「戦争の犬たち」を久しぶりに見たボクは、ちょっとセンチになってしまった。
騒動社を飯島さんたちと一緒にやった当時のボクの気分が、画面からビシビシと伝わってくるからだ。
ゲバラの日記にこんなコトが書いてあるそうだ。
肝心なのは行動であり、行動を伴わない言葉など意味はない
当時、左翼少年だったボクは、そんな気分に突き動かされていたように思う。
日本共産党などの既成左翼にたいする、対抗の一番の気分がここだったような気がする。
(逆に言えば、たったそれだけの気分しかなく、
理屈はほとんどこじつけだったと思う。反スタ、とかもね)
そして、それは、少なくとも騒動社にもたくさんあったと思う。
映画が好きで、映画を作ろうというヤツは回りにそれなりにいたと思うけど、
そんなやつらの口先の上手さに、アタマの悪いボクらが唯一対抗できるし、
意味のありそうな対抗が、このコトだった。
だから、「一人10万もって集合」っていうのも、
ちゃんと実現するぜ、って気分からでた合言葉だったのだ。
8ミリではなく、16ミリで撮ることにも、すごい意味があった。
ちゃんとしたものをつくるぜ、っていう気分。
「戦争の犬たち」は35ミリで撮ったものだ。
そうした気分はついに35ミリにまで行き着いて、これがつくられている。
それが、画面からビシビシ伝わってきて、妙な気分になったんだと思う。
内容なんか関係なく(?!)、
自分たちの手で、一人前の映画を、という意思が伝わってくる。
だから、爆発シーンとか、山のなかを動き回ったりする背景、軍服や銃、バズーカかなんかに
力が入っている、。
ともかく、一人前の映画を、なのだ。
行動、。
これは今でもボクの気持ちのなかにいっぱい詰まってると思う。
出版でも、ともかく本を出す(金がない、とか言い訳しない)。
いっぱい売れなくとも、取次が新刊配本してくれない、とか、
零細出版社は差別されているとか、のせいにしない。
(それにボクにはそれほど差別されているとか思えないし)
版元ドットコムなんかに取り組んでいるのも、口先で文句を言ってるんじゃなくて、
自分自身で、少しでも状況をよくする行動を選択したから、なんだと思う。
(続く)