投稿者「及川 健二」のアーカイブ

及川 健二 について

ジャーナリスト/研究者。 それまで一分もフランス語を学んだことがなかったのに、 フランス留学を決断。2002年UCLAエクステンションセンター・ 夏期英会話講座・修了、グランゼコールの一つ、2004年 リール政治学院・夏期特別セミナー修了(European Summer University Program at Institut d’Etudes Politiques de Lille)。 フランス国立パリ第九大学・Dauphine修士課程に2004-05年に在学。 多国籍企業の経営戦略が研究テーマ。大学では”英語”で講義を 受け、語学学校でフランス語を勉強するというチョット変わった留学生活をおくる。2004年7月3日から2006年3月25日までフランスに滞在。リール、トゥール、パリにて生活する。数々の政治家にインタビューする。 共著『オカマは差別か』(ポット出版)、2002年1月。 編集・共著『常識を超えて』(ポット出版)、2002年6月。 単著『ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情』(長崎出版)、2006年10月。 単著『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』(花伝社)、2006年10月。 単著『フランスは最高!』(花伝社)、2007年6月。

ドミニク=ドヴィルパンさんの著書を購入する

畏敬申し上げるフランス共和国のドミニク=ドヴィルパン前首相&元外務相とは交換書簡が昨年11月から始まった。6/19の新党『連帯共和国』結成に寄せて、手紙をしたため、御送り申し上げたところ、昨日、感謝のメールを頂いた。パリのベルトラン=ドラノエ市長とも交換書簡を続けており、今月上旬にパリから御手紙が届いた。

フランス語の勉強と学究を兼ねて、ドミニク=ドヴィルパン師のナポレオン三部作とナポレオンの至言集、シャルル=ドゴールの演説集をまとめてAmazon.frで購入した。

輸送費がもったいないので、半年ほど購入リストに書き添えてきた本を、一気にまとめて、輸入する。私はナポレオン=ボナパルトに最近、ハマッている。

個人的には、ルイ=ナポレオン=ボナパルト(ナポレオンⅢ世)が好きだし、関心があるのだが、邦訳された文献が少ないので、研究は浅い。

書棚からドラッカーのサイン本が見つかる。

書棚を整理していたら、ありし日のピーター=ドラッカーからサインを頂いた「未来への決断」を発見する。『芭蕉-詩的実存』も探しているのだが、見つからない。

とりあえず、なんとか発見したのが大泉実成さん著『麻原彰晃を信じる人びと』だ。こんにちにおいても読みごたえがある。大泉さんは続編を出す予定で、原稿もすべて書き終えていたのだったが、世に出ることはなかった。

墓場を住まいとする男か、2000匹の豚か。

本日の主日礼拝式@頌栄教会では、福音書朗読の箇所は『マルコによる福音書』5章1節-20節であった。

ゲラサ人の地方のレギオンという男の話である。今日に照らして、示唆に富む内容のように思われた。

レギオンは「汚れた霊にとりつかれ」ていた。家もあり、家族もいる。だが、それ故だろう、「墓場を住まい」とするように追いやられ、ゲラサ人によって「足枷や鎖で縛られた」(4節)状態にあった。イスラエルの墓場というのは当時、ほら穴だったため、その中で暮らすこともできないことはなかったのだそうだ。もっとも、「鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼(※レギオン)を縛っておくことはできなかった」(4節)。どうやら、共同体の人たちからも、家族からも疎んじられ、退けられ、遠ざけられていたようだ。

縛りなきレギオンは「昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」(5節)。憤懣やるせない怒りや、孤独故の憂い・哀しみを声に出したのだろうか。自らを石打つ行為は、現代日本で論ぜられることのあるリストカットのような自傷行為に通じるところがあるように思える。周りばかりでなく、自分もが自身を護る味方ではなかった。

レギオンは、ゲラサ人の地方を訪れていた「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。』」(6-7節)。助けを求めるのでなく、放っておかれることを求めたのである。

しかし、イエスは汚れた霊をその人から解き放った。聖書の箇所を御読みいただきたいが、汚れた霊たちは2000匹ほどの豚の群れに乗り移って、湖になだれ込んでおぼれ死んだ………(つづく)。

銀河鉄道の夜へ

銀河鉄道の夜へ

先日、イーハトーヴへ里帰りした。
帰郷した折には必ずといってよいほど見学する宮澤賢治記念館に行った。施設も三つに増えて、だいぶ、整備されていた。

宮澤賢治は北上川の“イギリス海岸”の石畳の上に寝そべって、物思いに耽ったという。街灯などほとんどとなく月明かりがたよりになる深夜、河岸に寝そべると、星々が美しく見える。河のせせらぎに耳を澄ましていると、銀河鉄道の汽笛が聞こえてくるようだ。

正統派指向というわけではないが、ワタシは賢治の作品で、『銀河鉄道の夜』がもっとも好きだ。たいてい黙読するのでなく、朗読CDで作品を聴く。なんとなもいえぬ切なさを覚えるのは何故だろうか。わたしよりも先に、天に召された知人・親族・友人の顔が浮かぶ時もある。

嗚呼、カムパネルラよ、ジョバンニよ。

綿貫民輔「国民新党」最高顧問を早慶戦で御見かけする。

本日は神宮球場で早慶戦を観戦した。
『外苑前』駅A3出口を出ると、「報復実現党」ならぬ『幸福実現党』のドでかい街宣車がとまり、上方より弁士が大音量で演説をしているところだった。
内野席入り口近くのキップ売り場には30分待ちはするであろう長蛇の列ができており、内野席はすべて完売、一般外野席は立ち見と書いてある。私は外野席側の売り場でチケットを買い求めて、多少の空きがあった慶應義塾大学の外野の学生応援席に行った。
球場は「満員御礼」に近い状態であった。
優勝決定戦というよりは、早稲田大学先発の「ハンカチ王子」人気故なのだろう。

わたしはフェンスに限りなく近い席に陣取った。

試合の途中で、ふと 隣の列を見ると、学生に交じって、慶應義塾大学卒の綿貫民輔「国民新党」最高顧問が御夫婦で座っているではないか。慶應・攻撃のときは、応援席の観客は立ち上がるのだが、御高齢ということもあろうか、それともじっくり試合を観戦したいからであろうか、綿貫先生は座って観戦しておられた。

七回の応援歌「若き血」や試合後の「塾歌」斉唱のときは立ち上がり、歌詞カードも見ずに元気よく歌われた。塾歌を三番まで暗唱されるとは「愛塾心」が強いにちがいない。
お偉い席で観戦するのでなく、御忍びっぽく、学生に交じって、観戦している姿には感心させられた。

最終回のピンチを乗り切り、2対1で慶應が勝利した。ハンカチ王子が敗戦投手。

今年のドラフトで注目されているというが、はたして、プロで活躍するのか。
心許なく思われる。

三島由起夫×美輪明宏×増村保造×若尾文子

 ゴールデンウィークはツレアイと芝居と映画を鑑賞した。

 まず、三島由紀夫・原作、美輪明宏・演出&主演の芝居をル・テアトル銀座で七年ぶりに観た。2003年に観たのは『黒とかげ』、今回は『葵上 卒塔婆小町』。BOX席のチケットがとれたのは幸いだった。二作が終わると、一階席の観客のほとんどは立って拍手喝さい。機会があれば次は美輪様の『椿姫』を観ようと思う。美輪様にBisous.

 池袋の新文芸座では『鬼才・増村保造×若尾文子』特集が催されたので、『妻は告白する』、『清作の妻』、『赤い天使』を観た。1961年につくられた『妻は告白する』は戦後映画史に刻印されてしかるべき傑作だろう。

 この年代の日本映画がゴダールを旗手とするヌーヴェル=ヴァーグに大きな影響を与えた。フランス近代映画史ではよく知られた話だ。2005年のイースターの折、パリ市内で増村保造・特集が催されたが、ワタシはデンマーク・オランダ・ベルギーに出張中で、観そびれてしまった。

 増村保造は鬼才というより天才だらう。

亀井静香・金融相よ、平成の大塩平八郎たれ

国民新党の亀井静香・代表はエルネスト=チェ=ゲバラと大塩平八郎を「心の師」と仰ぐ。
はたして、亀井静香・金融相は「平成の大塩平八郎」になれるのか?
藤井財務大臣の横やりを「財務大臣は自分の仕事だけをやっていればよい」と一蹴。

静香大臣の大塩評。

「(大塩の乱の)檄文を読むと、身が引き締まります。農民は飢饉にあえいでいるのに、奉公と商人が組んで、米の値段を釣り上げている。不正を犯す『奸者』と暴利をむさぼる『奸人』ということで、『奸者』『奸人』という言葉が出てくるわけですが、これなどいまの時代にもぴったり当てはまるのではないでしょうか。

 奸というのは、正道を犯して悪事をなすことなのです。そういう『奸者』『奸人』のやり方というものは、『万物一体の仁』を忘れた者の所業で、『誅伐』する-罪のある者を討って攻め滅ぼす-のだと、大塩平八郎は檄文に書いています。

 彼自身、幕府の役人であったわけですから、自分たちが少々暴れたぐらいでは、幕府はびくともしないということは、わかっていたのです。わかっているけれども、民が苦しんでいるときに、これだけの米があるのに(奸人が値を上げるために市場に出さなかった)、それをそのままにしておくことなど、到底できないということで、決断したのです。

 大塩平八郎は、乱を起こすことによって、幕府を倒し、国全体を救おうとしましたが、かなわなかった。けれども、一人の人間として、とにかくできることを精一杯やるという生き方をした」

恐れず ひるまず とらわれず
金融を変える 日本を変える
亀井の乱に力を!

清弘マリア様Ⅱ

で、清弘マリア様とワタシの関係は
同じ教会に通うクリスチャンという
ことだ。

ユニークそうで可愛い子だし、
声もいいし、モデル(mannequine)に
なれるように御恵みと憐れみに富みたまふ
御座い天の父なる神様に主イエス=キリストの
御名を通してお祈りいたします。

♡アーメン♡

ちなみに、こんど、一世を風靡した女優の
小橋めぐみさんにインタビューする。
楽しみだ。

ドヴィルパン前首相が多国籍軍のアフガン早期撤退と民生支援による復興を提言

フランス共和国のドミニク=ド=ヴィルパン前首相はパリ政治学院で催されたシンポジウムにパネリストとして参加して、「フランスは(多国籍軍の)アフガニスタン撤退においてイニシアティヴをとるべきだ」と発言した。
「アフガニスタンにおける軍事介入はこんにち、それ自身が問題となっている。軍事による平定というのは不可能に近い。駐留軍を増派すればアフガンの安定化につながるというのは幻想にすぎない。私が信念として心掛けてきたことは反対派をある程度の数は(議論や政策過程に)加えることだ。カルザイ政権も幅広い勢力から人材を登用すべきで、現在、アフガン情勢は悪化の一途をたどっている。アフガニスタンの軍事的介入は一刻も早くやめて、経済的・社会的領域で金銭的援助することがアフガン復興に向けた第一歩だ」
 ヴぃルパン前首相はこのように述べ、多国籍軍のアフガン早期撤退を促した。また、
「もしもカルザイ政権が自らの責任・責務を完全に負わなければならないと知るならば、その政治は『和解』に基づく『開かれた』真の政治に必然的になるだろう。現在は各民族・各政治勢力が反目し合っている。それではアフガンに平和は訪れない。タリバンを買収していくという現在の政治のやり方は効果的ではないし、道義やモラルにもとる」
 と述べ、国民的和解なくしてアフガンの復興なし、との見解を示した。
「イランやインド、パキスタン、ロシアの隣国は、アフガニスタンのカオスで国益を失している」「アメリカ合州国だけでアフガンの安定と復興を果たすことはできない。」
 と述べ、アメリカ中心の復興策の限界を指摘し、非軍事的な民生支援をするのが国際社会の責務であり、効果的な政策だと述べた。
 安全保障に詳しいジャーナリストの庭田悟氏はヴィルパン前首相の提言について、
「軍事に依らない民生支援は中村哲・代表の『ペシャワール会』がやってきたこと。日本政府は『ペシャワール会』を人材や財政の面で支援すべきでしょう。先進国は不安定な地域を平定するには軍事力が必要不可欠と考えている。国境なき医師団は『人道的なものは軍事的でなく、軍事的なものは人道的ではないのです』という理念を掲げています。日本政府が率先して民生支援をすることで、非軍事的な行動こそがアフガンの安定化につながるということを世界にアピールすべきです。それが日本国憲法九条を持つ国の責務でしょう。」

自我作古「彼を知り己を知らば……」 ~中華人民共和国・建国60周年を迎えてⅡ~

 一九九三年11月5日から夏期バカンスを除く毎週末に筑紫哲也さんが欠かさず発表したコラム『自我作古』(『風速計』の場合もあり)を読み返す日々が続く。
 中華人民共和国の民主化について考えるヒントは第371回「彼を知り己を知らば……」にあるように思う。引用する。

☆☆☆☆☆☆

 世界初の大学が建てた平和博物館とされる「立命館大学国際ミュージアム」(京都)がリニューアルされたのを機会に、そこを再訪した。

 もともとよくできた博物館だが、初心者に興味が持てるような工夫(「きっかけ展示」)や、展示だけでなく、さらに詳しく知りたいと思う者への情報を辿る回路を設けるなど、さらに改善が加えられている。

 世界中には、互いに連絡を取り合っている平和博物館がおよそ一〇〇あるが、その半分は日本に在るという。これは誇っていいことだと思うが、「平和ボケ」とか「一国平和主義」とかの罵りことばで「日本特殊」を咎める風潮が強まっている昨今では、「平和」を展示することは容易ではなく、展示の仕方にも工夫が要る。世界中を覆っているのは、兵器を陳列したり、「われ戦えり」と勝ちいくさを強調する戦争博物館や記念建造物(モニュメント)の類である。

 工夫が要るのは、博物館の展示方法だけではない。

 もともと、戦争と平和は表裏一体を成しており、「平和のため」を掲げて行われなかった戦争は滅多にない。しかも博物館や記念碑で象徴されるように、平時においても「戦争文化」は「平和文化」に対して圧倒的に優勢なのである。さらに皮肉なことに、このせめぎ合いのなかでは、「平和(文化)」を守る側も、そのために「戦う」ことが求められる。もちろん、平和的な方法によって、ではあるが---。

 ではどう戦うか。その場合、もっとも心すべきことは何か。

 表題のことばは、戦争文化が全盛のころの日本人ならばだれでも知っていた、孫子のことばで、「百戦殆(あや)うからず」と続く。敵と味方の状況をよく知り、把握して戦うならば、いくら戦っても負けることはない、という意味である。ナポレオンも今の中国を創った毛沢東も「孫子の兵法」の愛読者だったが、彼らはこの有名なことばの次に続くのが何だったかも知っていただろう。

「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す」---敵側の実情がわからず、自分の方だけ知って戦う場合は勝敗の確率は五分五分。

「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆(あや)うし」---敵の様子も、自分たちの能力もつかんでいないで戦う場合は勝てる見込みはない全くない。

 「孫子の兵法」は、「戦争文化」が生んだ作品、それも傑作のひとつと呼んでいいものだろう。「平和文化」の側に身を置きたいと願う者がそれを援用する場合には、よほどの用心と咀嚼(そしゃく)力とを備えなくてはいけない。「平和のために戦うぞ」というシュプレヒコールに何の矛盾も感じないような鈍感さであってはならない。

 「戦争文化」の常として、孫子は「敵」(彼)と「見方」(己)を峻別するのだが、それを超えて大事なのは「知る」ということの意味だと思う。「戦争文化」を「彼」、「平和文化」を「己」とする場合、相手の心理過程と実力を「知る」ことも大事だが、「彼」と「己」との距離、相違を「己」のなかで「知る」(確認する)ことはもっと大事だ。貪欲、無知、無関心、強がり、自己陶酔、既成観念や大義への安易な寄りかかり---相手と同じものが「己」のなかにないか。立命館大学で、「平和」に関心のある聴衆を前に、私はあえて「あなた(私たち)の心が戦争を起こす」という話(講演)をした。
【2005.6.3】

☆☆☆☆☆☆

 中国に限った話だけではない。
 官僚(彼)を知らず自分の能力(己)を知らないで戦う場合は、「勝てる見込みは全くない」。前原誠司・国交相や岡田克也・外務相の動向を追いながら「殆(あや)さ」を覚える。
 しかし、「君子(くんし)危うきに近寄らず」という故事に倣って(君子と自分は程遠いが)、静観しよう。いずれは書く。

 最後に、田中康夫「新党日本」代表と筑紫哲也さんのいざこざをあげ、故人を攻撃する文が散見しているので、もの申したい。

 田中康夫さんが「筑紫哲也のNEWS23」をボイコットしていた折にも、筑紫さんはそれを承知で、コラムで康夫さんを応援した。2002年夏のことだ。

 2006年春、フランス共和国から帰国したばかりのころに参加したあるパーティーで、田中康夫・長野県知事(当時)が筑紫さんに丁重にご挨拶され、談笑する二人を見て、微笑ましさとともに、安堵感を覚えた。康夫さんはいまでは、故人の遺志を継ぐ“筑紫ジャーナル”門下生の一人ではあるまいか。ちなみに、康夫さんが加藤周一さんと最後にお会いしたのもその会だ。

 康夫さんが帰られた後の光景が今も目に浮かぶ。

 パーティー会場外にある庭園の椅子に加藤さんと筑紫さんが座られ、春にしては強い陽射しのなかでお二人が話し合う。筑紫さんも加藤さんも真剣な雰囲気だった。談笑とはとても似つかわしくない雰囲気だった。そんな時間が長く続き、筑紫さんが席を立ち、帰途についた。

 筑紫さんと加藤さんが天に召されて以来、わたしはその光景を時折、思い返す。あの日、何を議論(論議)していたのだろうか。

 お二人が亡くなられてもうすぐ一年が経つ。
 そんな意識がわたしには芽生えている。
 上田耕一郎さんの死も忘れてはいない。

 今は身を 水にまかすや 秋の鮎

                        合掌