投稿者「宮崎 玲子」のアーカイブ

お部屋1962/「作家」という肩書き

前々から「やれ」とせっついていた「実話ナックルズ」の編集部ブログが始まりました。当面は久田編集長が書くようです。懐かしい話もいろいろ書かれています。一度お立ち寄りください。

なんの反応もないとやる気が失せそうなので、浸透するまではできるだけ私がコメントを書いておこうと思ってます。
 
 
さて、「1954/唐沢俊一の肩書き」を「続きます」で締めて、そのままになってました。続きを軽く書いておきます。

物書きの名刺を一通りチェックしてみたのですが、もっとも多いのは、「肩書きなし」です。私もそうです。

「肩書きなしで、オレのことを理解しろ」という姿勢自体、傲慢とも言えるのですが、私の場合、ライターはろもろの仕事のひとつとして始まったため、その自覚が遅れてついてきたとの事情があり、肩書きなしが続いてしまってます。
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お部屋1961/出せるうちに出しておく

やっとさっき締切を過ぎていた原稿を片付けました。ここ1ヶ月ばかりずっと締切に追われていましたが、このあと2週間くらいは思い切り暇になります。なーんの予定もない。

ただし、毎年このあたりから12月にかけて、睡眠障害気味になるスケジュールになっておりまして、その時期に入るとダメ人間になります。すでに兆しはあるのですが、今のところはまだダメにはなってません。

次の単行本は今年中に出すとポットの担当が言ってます。『エロスの原風景』から5ヶ月ほどで出すのは早すぎのような気もしますが、すでに『エロスの原風景』はほとんど動かなくなっているので(タコシェではまだ動いていますが)、前著と食い合いになるということはないでしょう。内容もまったく違いますし。

『エロスの原風景』の数字を見ていると、私の感覚よりさらに本は短期商品になっているように感じます。発行点数が増えれば必然的にそうなるわけです。

いかにアマゾンの売れ方がロングテイルだと言ったって、タイトル数が膨大なためにそうなっているだけで、単品で見れば、十年前に出た本の大半は、月に1冊程度しか動かない。
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お部屋1958/私も「瀬戸弘幸氏の重大疑惑」

さきほど、やっと単行本の第一稿を編集者に送りました。この間に連載の原稿が溜まってしまったため、暇にはなっていないのですが、生きている証拠を出しておくとします。

「ゼリの根」の人たちをめぐって、いろんなことが起きているみたいですね。書きたいことはあるのですが、たいていのことは皆さんが書いているので、まっ、いいかなと。

凪さんも『ソースネクストの重大疑惑』を入手しましたか。今回のタイトルは、凪さんのところから拝借してみました。
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お部屋1956/電波大戦の裏で

昨日の「池袋電波大戦」は、リアルタイムには見てなかったのですが、−86対-86でどっちも負けというところでしょうか。ルール無用に見えながら、互いに使用する武器はブーメランに制限されているので、やればやるほどどっちも負けていきます。

すでに期待するところは何もないのですが、リチャード・コシミズなる人物には距離を置きつつ、この件に関して、期待するところが少しはありました。個人がバラバラにやっているに過ぎない私らと違い、彼は独立党なる団体をやっていて、経済的にも少しは余裕があるでしょうし、なにより使える人材が豊富にありそうです。

だとすると、私らが調べきれないことを調べることも可能ではないか。そう期待していたわけですが、どうもそんな力はなさそうです。それどころか、丁寧に根拠を調べ上げていくという発想さえなさそうです。また、ガードが甘過ぎで、本気で闘う気があるとは思えない。
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お部屋1954/唐沢俊一の肩書き

荒井さんが瀬戸弘幸を「本物のブラックジャーナリスト」と断定。

私はここまではっきりと書いてはいないわけですが、その可能性が非常に高いと思っています。

暴力団を背景に企業を脅して本や原稿を買い取らせる。高額な新聞を購読させる。そういった裏稼業を続けていればよかったものを、表舞台に出てきてしまったのが瀬戸弘幸の誤算です。

事実かどうかはたいした問題ではなく、嫌がらせができればいいブラックジャーナリストの体質がとことん身に付いているため、ガセにすぐに飛びつく。それ以上に、瀬戸弘幸以上に検証能力のない人たちがそれを鵜呑みにして大騒ぎをする。

これが、この1年の真相でしょうが、なぜブラック瀬戸が、表舞台に出てきたのか。これがなお私にはわからない。

インターネットを使ってより効率のいいブラック稼業をやろうとしたら、支持してくれる人たちが出てきてしまって、「オレさまったら、ジャーナリストとしてやっていけるのかも」と勘違いしたのでありましょうか。

このことを見極めるためにも、これ以降は、瀬戸弘幸の商売について具体的に見ていこうと思っているのですが、瀬戸弘幸が書いたものに目を通すのにちょっと時間がかかるので、もうしばらくお待ちください。

その前に、久々に唐沢俊一のことを書いておくとしましょう。
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お部屋1953/国会議員の乳首

昨日、ある出版社から、「田中美絵子について情報をもっていないか」との問い合わせがありました。風俗ライターってことで、知っているのではないかと思ったのでしょう。

「日本で初めてヌードを公開したことのある女性議員が誕生したことを歓迎する趣旨の記事だったら協力する」と伝えたところ、「そうするつもりです」とのこと。でも、なんの情報をもっていないです。残念でした。

搭乗員をやりながら、アルバイトでライターをやったり、映画に出ていただけで、それほど活動をしていたわけではないんでしょう、おそらく。

これに対して、「週刊文春」9月17日号は、わさわざ乳首写真までを公開して、「経歴をきちんと明かした上で、有権者に信を問うべきではなかったか」と書いています。面白い考えです。立候補者はバイト歴まですべて明らかにしなきゃいけないらしい。無署名の記事ですが、これを書いたライターは「草の根」と同レベルです。

こういう一文を添えてヌード写真まで掲載することに意義があるかのように見せかけたいのでしょうが、「国会議員のエロ写真を出せば下世話な好きな読者が飛びついて、雑誌が売れて金儲けができる」という意図をきちんと明かした上で、雑誌を出すべきではないんかな。
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お部屋1952/創価学会を嫌う理由 3

「いかに私は創価学会が嫌いか」を延々と書いていこうと思ったのですが、やめました。

ここまでのおさらいをしつつ、今回でこの一連の話は終わりにします。

前々回書いたように、このシリーズは、「私は何故東村山の問題に関与したのか」を説明し、「創価学会は嫌い」という個人の事情をも説明しつつ、「創価学会であろうとも、その信者を拒絶することはなく、連携できるところでは連携する」という結論になる予定でした。

しかしながら、私が「創価学会は嫌い」という前提をりゅうさんが受け入れてくれなかったため、「だったら、どんだけ嫌いか、とことんわからせてやろうじゃねえか」ということになったわけです。りゅうさんによって嫌いになったわけではなくて、もともと嫌いですから、それを表明するだけのこと。

暇つぶしとして、あるいは仕事として、おそらく今まで百を超える信仰宗教系の団体とコンタクトをとったことがあると思いますが、いつだって最初は警戒心から始まります。その緊張感が宗教団体巡りの醍醐味だったりもします。異文化と接触するのが楽しい。海外旅行をするようなもんです。
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お部屋1951/創価学会を嫌う理由 2

りゅうさんは慌てて謝罪していますが、あの回について撤回しようが、訂正しようが、創価学会への評価が変わるはずもなく、その評価を裏切ることのないことをりゅうさんは書いていただけのことです。撤回などせず、そのまま晒しておいていただきたい。

とは言え、謝罪したことについて深追いするのは私の流儀に合わないので、あの回についてはもう触れないとしましょう。しかし、私が創価学会に感じている特性は、りゅうさんがこれまで書いていたことにも見られますので、それを指摘しつつ、このまま話を続けます。

矢野穂積・朝木直子著『東村山の闇』を読んだ直後に、私はこんなことを書いています

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学会はなぜこんな本を放置しているのでしょう。

その辺の事情を探ってみました。どこに探りを入れたかは内緒です。ワハハ本舗じゃないですよ。

学会としては、かつてさんざんこの問題を批判し、法廷でも彼らの主張に根拠などないことを明らかにしてきました。事実、裁判では圧勝しており、反学会メディアたる「週刊新潮」でさえも、もはや「学会の陰謀だ」なんてことは書けない状態です。
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お部屋1950/創価学会を嫌う理由 1

※すいません、なぜか間違って、この回に次の回を上書きしてしまったようです。元の文章を復帰させました。9月9日の杉山真大さんのコメント以降は次の回につけられたものです。
 
 
「1949/宗教への嫌悪感が生ずる条件」の続きです。

このシリーズは、りゅうさんが書いていたことに呼応して、なぜ「草の根」を批判することになったのか、また、なぜ批判し続けているのかを説明するものなのですが、同時に、「創価学会の弁護をしたいなんて微塵も思っていないので、勘違いしないように」と表明しておく意図もあります。

これはりゅうさんに対してというよりも、「松沢は創価学会の信者なのか」「創価学会を擁護しているのか」などと疑う連中に対する牽制の意味でもあります。時々やっておかないと、必ずそういうヤツらが出てくるものですから。

私は創価学会がでえ嫌いであり、そんな教団を弁護をする気は毛頭なく、あくまで私は「草の根」や瀬戸弘幸らを批判しているだけのことであり、そのデマぶりを指弾しているだけのことです。その個人の事情を前回説明し、その上で、「だからと言って、創価学会員の発言を頭ごなしに否定するわけはなく、人として信頼できないわけもなく、創価学会の行動を全否定するようなわけはない」という話に進む予定でした。

しかし、りゅうさんは、私が「私」という主語で吐露した内面さえも認められないらしい。

りゅうさんは私が書いたことに対して、「なるべく控えめに」と言いつつ、こんなことを書いています

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でもって、宗教が政治に関わるとなぜ嫌悪感が生ずるのか・・・ということの結論は・・・「宗教ですから」。ヾ(-д-;)
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お部屋1949/宗教への嫌悪感が生ずる条件

しばらく間があいてしまいましたが、「modernfreaks」でのインタビュー連載が再開しました。今回以降は、「黒子の部屋」では未公開です。
 
 
では、「1947/風俗ライターという前職」「1948/『草の根』にこだわるワケ」の続きです。

りゅうさんは9月1日付けのエントリーで、こうも書いています。

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それまで、東村山事件ブロガーの方々は、基本、簡単に言うと「創価もカルトだが、ゼリの根もカルトだ!」という主張の基本路線があったように思います。

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これだとまるで相手を「カルト」と呼べば批判した気になる「ゼリの根」の連中みたいですが、表現はともあれ、私を含め、「草の根」や瀬戸弘幸を批判するプロガーの中に、どちらにも批判的である人たちが少なくないのは事実でしょう。

どう批判的なのか、どの程度批判的なのかは当然人によって違っていて、私について言えば、この2年間で少しずつ変化してきたようにも感じています。

もっとも変わったのは、世の中に流れている反創価の言論の中に、デマの類いが混じっていることを強く認識するようになったことです。「草の根」の言うこと、ゼリーグルーブの言うことはもちろんのことながら、乙骨正生や段勲といった連中の言うことにもいちいち眉に唾をつける癖がつきました。さすがに「草の根」や瀬戸弘幸たちと行動をともにできるだけのことはあって、この人たちもまた根拠のないデマを平気で流せる人物だと断じてかまわないでしょう。
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