投稿者「武田 浩介」のアーカイブ

武田 浩介 について

1975年生まれ。 脚本家、とか思われていたりします。 最近は落語やコントの台本を書いたりしています。 あとまあ、いろいろ。

六本木の青山ブックセンターには夜しか行ったことがないかもしれない。

原宿とかの近くで、ってわけでもなくて、高田馬場とか意外に離れたトコでもいいんだけど、まあ夜の耽る時間までダラダラ呑んだりしていた後に、何というか、太っ腹な気分にることがある。
そんな時に向かうのが、六本木の青山ブックセンターだ。

日付も変わろうという時間帯。その太っ腹っぷりを発揮にしようにも、普通、開いている店はコンビニとかラーメン屋とかばっか。
せっかく太っ腹になったってのに、コンビニで太っ腹になってどうすんだってハナシなのだ。お菓子?甘いのからしょっぱいの。DVD付エロ本?ギャルから熟女。身の回りのちょっとした小物?ノートから洗濯ばさみ。
だから俺は太っ腹になったって言ってるんだよ。何かもうサイフの紐を締めたい気分になるじゃないか。
太っ腹な気分でラーメン屋に行ったところで事態の改善は期待できない。トッピング全部するとか、ビールにライスもつけたりとか。…。トッピング全部するとか。ビールにライスもつけたりとか。…。トッピング全部するとか。ビールにライスもつけたりとか。
…あれだよ、「これじゃあ気持ちが太っ腹じゃなくて、お腹がホントに太っ腹になっちゃうよ~」的なオチに文章が向かっていくのを必死に防ごうと思って色々考えてみたんだけども、何にも浮かばない。それで同じことを繰り返してしまったんだけど、3回も繰り返してしまったんだけど。うーん。やっぱどうにもなんねえな。これは。
そんな背中合わせのメタボに怯える30代でした。
と、自虐で逃げてみましたよ。

ま、とにかく
深夜ってのは、呑んで気持ちよくなって太っ腹になってみたところで、俺の太っ腹さに納まるものを見つけ辛い時間なのだ。
そうゆうときに、行ってしまうのだ。六本木の青山ブックセンターに。

平日の夜中に、酒を呑んでポヤヤンとした頭で、新刊書とか美術書なんかをポヤヤンと眺めながら店内を回るのは、何ともクセになる感覚。
それに洋雑誌や向こうの写真集なんかも、こうゆう機会じゃなきゃ目を通すことも余りないし。
俺にとって海の向こうのグラビアは、深夜の六本木、酔っている自分、てのがセットになってイメージされている。
あるとき。例によって酒を呑んで深夜0時過ぎに青山ブックセンター行ってグダグダして帰ってきた。そんな翌朝。つうかもう昼ごろ。昨晩買った本をチェックしていたら、そこからケイト・モスの伝記本が出てきたことがある。特に欲しくもなかったのに。なぜかケイト・モスの伝記本。まあ、そうゆう気分だったんだろう。どうゆう気分だ。

そういえば青山ブックセンターをABCと略する言い方があるらしいんだけど、最初耳にしたときはこれが青山ブックセンターの略だとは気づかなかった。
青山ブックセンター。確かにA・B・Cだ。でも、そんなんいきなり言われても分からない。
友達との会話の中で、当時は暴力温泉芸者の、現在だとやっぱ作家ということになるんだろうか、中原昌也が「ABCでバイトしていた」てなハナシが出てきて、それを聞いた時にABCはABCでも靴屋のABCマートだと思い込んでしまった俺は、中原昌也がスニーカー抱えて店内を駆け回っている姿を想像して、それがちょっとおかしかった。
中原昌也がお客さんの足元に腰を落とし、靴紐スルスル…なんてな。
でもその友達は、どうして中原昌也のバイト歴なんぞを知っていたのだろう。

真夜中の六本木っていうと、どうも「ああ、あそこね」的な反応があると思う。「違う」場所みたいな。自分の日常とは乖離した感覚っていうか。
上とか下とかじゃなくて、「違う」。そんな人たちが生きてるみたいな。

六本木に限ったハナシじゃなくて、平均的な日常から乖離した場所やコミュニティーってあるでしょ。
最先端のヒトが集う店だとか、マイナーだけどヤバいメンツが出るパーティーだとか。ネクスト・レベルの揃ったクルーとか。
ああゆう平均的な日常から離れて生きているぽい人たちって、日常から乖離したところでコミュニティーのつながりを深めているようだけど、そんなことはなくて、本当はそうゆうのを保つのに疲れて息を抜く、その抜きどころで感覚を共有して繋がりを深めているんじゃないだろうか。
だからワナビーの人とかが、自分もそうゆう非日常なイケてるコミュニティーに行きたいみたくなって、乖離!乖離!て感じで無理に色んなモノを積み重ねていこうとするのは、ズレてるんじゃないのかな。やっぱり。

息の抜きどころを見つけられない人は、かなり辛い。
ずっとツンツンしている人って、ハタから見れば調子良さそうに見えるけど、本人的には結構疲れているのだ。で、いつの間にか「その場」からフェイド・アウトしていたりする。

夜中もやっている本屋。確かにちょっとお洒落なイメージある。だけどその反面、お洒落とかそうゆうので張り詰まった空気を、ふっと抜いてくれる効果もあったりする。
人の、あと街の、息抜き場。

ケイト・モスの伝記本は、本棚に収まったまま。まだ読んでいない。

住んでいる街、新大久保。マコトくんのこと。

いま、俺は新大久保に住んでいる。
かつては同じ新宿区でも、中野区寄りの北新宿に住んでいたのだが、いまは新大久保だ。
新大久保の駅から俺の住んでいるマンションまで行く途中、耳に飛び込んでくる母国語率は低い。
いつもいる浮浪者のオバアチャンは、駅の改札とかシャッターの閉まった店の軒先とか、その時々の彼女なりの最良のフォーメーションでもって、オン・ザ・ストリートしている。

大久保通りから、高田馬場寄りが、俺の住んでいるところ。
その反対。大久保通りを職安通り方向へ進むと、ま、ラブホがたくさんあるんだけど、その辺のハナシは別の機会にするとして、その辺りにあるマンションに、20年くらい前から変わらずそこにあるマンションに、むかし俺の友達が住んでいた。

マコトくんといった。
小学生の終りころ、通っていた学習塾で会ったのだ。
色白で、髪が長くて。最初、女の子かと間違われていた。
塾の先生は、「マコトって女の子でもいるしね」なんて言っていて。当時の俺は、マコトなんて名前の女がいるわけねえじゃんなんて思っていた。
だから、90年代の半ばに川本真琴という女性歌手が出てきたときには、何か腑に落ちる感情に襲われてしまった。

マコトくん、とにかく変わったヤツだった。
当時からそれなりに音楽好きだった俺だけど、マコトくんが教えてくれた音楽はそれまで聴いたことのないもの。例えば、当時人気のあったインディーズ・バンド、有頂天だった。
サザンとかを聴いていた俺に、不貞腐れた顔で出来損ないのロボットのようなパフォーマンスでシュールな歌詞を吐き出してくる有頂天は、何か、背伸びとかそうゆうのとは別のドキドキ体験を与えてくれた。

マコトくんと一緒に遊んでいたら、いきなり絡まれたことがある。
何でも、先輩をマコトくんが茶化しまくったようで、その先輩が仲間を連れて復讐にやってきたのだ。
青筋立ててる先輩くんと、ニヤけ面のマコトくん。俺も一緒になってニヤけてみた。気持ち良かった。

母子家庭で。学校に友達いなさそうで。どっか冷笑的に世の中見ていて。
プロレス、特にルチャ・リブレが好きで、ロックが好きで。アベサダっていう男のチンポ切った女が昔いたんだぜ~なんて豆知識が豊富な小学生。
同じニオイを、感じた。

生まれて初めてのエロ本を見せられたのも、彼からだった。
その雑誌に載っていたのは、ただの女の裸じゃなかった。
例えば女性が大股開きをした局部でスイカを割ったり。「♪すぐおいしい~すごくおいしい~」のチキン・ラーメンのCMでお馴染みだった南伸坊がしかめっ面で女性の乳房を揉んでいたり。
何だこれは?!てなモンである。
後になってから知った。そのエロ本は、荒木経惟・末井昭コラボレーションによる伝説的雑誌・「写真時代」だったと。

そんなマコトくんとも、中学生になる頃には、お互い通っていた塾もやめてしまい、疎遠になった。
そのうち、マコトくんのことも記憶の彼方に消えていって、高校生になった。
で、その高校時代、同じクラスにいた奴と、家も近いねってコトで何気なく言葉を交わしたら、マコトくんと同じ中学校だったと判明した。
彼から聞いた中学時代のマコトくんは、学校にも殆ど行かず、家では、何ていうか家庭内暴力みたいな、そんな感じになっていて。同級生の彼曰く、「家はもう、ニューヨークの地下鉄状態だった」そうだ。
いまの俺だったら、ああニューヨークの地下鉄ね。グラフィティー?もしくはヴァンダリズム?映画『WILD STYLE』観た?…なんて具合に話を合わせることも出来るが、当時の俺は、そんなハナシにひたすら引きまくってしまった。

いま、マコトくんが住んでいたマンションは、あの頃のまま、ある。
そこにマコトくん一家が住んでいるかどうかは知らない。
あの頃夢中だった有頂天のヴォーカリストは、今ではS席9000円もする渋谷のシアター・コクーンで、ゴーリキーの『どん底』を演出するようになったのを、マコトくんは知っているのだろうか。

マコトくんが通っていた小学校の傍に、いま、俺は住んでいる。
下校時の小学生の中で、友達同士の群れから離れて、一人テクテク歩いている子どもを見ると、マコトくんを思い出す。
俺は適度に壊れつつも、「がっつりぶっ壊れる」こともなく、30年、生きた。
住んでた家を、とってもいいお母さんと暮らしていた家を「ニューヨークの地下鉄」状態にしたマコトくんは、どんな30年を生きたんだろう。
話してみたい。お互いの、次の30年を。

池袋。ストイックということについて考えた。

さて、と。
こちらに文章を一気に2本アップして、10日以上が過ぎた。
そしていま。ポット出版HPの横っちょに、「読みもの」一覧がズラーっと並んでいるんだけど、俺がいるのは一番下。最底辺に、俺は鎮座ましましている。
ま、それはいいのだが、て、よくはないんだけど、いやホントによくないんだよ。常套句ってやつ。分かるよね?
気になるのは、一覧にはそれぞれアクセス数らしき数字があるのだが、俺のとこがアクセス数ゼロのままだということだ(2008年1月29日現在)。

ゼロだ。ゼロなのだ。こうやって繰り返すことで傷口がどんどん拡がっていくのを自覚しつつ、あえてそうゆうこと言ってただ自虐ナルシスズムに浸っているだけだろって責められればその通りだと即答しつつ、あえて強調しますよ。ゼロだ。
だけど冷静に考えてみるに、アクセス数ゼロって、幾らなんでもそりゃねえだろうと思うんだけど。余りに少なすぎてカウントするまでもないってコトか。鳴かぬなら殺してしまおう的思考っつうか。それで0にしとくかみたいな。武士の情け?…何だよそれ。別に武士じゃなくていいよ。どうせ勝ったのは農民たちなんだし。

人生なんて100か0。オール・オア・ナッシングさ!とかなんとか見栄を張って言い切るにはかなりの気恥ずかしさが伴うし、恥ずかしさを払拭して声高に叫んでみたところで、ただ痛々しいだけだ。俺だってもう若者とは呼んでもらえない年齢だ。それくらいの慎みは覚えた。
100か0より、平均点が欲しい。
自分の安さを身に染みて思い知らされたけど、その上で、100か0より平均点くらい欲しがってもいいんじゃないかと、思うんですけど。如何でしょうか。と、最後はやっぱり低姿勢。

「ストイックに生きる生き様に、どこか甘えを求めちゃいませんか?」
そんなフレーズが印象的な『TAKE US THERE』て曲のシングル盤を、文庫本くらいの値段、といっても講談社文芸文庫やちくま学芸文庫の値段ではなく、岩波文庫の薄いやつくらいの値段で、買った。

『TAKE US THERE』。JAZZ調のシンプルなトラックの上で、タカツキのラップがのっかっていく曲。
タカツキという人は、ウッド・ベースを弾きながらラップするっていう、かなりユニークなスタイルのアーティストで。自身のソロ以外にも幾つかのユニットに所属していて、マイク握って普通にラップするときもあれば、トラック作りにプロデューサーもするという、何とも多才な人なのである。
で、この『TAKE US THERE』は、SINDBADというユニットと共に出したアルバムからシングル・カットされた1曲だ。
ちなみに俺が買った『TAKE US THERE』のシングル盤、CDではなくてアナログである。塩ビである。念のため。

このレコードを買ったのは渋谷のレコ屋。この曲を初めて聴いたのは、渋谷のライブハウスだった。
なのにこの曲を聴くと頭ん中に浮かんでくる街の風景は、渋谷じゃないのだ。
じゃあどこかっつうと、これが、池袋なのだ。

「ストイックに生きる生き様に、どこか甘えを求めちゃいませんか?」
池袋の、東口でも西口でもいい。どの風景にもしっくりきてしまう。
そしてそんな風景にいるかつての自分自身もまた、やたらとこの曲にしっくりくる。
何だろう。池袋が発する何か、なのかな。それとも自分自身の行動か。

渋谷には、ある種のストイックさが蔓延しているような気がする。
そのストイックさっていうのも、ま、別に嫌いじゃないんだけども。

この曲を、池袋で聴いたのは、いまから1年ちょっと前のこと。
ライブでもCDショップの試聴でもなく、有線か何かで、不意に流れてきた。
池袋の、ちょっとここでは書けないような場所で、ちょっとここでは書けないようなヒトと、ちょっとここでは書けないようなコトをしていたら、この曲が流れてきたのだ。

池袋。2001年に亡くなった古今亭志ん朝が最後にトリをとって寄席出演をした街。名画座のメッカがあった街。うまい24時間営業の立ち食いそば屋がある街。
ある人と明け方の歩道橋で大喧嘩をした。別の人とは土砂降りのこれまた明け方の駅前で大喧嘩した。また別の人とは回転寿司の支払いを巡って、これまた大喧嘩した。

そういえば、これまたちょっとここでは書けないような場所で、ちょっとここでは書けないようなヒトと、ちょっとここでは書けないようなコトをしていたら、ちょっとここでは書けないようなヒトが、こんなことを言いだした。
「よくブクロって言うじゃん?違うから。もうそんな言い方終わるから!いまは、イケブーだから!…まだ私しか言ってないんだけどね!」
もう4,5年前のことだけど、いまでもイケブーという呼び方が定着するきざしはないようだ。

クリスマスの夜。勝鬨橋そばのファミリーレストラン

昨2007年、12月25日の夜。
23時を回ったくらいの時間。
中央区は、隅田川の上に架かる勝鬨橋。その脇にあるデニーズに、1人でいた。
読みかけの本を読んでも集中できず、広げたノートに思いついた文字を書き込むも集中できず。そんな状態のまま、テーブルに置かれていた瓶に、いささか逃避気味に意識を向けていった。
砂糖とか塩とか、そうゆうのに混じって置かれていたその瓶。最初、何だか分からなかった。とろみのありそうな液体が入っている。張られたラベルには「甘味料」、「厚生労働省許可・特定保健用食品」といった文字。
シロップ…か?で、健康によさげ。いいじゃん、と手に取る。すると、「食べ過ぎ、体質・体調により、おなかがかゆくなることがあります」との注意書きが目に入ってきて、中でも「おなかがかゆくなる」というフレーズに、熟練の左官職人が打ち込んだように、すっと釘付けになった。
いいなぁ。「かゆくなる」て。身体的にも心情的にも、微妙な、デリケートな、そういった動きを表現できるよな、なんて思って。
と同時に、どこかで感じる既知感。
すぐに思い出した。むかし好きだったフィッシュマンズというバンドの『MAGIC LOVE』という曲。そこに「♪胸がかゆいほどに」というフレーズがあったのだった。
ぽっかぽかしたレゲエのリズムに乗って、午後の陽射しが射す路地を歩いていくような音像が浮かんでくる。でもどこか東京に生きる焦燥感も感じ取れる。そんな曲だった。
この曲が発表された当時だろうか。フィッシュマンズのインタビューを雑誌で読んでいたら、ON-Uというイギリスのレーベルの出す音楽についてメンバーが語っていて、そこでメンバーが使った表現が、「(聴いていると)鼻がかゆい」だった。
「鼻がかゆい」と評された音楽・DUBのレコードを、それから何枚も聴いた。ジャマイカで生まれて、イギリスで分家して、日本でも愛好者の多いこの音楽は、東京の夜にとっても似合う。そのことを教えてくれたのは、80年代に活躍したミュート・ビートという歌詞を持たないバンドだった。
DUBの空間的な音世界は、かゆくさせる。かゆくなるのは、感覚だ。手で掴むことの出来る実感…。実感出来ないことで逆に醸し出される実感…。いや、その間にあるのがホンモノの実感。右往左往する自分の実感が揺さぶられて、ひっくり返って。そして、かゆくさせられる。

そもそも新宿の大久保に住んでいる自分が、どうしてこんな時間に勝鬨橋傍のファミレスにいるんだっていう話である。
その日、部屋で春先にやるお芝居のプロットを考えていた。停滞。気分転換に2月の会で上演される漫才の台本を書こうと思い立って。パソコンに向かっていて、あーだこーだやっていたら、
まさに、かゆくなった。頭ん中が。
そんなときは外に出るに限る。幸いにも、いまは夜だ。外に出るにはうってつけってこと。
自転車に乗って、早稲田通りを進む。早稲田大学のある辺りから、神田川沿いに。そしてそのまま、海につながっているほうへ。
水道橋とか神田とか日本橋とか、なるべく「眠らない街」ではなく「眠っている街」を選んで、隅田川が見えるところまで。
隅田川を架ける橋を渡る。
水がたくさん側にあると落ち着く。お台場や豊洲のネオンを見ながら、人気のない真夜中の橋を渡ると落ち着く。落ち着いて、で、尖ってくる。

「おなかがかゆくなる」、その甘味料を、呑みさしの紅茶に、少し入れてみた。
あまり甘さを感じない。微妙だ。舌がかゆくなる。ドバドバ入れてみた。
お芝居のことを考える。
自分が座った席の背後には4人連れの親子がいた。お父さん、お母さん、姉、弟って構成で、普通に食事をしている。
姉は小学校高学年くらい。弟は小学校低学年くらい。
最初店に入ったときから、ちょっと気になっていた。
よくある光景かもしれないんだけど、いまはもう、夜中だ。
お父さんはびっちりスーツ。ビジネスマンな。お母さんも、びっちりスーツ。ビジネスマンの妻な。
子ども2人も、この時間は寝てるだろって物腰漂うお子さま達で。
揺るがなさそうな「家族ヴァイブス」が漂うその家族。クリスマスのディナーってやつ。真夜中の、クリスマス・ディナーってやつ。
真夜中、の。
と、本当に「おなかがかゆく」なってきたので、席を立った。デリケートで分かりやすいカラダだ。俺って。
とうに食事を終えている家族は、子どもたちのデザート・タイムが始まっていた。
ケーキ、アイスクリーム、甘いソース。

前日。クリスマス・イブは、恵比寿のガーデン・プレイスにいた。
イルミネーションを眺めて、麦酒博物館で250円のギネスを呑んだ。ほろ酔いになってから、また寒い風の中に出ていく。たくさん歩いて。たくさん話した。

いつの間にか日付も変わって、12月26日になっている。
と、また、かゆくなってきた。じわりと、身体の奥のあたりが。

原宿駅とテント村、ホコ天。

子どもの頃からずっと新宿周辺に住んでいるってこともあるのか、都内の盛り場、大抵は自転車でいく。
原宿も、そう。
新宿東口から、アルタをバックに明治通りを進むと、原宿・渋谷はあっという間だ。
自分が意識して原宿に足を向けるようになったのは、中学の1年から2年になるくらいの頃。最初に感動したのは、原宿まで自転車で15分ちょいで行けるってこと。で、次の感動はというと、原宿駅の明治神宮側の出口を出て信号渡ってすぐの場所に、あった。
いまはビルが建っている、てゆうかあの辺って大抵ビルが建っているんだけど、ま、信号渡ってすぐの場所。そこ、かつてはテント村と呼ばれる場所だった。
屋台風の簡単に設置された店舗がズラっと並んでいて、売られているのはアイドルやアーティストの非合法生写真にパチモン・グッズ。
アーティスト・グッズってのが、やっぱ珍しかった。CDだったらCD屋に行けば買えるけど、Tシャツをはじめとするグッズ類は、ライブ会場かファン・クラブ通販とかでしか買えない。ファン・クラブにいちいち入るのもカッタルイし。海外アーティストのグッズが欲しい場合どうすんだ?て感じでいた当時の俺には、まさに宝の山。
で、当時好きだった、てゆうか今でも大好きな、イギリスのPUNKバンド・CLASHとニューヨークのPUNKバンド・RAMONESのTシャツを、そのテント村で買った。
それを学生服の下に着たりしてな。笑いたきゃ笑え。
テント村は俺が初めて足を踏み入れてから数年で姿を消して、しばらくの間は、何ていうか、方向性を模索してますみたいな場所でいた。
鈴木清順監督の『夢二』が公開されたとき、その場所に巨大テントが出現し、高校2年生の夏、観にいった記憶がある。
その頃の自分、いま自分が映画を観ているこの場所で、かつてパチモンTシャツを買ったという歴史は完全に封印していた。
でも思うんだけど、ああゆうパチモン・グッズって、まだあるんだろうか。
現在でもコンサートをやっている東京ドームの側を通ると、ドーム近辺に屋台が出ていて生写真なんかを売っているのを目にする。ま、写真とかは、非公式ゆえのリアル感もあるだろうけど。Tシャツだのタオルだのステッカーだの、そうゆうのはネットでHPに飛べば正規モノが簡単に手に入る御時世。あえてパチモンに走ったりはしないような。
でも、やっぱり売ってんのかな。で、買っちゃったりしてんのかな。パチモンを。そうゆうのにときめく少年の心を笑ったりしない大人でありたいと、俺は思っている。

原宿といえば、ホコ天。
代々木公園脇の車道が日曜日には歩行者天国になって、そこでバンドが演奏をするっていう、で、大盛り上がりみたいな。俺が原宿に行きはじめたころ、そんな風景が毎週繰り広げられていた。
去年再結成したJUN SKY WALKERSは、ホコ天出身バンドってことで売り出していた。
JUN SKY WALKERSをそこで観たことはない。自分が観たのでいえば、ギタリストがのちにスパイラル・ライフ、エアーと発展していくBAKU、GARIC BOYS、インディーズで出したアルバムを愛聴していたMAD GANG、あと池田貴族のいたリモート。他にもたくさん観た筈なんだけど、もうスカッと忘れてしまった。
GARIC BOYSでは、演奏に合わせてその場でピョンピョン飛び跳ねながら首をアホみたいに振る「ポゴ・ダンス」てやつを初体験した。シド・ヴィシャスがはじめたなんて眉唾な説もある「ポゴ・ダンス」。その頃は「モッシュ」なんて言葉は知らなかった。ライブ後は自主で作ったテープ配布なんてのもあって、ストリートのカルチャーに触れた気分をしっかり満喫。
ホコ天、俺が体験した頃はバンド全盛だったけど、80年代には竹の子族と呼ばれる集団がその場所を占拠していたってのは、もう既に日本の歴史。
崔洋一監督のデビュー作『10階のモスキート』という映画に、竹の子族が出てくる。内田裕也演じる中年警察官の娘が竹の子族という設定で、その娘役を演じたのは小泉今日子。彼女の友達役を演じたのが、アナーキーというバンドのヴォーカリストだった仲野茂。

昭和天皇裕仁が死んだころ。ホコ天で、不穏な状況に出くわした。
演奏していたバンドのメンバーが逮捕された。そのバンドが断幕をかかげて演奏していて、それが逮捕の理由だった。そんなんで捕まるの?捕まるのだ。その断幕には、「さよならヒロヒト」と書いてあったのだから。
その時その場の雰囲気、今まで自分が体験したことのない空気が漲っていた。
あちらこちらでお兄さんが、「ケーサツってのはボクらを守ってくれるんじゃないんですかぁ?」みたいな声を張り上げている。
そんな叫びを聞きながら、そのころ14歳の俺、共に国家権力への怒りをたぎらせたかというと、それがちょっと違う。彼らの姿に、微妙な違和感を覚えていた。てか、ひらたく言ってしまえば「恥ずかしい」と、感じていた。
「…って~じゃないですかぁ?!」という語尾上げ口調による正論主張が、言っている内容の正否を飛び越えて、ただただ恥ずかしかった。
彼らだって普段は、「うるせえポリ公」とか言っていたんじゃないか。あえて挑発的な行動をしておいて、「予想以上の対応」が返ってくると、正論にすがる。
断幕ってのも、どうかと思った。正面切ってる感じが、どうも自分の性に合わない。もっとこう、じわりとした、横から突くような嫌がらせ、出来ないのかな、て。

ガキなりに日常にズレみたいなものを感じて、本や音楽や映画を求めた。違う世界を求めて。
そして、その「違う世界」で、ズレを感じた。はじめての体験だった。

はじまりに

ポット出版のHPをお借りして、文章を書かせていただくことになった。
さて、何を書こう。ま、自由に書きゃいいんだろうが、何か縛りを作っておきたい。
俺、何を書きたいんだろう。うん、それはすぐに出てくる。
街だ。
誰かと逢ったり、食べたり飲んだり、映画とかライブを観たり、本とかレコードを買ったり、そうゆうこと全部するのは、街だから。
よし、街を起点にして書いていこう。
で、俺、街を移動する場合、9割が自転車だ。
なので、遊輪記。
歩くのとも違う、クルマに乗るのとも違う、そんな速度で見てきた街の記憶と記録を書いていこう。
過去形と現在進行形は交錯する。
話題も幾つか交錯する。
東京以外にも行くかもしれない。
そしてクルマや徒歩での移動も、あったりするだろう。
…って何だよ、いきなり脱輪してんじゃんってハナシだが、ま、歩いたりクルマ乗ったり電車乗ったりしても、俺の街を見る基準は、「自転車の速度」なんですよってこと。
そうやって、今まで色んなトコに身体を放り込んできた。

てなわけで、
「東京遊輪記」、はじまります。

まずは、ポット出版がある原宿辺りからー