投稿者「伏見 憲明」のアーカイブ

伏見 憲明 について

作家。 1963年生まれ。 著書に『魔女の息子』(第40回文藝賞受賞/河出書房新社)、『さびしさの授業』(理論社)、『ゲイという[経験]増補版』(ポット出版)ほか多数。 編集長として『クィア・ジャパン vol.1〜5』(勁草書房)、『クィア・ジャパン・リターンズ』(ポット出版)を刊行。 詳細なプロフィールへ→

好きです、牛角

karubi_1.jpg久しぶりに友達と焼き肉などしてしまった。行ったお店は、庶民の味方、牛角さん(「さん」づけはおかしいか)。昔の安価な焼き肉店のイメージというのは、なんかこう、うらぶれているというか、なまりのある日本語演歌が流れているような、どこか寒いものがあった。それが、牛角ときたら、安くて、キレイで、サービスも味も、すこぶるよろし。もちろん、100円袋詰めセールに通う伏見には、安いといってもけっこうなお値段だが、一人前ならそこらのゲイバーでウーロン茶2杯飲むのと同じくらいだ。
少なからずのゲイバーが接客のなんたるかも心得ず、行ったところで男ができるわけでもなし(それは自分の実力)。もう二度と来るか!と思いながら店を後にすることも少なくない。それに比べたら、牛角の満足度は200%くらいかもしれない。というのも、味ばかりでなく、店員までがけっこうイケてるからだ。
伏見の観察によると、牛角チェーンの店員のルックスは、かなり水準が高い。いろんな店舗で食したことがあるが、どこでもイケメンは多いし、ハズレ(どんな)がない。制服がこ洒落ていてその効果もあるだろうが、ふつうのファミレスなどに比べれば、景色は雲泥の差。
あれだけつぶが揃っているのは、バイト面接で外見のチェックポイントを入れていて、そのためにけっこうな時給になっているのか。と思って調べてみたら、時給は800-1250円ということで、普通と言えば普通。牛角で働くことが若い子たちのステイタスになっていて、それで応募者が殺到し選抜されるから質が高い、とも思えず。あるいは、かわいい子たちが働いていると評判で、あそこでバイトすれば恋愛チャンスがある!と思って若者が集まってくるのか(→としたら、舞台裏は恋愛関係でドロドロ→この男子アルバイトとあの女子は実はできていて、もしかしたらあっちの子とも三角関係だったりして→まさに「肉欲」まみれの職場環境→妄想はカルビの煙とともにモヤモヤとふくらんでいく)。
オバチャマ人格、起動!
rogo_gyukaku.gifなので、ジャニーズ顔の男子アルバイトがニッコリ近寄って来たりすると、ついオバチャマ、「お兄さん、塩だれカルビもう二皿くださる?」なんて気前よく注文してしまうの。これって牛角の企業戦略にしてやられてる?

家族連れ

子供が殺害される事件が報道されるたびに胸が痛む。伏見は子供嫌いなので、自分では子育てなんてまっぴらと思うのだが、いたいけな小さな命と、愛情を注いできた親御さんの気持ちを考えると、さすがに涙が出る。
oyako_1.jpg最近、散歩の最中に親子連れを見たりすると、本当に拝みたいような気分になる。同世代の友人などを見ていても、子育ての大変さは想像に難くない。シングルでただのんきに暮らしている自分は、親として子供と格闘している人たちの背中に感心するやら、感謝するやら。
この歳になると、ゲイや女性は家族制度に抑圧されている、といった社会批判をしているだけでは駄目だということが身に滲みてくる。もちろん、それは自分の過去の歩みを否定するものではまったくない。だが、自由を確保することだけではなく、時間軸の中で自分たちの欲望と社会をどう折り合いつけるのか、といった問題を考えざるを得ない。そうした視点を繰り込まなければ、ゲイリブは思想として幼稚と言われても仕方ない。

体質改善中

icho_1.jpgここ数年、自堕落な生活を続けていた。今年の夏くらいまでは一日の大半をパチンコ店で過ごしているようなありさまだった。夜は二丁目で無駄にお金も使った。もう書くことも、何か主張することも、大袈裟にいうと、生きてることさえウンザリしていたのだ。原因はいろいろだが、とりあえず、厄のせいにしておこう。
でも散歩をはじめるようになってから、「人生細胞」が再生している気がする。モノクロだった風景に色が着きはじめ、美しいものを美しいと感じる気持ちが蘇ってきた。道ばたに咲く花や、空を舞う鳥を見て、心がいきづいてくる。きっとあと数年で、世の中のお年寄り同様、木々と会話ができるようになるだろう。今日もためしてみた。「銀杏さん、世界で一番美しいのは誰?」。
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金銭感覚も正常に戻りつつある。一時は一日に何万もパチンコですっても平気だったのだが、いまではスーパーのニンジンの百円袋詰めコーナーで燃えるオンナになっている。本日は、みかんがタイムサービスで一袋184円! 伏見も、目の色の変わったババアたちと壮絶なバトルを繰り広げた。
……こんなつつましい人生でも、幸せです(←明らかにウソ)。

草思社様からの挑戦状?

soushisha_1.jpg新聞書評なども書いているせいか、我が家には毎日のように出版物が送られてくる。知り合いの場合にはジャンルはさまざまだが、面識もない著者のものだと、どうしても伏見の専門のセクシュアリティとかジェンダーといったシモ関係が多い。

で、今回、草思社・営業部様からお送りいただいたご本は、ジョン・J・タシクJr.編著『本当に「中国は一つ」なのかーーアメリカの中国・台湾政策の転換』と、川口マーン恵美著『 ドレスデン逍遥ーー華麗な文化都市の破壊と再生の物語』の二冊。政治論と都市論。どちらも性事論ではない(笑)。そして著者も存じ上げない。この献本、宛先を間違えたのではないか。

でも、もらったものは自分のもの。もう返さないもんね。それに、伏見は政治問題にはけっこう関心があって、大学は政治学部なんぞを出ているのである。本なんて滅多に自分では買わないのだが、今年、自腹で買った数少ない単行本は、『宮沢喜一回顧録』、村田晃嗣著『アメリカ外交』、魚住昭著『野中広務 差別と権力』、高橋哲哉著『靖国問題』……といったラインナップ。伏見が実は硬派だということを、草思社様にはご理解いただいていたのだろう。さすがベストセラーを次々に繰り出す一流出版社、お目が高い!(ポット出版もベストセラー、頼むよ)

実際、中国政治にはすごく関心がある。学生時代には、中国共産党史とかソ連共産党史のたぐいは相当読みあさっている。スターリニズムをいかに乗り越えるかとか、毛沢東主義の不可能性といったテーマは、やはり考えるべき事柄だろう。とか言って、本当は、『大奥』好みとほぼ同じテイストで、権力闘争で人間が醜く争う様を楽しんでいただけ。ストレス解消にしてたのよね(なんたって、春日局と並ぶ伏見のアイドルは、江青女史だから)。

ともあれ、『本当に「中国は一つ」なのか』、ぜひ読ませていただこうじゃないか。草思社様からの挑戦受けて立とう!(それほど大袈裟なことじゃない) そして、『ドレスデン逍遥』もいずれ、著者の川口マーン恵美さんの名前が面白いので拝読するつもり(それは失礼すぎ)。

ジョン・レノンに捧ぐ

j_1.jpgまたまた懐古趣味的な日記になるが、本日、12月8日はジョン・レノンが暗殺された日。もう四半世紀も前のことになるが、伏見はそのとき、高校2年生。音大の付属高校でクラシック音楽を勉強していたのだが、バッハとかモーツアルトには全然関心がなく、遅れてきたビートルマニアだった。とくにジョン・レノンの大ファンで、彼のちょっと神経質で尖った雰囲気に憧れていた。
といっても、1980年頃のジョン・レノンはパッとしていなかった。ビートルズ解散直後こそ注目されていたが、レコード売り上げは下降線をたどり、ウィングスで大ヒットを連発していたポール・マッカートニーに比べると過去の人という印象だった。判官びいきの伏見は、それでジョンに肩入れしたのかもしれない。
ジョンは75年からは半ば隠居生活に入っていて、80年に鳴り物入りでカムバックしたものの、オノ・ヨーコとのアルバム『ダブル・ファンタジー』は初動ではそれほどの勢いはなかった。シングルの『スターティング・オーバー』も、心待ちにしていた伏見少年でさえ、内心、ん?という疑問符が浮ぶほど肩すかしな作品だった。
それが彼が暗殺されるや、新作は大ヒットし、72年の発売当初はスマッシュヒットにすぎなかった『イマジン』が、世界中でもてはやされるようになった。70年代後半は滅多にラジオでかかることもなかったのに、だ。反対に、『イエスタデイ』と並ぶスタンダードと言われていたポールの『マイ・ラブ』は、今日では稀にしか流れなくなった。何が楽曲を普遍化していくのかわからないものだ。
l_1.jpgでも、すっかり平和の伝道者として語られるようになったジョンは、伏見のアイドルではなくなってしまったみたいだ。彼はそんなに立派な人でも政治的に正しい人でもなかった思う。もっといいかげんで、直情的で、暴力的な人間だったのではないか。もちろん理想論の人でもあっただろうけど、ヨーコの語るレノン伝説は美化されすぎている。それが疎ましい。
とは言え、25年前の今日、伏見はジョンの死にショックを受け、平和を願ってもっと行動しなければ!とか純粋に決意したものだった。後日行われた日比谷公園での追悼集会(写真はそのときのチラシ)にも参加し、数千人もの参加者と行進をし、一体感を味わった。おめでたい左翼であることがまだ許された時代だった。
でもあの頃の反逆精神は伏見のゲイリブにもつながっていったし、いまだって、「あたしゃ、闘うときゃ、からだ張ってでも闘うよ!」てな気持ちは失っていない。ただ、それが左翼的な方法論ではもう駄目だと考え直しただけ。つまり転向なんだけど(その辺りのことを人間学アカデミーの講演で話せたらいいのだが)。
*写真は、当時の新聞記事などを集めたファイルの中から取り出したもの。

映画『オープン・ウォーター』

____________________.jpg試写状をもらったときからすごく観たかった映画『オープン・ウォーター』。が、なにせ出不精ゆえ、試写の日程はいつのまにかすぎ、気づけばロードショーさえ終わっていた。そしてやっとDVDになって観ることができた。
ツアーガイドのミスで海上に取り残された観光客ダイバー。大海にただ浮いて救助を待つ恋人同士に、運命は厳しかった。近くを通りかかった船には、手を振っても気づいてもらえない。サメは姿を見せる。刻々と時間は過ぎていく。いつしかサメの群れに囲まれ、足を喰いつかれ、出血しながら力尽きていく男性。恋人の遺骸を海に放し、ついにそのときを覚悟する女性……。
『ジョーズ』のように絶叫する怖さではないが、観終わった後、しんしんと恐怖が効いてくる。ラストの、女性の絶望とあきらめの表情が、脳裏を離れない。こんな特殊なケースでなくとも、いつか自分にも訪れる「それを受け入れる瞬間」。その痛みが重なり合わさって、いっそうリアルに迫ってくる。

くのいちは見た!

kunoichi_1.JPG阿佐ヶ谷に狸が出ると友人が言っていた。あの辺り、雌豹(オカマ)がたくさん生息していることは知られているが、野生の狸までいるとは。都内に狸がいるくらいだから、伏見の散歩する河原に狸ほかキツネやアオダイショウなどさまざまな生物が住んでいてもおかしくない(写真左)。だけど、そんなものたちが身近に暮らしていようとは、ウォーキングをはじめるまで知らなかった。
数日前の早朝、人影もほとんどない河川敷を歩いていた。すると、前から二人連れが近づいて来る。50代くらいのおじさんたちだった。気のせいか、一瞬手をつないでいたように思えた。すれ違うときには並んで歩いていただけだったが。いや、におう! と、くのいち伏見は振り返った。すると、その白髪のまじったおじさんたちは、案の定、手をにぎり合っていたのだ。こんな田舎にも雌豹が生息していたか!
それにしても、その後ろ姿がとてもルンルンしていてかわいらしかった。よく見れば、お揃いのウェアーまで着ているじゃないか。早起きは三文の得。なんだかとってもいいものを見せてもらった気がした。愛……

予防接種

今年の1月、生まれて初めて!というくらいひどいインフルエンザにかかって、難義した。肺炎をほとんど起こしかけていて、医者に行ってもらった薬は効かなかった。それでだいぶ肺を痛めたのか、その後も長く咳を引きずった。
その際、母(82歳)にまで移してしまった。彼女は早期発見で薬ですぐに直ったが、あとから考えたら、高齢者を危険な目に遭わせていた。その反省でこの冬は親子で予防接種を受けることにした。こんなことまで配慮するようになったのかと、母の加齢が身にしみる。
kakkon_1.jpgそれにしても注射一本3500円! それでも感染の確率を下げたり、かかっても症状が比較的軽く済むといった効果しかないそうだ。しないよりはマシということだろう。でも4,5年前、オカマ界でA型肝炎が大流行したときに、取材をかねて予防接種したときは、10000円近くした記憶があるので、それよりはリーゾナブルだが(A型肝炎は空気感染しない→特別なことをしないとかからない→ご想像におまかせします)。
ちなみに風邪の初期症状なら葛根湯がよく効く。たいていこれだけでOKだ。

いけしゃーしゃーと

nori_1.jpg最近、このサイトの一日のカウント数がとんでもないことになっているので、中には気づいた方もいるかもしれないけど、下の記事、アップしたあとで一部改ざんしました(あ、この日記はそういうことしょっちゅうしますんで、怒らないでね。なので、基本的には引用等、お断り。←無責任に書きたいの)
なんで改ざんしたかというと、性格の悪い年増女が電話をかけてきて叫んだのだ。「あんた、中学時代のことを『20年近く前』とかいけしゃーしゃーと書いてるけど、自分の年齢考えてみい!」。え?と思って計算してみると……たしかに20年どころか30年近くもたってるじゃないさ! 30年なんて数字思い浮かべたこともなかった(マジ)。そうか、そんなに経っていたか……。記事に、「いつのまにそんなに月日が経ったのか」とか書いておきながら、本当に、実感がなかったのだ。だって、「30年前」なんて、おばあちゃんの回想みたいじゃないの。
やっぱオカマでシングルなんてやってると、人生の感覚がおかしくなる。ゲイライフには季節感がない、とかよく言うのだけど、本当にどっか狂ってるのかもしれない。だからいい歳して、高校生のフェロモン風呂で萌え!とか恥ずかしげもなく書いてられるんだけど。でも、いいの、どーせ、あたいは自分の人生のみっともなさを売文して生きているんだから。オマエら、せいぜい笑ってやってくれ!
ところで、あんまりにも自分の年齢にリアリティがないので、古いアルバムを何十年ぶりかで押し入れから取り出して、のぞいてみた(やっぱ、昭和はセピア色だね)。すると、幼児のときの写真の下に母がこんなことを記しておった。「昭和39年9月27日 やはり男の子。動くおもちゃが好き」。ごめんよ。期待にそえずに、こんな中年オカマに育っちまったよ!

母校は収容所

________.JPG散歩コースの入り口に、かつて(30年近くも前)通っていた中学校がある。土手の上からその校舎を眺めると、なんともいえない気分がこみ上げてくる。なつかしさなどではない。薄気味悪さといったものだ。それはとっても生々しい感情でもある。
中学生時、明確ないじめの対象ではなかったものの、居場所はどこにもなかった。毎日、学校へ行くのが嫌で嫌で仕方なかった。男子は暴力による幼稚なピラミッドを作っていたし、発情した女子の集団はいつもピリピリ殺気だっていた。入学の日から卒業の日まで、収容所に入れられているように息苦しかった。もしいまだったら、絶対に登校拒否をしていただろう(だからといって、あの経験が人生に必要なかったとは思わないのだが)。
教師は子供の目から見ても未熟な人が多かった。新設校で新任の若い先生ばかりだった。当時はそれに不満を言う権利があるように思えていたが、現在の伏見の子供みたいな年齢の連中に教えられていたのだから、仕方なかっただろう。彼らも一生懸命だったのだ。
あの校舎を前にすると、自分がいまいったい何歳なのか、いつのまにそんなに月日が流れたのか、わからなくなる。でも、中学時代の「痛さ」はけっして過去になっていない。そう、同窓会に行かないのは、あれを思い出にしてはいけないと思っているからだ。それは過去の恨みつらみが解消されていないということではない。あのときの意識がいまの自分の問題とリアルにつながっている、それと向かい合っているということ。
思春期のつらさは二度と経験したくない。それが、伏見が自由(フリーランス)にこだわる原点だと痛感する。中年も深まったいまの懊悩と、中学時代の苦しさを比べることはできない。正直、どちらも厳しい。けれど、同じつらさなら、自由であることのつらさを選択する。それはいつのまにか覚悟となっていた。