投稿者「大原 真理子」のアーカイブ

いろいろあった、一年間

中学生の卒業文集みたいなタイトルになっちゃいました。入社してから、早くも一年が過ぎたんです。緊張しっぱなしの一年でしたが、いろいろ、太くなったなぁと思います。神経も、体格も。細やかな神経と体格を忘るべからず。(けっしてもともと「細」くはないのですが)一年前と今とで、わたしの目に関して変わったことで自覚できることは、「字間がパラパラとあいていることに気づけるようになった→わざと字間をあける勢いも身に付いた」「和文フォントの従属の欧文か、欧文フォントかを見分けることができるようになった(いつもポットで使用しているフォントの中で)」くらいでしょうか。……これくらいしか発達しませんでしたごめんなさい先輩。あとは、見た目で想像する、色のパーセントの数字感覚も一年前よりは発達しているはず、だとは思うのですがいかんせん色を使いこなすのが苦手です。色は好きなんですが、苦手です。服装も、明るい色を取り入れたほうが心身に良い影響があるのに、いまいち保守的な色しか選べません。ただ、二十歳を超えたくらいから赤色が好きになりました。「金赤」という色はどうやら特別な価値があるようですが、どんな効果や影響があるんですかね。思い立って、金赤効果を調べたら「特に発色のよい赤色は、食欲と性欲を刺激する色」ですって。んま!わたしの大好きなコカ・コーラのあの色も金赤なのかしら!

非日常でリフレッシュ

348429224.jpg84c5e113fa104c92a93248eb6cb0df45_7_1.jpg

こないだ、母方の祖母の告別式に行ってきました。
千葉県の大網白里町の、農家です。
葬儀会場は、自宅の仏間。葬儀の運営は、農協のみなさん。
祖母との一番の思い出は、
ぼっとん便所を怖がり、おしっことうんこが出来ずに泣いていたわたしのために
庭に穴を掘って「ここにうんこしろ」と言ってくれ、うんこしたあとには
土をかけて埋めてくれたことです。やさしい。
ぼっとん便所は、地獄の入り口のように光ひとつない漆黒の闇でした。

葬儀はといえば、祖母は93歳での大往生だったため、完全に宴会でした。
親戚一同が集まっての、わけのわからぬまま行われる宗教的儀式と宴会と、田舎風情。
完全に、非日常=「ハレ」の日でした。リフレッシュ。

そしていつのまにか、従兄弟がほとんど結婚していました。
結婚式も、葬式も、コンセプトは同じです。
だれかを中心にゆかりのある人たちが集まって、その人を想って懐かしんだりして、
花を飾って、日常では飲食できないようなお酒やご馳走をいただいて、(日常でも飲食できるけど)
宗教職の方の施しを受けてその人をどこかに送り出す。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ハレとケ

いまウィキペディアで「ハレ」と「ケ」について調べてたら、
それらに加えた第三の概念として「ケガレ」っつーのがあるらしいです。初耳。
引用:日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」
ケガレ(気枯れ)って、またうまいこと言って。。
枯れたら、ディズニーランドとか行くでしょう。
そんで非日常からエネルギーもらうんです。

————-
いま、大田先輩に「シナノ印刷さんの工場見学について書け」と怒られました。
ごめんなさい。また書きます。か、書けるかな……。
見学時に沢辺社長がバシャバシャ撮っていた写真と動画を見たのですけど、
なんてったって動画!!!!!動画がすごい!そう、動画!
今は動画かー。

最近ポットでは※がよく炊かれています。
あ、米です。白米です。
一回に6合、7合は当たり前です。
まさに同じ釜の飯を食うなんとやら、です。
白くてつやつや光り、一粒一粒がしっかりと立っている炊きたてのごはん。
あれはなんなんでしょうね。神々しい。

ところで私の母は稲作(をメインとする)農家の長女なのですが、
「米は一生分食べたからもういい」と主張し、パンばかりを食べています。
しかしながら母は基本的には和食を好むので、パンばかり食べる理由の根底には、
パンが好き、というよりは「パンへの憧れが強すぎる」ことがあるのかもしれません。

私が実家に住んでいた頃のいつだったか、
キッチンの上にある滅多に開けない扉を開けると、そこにはあんぱん(つぶあん)が隠してありました。
これは母の、女子高生時代からの何十年にも渡る習性です。
「うちではおやつも握り飯だったのよ。だから外でパンを買ってくると、両親にたいそう叱られてねぇ。
米があるんだから米を食べろってね。だからわたしは親の目を盗みながらパンを食べていたの。
いまだに隠してしまうクセが抜けないのね」
と母は語ります。 米まみれの日常に抑圧されたパンク精神とトラウマを感じるエピソードです。

それにしても農家の人間は強いです。日常が、生活が、決して揺るぎません。止まったら死にます。
ちなみに、そんな母の実家に遊びにいったとき朝食で出される、
おばあちゃんの瓜の浅漬けがめちゃくちゃ美味しいんです。
小さい頃信じていた「米粒を残すと、目がつぶれる」だなんていう迷信を、私はもう信じていません。
すっかり薄汚れてしまいました。
揺るぎない日常の強さを瑞々しく含んだ炊きたてほかほかの白米と、あの瓜の漬け物をもう一度。
願わくば、自分にも農家の血が脈々と流れてあらんことを。

I can speak English fucking little.

英語をしゃべりたいと思い立ったのですが、どうせ何もしないのはわかっています、はい。
なので、アメリカンポップな趣味を持つ同居人と、
「まぁ無理せず英語で会話してみようじゃん」
と、軽くゲーム感覚でしゃべろうということに。

まー、中学生英語以下のレベルですね。わたし。

「good night」
「good night. あしたも英語だかんね」

それぞれ就寝。
翌朝。

「good morning Asako」と言うと、
「あ、おはよう」 と返されました。

ちなみに英語しゃべりたいなぁと思ったきっかけは、
テレビで関根麻里が外国人と話しているとき、日本人と話しているときに比べて妙にイキイキしているのを見て。
ではなくて、映画「スラムドッグ・ミリオネア」のプロローグで、
「運命だった」という一文を ”It is written.” と表現しているのに強烈に興奮したからです。
宗教的なこともあるんでしょうけど、なんて粋なんだ!と。
あ、てことはただの翻訳萌え?
英語が好きだった友人が、翻訳家になりたいと勉強を始めたことをふと思い出しました。
学生終わってから何かを学ぶ、修練する、身につけるって、いいな。

やっぱり英語でしゃべる人が、何を言ってるか、何を考えてるか、どんな文化を持っているかを
知れたらおもしろいと思うんです。そんな機会があったら。
あと、英語は、とにかく「good!」を連呼できるからイイ。
言われる方は、「え、ほんとに?」って思うけど、気分はとってもイイ。
シャイ(を言い訳にするのはずるいが)だからしゃべれないかもしれない…とも思うけど、
そもそも日本語すらまともにしゃべれないのでこの際もう関係ないです。

だらしない女

コートの右袖のボタンが取れているのに、今冬ずっと見てみぬ振りをしていました。
右の袖口だけぱかぱかしていて、気になってしかたがないのに、見てみぬ振りをしていました。
昨日の朝、出社しようと家を出た瞬間に左袖のボタンも取れてしまいました。
あぁこれはもう見てみぬ振りはできない、とそこで初めて
『コートの袖のボタンを長期間取れたままにしている問題』が意識の最上部まで上ってきて、気がつきました。

おそい。

そして愚かなことに、
「あ、逆に? これってもしかして、いっそ両袖のボタン取っちゃうって発想?
こういう処置もアリだった?逆にぃ、みたいな〜?」
などと自分に甘い考えを一瞬巡らすという始末。

ちがう。

なんで初めに右袖のボタンが取れたときに縫いつけなかった。
というか、実は去年の冬からすでに取れていた、ということにも気づいていただろう。
袖を通す度に「あぁボタンつけなきゃ」って(何十回も!)思っていたのになぜつけなかった。
明らかに不快で不便だと自覚しておきながら、問題から逃げていたんだろう。このクソ女!

一事が万事。
ということで今週から
『小さなことでも気がついたら無視しない』ならびに
『やることを出来るだけ後回しにしない』努力キャンペーン実施中。
思考から習慣を訓練する(あれ?むしろ習慣から思考を訓練する、か?)
なんて堅く言うとイヤになっちゃうので、

まずは
・日報を毎日つける(記録する)
・メールをこまめに処理する
・家賃と公共料金を期日までに支払う(後者は引き落としに移行中)
を実践。レベル低い。

体温計

わたくしは友人と、いわゆる「ルームシェア」をしています。
今週のあたまに風邪をひいたことをきっかけに、自分は体温計をもっていないことを知りました。
そこで、和風に言うと同居人、欧風に言うとシェアメイトである友人に聞きました。

「体温計もってない? もってたら貸して」
「そんなものはもっていない」
「熱があるっぽいから計りたかったんだよね」
「熱があるときに体温を数字で見ると余計に病気っぽく感じる。よって体温計などいらない」
「う、うん、わかるよ、わかるけどさ…ゲホゲホ」
「…いっしょにいるときに咳をされると、ものすごく気になるからマスクをしろ」
「わかりました」

ところで、わたくしは
『風邪のときにマスクをしていると余計に病気っぽく感じられるのでマスクは極力装着しない』のです。
何が言いたいかというと、『余計に病気っぽく感じられるので、これはやらない』という持論を、
同居人のそれと同じようにわたくしも持っているのですが、まーこっちのほうが迷惑きわまりないことだなぁ、と。
思いやりとかやさしさに欠けるなぁ、と。
思いやりとかやさしさって、自販機とかで売ってたりしないのかなぁ、と。
お金で解決しようというその根性がもう腐っている。
そして、お金ももっていない。すかんぴん。

話がズレましたが、2月のポットは、インフルエンザや風邪で社員がけちょんけちょんにやられていました。
季節を感じられます。今が旬!って感じです。
旬のものを取り入れることは健康にいいことだ、と聞いたことがあります。
それから、「健康」こそが一番の不健康だ、とも。
拝啓、母上さま。きょうもポットは元気です。

仕事+学ぶ=!

1月15日土曜日、MeMe Design School 2011 鈴木一誌さんの講座を
あつかましくも聴講させていただきました。
沢辺社長がゲスト講師として参加する、というきっかけで。ポットからは、ご、5人も。

わずか4カ月ですが実際にデザイナーとして働いてみて、の座学。
ものすごく!おもしろい!
講義を「ただ受ける」という姿勢しか出来なかった学生のときにはなかった感覚です。
そしてポットには、社員が外で勉強したいことがあれば、
その授業料の半分を負担するという制度があるらしい。ワオ!

講義内容は「ページネーション・マニュアル」。
ページネーション・マニュアルとは、
編集者、デザイナー、組版・製版者がともに仕事をするにあたって、
ページネーションを獲得するための考え方の「ものさし」(という解釈であっているのかしら)。
「自由は不自由」とよく言われますが、それはページネーションにおいても同じこと。
「やってはいけないこと」のルールを定義しておくから、それ以外は作り手の自由、
さぁ魅力あるものをつくりんしゃい!というメッセージだと受け取りました。

プロ(を自覚する)編集者、デザイナーなら、
「知らない」というのはとても危ういことだなぁという「ミソ」がいっぱい詰まった講義でした。
たとえば、テキストの構造化(これ興味深い)、版面の設計、台割の作り方、
活版時に培われたテクニックや考え方、人間の目が起こす錯視への理解、
ルールを破ったときや失敗したときの意外なおもしろさ、など。
なんかね、ほかにもね、編集とかデザインとかの仕事以外でも活用できるんじゃないかな、
というような方法論や思考法もてんこもりな予感です、ページネーションマニュアル。
禁則処理とか、どっちでもいいじゃん、とか思っていましたが、
どっちでもいいけど、ちゃんと本質を知ったうえで選択してね。ってことなんですね。

それから、鈴木一誌さんの哲学的で美意識の思想が漂う言葉のシャワーを浴びたことも、至極しあわせ。
しかも、文章と肉声のダブルですよ。
デザインはもちろん、魅力的なことばを話したり、魅力的な文章を書けるようになりたい、という
自分のなかの欲望に改めて気づかされました。

今年からわたくしも日誌当番にまぜてください!

新年おめでとうございます。
新人日誌、4カ月もまたいでしまいました。
本日から編集プロダクションチームに鈴木さんという新人さんがいらっしゃいました!
なんだかかわいらしい女性なので、どきどきしています。
沢辺さんにちょっかい出されている鈴木さんを見て、初日の自分を思い出して切なくなりました。
あのころは初々しかったのかなぁ。いまはもう、うす汚れてしまったのかなぁ……と。

ポットに入社してちょうど4カ月が過ぎました。
必死にやってきたようで、必死さが足りないような。
焦りすぎて「目的」を忘れそうなときは、
4カ月前に社員募集要項として自分が送ったメールを見返しています。
「なぜポットで働きたいのか」という項目で、綴った文章を見返しています。
先輩たちにしょーもないことで質問することがなくなるように、根性いれていきたいです。

さて本題です。
ポットに新・新人さんが加わったことを、勝手ながらきっかけにさせていただいて、
ぐだぐだになってしまって大変恐縮ですが、
ここらで新人日誌を終わらせて私も「日誌当番システム」にまぜていただきたく存じます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

「これ、キミにあげる」

デ、デザイン部の
こ、小久保さんが
つ、ついに
ささささ産休育休に入ります!

夕方、となりでデスクまわりを片付けている小久保さんから、いろいろいただきました。

●「一言、添え書きするときにでもこれ使って」
→全国19カ所のタワーの写真をあしらったメモ帳
その名も「19 TOWERS」(シールつき)

●「給料日前とか、これでなんとかしのいで」
→ふりかけ

●「写真や印刷物を見るとき、これ使って」
→ルーペ

今はルーペで写真ポジやプリントを見ることもほとんどないようですが、
印刷物を見るときなど、拝借して使います。ありがとうございます!

小久保さんが復帰するまでの1年間、 あっという間なんだろうけど、どれだけ成長できるかしら。
赤ちゃん、無事につるんと出てきますように。

1202.JPG

新人、3カ月経っていました

ごめんなさい。
日誌サボっていました。
本日でポットで働き始めて3カ月まるまる経ちました。そんなきょうの出来事↓

入社初日に持ってきた、愛用メーカーの、まっさらなノート。
3カ月経って、ノート1冊びっしり仕事に関わるメモで埋まり、
そろそろ使い切るか切らないかという矢先に、なくしました。
四次元に消えたかんじで、どっかいっちゃいました。

あーおわったー
なにもかもがおしまいだー

と思ったけど、まぁこれは

—————————-
いいですか…よくききなさい…
かたちあるもの、すべていつかは土に還るもの…
物質世界にこだわるのをやめなさい…
紙にメモしたからといって安心してはいけません…
そう、仕事は体で覚えるのですよ…

Don’t think. feel!
—————————-

という神の啓示だと思うことにしました。

とはいっても、すべて手書きのノートというのは、いくつになっても愛着があるもので。
先輩方からおしえていただいた情報は、わたしにとって、とてもとても価値のあるもので。
しょんぼり×10,000,000です。と同時に、メモした作業手順などを自分がどれほど覚えているのか。
それすらもわからず、ちょっと不安です。

四次元から戻ってこないかなー
「記録」って、ある日突然なくなってしまうことも大いにあり得るんですね。