月別アーカイブ: 2009年10月

ゲスト:永江朗 第3回「紙の本の値段、電子書籍の値段」(最終回)

●出版社には、書店の利益を確保する義務がある(少なくとも現状では)

沢辺 あと、これまで出なかった再販維持論者の意見として、「再販制がなくなると価格が高騰するからよくない」というのがあるけどどう思う?

永江 筑摩の松田さんとよく言っていたのは、本の値段を倍にするだけで、日本の出版界が抱えている問題はかなり解決するよね、っていうことで。
本の原価率が高すぎるというのと、書店のマージンの絶対額が低すぎる、というのが解決するでしょ。出版点数も絞らざるを得なくなるから、値段を倍にするといいことばかりなんですよ。大洪水もブレーキかかるし、本ももっと大事にされるし、書店の余裕も多少出来るだろうし。
値段の高い安いを消費者がそんなに気にしているかというと、『○型の説明書』は中身薄くてぺらぺらで、1000円でしょ? あんなに消費者にとってコストパフォーマンスが悪い本はないのに、4タイトルで500万部売れるわけですよ。
『1Q84』だって、2冊合わせて3600円するのを100万人以上が買うわけですよ。6000円の『羯諦』がミリオンセラーになることはないけど、あの写真集は2000円でも買わない人は買わないし、売行きはあまり変わらない。
ただ、今回僕が出演しているラジオ番組のパーソナリティーの小西克哉さんに「えっ!? 『本の現場』、1800円? 村上春樹と同じ?」って言われたときは、ちょっとひるみましたよ(笑)
文豪村上春樹と同じ値段で消費者の方からお金をいただく自信は、正直ないですからね。

沢辺 いや、村上春樹のはユニクロのフリースと一緒で、いっぱい売れるから1800円なんでね。
で、書店のマージンの絶対額が低い問題を解決するのは、実額のことを考えなくちゃならないんだよね。

永江 そう。売上高で見ていてもしょうがないわけで、利益額をどう増やすかが問題なんですよね。
見かけの売上が上がっていても利益が全然なければ意味がないわけだし、売上が低くても利益が取れていればいいわけですから、パーセンテージの問題と絶対額の問題は、両方見ていかなきゃいけない。車を売るのに、ベンツのSクラスと軽自動車を、パーセンテージで勝負したら全然話にならないじゃないですか。

沢辺 そうそう。軽自動車なら、毎日1台売れなきゃいけないけど、ベンツなら月に1台でいい、小売りとしてそのための金の掛け方をしよう、ということだよね。
だから本もちゃんとその辺のことを考えたほうがよくて、ひたすら新書作って安く、以外の方向もにらんでやれるんじゃないかな、と思う。書店の取り分を増やすことだって、定価を上げればやりやすいもんね。

永江 少なくとも現状、本の価格の決定権は出版社にあるんですよ。
再販制っていうのは、出版社が一方的に小売店に自分の売りたい値段を押しつけて拘束しているわけだから、出版社は書店に対してその定価に対する利幅で食っていけるだけの利益を確保する義務があるんですよ。
それを、低価格のものが売れているとかなんとか言って低価格競争に走って、書店の絶対的な利益を少なくしているのは、本来からすると許されないと、私は思っていて。
だから、再販制を残したい出版社がいるなら、それはそれでいいですよ。その代わり出版社は、個々の書店がちゃんと食えて、彼らの子どもが、少なくとも親と同程度の教育が受けられるくらいのお金が家庭に生じるくらいの面倒は、ちゃんと見てやれよ、と思いますよ。

●『本の現場』を電子書籍にしよう

沢辺 ちょっと話は横道にそれるんだけど、電子本の場合でも、取次とか書店にあたるものがありますよね。例えばiPhone用の電子書籍を売ろうとすると、アップルが30%くらいとるわけですよ。
電子本だからといって直で売るのが効率がいいということはなくて、やっぱり配信するところは必要なわけよ。
『デジタルコンテツの現状報告』の中でも音楽配信をやっているモバイルブック・ジェーピーの佐々木隆一さんに聞いてるんだけど、彼の話でも30%から40%くらいは配信手数料と決済手数料でとるんだよね。
つまり、現状の出版の出し正味65%前後と、たいして変わらない。
そうすると、なくなるのは紙代と印刷代だけなんですよ。
例えば『本の現場』の場合に紙代と印刷代は何%くらいかかっているかというと、初版2500部で30万円くらいだから、ざっと1冊120円くらいですよ。希望小売価格1800円の、6〜7%。これで何で値段が半額に出来るのか、ですよね。
紙代と印刷代に編集制作費とデザイン代を合わせた20%弱がポットの原価率。
これに永江さんの印税を10%入れたと考えると、30%弱になる。
出版社から取次に卸す値段が約65%だから、65%−30%で、35%前後が1冊あたりポットに入ってくる金額ですよね。1800円の1/3、600円くらいになるのかな。
これを、紙の本の半分、つまり900円で売る場合、1/3はアップルに持っていかれるとしても、ポットには1部につき600円入る。紙の本用のデータを電子本のフォーマットにするのにコストがかからないわけじゃないし、紙の本を出さずに最初から電子本でやる場合はまた別だけど、ざっとこういう計算だよね。

永江 だから、日本で出た紙の本をスキャンして蓄えているGoogleが、「Googleはアナタの本の電子版を配信したいんですけど、いかがですか?」っていうビジネスは十分有り得ますよね。
今まではたまたま日本語の壁によって日本の出版社は守られていたけれど、これからは、新潮社が出した本もGoogleが世界に配信する、ということもあるかもしれないですよね。65%とか払って。

沢辺 じゃあ、とりあえず『本の現場』をiPhoneで600円くらいで売るかな。

永江 買う人いるのかな(笑)

沢辺 そのかわり、印税はダウンロード数に応じた額でお願いしますよ。データは全部永江さんに公開するから、ポットがかかった手間も考えて、具体的なパーセンテージはそのときに決めるっていうことで。

永江 それ面白いと思うなー。

沢辺 永江さんの言うように、電子本で大幅ダンピング、1800円の本が600円で読める。
俺、今後の本は、電子本と紙の本の同時発売っていうのをiPhoneでやってみようと思っててね。まだ電子本はそんなに売れないとは思っているけど。
その第一弾は、『本の現場』をやってみますか。

永江 やりましょう、やりましょう。そしたら、またどこか取り上げてくれるかもしれないですね(笑)
僕の本はそんなに大して売れないと思っているから、色々遊んでもらえればいいんですよ。これでまた仕事が大分減るんだろうなあ、とか思いつつね。

沢辺 出版ニュースの清田さんも、それを心配してましたよ。でも、攻撃的に出てこられるってことは一切なくて、ただ戸惑われてる感じだよね。もともと大した反発はないと予想していたけど、予想した通りで、色々やってみて全然平気だった。

永江 やってみて平気だってわかっただけでも、成果は大きいわけですけどね。

沢辺 あと、これは余談だけど、近江商人の「三方皆よし」っていう言葉があるじゃないですか。「売り手よし、買い手よし、世間よし」っていうね。
で、よく出版の公共性っていう議論があるんだけど、「公共性」という堅苦しい言葉で考えなくても、世間も含めてみんなが良くならないと、結局商売って長続きしないんだよね。
三方には「売り手」も入っているから、もちろん、働いてるやつがとんでもなく貧乏になるのも駄目だよ。

永江 なるほど。じゃあ、ポット出版の給料はさぞかし高いことでしょうねえ(笑)

(了)

●次回予定

永江朗さんインタビューは今回で終了です。永江さん、ありがとうございました。
次回の「談話室沢辺」も現在進行中ですので、公開日決定次第・告知いたします。どうぞよろしくお願いいたします!

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

目次など、詳しくはこちら

うたぐわさんインタビュー(前編)

1237339026786.jpgインタビュー「人気ブログの著者、うたぐわさんってどんな人?」(09.9.23 エフメゾにて)

うたぐわさん/人気漫画ブログ「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」の著者。
1966年生まれ。B型。フランス(パリ)が苦手。

インタビュアー/伏見憲明(エフメゾママ)
 
 

● 伏見憲明はうたぐわさんの赤木春恵?

伏見 今日はゲイバーの片隅で地味にインタビューするつもりだったのですが、こんなにたくさんのお客さんが集まって、さすが人気ブロガーはすごいですね。若いゲイのお客さんは漫画のファンなのか、うたぐわさんの体を求めてきたのか、よくわからないのですが(笑)。それでは改めまして、うたぐわさんです! 

うたぐわ あ、体のほうはいつでも応じますので。みなさん、うたぐわです。ありがとうございます。 続きを読む

育児メモ・1歳児編

先日、1歳前後の子どもの撮影をしました。
言葉が通じる幼児の撮影も大変ですが、
言葉が通じない1歳児はさらに大変でした。
想像を絶してました。

「こんなふうに遊んでるところを撮りたい」と思っても
子どもの気分が乗らないと無理。
しつこく遊んでもらおうとすると泣き出す。
機嫌がなおった、さあ撮影再開!と思いきや、また泣き出す…。

しかし、お母さんにしがみつく小さな手のかわいいこと!
大人の望み通りの動きをしたあとの、褒め言葉待ちの顔のかわいいこと!

人間もサルとか犬とか猫とかも、赤ちゃんがかわいいのは
大人に「守ってあげたい!」と思わせるためなのだ、みたいな文章をどこかで読んだことがあります。
もちろんかわいいだけでは育てられないけど、
確かに手がかかるわ・かわいくないわだと、辛すぎるよなあ。

どうでしょう、鉄すずママの佐藤さん?

お部屋1958/私も「瀬戸弘幸氏の重大疑惑」

さきほど、やっと単行本の第一稿を編集者に送りました。この間に連載の原稿が溜まってしまったため、暇にはなっていないのですが、生きている証拠を出しておくとします。

「ゼリの根」の人たちをめぐって、いろんなことが起きているみたいですね。書きたいことはあるのですが、たいていのことは皆さんが書いているので、まっ、いいかなと。

凪さんも『ソースネクストの重大疑惑』を入手しましたか。今回のタイトルは、凪さんのところから拝借してみました。
続きを読む

今後の新刊には、書影利用自由の表示をします

ポット出版では、今後の新刊のカバーと目次ページに
「書影としての利用はご自由に。写真(イラスト)だけの利用は問い合わせください。」
と表示します。

時々、図書館などから「広報誌」などでの本の紹介のための、書影利用依頼をいただきます。
一方、新聞や雑誌などの「業界内」では、書影利用の許諾はほとんどなくて、「慣例」として、
自由に利用しあっています。

ポット出版は、
デザインに著作権はない→利用は自由で、制限はない
写真・イラストには著作権がある→利用の場合許諾が必要
というように、著作権法を理解してきました。

しかし、本の紹介をしていただくのに、いちいち許諾をしていただくのは、
大変申し訳ないと思ってきました。

twitterで、argさんが図書館現場の声をまじえて、改善をつぶやいていたこともあって、
カバーと目次に明記することにしました。

本当は、出版業界で、統一した方法を表明するなどの取組みがあるといいとは思いますが、、、。

NDL情報提供サービスに関するグループディスカッション(第3回)に参加します。

国立国会図書館の「NDL情報提供サービスに関するグループディスカッション(第3回)」といのに
声をかけてもらった。

2009年10月18日(日) 17:00〜20:00頃

参加してきます。
メールでの依頼文、面白かったので、張っちゃいます。

──────────────────────────────
最初にお願いした時のメールにも書かせていただきましたが,NDL
の次期情報提供サービスは,国会図書館が現在提供している総合目
録データベース,PORTA, リサーチナビといった各種サービスが必ず
しも利用者本位にたったサービスとはいえないのではないかという
認識のもとに,利用者の利便性に配慮しつつ,それぞれのサービスが
シームレスに連携し,また外部のサービスとも連携して豊富な情報資
源を活用できるようにしたいと考えられています。
今回のグループディスカッションは,そのための利用者ニーズを
把握すること,また,現在利用者が使用している各種Webサービスや
図書館利用などの経験をもとに,このようなサービスがあれば面白
いのではないかというアイディアや,国会図書館の提供するWebサー
ビスに求めるものなどをお教えいただきたいと考えています。絶対
になくては困るというような「あたり前のサービス」だけではなく,
実現は困難だろうけれど「国会図書館のサービスとして何とかでき
ないものか」というサービスなど,いろいろなアイディアを語って
いただければありがたいと思います。今までに行われたディスカッ
ションでも,参加者からは「満遍なくサービスをするのではなく,
とんがったサービスも必要。たとえば….」といったような発言も
いただいています。
次期情報提供サービスに含めたい夢を一緒に考えていただき,何
を取り込んでいくことが望ましいかを考える参考にさせていただき
たいと考えています。
ご参加いただけるにあたり,国会図書館の提供する現在のサービ
スも見ておいていただき,その問題点や,国会図書館なのだから,
こういうサービスも必要なのではないかといった点を,少しお考え
の上,ご参加いただければ幸いです。

今回は,各種国会図書館のWebサービスに対するご不満,ご感想
などをいただくと同時に以下のようなテーマもと考えていますが,
今まで開催したディスカッションでも,設定したテーマを大きくは
ずれて話が展開することも多かったですので,あくまで目安程度に
考えておいていただければと思います。

・Webサービス世界の中での国会図書館情報提供サービスの位置づけ
・自分の発信する情報の情報源としてのNDL情報提供サービスの有効性
・国会図書館だから行うべきサービス,行う必要がないサービス
・新サービスで取り込むべきWeb2.0的サービスと,その有効性
・国会図書館の提供するPORTAに期待するもの
・その他

なお,国会図書館のサービスのうち,もしご覧になっていないもの
がありましたら,以下のサイトを少し見ておいていただければと思い
ます。

国立国会図書館Webサイト
http://www.ndl.go.jp
国立国会図書館図書総合目録
国会図書館の蔵書(納本図書館ですので,ほとんど全ての出版物の
検索が可能),雑誌記事索引(雑誌の記事を探すことが可能),
総合目録ネットワークシステム(一部の公共図書館の蔵書も検索
可能)など
http://www.ndl.go.jp/jp/data/opac.html
国立国会図書館 電子図書館
近代デジタルライブラリー,貴重書画像データベース,児童書デジ
タルライブラリー, インターネット情報選択的蓄積事業(WARP)
デジタルアーカイブポータル(PORTA)などへの入り口
http://www.ndl.go.jp/jp/data/endl.html
国立国会図書館 調べ方案内
リサーチ・ナビ, レファレンス協同データベースなど
http://www.ndl.go.jp/jp/data/search.html

対談:岩松了×若手写真家 第2回●高橋宗正/嘘のつきかた

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第2回目、高橋宗正との対談は、「嘘のつきかた」について。シェイクスピアは登場人物に「私は嘘をついている」と言わせるが、チェーホフは「人が話す言葉は必ずしも本当のことではない」という前提の元にセリフを言わせる。2人の劇作家の対比とともに見えてくる、人が嘘の言葉を吐く事情。

溜息に似た言葉
すべての収録作品など、詳しくはこちら


写真家●高橋宗正

プロフィール

1980年 東京都生まれ。
2002年 写真新世紀優秀賞(SABA)
2004年 「hinterland」art & river bank(個展)
「チャウス展1〜導かれし者たち〜」CASO(グループ展)
2007年 フリーランスになる
2008年 littlemoreBCCKS第一回写真集公募展リトルモア賞
Web:http://www.munemas.com/

撮影した作品

「だんだん、いゝお友達が減ってくぢゃないの……」
─『屋上庭園』岸田國士/絶版
思い出せばあなたも、追いつめられて真実の言葉を吐いて素敵かも

「大金持ちってときには孤独になるものだから!」
─『欲望という名の電車』テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫
必死に嘘をつくとき、この世に絶対などないという普遍に近づいている貴方

「顔に血がついてるぞ」
─『マクベス』シェイクスピア/松岡和子訳/ちくま文庫
大きいことの始まりはいつも小さなこと。いいことも悪いことも

「さめが……」
─『老人と海』ヘミングウェイ/福田恆存訳/新潮文庫
人と人との隔たりに絶望するなかれ。もしやその隔たりにまた救いもあるものだ

「同じ話がだんだんへたになる」
─『勝負の終わり』(『勝負の終わり クラップの最後のテープ ベスト・オブ・ベケット2』より)サミュエル・ベケット/安堂信也、高橋康也訳/白水社/新装版あり
同じ話を繰り返しするとき次第に白けゆくのは人の常、と言いながら……

「御縁でもってまたいっしょになろう」
─『雪国』川端康成/新潮文庫
無関係であることは、残酷なことでもあり、また救いでもある。と肝に銘じよう

「どこって、おれは全体をみていたよ」
─『逢びき』(『鳴るは風鈴・木山捷平ユーモア小説選』より)木山捷平/講談社文芸文庫
同じものを目にしても人は見てるものが違うから

「これからだんだん寒くもなりますし……」
─『蓼喰う虫』谷崎潤一郎/新潮文庫
この本を読めば、あなたも男の優柔不断を許容できるかもしれない


対談●嘘のつきかた

岩松 高橋さんの写真は、結構直球ですよね。『老人と海』なんて、「さめが……」というセリフに、サメの写真で。

高橋 もう、これしかねえやって(笑) 『雪国』も、雪しかねえなって感じだし、なるべくシンプルにしたいと思って。「そのままじゃないかよ」くらいシンプルにしないと、見てる人がわからないというか。

岩松 「顔に血がついてるぞ」の血は本物ですか?

高橋 本物です。これも、血を出さないといけないのかな、と思ってまして。「ちょっと切るかー」とか思ってたんですけど、あるロケに行った時に、結構ハードなロケだったせいか、ホテルで朝起きたら鼻血が出て。「ああ、拭かなきゃ、間に合わない、間に合わない」ってなって、結局、鼻血がたれちゃって。「……血だ!」って(笑)

岩松 『屋上庭園』は、やっぱりデパートの屋上ですか?

高橋 そうです。渋谷駅の上の、東急の屋上です。この人形の顔が物悲しくて。『屋上庭園』では、「人のすることってあまり変わらないな」と思いました。友達に「金貸してくれよ」と言いたいけど、言えないとか。

岩松 俺、この戯曲を最初に読んだとき、おかしくて笑っちゃってさ。「だって、あなたは、だんだん、いいお友達が減ってくぢゃないの……」なんて最高の喜劇だよ。「けだし真実!」じゃないですか。お金がなくなると、本当に友達が減っていく。

高橋 僕は同じ会社で働いていた先輩と、同じ時期にフリーランスになったんですよ。一緒に失業保険を貰いにいったりして。ただ、僕の方がちょっと早く活動をしていたので、少し生活が安定していた時期があったんです。その頃に、先輩が「お金がない」と言うから「5万円貸してあげようか」と言ったら、一瞬悩んで「いや、いい、いい」ってなったんですけど、「金がないというのは人間関係もえらい狭めてるな」と思って。

岩松 真実なんだけど、喜劇的でしょ? 「あなたも、何時までもぶらぶらしてないで、早く仕事をして頂戴ね」「だって、だって、あなたは、だんだんいいお友達が減ってくぢゃないの」の後に「急に夫の胸に顔を埋めて泣く」とありますからね(笑)

高橋 暗くなりすぎないところが良いですよね。

岩松 俺、自分がデビューしたときに「岸田國士に似てる」と言われたんですよ。でも岸田國士を読んだことがなかったから、「岩波から全集が出てるので、買ったらどうですか?」と言われて、買ったんですよ。1回配本5千円くらいのやつを、ばーっと。家にある一番作家らしい持ち物って、それなんだけどね。でも、それを読んで岸田國士には詳しくなった。結構おかしいセリフもあるしね。
谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』は、この本のために撮ったんでしょ?

高橋 そうです。女の手の上で踊らされる男です。「踊らされるだけじゃなくって、最終的には抑圧もされるよな」と思って、上下から挟まれる形にしました。まあ、手法としては昔からあるものですけど。男性の動きは、サザエさんのオープニングテーマの最後にタマが果物を割って出てきて踊るのを完全コピーしようと思って、現場にiPodを持って行って研究しました。

岩松 女性2人は、モデルさんですか? その辺にいた人じゃないでしょ?

高橋 これは、前の日に友達同士で飲んでいて、そのまま「暇でしょ? 行こうよ?」と言って、雨の中頑張ってもらいました。この右側の子の顔が、冷たいこと冷たいこと……(笑) 「抑圧ってこのことか」という顔です。

岩松 『欲望という名の電車』のお金は、また単刀直入だったね(笑) これ、全部本物?

高橋 本物です。ちょうど100万円ですね。これも本当にいろいろ悩んだんですけど、「お金だろう」と思って。僕みたいにフリーで仕事をしていると、親はすごく心配をするんですね。リーマンショックとかあったし。このお金は、親が「困ったときに使いなさい」と言って封筒に入れてくれたお金です。

一回断ったんですよ。「いらない」と言って。でも僕も大人になったので、「ありがとう」と受けとるのが安心するのかな、と思って貰って、とりあえず写真撮っておこっかなって(笑) 撮って、ずっと放っておいた写真ですね。今回、「ああ、いい機会だ」と思って。

岩松 せっかくだから、本物だってわかるように、下のも2、3枚見せたかったね(笑)
『勝負の終わり』の写真は、すごいなと思いましたよ。

高橋 『勝負の終わり』は悩みましたね。文字だけ読む限りでは、絵のあるような内容ではないなと思っていて。多分これは何かが終っちゃった世界に違いないけど、それってどういうことだろう、と考えて、その分、夕日とかがもの凄く綺麗なんじゃないかと……。

岩松 なるほど。これはベケットの世界にかなり近いと思いますよ。

高橋 かなり不条理な物語ですよね。きっとノーマルじゃないことが起こっているに違いない、なんだろな、とずっと思っていて。何でも起こりうる、ということは、流れが反転して繋がっていくこともある、というところから1枚の写真を反転させてつなげているんですけど、やってみたら顔に見えてきた。怪獣にも見えるし。

岩松 見えるね。それに、コウモリ系のやつが飛んでいる風にも見えるね。

高橋 今回の8本で僕が一番好きだったのも『勝負の終わり』でした。こういうところに取り残されて、窓からしか外が見えない世界。

岩松 『勝負の終わり』は、車椅子に乗った男が、両親をドラム缶に詰めているという、とんでもないシチュエーションですよね。

高橋 かなり奇抜ですね。でも、僕らの世代って、ジュラシックパークだったり、ディズニーのアニメだったり、ジブリだったり、色んな物語や映像を浴びるように見てるので、そのくらいの方がいいのかもしれません。例えば、今僕が『マクベス』を読んで、「これって本当に悲劇なのかな?」と思ったりするんですけど、『勝負の終わり』くらい本当に見たことも聞いたこともないような世界だと、刺激がありますね。

岩松 『勝負の終わり』は、撮りたい作品の希望を聞いた時、誰も手を挙げなかったんじゃないかな? 高橋さんは希望してなかったでしょ?

高橋 確かに、「希望者がいなくて僕になりました」というメールをもらいました。

岩松 ベケットは人気がなかったんですよ。誰も○をつけてない。演劇をやってる人でも、ほとんど読まない本ですけどね。「ベケットってどういう人だろう?」と思って、やっと読むくらいだから。読んでも「よくわかんない」という反応がほとんどだし。
高橋さんは、『勝負の終わり』と『マクベス』と、あと『屋上庭園』で、戯曲が3本あったんですね。写真をやってる人って、そんなに活字を読んでなさそうですけど、どうですか?

高橋 僕は写真より小説の方が好きかもしれないですね。小説って、フィクションじゃないですか。フィクションの方が、共通することを掘り当てる感じがします。現実だと、その現実が何かの答えみたいなものになっちゃうけど、小説だと、受けとった側に答えが出来るというか。

岩松 そうだね。芝居もそうだし、演劇もそうだし、小説もそうだし、もしかしたら写真もそうかもしれないんだけど、自分の中で嘘を作るわけだからね。
だから例えばドキュメンタリー風の芝居を作ろうとしたとき、史実をずっと連ねていくだけでは、どうしても自分と関係ないものになってしまうから、そこに一個だけ嘘を入れようとする。それは自分の中から出てきたものだから、嘘なんだけど、自分にとっては本当なんだ、という風に、嘘と本当は結構逆転するんですよね。

だから、「作品は嘘だ」とは言いながら、「自分の中の何かが生んだもの」と考えると、逆に「作品が本当で、史実は嘘だ」という逆転したものになる。

だいたい、劇場の中でやる限り、外のシーンはまるで嘘ですからね。「家の外」に立ったところで、舞台の上に立っている限りは外じゃないわけだし。映画の場合は外に出て立つシーンは実際にそうすれば成立するんだけど、舞台の場合は、すごい極端なことを言うと、「家の中ではなく外に立つとはどういうことか」と考えないと成立しないところがあるんですよね。「お前ただ立ってるだけじゃねえか!」みたいな芝居もある(笑)

映画はそれでいいんですよ。「ただ立ってて。変なことすると、変になるから」みたいな。ところが演劇の場合は逆に、例えば「外に立ったときの感情になる」のが映画だとすると、「外に立ったときの感情」は舞台にはないから、外に立った時に人間の身体が受けるものを自分の中で再構成しなきゃいない。そんなことすごい緻密にやるわけじゃないんだけど、理屈で言うとそういうことになってる気がするんですね。

そういう風に、すごく本質的なところまで遡っていくのが演劇だから、実際問題、映画の役者は現場に来てその日に撮影出来るけど、舞台の役者はひと月くらい稽古をしないと成立しないものだし、稽古してないものを観ると客として腹が立つね。「どけ、お前!」って(笑)

高橋 例えば小説を映画化する場合、文字で読んでいる限りは現実感を感じる表現でも、映像化したら、ものすごく陳腐でおかしいものになることがありますよね。文字としてはすごく美しくて、雰囲気があって、物語としては入ってくるけど、いざ映像化しちゃうと、「お寒い」というか。それは小説としての表現コードみたいなものがあるからだと思っているのですが、舞台にも近いものがありますか?

岩松 『勝負の終わり』が面白いと言っていましたけど、やっぱり、わからないものに向かっていくという、基本的なアプローチがないと面白くないですよね。わかったものを説明していく作業をやられた日には、さっきの役者じゃないけど、「ちょっと退いててくれる?」ってことになると思うんですよ。完結して答えが出ちゃってるものに対しては、まったく興味を持たないし、緊張感もない。「どういうことなんだろう? わからない?」というものがないと。

でも、ただわからないのが面白いかというと、そういうわけでもないから、そこに謎と、その先を見てみたいとそそのかされる何かがあると思うんですよね。例えば、「ベケットの本を解読せよ」と言われても本当に難しいけど、ある印象とか、例えば今回のような写真の1枚を考えた時には、逆に広がりがある。

高橋 今日はひとつ、岩松さんに聞きたいことがあって来たんです。僕はシェイクスピアは今回の『マクベス』しか読んでないんですけど、岩松さんはシェイクスピアの舞台をやってみたいと思ったことはありますか?

岩松 あんまりないんですよ。『シェイクスピア・ソナタ』という本は書きましたけどね。あれは松本幸四郎さんから話をいただいたもので、松本さんはシェイクスピアの四大悲劇を実際自分で演じていて、「ついては岩松さん、シェイクスピアの四大悲劇をやった役者の話を書いてくれませんか」と言われて。最初、「僕、シェイクスピア、よく知らないんで」と言ったんですけど、「この際勉強するか」と思って書いたんです。

シェイクスピアや演劇についてもう少し話すと、16世紀から17世紀に活動したシェイクスピアに対して、19世紀末から20世紀にかけて作品を発表したチェーホフという人がいて、この人も、個人的な見解ですけど、偉い人なんですよ。

シェイクスピアの劇は、権力闘争があって、事件が次から次に起こって、というような万人にわかる話じゃないですか。ところが、チェーホフは事件がほとんど起こらない話を書いたんですね。自分が書く戯曲は限りなくチェーホフに近いと思っているんだけど、そうすると人からは「シェイクスピアはどうなの?」とよく言われます。

例えばシェイクスピアが「何かしないと始まらない」という演劇で、「世間の荒波に対して、人はどうやって動いていったか」を描いて大衆性を得ていったのだとすれば、チェーホフは「何もすることがない」という時間を演劇に変えた人だと思うんですよね。

簡単に言うと、今の時間に四畳半でぼーっとしてる学生もいれば、人殺しをした人も、同時にいる。そこでシェイクスピアはおおむね人殺しの方選んだんだけど、チェーホフは「明日良いことないかな」って言ってる人間の方を書いたんですよ。まあこれは、全部僕の解釈ですけど(笑)

つまり、「人というのは生きている限りにおいて、人を殺そうが、『つまんないな』と言おうが、一緒なんだ」とチェーホフはまず考えた。ところが「演劇は見世物だから、わかりやすく定義した方が良い」という演劇の流れが、チェーホフが出てくるまではあって。それに対して、「ちょっと待ってください」と。舞台の上だけが演劇じゃなくて、観てる観客も芝居じゃないんですか、という考え方をしたのがチェーホフのような気がするんですよね。

チェーホフの後は、今度はベケットという人が出てきて、「いやいや、どこを見たって一緒、死ぬも生きるも一緒」という演劇をやった。これはベケットの個人的な資質もあるかもしれないんだけど。シェイクスピアの劇は、言葉にすれば「人は死んでも生き返る」みたいな発想があるわけですよ。ところがチェーホフで、「人が一人死ぬことは大変なことだ」になって、ベケットになると「いや、死んでも生きても一緒」になった(笑) 自分は、そういう演劇の流れがあると思うんですよね。その中で自分に一番近いと思うのがチェーホフなんです。

例えば「演じる」ということに関していえば、「あの人は凄い演技が上手い」と言われる役者がいるじゃないですか。チェーホフの芝居は、「もしかしたら、芝居が出来ない人がやってもいいんじゃないか」と思わせることもあるんだけど、そこにはちょっとからくりがあって、「何もしないということは、逆に芝居が上手くないと出来ない」という理屈もあるわけですよ。シェイクスピアの劇なら素人がワーッとやっても通じるけど、例えば、黙って食事をしていて、何も起こらないで、「……ちょっと、そこの醤油とって」と言うセリフの面白さを出すには、役者が上手くないと駄目でしょ、やっぱり。色んな含みを持たせる力がないと。

高橋 普通に見えて、でも離れててもわかるような普通、ということですか。

岩松 「余計なことをするとマイナスなんだ」という理屈がこの人の中にないとね。シェイクスピアなら、余計なことをしても大丈夫なんだけど。だけど、シェイクスピアを無下に切り捨てることも出来なくて、セリフがあまりもカッコいいんですよね。「顔に血がついてるぞ」もそうだけど、『十二夜』の「そこにいるのは俺か?」というセリフもカッコいい。
『十二夜』は男と女の兄妹がいて、船が難波して、別れ別れになるんですよ。その後女の方は、ある王様みたいなのに、男の格好をして仕えてるんです。そして生き別れになった兄と、ある時ばったり遭遇するんですね。その時、兄のほうが、男装している妹に、「そこにいるのは俺か?」と言うわけよ。普通言わないじゃない(笑) チェーホフだったら、「……え?」ぐらいしか言わない。だけどそれをちゃんと言葉に代えて、ちゃんと意味を込めて、「そこにいるのは俺か?」というわかりやすさと、「わかりやすさ」と無下に切り捨てられないカッコよさね。『オセロー』の「剣を納めろ、夜露で錆びる」も、なかなか言えない。そういうカッコよさと、普遍的に人間が陥るストーリーラインがちゃんとあること。単純なんだけど非常に真実を得てるでしょ?

『マクベス』の「顔に血がついてるぞ」は、シェイクスピアのセリフの中ではスケールの小さな話なんですよ。それも、小声のセリフですよ。宴会場で、人殺しを頼んだ奴がもてなしをしていて、そこに仕事を終えて来た刺客に「おい、顔に血が付いてるぞ」と言うセリフだから、言ってみれば小振りなセリフですよね。そこに面白さを感じたんです。

一方で、チェーホフの芝居なんて、「この2人なんなの?」みたいな感じで始まるから、逆に難しいんじゃないかな。

高橋 チェーホフはどういう人だったんですか?

岩松 1904年に、ロシア革命の直前に亡くなった。最後、肺の療養に行ったドイツのホテルで死んだんですけど、死ぬ間際に「私は死ぬ」、ドイツ語で”Ich sterbe”と言ったそうです。本当かどうか知らないけど(笑)

その「私は死ぬ」も有名なんだけど、その前に、見舞いに来た奥さんに、「そういえばシャンパンをずいぶん飲んでいないな」と言ったらしいんですよ。作家のレイモンド・カーヴァーという人は、そのエピソードから、ホテルのボーイが夜中にシャンパンを買いに走らされる、『使い走り』という小説を書いてるんですよ。それを僕は、柴田元幸さんに教えてもらった。

そのエピソードは『夏ホテル』という、チェーホフが死んだホテルを舞台にした芝居を書いたときに使わせてもらいました。「夏ホテル」は南ドイツのバーデンワイラーという町にある、「ホテル・ゾンマー」というホテルで、そのホテルではチェーホフのシャンパンを買いに走ったボーイの子孫が訪ねてくる度に行なわれるお出迎えの式典があって、たまたまその日に居合わせた、日本から来たマジシャン一行がいて……、という話なんですけどね。重鎮が来るからと、マジシャン一行は泊まっていた部屋を空けなきゃいけなくなっちゃったり。

高橋 そういうのって、繋がっていくものだなって思いますね。チェーホフから刺激を受けたレイモンド・カーヴァーが小説を書いて、そこから岩松さんが戯曲を書いて、という風に。それって、すごく正しいことのような気がするんですよね。著作権がどうこうというのとは別に。

舞台って、再演はあまりしないんですか? 僕は今『夏ホテル』を観てみたいなと思っても戯曲を読むことしか出来ないんですけど、舞台と戯曲の違いは、どういうところがあるのでしょうか?

岩松 それは例えば、嫌いな役者が出てたら本の方がいいだろうしね(笑) 「役者が余計な芝居をするから、余計わかんないじゃないか。本を読んだ方がよっぽどわかるよ」ということが結構あるんですよ。本を読むと面白いんだけど、舞台がつまらないってことがね(笑)

逆ももちろんあって、本を読んでもわからなかったけど、舞台を観たらすごく面白かった、ということもある。でも、書く人間は上演を前提に書くので、書いたら上演、という段階を踏むんですけど、高橋さんみたいに外部者として接する時には、どっちがいいかは一概には言えない感じがしますね。

例えば『欲望という名の電車』の舞台は、僕は観てないんですよ。そうすると、自分なりの想像をしているわけです。だから実際に観たら、「俺の想像の方が面白いぞ」ということは、多分にあり得る。

高橋 例えば小説の映画化の話とか、よく出るじゃないですか。原作の方が良かったよね、みたいな。でも小説を先に見ちゃった時点で、初めて見る楽しみは味わえないので、両方をちゃんと並べては見れないですよね。

岩松 さっきの「嘘」の話じゃないけど、原作に対して自分なりにコンセプトを作ってやると「原作を壊している」と言われたりね。だから難しいですよね。そういう意味で本当に成功しているのは、例えば『浮雲』で、原作どおりに作っているのに、映画も面白い。

高橋 舞台をやったときに、「原作の方が良かった」というようなことを言われたこともあるんですか?

岩松 前にチェーホフの『かもめ』を、自分で翻訳してやったんですよ。その舞台のアンケートをチラッと見せてもらったら、その舞台は衣装も現代風にしてたんだけど、「19世紀ロシアの雰囲気を味わおうと思って来たのに……」と書かれたりした。そういう人にとっては「今、変に19世紀っぽくやっても仕方がないじゃない」という考えは、ほとんど敵対するじゃないですか。

高橋 そういうときは、どう思うんですか? 「てめー、このやろー」とか?

岩松 いやいや。そのときは「そういう人もいるんだ」と思うしかないですね。チェーホフの芝居は、「読んでもわからない」と言われることも多いけど、すごいクオリティが高いと思う。シェイクスピアは全部表で事柄がわかるように進むんだけど、チェーホフは水面下に隠れている問題が多いから。

チェーホフの芝居には、「人が話す言葉は、必ずしも本当のことではない」という前提があるんですよ。シェイクスピアは、「俺は嘘をついている」と言うから、「あ、この人、嘘ついてるんだ」と、ちゃんと記号としてわかる(笑)

だけどチェーホフの芝居は、「人は本当のことを喋らないよね」という前提があるような気がするんですよ。人は事情によって言葉を吐くんだ、というような。

例えば、結婚を申し込もうとする男が、「うちは生活が貧乏で、米代もかかるしどうのこうの……」と言うとするじゃないですか。でもそれは、「女の気を引くために自分の生活の窮状を訴えているだけかもしれない」という読み方も出来るわけで。だから、「弱気な男は自分の惨めさを見せて女の気を引こうとするんだ」という読み方をしないと面白くならない場合がある気がするんですね。

『かもめ』の出だしはまさにそういう場面で、「あなたはどうして黒い服なんですか?」「我が人生の喪服なの。私、不幸せな女だから」「いや〜、わかりませんね。だってあなた、生活に困らないし……」というような話から始まるんですよ。「我が人生の喪服なの」というのも、ある意味洒落たセリフなんだけど、男を見くびらないとなかなか言わないセリフじゃない? 「本当に好きな男には言わないだろ」という印象になっている。

だから、人間関係を想像しながら読まないと面白味が伝わっていかないような気がするんです。人間の取り巻かれている状況を想像する、というか。

もしかしたらチェーホフは、まったくまっさらで読むより、「こういう話だよ」とわかって読む方が面白いかもしれないですね。シェイクスピアは、そんなこと知らなくてもわかっていくけど。

●対談を終えて

文:高橋宗正

この仕事は、まず自分が興味を持ったことのない本を短期間に
グワっと読んだってことが楽しかったです。
シェイクスピアっていうのはこんなくだらない男の話を書いていたのか!
と身近に感じることができました。
その上で1冊に1枚、自分のイメージをつけるっていうのは
なんだか学生のころの課題を思い出して懐かしかったかったです。
テーマに対して一番しっくりくる写真を考えていくという、
やっていること自体は同じなのに、それが本になってお金も
もらえるんだから自分もなかなか成長したもんだと思いました。

岩松さんとはとてもダンディで会話もとても面白かったです。
あれ以来テレビで岩松さんをみる度、ぼくは画面に釘付けであります。


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

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敗者復活

金曜日は「二人で生きる技術」、今日は「落語を観るならこのDVD」と、
先週、今週続々と入稿が続いています。
編プロ部、デザイン部の仕事ももろもろラッシュが続いており、
9月の連休を取り戻すように働いています。

先週のポット会議では、
1等2万円、2等1万円、3等5千円分の商品券が当たるくじ引き大会がありました。
会社のクレジットカードのポイントが溜まったので沢辺さんが商品券に引き換えたのを
社員に大放出してくれたのです。机に広げたトランプを各自1枚引いて
いちばん数が大きい人が1等です。
まず1等はジョーカーを引いた大田、2等が沢辺さん、3等が小久保さん。

まあそんなもんだよ、短い夢だったねえとぼんやりしていたところ、
なんと沢辺さんが当たった1万円分を再度放出!してくれ、敗者復活戦が。

そしたら大当たり!

まさかの展開でびっくりしました、とても嬉しかったです。
大切に使います。1万円。

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ポット出版社長・沢辺均の日記-42[2009.10.07〜13]

え、もう7日間もためてしまった?

●2009.10.07水
午後S社へ、デザイン打ち合わせ
夕方に新宿ゴールデン街にある「汀(なぎさ)」という、渚よう子という人がやっているバーのカウンター修理の下見。飯島会長の付き合いで。
その後、神保町で、図書館総合展のフォーラムの打ち合わせ。
11/10火 第六会場13時〜14時半 「Googleブックサーチ・国会図書館蔵書デジタル化 デジタルアーカイブ時代に公共図書館はどう変わるべきか?」
植村八潮さん(電機大学出版局長)、笹沼崇さん(ゆうき図書館副館長)、柳与志夫さん(国立国会図書館電子資料課長・元千代田図書館長)と、主催のネットアドバンス社のお三方と。
ははは、すでに激論。

●2009.10.08木
出版会議。
ジャパニーズブックダムのための資料を書いたりなんだり。パソコンに座ってた。

●2009.10.09金
午前中、ポット会議。
スタッフの人気をすこしでも回復しようと、会社のクレジットカードのポイントを交換した商品券を、
トランプ一発めくり勝負で分配。イチバンは2万円、二番は1万、三番5千円。ほかはずれ。
なんと自分で二番を引いてしまったので、社長賞として、敗者復活戦。
16時から、35ブックス会議で筑摩書房へ。
11月6日(金)に全社の本が取次搬入決定。
そのご、ジャパニーズブックダムの相談のために神保町へ。
うん、当面の作戦はきまった。帰りに中華屋で何人かと食事、とおしゃべり。

●2009.10.10土
6月にやったわが、バンド遊びのライブのビデオ編集が終わって、キーボーが届けに来てくれた。
その後、カメラマン・向殿政高くんの結婚パーティー。会費制1万5千円。
向殿自身がやってるバンドなんかのライブもあり、参加者の誕生日祝い、結婚祝いもおりまぜ、
参加者を楽しませる工夫があって、いい結婚パーティーだなー。
小久保が、パンダに扮装。
帰りにYAMAHAで楽譜をかってたとき、デジタル一眼をおとして、フィルターを割ってしまう。
留守中に娘の風実が遊びにきて、鉄とすずを代々木公園のドックランにつれてってくれた。
娘と土曜出勤の那須ゆかりさんと一緒に近くの飲み屋へ夕飯。
風実の生まれた頃のエピソードを初めて、風実に喋る。

●2009.10.11日
娘と、代々木公園ドックランに。鉄とすず。イッパイ走った。
スーパー買い物。ステーキを1枚(分け合うのです)に、総菜ちょっと、鍋一杯の蒸し野菜(にんじん、なす、レタス、椎茸、しめじ、舞茸、タマネギなどと豚肉)。食後にケーキ。
日曜出勤してた、小久保と上野も呼んで夕飯。

●2009.10.12月
午後、雑用を片付けに事務所。
娘帰り、おいらは、ゴールデン街「汀」のカウンター修理。まあ、80点かな。
車で迎えに来た飯島会長から、最近亡くなったゴールデン街の流し、マレンコフさん形見のギターを受け取る。
マーチンD-18VSだ。スゲー。裏面が少し割れていて、セロテープはってあるのが(笑)。
亡くなる前、最後に伴奏したのは、団鬼六さんが歌う東海林太郎の曲だそうだ。
オレが弾いて供養になるかどうか解らんけど、次のライブでは使おう。合掌。
夜、吉祥寺。バンド遊び仲間の木谷さんの、ヤマノドラム教室発表会。馬場さん木谷さんに、バラの花を一本ずつ。

●2009.10.13火
午後に均整(整体の一種)。他、細々作業。
今日は、「落語を観るならこのDVD」入稿の日。
那須部長、頭痛。担当は尹。高橋・大田も入ってやってるけど、なかなか終わらないようだ。
入稿メシで、紫金飯店のおかずを出前。米は早炊で。

『溜息に似た言葉』●「週刊朝日」で紹介されました

溜息に似た言葉』(岩松了著)が、「週刊朝日」2009年10月23日号で紹介されました。
P80、「週刊図書館」内の「話題の新刊」で、土屋敦さんによる評です。
ありがとうございます!

「週刊朝日」

溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

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