今年、跡見学園など何校かの国語の受験問題に、拙著『さびしさの授業』の一部が使用されたとのことで、権利問題を扱っている団体から事後承諾を求める通知が届いた。一瞬、「なにぃ、無断使用かよ!」とムカつくものの、著作権問題に詳しいポット出版のサワベ社長に相談すると、教材に著者の許可なく使用することは教育基本法でOKされていると教わり、不本意ながら納得。事後報告なのは、受験問題に使用することを事前に連絡したら、情報が漏洩するかもしれないので、そうするしかないだろう、と(たしかに、おしゃべりの伏見だったら、絶対にぺらぺら話すに違いない)。まあ、国語の題材に、自分のヘタな文章を取り上げていただけたのだから、嬉しくないでもないので、素直に印税振込の口座番号を記入し、返信することにした。
それで、せっかくなので、その問題を自分で解いてみることに……。ところが、これが難しい! 漢字の書き取りができないのは当然のこと(←ワープロ時代からもう漢字力はなきに等しい)、著者は読者に何を伝えたいのか、という選択問題も、いったいどれが正解なんだー!? と自分でも首を傾げる始末(←情けない著者)。むかし塾講師をしていた時には、そんなの簡単に解答できたはずなんだけど、実際に、自分が文章を書いていると、そう明確に言いたいことなんて示せなくなるもんっすね。
例えば、こんな問題。
問七 ー−部4「『私』と世界の裂け目に、どんな橋を架けることができるのか」とありますが、「橋を架ける」とはどうすることですか。書き出しを「世界に」とし、「『私』」という言葉を用いて書きなさい。
……うーん、なんて書きゃ正解なんだ?
投稿者「伏見 憲明」のアーカイブ
お笑いネタ
仕事先の電話の対応でときどき面白いのがある。これまでの爆笑ベストワンは、某ゲイ雑誌の編集部にかけたときのこと。
「伏見と申しますが、○○さんお願いします」
「すみません、いま伏見は外出しております」
一瞬、なんのことやらわからなかったが、先方がいい間違えていることに気づいて心の中で吹き出した。しかし向こうは切るまで間違いを自覚していないようだった。
今朝は、某事務所にかけてこんなことが。
「伏見と申しますが、○○さんお願いします」
「すみません、○○はまだ届けられていません」
……いったいどこから届けられるの!?(笑)
*写真は本文とまったく関係ありません。
書評『息子たちと私』
*初出 現代性教育研究月報 2006.1
私の散歩のコースにはグラウンドがあって、日曜日にはよく小学生のサッカーチームが練習や試合をしている。それを見守る親御さんたちの様子を眺めながら、親の気持ちというのはいったいどのようなものだろうかと思うときがある。彼らの多くは私と同世代なのだが、私には子供がいない。それに負い目を抱くことはないのだが、ある種のうらやましさを感じないとは言わない。
石原慎太郎著『息子たちと私』は、世間的に有名な家族の記録としても面白く読めるが、男親にとって子供はいかなる存在なのか、という点において好奇心をそそられる一冊だ。石原氏はそこで、子供の成長、兄弟関係、仕事、スポーツ、性、旅、結婚といったテーマを、具体的な子育ての経験とともに語っている。それは氏の人生観そのものだ。
氏の子育てに対する考え方は、こんなエピソードに端的に表れているだろう。
三男が「小学校の頃、入りたてに上級生からいじめられていたらしいので、それを聞いて私が喧嘩の仕方を教えたら功を奏して、逆に彼が相手を押さえつける立場に」なった。
父親として子供を甘やかすばかりでなく、競争の厳しさを学ばせ、闘うことをしっかりと教えるのだ。海や外国へ連れて行って、過保護ではない環境を肌で体験させる。子育てにおいて三世代同居の有益さを見直す……といった強さへの志向や、伝統的な家族の再評価は実に石原氏らしい。
親から子供、そして孫へと連なっていく環「を抱かずに人間は、確かに生きることも出来ず、死んでいくことも出来はしまい」という最後の言葉は、確信犯的な煽りなのかもしれない。子供を持てない人たちへの配慮のない物言い、との批判も招きそうだが、保守か革新かといった政治的な対立軸を安易に持ち込むことは、かえって氏の望むところだろう。行き過ぎた平等主義や弱者主義に釘を差す態度は、一つの見識として否定できるものではない。
私が心動かされたのは、成人した息子に、自分の仕事について理解のある言葉をかけられ、「血の繋がった息子が私の人生の総体として本質的に理解してくれているという嬉しさ……その満足といおうか、その安息の中……」と述懐しているくだりだ。連綿と繋がる血の時間軸の中に自分を位置づけ、思いを次ぎに託していくというのは、人間にとって何よりの着地点なのかもしれない。
我が子に期待する親たちの背中に、私が抱くうらやましさのようなものも、そこの部分だったと思う。それは多くの人間が経験することではあるが、それ以外ではなかなか得難い自己承認の形なのではないか。独身者としてプライドを持ちながら生きつつも、その困難さに考えるところの多い私は、それを深く実感する。だから子育てをしなければならないとは考えないが、それに替わるだけものを得るのは、並大抵のことではないだろう。そして家族を形成していくことの価値はけっして低く見積もれない。
そんな当たり前のことを、生き生きとした体験とともに伝えてくれるところに、この本の魅力がある。そして、氏の数年前のベストセラー『弟』も、実弟の故石原裕次郎への血の思いを深く掬い上げた、愛情溢れる回想録になっている。
蛇足だが、もし石原氏の子供に、娘がいたら、あるいは障害者やゲイが生まれていたら、氏の人生観にはどのような違いが生じたのか思わずにはいられない。果たしてそういう経験をしなかったのは、氏にとって幸福なことだったのか、不幸なことだったのか。
●石原慎太郎『息子たちと私』(幻冬舎)1575円
ヒ…日高さん?!
ヒ…日高さん?! と思わず目を疑った。今月のバディのおまけDVDの中でズコズコと腰を振っている兄貴の顔が、ポットの日高さんによく似ているのだ。いやだ、こんなところで、アルバイト? などとスケベに凝視してみると、兄貴は大胸筋が厚く張っていて、ガリっぽい日高さん(失礼)であるはずがない。他人のそら似か。(*右の表紙モデルさんのことではありません)
あの男優さん、今月ジーメンのDVDにも出演していて、こちらではバコバコと掘られまくっている。バディではタチ、ジーメンではウケという両面使用は、からだを丸ごとゲイコミュニティに捧げているようでアッパレ! その潔さに、伏見、ファンになりました。っていうかいやらしくファン。でも、今度、日高さんに会うときに、あの男優さんの腰つきが重なって見えたら、どうしよう。日高さんも、あんな……(ポッ)。
いただいたご本『方法としての子ども』
今月、この本の著者の小浜逸郎さんが主宰されている「人間学アカデミー」の講師をやっている。引き受けたのを後悔するほど、大変な作業を背負い込んでしまった。3回の講演を新書にまとめるということなので、一冊書き下ろすのと同様の労力を要することになる。それがパン!セの『男子のための恋愛検定』の入稿と重なり、そういう時にかぎって他の仕事が入ってきたりして、もう首が回らない(ついでにエヴァ2までパチンコ屋に入ってしまって…)。暇なときには「仕事来ないかなあ」と切なく思うのだが、忙しくなればなったで「仕事なんてやってられない」と投げ出したくなる。人は我がままなもの。
小浜さんは、フェミニズム関係の人には保守的な人だと思われているのだけど、書いていることをよく読めば、生真面目なリベラリスト以外の何ものでもない。センスは伏見と相当異なると思うが、納得することは多い。というか勉強になることばかりである。少なくとも、代議制民主主義を否定するようなある種のフェミニストよりは、よほど信頼できる(←こういう人たちに権力を握られたら、マジ怖いよ)。『ゲイという[経験]』をまとめて過去の総括は終わり、でいいと思っていたのだが、結局、それでは責任を果たしたことにはならないことを痛感し、この機会に、自分の主張してきたことの矛盾を整理をしている。自分に向かい合うのはつらいねえ……
●小浜逸郎『方法としての子ども』(ポット出版)2500円+税
いただいたご本『多重がんを克服して』
著者は元「週刊金曜日」編集長・黒川宣之さん。伏見とは「オカマは差別か」以来の因縁の関係。というのは嘘(笑)。個人的に黒川さんに悪い感情を抱いたことはまったくなく、あの時、面倒くさがらずにシンポジウムに参加してくださり、また真摯な議論を交わすことができて好印象を持っている。体調が悪いのを押して出席してくださったのは知っていたが、多重がんと闘っていらしたとは知らなかった。いまさらながら、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
伏見は「オカマ」の件で、「週刊金曜日」やすこたん企画と、自分の信じる価値観を表明し合い、論争をし、いろんな意味でよい契機になったと思っている。
けれど、あの騒ぎがしんどい経験だったこともたしかだ。なによりギャラリーの声に深く傷ついたのだ。どこの大学だったかわすれたが、ゲイの大学院生のホームページに、「伏見とすこたんの利権争いだ」みたいなことが書かれていたのにひどく打ちのめされた。匿名の掲示板ならともかく、そういう立場の人に、利権争いだと言われるなんて。
「週刊金曜日」を「利権」の場だと思うのは相当な世間知らずだと思うが、自分がそんなことのためにあんな消耗する論争をやったと思われているなんて……と、処女のように悲しくなった。たとえあの媒体で定期的な仕事をもらったとしても、たかだか月数万にしかならないだろうし、実際、あの議論の後で、伏見は「週刊金曜日」からの書評の依頼をもらって断っている(その理由は、あのシンポを収録した本は取り上げもせず、どうでもいいような同性愛の本の書評を持ってくる態度に憤ったからだ)。
人はそんなちっぽけな「利権」のために行動したりしない。少なくとも、伏見はもうちょっと志を持って生きているよ。ゲイのことをそれなりにいっしょうけんめいやってきたのに、大学院で学問をやっているゲイにまでそんなふうに見なされているなんて……いま考えても胸が痛くなる。親しい人にこのことを愚痴ると、気にするほうが悪いと言われるのだけど。ホント、その言葉で一週間寝込んだんだもの。言葉は人を殺すよねえ……。気をつけよう。
●黒川宣之『多重がんを克服してーー体験的治療学』((株)金曜日) 1300円+税
ろくでなし
血圧が上がって死んでもかまわない。終わらない原稿なんかほっぽってもいい。俺様は今日は朝も早よから、パチンコ屋の新装開店に並んだのだ。なんたってなじみの店舗にCRエヴァンゲリオン2が新台導入されたのだから。午前8時半には地元のろくでなしどもが100人は列を作っていたよ。ちなみに俺様は前から3番目。すっごい気合いだろう?
でも、結果は訊かないでくれ……。
このところジェンダーだの反差別だのといった本を山ほど読んででいたんだけど、あまりのバカらしさというか、人をバカにしたお話しに、もうストレスの塊になっていたのだ。パチンコくらいせずにはおれない。
オマエら、あの手の本をちゃんと読んだことあるかい? 論理を追ってみなさい。めんどくさいだけで案外簡単だから。そうしたら、ジェンダーフリーが保守派からバッシングされたり、世界日報でジェンダーがやり玉に上げられたりするのだって、そりゃ一理あるって思うさ。
ったく、なーんで俺様が世界日報なんかの肩もつようなこと言わなきゃならんのだよ!
いただいたご本『竜留城の王』
著者の浅野智哉さんは、以前、「ぴあ」の著者インタビューで伏見の『魔女の息子』を取り上げてくださった方で、そのとき、とても熱心に読み込んできてくれたのを覚えている。そういうライターさんはあまりいないので、印象的だった。あとがきに彼が書いているところを読むと、やはり小説というものに特別な思い入れがある人なのだろう。
この本は若年向けの文庫シリーズの一冊だが、ページをめくりはじめると、読者をなめていない、本気で言葉を紡いでいる気迫が伝わってくる。文章もめちゃくちゃ巧い。簡単にはコメントできない作品だ。来月、時間に余裕ができてからもう一度読み返してみようと思う。
ちなみに、浅野智哉さんは、硬派な文章からは想像できないほどの美形だった。QJrのモデルにお願いしたいくらい(笑)。
●『竜留城の王』(集英社/スーパーダッシュ文庫) 552円+税
あさがお
昨日は「人間学アカデミー」の第1回目の講演だった。会場の麻布学園に行ってみて初めて、そこがあの東大進学の名門、麻布中学・高校であることを知った(笑)。元塾講師としては(大昔)、これがあの御三家の一角かあと、感慨ひとしお。伝統を感じさせる古めかしい厠を借りながら、そういえば、憧れの宮台真司先生もここで思春期を過ごされたんだよなあ、とあさがおに顔を赤らめる(←どんな)。
今回の話しのテーマは、わが転向の歴史(笑)。転向っつーか、まあ、自分の中で抱えていた矛盾を整理してきた過程を語った。3回の講演で話したものを元にして本にする予定なので、伏見にしては珍しくまじめに講演原稿を書いていって、すごく大変だった。1回が原稿紙にして80枚。今年になってパン!セを書き下ろして、それからすぐにこれの執筆に入るというスケジュールで、いったいどこにこんな生産力があったのか、と自分に驚いている。
この執筆→講演のパターンがこれから一ヶ月であと2回! もう死んじゃうかもしれない。今日はリセット日にしなければ。ということで、パチンコに行ってもいいかなあ。行っちゃうよなあ。
キスだけじゃイヤッ!
島田紳介が司会の恋愛トーク番組「キスイヤ」に、素人ゲイカップルが出演していた。伏見はこういうのが大好き! つい仕事をさぼって見てしまった。彼らは24と25歳のなかなかのイケメンで、少し前、ゲイのパーティで知り合ったのだという。
もはやかつてのように男同士が登場しても会場はさしてどよめかない。「あぁ、ゲイなんだ」って空気が印象的だった。ゲストの薬丸くんがわざとらしく目を丸くしていたけど、オマエそんなの元事務所はじめ、周りにたくさんいるだろって突っ込みたかった(笑)。
今回の趣向は同性愛で驚かすのではなく、片方が実は過去付き合った女性との間に一女をもうけていて、その子供が実家の養子になっていることを告白をする、というもの。その事実を知らされた彼氏のほうは、初めビックリしていたが、自分は子煩悩で、好きな人に子供がいるのはとても嬉しい、と応じた。すごく感動的!
絶対、彼らに子育てカップルになってほしい。将来、日本のゲイに養子縁組が認められるためには、やはり実際にそれをやった人たちの経験の蓄積が必要だ。彼らがパートナーシップを深め、そんな家族を作っていってくれたら、とオバチャマ、願わずにはいられなかった(←久々登場、オバチャマキャラ)。