北尾トロ=“伊藤ちゃん”と下関マグロ=“まっさん”の20代。
金なし。定職なし。でも時間だけは腐るほどあった、1983〜88年のあの頃。
ライターになってはみたけど、気分は悶々、未来は不透明だった──。
当時のライター・出版業界の気分から、おかしなペンネームの由来までわかる、ふたりの原点を振り返った青春ボンクラエッセイ。
北尾トロ=“伊藤ちゃん”と下関マグロ=“まっさん”の20代。
金なし。定職なし。でも時間だけは腐るほどあった、1983〜88年のあの頃。
ライターになってはみたけど、気分は悶々、未来は不透明だった──。
当時のライター・出版業界の気分から、おかしなペンネームの由来までわかる、ふたりの原点を振り返った青春ボンクラエッセイ。
伊藤さん、増田さん、こんにちは!
編集長の福岡さんって、僕のこと?
それとも、菅沼さんのことかな?
昨日、僕の経歴について触れる必要があり、そのとき突然、「あの懐かしい青春の日々、ボブスキーの痕跡がインターネットに残っているなんて奇跡があるのだろうか?」という閃光が僕の頭を走り抜けました。
そして、「昭和が終わる頃、僕たちはライターになった」を見つけたのです。
伊藤さん、あなたの才能を最初に発掘したのは、僕です。
僕は、初めてあなたの原稿を見たとき、繊細なガラスのようにちょっとつつくと壊れてしまいそうな、澄んだ、はかなくも美しい文章にハッとしました。
スキー雑誌を創刊したものの、巻頭を飾るカラーページは、カメラマンの持ち込んだ躍動感のない、定番ともいえるヨーロッパアルプスを滑るスキーヤーのカットしかありません。
そこで、僕は、その写真に合わせて、君に詩を書いてくれるよう依頼しました。
こうして、ボブスキーの巻頭カラーページは、初めてのスキーシーズンを乗り切ったのです。
あなたは、ライターではなく、詩人になるべき人だったという確信は、今も変わりません。
僕が目指したのは、スキー雑誌の「ポパイ」でした。
これまでのスキー雑誌ではなく、若者文化をリードする平凡出版のポパイのようなスキー雑誌を出したかったのです。
だからボブスキーには、エッセイスト、ミュージシャン、作家など……様々なジャンルの執筆者が登場します。
中でも、僕が一番原稿を書いてもらいたかったのは、開高健氏でした。
僕は、平凡パンチに連載された「風に訊け」が大好きで、スキー誌版「風に訊け」の執筆を彼に依頼しました。
しかし、返事は、「僕も書きたいんだよ。でも、体が悪くてね」というものでした。
それから、しばらくして、開高健氏は亡くなりました。
あなたたち若いスタッフの力で、その目標はほぼ達成できたと思います。
八年後、編集部を去ることになったとき、僕には、「この編集部は解散することになるだろう」という確信に近い予感がありました。
理由は、企画力が育っていなかったからです。
面白い企画を生み出していく力はある、けれど、それを深めていくことができない。
僕は、企画会議を通じて、若いスタッフたちの限界を感じていました。
そして、その通りになりました。
実は、僕は、ボブスキーが軌道に乗ったあと、若者向けの一般誌を創刊したいと考えていたのです。
伊藤さん、増田さん、あなたたちふたりは、その強力な戦力になりうると信じ、温存してきました。
残念ながら、その夢は叶いませんでしたが……
おふたりも参加して下さったICI石井スポーツのアウトドア・カタログ「EARCHIAN」の編集後記で、僕は次のように書きました。
スキーが好き、山が好き、というぼくがついにアウトドアのカタログを出すことになった。
いつの日か、そんな本を出してみたい、というのが僕の夢だった。
都会の喧騒と、時の流れの速さは、ぼくたち若者を魅了せずにはおかない。
時の流れを忘れさせ、新緑の木々の芽生えを、そして木枯らしの音を忘れさせる熱狂が都会にはある。
時はいつも後からついてくる。
でも、若いということは、いつもそういうものなんだと思う。
そんなぼくが、無性に山に行きたくなることがある。
徹夜続きの手をふと休めて、机の中からなにげなく取り出した一冊の手帳。
その1ページ目に書き込まれたタイム・テーブル。
ぼくが初めて登った山、上越の苗場山の山行記録だ。
時を記しただけの断片的なメモ。
その数字の中から浮かび上がってくるさまざまな思い出と思い。
都会の中にあって追いかける自然。
アスファルトの世界にあって夢見る蒼い空、雪を抱く山々、そして風の声。
そんなとき、僕は世の中の全てを超えて幸せだなと思う。
三十路を越えての山体験だけれど、このアウトドア・ライフの世界に触れることができたことは、きっとぼくの人生において最大の収穫に違いない。
このカタログづくりには、スタッフのことばにならない苦労があった。
後半の一ヵ月はほとんど徹夜だらけだった。
苦しい思い出の多かったこのカタログづくりに、スタッフへぼくの心からの愛とサンクスをこめて。
おふたりにとっての青春の日々は、また僕にとっても青春の日々でした。
夢を見て、夢を追いかけ、がむしゃらに駆け抜けたあの日々……
あの高揚に満ちた熱い日々をともに生きて下さったおふたりとボブスキーのスタッフ全員に心からの感謝をささげます。
本当にありがとう。
かつて存在したスキー雑誌「ボブスキー」の編集長 空閑俊親より
空閑さん
コメントありがとうございます。
増田です。
その節は、右も左もわからぬ駆け出しのライターである僕に、
仕事する機会を与えてもらい、本当に感謝しております。
本稿を書くため、
『ボブスキー』を探しに国会図書館へ行きましたが、
ありませんでした。残念。
手元に本誌はありませんが、当時の記憶は自分の中に
深く残っております。
空閑さん、お久しぶりです。
伊藤です。
『ボブスキー』ではお世話になりました。
後期は実質的に抜けてしまい、気がつけば
空閑さんの姿もなく…ということで
すっかりご無沙汰してしまいました。
ぼくらは相変わらず友人として、ライターとして
なんとかやっております。
この本は、そんなふたりで作った本です。
読んでいただきありがとうございます。