「ホモ」と
呼ばれるより
「好き者」の
ほうがまし
伏見 だいたいみなさんのヒストリーを聞かせていただいたと思います。児玉さんは職場でカミングアウトをしていたこともあって、それは最初はうまくいったけど、人間関係次第でどうなるかわからないということでしたが、他の方はカミングアウトというのは職場の中でしてなかったわけですよね?
junchan 職場では全然してなかった。
ラク 僕もまったくしてませんでした。
マリー 私はしてませんでしたが、完全に疑われてました(笑)。
伏見 マリーさんの場合、態度物腰でバレバレってことですか(笑)。
マリー そうですね。お客さんと付き合ってるという噂が流れたり。ただ私は一応仕事はやってますみたいな雰囲気だったので、そういったことはあまり大きなことにはならなかったんですね。
ラク 僕はバレることに関しては恐怖感がすごくあった。ここでバレたら、もうとんでもない扱いになるだろうと思った。
伏見 それはゲイの側が被害妄想的に思ってるだけじゃなくて、現実に差別的な扱いをされるということ?
ラク 例えば、こんなことがありました。入社してすぐの頃、僕はHIVの問題で少しは個人的に啓蒙活動ができたらと思ってたから、上司にエイズの話をしたんです。すると、「ああ、オカマの病気だろ」っていうような反応で、僕が「でも、そんなこともないみたいですよ」と言ったら、「ホモはしょうがないんだよ、そんな病気になっちゃっても」っていう会話で終始しちゃった。そうなると、こっちも何も言えなくなってしまう。こんなやつらが山のようにいると思ったら、とてもカミングアウトなんてできない。だから合コンの話が出たら、ゲイだって悟られないように、自分から「俺も出る!」っていうふうにわざと演じていかないといけない、と(笑)。 続きを読む
投稿者「伏見 憲明」のアーカイブ
QJ 座談会「私はコレで会社を辞めました」前編
■ 座談会「私はコレで会社を辞めました」
*初出/「クィア・ジャパン vol.2 変態するサラリーマン」(勁草書房/2000)
*この座談会の記事には、雑誌掲載時には児玉蒔さんというレズビアンの方も参加されていました。今回、連絡先が見つからずご承諾が取れなかったので、児玉さんの部分をカットしたヴァージョンのアップになりました。児玉さんがもしこのサイトを見ていたら伏見までご連絡をいただければ幸いです。
*ということで、座談の流れが若干、わかりにくい感じの部分があるかもしれません。
*また他の参加者の方も現在では社会的な立ち場がそれぞれ異なりますので、当時の話しとして読んでいただければと思います。
プロフィール(2000年当時のもの)
● ラク
34歳。大学卒業後、情報処理関連会社の営業マンとして7年間勤務。現在、新宿2丁目でパートナーと一緒にISLANDS(アイランド)というバーを経営し5年目。パートナーのほか、猫2匹と同棲中。
● junchan
約4年のOL(オカルト・レディ)生活後、ミセコ、貧乏女装を経て、バディ編集部へ(2000年当時)。女装は引退済み。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/3346
● マリー早川
武蔵大学経済学部経済学科卒。在学中に英国ケント大学に留学。日本国籍のマーケティング会社、米国籍の広告代理店などの勤務を経て現在、ゲイ・トラベル専門の旅行会社TRUE travel(トゥルー・トラベル)株式会社の代表取締役(2000年当時)。
司会 ●伏見憲明
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QJ 寄稿・じゅんこ「カマ護士は見た!」その3
● 社会は続くよ何処までも
浮世離れしたような印象の老人ホームですが、やはりここも人が集まって出来た一つの社会。当然、世間と同じくここにもヒエラルキーは存在します。(注4)
ホームに入職した当初はどのお年寄りも同じように見え、そこに上下関係があるなど知る由もなかったのですが、アタシも働くうちに徐々にその現実がわかってきたのです。
アタシが勤めるホームの入居者数は全部で五〇名ちょっと。その人たちが二つのフロアに分かれて生活しています。
フロア分けの基準はADL(注4)の高さによります。ADLというのは「日常生活動作」という意味で、その数値が高い人ほど職員の介助が必要ではなくなります。
比較的ADLの高い人は三階のフロアで、低い人は二階のフロアで生活します。なぜそれによって生活空間を分けるかというと、ケアの内容が変わるからです。ADLの高い人には、間接的なケアである娯楽の提供や、QOL(生活の質)(注5)の向上が求められてきます。逆にADLの低い人の場合、食事介助やおむつ交換などを丁寧に行なわないと、次のステップには進めません。 続きを読む
さよなら、がんちゃん
90年代以降、ゲイシーンでさまざまな活動を展開した春日亮二さんが亡くなられたそうです(享年37歳)。まだ若く、才能とエネルギーに溢れた方だったので、残念としかいいようがありません。友人のひとりとして寂しいです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
本当に、楽しい思い出をありがとう。
QJ 寄稿・じゅんこ「カマ護士は見た!」その2
● 仁義なき戦い・前編
毎月の中頃になると、わがホームには、泣く子も黙る恐怖の痴呆老女がショートステイにいらっしゃいます。
彼女の名前はマリコ。
並み居る痴呆老人たちの中でも彼女の破壊力は、他の追随を許しません。先に登場したウメさんやキミエさんのような強烈な老人を相手にしている職員たちも、このマリコさんにだけはいつも敗北を喫してきたのでした。
日中のマリコさんは、ニコニコと笑顔が絶えない一見優しそうな老女ですが、夕刻を過ぎた頃からその姿は豹変します。 続きを読む
QJ 寄稿・じゅんこ「カマ護士は見た!」その1
■ カマ護士は見た!
初出/「クィア・ジャパン VOL.5—夢見る老後!」(勁草書房/2001.5)
アタシの名前はじゅんこ
週末は新宿二丁目で番を張るおしゃべりオカマ
だけど、平日は老人ホームで介助に勤しむカマ護士なの
ここで暮らす老人たちは皆、一筋縄ではいかない猛獣たち
だけど、アタシだって負けてはいられない
オカマの意地にかけて、介護だって楽しんでみせる!
もちろん、徘徊とだって勝負してやるわ!!
じゅんこ●プロフィール
介護福祉士。日々を淡々と過ごす入居者たちに、
刺激を与えるべく、ホームのイベントで女装したり、
日常の会話にゲイバーのテイストを取り入れたり
(っていうか単にオネェ丸出しなだけ)と
介護業界の異端児(というか人外)。
イラスト●みさおはるき
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いただいたご本『社会の不思議』
最近、伏見の周囲では「大ちゃん」ファンが急増中!
「だいちゃん」とはかの社会学者、橋爪大三郎先生のこと。該博で重厚な理論派といったイメージの橋爪先生だが、実はおもしろキャラ(失礼)だということが一部で知られていて、「大ちゃんって歩くウィキペディアみたい」「大ちゃんの講演なしでは生きられない」「大ちゃんの話しってバロック音楽のようで官能的!」などとマニアが悶絶寸前の声を寄せている(どこに)。
そんなところに出版されたこの新刊は、大ちゃんが小学校へ出かけていって、小学生たちの質問にぶっつけ本番で答えたライブ集だという。イラストには大ちゃんキャラまで作られていて(右下)マニアにはたまらない一冊だ。もちろん小学生向けのものながら、社会について本質的な問題を語っているので、大人が読んでも面白いこと請け合い!
コピーは「先生の答えは、ぼくの予想を超えていました」。
「社会には、きまりがあります。でもこのきまりは誰かが決めたものではありません。気がついたら、そうなっていたのです。」
● 橋爪大三郎『誰が決めたの? 社会の不思議』(朝日出版社) 1500円+税
QJwに関する注意書き
執筆者、参加者のご協力でQJシリーズの記事のサイト公開が進んでおります。
ここにアップした記事は「クィア・ジャパン」「クィア・ジャパン・リターンズ」からのデータを用いたものですが、変換が上手くいっていない箇所があります。作業の手間ひまからその辺りは適当にしてしまっているので、もし引用などをされる場合には、必ず原典(雑誌)を当たってください。お手数ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
QJr インタビュー・桜丸さん
*初出/「クィア・ジャパン・リターンズ vol.0」(ポット出版/2005.5)
■ ある30代サラリーマンとの対話
桜丸さん
伏見憲明●インタビュアー
「ムーブメント」にも「コミュニティ活動」にも
とくに参加していない30代リーゲイは、
どんなことを考えて暮らしているのか。
個人サイトで気を吐いている発言者に、
ゲイにとっての今という時代を訊いてみた。
● 桜丸(さくらまる)
1968年生まれの36歳。関西出身で
現在は都内某企業勤務の事務系サラリーマン。
169cm95kgトレーニング暦10年、SG体型のつもり(笑)のデブ専ゲイ。
ネットサイト「桜丸の日本男児で行こう!」で、日記・エッセー・小説等を公開中。
ゲイとしての視点から幅広い話題を取り上げ、辛口トークでぶった切ってます。
ゲイ生活は、上野・浅草のゲイバー&発展場で展開中。
政治的スタンスは保守系寄りリベラリストのつもり。
「桜丸の日本男児で行こう!」
http://home.att.ne.jp/sigma/sakuramaru/Homepage.htm
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QJ 寄稿・トーマス・ソングさん「夢見た老後」
*初出/「クィア・ジャパン vol.5—夢見る老後!」(勁草書房/2001)
トーマス・ソングさんの執筆による自叙伝で、今回、新たに付記を寄せてくださいました。
■ アメリカ在住、ある東洋人ゲイの人生と老後
夢見た老後
トーマス・ソング
● Thomas Song(トーマス・ソング)
1929年韓国人を両親に東京で出生。大連で少年期(1934−46年)を過ごし、旧制高校一年の時(45年)日本敗戦。翌46年冬、ソ連軍占領下の大連を南朝鮮に脱出。48年夏単身渡米、高校、大学を卒業(53年)、徴兵され軍務服役後、米国に帰化(56年)、研究院修了。大学の司書と教員生活20数年後、引退。パートナーとの共同生活32年。在米生活53年。
出自と履歴
気がついたら、とうの昔に古希をすぎていた。
すでに在米五三年になる。僕は一八歳の時、東洋を棄てた。そして、アメリカに逃げた。「なぜか?」と君は問うかもしれない。僕の青春時代には、生まれついた国を棄てることは言語道断だと考えられたし、そんなことをしたら憎まれた。でも、僕は故郷を持たない、東洋社会からはみ出した影のない少年だった。とどのつまり幽霊だった。
第二次大戦後、日本の偏狭な国家主義に替わって、今度は韓国に偏狭な民族主義が充満していた。そこでは、日本人なら誰であろうが憎まれた。 続きを読む