないんですよ。だけど、心の中では、差別はなくなってない。だから、一度言わせておいて、それで、「どうしてその言葉を使うのか、どうしてそういうふうに人を差別するのか」と話を進めていくのが、授業だと思うんです。私は、そのように反論しました。伊藤さんは初め、「クラスの中には同性愛者もいるから、そういう人たちが傷つかないように、そういう言葉を言わせちゃならないんだ」という主張でした。その論争する中で、伊藤さんも、私に歩み寄ってきてくれましたが。というふうに、オカマという言葉を、頭から軽視するのは、私はかえって差別を見えなくすると思ってます。それが一点。

 それから、トランスジェンダーの中には、例えば、「女装者」と呼ばれるのは嫌だ、「オカマ」だったらいいって言う人が結構いるんです。自分は女だという意識が強いから、わざわざ「女装」者と言われると嫌なんですね。

伏見● 知らないと、なんかわけが分からない(笑い)。

会場・宮崎● だから、いろんなこと知ってほしいと思います。それと、伊藤さんも特集「性と人権」の中の「セクシュアリティの基礎知識」で間違ったことも書いているんですよ。彼が性同一性障害=TSとしているのは認識が違う。TSだけが、性同一性障害ということは言えない、TGも性同一性障害なんですよ。そのように、伊藤さんだって、間違いは結構あるんです。だから、すこたん企画だけじゃなくて、いろんな人に誌面を与えて、何が本当にいい方向なのかというのを出すような誌面作りを今後してもらいたいなと思います。

伏見● この会っていうのは、僕が呼びかけて、パブリシティの詳細はインターネット上の『ジャパン・ゲイ・ニュース』、メールマガジンの『スタッグ・メール・マグ』くらいでしか出してなんです。反すこたん派のゲイを集めたわけでもないし、さくらを用意したわけでもない。欠席裁判みたいなのは嫌だと思って、すこたん企画さんにも何度も出席をお願いしました。

 ここにいらっしゃる人の中にも、「オカマ」は使っちゃいけないんだっていう意見の方もいらっしゃると思うんですね。

会場・中村節郎● 私は、オカマという言葉は蔑称《べっしょう》だと思うし、嫌な感じだと思ってます。今回の東郷健さんの記事を見た時は、生まれて初めてゲイじゃない人が書いたもので、別にいいんじゃないかと思ったけれど、他には、ゲイでない人が「オカマ」ということばを使っているもので他に嫌な感じじゃないものは思い出せない。例えば、ゲイパレードについての報道で、たとえ中身はちゃんとした記事であったとしても、それが「オカマパレード」っていう題が新聞とかでつけられるとしたら嫌だと思う。

野口● 言いたいことは分かります。でも、ここで問題にしていることは、メディア一般がどんな形でも「オカマ」を使っていいという話ではないんです。もちろん、差別的意図で、侮蔑的な意味合いで使っているものに対しては抗議すればいいと思います。今回は『週刊金曜日』さんが、こういう記事内容のものに「オカマ」をタイトルに使ったことが果たして差別にあたるか、ということを議論しているわけです。

会場・中村● それだけの話だったらいいけど、松沢さんとかの話を聞いてたら、「当事者の人もいっぱい使ってます」というような話まで言っていたから、それを聞いてなんか違うと思ったわけ。

松沢● 「私はオカマよ」っていう人に対して、インタビューの原稿で「オカマ」という表現を使うということです。さっき言ったように、僕の中では、男娼だとか飲み屋さんの人たちを「オカマ」だと認識していますから。もちろん、そういう人たちがすべて「オカマ」と自称しているわけではないし、その人たちだけが「オカマ」と自称する人のすべてでもないんですけど、レズビアン&ゲイパレードが「オカマパレード」だなんて発想は、僕の中にありません。だって、指し示すものが違いますから。レズビアン&ゲイパレードを「女装パレード」と呼ぶのは間違いであるのと同様に、「オカマ・パレード」と呼ぶのは間違いです。

伏見●オカマは使うべきじゃないということ? わかりやすく言って。

会場・中村●わかりやすくいうとオカマという言葉は基本的に使うべきじゃないと思う。でも、今回の『週刊金曜日』の記事は生まれてはじめてみた例外だと思う。自分の見聞が足りないせいかもしれないけど。

伏見●それは当事者の人も非当事者の人も?

会場・中村●当事者の人は(オカマという言葉を使っても)いいと思う。

伏見●じゃあ、当事者というものをはっきり規定できるということか。まあ、それはあとの議論にしましょう。節郎ちゃんでした(拍手のジェスチャー)。あ、なんで拍手してんだろう、わかりません(笑)。

会場・野宮アキ● 私は、大きい意味ではトランスジェンダーという分類、宮崎留美子さんと同じカテゴリーに入るんです。診断上は、トランスセクシュアル、性同一性障害ということになってます。私自身は「オカマ」という言葉は嫌いで、自分に投げかけられると腹が立つし、本当にその人を殺してやりたいと思うほど、すごく腹立たしい。基本的には感情的な話になってしまうので、理屈で「なぜ、それがいけないか」といわれても難しいんですけど、やっぱり目に付くのは嫌です。『週刊金曜日』の記事自体が、差別的だとは確かに思わないのですが、でもその記事がほかの人の目に触れたときにはやはり問題だと。「オカマ」という言葉はマスコミで無遠慮に使われているケースが多いと思うんですよね。「性と人権」の特集では落合恵子さんが書いていらしたと思うんですけれども、その記事自体が本当に差別的かどうかというよりも、ここにいるようなよく知っている人たちではなくって、本当に予備知識のない人が読んだときに、どう思うかということを考えるといいとは言えない。ですから、私は、『週刊金曜日』さんのその後の対応が間違っていたとは思わないし、賛同します。

伏見● 今年の東京レズビアン&ゲイパレード2001の実行委員長をされた福島光生さんにもご意見を伺いましょう。

会場・福島光生● パレード出た人でオカマもたくさんいたけど、自称するのはいいと思います。僕は、今回のは言葉狩りだと感じました。東郷さんは、その言葉に対して非常にプライドを持って使っていらっしゃる方だし、彼の世代においては、「オカマ」という言葉しか一般の人に対して自分のポジションを的確に表す言葉がなかったんと思うんですね。それをずっと使い続けている人に対して、ほかの人がどうのこうの言うのは、おかしな話だと。

伏見● 雑誌のタイトルとして編集部が用いるのは、どうですか?

会場・福島● それも、内容が的確に分かるし、僕はタイトルはインパクトだと思いますから、あれはとてもいいタイトルだと思います。

黒川● 松沢さんと福島さんにお聞きしたいんですが、なぜレズビアン&ゲイパレードを「オカマパレード」としないんですか?

松沢● 僕の中では、指し示す対象が違うんですよ。先ほどから言っているように、女性ジェンダーを強く有して、なおかつ商品化している人たちが僕にとってのオカマですから。レズビアン&ゲイパレードは現にそういう人たちのパレードじゃない。自分が何者であるのかは、自分が決めればいいわけで、仮に「オカマ」と自認する人々のパレードであれば、一人歩きしようが何しようが、「オカマ・パレード」と名乗っていいし、僕もそう呼ぶでしょうね。

会場・福島● 「オカマパレード」といった方がもしかしたら分かりやすいのかもしれないですよね。だけど「ゲイやレズビアン」という言葉の方が当事者で不快でないと思う人が多い、なおかつ、ストレートの人たちに対して分かりやすい言葉という意味で選択したわけです。

伏見● パレードの中で「オカマ」ということを言っちゃいけないということではないんでしょう。

会場・福島● もちろん、ないです。「私はオカマです」っていうプラカードを掲げていた人はたくさんいます。そこから、人と人が仲良くなって、「でもね、オカマという言葉には、こういうことの意味合いが含まれているのよ」と説明ができる時点になって、言葉のレクチャーでもなんでもすればいいんであって、入り口はなんでもいいんじゃないかな。

黒川● 当事者の方でも「オカマ」という言葉を使うことを慎重になさっているわけですから、当事者でないマスコミが、タイトルなんかに使うというときは、やはり慎重にしなきゃいけない。

伏見● だから『週刊金曜日』編集部は、慎重にされてたじゃないですか。

黒川● 多分、「オカマ」という言葉を自称される方、ここにも来ていらっしゃるような方は、差別に強い人なんだと思います。差別に強いというと失礼かもしれませんけど、やはり「オカマ」という言葉を聞いただけで何も言えなくなる人っていうのが、ゲイの人の中にはたくさんいるんじゃないかと。そういう人たちは、昔から差別的に使われている「オカマ」に対して非常に神経質になってらっしゃるんじゃないでしょうか。

及川● 例えば、伊藤悟さんが「オカマ」と呼ばれるのは嫌がってるとしたら、伊藤さんに対して「オカマ」と呼んだら、それは問題でしょう。お読みいただければ分かりますけども、私としては記事中、ゲイ総体を総称する場合は、「ゲイ」あるいは「同性愛者」という言葉を使っていています。ただ、「オカマ」と自称して、「ゲイ」と呼ばれるのは嫌だと言っている東郷さんを指す時のみ、「オカマ」といっているわけです。

会場・春日亮二● 春日亮二といいます。『ジャパン・ゲイ・ニュース』という、インターネットのゲイのニュースメディアの編集長をやっております。僕自身は、『週刊金曜日』さんに、電子メールで投稿させていただきましたが、採用はされませんでした。及川さんの記事は良い記事だったと思うし、タイトルについても良かったと思っています。すこたん企画さんだけの意見を反映して誌面作りをされるのは、あんまりよくないということを記しました。今日、いろいろお話を聞いていて、『週刊金曜日』さんが、いろんなことをしっかり皆さんでお話し合いになられて決定されてきたんだなというのがすごくよく分かりました。繰り返し言われているように、ゲイの中にいろんな意見があると思うんです。今日は、わりとすこたん企画さんに賛同されている方は少ないですけれども、いろんな意見があるってことを、まず、できれば認識していただいて、これからもこの問題を続けて取り組んでいただければいいなと思っております。申し訳ないんですけど、今日は、見ていて、ちょっと不快な感じがします。なぜかというと、実質、糾弾ぽい感じがするんです。伏見さんに申し訳ないんですけど、司会ですから中立的な立場で進めていただきたいなっていう気がしますし、大事な問題ですので、お笑いを交えて話すってのは、僕は性格的になんか嫌な感じがしちゃうんですが。

伏見● じゃ、今度、まじめな会を開いてくださいね。

会場・薄井幸雄● 私、薄井と申します。先ほど黒川編集長が、「ここに来られている方は差別に強い、あなた方は問題ないでしょうけど、差別に弱い人、言われて傷つくような人たちがいる」っておっしゃったんですが、どんな人でも最初から強いということはないと思います。僕も含めてみんな、強くなってきたんだと思います(拍手)。僕はこの問題について、例えば、行きつけのゲイバーで話していると、「あなたみたいにばんばん言える人はいいのよ」って言われます。そんなことはありません。いまだに、弱い部分もたくさん抱えてます。僕もけっこうな年齢ですから、子供の頃、政見放送で東郷さんを見るたび、女っぽいとかナヨナヨしているとか自分に否定的な要素を拡大して見せられているようで、男好きな自分は大きくなると東郷さん見たいになるのかなってトラウマになっていました。だけど、この間の記事で、改めて東郷さんがあの当時、ああいうふうに個人で差別に対する戦いをされてきたんだなという認識に変わりました。被害者意識だけでは何にも変わっていかないってことが、僕の実感なんです。そもそも差別に強い人間なんているんでしょうか? 発言する人間は強いからいいと一方的に片づけないで欲しいです。

黒川● 分かりました。それは、その通りだと思います。ただ、この会場にとても出て来れない人もいると思うんですよね。出て来れる人ってのは、今おっしゃったように、強いっていうのは語弊がありますが、それだけいろいろ苦労しながら克服してきた人だろうと思うんです。だけど、そういう人たちだけを水準に記事を作っていたら、ちょっと間違えるのかなというのが、今の僕の気持ちなんですけど。

 例えば、私の子供は癲癇《てんかん》なんですよ。皆さんが、癲癇って言葉を聞いてどういうふうに思われるか知りませんけど、筒井康隆さんの「断筆問題」で有名になった日本てんかん協会というのがあります。その中で最初のころ、「てんかん」というのは昔からの差別がかなり染みついた言葉だから、どうしたらいいかってことを議論したんです。別の学名を使ったほうがいいんじゃないかとかいろいろありましたが、やはり「てんかん」という言葉を使っていこう、それを用いながら、「てんかんという病気は別に差別されるような、偏見を持たれるような病気じゃないんだ。だれもがかかる恐れのある病気なんだ」ということを広く理解してもらう形で差別を解消していこうということになった。それで、日本てんかん協会という名前を名乗って活動しているわけです。だけど、会員の中には「日本てんかん協会」という名前で会報を送ることに対して、「個人の名前で送ってくれ」とかいう人もたくさんいます。そういうさまざまな人を抱えながら、差別を跳ね返していくということをやっているわけです。多分、ゲイの問題と同じようなことだと思うんですね。

野口● だから、結局、メディアとしては一部の人間が抗議をしたから、それを全面的にうのみにするような形で特集を作るのではなく、本当に同性愛者がどういうふうなことを思っているのか、また抗議の内容が妥当なものかどうかということを、繊細に、丁寧に、議論する必要があると思うんですね。抗議することは、全然悪いとは思わないですよ。問題があると思ったら、どんどん抗議すればいいんです。

伏見● 勘違いされると嫌なんだけれど、すこたん企画の人が抗議をしたことがだめ、絶対にやっちゃいけないとは僕は思っていない。それで傷ついたのなら抗議すればいいじゃん。それが妥当かどうかは議論すればいい。そして、差別報道があればどんどん抗議すべきです。ただし、今回の件に関しては、『週刊金曜日』の対応がおかしいというのが僕の考え方です。

黒川● それはメディアとしての対応ですから、当事者の方とは違う対応があるんですよ。

伏見● そろそろ時間とあいなりました。黒川さん、今日、来づらかったと思うんですが、本当によくご参加くださいました。ありがとうございました。

黒川● 『週刊金曜日』ではこれからこうした性差別の問題を継続的に取り上げていきます。時間のかかる問題だと思うので、長い目で見ていただきたいなと。もちろん、差別をなくしていくというのが基本姿勢ですから、皆さんからの意見をいただければと思います。

伏見● 大きな拍手を。

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