新刊雑記

峰なゆか×雨宮まみ「こじらせ女子 総決起集会!!」

→この対談は、2012年11月刊『雨宮まみ対談集 だって、女子だもん!!』に収録いたしました。
他の方々とのトークと合わせて書籍でぜひお楽しみください。

『リベルテに生きる』─八木雅子さんの「翻訳後記」

『リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝』の翻訳者、八木雅子さんが『リベルテに生きる』を翻訳しての思いを「翻訳後記」として書いて下さいました。以下に掲載いたします。

ベルトラン・ドラノエという人物について、そして『リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝』について、読まれた方はもちろん、未読の方でも解りやすく書いて下さいました。ぜひご一読ください。

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 パリ市長の自伝────たしかに、これまでの彼の足跡、あるいはパリ市民に向けて、市長としてのこれまでの成果と任期満了までの目標、そしてその理念が、この本には書かれている。それだけなら日本の読者に訴えるものはそう多くないのかもしれない。いや、それだってアメリカ流の民主主義(自由主義経済)に少々うんざりしている人や地方自治に興味がある人にはおすすめだ。だが、それだけじゃない。ここで熱く語られているのはおそらく、ベルトラン・ドラノエという人物のいき方そのものだ。いかに生きるか、何を大切にするのか。政治家として、しかしそれ以前に人として。

 翻訳の話を頂いた時、ドラノエ氏に対する私の関心は、パリ・プラージュなどという社会党流イベントをやっている市長なら面白そうというレベルのものだった。それまで私の関心事となった多くの政策が国主導のものであったからと言って、これは少々さぼりすぎだったと今さらながら反省するのだが、そもそも門外漢の私がこの翻訳をさせていただいたのは、私のずうずうしさもさることながら、この本に感じた不思議な魅力のせいだろう。ゲイで暴漢に刺された市長──という刺激的な事実は、七十年代後半に殺害されたサンフランシスコ市政執行委員ハーヴェイ・ミルクを想起させたが、ミルクとは違って、彼が重傷を負いながらも生還したように、タフでエネルギッシュ、そして感受性豊かなこの本に、つい手放せなくなってしまったからだろう。

 生まれ故郷チュニジアでの記憶、両親や姉たちとの関係、政界での歩みとミッテランやジョスパンらとのつながり、人種や宗教による差別、環境問題や尊厳死など今日的な様々な問題、ロンポワン劇場改革や文化イベント、都市計画、あるいは音楽や絵画への憧憬まで、時に未整理にさえ思える彼の語り口は、いくつかのモチーフが何度も登場し、また一見無関係なエピソードへと自由に飛んで行く。それらを縦横無尽に繋いでいるのは通奏低音のように流れる彼の自由への信念と情熱だ。

 ところで、この本のオリジナル・タイトルは『La vie, passionnément 人生、情熱的に』。ドラノエ氏を知っているフランスの読者にとっては十分すぎるものなのだろうが、日本の読者にはうまく伝わらないだろうと頭を悩ませていたところ、編集者那須ゆかり氏の発案で邦題『リベルテに生きる』と決まった。リベルテ(自由)こそ、私が何よりも必要とするものだとドラノエ氏は言う。この自由とは、もちろん身勝手さや奔放さとも別のものだ。自由とは、異なる他者を尊重することで獲得できるものだろう。便利さや目先の効率性を犠牲にしなくてはならないこともある。

 フランスの憲法では、フランス革命以来「自由・平等・博愛」が標榜されている。人はそもそも自由であることが前提にあるが、ただしこの自由は他人の権利を侵害しない限りにおいて最大限認められる。だから憲法は自由を制限し、むしろ優先されるべきは平等(権利の)となる。その実現はとてもむずかしい。それでも、だからこそ、そしてそのために彼は全精力を傾ける。「La vie, passionnément 人生、情熱的に」──それが彼の信条だ。

 今年5月の大統領選で経験不足や党内をまとめきれなかったセゴレーヌ・ロワイヤルの敗退直後、マスコミは早くも次の大統領選(2012年)の候補にドラノエ氏の名前を挙げだ。とりわけ右派の牙城パリでのロワイヤル得票率の高さは、パリ市長ドラノエ人気が大きく影響していると考えられているようだ。ドラノエ氏がパリ市長候補に立った時、パリ市民の間でも「ドラノエって誰?」あるいは「ドラノエにそんな力量があるのか」という意見が少なくなかったという。実際ドラノエ市政は、現職市長の汚職スキャンダルや身内に対する暴露合戦に加え、右派候補が一本化を図れなかったことなどが幸いし、緑の党との連立で実現したものだ。だが改選を2008年に控え、ドラノエ再選、しかも社会党単独での勝利の可能性が語られている。それが実現すれば、次期大統領候補となることも、いっそう現実味を帯びてくる。まずは来年の改選を見守りたい。

ず・ぼん12号いよいよ10月末日販売!

ず・ぼん12号、さきほどやっと最終校了いたしました。
今回は途中から編集参加だったこともあり、いまひとつがっつり組めてない中途半端なものになったと反省しきりなんですが、とはいえ10月25日からの図書館大会での販売を目指そうという目標があり、結果的にはどんな形であり入稿できて、図書館大会に間に合って、心からほっとしているところでした。でした、となぜ過去形かというと、今年から図書館大会では講演者の著作以外は販売できなくなったそうなのです。がーん。入稿したあとに知りました…。
でもそういう目標でもなければズルズル先延ばしになっていたかもしれず、やはり人間、何らかのしばりが必要だといまさらですが、つくづく感じました。
12号の総ページ数は224ページ。
今回の内容を簡単にかいつまんで紹介します。
偕成社社長今村正樹氏の講演録「偕成社と戦後の児童書出版」──戦後の児童書出版社が、学校図書館や公立図書館とともに大きくなっていった歴史的過程の話、絵本・児童書はやっぱりテキストの面白さじゃないか、また、いまは出版点数が多すぎると批判されるけれども、80年代のバブル期から生き残っている絵本がたくさんあり、やはりたくさん作る、たくさん作家が参加するなかから活きのいいものがうまれてくるんじゃないかという新鮮な視点、いまは児童書でリアリティが描きにくくなっている、などなど絵本・児童書にまつわる歴史と現在抱える課題が垣間見える非常に面白い講演録です。
地方・小出版流通センター代表の川上賢一さんのロング・インタビュー──地方・小の設立が公立図書館と深い関わりがあったことを始めて知りました。川上さんの模索舎時代の話も、時代の渦中を生きている高揚感みたいなものがあって、ちょっとうらやましく読みました。地方・小センターの写真も撮りおろして掲載しました。本と書類がうずたかく積まれた中で、おそらく31年来使っていると思われる事務机で仕事をされている川上さんもうつっています。
●図書館のコンピュータシステム──図書館のコンピュータシステムを担当する6人の図書館員に集まってもらい座談会を開きました。IT化は図書館のシステムだけでなく、ありようもまた変えていくのではないかということを予感させる座談となりました。
●委託導入後の図書館──ず・ぼんが9号、10号とテーマにとりあげてきた「図書館の委託問題」。東京23区では委託導入区が19区に及ぶそうです。非常勤から委託スタッフに転じた一人、NPOを作って委託を受託した一人、そして常勤の公立図書館員二人、計4人で、委託導入後の図書館がどう変わったか、その報告をしてもらいました。これについては編集員でもあるポットの沢辺が編集後記に書いているので、そちらも合わせてどうぞ。
●国立国会図書館のMARCの現場を歩く──国立国会図書館で収集される書物のマーク(書誌データ)を作る現場を歩いてきました。40人もの職員が書物とパソコンに向き合い、ひたすら黙々と書誌データをつくる作業に携わっている様子をみて、こうやって優秀な人々の手によって国会の本が分類されていくんだなと実感した次第。
●船橋市西図書館の蔵書廃棄事件──2002年に発覚した、「新しい歴史をつくる会」の著者の蔵書が、同館の司書によって大量に廃棄された事件。その後、「新しい歴史をつくる会」は、船橋市と司書を相手取って裁判を起こし、昨年末に判決がくだったという経過をたどった。記憶に残っている方も少なくないと思います。この事件と裁判は、図書館にとって何だったのか、どういう問題を提起したのか、甲南大の図書館学の教授、馬場俊明氏に、もう一度振り返ってもらったのだが、私自身は、この原稿を読んで、ず・ぼん11号の記事のときにはいまひとつ腑に落ちていなかった事件の核心がとてもよく理解できました。非常に読み応えある、この事件の総括ともなるべき原稿だと思います。
●都立図書館の後退──ず・ぼん8号でも取り上げた「都立図書館再編 14万冊がばらばらになった」という都立多摩図書館の蔵書の行方問題。この8月に東京都教育庁は、都立図書館改革の具体的方策という文書を公表しました。この報告書を受けて、本誌編集委員のひとりが「都立図書館はどこまで後退するのか」という切り口で問題点を読み解きました。タイムリーな記事です。
●グラビア・水害──昨年秋に、台風の影響で水害にあい、3万冊以上の蔵書が水につかった被害にあった練馬区立南大泉図書館の水害写真です。水をふくんだ書物がパンパンにふくらんで、書棚から抜けなくなったという写真が被害の姿を象徴しています。

『ず・ぼん』では、座談会やインタビュー記事をあらかじめページ割して、ページに合わせて短くするのではなく、できるだけそのまま載せようよという方針でやっています。なので、一本の記事が長い。いつもページ数はなりゆきです。今度こそは薄いず・ぼんにしようといいつつ、どんどん膨らんでしまうのです。
しかし狙い通り読み応えはあります。まあページによってはもうちょっと整理したほうがよいかもという反省はなきにしもあらずですが、やはりページに制限された編集がない分、面白さはふくらんでいると思います。
次号もそう遠からずお届けしたい。終った直後はいつもそう思っています。

ルースターと荻窪のおばさん

ルースターはタイトルにもあるように荻窪にあります。
私の遠縁のおばも荻窪に住んでいます。荻窪のおばさんと私は呼んでいるのですが、彼女は現在一人暮らしで年は75歳くらい。この話は、今から3年か4年くらい前のことです。
夏のある日、71歳か72歳の誕生日を迎えたその日、荻窪のおばさんは一人ですごしていました。子供や孫たちが誕生会を開いてくれる約束はあったのですが、誕生日当日の平日はみな忙しく、その週の土日にみんなでお祝いしようということになっていました。
「誕生日に一人で家で食事ってのも寂しいわ」と荻窪のおばさんは思ったんでしょう(このへん私の想像)。
外で食事をして自分で誕生日を祝おうと考えた荻窪のおばさん、荻窪駅前をうろうろして、なんとルースターに入ったというのです。接骨院と整形外科がその先にあって、ルースターの前をふだんからよく通っていたらしい。「あああそこなら一人で行っても、ライブをやってるから、手持ち無沙汰じゃないかも」と思ったかどうかは知りませんが、とにかく荻窪のおばさん、地下へと続く階段を降り、ドアを押して、「一人なんだけど、お酒も飲めないんだけど、いいかしら」と言ったようです。そうしたら男の人が(たぶん佐藤店長)にこやかに「もちろんお一人でもどうぞどうぞ」と迎え入れてくれたそう。
以来、荻窪のおばさんはルースターにお友達を連れて2、3回は行ったようです。しかし、腰の骨を折ってからは、椅子に長時間座っていることが苦痛で、足が向かなくなったそうです。
荻窪のおばさんとルースターにそんな接点があったことを、ひょんなことから今回はじめて知ったのですが、その話を聞いて、ルースター店主の佐藤さんが目指す「ひとりでもふらりと入って音楽を楽しめるライブハウス」が成功している!とうれしくなりました。しかも70歳すぎの女性がふらりと入れるなんて、これまたすごい。もちろん、好奇心旺盛の荻窪のおばさんもすごいけれども。

最後に、『荻窪ルースター物語』の裏表紙のオビの言葉を紹介します。
「ルースターのここがこだわり」
●60組のレギュラーバンドは一流ミュージシャンオンリー
●知らないバンドでも聴きに来たくなる面白アイディアを豊富に用意
●ひとりで来ても老若男女問わず楽しめるライブを提供
●お客様にとってライブハウスとは娯楽の飲食店であるべき
●ライブの後は余韻に浸れるバータイム
●めざすは観光スポットとしても認められるライブハウス

荻窪ルースター物語できました

ポット出版、今月の新刊は『荻窪ルースター物語』です。
この本は、タイトル通り、東京・荻窪でルースターというライブハウス(音楽食堂)を経営する店主、佐藤ヒロオさんの書き下ろし。カメラマン向殿政高くんが撮りおろしたルースターのライブ風景も満載です。
書店販売は9月21日頃からになりますが、先駆けてここで簡単な内容の紹介を…。(敬称略でごめんなさい)

健康器具販売、コピーライター、歌手(!?)、有名歌手の付き人と、さまざまな職を重ねてはいた佐藤ヒロオ。しかし、どうしても音楽の世界をあきらめきれず、33歳のときに決心します。「理想のライブハウスをつくりたい」と。
自動車の期間従業員として、歯をくいしばって1年間働きお金を貯め、物件探しの不動産めぐり…。そんなこんなでようやく、1997年に荻窪南口にルースターがオープンしました。
ルースターとはどんな店なのか。オビの文句を書いておきます。
「ライブハウスはバンドを育てる場所じゃない。生演奏を楽しんでもらう飲食店なんだ」
佐藤ヒロオはどんなライブハウスをつくりたかったのか、この『荻窪ルースター物語』を読んでいただくとわかります。

そして、この本、「ライブハウスのつくりかた」と副題をつけているのには訳があります。読んでいただいてわかるように、ひとりでイチから会社をおこした起業物語でもあります。ノウハウ本ではないけれども、この人はどうやって会社を起こしたのだろう、どんなふうに資金を貯めたのだろう、ということがわかります。ここからはポット出版の野望なんですが、このように一人でイチからさまざまなジャンルの会社を立ち上げた人たちの物語を引き続き出して行けたらなあと目論んでいます。
まあポット出版も、社長の沢辺が、公務員を辞めて一人で立ち上げたわけで、そのうち『出版社のつくりかた──沢辺均著』などといった本もまぎれこむかもしれません。お楽しみに〜。

立ち読みはじめました!!

『日本のゲイ・エロティック・アートVol.2』そろそろ書店での販売も始まります。
ポットの本のページでは、立ち読みコーナーを始めました。

http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/ISBN4-939015-92-0.html

このページの「立ち読みコーナーはじめました!!」をクリックしていただくと、
本文のPDFが開きます。

立ち読みコーナーでは、1ページから32ページまでの全文を掲載しました。
作家・伏見憲明さんの序文と、この本の編著者・田亀源五郎さんの「日本のゲイ・エロティック・アート史──ゲイのファンタジーの時代的変遷」の全本文を、このコーナーでお読みいただけます。
この本文を読むと、今回33ページから192ページに原画を掲載した、長谷川サダオ、木村べん、児夢(GYM)、林月光(石原豪人)、天堂寺慎、遠山実、倉本彪ら7氏の絵をみたくなって、思わず購入ボタンを…と願っております。

オカマのための投資入門

このお盆休みは実家に帰って、なんと25年ぶりの(ちょっとサバ読んでいる)高校の同窓会に出席してきました。
学年全体で450人の生徒がいて、そのうち出席者は200人足らず。ほとんどが道ですれ違ってもわからないだろうなと思う人ばかりでしたが、なんと嫌みなことに、ネームプレートに高校の卒業アルバムの顔写真が貼られていて(私はまんじゅうやの娘みたいに顔がはれていた写真で、受付で気絶しそうでした)、その写真があったおかげで、「あーあんたね」と判別つきました。とくに男子の変身ぶりにはちょっとひいてしまうくらいでした。離婚していたり、ずっと独身だったり、店が傾きかけていたり……、あたりまえだけれどもそれぞれにそれぞれの人生を生きていました。
ああ、彼らもまた、QJr2の「生き残る。」でインタビューに登場してくれた人たちが働くその同じ現場で、働き、生きているんだなあ、としみじみした一夜でした。
その日から数日は、道ですれ違う赤の他人のおっさんにも、「あなたにも高校時代があったのね」とほのぼのとしたやさしい視線を送ったりして、ちょっとへんだったかもしれません。

今回のQJr2雑感は、QJr2の「会社で生き残る」インタビューに登場してくださり、その後QJr2発刊記念講座「オカマのための投資入門」で講師を務めてくださった藤井貫太郎さんにご登場いただきました。
詳しくは、QJr2の16ページを読んでいただくとして、ここでは簡単な紹介を。6年間のサラリーマン生活に別れを告げ、現在はトレーダーとして生活している藤井さん。QJr2の見出しでは「400万円→6千万円に」などというなんともいかがわしいタイトルで、編集している私自身も、原稿をみて「えっ! まじっ!?」とまんまと食いついてしまいましたが、藤井さんだって棚からぼたもちでお金が増えたわけではなく、そこにいたるまで、ものすごく勉強しておられました(このあたりは、QJrをお読みいただくとわかります)。
そんな藤井さんに、QJr2のテーマ「生き残る。」にふさわしい記念セミナーの講師をお願いして実現した、「オカマのための投資入門」。ポット出版で実施したのですが、20人近くの読者の方々が申し込んでくれて、狭い会議室でぎゅうぎゅうしながら、藤井さんの話に聞き入りました。
……では藤井さんの登場です。

7月に「オカマのための投資入門」という題目でポット出版本社内にてセミナーを開催させていただきました。僕にとってはとにもかくにも初めての経験であり、正直なところ参加者の方の立場になればあまり有効な時間にならなかったのではと反省しています。ここではそれらのことも踏まえて今の僕の心境と当日の感想を述べてみたいと思います。
短期間のうちに個人で資産を大きく増やす方法は、それなりに多く存在しています。トレーダーと呼ばれる方の中には年率100%を軽く超える利回りで成功を収めている人が沢山います。僕も数人そのような優秀な投資家と顔なじみなのですが、その顔ぶれといえば、確かに財テクのプロとして投資教育界で名を馳せている方もいるものの、その多くは、主婦、大学院生、元不良少年など、特に財テクでの学習を過去に積んできた方々ではありません。そんな彼らがなぜ投資という世界で成功しているかと僕なりに考察すれば、それはおそらく常に成功している投資家の近くに身を置いていることなのだと思います。具体的に言えば先行投資をしてでも投資家の集いに参加したり、そこで他の参加者との情報交換などの横のつながりを作りあげたりすることです。そこで大変に必要なことは決して臆せずに周囲の方々と友人関係を作りあげていき、自分に有効な人物がどうかをなりふりかまわず吟味することです。ここでは守銭奴になりきれることが重要であり、「お金よりも大切な〜〜」という考えはあまりよいことではありません。
株で資産を増やしたと言うと、運やギャンブル的要素で成り上がったと思われがちなのもまた事実です。確かにその一面がないと個人投資家が数年でウン億の資産を築きあげることは困難ですが、多くの部分は上記にあげたように常に投資の世界にどっぷり浸かることなのです。これは僕の持論でもなく多くの大成功している投資家の方々が口を揃えて発言していることです。投資といっても株投資から不動産投資、スポンサーとして各事業を展開するなど多種多様です。自分にあった投資スタイルを探しあてていくこともとても大切になります。
開催したセミナーではこれらをお伝えすることを前提にしていたのですが、勉強不足や準備不足もあり、意味不明な発言をしてしまい、せっかく足を運んでいただいた方には申し分ないことをしたと反省しています。自分が普段行っている投資法をそのまま伝えることが簡単なのですが、その人の性格や資金力、生活スタイルなどに応じて、投資法は変わっていくものなんです。僕も投資を始めたときはこれが中途半端にしか理解できませんでした。今でもたまに、自分に合わない投資法にチャレンジして、大きな損害をだしていることだってあります。
参加していただいた方や投資の世界に興味をお持ちの方は、ぜひこれらのことを念頭に置いて実践してみてください。経済学の専門家になるための勉強をするのではありません。要は一円でも多くのお金を増やす技術を学ぶことです。良書を読みそして信頼できる投資家の方々と親交を深めたりすることにより大きく成功していくことと僕は確信しています。また、お金お金とあまり言うのもいろんな意味でどうかとも思いますが、お金があることによって得られることも数多くありますので、チャレンジしてみてはいかがでしょうが。ごく基礎的な学習は必要ですが、決して難しいことをする必要はありません。投資の世界で銀行マンや証券マンなどの経済知識豊富な方が個人でも成功しているかともいえばそうでもありません。確かにそれらの知識は優位なバックボーンでありますが、前述したとおり巷でも投資で大成功して有名になっている方の多くは多種多業な分野で働いたり学んだりしてきた方ばかりです。
先日、伏見憲明さんのイベントが開催され、その会場でSMの女王様とお会いしました。もう何とも魅力たっぷりな女性でその貫禄とシャープな雰囲気に興味深々にお話を聞かせていただきました。会話の中で「人生一度きりだからね」という言葉が出てきたのですが、そのありふれた言葉にも僕は深く頷いてしまいました。伏見憲明さんもよく言われていますが、「なによりも自由であり続けたい」がために、僕は投資の世界で生き抜いていこうとこれからも挑み続けていくつもりです。数年後も投資を主な仕事にしているかどうかはわかりませんが、僕はまだまだ投資の世界で小さな成功を重ねながら、いろんな夢を発見し実現しながら一度きりの人生を歩んでいきたいと思います。

            〜オカマの投資家 藤井貫太郎〜

自分の身銭をきって日々投資に立ち向かう藤井さんの言葉は、そんじょそこらの証券マンよりよっぽど信用できると、しみじみ感じました。(最近しみじみすることが多いなあ)

「生き残るためのペット」

 先日、動物病院に行ったときのこと。
 品のいい、そして質素なたたずまいのおばあさんが、待ち合いに座っていました。そこに獣医さんが猫を入れたケージを抱えてきて「はい、どうぞ。背中に栄養剤をいれてますから、これで少しは元気になると思います……」などといった説明をしながら、猫ちゃんを引き渡していました。
おばあさんは「ありがとうございます」と丁寧なお礼をいい、先生が立ち去った後、かごの中の猫に、ほんとにうれしそうに「よかったねえ」と小さな声でささやいていました。猫は、おばあさんの飼い猫とは思えないくらいのものすごいだみ声でしたが、やはりうれしいのか「ニャーゴニャーゴ」と何度も鳴いていました。その姿を見ながら「ああ、この人にとっての猫も、生き残るためのペットかもしれないなあ」としみじみ思いました。
 そして、おばあさんは、おそらく年金生活者です。さほど裕福というわけではなさそうで、子どもの教育費にだけはじゅうぶんなお金を使い、夫の死後(私の妄想では、夫は死んだことになっている)、郵貯に貯めた夫の退職金とわずかな年金でささやかに暮らしているこの人は、このだみ声の猫ちゃんにいったいいくらの治療費を支払うのだろう? それが無性に気になって、支払いのときに立ち会いたいくらいでしたが、次に私の名前が呼ばれたので、おばあさんがいったいいくらの治療費を支払ったのか、わからずじまいでした。

 今回、QJr2では、作家の斎藤綾子さん、作家の西野浩司さん、そして我がポットの佐藤女史が参加して「我が家のペット自慢」、いや違った、「ペットで人生を豊かにしている人たちにペットとの暮らし、ペットと一緒に暮らす理由などなど」を語ってもらいました。
ここでは、ほんのさわりだけご紹介しましょう。斎藤綾子さんは、つきあっていた男に「俺と猫とどっちを選ぶんだ」と聞かれて、「忠太郎(斎藤さんの猫の名前)に決まってるでしょ」と答え、男に捨てられたそうです。
 西野さんは、「デビちゃん(西野さんの猫の名前)に気をつかっちゃうから、そうそう男を連れ込めない」と言います。なんでも、男を連れていってしばらく立つと、これ見よがしに、サビシソウに自分の陣地の物影に隠れて後ろ向きに寝ちゃうらしく、その姿が哀れになるそうです。
 そして佐藤女史、この人は鉄という犬を今年になってもらいうけ、そばで見ていても「親ばか」ではなく「ばか親」なほど、愛しまくっています。同僚に「自分の面倒も見れないんだから(そこまで言われてなかったっけ!?)、犬なんて無理だよ。たまごっちを育てることからはじめたほうがいい」なんてぼろくそに言われた女です。
 そんな佐藤女史はこういっています。「自分のこと以外に手間がかかる存在っていうのがいたほうが、人間はなんだか狂わなくてすむんじゃないかなって思うところがあって、自分のことだけだとつらいことがあっても、そのことだけを考えていられるから、どんどん視野も狭くなっちゃうでしょ。そうじゃなくて邪魔してくれる存在というのがあると、すごくいいなあと思っている」
 そうなのです。余計なもの、手のかかるもの、頭の痛い存在がいると、大変なんだけど、実はそれが生きる支えになるということだってあると思うのです。まさに、生き残るためのペットです。
 近々迎える50歳以降の人生をいかに生き抜くべきかという話をよく佐藤女史とするのですが、そこでもよく「邪魔するものがいてほしい」話をよくします。この言葉以来、日々の家族の耐えられない鬱陶しさも、なんとなく受容できてきたような気がします。もちろん自分以外に手がかかるものが増えれば増えるほど、手が回らなくなり、そして日々小さな発狂をくり返して、そのたびに「今日は脳細胞が100万個は死んだな」という状況がくり返されていくという事実もまた一方にはあるのですが。もともとばかなのに、人よりどんどんばかになっていく不安も抱えながらです。

 動物病院の話に戻りますが、実はうちにも犬と猫がいて、猫のほうが先日、突然ぐったりし、暑い日が続いたから、軽い熱中症にかかったのかなーとお気楽に思っていたら、あれよあれよという間に動けなくなり、動物病院に連れて行ったところ、免疫性溶解性貧血だっけ、自己免疫の病気で、自分で自分の血をつくることができなくなるという病気かもしれないという診断を受けました。腎臓も肝臓もはかれないほどの高値になっていて、不全状態に陥り、そして緊急輸血。ちなみに猫はA型が多いらしい。
 「今晩が山かもしれません。一応、心の準備をなさって面会しておいてください」と言われ、病院のガラスケースの酸素室でひっそりと息をしているわが猫ちゃんに涙ながらに対面しました。そしてあれから2週間。点滴と酸素補給を受けながら、なぜだか奇跡的な回復をとげ、いまは毎日増血剤と抗生剤を飲みながらですが、けっこう回復しました。そしてかかったお金はいまのところ20万円。
 座談会で語られてましたが、斎藤綾子さんはここ半年で忠太郎くんの病気治療に150万円使ったそうです。あっぱれです。
 「今日は3万500円です〜」と言われて万札を出しつつも「ああもったいない! 我が家の1ヶ月の電気代と電話代と水道代が一日で飛んで行く〜」とけちくさいことを考えてしまった私は、斎藤さんの足下にも及びません、まったく。
 手のかかるものはお金もかかります。

 「ペット」と「生き残る」を合わせて考えてみたい人には、本当におすすめのQJr2「生き残るためのペット座談会」です。20ページにも及ぶロング座談をたっぷりお楽しみいただけます。

「ゲイにとってのうつ」「海外で生きるという選択」

 今回は、「ゲイにとってのうつ」と「海外で生きるという選択」を執筆くださった後藤純一さんに感想を送っていただきました。まずは、ご紹介します。

「ゲイにとってのうつ」「海外で生きるという選択」を書かせていただいた後藤純一です。

「ゲイにとってのうつ」は卒論並みに骨が折れた原稿でした。もともとゲイ雑誌で書いていたのですが、こうした長めの骨太な原稿を書くのに慣れていないせいで、伏見さんのお手をかなり煩わせてしまいました。それでも辛抱強くご指導くださった伏見さんに感謝申し上げます。
 僕が「ゲイにとってのうつ」を書こうと思ったのは、身近でうつ病を患って自殺した友人がいたり、今でもたくさんの友人がこの病気とともに生きているからです。以前からHIVのことに関わってきましたが、HIVとうつも密接な関係があるし、今ゲイの間でうつがとても深刻になっていてしかもいろいろとうつに対する誤解も多い状況があると感じていました。この原稿が少しでもうつに対する理解を深めていただける端緒となれば幸いです。
 僕自身も一時期軽いうつ状態になりましたが(今は回復しています)、実は以前、実家の父親もこの病気に苦しんだことがあります。そういう意味でも他人事ではないという気持ちがありました。
 実家の両親に『QJr』を送って読んでもらったところ、父が「よく書いたね。今後何か私に協力できることがあったら遠慮なく言いなさい」と言ってくれました。そして母からはこんな手紙が来ました。「誰でもどんな人でもうつになる可能性があるということですね。軽い、重い、はねかえす、はねかえせない等、個々で違うと思うけど、なりやすい環境の中に長い間とどまっていると抜け出せないのかもしれませんね。自分自身の好ましいところ、いやなところを客観的に見つめて受け入れ、他者も同じく受け入れ、そしてありのままに生きるのがいちばんいいのかもしれません。なるようにしかならないし、人間の心も体も新幹線のように速く走れないということですね。同性愛者にしろ、異性愛者にしろ、この世は生きづらいですよね。しかし、どうせならしかめっつらでなく楽しみを見つけて生きてしまおう! この本はずいぶん立派なのに案外低価格ですね。バディより読み応えがあるし、いいでーす。また送ってネ!」(原文ママ)
 
「海外で生きるという選択」は同性パートナーシップ制度を利用してオーストラリアに移住した鳴海さんへのインタビューです。今年の2月におじゃました際に「何か載せる機会もあるかもしれない」ということでお話をお聞きしていたのでした。ゲイがのびのびと暮らしやすい環境で、パートナーの方とのしあわせな生活を送っている鳴海さんでした。機会があったらみなさんもシドニーやメルボルンに行ってみてください。人生観が変わるような、素敵な街ですよ。

 それから、『QJr』全体を通してですが、巻頭のリーマンの方々へのインタビュー集は圧巻でした。今を生きるリアルなゲイ像が立ち上がってきます。その中に元パートナーも登場しているのですが、僕に関わる部分を読んでいたら(外だったのですが)泣いてしまいました。10年以上もつきあってきて、胸の内で感じていたけど口には出さなかったようなことが、こういうカタチで言葉になると、やられますね。そういう意味でも一生大事にしなくてはいけない本になりました。
 タックさんの闘病記も身につまされましたし、飯田さんのお話にも胸を打たれました。耐性ウィルス問題の深刻さを丁寧に解説してくれた玉野さんの記事にもリスペクト!でした。
 最初の話にもつながりますが、昨日まで笑顔で会っていた人が突然いなくなってしまったり、実は重い病気を抱えていることを知らされる、自分もまたそうなる可能性とともに生きている、ということをひしひしと感じながら、だからこそ日々を大事に、愛する人たちといっしょに暮らせる歓びをかみしめながら、自分や仲間を大切にしながら生きていきたいなと思わせる、そんな内容だったと思います。素晴らしい本です。
 
 この本に関わることができたことを本当にしあわせに思います。
 ありがとうございました。

「ゲイにとってのうつ」は、うつとはどういう病気なのか、うつを経験した人たちへのインタビュー取材、なぜうつになるゲイが多いと考えられるのかを丁寧に追いかけたリポートです。
QJr vol.2のテーマは「生き残る。」です。
「2006年の日本をさあどうやって生き抜いていこうか」を考えるときに、「うつ病」はおそらく大きなテーマです。ネットを検索すると、日本のうつ病患者は、70万人いるとも、200万人いるとも書かれていて、その数字の根拠はいまいちわからないにしても、身近を見回しても、うつを患って病院に通っている人は何人もいます。
いつからこんなにうつ病患者が増えたのか、なぜ増えたのか、そして、うつ病とはどんな病いなのか、こんなにうつにかかってしまう人が多くなった日本社会は、いったいどんな社会なんだろう、そんなことをいろいろ考えさせられた記事でした。
末ページには、うつにかかったゲイの人へのサポート団体や社会福祉制度の活用などの情報もまとめられています。役立ちます。

生き残るための生命保険

今日は、QJr vol.2で「ゲイと生命保険」の原稿をよせてくれた田中洸貴さんの日記を紹介します。
田中さんは、mixiで「ゲイと生命保険」というコミュをたちあげていらっしゃいます。
今回のQJrでは、「独身でゲイのあなた、あなたが入っている保険は本当にあなたのライフスタイルにあったものですか?」という問いかけをしてくれています。保険の種類にはどんなものがあるのか、保険の見直しのポイントはどこか、などなど保険初心者に向けて丁寧に解説してくれていて、「生き残るための生命保険のいろは」を学ぶには、もってこいです。タイトルは「ゲイと〜」ですが、それぞれのライフスタイルに合わせた保険の掛け方をしようという意味では、誰にとっても同じことなので、どなたでも参考にしていただけますよん。私がハッとしたのは、「月々の保険の何%が貯蓄にまわっているのか知っておくこと」というくだり。私は年金付きの保険に入っているんですが、そんなこと考えたことがありませんでした。

先日からちょこっと日記で紹介しました雑誌QJr(クィア・ジャパン・リターンズ)の話をします。

日記を読んでくださった方がぜひ読みたい!!と言ってくださってすごくうれしいです。実は話をいただいた時にこの雑誌の存在を知らなかったのです。ゴメンナサイ。ある日、編集長の伏見さんから連絡をいただきまして。なぜ僕にかというと、もともとmixiのコミュで「ゲイと生命保険」のコミュをたちあげていたので、それがきっかけのようです。
突然の依頼に躊躇はしました。そんな執筆なんて・・・と思いました。でもそれ以上にみんなの役に立ちたいと思ったのがきっかけだったんですよ。だってもともとコミュを立ち上げたきっかけが「みんなに少しでも自分の知ってる知識をわけてあげたい」という理由でしたから。だって「生命保険」のことなんて詳しい人も、真剣に考えてる人もなかなかいないもんですよね。
だからこうやって記事を書いてそれがゲイの読者の方に役に立てるなんてほんとに素晴らしいことだなって思いました。
正直、自分がこの記事を書くことになってこのQJrという雑誌を見てみたんですけど真面目な内容なんですよ。w なんか真剣に読んでしまう。そして1人で物思いにふけって自分のこれからをどうしようかと考える・・・そんな雑誌でした。今まで購入していた雑誌のようにグラビアをまず・・・というのとは違いました。w でも自分以外にもすごく将来のことを考えてがんばっている人がいるんだな〜と考えさせられました。
そうそう、今月号のモデル君もよかった。w 次回もし参加させてもらえる機会があったらぜひモデルで・・・と考えているのでした。ミノホドシラズ いちおう自己紹介のところでmixiでコミュを立ち上げていると書いてます。「てびち」という名前も。ただ残念ながら今回は僕の画像はありません。w よかったらぜひ読んでみてくださいね。ぜったいためになると思います。僕の記事もそうですけど(w)、ほかの方の書いた記事、すっごく勉強になります。今年の夏、ビーチで日焼けするみなさん、どうぞ僕の記事の載ったQJrをお供に・・・

余計な話ですが、私自身の保険加入歴は、28歳のとき。長期的視野に立って人生を組み立てるという考えが苦手(というより嫌い)だった私に、生保レディになりたての友人がまくしたてました。「30歳目前でしょ(そうだよ、言われなくてもわかってるよっ)。いまんところ結婚するあてもないわけだし(ないわよ、ないわよ、ないに決まってんじゃん!)、もしかするとこのままひとりで生きていくことになるかもしれないんだから(なんでそれがいけないんだよっ)、寂しい老後にお金がなかったらどーすんの!!(ろ、老後なんてそんなもん、まだ先じゃん。それに60歳になるまでに死んでしまうかもしれないんだから←あさはか。貧乏な老後ってどういうものか、そのときはまだまったく実感できない若造だったのです。いまはうっすらと実感できるから恐怖が増すのです) 病気になったときどーすんの!!(……)貯金なんてないでしょ?(20万円くらいしかない……ああ、やばいかも)」と。さすがに病気になったら困るかもと、結局加入しました。
しかし貧乏だった私は、月々の支払いを1万以上にするわけにはいかず、せいぜい女性特約という女性特有の病気にかかったときに多めにお金がおりるというのをつけたくらいで、65歳からもらえる年金は、年間で48万円。まるで砂漠に水をまくようなむなしい金額です。その後、ケッコンしたのですが、そうはいってもそのうち離婚するかもしれないし、夫がリストラに合って私の腕にぶらさがってくるかもしれないわけで、いまの目標は、60歳になっても70歳になっても収入を得られる仕事をなんとか見つけるぞ!ということなのです。
そんな私の保険、本当に私のいまのライフスタイルに合っているのか。老後年金が48万円ぽっちでよいのか。いろいろ考えるところはありそうな私の保険ですが、保険証書を出して見直すのも面倒くさいものぐさな私。「ゲイと生命保険」の読者として失格な私です。すみません、田中先生。
それにしてもみなさん、自分の収入の何%くらいを保険にあてているのでしょうか。

『QJr』●「ゲイの肖像」飯田真美さんの記事のこと

クィア・ジャパン・リターンズvol.2、できあがりました。
ゲイショップではもちろんのこと、そろそろ書店でも販売されていると思います。
今回の『QJr』は、208ページの大作です。「生き残る。」と題して、2006年の日本を生き残っていくために、自分の居場所で生き続ける人たちのリアルを、インタビューで、座談会で、シンポジウムで、対談で、浮かび上がらせました。
読んでいただいた方からは、「今回は(も)おもしろいですねえ。会社で生き残るのインタビューを、毎晩3人ずつ読んで寝てます」「内容といい、切り口といい、スゴイ!の一言です」など、うれしい声をいただいています。
ゲイ雑誌ということで、ゲイでない人にはなかなか届きにくいかもしれない。けれども、内容は決してゲイが独占!するもの(笑)ではありません。一人でも多くの人にこんな本があるんだよと届けたいという宣伝の意味も含めて、この新刊編集雑記というコーナーを新しくつくりました。
まずはQJrの内容やトピックス、QJrの販売の動きなど、書いていこうと思います。
今後はできれば、新しく出た本の内容や、これから新しく出る本の編集過程での雑感などを、タイトル別にぼちぼちアップしていこうかと思っています。できれば、というくらいの、あまり気負わない程度の気持ちで。

さて、『QJr』第一回目の新刊編集雑記は、すみません、ちょっと人の手を借りてしまいますが(笑)、vol.2で「ゲイの肖像」というコーナーの写真と文章を担当している田辺貴久くんの日記から、です。
今回の「ゲイの肖像」は、ゲイの方ではなく、東京都の職員で、エイズ対策を担当している飯田真美さんの人物ルポです。なぜ飯田さんを取材しようということになったのか、取材過程の話など、記事になるまでの過程や、田辺貴久さんの記事への思いが書かれています。

昨年も日本のHIV新規感染報告数は千人を超えた。
そのうちのおよそ3分の1が、東京都からの報告だった。
歌舞伎町や渋谷センター街、そして新宿二丁目といった、
感染機会の集中する繁華街を抱え、
日々感染者が増え続けている東京都で、
それを必死に食い止めようと、
昼夜を問わず奔走する一人の女性がいる。
都のエイズ対策を担当する飯田真美だ。
厳しい現実に向き合いながらも、
いつも明るく、絶えぬ笑顔で仕事をこなす彼女は、
新宿二丁目でも、みんなに愛されている。
しかし、その笑顔の裏側には、
自身を襲った「乳ガン」という病と、
ひとり必死に戦い続ける、誰にも見せない顔があった。

QUEER JAPAN RETURNS vol.2
「ゲイの肖像:飯田真美〜癌とともにエイズと闘う」
冒頭部より

 僕が初めて飯田真美さんにお会いしたのは、まだすごく寒かった2月のこと。東京都のエイズ対策を担当している女性の職員に、ちょっと変わった面白い人がいると聞いたのがきっかけでした。
 二丁目のルノアールで待ち合わせたあと、居酒屋に行って飲み、それでも足りずにゲイバーを数軒ハシゴしました。お互いろれつの回らない舌で、ずいぶんといろいろな話をしたものです。初対面にもかかわらず、その日の帰りは結局終電でした。
 QUEER JAPAN RETURNSのルポルタージュで彼女を取り上げることになり、それから何度も、飲みに出かけたり、講演についていったりを繰り返しました。彼女はどこに行っても明るくにぎやかで、その場の空気をみずみずしくするようなパワーを持っていました。僕も会うたびに元気をもらえるような気持ちで、取材とはいえ彼女に会うのがいつも楽しみでした。
 あるときは飯田さんの家にお邪魔しました。その日はおうちの写真を撮らせてもらうということだったのですが、家に着くなり冷蔵庫からいろいろなおつまみを出してくれて、結局写真撮影もそこそこに、即席で宴会になってしまいました。彼女は家ではいつも以上ににぎやかで、しまいには歌まで歌い出す始末。とりわけ楽しい夜でした。
 その日、飯田さんと別れて独り歩く帰り道、楽しい夜を過ごしたにもかかわらず僕の心に残っていたのは、話しているときに見せる、遠くを見るような目線だったり、笑い顔のあとに作る、ため息混じりの表情だったり、そんなものばかりでした。まだまだ刺すような寒さに身震いしながら、しんみりとした気分になったのを、よく覚えています。
 彼女が癌だということを聞いたから、そういうところばかりが気になった、というのではなく、おそらく彼女はずっと昔から、そういう淡い翳をどこか纏っていて、それがしんみりとした気持ちを呼ぶのだろうと思いました。だから、僕も含めて周りの人は、飯田さんに対して「好きだ」というよりも、なにより「大切だ」と思うのでしょう。
 人間はだれもが、いつかはこの世から居なくなります。そのとき、その相手に対して抱いていた「大切だ」という気持ちは、行く先を失って、いろんな形で溢れます。僕は、そのとき溢れるだろうものを封じ込めるような気持ちで、今回ルポルタージュを書きました。結局書きたかったものが書けた気はせず、いまももどかしい気持ちがありますが、読んでいただければうれしいです。──田辺貴久