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電子タグ問題の提起—日本ペンクラブ理事会への湯浅リポート

 最近、電子タグがにわかに脚光を浴びている。出版物と電子タグの関係はいったいどうなっているのか、電子メディア委員会に問題を提起したところ、そのまま湯浅リポートとして理事会に提出されることになった。関心ある人に読んでいただきたいと思い、ここに全文を掲載する。

 日本ペンクラブ理事会向け資料
「電子タグ問題の議論に向けて」

2004年3月3日
日本ペンクラブ
電子メディア委員会
湯浅俊彦

1.はじめに

 最近、新聞や雑誌などで電子タグの話題がよく取り上げられています。回転寿司のすし皿に電子タグを組み込んだ自動精算システムや、農作物の生産履歴や流通経路がスーパーの売り場でわかるなど、きわめて便利なものとして紹介される事例が多いように思います。[電子タグは、ICタグ、無線タグ、無線ICタグ、RFID(RadioFrequency Identification)タグなど、さまざまな呼び方がありますが、この文章では以下、電子タグとします]
 しかし、電子タグの導入に関しては便利さの反面、プライバシーが侵害されるのではないかといった危惧の声が上がっていることも事実です。
 そこで、ここでは私たち日本ペンクラブとして特に強い関心をもたざるをえない本や雑誌などの出版物と電子タグの関係について考えてみたいと思います。
 まず、最近の政府の動き、そしてそもそも電子タグとは何なのかを簡単に説明し、次に出版界、図書館界への導入事例を挙げ、出版物に電子タグを装着することによって引き起こされる問題をいくつか指摘し、この問題に関する議論の叩き台を提供してみたいと思います。

2.電子タグをめぐる最近の政府の動き

 電子タグに関して、日本政府の動きはきわめて積極的です。
 経済産業省では「商品トレーサビリティの向上に関する研究会」(経済産業省商務情報政策局長及び商務流通審議官の諮問研究会・座長:浅野正一郎国立情報学研究所教授)が、2004年1月21日に「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」を取りまとめ、国民の意見募集(パブリックコメント)を1月21日から2月20日まで求めました。
(参照URL)
http://www.meti.go.jp/feedback/data/i40121aj.html

また総務省では、2003年4月から「ユビキタスネットワーク時代における電子タグの高度利活用に関する調査研究会」(座長:齋藤忠夫 東京大学名誉教授)を開催してきましたが、2004年2月23日に「最終報告書(案)」として取りまとめ、3月22日まで意見募集し、3月30日に開催予定の研究会で正式決定するとしています。
 この「最終報告書(案)」では、今後の推進方策として、「1.電子タグの高度利活用のための研究開発の推進、2.利用者参加型実証実験を通じた社会的コンセンサスの醸成、3.950MHz近辺等の新たな周波数利用の可能性の検証、4.電子タグの利用促進方策、5.安心して利用できるルールの整備、6.戦略的な標準化活動の推進」を掲げています。
(参照URL)
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/040223_2.html

 この「ユビキタスネットワーク時代における電子タグの高度利活用に関する調査研究会」の「ネットワーク利用ワーキンググループ」(徳田英幸グループ長・慶応義塾大学環境情報学部教授)は、「世界最先端のIT国家を目指す我が国における電子タグの位置付け」を「1.電子タグを用いることにより、物流・物品管理や生産物の追跡・管理(トレーサビリティ)の高度化が可能。2.今後、物流分野、食品分野、環境分野の様々な分野で活用されることにより、ユビキタスネットワーク社会の形成、世界最先端のIT国家の実現に大きく寄与」することと規定しています。
 つまり電子タグ普及は、まさに国を挙げての事業なのです。

3.電子タグとは何か

 ところで、電子タグとはいったい何なのでしょうか。
 いま挙げた総務省の研究会では、次のように規定しています。

「電子タグとは、ICチップとアンテナを内蔵したタグのことであり、この中に個別の識別情報等を格納し、それを電波を利用して読み書きすることで『自動認識システム』に利用することが可能である。電波を利用することで、接触することなく読み書きすることや、複数個のタグの情報を同時に読み取ることが可能である。
 電子タグは主に以下の様な特徴を持つ。
・データの送受信が可能
・バッテリーがなくても作動
・薄く・小さなタイプは、モノに埋め込むことも可能
・IDの読み出し機能のみの安価な製品から情報の読み書き等が可能な高機能製品まで多くの種類が存在」

 以上のような特徴を持つ電子タグの普及は「世界最先端のIT国家を目指す我が国」にとっては喫緊の課題であり、総務省では電子タグ関連の経済波及効果を31兆円と試算しています。また、矢野経済研究所は2004年2月14日、電子タグの市場規模を2003年度見込みで34億3200万円、2010年度には242億8000万円市場に成長するとの予測を示しています。(「Internet Watch」2004年2月19日付)

4.出版界・図書館界での電子タグ導入事例

 では、ここでいよいよ出版物と電子タグの関係について具体的に見ていくことにしましょう。
 一言でいえば、出版業界では実証実験を始めた段階である一方で、図書館界ではすでに実用化されているところもあるというのが日本の現状です。
 ここでは6つの場面を取り上げてみたいと思います。

1.出版倉庫流通協議会のICタグ利用研究委員会

 出版倉庫流通協議会は昭和図書や大村紙業、河出興産、主婦の友図書などの出版倉庫会社が中心となって組織されており、書籍に電子タグを装着したときの流通過程各種場面での効果を実証実験しています。2003年11月4日、IC利用研究委員会は電子タグ導入試験のプレス発表を行っています。
 この流通倉庫の実務試験では、書協が主催する「謝恩価格本ネット販売フェア」の書籍に電子タグを装着し、流通倉庫では「複数同時読み取りによる出荷検品」、模擬店舗では「商品アクセスのモニタリング、商品アクセス状況の分析、商品内容の確認、精算処理、書棚在庫ロスの見地、商品持ち出しの検知、在庫確認」、流通段階では「書籍貼付タグへの販売管理情報の追記」を実験しています。面白いのは、書棚から取り出した回数(タッチログ)の分析で書籍の売れ筋情報などが得られるとしている点です。販売前の顧客の興味が把握でき、陳列戦略や仕入れ戦略立案を効果的に行うことができるとしているなど、個人を特定する情報が得られればその人におすすめの商品情報が提供されるといった映画「マイノリティ・リポート」(トム・クルーズ主演・スティーブン・スピルバーグ監督)の世界を連想させます。この映画の設定では、住民の行動はつねに監視され、買い物するたびに記録されるのです。
(参照URL)
 http://www.shuppan-soko.jp

2.日本出版インフラセンターのICタグ研究委員会

 正式には「有限責任中間法人 日本出版インフラセンター」で小学館代表取締役の相賀昌宏氏を代表者とし、2002年4月に設立されています。会員企業社103社。2003年11月より、ICタグ研究委員会の活動を本格的に開始。ICタグ技術協力コンソーシアムを設立し、電子タグが「製造・物流・保管・小売・消費・リサイクル」の様々なシーンにおいていかに活用できるかを検証しようとしています。具体的には現在使用可能な周波数ではなく、UHF帯域を使用可能にするための電波法改定を視野に入れた実証実験をしています。
(参照URL)
http://www.jpo.or.jp/

3.「タグ&パック」

 2001年11月20日、文教堂、有隣堂、明屋書店、くまざわ書店、精文館書店、三洋堂書店など当初33法人で始まった会で、コミック版元に新古書店対策としてソースタギングとソースパッキングを要請しています。2004年4月より発展的に解消し、「日本書店万引き問題協議会」になる予定です。
 コミックを出版社がパックして出荷し、その上、万引防止対策に商品認識用の電子タグによるソースタギング導入を出版社に要請している書店の運動です。コミック大手5社の会はこの要請に対して、防犯タグとして有力ではあるが、その前段階の過渡期的措置として磁気式タグを書店で貼るシールタギングを逆提案しており、電子タグ装着は頓挫している状況です。万引き問題は書店の死活問題であるのは事実ですが、「古物営業法施行規則改正」「警察庁万引き犯認知件数向上への取り組み」などを進め、新古書店駆逐をめざす余り、有害図書規制などでは自治体や警察に「借り」を返さなければならない事態に陥っているようにも思えます。「青少年健全育成のための法令の一部改正を求める請願」として万引き防止を求めている状態なのです。
(参照URL) 
http://www.pcomic.com

4.慶応義塾大学村井純研究室

 電子タグを搭載した書籍『インターネットの不思議、探検隊!』(村井純著、太郎次郎社)を刊行し、この本を「実験材料」にして実際の流通経路を通ったあと何割ぐらいが破損するのかという調査を行っています。この本を購入した読者は自宅に持ち帰ったこの本に電子タグが装着されていることを忘れないようにしたほうがいいと思います。「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」(経済産業省・商務情報政策局情報経済課)で言うところの「消費者に物品が手交された後も当該物品に電子タグを装着しておく場合」にあたります。
 出版社の太郎次郎社は「『インターネットの不思議、探検隊!』についているRFIDタグと個人情報について」と題する注意書きをHPに掲載しています。
(参照URL)
http://www.tarojiro.co.jp/book/tagwrap.html
 
 それによりますと、「知らない人から知らないうちに読みとれなくする方法を説明します」として、アルミホイルで包む、出版社で手続きをする、という2種類の方法を説明しています。アルミホイルで包む、では写真入りでアルミホイルのかぶせ方を説明していますが、この本を買った人がどれだけこの件を理解しているか疑問に感じます。
 「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」では「アルミ箔で覆って遮蔽できる場合はアルミ箔で覆うなど、電子タグと読み取り機との通信を遮断する手法、又は、電子タグ内の固有番号を含む全ての情報を電磁的に消去する手法等」をあらかじめ説明若しくは掲示、とあります。
 このような事態は、映画で言えば「サイン」(メル・ギブソン主演・M.ナイト・シャマラン監督)においてエイリアンからの侵略に備えて頭にアルミホイルを巻きつけて「考えていることを読まれないようにしなくては」と防衛している地球人を思い起こさせます。
 村井研究室の斉藤賢爾氏は初版の6000冊に印刷・製本した凸版印刷の人が1冊1冊手作業でタグを埋め込みました、と書いていますが、この実験に自覚せずに巻き込まれている読者についてどのように考えているのでしょうか。
 村井研究室の斉藤氏の報告は、下記URL参照
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NBY/RFID/20031225/1/

 独立行政法人産業技術総合研究所の高木浩光さんは太郎次郎社の本について、次のように批判しています。
 「アルミホイルで包んで自衛しろというのは、IT強者の論理です。IT弱者には、どういうときにどういう問題が起きるかを説明してもらわないと、自衛の必要性もわかりません。昔からハッカーやマニアの間には、嫌なら自分で守るのが当然だという発想があるようです。マニアが個人的にそう考えるのは自由ですが、事業者がそれをやってはいけないでしょう」(東浩紀・高木浩光「対論・『工学化』する書物と社会をめぐって」『季刊・本とコンピュータ』2003年冬号、92ページ)

また、一方で次のような意見もあります。
「逆にいえばアルミホイルや鉛を本のまわりにつけておけば(たとえば、バッグのなかをアルミホイルで覆ってしまえば)、万引きできてしまいます。
(岡部友春「誰のためのICタグか?」版元ドットコム・版元日誌第160回)
http://www.hanmoto.com/diary/diary040218-1.html

5.千葉県富里市立図書館

 千葉県・富里市立図書館は2003年4月に開館し、図書管理に大容量の電子タグを導入した日本初の「IC図書館」として出版界にも知られています。
 「みんなの図書館」2003年12月号の特集「図書館の最新機器」に富里市立図書館の高橋正名氏が「ICタグによる図書館管理システム」という文章を書いています。
 図書館での電子タグ導入目的は「図書の貸出・返却業務の迅速化と、自動貸出機導入による業務の効率化」です。もちろんその背景には職員を何人削減できるのか、があります。ただ、利用者の声として、「職員に借りる本を見られることが気になっていた」、つまり離婚やダイエット、ガン治療などの関する本を借りるところはたとえ図書館職員であっても見られたくないという気持ちがあり、自動貸出機は利用者のプライバシー保護につながるというメリットもあると書いています。また、蔵書点検や棚番号での配架管理などでもICタグは効果を発揮すると期待されています。ただ、面白いことに出版業界で導入を検討しているタグとの関係については、万引き対策として導入される場合、発行されるすべての書籍に装着される保障がないことから、ISBN導入時のように普及するまで時間がかかると見ています。そのほかにも耐久性の問題、無線の周波数帯の問題などを考えれば出版業界のタグとは別に図書館独自のタグを使用するほうがよいのではないかと考えているようです。
(参照URL)
「みんなの図書館」2003年12月号、No.320(図書館問題研究会、
http://www.jca.apc.org/tomonken/)
 ほかにも公共図書館関係では、笹沼祟「公共図書館の新たな情報サービス〜結城市の事例」(「情報の科学と技術」54巻1号、2004年)において、2004年5月オープン予定の茨城県結城市立図書館で電子タグを採用する決定を行った経過報告をしています。
 図書館と出版界との決定的な違いは、図書館では貸し出しする本にタグをつけるわけですから、コストがそれほどかからないということがあるようです。

6.アカデミーヒルズ六本木ライブラリー

 六本木ヒルズ「アカデミーヒルズ六本木ライブラリー」の蔵書検索サービスは 、iモードが本の位置を教えてくれるということで話題です。利用者はiモードの検索画面に探している本のタイトルや著者名を入力します。すると本に装着された電子タグから送られてくる位置情報をもとに本が見つかり、その本がどの棚の何段目にあるかをiモードの画面上で分かるというしくみです。
 このサービスについて、東浩紀氏は次のように語っています。
 「六本木ヒルズの会員制図書館ではすべての本にRFIDのチップがついていますね。バラバラに置いてあっても検索すればどこにあるか分かるから本を棚に並べて管理しなくてもよくなっている。同時にここでは、誰がいつどの本を借りたかが完全に把握されている。六本木ヒルズにはアンテナショップがいろいろありますが、この図書館とお店とはデータ的に直結しているはずです。つまり、どんな本を借りたかという客の傾向をデータ化して、ショップでのマネージメントに使っているんだと思います。すべての本に固有IDがつくと、同じことが全国規模で可能になる」(東浩紀・高木浩光「対論『工学化』する書物と社会をめぐって」『季刊・本とコンピュータ』2003年冬号、87-88ページ)
 この対論で東浩紀氏は次のように言います。
 「本というメディアは、とても長い伝統をもっている。そして数千年前からずっと、書籍はどの本を読んでいるのかわからない、という匿名的な情報流通の媒体として存在しつづけてきた。これは一種の知恵です。図書館で本の貸し出しデータが慎重に扱われるのもそのためです。そのような匿名性には経済合理性はないかもしれない。しかし、この知恵は長い伝統として存在してきたのだから、よほどのことがないかぎり尊重しておくべきではないでしょうか。」(p.87)
 
 出版業界では出版流通システム合理化(出版SCM=サプライ・チェーン・マネジメント)という流れがあり、これは言ってみれば1980年の日本図書コードから一貫した潮流です。その上に万引き対策という書店の喫緊の課題が乗っかってきています。そしてそこでもブックオフに象徴される新古書店対策として、商品のトレーサビリティ(商品の追跡、履歴管理)の観点が入っています。このことは近未来的には買った商品は自分のものという概念から、ある種の使用許諾を得ただけというような知的財産的な権利関係の問題に発展していきそうな気がします。
 一方で日本の図書館では人員削減と利用者サービスの観点から電子タグの導入が進展していきそうな気配です。出版業界で導入を検討しているタグとの関係では、出版業界ではすべての本に装備される保障もない上にタグの耐久性や周波数の問題などもあり、出版業界とは一線を画している現状です。しかし、これも将来的にどうなっていくのかは不透明です。
 米国の電子フロンティア財団(Electronic Frontier Foundation)は、サンフランシスコ公共図書館が所蔵する約200万冊の図書などに電子タグを添付する計画に対し、利用者のプライバシー侵害の恐れがあるとして文書で計画の見直しを求めているそうです。
(国立国会図書館・カレントアウェアネス−E通信・2003年11月5日[E140]個人情報の流出の要因となるか?無線タグをめぐる議論・米国)
(参照URL)
http://www.miami.com/mld/miamiherald/6927665.htm

5.問題の所在

 では、ここで議論のために問題の所在を整理しておきたいと思います。
 出版物に電子タグを装着することの問題点は、大きく分けて以下の4点にあると思われます。

1.追跡可能性の問題

 販売されたあとの出版物の固有コードを読むことで、自宅の書架にあっても、古書店に持ち込んでも、人に寄贈しても、履歴情報が追跡されること。

2.所有者の意思に反して読まれることの問題

 離れたところから、所有者の意思に反して、読み取られること。

3.誰から読まれるか分からないことの問題

 市販されている安価な装置でだれでも読むことができること。

4.知的財産権拡張の問題

 書店で買ったあとは持ち主の自由だった出版物が、その貸与や転売について制限される可能性があること。

6.おわりに

 電子タグは現在のところ、コストの問題やデータの可読性や標準化の問題などがあり、ただちにすべての商品に装着されているわけではありません。
 例えば電子タグ導入を考える業界がまず行き当たるのが、導入コストの問題です。
つまり、まだまだ高すぎるのです。しかし、世界最小クラスのICチップ「ミューチップ」を開発した日立製作所では、100万個以上の注文があれば、1つ10円台になるICタグを2004年4月から発売する予定です。(「朝日新聞」2004年1月18日付大阪本社版朝刊)それでも出版界では、たとえばタグの価格が5円、できれば3円以下にならないと出版物には装着できないという意見もあるようです。
 また、様々な業界による電子タグの導入実験では、「読めるはずのデータが読めない」「読む必要がないデータを読んでしまう」「誤ったデータが書き込まれる」という事例が報告されています。
 そして、電子タグには標準化が進んでいないという問題点もあります。例えば出版業界で装着した電子タグが図書館では使えず、結局別の電子タグをもう一度装着するといった問題です。
具体的に日本の出版業界の現状を考えると、中小零細の出版社や書店では電子タグのシステムに何百万円もかけられないでしょうし、出版社では既刊本に電子タグを改めて装着するとなると、大変なコストがかかるものと思われます。
 しかし、日本では電子タグを装着することに対して、プライバシーの観点からの反対運動が起こるようには思えません。海外での事例では、2003年7月に欧米のマスコミが一斉に報道した「米ウォールマート・ストアーズがICタグの実証実験を中止」というニュースや、ベネトンがサプライチェーンにおける商品の追跡管理にフィリップス製のICタグを採用すると発表した直後に消費者団体が「追跡装置が付いたベネトン商品は買うな」と不買運動を起こしたことなどは、プライバシー侵害を恐れる消費者の反発があったからでしょう。
 出版メディアについては今日、CD-ROM出版、オンライン出版、オン・デマンド出版といった「電子出版」への関心が高まってきています。そしてそれに伴い、顧客管理上の個人情報の問題や新たな著作権問題がクローズアップされてきています。しかし一方で、電子タグが装着された紙の本や雑誌がもたらす変化にも私たちは注視する必要があるのではないでしょうか。
 電子タグと出版物についての論議が徹底的に展開されることを期待しています。

インターネット出現以降の法学

 島元健作氏は拙著『デジタル時代の出版メディア』(2000年、ポット出版)について「デジタル社会のなかでの読書環境の変化について無知であるのは、精神の退廃を招くと言い切っている」と書いている。しかし、じつは私の文章は正確に書くと次のようになる。

「(出版業界の)急激な変化はコンピュータ技術の発達とそのことがもたらした『デジタル社会』とでも呼ぶべき、高度に情報化された社会像と密接に関係しているのです。このような社会の変化が背景にある以上、本とコンピュータのかかわりについて考えることを避けるのは、逆に精神の退廃を招くことになります。出版メディアにいま起こっている変化の本質を探究することは、これからの社会で出版メディアの果たす役割を考えるときに非常に重要なことだと私は思っているのです。」(124ページ)

「本や雑誌からコンテンツそのものへ、つまりモノから情報へという現在の流れはこれからの出版メディアを考えるときにもっとも重要な変化であると位置づける必要があるでしょう。読者像が大きく変わってきているという事実に気づかなければ、出版業界が危機的状況であることすら分からないことになるからです。」(179ページ)(いずれも傍線、筆者)

 このようにメディアと社会とのかかわりを動的にみていくことが私の本来の意図である。たしかに『デジタル時代の出版メディア』では問題の整理ということに中心を置き、独自の主張はほとんどしていない。しかし、それは技術論を展開したつもりではなく、社会的な変化がいかに出版メディアの機能を相対化してきているかを説いたつもりであった。

 話を少し先に進めよう。

 例えば法学の分野を例に考えてみよう。デジタル時代における法学関係の読者について、私は二つの大きな変化があったと思う。

 第一に、法学の対象そのものの変化があった。インターネットの普及に伴って刑法、民法、行政法、民事訴訟法、刑事訴訟法、そして憲法さえも、これまでの法律と法理論全般にわたる再検討が必要になってきているということである。

 そして第二には、法学情報についての変化である。従来の法典、判例、論文など紙の本や雑誌しかなかった法学情報がCD-ROMだけでなく、商用データベースやインターネットなどのオンラインでも提供されるようになってきたことである。

 ではまず、インターネット出現以降の法学の変化について考えてみよう。この問題については松井茂記『インターネットの憲法学』(2002年、岩波書店)がきわめて今日的な視点を私たちに提供してくれる。インターネットの出現によって既存の法制度が再検討されていること。そして、新しい法理論が構築される必要性を、松井茂記氏はこの本の中で豊富な実例を挙げながら論じているのである。

 例えば従来の詐欺罪、窃盗罪、不法侵入罪、器物損壊罪などが想定していなかったようなタイプの事件がインターネットの普及にともなって起こってきた。このような事態に対応して、1987年に刑法が改正され、電子計算機損壊等業務妨害罪(第234条の2)、1991年に電磁的記録不正作出・供用罪(第 161条の2)が設けられた。また、1999年に不正アクセス行為の禁止等に関する法律(不正アクセス禁止法)が制定されたのである。(松井茂記『インターネットの憲法学』30-31ページ)

 また、電子商取引が盛んになることによって、2000年に電子署名及び認証業務に関する法律(電子署名法)、2001年に電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律が制定され、2001年の刑法改正では支払い用カード電磁的記録に関する法律も設けられた。(同書、32-33ページ)

 しかし、なんと言っても大きな変化は行政資料の情報公開や民事訴訟・刑事訴訟における手続きの簡便化が促進されつつあることだろう。このような動きはこれまでの法や行政の制度そのものを変えていく可能性があると思われるのである。

 私の経験をここで書いてみよう。1990年夏ごろから話題になったいわゆる「ポルノコミック」規制問題の時、私は出版労働者、書店労働者、弁護士、まんが家、まんが評論家らと大阪府青少年健全育成条例を考える会を結成し、シンポジウムを開催したり、大阪府に条例改定反対の要請行動を行ったり、情報公開を申請したりしたことがある。その当時、条例改定にあたっての大阪府青少年問題協議会の文書などは一般の市民にとってすぐに入手できるものではなく、私たちは情報の入手に多大な時間を費やすることになった。

 しかし最近になって、大阪府青少年健全育成条例の再改定の動きがあると知って調べたところ、条例改正案の概要や新旧対照表、青少年問題協議会答申、条例改正に対する府民意見の募集やその結果などがインターネット上で公開されており、私たちは自由にダウンロードすることができるようになっていた。

 条例の改定については表現の自由の観点からは今回もまた非常に疑義のあるところだが、このような自治体による情報公開自体は評価されてよいだろう。ただ、審議会の内容など、電子メールによる情報公開の申請とインターネットを通してダウンロードできる仕組みをさらに進めていく必要があるだろう。

 一方、民事訴訟における訴状の送達をインターネットでも認めるようにすることや刑事訴訟におけるインターネットを通した証人尋問、あるいは訴訟記録のオンライン公開などが進展していけば、これまでの裁判制度は大きく変わっていくことは間違いない。(同書、36-37ページ)

 実際、法務省は民事訴訟の訴状や準備書面の交換など、書面に限られている訴訟手続き(「口頭弁論は、書面で準備しなければならない」民事訴訟法第161条)について、電子メールでも可能とし、関係者の負担軽減や審理の迅速化をはかるという。

 3月下旬に予定される法制審議会に諮問し、2004年の通常国会に民事訴訟法改正案を提出する予定と報道されていた。(2003年2月18日付け「朝日新聞」大阪本社版朝刊)

 このようにインターネットのような新しいメディアの登場と社会の変化という、より「大きな物語」の中で出版メディアの変化も見ていかなければ今日の変化の本質をとらえることはできないと私は考えているのである。

 次回は、ひきつづき法学情報の変化について検討してみたい。

新しいメディアに対する批判と書物の権威

 書砦・梁山泊店主の島元健作氏が「IT革命」を「バカになった若者」を必要しているように言うのに対して、そういう見方は皮相にすぎるのではないかと私は考えている。なぜなら、まずインターネットやケータイというメディアを仔細に調べ、その新しいメディアが社会の変化とどのように関係しているのかを考えてみる必要があると思うからである。

 インターネットやケータイに対する批判というのは、新しいメディアが現れるたびに繰り返し行われている違和感や嫌悪感の表明に過ぎないのではないのだろうか。

 例えばテレビに対する批判を思い起こしてみよう。今年2月1日はテレビ誕生50年ということでNHKでは16時間生放送で記念番組を放映していた。 1953年2月1日、NHKが日本初のテレビ放送を東京で開始し、8月28日に日本テレビが開局したのである。そして、テレビの功罪ということで言えば大宅壮一氏の「1億総白痴化」発言があまりにも有名である。

 1956年11月3日放送の日本テレビの視聴者参加番組『何でもやりまショウ』において、早慶戦で早大の応援席で慶応の応援をした出演者が早大応援団につまみ出される騒ぎとなった。これを評して、評論家の大宅壮一氏が1957年2月2日号の『週刊東京』で「テレビにいたっては、紙芝居同様、いや、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと並んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、”一億白痴化”運動が展開されているといってよい」と書いたのである。(日本放送協会編『20世紀放送史』(上)403ページ、2001年、日本放送出版協会)

 テレビが出現してまもない時期にこのような批判が現れていることに注目したい。そして、テレビの契約件数が100万を超える1958年ごろを一つのピークとしてこのような「テレビ功罪論」が語られていたのである。

 『20世紀放送史』(上)の先ほど引用した後には次のように書かれている。

 「大阪の朝日放送の広報誌『放送朝日』は、57年8月号で『テレビジョン・エイジの開幕にあたってテレビに望む』という特集を企画、識者の談話を集めた。ここで作家の松本清張は『かくて将来、日本人1億が総白痴となりかねない』と述べている。
こうした経緯を経て、テレビ批判のシンボル的な表現としての”一億総白痴化”が定着していった。」(403ページ)

 このように大宅壮一氏や松本清張氏など当時の知識人たちは当時のテレビを低俗なものと批判した。そして、その背景には書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと思われるのである。

 島元氏は『文藝春秋』1957年2月号に掲載された「本はバスに乗って~奥多摩の移動図書館」のグラビア記事をみて「本も読書も生き生きとしていた良き時代の情景です」と書いたが、その雑誌が発売されたちょうど同じ時期に「一億総白痴化」という言葉が流行し、テレビの低俗化批判が湧き起こっていたのである。たしかにテレビの登場は書物の権威が次第に落ちていくきっかけの一つであったに違いない。

 今日において、島元氏は池田清彦氏の「加速するバカ化」(『ちくま』2002年9月号)に共感し、インターネットやケータイが流行するのはバカになった若者のせいであるという論の立て方をした。しかし、少し冷静に考えれば分かることだが、テレビを見れば一億の国民が「白痴化」するとか、インターネットやケータイをすれば若者が「バカ化」しているといった言説はあまりに単純すぎる。もっと具体的に何が問題なのかを論議する必要があるだろう。

 島元氏は日本出版学会関西部会の講演会の会場に「IT革命なるものへの反革命的遁辞」という島元氏の文章を配布した。その中に次のような箇所がある。

 「『デジタル時代の出版メディア』(ポット出版)で著者は、デジタル社会のなかでの読書環境の変化について無知であるのは、精神の退廃を招くと言い切っている。電子出版やインターネット書店等について、この本から多くのものを教えられた。しかし、読書環境の進化のように見えるその変化が、読書主体を退化させ、あるいは解体させるかもしれない危機に思いを巡らせず、技術論だけを精緻に展開させるのも、精神の退廃とならないだろうか。実は、著者の湯浅俊彦氏とは、終電車の時間も忘れて飲みかつ論じ合うアナログ的おつき合いをしている仲だ。片や売れない古本屋のおやじ、方や大型新刊書店の少数労組の反骨委員長を結びつけているのは、情報交換の利便なぞではなく、本好きという心根の共有以外にない。」(『彷書月報』2001年1月号・31ページ)

 じつは飲んで話すたびになかなかお互い譲らぬ頑固者になり、次第に激論となってゆく島元氏と私なのである。

 すでにこの連載でも第4回「IT革命と社会的関係性の変化」のところで書いたようにIT革命におけるデジタル・デバイド(情報格差)と同様の問題が書物というメディアにも起こっていたことを私はいつも島元氏に強調するのであった。黒崎政男氏が言うところの「情報の独占と情報のタイムラグによって成り立つ学者や教師という専門家の権威」と比べ、インターネット情報の「開放性」と「同時性」は社会のあり方を変えてゆく可能性をもっていると私は思う。だからこそ、私がインターネットやケータイについて論じようとする時、それはあくまで社会的な視点からアプローチしようとしているのであり、決して技術論の立場からではない。出版メディアを考える上でもCD-ROMやオンライン出版などのいわゆる電子本が出現したために、紙の本の特性がますます明らかになってきたのである。そして、電子本の誕生は社会的な関係性の変化にもつながっていく可能性のあるものである。「進化」という言い方を私はしないが、少なくとも「相対化」されたと断言できるのである。

 そして、それは書物が絶対的な権威であった時代よりもずっといいと私は思っているのである。

「IT革命=若者のバカ化」説への反論

 さて、いよいよ今回は私の敬愛する島元健作氏(書砦・梁山泊店主)の「反IT文明論」への反論である。

 その前にもう一度、日本出版学会関西部会での島元氏の話に耳を傾けてみよう。

 島元氏は、産業革命によって近代資本主義が成立したことについて、農民が封建的束縛から逃れて自由になる一方で資本家のところに行って働くしかない不自由さ、つまり賃労働者が生み出された歴史的背景を語った。そして産業革命と対比していわゆるIT革命は情報機器を買う、「バカになった若者」の存在が必要であるのではないかと語った。需要があるからではなく、まず製品開発があって、「バカな若者」から普及していく、というのである。

 この講演で島元氏が会場に配布した資料に池田清彦「加速するバカ化」(『ちくま』2002年9月号、「やぶにらみ科学論」(12))があった。少し長いがどういう文章か引用してみよう。

「この数年、学生たちのバカ化はさらに進んだように思われる。インターネットとケータイの普及に原因の一端はありそうだ。私はインターネットもやらなければ、ケータイももっていない。知的生産に何の役にも立たないことが分かっているからだ。私は見ないので本当は知らないのだが、仄聞するところによると、ネット上の言説には目も当てられないものが少く(ママ)ないと言う。本は一応、編集者というフィルターを通す。ネット上の言説はどんなフィルターも通さない。質が落ちて当然である。小谷野敦の表現を借りれば、バカが意見を言うようになったのである。インターネットは世界につながっているはずなのだが、彼らは狭い世界の中でバカな意見の交換をするのに忙しく、外部の意見を探ろうとする意欲はないようである。意見はけたたましく言うのだけれども、自分の意見の知的水準に対する内省はまるでない。ケータイもまた狭い人間関係の中だけで、情報をやりとりするのに使われるだけで、外部へつながる契機を奪うように機能している。高等教育の機会拡大が若者のバカ化を加速したように、情報に対するアクセス権の拡大は、若者たちに情報の閉域化をもたらしつつあるように思われる。ケータイで一時間毎にやりとりし、下宿に帰ってネット上の『フォーラム』にゴミのような意見を言うだけで一日が終わってしまう。ケータイとインターネットという最新の道具を使っているので、本人たちは何か知的な作業をしていると錯覚しているのかもしれないが。大海を知らないインターネットの中のカエルである。」(31ページ)

 私はこの種の、人を「バカ」呼ばわりする文章がネット上の「フォーラム」ではなく筑摩書房のPR誌『ちくま』に掲載されていることに、むしろ驚く。いつの頃からか「本音トーク」とか「激辛エッセイ」とかいう触れ込みで、人を罵ることに主眼を置いたような本や雑誌が即席で作られ消費されていることこそ、古書店主の島元氏にとって憂うべき事態ではないのだろうか。つい先ごろも石井政之氏が柳美里著『石に泳ぐ魚』の出版差し止め裁判についての文章を書いていると聞いて、私は『まれに見るバカ女』(宝島社)という本を買った。しかし、それは「社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで!」と副題にあるように、女性たちへの罵詈雑言集であった。そういえば池田清彦氏についても柴谷篤弘氏との対談を中心にまとめた『差別ということば』(1992年、明石書店)で、かなり挑発的な発言をする人だなと思ったことがある。

 それはさておき、先ほど引用した部分の前段で池田清彦氏は『新しい生物学の教科書』(新潮社)という本を出版した時に、この本を2割引(著者割引)で学生に売ってあげようとしたのに、たった一人しか買わなかったことに対するうらみつらみを長々と書いている。そして、「難しい本は三流大学の生協ではまず売れない」だとか「はっきり言って、現在の日本の大学生の八割は、大学に来てはいけなかった人たちなのである」とまで論理は飛躍していくのである。もちろんなぜ「八割」なのか、何の根拠も示されてはいない。要するにこれは多分「辛口エッセイ」なのであって、まともに一つひとつ「社会科学的」に考えても意味がないのだが、「山梨大学教授・生物学」と最後に肩書きが記載されているために恐らく権威づけられてしまうであろう。

 「ネット上の『フォーラム』にゴミのような意見を言う」若者を池田氏は「バカ」呼ばわりしている。しかし、筑摩書房のPR誌『ちくま』に「山梨大学教授・生物学」の肩書きで、「大学程度の知的訓練に耐え得るのは、人口の一割程度しかいないという厳然たる事実」などと、またしても何の根拠も示さず「一割程度」と数字を挙げることははたして「賢者」のすることなのだろうか。

 私はこの資料を会場に配布した島元健作氏の意図とは逆に、むしろ池田清彦氏が自身が勤務する山梨大学の学生に苛立って悪態を吐くしかないという「厳然たる事実」に興味を覚える。今日の大学における教授と学生の関係、授業と教科書のあり方、大学生協書籍部における書籍販売の実態など、この文章には池田氏の主観とは別に様々な材料を私たちに与えてくれるのである。(しかし、それにしても勤務する大学を「三流大学」と書き、学生を「バカ」と書く大学教授に学生は教えられたくないだろうなあと私は思う)

 つまり、この文章に表れているのはこれまで当たり前だったことが、次々と変化し、大学という制度そのものが揺らいでいるという現実である。とりわけ、インターネットの急激な普及以降の様々な変化は単に速さや便利さという側面だけでなく、社会的関係性の変化につながっていくことにこそ私は注目したい。

 韓国のキム・デジュン前・大統領が、学歴に関係なくインターネットを使いこなす農業従事者や中小企業やベンチャー企業の経営者などを「新知識人」と呼び、このような「政府が提示した『新知識人』論は、これまで『知識人』とされてきた層から強い批判と反発を受けることなる」とキム・ヤンド(金亮都)氏は指摘している。(キム・ヤンド「社会に変容をもたらす新しいメディア」『別冊本とコンピュータ3・コリアン・ドリーム!』102ページ)

「情報に対するアクセス権の拡大」は、「学生たちのバカ化」進むから良くないのではなく、旧来の「知識人」の足元が揺らぐから嫌悪されているという側面はないのだろうか。

 インターネットやケータイという比較的新しいメディアに対する「知識人」の嫌悪感をもう一度、よく吟味してみる必要があると私は思うのである。

移動図書館が輝いていた時代

 前回、「派手なライブラリアン」である尼川洋子氏を取り上げたが、その尼川さんが当日、会場に配布した大阪府立女性総合センター・情報ライブラリーのプロフィールをここで紹介しておこう。

大阪府立女性総合センター・情報ライブラリーのプロフィール(2002年12月現在)
●設立
1994年11月、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)の女性関係情報専門ライブラリーとして開館。運営は(財)大阪府男女協働社会づくり財団が行っている。
●施設
ドーンセンター2階全フロア。面積750m2
●設備
閲覧席24席、ブラウンジング・コーナー(ソファ、大閲覧机)、ビデオブース(個人用=3ブース、2人用=3ブース、グループブース=1)、利用者端末(館内4台、1階フロア3台)、インターネット端末(1台)
●情報システム
独自に構築している女性関係情報システム「情報CAN・ドーンネット」で、ドーンセンターOPAC及び独自の女性関係情報データベースをインターネットで提供している。( http://www.dawncenter.or.jp)
2003年10月、リプレイス予定。
●コレクション
1●図書…32,726冊
2●行政資料…8,596冊
3●雑誌…1,259タイトル(31,144冊)
4●新聞…6紙
5●AV資料…1,365本(ビデオ1,338、カセットブック27)
6●アーカイブ…「女たちの太平洋戦争・15歳の手記」手書き原稿(約3,000点)
…「日本ウーマンリブ原資料」ビラ、ニュースレター等(約900点)
7●ポスター
8●パネル資料…「女性に対する暴力」
9●データベース
…団体・グループ情報
…女性施設情報
…自治体の女性政策担当窓口
…困ったときの相談窓口
…法律・制度キーワード
…数字で見る女性
…人材(オフライン)

 ところで今回は、尼川さんとはまったく異なる立場、異なる場面で奮闘している古書店主の話。

「書砦・梁山泊」という社会・人文系専門の古書店が京都にある。この古書店主の島元健作氏は以前から「反インターネット」を標榜している。1月末に届いた梁山泊の目録「書砦―社会・人文系絶版古書目録」通巻第32号の編集後記に店主は次のように書いている。

「昨秋、日本出版学会関西部会とやらから求めがあったのを幸い『インターネット時代の古本屋』なる演題を強引に捻じり曲げて、持ち前の反IT文明論を一席ぶってきました。利便とか科学的とかいった一見ニュートラルな要請の中にこそ反人間的なイデオロギーが秘められている。手触り、情緒、直感といったものに信を置くことは決して迷蒙ではない。本(というかたち)は残るし、残さなければならない。―というような話なのですが、勢い余ってかなり反動的言辞も撒き散らしたようで、どうも下手なボヤキ漫才ぐらいの受けしかありませんでした。ちなみに今回の目録の表紙は、その際に配布した『文藝春秋』(昭和32年2月号)のグラビアからのコピーです。本も読書も生き生きしていた良き時代の情景です。IT論者には不便で貧相で痛ましく見えるのでしょう。」

 ここに書かれている日本出版学会関西部会の例会を企画したのは私である。正確には2002年10月23日、「古書店から見たインターネット時代」というテーマで、西宮市大学交流センター講義室において島元氏に講演をお願いしたのである。

 この日、島元氏はまず会場に『文藝春秋』1957年2月号に掲載されたグラビア記事のコピーを配布した。「本はバスに乗って~奥多摩の移動図書館」と題するその記事は次のように書かれていた。これも少し長いが以下に引用しよう。(旧字は新字に改めた)

「移動する図書館『むらさき号』は、東京都の教育委員会が昭和二十八年に創めたもので、二千冊の図書を積み、都下の西南北の三多摩郡の山間、五十カ町村、地理的にも経済的にも中央の文化から隔てられている地域を巡回するバスである。青梅・立川両市の図書館を根拠地として、毎月一回、約五十冊ずつの本を三多摩各地の小学校、役場、特約している民家などに配布して回る。

 開始以来、梅原・八里・三平の三君がずっと継続してこの仕事に当たって居り、人々から親しまれている。

 山間の道は冬の間は殊にひどく、同じ日時に予定の駐車地に行くことには、人知れぬ苦労があるが、『むらさき号』の来着を待つ人の数は次第に多くなって、野良の合間に立ち寄る人もあるようになった。

 主婦達が子供のための本の相談を持ちかけたのが契機となり、『むらさき会』という読書会が山村の夜の楽しい集いとなっている所もある。」

 そして、この記事にはグラビア写真が9葉あり、それぞれ次のようなキャプションがつけられていた。

「むらさき号が来た」「新しい文庫を貰っていそいそと」「バスを止めて店開きするかしないかにもう飯場の人たちもやって来る。読書の相談などに応じる」「出水のあとにはこんなこともある」「今もいで来たんだ、上っとくれよ」「臨時貸出のマンガに夢中だ」「八十歳になるお爺さんも野良の合間に」「炉辺に楽しい『むらさき会』の集り」

 島元氏は講演の中でこの雑誌に取り上げられている光景について「本が生きていた、読書が生きていた、読者が生きていた」と語った。そして、「今この同じ場所に行くと、教室にはパソコンが用意されていて、インターネットで本が読めているのかもしれない。しかし、そんな風景より昭和30年代の方が豊かだと思う」と言うのである。

 そして、島元氏の次のようにみずからの「反IT文明」論を展開した。

1●パソコンはツールだとかニュートラルだとか言うが、距離を置くことができないというイデオロギーをもっており、パラダイムとセットである。技術論ではなく、社会科学的、哲学的におさえておかなければならない。
2●インターネット情報革命には「バカ化した若者」(池田清彦「加速するバカ化」『ちくま』2002年9月号)が必要になっている。
3●最近、古書の世界では入ってきたときから腐っている本、捨てる本が多い。価格破壊どころか書物が破壊されている。
4●ファーストフードに対抗してスローフードがあるように私はスローブックでいきたい。

 この日、島元氏は会場に大正期の本を9点持ってきて、参加者に見せてこう語った。

「80年くらいたっているのに見て美しい。堅牢であり、瀟洒である。普通の本なのに本として傷みもしない。これだけしっかりした仕事を出版社、製本屋はやっていた。しかも、いちいちこころざしや理想とか言っていなかったと思う。」

 その一方で、島元氏は今日の書物を次のように批判した。

「それに引き換え、いま出されている本は5年や10年で情報が古くなっているとかいう以前に80年後には残っていないだろう。岩波新書もいつの頃からか背をゴムでつけている。また、斎藤美奈子『文壇アイドル論』もカバーをとると何も書かれていない。カバーがなかったら終わり。装丁が考えられているのか。斎藤美奈子の『妊娠小説』も近代文芸批評の中で画期的な本だと思う。なのに、1、2年でなくなってよいような作り方をしている。作っている人が後世を信じていないのではないだろうか。」

 島元氏によれば古書店では本は3つに分けられるという。1番目は「つぶし」。これは廃棄するもの。2番目はrevalue。新しく価値をつけるもの。 1700円の本が3000円になったりする。3番目はその中間に位置するいわゆるリサイクル本。1700円が850円になったりする。そして、ここ数年、この「つぶし」がものすごく増えてきたと言うのである。

 そして、みずから経営する古書店で扱う本について、先ほど挙げた「編集後記」の中で次のように書いている。
「…取扱品を絶版書に限るのは原料選別の最低ラインでしょうか。新刊書を定価の何割引きかで売るのも古本屋のサービスの一つですが、しょせん昨今全盛の安売り商法に流されてしまいます。今回からは基準を厳しくして、絶版といえども刊行から十五年以上経ていないものは扱わないことにしました。」
 出版業界が新刊ラッシュと売上低迷という矛盾した状況にある今日、古書の世界からは「入ってきたときから腐っている本」という厳しい眼差しが注がれているのである。「鮮度重視」の究極がオンライン出版であるとすれば、島元氏の「反IT文明論」は本を時間のふるいにかけて見る古書店主の心意気なのであろう。

 島元氏の言うように、移動図書館の到着を心待ちにしていたような人々はいまではおそらくほとんど存在しないのだろう。いわゆる先進諸国ではどこでも本を渇望する時代は過ぎ去っているように思われる。このような状況をどのようにとらえるかは、論者によって異なる。出版に関する心情では私は島元氏と考えを共有する部分が多い。しかし、島元氏の「反IT文明」論に対しては、反論すべき点もある。

 このことについては、また次回に書くことにしよう。

ライブラリアンの底力(そこぢから)

 前回、「公共図書館が大学生の生活の一部になっているようには感じられないのである」と書いた。それは図書館の利用に関するアンケート調査の対象者であった京都学園大学の「メディア論」の受講生たちが、それほど本を読んでいるわけではないことを私が知っているからでもある。

 同じ受講生を対象とした読書に関するアンケートでは、最近1ヶ月間に読んだ本の数が0冊という学生が38%(16人)、1冊が19%(8人)と、回答者42人のうち、0~1冊が57%と過半数を占める。しかし、一方で10冊以上が5%(2人)と読まない人と読む人がはっきり二極分解していることも事実なのである。

 すでにこの連載の第18回「大学生は『紙』派か、『デジタル』派か?」のところで私が中部大学の「メディア論」の受講生を対象に行った同じ調査でも同様の結果がえられている。クラスの学生を対象にしたアンケート調査なのでサンプル数があまりに少なく、この結果から大学生一般を語るわけにはいかない。しかし、この連載の第15回「若者・ケータイ・読書」のところで書いたように、大学生活協同組合連合会の読書調査などの結果とも合致しているので、全般的な傾向と見てよいだろう。つまり読書頻度に関する調査からは「本を読む人の方が少数派」になっているということである。

 そうした状況をふまえながら図書館の利用についてのアンケート結果をみれば、いわゆる「調べもの学習」があるので図書館を利用するという学生の姿が浮かび上がってくる。そして、大学図書館も公共図書館もどちらも利用しないと答えた学生の中には、「最近、必要な情報は全てインターネットで調べているので、図書館はほとんど利用しません」と答える新たな層が生まれてきていることにこそ、注目せねばならないだろう。

 一言でいってこれは大きな誤解である、と私は思う。大学生のような若い世代が本来、図書館が提供すべき多様な利用者サービスの存在を知らない。それゆえに起こっている悲劇ではないのだろうか。さまざまな本を次々と図書館で借りて読むといった読書の愉しみだけでなく、調べたり学んだりする時に資料を探してくれたり、必要な情報を提供してくれたりする有能なライブラリアン、その豊かなレファレンス・サービスに出会った感動がないからではないだろうか。

 ところで、私は先週の土曜日(2003年1月25日)、大学図書館問題研究会近畿4支部新春合同例会に参加した。尼川洋子氏(大阪府立女性総合センター・企画推進グループ・ディレクター)の講演「ジェンダー問題と女性情報~大阪ドーンセンターライブラリーの活動とサービス」を聞くためである。この講演の中で尼川氏は次のように語っておられた。「図書室のカウンターに人は必要ない。利用者が来たら出ていけばいいのではないか」とか「書架が本で埋まってきたから、もう本は要らないだろう」といった行政職の人の図書館に対する認識は、図書館=自習のイメージしかないところに原因があるのではないか。行政の担当者自身が学生時代に、図書館員はとっつきにくく、話したこともないというイメージがある。図書館サービスを受けた経験がないのである。そこで尼川氏は女性センターにいる職員といういちばん身近かにいる人にまずライブラリアンとして手厚くサービスすることから実践したという。例えば毎朝、新聞5紙から関連する必要な情報を切り抜き各係に1部ずつ回覧することや、新人が来ると「ジェンダー」とか用語の意味が分かるように資料を提供するとか、ライブラリアンが持っている力を次々と見せてあげているというのである。

 情報は必要な人に結びついてこそ意味がある。どんな質問が来てもなんらかの情報を提供できること。しかも、動きのある生の情報を提供できることを心がけていることを尼川氏は強調していた。女性センターの場合、利用者が情報を求める背景にはその人が抱える現実生活上の問題が存在する事例が多い。これまでの経験や知識で対応できないがゆえに女性センターの資料や情報が求められているのである。これはまさにカウンター業務としての貸出・返却だけではとらえきれない「情報相談」が女性センターの情報ライブラリーの中核をなしていることをあらわしている。この発想はたしかにビジネス支援図書館と相通ずるものがあるだろう。

 また一方で、私には尼川氏が図書に限らず原資料のもっている力の大きさについて改めて語っていたのが印象的だった。15歳の人たちが書いた太平洋戦争の手記を大阪府立女性総合センターでは所蔵しているが、この手記を実際に見て「学校の授業で習った時は戦争の話が嘘のように思えたが、この手記を実際に見て嘘ではないと思った」と中学生が感想を述べていたという。「デジタル化も大事だが、原資料も大事」、と尼川氏は言う。

 1967年から1992年まで神戸大学附属図書館に勤務し、1992年に兵庫県立女性センター、1994年に大阪府立女性総合センターと2ヶ所の女性センターの情報ライブラリーの立ち上げにかかわった尼川氏は、大学図書館員たちを対象としたこの講演で図書館の理念と実践を改めて熱く語っていた。それは大学再編の渦中で針路を見失いがちな図書館の人たちにライブラリアンとしての自信を呼び覚ます意図をもってして語られたもののように私には感じられた。そして私は図書館の役割をまだ十分に知らない利用者たちにもこの講演を聞いてもらいたかったと思う。

 インターネットで調べられるから図書館は不要、というのは大きな誤解である。尼川氏が講演で強調していたようにいまこそ「派手なライブラリアン」がもっと利用者の前に現れてその底力を見せてほしいと私も思うのである。

公共図書館は大学生には無縁?

 前回は「ベストセラーをめぐる攻防~作家vs図書館」というNHKのテレビ番組を大学の「メディア論」の受講生に見てもらい、設問への回答を分類して示した。

 回答をみると大学生たちはきわめて冷静に図書館の複本問題をとらえ、その本質を突いた意見が出ていることに気づくのである。

 設問の第一の、公共図書館がベストセラー本などを複本購入して利用者に提供することについては、利用者として歓迎する意見と賛成できないという意見に分かれた。

 まず、「歓迎派」は無料で読みたい本を読めるのだから利用者にとってこれほど良いことはない。また、本が出版されてすぐに読みたいから予約待ちは嫌だ、という。図書館に本が置かれることは作家が世間に認められるということだから喜ぶべきである。そして、読者は必要な本は手もとに置いておきたいのだから作家はおもしろい本を書けばいい、という意見である。

 一方「反対派」は、図書館は本屋と違うのだから1つの作品を1冊購入して貸し出すべきである。また、ベストセラーはあとになってあまり借りられないから有効に税金が使われていない気がする。さらにベストセラーは図書館を平べったい感じにしてしまうとも主張している。

 ところでベストセラーなど人気のある本の複本購入に対して賛成も反対もあえて表明せず、必要な本は借りずに買うので関係ないと答えた人たちもいることを忘れてはならない。

 設問の第二の、出版社が販売機会を奪われていると主張することについては、「出版社に同情しない」が「出版社の言い分ももっともである」を上回った。読者の立場からすれば出版社の事情よりも自分たちの財布の中身の方が気になるという意見である。

 設問の第三の、作家などが図書館での貸出に制約を考えていることについては、「制約はない方がいい」や「どちらがいいか分からない」より「制約はあった方いい」と答える人が圧倒的に多かったのは意外だった。

 制約の内容を具体的にみてみると、新刊書の貸出は一定期間しない、一つの図書館での複本購入冊数に上限を設ける、図書館に売る本を高く設定する、 1冊に10円払う、といった結構、核心を突く意見が出されている。CDやビデオのレンタルに慣れた発想が大学生にはあるのだろう。

 設問の第四の、図書館のネットワーク化、ビジネス支援については、そうした取り組みに期待するという意見が多かった。自分の目的にあった本を探してくれる司書が増えれば今まで図書館を利用しなかった人も利用する、という意見。利用者のニーズにぴったりの図書館があれば生活になくてはならない存在にもなり得る、といった前向きに評価する意見が多かった。

 ただ一方では、ネットワーク化よりも1ヶ所にあらゆる資料がある方がよいという意見もあった。

 以上、大学の「メディア論」のクラスでの調査概要を述べてきたが、この調査で注意しなくてはならないのは、公共図書館の複本問題に対する大学生の意識は以上のように分類することができても、それは大学生の公共図書館の利用実態をそのまま表しているわけでは全然ないということである。文化コミュニケーション学科の「メディア論」の受講生なのだから、メディアには多少なりとも興味がある学生のはずなのだが、その学生たちにしても公共図書館を利用している人たちは少ないようなのである。

 やや資料づくしになるが、以下の調査を見ていただきたい。以下に示すのは2002年10月12日に同じく京都学園大学の「メディア論」受講生を対象に実施した図書館利用に関する調査の結果である。

【設問】

10月7日、国立国会図書館関西館がオープンしました。ところで、あなたは図書館をよく利用しますか? 「公共図書館」派、「大学図書館」派、「両方利用する」派、「どちらも利用しない」派? いずれかをまず書いてから、図書館の利用について自由に意見を述べてください。

【結果】

回答者46名(カッコの中に参考までに学年を記載)

「公共図書館」派(4名)
●私は「公共図書館」派です。大学生になってから図書館は利用していません。でも最近、とても本が読みたくて家から一番ちかい図書館に行ってきました。けど休館でかりることができませんでした。よく思うんですけど、休館日とかケイタイですぐ調べられるようになればいいなあと思います。本を読むのは大好きだし、図書館の雰囲気も大好きなので、これからはマメに通いたいと思います。せっかくタダで本が読めるのでたくさん利用したいです。学校の図書館は場所がちょっと遠いのと、新しい本があんまりない気がしてめったに行かない、というか、何回しか行ったことがないです。(2回生)
●「公共図書館」派。本を借りに行く必要がある時は近くの図書館まで足を運ぶ。これまでは読書感想文や自由研究と言った夏休みの宿題に使う本を借りに、毎年夏休みに行っていたが、大学になってからはレポートを書くのによく本が必要となったので、今年になって既に3回程借りに行った。大学の図書館にはほとんど行っていない。慣れている所の方が気軽にいられて良いからだ。(1回生)
●「公共図書館」派。私が読む本は小説が多いので、公共図書館を使っています。大学図書館は利用したことがなく、専門的な本が多いようなので、レポートなどで調べることがあれば利用しようと思っています。(1回生)
●「公共図書館」派。本などを買って読むのもいいけれども、高くついてこまるという点では図書館は静かでいつでも好きな時に読めたり、また好きな作家の本を時間にかんけいなくよめる所とかでよく利用します。(2回生)

「大学図書館」派(18名)
●「大学図書館」派。授業の空き時間に利用できるし、静かなふんいきが好きだから。(1回生)
●私はあまり本を読む事を今までしなかったため、図書館や本屋に行く習慣がありませんが、大学に入り、いろいろ論文等、利用する機会が増えたので行きます。しかし、大学のレポートや論文で使う本は値段が高いのが多いし、専門すぎたりとかして本屋に置いてない場合や買えない場合が多いので、私は図書館の方が多く利用します。中でも大学の図書館をよく利用します。亀岡に住んでいるので、公共の図書館の数も少なく場所も遠い。蔵書数も大学の方が多いので、調べたい本がある可能性が高い。図書館は利用しやすく、交通の便の良い所の方が、利用者が増えると思う。例えば駅前とか。(4回生)
●図書館はあまり利用しない。私は「大学図書館」派です。あまり本を読まないので、大学図書館もあまり行かないけど、やっぱり学校の方が勉強でわからないところは必ず大学の図書館にあるので、探しやすいし、利用しやすいと思う。公共は一般の人の利用もあって、おちつかない。大学の学習分野のは大学にそろってあるし、調べたりするといったら、大学の勉強のことなので、私は大学で十分だと思う。(2回生)
●「大学図書館」派。特に本を借りるわけではなく、勉強をしにいく。問題集などを貸し出してくれるとうれしい。(3回生)
●「大学図書館」派。家の近くに公共図書館がないので大学の図書館を利用します。図書館には調べものがある時ぐらいしか行きません。(3回生)
●「大学図書館」派です。僕は基本的に本を借りるのはあまり好きではなく読みたい場合は買います。しかし、ちょっと調べたい時や授業関係でしかたなくの時は大学の図書館を利用しています。借りて読むのが好きではないのは、ゆっくり読みたい気持ちがあるのと面白ければ何回も読みたくなるからです。読むのが遅い僕はまんが喫茶は絶対利用しません。もったいない。(2回生)
●「大学図書館」派。私の町には公共図書館がなく、県立の図書館にも遠いので行きません。大学図書館はレポートをする時にしか利用しませんが、毎日大学に来ているので利用しやすいです。国立国会図書館に僕は行ってみたいですけど、借りるのが面倒とか……。図書館は借りやすい所が一番いいです。(2回生)
●図書館はあまり利用しない。大学のレポートなどの時に、調べものや、資料のために、大学図書館を利用するくらいだ。本を読みたいなら、書店で買うし、書店の方が種類も多いし、新書もチェックできるし、新品できれいだから。それに、私は、図書館では、落ちついて本を読むことができないので。ビデオ、DVD についても、同じように落ちついてみれない。(2回生)
●大学図書館を利用しています。毎日、学校に来るからです。(3回生)
●僕は「大学図書館」派なんですけど。大学でもし時間があったら、よく図書館へ行って本を読んだり、雑誌を読んだり、ビデオを見たりします。すごく便利だと思います。(3回生)
●大学に入学してからは「大学図書館」派になったと思うが、高校の頃は「両方利用する」派だった。高校の場合、本の種類が少なく公共図書館まで行っていたが、大学の場合は種類も多いし、「大学図書館」派になった。図書館利用は一般の人にとても役立つと思うし、なかなか買えない高い本やマンガなどもっと分野を幅広くしてたくさんの本をおいたら人生にも役立つと思うし、利用者も増えると思う。(2回生)
●私は大学図書館だと思います。私は昔から図書館というか本がたくさんある場所の雰囲気が好きで、余裕のある時は行きたいと思っていますので、行ける範囲に公共の図書館があればそちらにも行ってみたいです。(2回生)
●「大学図書館」派です。大学の図書館はよく授業のレポートなどをやるのに利用します。やはり大学の図書館の方がレポートをやるのにつごうがよくおなじ年代の子が多いので行きやすいです。(2回生)
●「大学図書館」はよく利用します。いろんな資料が調べられるから便利だと思う。それも静かに中で勉強ができる。(3回生) ●「大学図書館」派です。何故って、やっぱり近いからです。返す必要があるので近くにないと使いにくいし、大学図書館は割りと本の状態が良いので。(1回生)
●たまーに大学の図書館に行きます。公共図書館は家から歩いて10分位のところにあるけど、まったくとおらない道にあるのであまり行かないし、あまり本が置いてないのでめったに行きません。本屋さんに欲しい本があっても、お金がなくて買えないし、本を買うくらいなら服代にまわしています。自分の欲しい本が図書館にいってもあることはないし、とりよせてもらってまで読む気もないので、気付いたら本離れしてしまっています。でもお金さえあれば本も買いたいです。(1回生)
●僕は「大学図書館」派です。大学図書館には読みたい本もあるし、週に5、6回大学に行くので、大学図書館を利用します。図書館は無料で多量に借りられるのでとてもよいと思います。(1回生)
●僕は「大学図書館」派。図書館を利用することが少ないのですが、調べることがある時は大学図書館です。まず家の近辺に公共図書館がありません。図書館はどんなところにもあって場所によって本のそろいはさまざまですが、どこの図書館も便利で静かでふんいきが好きです。(1回生)

「両方利用する」派(16名)
●「両方利用する」派です。それは参考書や資料等、探す物によって選ぶからです。(1回生)
●「両方利用する」派です。でも本を借りるために利用するというよりは、「勉強の場」として利用しています。小学生のころから静かで集中できるのは図書館だと思っていて、実際テスト前か受験生の時には近所の図書館や学校の図書館をよく利用していました。本を借りるために利用する場合は、学校の図書館よりも公共図書館を活用しました。そっちの方がパソコンで検索ができるので探しやすかったし、品数も多かったからです。(1回生)
●私は「両方利用する」派です。図書館は雰囲気が落ち着いていて、中は静かだし、レポートなどを書くときなど利用します。家では勉強などするときは集中できないので、公共・大学図書館など勉強できるような空間の所を利用します。大学図書館は講義と講義の間の空き時間によく行きます。公共図書館は休みの日など、大学図書館に行けないときによく行きます。ときどき、返却期限がすぎてしまうこともあるので気をつけたいです。(1回生)
●今は、あまり通っていませんが、「両方利用する」派です。学校のレポートなどに必要な時ぐらいしか利用しませんが、どちらも使っています。その時の気分で。でもやはり期限があるので、めんどうくさいなと思います。(2回生) ●自分は「両方利用する」派だ。平日は大学図書館、土・日は公共図書館を使う。ただ、公共図書館の方が幅広い分野のものがあるので便利だ。図書館を利用する目的は、ほとんど新聞か雑誌が目的で、その他の本はほとんど読まない。でも、図書館は自分の世界にどっぷり入れるので、時間があればよく利用する。(1 回生)
●「両方利用する」派のどちらかと言えば「公共図書館」派です。時と場合によっては「大学図書館も利用しますが、やっぱり家の近所にあって、日頃小さい頃から使い(通い)慣れてる方が、行きやすいので、「公共図書館」をよく利用します。なぜか大学よりも地域密着型の公共の方が行きやすい雰囲気がある気がします。(2回生)
●私は公共図書館も大学図書館も両方利用する派です。私の場合、本を読むために利用するのではなく、レポートの為に利用することが多いです。読みたい本は自分で購入して読むのでそのようなことがないのです。それにしても大阪にオープンしたあの図書館はスゴイ!!テレビで見てびっくりしました。(3回生)
●「両方利用する」派。大学図書館では授業内容に合う本がたくさんあるので期末テスト前に利用する。公共図書館は面白い本を見つけたら借りる。(2回生)
●私は「両方利用する」派です。大学生になってよく公共図書館に行くようになりました。家にいるより集中できるし、涼しい暖かい。それに大学にない小説やエッセイ集があるから利用します。ただ少し遠いのと6時には閉まってしまうことが難点です。学校の図書館はレポートなどで利用しています。やはり学部にあった本が多いし、学校に来るついでに借り、返しができるので便利だと思います。(3回生)
●両方利用する派です。大学に入ってほとんど毎日大学に来るから、大学図書館を利用する方が便利だと思います。もし、大学図書館で必要な資料が見つけられない場合は公共図書館へさがしに行くと思います。(3回生)
●僕の図書館の利用方法は試験前に静かに勉強したい時や一人で静かにボーッとしたい時に利用する程度です。そう頻繁には利用しませんが落ち着いて勉強ができる為、活用させてもらっています。大学図書館と公共図書館では両方利用しますが大学図書館は騒がしいことがあるので公共図書館の方が好きです。(2回生)
●両方利用する派。普段は大学図書館を利用するけど、たまに公共図書館を利用する。あんまり行かないけど、大学の図書館に行けば必要な本はそろってるので大学の方を利用するけど、公共図書館は広くて本の種類も多くて、大学の図書館よりも静かだし、居心地がいいからたまにはいいと思う。(4回生)
●「両方利用」派です。もし見たい本は「大学図書館」でなかったら「公共図書館」にあるかもしれません。(3回生)
●授業でレポートが出た時だけ行きます。その時は両方利用します。図書館は少しかたくるしいイメージがあるので、あまり行きたいとは思わないです。でも最近はCDやビデオを置いてる図書館もあると聞いたので、そういう図書館なら行きたいです。(3回生)
●僕は両方利用する派です。公共図書館ではよく書物を調べたり、大学では館内のパソコンでインターネット等を活用したりするので非常に便利です。(2回生)
●私は「両方利用する」派です。大学図書館を利用し、欲しい本がない場合に、公共図書館を利用するようにしています。(3回生)

「どちらも利用しない」派(8名)
●どちらも利用しない派。最近はインターネットを使えば家から出ることもなく、調べたいことがすぐに調べられるので利用しない。(4回生)
●ぼくは図書館をあまり利用したことありません。ぼくは読書はあまりしないからです。昔はけっこうしていたが高校・大学になってあそんでばっかりで本をよまなかったので最近漢字がやばくなってきました。(1回生)
●ぼくは「どちらも利用しない」派です。図書館の本は公共の本で自分の他にも借りた人がいるし、これからも借りていく人がいます。その人達のことを考えると「汚してはいけない」とか「ページが折れたりしてはいけない」と思ってしまい、楽に読めない部分が自分の性格としてあるのです。自分の本ならページが折れてしまったりしても「仕方ないか」で自分だけがガマンすればいいことです。でも借り物の本はそうはいかないので気を使ってしまいます。もうこれは自分の性格の問題なのですが。だから読みたい本は買ってます。(1回生)
●僕は図書館はあまり利用しないです。受験の時は行ったりしたけど、最近はほとんど利用してない。図書館は静かで集中して本を読んだり、勉強するにはいいが、図書館が家から遠い場合などは不便だし、利用しようとも思わない。(1回生)
●「どちらも利用しない」派。最近、必要な情報は全てインターネットで調べているので、図書館はほとんど利用しません。(1回生)
●私はあまり図書館は利用しません。調べ学習がある時くらいだと思います。図書館へ行くよりかは普通に書店に出向き、本を買う方が多いと思います。それに本を読む時間が今はないのであまり読みません。(1回生)
●「どちらも利用しない」。公共図書館に行きたいけど、場所が遠い。大学図書館は私が読みたいと思う本がなかった。高校の時は興味のある本がいっぱいあったんですけど……。(1回生)
●どちらも利用しません。それは今のところ利用目的がないからです。でも、図書館はとても便利であると思う。なぜなら、わざわざ本を買わずに無料で借りて読むことができるからである。一度だけガレリア亀岡の公共図書館に行って、3冊ほど本を借りたのですが、読む時間がなくて、結局読まないまま返却してしまいました。だけど、今日のこの授業を受講して、何だか急にその読めなかった本を読みたくなったので、また借りに行こうと思います。(1回生)

 以上の調査結果から私は次のように考えた。

 まず、「公共図書館」派の人の意見を見ると、好きな作家の本を自由に読むために公共図書館を利用する人がいるようである。
 一方で「大学生になってレポートを書くのに大学図書館を利用する」というのは、必然的なことである。「蔵書数も多い」「毎日行くところだから」「授業の空き時間に利用できる」「静かだから」といろいろな理由が挙げられているが、やはり基本は大学の学習に必要な文献が大学図書館には揃っているということだろう。しかし、「調べる」という機能面からは逆に「インターネットを使えば調べられるので利用しない」という人も現れてきていることは注目に値する。「両方利用する」派は、利用する文献によって使い分けるということだろう。「調べる」のは大学図書館、「借りる」のは公共図書館という人も多いようである。また、結構、「自習室」としての図書館利用派も多い。

 「どちらも利用しない」派は、「読書しない」「ゆっくり読めない」「インターネットで調べるから利用しない」とさまざまな事情から図書館に行かない。

 この調査結果をみると、全般にそれほど本を読んだり、本を調べものに利用したりしているわけでもないように思える。つまり、「レポートを書く必要があるときだけ、図書館に行く」という行動をとる人が多いように見受けられるのである。また、「利用する」という人も授業の空き時間に大学図書館に行く、雑誌やビデオをみる、インターネットを利用することを「利用する」に含める人と、本を借りたりしなければ利用したうちに入らないと考えている人もいて、設問の受け止め方が回答者によって異なるようにも思える。

 いずれにしてもこの調査では公共図書館が大学生の生活の一部になっているようには感じられないのである。

大学生は図書館をどのように見ているか

 図書館の貸出をめぐる論争が盛んである。2002年11月7日にはNHK総合テレビ「クローズアップ現代」で「ベストセラーをめぐる攻防~作家 vs図書館」という番組が放送された。そこでこの番組を11月30日に京都学園大学人間文化学部の「メディア論」を受講している学生に見てもらい、レポートを書いてもらった。なお、回答者は1回生から4回生までの41名である。

【設問】
本日のビデオ「ベストセラーをめぐる攻防~作家vs図書館」(NHK総合テレビ「クローズアップ現代 no.1659」2002年11月7日19:30-19:55放映)を見て、

1●ベストセラーなど人気のある本を公共図書館が大量に購入して利用者に提供すること、

2●出版社がそのことによって販売機会を奪われていると主張していること(「売られているのが8億冊、借り出されているのが5億冊」?)、

3●作家などが図書館での貸出になんらかの制約が必要ではないかと考え始めていること、

について、読者の立場でどう感じるか、自由に書いてください。

4●また、番組で紹介されていた図書館のネットワーク化やビジネス支援の図書館など、新しい図書館の取り組みについて、感想があれば書いてください。

【回答分類】

1●図書館がベストセラー本を提供することについて

利用者としては歓迎である
●ベストセラーが大量に購入されると読みたいひとに広く行き渡るから、読者側の立場なら得である。
●図書館の貸出が有料であれば、それは作家などになんらかの保証をされるべきだと思うが、図書館での貸出は大体が無料である。その場合どうであろうか?図書館に著者の本が一冊置かれることで多くの宣伝になるわけで、それが売り上げに通じると思うので図書館に本が置かれていることは世間に認められていることであり、作家としては喜ぶべきことではないだろうか。本が置かれることのない作家だっているのだから。
●人気のある本を図書館で貸出してくれているのは、私たちのような利用者にとってはとても便利だと思います。そのことで出版社などの販売数が減ってきているのもまた当然の事だと思いました。
●読者の立場から見るとそれはうれいしいことだと思う。新作は人気があってすぐに借りられてしまうだろうから、大量に購入してもらえれば借りやすい。本が返却されるまで待っていたらその本は新作ではないものになってしまう。
●読者から見れば、ベストセラーの本がただで借りられるのだから、これほど良いことはないと思う。
●現在、公共図書館の本は増えている一方、利用の人も多くなっている。だから公共図書館が大量に購入する。借り出せるなら、皆借り出したいから、別に本を買わなくても読めるから、図書館を利用する。
●読者の立場から公共図書館でただで読みたい本を読めることが一番いいと思います。例えばレポートのためにとか、あまり使わない本は図書館であれば、借りればいいです。
●読者の立場としては図書館の大量購入について賛成である。私たちはおもしろい本を出来るだけお金をかけずに読みたい。図書館はそんな私たちにこたえてくれている。だから賛成である。
●読者として、ベストセラーが図書館で借りれることは安くあがっていい。でも読みたい時に、予約待ちで2ヶ月とか6ヶ月も待ってまで読みたいとは思わない。本が出てすぐ読みたいから、予約待ちは嫌だと思う。
●それが図書館の元々の役目だから仕方ないのでは?CDでもそうだが、借りて読むことと買って読むことではまた違う価値がある。本そのものが好きなら買って、ただ読みたいだけなら借りればいい。
●公共図書館がベストセラーの本を購入して提供することはいいと思います。そのせいで書店などの売り上げが下がるのはしかたないことだと思います。図書館は市民に多くの本を貸し出すことが仕事なのでしかたないことだ。
●僕にとっては公共図書館がベストセラーや人気のある本を大量に購入して利用者に提供することはとても喜ばしいことである。なぜかというと、お金を使って本を買うよりも、無料で借りれることの方が非常に得だからである。
●利用者の読みたい本が図書館にあれば、図書館に行こうという気にさせ、良いこと
だと思う。
●出版社が販売機会を奪われるという問題点は確かにあるが、図書館が生き残っていくためには、ベストセラーを置くことは良い方法だと思った。ニュースでハリー・ポッターの新刊がものすごい速さで次々に売られていくのを見た。書籍もこんなに大量の売れ行きなのだから、図書館も行動を起こしてもいいと思う。利用者にとってはうれしいことだし。
●たしかに図書館に行ってベストセラーの本を無料で見ることができる点はいいことだと考えます。例えば、ハリー・ポッターの本を読みたいなと思った時に本をかうとお金がかかってしまうという点がありますが、その本を無料で貸してもらうという点はいい所だと思います。だから図書館の取りくみについては私はいい方法だと思います。
●ただ読むだけで満足出来る本はタダで読める図書館がとてもありがたいです。僕は今の図書館のやり方で賛成である。なぜなら人気のある本を大量に購入しても、必要な本はずーと手もとに置いときたいので、きっと買うと思う。作家さんにはわるいがおもしろい本をかけばいいと思う。

ベストセラーの購入には賛成できない
●ベストセラーの本や人気のある本ばかりを購入せず、番組の中で言っていた図書館によって置く本や専門書を分ける方がいいと思う。それによって作家と図書館の関係も緩和されると思う。
●最近では図書館の利用者が減っているとはいえ、図書館側がそこまでのサービスをするのはやりすぎでは、と思ってしまう。
●公共図書館が無制限にベストセラーを購入するのは反対です。ビデオで観てとても驚いたのですが、同じ本を100冊以上同じ図書館に入れるのはおかしいと思います。本屋とは違うのだから1つの作品を1冊購入して貸し出すのが理想ではないでしょうか。書架に同じ本がびっしり並んでいる光景はおぞましかったです。
●発売と同時に本が貸し出されるのは少し問題があると思う。それがベストセラー本だと本の売り上げが伸び悩み、作者に収入が入らず、出しても出しても利益が出なくなる悪循環になる。図書館側はそれでうまくいってもどこかでうまくいかないところが出てしまう。
●図書館は税金で成り立っているのだから、市民の意見を聞くのは当然だと思うけど、ベストセラーの大量購入はあまりよくないと思う。ベストセラーはその時だけだし、あとになってあまり借りられなくて在庫のように貸し出されずに残るような気がする。それでは有効に税金が使われていないような気もする。
●ベストセラーの大量購入はやめて、購入の制限をしたらいいと思います。不満に思う図書館の利用者もいると思うが、そこは図書館側がなんとかしないといけない。ベストセラーにたよらない図書館がこれかれもふえるとうれしい。
●人気のある本を仕入れるのはよいことだと思うが、人気取りのためだけに仕入れるのならやめたほうがよい。
●図書館がベストセラーを大量に購入することは問題があると思う。利用者のリクエストに応じるのはよいことだと思う。しかし、発売日の翌日に貸出がおこなわれていることに驚いた。何年かしたら読まれなくて書庫に入っているなら大量に購入することはないと思う。
●公共図書館の本来の目的は確かに利用者のニーズにあった図書を貸し出すことだが、過剰な大量購入はやめるべきで、当然購入冊数を制限するべきだろう。大量に購入しすぎると、その本のブームが終わった後、大量に同じ本が余る上に、財政の圧迫にもつながる。人気のある本をおくのは、いいことだと思うが、限度があると思う。
●出版社のことを考えると、大量購入というのはまずい気がする。そんなに読みたいのなら読者が買った方が早く読めていいと思う。
●ベストセラーのある図書館はなんか平べったい感じがして魅力がないように思います。ベストセラー本はある意味、「流行物」なので、そういうその場しのぎ的な感じはいいように思えないです。
● 図書館のリクエスト制度は良いシステムだと思いますが、人気の本を大量に購入して提供するというのは、図書館の役割と少し違うのではないかと思います。

借りるより買う方を選ぶ
●私の場合は読むのが遅いので、延長で「再借」のも手間がかかって嫌だし、貸出期間・返却日を気にせず、ゆっくり読みたいので、お金を払ってでもいいから買って読みます。だけど、まずは新古書店で探します。それからビデオを見て、図書館でハリー・ポッターの新刊は、予約待ちがひどくて半年ときいて、それは待つだけ無駄だと思った。それだったら、レンタルビデオと同じように予約なしで提供したほうがいいと思う。これは借料があるかないかで予約のある・なしが関係するのだろうか?
●本を大量に購入して利用者に提供することがいいアイディアと思うけど、1ヶ月~2ヶ月までなかなか利用できないです。やはり自分は本を買って家でゆっくり読む方がいいと思う。
●読む価値がある本とか何回読んでもあきない本なら、買うべきだと思います。価値がある本は個人によって違います。
●読者の立場で考えるなら、図書館で貸出することはたしかに便利だと思います。けど、もし書物に趣味があって、書物を保存したいなら買ってもいいと思います。図書館でいろんな資源が利用されていて、すごくいいと思います。しかも便利だし。けど、ひとつだけ、借りるとまた返さないと。ちょっとめんどくさいと思いますね。
●私はベストセラーが図書館で無料で読めたとしても、その本が本当に面白ければ、何度も読み返し、手もとに置くために買うと思う。一度、映画館で観た映画をDVDで買う人が多いので、こういう人は結構いると思います。なので、よっぽど中身が良ければ売れると思います。
●ただで本を借りられるのはありがたいが、個人的には図書館にいって本を見るより、近所の本屋の方がすぐに行ってみることも買うこともできるので、図書館のやり方は、いいとも悪いとも言えない。
●ベストセラー大量購入について、別に私はいりません。(大量購入する必要なし)
理由:話題書は忘れた頃に読むタイプだから&本当に読みたい本は購入する(コレクションしたい)タイプだから。
● 読者の立場からだったら、私はハリー・ポッターみたいな大好きな本は図書館で借りて読むのではなく、ちゃんと本屋さんで買ってカバーをつけて、家に保管しておきたいです。

2●出版社が販売機会を奪われていると主張することについて

利用者は同情しない
●出版社が販売機会を奪われていると言われても利用者は同情しないと思う。
●読者の立場だと出版社の事情よりも自分達の財布の中身の方が気になるので低価格(無料?)ですむ図書館を利用したい。
●仕方のないことだと思う。図書館側は読者のニーズに応えて対応しているだけだし、仕方ない。
●出版社が販売機会を奪われてしまうのはしょうがないかなと思う。やっぱり、お金がかかるのとかからないのでは大きいし、それでもって、同じものを読むことができるのだから…。図書館にとっても出版社にとっても有利な方法を考えたい。
●出版社はあらかじめ図書館を利用する人の事を考えて出版すればいいんじゃないのかなぁ。
●販売機会はいくらでもあるでしょ。精力的にファンサービスして欲しいですね。
●自分たちの利益だけを考えているなら、いつまでたっても図書館には勝てないと思います。読者側としては、借りれるなら借りて読む方が、金銭的にも助かる。

出版社の言い分ももっともである
●書き手と出版社が一対となって作りあげた本がおもしろくなくて売れないのならまだしも、図書館のベストセラー偏執によって生じるとしたら問題だと思う。
●奪われていると主張していることは正しいと思う。やはり商売なので、売り上げが下がるのでこの主張は正しいと思う。
●たしかに図書館で大量購入することによって、利益が失われているような気がする。1つの図書館で100冊位購入されていて、それによって売れる本も売れなくなっていると思った。

どちらともいえない
●確かに出版社が言うことはもっともだと思うけど、この不況の中、何冊も大量に本を買うことはできないと思うから、そこの辺は出版社も妥協しなければいけないと思う。
● その辺はいろいろと試行錯誤が必要だと思う。うまく出版社と図書業界がつりあっていけるかを十分考えていくべきだ。本屋があるから図書館があり、図書館があるから本屋がある。

3●作家などが図書館での貸出に制約を考えていることについて

制約はあった方がいい
●新刊書の貸出は一定期間しないというような制約があったら、早く読みたいと思う人は本を買うだろう。一定期間待つことは、無料で読めるのだからしかたがない。だから、制約はあったほうがいいと思う。
●新古書店やCDと同じく、お金のかからないほうに行くのは仕方ないと思うけど、出版者側としては、そのことによって何億冊も失うのは大きなダメージになるので、制約をつけたほうがいいと思う。
●新刊本が発売の当日や翌日から図書館で貸出しているのには少し驚きました。CDのように一定の日数がたってからでないと貸出できないような制度をもうければ少しは販売数が増えるのではないかと思います。
●1つの作品を何冊以上までなら同じ図書館に置けるといった制約を適用するべきだと思います。作家と出版社の死活問題だと思うので。
●私も必要だと考える。作家さん達にも良い作品を書いたらそれだけの利益がないといけない。そうしなければみんな作家になろうとか、良い作品を作ろうという気がしなくなるだろう。
●我々利用者からしてみればとてもいいことだが、作家にしてみればやはりはらがたつので制限したほうがいいと思う。
●やはり制約はいると思う。作家が一生懸命に書いたのに、そのせいで収入が下がるのでやはり制約は必要だと思う。
●私も、同じ本を100冊とか購入するのはどうかと思う。どんな制約とかは想像つかないけど、いまのままではいけないと思う。
●確かになんらかの制約を必要とした方が良いと思う。けど本を読んでもらえるという事だけでも良い事もあるとは思う。図書館の貸出については本の販売から半年後か1年後にレンタルすると良いと思う。
●CDに最近CD-ROMに複写できない構造がされているが、図書館での貸出の制約にも応用できないかなぁ…と思う。作家にも出版社にも悪影響なのがかわいそう。図書館と出版社がある程度のルール(ベストセラーは発売から1年後から貸し出すなど)を決めたりすればよいと思う。本を貸し出して何年かは作家に使用料を払う。営利目的にならなければ図書館はもっとたくさんのサービスに挑戦したほうがよいと思う。
●私は田舎の図書館を利用していて、ベストセラーがすぐ借りれないのが当たり前だったので、作家さんたちが制約を図書館に申し出て、受け入れられてもいいと思う。作家のみなさんは1冊の本を出すのに身をけずってるんだから、それを簡単に即、無料で読まれちゃ、あまりにむごい。確かに無料というほど魅力的なことはないけれど、そんなにすぐ読みたければ、本の1冊や2冊くらい自分の金を出して買うべきだと思う。
●作家の人達からすれば売り上げが減ることは収入が減ることになるので、制約は必要だと思う。
●実際にどうかわからないのだが、出版社は「この本は150万部売れた。でも図書館の貸出分を入れればもっと売れたのに」と言っているように思う。作家も「図書館で自分の本が借りられて読まれたら収入が少なくなるので困る」と平たく言えば、そう言っているように思えた。なら、貸出初めの期限をどうこうするのではなく、図書館にだけ高く売りつけるなどの条件をして売ればいいのではないでしょうか。
●出版社に被害が及ぶと、自分達(読者)の首を絞めることにもなる訳であるし、図書館に置く同じ本の数は、何か制約を決めた方がいいと思います。
●ベストセラーになる、ならないに関係なく、図書館が貸し出すのは1ヶ月くらい本の出版から遅らせるぐらいの事は必要だと思う。
●作家が図書館の貸出に制約が必要であると思っているのならば、制約をすれば良いと思う。
●図書館のその行いは出版社などにとって迷惑でもある。ベストセラー本は1年後に図書館においたり、著作権については1冊に10円を払うなどという対策をとっても、良いかもしれない。
●制約は…あった方がいいと思います。学生の立場からしたら特に。ベストセラーの為に専門書が減るのは痛いですから。

制約はない方がいい
●図書館はずっとただで貸しているのだから制約は必要ないと思います。
●貸出の制約は必要ないと思う。
●私達は図書館に行けばある程度の本がそろっていると認識しております。しかし、図書館は公共の場所であり、たとえ借りるのはタダであっても返却する期限は決まっています。それが制約でよいのではないでしょうか。私はこれ以上、作家が図書館に対して制約を加えると、今までよりずっと本の流通、貸出も含めた流通が減るのではないだろうかと考えます。実際、私は卒論で大量の本を必要としていますが、それを全部買うとなると大変なことになると思います。
●図書館で本を借りる時に、利用者に負担をかけるようなやり方にはして欲しくない。
●図書館での貸出に制約する必要はないと思う。1ヶ月遅れて貸出することとかはしなくていい!

どちらがいいか分からない
●出版不況の現在で出版社側がそう主張するのも当然かもしれない。同じく創作活動によって生活している側が訴えを起こすのも良くわかるが、やはり創作側と消費者側の考えの違いがあるので、訴えがそう簡単に通るのだろうかと思ってしまった。図書館が利用者を増やすために新たなサービスに力を入れるのは良いことだと思っていたけど、思わぬことで問題があったことに気付いた。
●あまりよく分からない。なぜ、どんな制約が必要なのか、もっと分かりやすく伝えて欲しい。

4●図書館のネットワーク化、ビジネス支援について

ネットワーク化、ビジネス支援に期待したい
●図書館が市民に積極的に情報を提供した方がいいと思った。
●図書館のネットワーク化やビジネス支援のような専門化することもいいことだと思います。自分の目的にあった本を探してくれる司書さんももっと増やすことができれば、今まで図書館を利用しなかった人達にも簡単に利用することができると思います。
●専門書を集めた図書館はいいと思う。最後の浦安の図書館は今までの図書館のイメージとは違って、本のスペシャリストを備えた、利用者には申し分ない役割を果たしていると思う。利用者のニーズにぴったりの図書館があればそれは素晴らしい事だと思うし、図書館が身近に感じることができれば利用者も増えて、生活になくてはならない存在にもなり得る。しかし一方で、業者あっての本であることは間違いないのは忘れてはいけないし、業者に及ぶ損害は見直していくべきだと思う。
●ネットワーク化やビジネス支援の図書館が設立されたらもっと便利に利用されると思う。
●紹介されていた図書館のネットワーク化やビジネス支援はとてもいいと思います。アドバイスがもらえます。
●むしろネットワーク化などをしてそこの図書館にない本までどんどん取り寄せてもらい、図書館の利用率を高めてもらうことこそが、日本全体の教育レベルの向上につながるのではないだろうか。
●浦安市立図書館のあのサービスはとても良いと思う。自分で資料を探す手間が省けて、その分を資料を選ぶことに時間をかけられるのでとても有効的だ。
●図書館のネットワーク化はいいと思う。地域にあった本を選んで置いていることは利用者を増やすことになって、ベストセラーを大量に購入しなくても利用者は図書館に来ると思う。
●神奈川県の県立図書館のように、各館で専門分野を分担することは、良いことだと思う。全ての図書館が人気本をおく必要はないと思う。料理本を専門にして生き残っている大阪の本屋を思い出すと、図書館にも同じことがいえると思う。
●図書館のネットワーク化やビジネス支援によって図書館の利用がどんどん便利になっていけば良いなと思った。
●ネットワーク化の考えは、なるほど、と感心させられた。これからは新しい指向を生み出していかないと、生き残れないと思う。
●ビジネス支援の図書館はこれからどんどん増えてほしいです。

ネットワーク化よりも1ヶ所にある方がいい
●図書館が特化することを求めているのは大いに結構だと思います。でも図書館は直接足を運んで資料を見る所なのでいちいち取り寄せてもらうのは面倒です。都市部に住んでいる人はいいでしょうが、田舎に住んでいる人は自由に利用できないだろうなと思います。
●図書館のネットワーク化やビジネス支援の図書館について、もしこの図書館である本がなかったら、また別の図書館から取ってくると、また1日かかりますから、やはりひとつの図書館に全部あるほうがいいと思います。
●ネットワーク化やビジネス支援の図書館については、便利でいいと思う。しかし、専門図書館よりも一般書籍も多数ある方が、私たち普通の一般人は利用しやすいと思う。

新刊書店のような公共図書館

 最近、私は公共図書館をあまり利用しなくなっている。20年くらい前、明石市に住んでいたときは明石城公園にある自宅から歩いて10分ほどの明石市立図書館を毎週のように利用していたものである。月に2回発行される「これから出る本」を毎号チェックして、行くたびに2、3冊は新刊書籍をリクエストしていたのではないだろうか。明石市立図書館はほとんどすべてのリクエストに応じてくれ、毎週のように自宅に電話がかかり、私はリクエストした本を借り出して、読んだ。緑風出版などかなりマイナーな出版社の3000円近くする本でも太っ腹なことに買ってくれたのを覚えている。

 また、子どもの本は相当な点数を借りていたものである。さらに隣接して兵庫県立図書館があったので、結構、重宝していた。

 その後、神戸市垂水区に転居して、今度は快速電車で3駅先の神戸駅で下車、さらに歩いて15分ほどの大倉山にある神戸市立中央図書館に通った。ここでも私だけではなく、子どもの本も相当借りていた。

 当時のメモがある。たとえば1990年1月14日、神戸市立中央図書館で借りた子どもの本は『にんじんケーキ』『うたうケーキはどうかしら』『はんたいことば』『もっとはんたいことば』『ごんぎつね』『名犬ラッシー』『あたまにかきのき』『なかよしくまちゃん』の8冊。こんな調子で1月28日、9冊。2 月13日、11冊。2月25日、13冊と紙芝居2冊。3月11日、8冊。3月25日、4冊。というぐあいに結構遠いわりにはよく通ったものである。 1990年というと私の子どもたちが小学生と幼稚園に通っていたころのことである。

 1991年に垂水区に神戸市立垂水図書館が開館し、図書館通いは非常に便利になった。しかし、リクエストに関しては明石市の時とは異なり、なんでも購入してくれるというわけにはいかなかった。特に1995年の阪神・淡路大震災以降は、予算の関係で買えない可能性の方が高い、とリクエストしたその場で言われたものである。

 それでも図書館に行くと新着図書の棚を眺め回して気に入った本があると借りていた。しかし、ここ4、5年、かなり私自身の本の読み方が変わってきた。必要な本はすぐに欲しい。したがって最初から所蔵している可能性の低い垂水図書館を窓口に中央図書館から回ってくるのを待つことをしなくなった。また、2週間おきに返却するのも忙しく、結局、前にも増して本は買うのがいちばん便利ということになってきた。

 私としては垂水図書館の使いにくさは次の4点。

1. 検索するにも端末がカウンターの職員しか操作できないようになっている。
2. 蔵書構成が薄い。私が借りようとする本は中央図書館からの取り寄せばかり。
3. 日曜日の新聞・雑誌のコーナーが混みすぎていて、ちょっと記事を見ようにもほとんど不可能。
4. 閉館が夕方6時なので、平日の利用は不可能。

 先だって、久しぶりに垂水図書館に出かけた。ベストセラー本を3冊借りようとしたら、3冊とも貸出中だった。『世界がもし100人の村だったら』には6 人の予約がついていた。『世界がもし100人の村だったら2』はその日が返却期限なので戻ってくればすぐに電話するとのこと。『GO』は貸出中なので返却されれば電話する、と以上の返事をもらった。

 翌週、垂水図書館から予約していた本が返却されたとの電話をもらった。本を借りて帰ろうとすると、カウンターのところに「図書館見学用データ」と書かれた紙があるのを見かけたので、そのコピーがほしいというと、コピーはないといわれた。そこで、では写させてくださいといって、書き写した。以下が全文。

図書館見学用データ(平成14年4月1日現在)
蔵書 83000冊(うち児童23000冊)
登録者数 35000人(うち子ども7000人)
来館者数 1200人(1日平均)
 年間34万人
貸出人数 600人(1日平均)
 1年では17万人
貸出冊数 2000冊(1日平均)
 日曜日や夏休みは3000冊くらいの日もある。
 1年では56万冊
開館 平成3年11月25日
広さ 686m2
 教室10個分くらい
働いている人 9人

 神戸市民150万9780人のうち、垂水区の人口は22万5193人(2002年8月1日現在)。区民だけでなく垂水近辺で働いている人も含めてだろうが、3万5000人が登録し、延べで年間34万人が来館し、17万人が56万冊の本を借りて帰るというのは、はたしてどうなのだろう。

 私は小学生だったころ、大阪府豊中市に住んでいた。そして、電車で3つ目の駅にあった豊中市立図書館をたまに利用していたことを思い出す。本を借りるというより、たしか映画会が目的で行ったような気がする。しかし、その木造の図書館はじつに地味で静寂で、それでいて心躍るような未知の世界であった。私は今でもその不思議な感覚が忘れられない。

 いまの公共図書館はどちらかというと新刊書店の感覚に近いように思えるのである。

図書館は「無料貸本屋」ではない

 「コンピュータは道具に過ぎない」わけではない。ということを、図書館を例に取りながらここまで述べてきた。コンピュータが図書館に導入されるうちに仕事のしかたが次第にコンピュータに見合ったものに変わっていく。そして、少し月日が経って振り返ってみると、これまでの社会システムまで変化していることにわれわれは気づくのである。

 すでに見てきたように公共図書館の現場ではバーコードとMARC(=機械可読目録)の普及によって、図書館業務はきわめて合理的に遂行されるようになってきた。すると皮肉なことに今度はコストの観点から民間企業への業務委託だけでなく、PFI(民間資金活用による公共施設の整備)方式による民間企業への「丸投げ」さえ現実化するところとなった。

 一言でいえばコンピュータ化は業務の平準化、標準化をもたらし、経験や知識に裏付けられたこれまでの労働を代替可能な作業に転換するのである。そして、それは単に「業務の合理化」にとどまらず、「本をどう取り扱うのか」という図書館の根本的な理念まで変えていくことになる。

 根本彰氏は今日の公共図書館の状況を次のように指摘している。

「図書館が『貸出』を増やすことを目標とする公共サービスであるならば、より効率的な運営のためには貸出業務ごと市場原理に基づく民間機関に委託したり、アウトソーシングするほうがよいという論理がつくられる。図書館界はそうした議論になったときに、貸出は選書や読書相談も含めた総合的な業務であるとして委託に反対し続けてきた。しかしながら、専門性が高いと思われる整理業務や甚だしい場合には選書についても事実上アウトソーシングの状態にあることから目をそらし続けた。」(根本彰「公共図書館サービスの可能性」『図書館の学校』2000年7月号、17ページ)

これはまったくもって正当な指摘と言わねばならない。  根本氏はそこで「貸出を中心とする資料提供の考え方だけでは公共図書館の公共性は確保できない」(前掲誌、19ページ)と結論づけ、次の5項目の図書館サービスを実施すべきであると主張している。

「1●一定の方針と有資格者の見識をもとにするコレクションの形成
2● コンピュータのパッケージソフトやマーク制作会社に全面的に委ねず、地域の特性に合わせて行う資料整理
3●専任の有資格担当者(できれば専門の部門)によるレファレンスサービス 4●他館に委ねず計画的に行う資料保存
5●地域で発生する資料情報を網羅的に収集・提供し保存する地域資料サービス」

しかし、事態は明らかに逆方向に進んでいる。それは現在の社会の中で本がどのようにとらえられているかということと密接につながっている。ベストセラーは「ブックオフ」などの新古書店で、コミックは「マンガ喫茶」で、雑誌はコンビニで十分に満足している多くの人々にとって、出版文化と出版産業の危機はまったく見えてこないに違いない。もし図書館のカウンターで本についたバーコードをOCR(光学式文字読み取り装置)でスキャンする光景だけを見ていたら、なにも専門知識をもった有資格者ではなく、スーパーマーケットのレジ係のようにパートでよいと誰でも思ってしまうだろう。そして、それは書店店頭でも同様である。しかし、このような本の取り扱い方が本の中身にまで影響を与えていくことに人々はなかなか気づかないし、また関心もないのである。図書館は「無料貸本屋」ではない。書店以上にもっと長い時間軸の中で市民に資料を提供していくことが本来の姿であると私は思うのである。