映画評「ヴェラ・ドレイク」(Vera Drake)……英国中絶物語……

 家政婦として働くVera Drakeは誰に接するときも優しい。
 いつも明るく挨拶を交わし、嘆き悲しみのうちにある女性には、やさしく包み込む。おそらく60代であろうヴェラには夫と、20代の息子・娘がいる。いくつかの家で働きながら、90過ぎの母親のもとを訪れては介護したりもする。献身的に働く小柄な姿はマザー・テレサのようにつましく、こうごうしい。家庭では控えめな母だが、家族には内緒でしばしば、法に反する犯罪に手を染める。彼女は妊娠した若い女性たちの中絶を、金銭を受け取らず利他心に基づき、しかし非合法で行っている。
 女性をベッドやソファーに寝かせて体の下にタオルを敷き、洗面器に薬品をいれ、それをチューブで膣内に注入して彼女の”治療”は完了する。子どもを孕ませた男を怖がり、ヴェラに母親にすがるかのように接する女性、旦那持ちでありながら別の男との間に子どもを孕んだ女性……。いまにも泣きそうな女性たちを、子どもをあやすかのように「愛しい人、愛しい人よ(Deer, deer)」と優しくさすり励ます。まるで、風邪をこじらせた子どもをあやして、甘いお薬を飲ませる母親のようだ。
 
 舞台は1950年のイギリス。彼女の治療後、様態を崩して死にかけた女性が病院に運び込まれ、事件は発覚する。刑事は雪が降る日、彼女の家庭で息子、夫、娘カップル、友人たちがパーティーを開かれているところに、自宅を訪れ彼女を署に連れて行く。娘の結婚が決まり、それを祝うパーティーをやっていたのだ。家族は何が起きたのか、理解できない。夫は警察署内で、泣き崩れる彼女の口から、彼女が20年以上にわたって、闇の中絶に携わっていたことを知らされる。彼女は起訴され保釈され家庭に戻るが、息子から非難される。2年以上の服役が言い渡され、刑務所で暮らす彼女の姿が映し出され、映画は終わる。
 この映画が秀逸なのは、まるでドキュメンタリーであるかのように「リアル」であることだ。効果音・バックミュージックは極力、排され、ありふれた会話、ありふれた情景、中絶行為の場面が映し出される。「中絶は神の意志に反する」という宗教的道徳主義者のイデオロギーからも、「産む産まないは女が決める」というフェミニズム的なイデオロギーからも自由で、当時のイギリスで頻繁にあったであろう風景を淡々と描いている。「中絶」というフェミニズムと宗教的道徳主義者が激しく衝突するテーマを扱っているのに、価値の押しつけをせず説教調にならないところがすがすがしい。
 ヴェラの慈悲にあふれる姿を美しく描きながらも、悲劇的なエンディングで終わる。ヴェラに治療を頼まざるをえない状況に置かれた女性たちの姿をありのままに描きながらも、非合法の手術によって命を落とした女性が多数、いることにも触れる。
 フランスで中絶が合法化されたのは、1975年のことである。当時、厚生大臣だったシモーヌ・ヴェイユがキリスト教の団体などから猛攻撃されながらも強力に推進し、立法化されたことから(当初は5年限定の法として成立したが、後に恒久立法となった)、ヴェイユ法と呼ばれている。非合法化の時代には、中絶手術をする為にフランス人女性はイギリスやオランダに行ったという。イギリスでいつ中絶が合法化されたのか、私は知らないのだが、映画から推察するに、1950年頃は、合法化は一応なされていた。しかし、正規治療は高額のため闇で治療する女性が後を絶たなかったようだ。
 警察官に自宅で尋問されたとき彼女は、涙で顔をくずしながら、「なぜ、あなた達が来たのか分かっています」といい、「なぜ、きたとおもいますか?」「あなたは何をやったのですか?」と問いつめる警官に、「わたしは……、わたしはただ、若い女性たちを助けてきました」と答える。人助けをしているという使命感を抱きながらも、やましさ/後ろめたさを覚えてきた葛藤する彼女の内面が、こぼれるように発せられる言葉から、察せられる。
 正規中絶医やカウンセラーの妊娠女性に対するぶっきらぼうな態度と、ヴェラの慈愛に満ちた態度はずいぶん対照的だ。ベネチア映画祭で主演女優賞に輝いたというイメルダ・スタウントン(Imelda Staunton)の演技は秀逸そのもの。「中絶」という深刻な問題を扱いながらも、ヴェラやその家族の生活が濃く描かれている。日本でもこの夏、公開予定だそうだ。
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カテゴリー: 及川健二のパリ修行日記 | 投稿日: | 投稿者:

及川 健二 について

ジャーナリスト/研究者。 それまで一分もフランス語を学んだことがなかったのに、 フランス留学を決断。2002年UCLAエクステンションセンター・ 夏期英会話講座・修了、グランゼコールの一つ、2004年 リール政治学院・夏期特別セミナー修了(European Summer University Program at Institut d’Etudes Politiques de Lille)。 フランス国立パリ第九大学・Dauphine修士課程に2004-05年に在学。 多国籍企業の経営戦略が研究テーマ。大学では”英語”で講義を 受け、語学学校でフランス語を勉強するというチョット変わった留学生活をおくる。2004年7月3日から2006年3月25日までフランスに滞在。リール、トゥール、パリにて生活する。数々の政治家にインタビューする。 共著『オカマは差別か』(ポット出版)、2002年1月。 編集・共著『常識を超えて』(ポット出版)、2002年6月。 単著『ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情』(長崎出版)、2006年10月。 単著『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』(花伝社)、2006年10月。 単著『フランスは最高!』(花伝社)、2007年6月。

映画評「ヴェラ・ドレイク」(Vera Drake)……英国中絶物語……」への5件のフィードバック

  1. ピンバック: 逃源郷

  2. マダム・クニコ

    「人助けをしているという使命感を抱きながらも、やましさ/後ろめたさを覚えてきた葛藤する彼女の内面が、こぼれるように発せられる言葉から、察せられる」の記事に、同感です。
    多くの男性に観てほしい作品です。

  3. ピンバック: マダム・クニコの映画解体新書

  4. ピンバック: soramove

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