ヨコタ村上孝之『色男の研究』


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● ヨコタ村上孝之『色男の研究 (角川選書 406)

★★★ サントリー学芸賞受賞!

著者は「恋愛」に疑問を抱いている。私たちが当たり前の営みとし、普遍的に存在していると思い込んでいる「恋愛」に。

どうして今、少なからずの男たちは「オタク」と称し、上手く男女の関係を作ることができないのか…。そのあたりの問題意識から遡って、「色男」というキーワードでさまざまなテクストに入り込み私たちの性愛を問うたのが、本書である。

フーコーの手法を用いて近代を相対化しようとするセクシュアリティ研究、と言うと、こむずかしく聞こえるかもしれないが、この著作の魅力は広い文学的な知識によって呼び込まれるエピソードや、西洋と日本のもてる男の文化比較など、その着眼点にある。

例えば、たおやかで女性的な「色男」である在原業平は、九十九歳の老婆に恋い慕われて、同情心からふしどを共にする。また光源氏は、不器量な末摘花と関係を結んでしまうが、彼女を見捨てることなく、生活の援助もし続ける。「日本の色男の伝統は、それが女性に性愛活動を通じて恵みを与える存在であり、その意味で、女性にとって正の価値を帯びている」。

それに対して、西洋社会のプレイボーイ道、ドンファニズムは、女性のセクシュアリティー(性的価値)をドン・ファン自身が奪う行為だ、と著者は分析する。

明治になって日本が近代化され、西洋から「恋愛」がもたらされた。それまでの日本の遊郭文化では、マニュアルを基にしたコニュニケーション、つまり技術こそが性愛であった。しかし「『恋愛』は『技術』を否定する」。それが真実や運命によるものならば、技術など必要ないのだから。

したがって技術を拒否する「恋愛」がディスコミュニケーションの象徴たる「オタク」にたどり着くのは必然である。一方、前近代のように、男女関係が技術だと思うかぎりは、人はコミュニケーションに開かれている。

はてさて、近代は私たちに幸福をもたらしたのだろうか? と本書は言いたいのだろう。その問いはどこか切実だ。

*初出/時事通信→福井新聞(2007.3.4)ほか