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北軽井沢の思い出 その3
バランス
クリスマスの夜。勝鬨橋そばのファミリーレストラン
昨2007年、12月25日の夜。
23時を回ったくらいの時間。
中央区は、隅田川の上に架かる勝鬨橋。その脇にあるデニーズに、1人でいた。
読みかけの本を読んでも集中できず、広げたノートに思いついた文字を書き込むも集中できず。そんな状態のまま、テーブルに置かれていた瓶に、いささか逃避気味に意識を向けていった。
砂糖とか塩とか、そうゆうのに混じって置かれていたその瓶。最初、何だか分からなかった。とろみのありそうな液体が入っている。張られたラベルには「甘味料」、「厚生労働省許可・特定保健用食品」といった文字。
シロップ…か?で、健康によさげ。いいじゃん、と手に取る。すると、「食べ過ぎ、体質・体調により、おなかがかゆくなることがあります」との注意書きが目に入ってきて、中でも「おなかがかゆくなる」というフレーズに、熟練の左官職人が打ち込んだように、すっと釘付けになった。
いいなぁ。「かゆくなる」て。身体的にも心情的にも、微妙な、デリケートな、そういった動きを表現できるよな、なんて思って。
と同時に、どこかで感じる既知感。
すぐに思い出した。むかし好きだったフィッシュマンズというバンドの『MAGIC LOVE』という曲。そこに「♪胸がかゆいほどに」というフレーズがあったのだった。
ぽっかぽかしたレゲエのリズムに乗って、午後の陽射しが射す路地を歩いていくような音像が浮かんでくる。でもどこか東京に生きる焦燥感も感じ取れる。そんな曲だった。
この曲が発表された当時だろうか。フィッシュマンズのインタビューを雑誌で読んでいたら、ON-Uというイギリスのレーベルの出す音楽についてメンバーが語っていて、そこでメンバーが使った表現が、「(聴いていると)鼻がかゆい」だった。
「鼻がかゆい」と評された音楽・DUBのレコードを、それから何枚も聴いた。ジャマイカで生まれて、イギリスで分家して、日本でも愛好者の多いこの音楽は、東京の夜にとっても似合う。そのことを教えてくれたのは、80年代に活躍したミュート・ビートという歌詞を持たないバンドだった。
DUBの空間的な音世界は、かゆくさせる。かゆくなるのは、感覚だ。手で掴むことの出来る実感…。実感出来ないことで逆に醸し出される実感…。いや、その間にあるのがホンモノの実感。右往左往する自分の実感が揺さぶられて、ひっくり返って。そして、かゆくさせられる。
そもそも新宿の大久保に住んでいる自分が、どうしてこんな時間に勝鬨橋傍のファミレスにいるんだっていう話である。
その日、部屋で春先にやるお芝居のプロットを考えていた。停滞。気分転換に2月の会で上演される漫才の台本を書こうと思い立って。パソコンに向かっていて、あーだこーだやっていたら、
まさに、かゆくなった。頭ん中が。
そんなときは外に出るに限る。幸いにも、いまは夜だ。外に出るにはうってつけってこと。
自転車に乗って、早稲田通りを進む。早稲田大学のある辺りから、神田川沿いに。そしてそのまま、海につながっているほうへ。
水道橋とか神田とか日本橋とか、なるべく「眠らない街」ではなく「眠っている街」を選んで、隅田川が見えるところまで。
隅田川を架ける橋を渡る。
水がたくさん側にあると落ち着く。お台場や豊洲のネオンを見ながら、人気のない真夜中の橋を渡ると落ち着く。落ち着いて、で、尖ってくる。
「おなかがかゆくなる」、その甘味料を、呑みさしの紅茶に、少し入れてみた。
あまり甘さを感じない。微妙だ。舌がかゆくなる。ドバドバ入れてみた。
お芝居のことを考える。
自分が座った席の背後には4人連れの親子がいた。お父さん、お母さん、姉、弟って構成で、普通に食事をしている。
姉は小学校高学年くらい。弟は小学校低学年くらい。
最初店に入ったときから、ちょっと気になっていた。
よくある光景かもしれないんだけど、いまはもう、夜中だ。
お父さんはびっちりスーツ。ビジネスマンな。お母さんも、びっちりスーツ。ビジネスマンの妻な。
子ども2人も、この時間は寝てるだろって物腰漂うお子さま達で。
揺るがなさそうな「家族ヴァイブス」が漂うその家族。クリスマスのディナーってやつ。真夜中の、クリスマス・ディナーってやつ。
真夜中、の。
と、本当に「おなかがかゆく」なってきたので、席を立った。デリケートで分かりやすいカラダだ。俺って。
とうに食事を終えている家族は、子どもたちのデザート・タイムが始まっていた。
ケーキ、アイスクリーム、甘いソース。
前日。クリスマス・イブは、恵比寿のガーデン・プレイスにいた。
イルミネーションを眺めて、麦酒博物館で250円のギネスを呑んだ。ほろ酔いになってから、また寒い風の中に出ていく。たくさん歩いて。たくさん話した。
いつの間にか日付も変わって、12月26日になっている。
と、また、かゆくなってきた。じわりと、身体の奥のあたりが。
関西ローカル
正月休みは大半を関西の実家で過ごしました。普段はほとんどテレビを見ないのですが、実家はいまだにダイアルアップという貧弱なインターネット環境でもあり、わりとテレビを見て過ごしました。ハイヒールとかトミーズとか西川きよしとか大木こだまひびきとか中田カウスボタンなど、関西っぽい人をたくさん見れて面白かったです。が、ふと思い返すと、なるみと月亭八方をそういえば見かけませんでした。八光は見かけたのですが。。心残りです。
北軽井沢の思い出 その2
原宿駅とテント村、ホコ天。
子どもの頃からずっと新宿周辺に住んでいるってこともあるのか、都内の盛り場、大抵は自転車でいく。
原宿も、そう。
新宿東口から、アルタをバックに明治通りを進むと、原宿・渋谷はあっという間だ。
自分が意識して原宿に足を向けるようになったのは、中学の1年から2年になるくらいの頃。最初に感動したのは、原宿まで自転車で15分ちょいで行けるってこと。で、次の感動はというと、原宿駅の明治神宮側の出口を出て信号渡ってすぐの場所に、あった。
いまはビルが建っている、てゆうかあの辺って大抵ビルが建っているんだけど、ま、信号渡ってすぐの場所。そこ、かつてはテント村と呼ばれる場所だった。
屋台風の簡単に設置された店舗がズラっと並んでいて、売られているのはアイドルやアーティストの非合法生写真にパチモン・グッズ。
アーティスト・グッズってのが、やっぱ珍しかった。CDだったらCD屋に行けば買えるけど、Tシャツをはじめとするグッズ類は、ライブ会場かファン・クラブ通販とかでしか買えない。ファン・クラブにいちいち入るのもカッタルイし。海外アーティストのグッズが欲しい場合どうすんだ?て感じでいた当時の俺には、まさに宝の山。
で、当時好きだった、てゆうか今でも大好きな、イギリスのPUNKバンド・CLASHとニューヨークのPUNKバンド・RAMONESのTシャツを、そのテント村で買った。
それを学生服の下に着たりしてな。笑いたきゃ笑え。
テント村は俺が初めて足を踏み入れてから数年で姿を消して、しばらくの間は、何ていうか、方向性を模索してますみたいな場所でいた。
鈴木清順監督の『夢二』が公開されたとき、その場所に巨大テントが出現し、高校2年生の夏、観にいった記憶がある。
その頃の自分、いま自分が映画を観ているこの場所で、かつてパチモンTシャツを買ったという歴史は完全に封印していた。
でも思うんだけど、ああゆうパチモン・グッズって、まだあるんだろうか。
現在でもコンサートをやっている東京ドームの側を通ると、ドーム近辺に屋台が出ていて生写真なんかを売っているのを目にする。ま、写真とかは、非公式ゆえのリアル感もあるだろうけど。Tシャツだのタオルだのステッカーだの、そうゆうのはネットでHPに飛べば正規モノが簡単に手に入る御時世。あえてパチモンに走ったりはしないような。
でも、やっぱり売ってんのかな。で、買っちゃったりしてんのかな。パチモンを。そうゆうのにときめく少年の心を笑ったりしない大人でありたいと、俺は思っている。
原宿といえば、ホコ天。
代々木公園脇の車道が日曜日には歩行者天国になって、そこでバンドが演奏をするっていう、で、大盛り上がりみたいな。俺が原宿に行きはじめたころ、そんな風景が毎週繰り広げられていた。
去年再結成したJUN SKY WALKERSは、ホコ天出身バンドってことで売り出していた。
JUN SKY WALKERSをそこで観たことはない。自分が観たのでいえば、ギタリストがのちにスパイラル・ライフ、エアーと発展していくBAKU、GARIC BOYS、インディーズで出したアルバムを愛聴していたMAD GANG、あと池田貴族のいたリモート。他にもたくさん観た筈なんだけど、もうスカッと忘れてしまった。
GARIC BOYSでは、演奏に合わせてその場でピョンピョン飛び跳ねながら首をアホみたいに振る「ポゴ・ダンス」てやつを初体験した。シド・ヴィシャスがはじめたなんて眉唾な説もある「ポゴ・ダンス」。その頃は「モッシュ」なんて言葉は知らなかった。ライブ後は自主で作ったテープ配布なんてのもあって、ストリートのカルチャーに触れた気分をしっかり満喫。
ホコ天、俺が体験した頃はバンド全盛だったけど、80年代には竹の子族と呼ばれる集団がその場所を占拠していたってのは、もう既に日本の歴史。
崔洋一監督のデビュー作『10階のモスキート』という映画に、竹の子族が出てくる。内田裕也演じる中年警察官の娘が竹の子族という設定で、その娘役を演じたのは小泉今日子。彼女の友達役を演じたのが、アナーキーというバンドのヴォーカリストだった仲野茂。
昭和天皇裕仁が死んだころ。ホコ天で、不穏な状況に出くわした。
演奏していたバンドのメンバーが逮捕された。そのバンドが断幕をかかげて演奏していて、それが逮捕の理由だった。そんなんで捕まるの?捕まるのだ。その断幕には、「さよならヒロヒト」と書いてあったのだから。
その時その場の雰囲気、今まで自分が体験したことのない空気が漲っていた。
あちらこちらでお兄さんが、「ケーサツってのはボクらを守ってくれるんじゃないんですかぁ?」みたいな声を張り上げている。
そんな叫びを聞きながら、そのころ14歳の俺、共に国家権力への怒りをたぎらせたかというと、それがちょっと違う。彼らの姿に、微妙な違和感を覚えていた。てか、ひらたく言ってしまえば「恥ずかしい」と、感じていた。
「…って~じゃないですかぁ?!」という語尾上げ口調による正論主張が、言っている内容の正否を飛び越えて、ただただ恥ずかしかった。
彼らだって普段は、「うるせえポリ公」とか言っていたんじゃないか。あえて挑発的な行動をしておいて、「予想以上の対応」が返ってくると、正論にすがる。
断幕ってのも、どうかと思った。正面切ってる感じが、どうも自分の性に合わない。もっとこう、じわりとした、横から突くような嫌がらせ、出来ないのかな、て。
ガキなりに日常にズレみたいなものを感じて、本や音楽や映画を求めた。違う世界を求めて。
そして、その「違う世界」で、ズレを感じた。はじめての体験だった。
女の見果てぬ夢を鮮やかに描き出す映画『エンジェル』 フランソワ=オゾン監督の意欲作
『オーマイニュース』に次のような記事を執筆しましたので、転載いたします。
主題:女の見果てぬ夢を鮮やかに描き出す映画『エンジェル』
副題:フランソワ=オゾンの意欲作
【本文】
新作をコンスタントに撮り続けるフランスの代表的な映画監督フランソワ=オゾン……。「若き才人」と人は呼ぶ。彼の天才的な手腕の1つが女優を生かす技術だ。彼の手にかかると、女優は開花し、化ける。
女優として、低迷していたシャーロット=ランプリングを、2001年には映画『まぼろし』の主演女優に抜擢(ばってき)し、自殺した亡き夫の残映を追い求める妻の役で、極めて繊細な演技を披露し、批評家から高い評価を得た。ランプリングはこれを機に女優として復活を果たす。2000年には映画『焼け石に水』に、当時21歳の清純派女優リュディヴィンヌ=サニエを抜擢し、彼女の裸体とセックス・シーンを披露して波紋を呼んだ。 続きを読む
