投稿者「北尾 トロ」のアーカイブ

北尾 トロ について

1958年、福岡市生まれ。大学卒業後、フリーター、編集プロダクションのアルバイトを経て、26歳でフリーライターとなる。著書に『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』(ちくま文庫)『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『新世紀書店』(ポット出版)など。 北尾トロ公式サイト

キミにはスポーツマンの爽やかさがない [北尾トロ 第34回]

まっさんがフリーペーパーを発行すると言いだした。しばらく前からもぞもぞと新しい動きを始めていたが、これだったか。手間ひまのかかる作業と承知の上でやるというのだから本気に違いない。ぼくとおかもっちゃんは、話を聞いた段階で“巻き込まれ準備完了”な気持ちになっていた。

そういうことだから、事務所は人の出入りが増えてきて、落ち着いて原稿を書くどころではなくなってきた。事務所はいろんな人と交流できる遊び場で、原稿はもっぱら深夜、自宅で書く。『ボブ・スキー』も忙しくなってきて学研通いもしなくちゃならないが、以前みたいに行けば明け方まで居続けることはグンと減った。夕方に顔を出し、打合せしたり飯食ったりして10時くらいには帰宅し、それから原稿だ。ただ、そうなるとファクスで送ることになり、読みにくいぼくの字は編集者に評判が悪い。まっさんのようにワープロで書くことを検討したほうがいいかもしれない。
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田辺ビルの日々とおかもっちゃんのライターデビュー [北尾トロ 第33回]

悶々とした気分を一掃すべく、銀行口座の残金をみんな下ろして旅行に行くことにした。スペイン、モロッコ、イギリスをぶらぶらし、一文無しになって1ヵ月後に帰国。一晩ぐっすり寝た土曜、田辺ビルに顔を出すと3畳間の住人、おかもっちゃんがいた。

「おお。戻ってきたかね。まるで連絡がないから、金がなくなってロンドン辺りで皿洗いのバイトでもしとるんじゃないかと思ったよ」

「そこはしぶとく、留学生と知り合ってアパートの床で眠らせてもらったりしてしのいだよ。おかもっちゃんのほうはどう? 彼女とまだモメてんの?」

別れる別れないでごたごたしている原因は、煎じ詰めればおかもっちゃんに新たな彼女ができたことにある。だったらすっぱり別れればいいと思うのだが、そこは数年間一緒に暮らした相手。そう簡単には行かないらしい。が、ぼくが不在の間に別れ話はまとまりつつあるようで、おかもっちゃんの表情は明るかった。

「いつまでも、ここにおるのもなんだし、この近所に引っ越そうかと思うとるんよ」
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気分は悶々、未来は不透明 [北尾トロ 第32回]

ぼくのまわりの小さな世界は、小さいなりにめまぐるしく動いている。妹は結婚して八王子で新婚生活を始めた。フリーライターとして食って行くには収入が低すぎる後輩の町田はある女性誌の編集部にもぐりこむことに成功。なんとか生活を安定させるメドがついた。おかもっちゃんは長くつき合った女と距離を置くため田辺ビルの3畳間で居候生活を開始。女とはこのまま別れることになりそうだ。「会社をやめてライターになれば?」というまっさんの誘いにはまだ首を縦に振らないが、それも時間の問題のように思える。バンドもやっていることだし、そうなったらおもしろい。阿佐ヶ谷にいたニューメキシコの水島は笹塚に事務所を構え、そっちへ移った。水島は本格的に編集プロダクションの経営に乗り出し、順調に仕事を得ている。

ぼくは、まとまって入ったギャラを使って阿佐ヶ谷に引っ越した。9畳の部屋に6畳のリビングがついた新築1LDK。家賃9万円は高いと思ったが、ここ数年は家賃もうなぎ上りで、新築物件となるとそれくらいするのだ。部屋でピカピカの床に寝転がっていると、何ともいえずいい気分になる。高円寺の風呂なし6畳から居候生活を経て吉祥寺のシャワー付ワンルームに越し、経堂で妹や町田と暮らして、学生時代にひとり暮らしを始めた阿佐ヶ谷に30歳で戻ってきた。貯金なんて1円もないが、もともとプータローだったんだし、少しはマシになって振り出しに戻ったと考えることにしよう。

赤帽1台分にも満たない荷物をあけて、仕事関係の資料を整理していると、春、「ボブ・スキー」の取材でアメリカへ行ったときの写真が出てきた。 続きを読む

そろそろ中央線に戻ろうか [北尾トロ 第31回]

金がないときは食べない。これがぼくの学生時代からの節約方法だ。食事は日に一度。阿佐田哲也の麻雀小説の真似をして、表面が真っ赤になるほど七味唐辛子をかけて立ち食いそばを食べれば、しばらくは胃が何も受け付けなくなる。家では米を炊いて納豆だけで済ませるか、固くなったフランスパンをかじる。麺ならそうめんが安い。景気の悪いときは痩せて60キロを割り込み、良くなると頬の肉が元に戻って62キロになる。わかりやすいのだ。

脳天気商会のライブのために楽器を買ったときは、競馬で儲けて金があった。まっさんに金を貸したときも同じだ。そうでなくても、懐が温かいとすぐに使ってしまうクセがあり、遅ればせながらビデオデッキを購入したり、カメラのレンズを買ったりするので、すぐにサイフは軽くなる。貯金などいっさいしない、というかできない。こんな具合だから、馬券が当たらなくなると、練習のために借りている江古田のアパート代やスタジオ代の支払いさえつらくなる。

ぼくの年収はせいぜい400万円。いろいろと物入りになってきて、収入を増やす方法を考えなければならなくなった。ギャンブルはアテにならないから本業で何とかしなければならない。いつまでも学研頼みではなく、もっと実入りのいい雑誌でも書かなければ。 続きを読む

初ライブと初小説 [北尾トロ 第30回]

アガっていたとしか言いようがない。ぼくの歌とまっさんのベースが先へ先へと暴走を始めたのだ。おかもっちゃんが引き戻そうとするが、どうにも修正できず。間奏時の動きも壊れたおもちゃ並である。しかも、叩いていたリズムパッドが曲の途中で倒れ、見かねた客に手伝ってもらって演奏を続ける始末。みじめだ。やっと冷静に場内を見渡せるようになったと思ったら、もう最後の曲だった。

「いやいやいやいや、まいったなもう」

楽屋に戻ると、おかもっちゃんが笑い出した。

「どうなってしまうのかって、お客さんも緊張して見てたよ」

表へ出ると、みんなから声をかけられた。曲は悪くないけど、見ていてヒヤヒヤしたと意見は一致している。ライブとしては最低だったってことだが、こっちは一仕事終えた高揚感に包まれているので、いいようにしか受け取らない。打ち上げの席でも、まっさんは強気一辺倒だ。 続きを読む

おかもっちゃん引き込み計画  [北尾トロ 第29回]

町田の居候中、ぼくのところへはひんぱんに人が出入りし、なんだかんだと理由をつけては飲み会をやるようになった。ホームパーティーみたいなシャレたものじゃなく、ただ集まってがやがやと飲み食いする集まり。外でやるよりはるかに安上がりで時間制限もない、というのが開催理由だ。カレーを作るのでも焼き肉をやるのでも、何かがあればそれで良かった。

集まるのはライター、イラストレーター、デザイナー、カメラマンなどで、みんな20代。売れっ子なんて一人もいなくて、将来に漠然とした不安を抱えつつ、しかし今日が良ければそれでいいというお気楽な一面もある連中が多かった。そんなメンバーで仕事の話をしてもしょうがない。ひたすら飲み食いしてバカ話に興じるだけである。

意味のないどんちゃん騒ぎは楽しい。だから、こういう集まりはあちこちにあり、オールナイトのUNO大会とか、一晩騒いでから海水浴へ行ってヘロヘロになって帰ってくるとか、そんなことをよくやっていた。関わる人たちも新しい知人が中心で、オールウェイ時代からつき合っているのはわずか。さして時間も経っていないのに、四谷や新宿へ通っていた頃のことは、遠い昔の出来事のように思えた。 続きを読む

脳天気商会、テキトーに誕生 [北尾トロ 第28回]

思わぬ方向に話が膨らんできた。まっさんや岡本君と、バンドをやろうと盛り上がってしまったのだ

何気なく口にした言葉が引き金となり、新しいことが始まる。そんなことはしょっちゅうだけど、思いつきで動く悲しさ。一時の興奮が冷めるとなし崩し的にどうでもよくなり、結局うやむやになってしまうのがオチである。それでも計画性に乏しいぼくたちはその場のノリで動く以外の方法を知らず、数撃ちゃ当たるとばかりに動き回るしか能がない。10のアイデアのうち、1つか2つ実現すればめっけもんだ。

バンドの話が盛り上がったのにはいくつか理由があった。まず、言い出しっぺはぼくだったが、即座にまっさんと岡本君が同意したこと。誰かが強引に口説くのではなく、最初からテンションが揃っていた。また、ぼくやまっさんはバンド経験がないが、岡本君は経験豊富。本職のキーボードだけではなくギターやバイオリンも演奏でき、譜面まで読める。しかも、これは自慢にならないが、売れっ子ライターではないぼくとまっさんは練習のための時間が確保しやすい。勤め人である岡本君の都合に合わせればいいのだ。

ぼくとまっさんはギターをかき鳴らす程度しか楽器ができないが、岡本君はそんな不安を笑い飛ばしてくれた。 続きを読む

作家志望の後輩が居候にやってきた [北尾トロ 第27回]

母に粘り勝ちして結婚を認めさせた妹は、これで用済みとばかり実家に引き上げ、海外取材から戻ったぼくはガランとした2DKを持て余すようになってしまった。もともと妹と暮らすために借りた部屋だったから、こうなってみると独り身には広すぎるのだ。妹がいると思うから約10万円の家賃も惜しくなかったわけで、自分一人となると分不相応もはなはだしいと感じてしまう。

実際、金の余裕はまったくなく、毎月カツカツでまわっている状況だ。海外でクレジットカードがないと現金を持ち歩くことになって面倒なので、銀行に行ったついでに作ろうと思ったら、あっさり断られてしまった。ガッカリだ。依頼がなければ即座に無職。フリーライターなんていっても、社会的にはその日暮らしの根無し草にすぎないということである。でも、それはしょうがない。フリーライターなんて何の役にも立たない、あってもなくても誰も困らない職業だと思うし、その中でも自分はビギナー。取材でいろいろな人に会ったり出かけたりできるのだし、ぼくはこの仕事、性に合っていると思う。食べていけるだけでも御の字だと考えよう。 続きを読む

スイスでの単独取材 [北尾トロ 第26回]

29歳の誕生日はスイスに向かう機内で迎えた。誕生日のことなど忘れていたら、航空会社からチョコの詰めあわせをプレゼントされたのだ。おかげでひとりきりの心細さがいくらかは和らぎ、注がれたシャンパンでぐっすり眠ることができた。

ジュネーブの町でカメラマンと待ち合わせ、世界選手権が開催されるインターラーケンに向かう。地理がまったくわからないので、旅慣れしたカメラマンについていくしかないが、世界選手権に関しては写真さえ押さえれば良く、大きな記事にする予定はないので気楽なものだ。日程後半のツェルマット取材に集中すればいい。

それなのになぜインターラーケンなんぞに行くかというと、今回の取材が旅行会社主催のプレスツアーだからである。スイスへの観光客を増やす目的で、メディア関係者のエア代を負担してツアーを組んでいるわけだ。「ボブ・スキー」はそれに乗っかり、ツアーのところではコラムのネタを集め、独自取材となる後半で特集記事を作る作戦。前半は遊んでいればいいわけだ。 続きを読む

ぼくが本当にフリーになった日 [北尾トロ 第25回]

クリスマス返上で仕事を終えると年内の予定はなくなる。妹の帰省に合わせ、1年ぶりに実家に顔を出すことにした。母は弟が経営する菓子舖を手伝っているので、ぼくも駆り出され、職人さんと一緒に鏡餅づくりをしたり配達に出たりでけっこう忙しい。正月には、実家が近い増田君が、ぼくの不在中にいきなりやってきて母と話し込んで帰るという、わけのわからない出来事があったりして、1週間ほどの日程はみるみる過ぎていった。

東京では会うことのなかった妹の交際相手にも、年明けに初めて会った。とりたてて面白みはないものの、まともな男のようである。兄としては、人間がまともであれば、妹の結婚について反対する理由はなかった。母も次第に態度を軟化させてきているので、うまく話がまとまれば年内には結婚ということになるのかもしれない。

東京に戻るとすぐに仕事が始まり、バタバタした日常が戻ってきた。とはいえ、スキー雑誌のスキー場取材は年明けからぼちぼちスタートし、ピークを迎えるのは気候の安定する3月から4月。それまでは原稿だけに集中していればいいと思っていたのだが、ある日、福岡さんに呼び止められ、海外取材を打診された。 続きを読む