月別アーカイブ: 2007年2月
新宿高島屋の前
「昭和のゲイバァ」追加営業、決定!
毎週末、ご好評をいただいております「昭和のゲイバァ」ですが、3/3(土)に追加営業することにしました。チューチュー鳴いたおかげでお客様が引きも切らず、もう一日、昭和のゲイカルチャーを皆様に楽しんでいただくことにしました。アルコールは焼酎しかありませんが、ノリ江ママとお話ししながら、エロティックな写真やイラストをご鑑賞ください。
追加営業の3/3は人も少ないでしょうから、地味に、互いの人生の愚痴でもこぼしながら「おひな祭り」を祝いましょう(笑)。後半は後片付けしつつの営業になります。
昭和のゲイバァ
日時:2/24(土) 深夜1時より 松沢呉一、沢辺均氏を迎えてのトークイベント
追加営業3/3(土)
場所:ゲイバー、アイランドのパーティルーム(4F)
03−3359−0540
http://www3.alpha-net.ne.jp/users/islands/
料金:3000円(焼酎割りかソフトドリンク飲み放題)
*先着順に古いゲイビデオのプレゼントもあります!
【写真】君とボクの虹色の世界⑥
大原まり子[小説家]●『欲望問題』を読んで感じた、3つのメモ
この本を読んで、いろんなことを考えさせられました。
メモのようなものですが、少し書かせていただきたいと思います。
(1)少年について 〜『鎮魂歌(レクイエム)』(グレアム・ジョイス)
大人になる前の少年が好きだという性的嗜好をもつ、28歳の同性愛者の青年からのメールによって、伏見氏は深く考え込んでしまいます。個人の欲望と、社会は、どこまで歩み寄ることができるのか。あるいは、できないのか……と。
ロリコンという言葉があります。ロリータ・コンプレックスの語源となったウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』のロリータは16才。ミドルティーンです。
幼児・小児を対象とした性愛・性的嗜好をさすペドフィリアと区分した方がいいと思います。
グレアム・ジョイスの『鎮魂歌(レクイエム)』(浅倉久志訳)という小説があります。本作で英国幻想文学賞、他にも世界幻想文学大賞を受賞している評価の高い作家です。
妻を亡くしたまだ若い教師が、旅先の聖地エルサレムで、さまざまな不思議な事件に巻き込まれるうちに、教え子である女生徒の性的魅力に惑わされ、関係を持ってしまったのでは……という、後悔と懺悔とエロスに満ちた幻想にとらわれる物語です。
性的な魅力のある10代の女性が、まだ生徒であり子供であるという社会の枠組みの中にあることよって、矛盾と禁忌が生じ、恐怖に彩られた幻想が生まれるのです。
殺人が社会から容認される日は来ないでしょうが、ペドフィリアも同様でしょう。
ですが、10代については、社会(文化)がはらむ矛盾が大きいと感じています。当の10代にある人たち自身が、宙ぶらりんの悩ましい状態にあるような気がします。
(2)ジェンダーフリー/ジェンダーレス 〜SF「自然の呼ぶ声」(小松左京)
ジェンダーフリーと聞いて、特にジェンダーフリー批判・反動の流れの中で、その言葉を初めて聞いたので(不勉強ですみません)、まっさきに連想したのは、小松左京の傑作SF短編「自然の呼ぶ声」でした。
遠い未来、地球から遙か隔たった星域で、連続殺人事件が起こります。この星では、遺伝子改造により、人類はM類とF類に分かれているのですが、殺人はすべて、M類がF類を襲うものでした。
ストーリーの途中で、Mは元男性、Fは元女性であることが明かされますが、この社会において、M/Fの差異は、わずかに身体に残る器官の痕跡と情緒や思考パターンです。平衡のとれた知的生産に双方が必要なのだといいますが、まあ統計的には、ないよりはあった方が有意という程度。
言葉づかいや習俗に差はなく、なんとなく見た目で、どちらなのかはわかるという感じでしょうか。M/Fは、職種(技術者を表すTや、理論家のThなど)による差と同様、記号上の区別にすぎないと思われていました。
そして、孵育室で人工的に生まれてくる住人たちには、男性(メイル)と女性(フィメイル)が何なのかもわかりません。生殖と遺伝子を管理することで、地球が植民星を支配・搾取していたのです。
社会的危機を解決するため、450年の冷凍睡眠から目覚めさせられた一人の(本物の)男によって、“現代人”たちは男と女の意味を知り、性ホルモンを抑制する食糧を食べないことで、やがて本来の姿へと変貌してゆくこと、そして新しいつき合い方が始まることを示唆しつつ、物語は終わります。
この小説が書かれたのは、実に43年前の1964年。
性の起源は約38億年前だそうですが、性欲の本質は他者への侵食であり、根底には暴力がひそんでおり、おかしな形で抑圧されると暴発してしまう。大事に至らないために、ジェントルマンとか、恋愛とか、さまざまな型・ルール・フィクションが作られてきたのではないでしょうか。
ジェンダーフリー/ジェンダーレス論にもさまざまなものがあることを、本書で知りましたが、そういった思想を運動として進めてゆく時、個人の生活の中で、どうしても何か違和感を残すと伏見氏は感じるのです。
ジェンダーフリー/ジェンダーレスは、SFではないか、という、私が最初に受けた印象は、当たっていると思いました。本来はSFのような表現形式、もしくは論考によって表されるべき思想だったと思います。
(3)運動/欲望、そして小説
伏見氏自身の運動との関わりや、違和感を含めた実感が丁寧に書かれており、その中から、とりあえず1つの結論にたどりつきます。
「正義」に陥りがちな運動ではなく、各自の「欲望」(不満や痛み、欲求や理想のことをまとめて本書では欲望とよんでいます)を表明して、互いにその利害をすりあわせてみてもよいのではないか、と。
社会の基盤を整備・運営する仕事というのは、堅苦しくておよそ色気もなく、時に強権的にもならざるを得ない営みだと思います(私はみんなのために真面目に基盤整備・運営する人々を常々立派だと思っています)が、そこへ、リアルな生活の実感というか、とりあえず、各自の切実な「欲望」を言葉で表明してみてはどうか、というのです。
ただ不快だとか、嫌いだとかいうのでなく、何故不快に感じるのか、何故痛みを感じるのかを考える過程も、議論を深めるきっかけになるでしょう。
この国での女性、ゲイをめぐる状況は、ここ30年に限っても、ほんとうに良い方向に変わりました。
私自身の長年に渡る大きな変化は、自分が女性であることをじょじょに受け入れ、女性である自分を好きになったことです。そして、私自身は授かりませんでしたが、子供たちを可愛いと感じるようになりました。
ヘタなのですが料理も好きになりましたし、家を整える家事がどれほど大変で、人生の中でどれだけ大事なことか、その価値がわかるようになりました。
カソリックの女子校に10年間通ったことも、良かったと感じています。
ジェンダー、セクシュアリティのあり方自体が変化・多様性を見せ始めているという著者の実感も書かれています。「雄っぽいんだけど、雌っぽさがあるところ」という著者の友人のセクシュアリティに、私も大いに共感します。
自分の中にある女性的なものを認め受容して、かつ強度を保っている男性は、まだ数少ないですが、このタイプは、かなりのもてゾーンに入ってくるのではないかと踏んでいます。
私はファッションが大好きですが、その理由の大半は、さまざまな型を演出することができるからです。
似合うに合わないはあるとはいうものの、服を着ている内に、それなりに似合ってくるから不思議です。なじんでくると、案外中身もそういう人になっています。
型のようなものは、意外に簡単に変わってゆくのでしょうね……。
あとがきに「この本はパンクロック」であり、「リアルであることこそが、ぼくのパンクです」とありますが、この表明は、伏見氏が小説を書き始めたことと無縁ではないように思います。
小説は、私たちの生活同様に、思想だけでできあがっているわけではありません。それどころか、思想なしでも充分に成立するのであり、その本質は芸だとわたしは思っています。芸とは、艶っぽさです。
最後に──伏見さんには、パンクで艶っぽい小説を期待しています。
【プロフィール】
おおはらまりこ●1959年、大阪生まれ。小説家。80年、「一人で歩いていった猫」が第6回ハヤカワSFコンテストに佳作入選し、デビューする。94年、『戦争を演じた神々たち』で第15回日本SF大賞受賞。99-01年、日本SF作家クラブ会長。02-03年、読売新聞読書委員会委員。
HP:アクアプラネット
http://park6.wakwak.com/~ohara.mariko/welcome.htm
【著書】
笑劇(岬兄悟、松本侑子、瀬名秀明らとの共著)/小学館文庫/2007.1/¥619
笑壺(岬兄悟、森奈津子、梶尾真治らとの共著)/小学館文庫/2006.7/¥600
SFバカ本 電撃ボンバー編(中村うさぎ、岩井志麻子、瀬名秀明らとの共著)/
メディアファクトリー/2002.3/¥1,200
銀河郵便は三度ベルを鳴らす/徳間デュアル文庫/2002.2/¥619
SFバカ本 天然パラダイス編(岬兄悟、田中啓文、松本侑子らとの共著)/メ
ディアファクトリー/2001.11/¥1,200
超・恋・愛/光文社文庫/2001.10/¥457
SFバカ本 人類復活編(北野勇作、岬兄悟、小室みつ子らとの共著)/メディア
ファクトリー/2001.8/¥1,000
イル&クラムジー物語/徳間デュアル文庫/2001.3/¥676
アルカイック・ステイツ/ハヤカワ文庫JA/2000.11/¥520
SFバカ本 チャーハン編(岬兄悟、谷甲州、森奈津子らとの共著)/メディア
ファクトリー/2000.11/¥1,400
SFバカ本 黄金スパム編(岬兄悟、安達遥、友成純一らとの共著)/メディア
ファクトリー/2000.11/¥1,400
銀河郵便は”愛”を運ぶ/徳間デュアル文庫/2000.10/¥648
血(小池真理子、手塚真、夢枕獏らとの共著)/ハヤカワ文庫JA/2000.6/¥580
日本SF論争史(巽孝之、小松左京、筒井康隆らとの共著)/勁草書房/2000.5/
¥5,000
リモコン変化 SFバカ本(小室みつ子、かんべむさし、波多野鷹らとの共著)/
広済堂文庫/2000.3/¥600
彗星パニック SFバカ本(岬兄悟、いとうせいこう、村田基らとの共著)/広済
堂文庫/2000.2/¥600
戦争を演じた神々たち/ハヤカワ文庫JA/2000.2/¥700
チューリップ革命(高瀬美恵、四谷シモーヌ、森奈津子らとの共著)/イース
ト・プレス/2000.1/¥1,300
SFバカ本 ペンギン編(岬兄悟、岡崎弘明、友成純一らとの共著)/広済堂文庫
/1999.8/¥552
みつめる女/広済堂文庫/1999.6/¥495
SFバカ本 たいやき編プラス(岬兄悟、伏見憲明、東野司らとの共著)/広済堂
文庫/1999.5/¥571
屍鬼の血族(江戸川乱歩、柴田錬三郎、半村良らとの共著)/桜桃書房
/1999.4/¥2,300
SFバカ本 だるま編(岬兄悟、山下定、松本侑子らとの共著)/広済堂文庫
/1999.3/¥552
SFバカ本 白菜編プラス(岬兄悟、とりみき、岡崎弘明らとの共著)/広済堂文
庫/1999.1/¥571
月の物語(安土萌、倉坂鬼一郎、若竹七海らとの共著)/広済堂文庫/1999.1/¥762
恋物語(古井由吉、増田みず子、連城三紀彦らとの共著)/朝日新聞社
/1998.12/¥1,500
ブランドの花道(藤臣柊子との共著)/アスペクト/1998.12/¥1,400
スバル星人/プラニングハウス/1998.12/¥840
SFバカ本 たわし編プラス(岬兄悟、梶尾真治、斎藤綾子らとの共著)/広済堂
文庫/1998.10/¥571
変身(倉坂鬼一郎、久美沙織、岬兄悟らとの共著)/広済堂文庫/1998.3/¥762
侵略!(かんべむさし、牧野修、小中千昭らとの共著)/広済堂文庫/1998.2/¥762
タイム・リーパー/ハヤカワ文庫JA/1998.2/¥720
SFバカ本 たいやき編(岬兄悟、伏見憲明、森奈津子らとの共著)/ジャストシ
ステム/1997.11/¥1,600
血(小池真理子、篠田節子、夢枕獏らとの共著)/早川書房/1997.9/¥1,600
戦争を演じた神々たち/アスキー/1997.7/¥850
戦争を演じた神々たち2/アスキー/1997.7/¥1,700
処女少女マンガ家の念力/ハヤカワ文庫JA/1997.5/¥560
SFバカ本 白菜編(岬兄悟、大場惑、谷甲州らとの共著)/ジャストシステム
/1997.2/¥1,845
アルカイック・ステイツ/早川書房/1997.2/¥1,359
吸血鬼エフェメラ/ハヤカワ文庫JA/1996.8/¥544
SFバカ本(岬兄悟、梶尾真治、村田基らとの共著)/ジャストシステム
/1996.7/¥1,845
仮想年代記(梶尾真治、かんべむさし、堀晃、山田正紀との共著)/アスペクト
/1995.12/¥2,136
オタクと三人の魔女/徳間書店/1995.11/¥1,456
恐怖のカタチ/ソノラマ文庫/1995.11/¥524
ネットワーカーへの道/ソフトバンク/1994.8/¥1,456
戦争を演じた神々たち/アスペクト/1994.7/¥1,845
エイリアン刑事2/ソノラマ文庫/1994.7/¥524
エイリアン刑事1-上/ソノラマ文庫/1994.6/¥485
エイリアン刑事1-下/ソノラマ文庫/1994.6/¥485
恐怖のカタチ/朝日ソノラマ/1993.10/¥971
ハイブリット・チャイルド/ハヤカワ文庫JA/1993.8/¥720
イル&クラムジー物語/徳間文庫/1993.7/¥505
吸血鬼エフェメラ/早川書房/1993.7/¥1,553
タイム・リーパー/早川書房/1993.5/¥1,456
エイリアン刑事2/ソノラマノベルズ/1992.12/¥728
石の刻シティ/徳間文庫/1992.5/¥466
エイリアン刑事 下/ソノラマノベルズ/1991.12/¥728
エイリアン刑事 上/ソノラマノベルズ/1991.11/¥728
メンタル・フィメール/ハヤカワ文庫/1991.11/¥447
未来の恋の物語/徳間書店/1991.8/¥1,262
電視される都市/双葉文庫/1990.10/¥466
ハイブリッド・チャイルド/早川書房/1990.6/¥1,748
やさしく殺して/徳間書店/1990.4/¥971
銀河郵便は”愛”を運ぶ/徳間文庫/1989.4/¥427
大都会の満タンねこ(いのまたむつみとの共著)/ビクター音楽産業/1989.5/
¥1,262
魔法の鍵/集英社文庫/1989.2/¥360
銀河郵便は三度ベルを鳴らす/徳間書店/1988.10/¥980
スバル星人/角川書店/1988.8/¥420
物体Mはわたしの夢を見るか?/ソノラマ文庫/1988.8/¥420
電視される都市/双葉社/1988.7/¥690
イル&クラムジー物語/徳間書店/1988.2/¥980
青海豹の魔法の日曜日/角川文庫/1987.8/¥380
処女少女マンガ家の念力/角川文庫/1987.3/¥380
石の刻シティ/徳間書店/1986.12/¥980
未来視たち/ハヤカワ文庫JA/1986.11/¥380
金色のミルクと白色の時計/角川文庫/1986.8/¥420
大原まり子・松浦理英子の部屋/旺文社/1986.1/¥1,300
処女少女マンガ家の念力/カドカワノベルズ/1985.6/¥640
ミーカはミーカ トラブルメーカー/集英社文庫/1985.1/¥300
銀河郵便は”愛”を運ぶ/徳間書店/1984.12/¥980
銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ/ハヤカワ文庫JA/1984.4/¥466
まるまる大原まり子/シャビオ/1984/¥880
S-Fマガジン・セレクション 1981(亀和田武、神林長平、岬兄悟らとの共著)
/ハヤカワ文庫JA/1983.4/¥560
機械神アスラ/早川書房/1983.3/¥850
地球物語/ハヤカワ文庫JA/1982.5/¥360
一人で歩いていった猫/ハヤカワ文庫JA/1982.1/¥320
今日は2本・・・
2月17日
日高の愛(?)
片岡義博[記者]●伏見さんへの手紙
編集部から●これは、伏見氏宛に届いた私信メールです。本人の了解を得たうえでここに紹介します。
こんにちは、伏見さん。片岡です。
このたびは、新著「欲望問題」を送っていただき、ありがとうございました。さっそく読みました。そして、これはいい!と思いました。
どう「いい」のか、うまく言い表せないのですが、自分なりに表現していくと、まず痛みの解消を楽しみと等価な「欲望」として了解可能な次元に開くことで、差別を現実的に解消していく新たな理論的枠組みを提起したこと。
フェミニズムがはらむ性差解消志向を指摘し、性差解消による抑圧からの解放と性差に基づく快楽を等価に扱うことで、差別問題の特権性を相対化したこと。
ジェンダーフリーを唱えるフェミニストの言説に具体的な日常生活での実践性、現実性を明確に求めたこと。
自分が生の基盤を置く社会とかかわることの正当性と方法を示しながら、より生きやすい社会を実現していく道筋を示したこと。
そして、それらは自分の経験を基にこれまでの思想と行動を批判的に考察することによって生み出されたものであり、本書自体が筆者のこれからの生き方の宣言となっていること。
加えて、それらが実に明快な表現と論理で示されていること。
うーん、われながら生硬で不器用な説明。でも、よくぞ書かれたと思いました。そしてこの本で展開された思考が、伏見さん自ら社会に働きかけ、また社会から働きかけられるという、伏見さんと社会との往還運動の結果到達した地点であることを深く了解させられました。
以下、雑文です。
本の各所に傍線を引き、深くうなずきながら各所に「!」を記しましたが、1カ所「?」を付けたところがありました。65ページ「ぼくらはそれを一つひとつ解決するだけの知恵をもう持っているのではないでしょうか。それだけの知を作ってきたのではないでしょうか。ですから、ぼくはいまはただ、人間の持つ胆力に賭けたいと思います」。
話は飛ぶのですが、この本、特に第2章を読みながら、僕はヴェンダースの映画「ベルリン天使の詩」を思い出していました。
人間の女に恋した天使が永遠の命を捨てて人間に堕ちる物語。人間賛歌の映画とされていますが、当時(約20年前)、僕はちょっと違うことを感じていました。それは言葉にすればこういうことです。「人類って、世の平和と秩序を求めて不断の努力を続けているようだけど、天使の世界が体現する平和と秩序の世界って、案外つまらないものなのかもね」。映画では人間になった天使の頭にかつて着ていた鎧が落ちてきて、堕天使は自分の頭から流れる赤い血をうれしそうに眺める(だったと思う)。これが人間の「痛み」ってやつか、と。
なぜこの映画を思い出したのか。多分それは、性差の解消によって差別がなくなった社会が、痛みのない「平和と秩序」の天使世界と重なって見え、性差による痛みと同時に性の歓喜と悦楽も味わえる社会が、現代の人間世界のようにイメージされたからだと思います。
「ベルリン天使の詩」はさらにこうも誤読していけます。「人は生の喜びを得るため、同時に痛みを引き受けたのだ。いや、痛みさえ生の喜びの一部なのだ」と。
そんなふうに当時考えたのも、同じころ売れていたあるニューエイジ本の影響があったのだと思います。表現は違うと思いますが、その本にはこんなことが書いてあった。「人間が恐ろしいこと、愚かなことをやめないのは、それが結局、面白いゲームだからなんだよ。この世界はホラー映画みたいなもので、みんなホラー映画が大好きなんだ…」。
苛烈な苦痛や絶望のただ中にいる人々には何ともお気楽な発想です。でもあまりに邪悪なこと、残酷なこと、愚かなことがこの世からいっこうになくなる気配が見られない理由を考えるとき、そう考えざるを得ないなあ、と。つまり、それは人間がそれを選択してきたからなんだ、と。
さてそこで前述の「?」の箇所です。紀元前からずーっと同じようなことで苦しんできた人間は、苦しみから解放されようとし、それなりの知恵も蓄えてきたはずです。ただそれを有効に行使してこなかった。なぜか。バカだから。いやいや天使になりたくなかったからです。そして人間は永遠にジタバタする。ジタバタすることで人間は人間なのだから。そう言っちゃうと身も蓋もない?ニヒリスティック?それを今言っても仕方ないじゃないか。それはそうだ。
ところで話はまたすごく変わりますが、本の冒頭に少年愛者の相談メールが記されています。彼にこんな反社会的な返信を送ったらどうなるんだろうか、と考えてしまいました。どうなるんだろうか…。
「あなたは不運である。少年愛を法律的、倫理的に禁じる時代と場所に、あなたは不運にも少年愛の欲望をどうしようもなく抱える男性として生きている。時代と場所さえ違えば、あなたの切なる欲望は容易に満たされたかもしれない。あなたは自身の不運を嘆きながら、充たされない欲望に身もだえしながら、その一生を終わるかもしれない。生きる甲斐なく、生を閉じるかもしれない。しかし、あなたはそれ以外の可能性があることを知っている。あなたは自分の実存の根幹をなす自らの性欲を実現することなしに死ぬことはできないと考える。あなたは少年を誘うことができる。誘いに乗らなければ襲うことができる。そして何の罪もない少年に取り返しのつかない傷を与えたという倫理的な責め苦を自ら背負って生きる。あるいは法的な罪をあがなうべく刑に服す。傷つけられた少年が私の息子だった場合、あなたは私によって殺されるかもしれない。それでも、あなたはあなたの実存をかけて少年を襲う。
あなたは、より現実的な選択肢として、この国が保障する自由と経済力にものを言わせ、東南アジアで身を売る少年を人知れず買うことができる。誰にも言わなければ、誰にも責められずに自分の欲望を満たすことができる。あなたはあなたの実存にとって大きな意味を持つものを得るだろう。そして同時に大きな意味を持つ何かを失うだろう。それが何か、今は明確には分からない。そこに踏み出すかどうか。あなたは自ら選ぶことができる」
かつて「人を殺すことはなぜ悪いのか」という問いが一世を風靡(?)したことがありました。さまざまな回答の中で特異な回答が一つあったのを覚えています。誰の回答かは覚えていません。すなわち「人を殺すことが、あなたの実存にとって絶対的な要請ならば、あなたは人を殺すべきである」。
収拾がつかなくなってしまいました。伏見さんの本に刺激されて思いついたことを脈絡なく並べてしまいました。結論などなく、いや、伏見さんが命がけで書いたこの本を多くの人にぜひ読んでもらいたいというのが結論です。
長いメールになりました。添付すると、はじかれるかもしれないと思って張り付けて送ります。
野口勝三vs沢辺均ロング対談・最終回
最後に
『欲望問題』を勧める理由
沢辺●さて長い時間話して来たんですが、いままで議論したことの他に『欲望問題』をめぐって野口さんから言っておきたいことってありますか?
野口●繰り返しになりますが、自分自身の信念や理念が社会、他者との関係の中でおかしいんじゃないかと気付いた時に、人はどうやってそのことを自分の生き方の中に繰り込んで、考え方を紡ぎ、自分に還元していくのか、また他者との共生を可能にしていくのか、その普遍的なプロセスを探求した問題としてこの本を受け取って欲しいと思っています。
沢辺●すごく偏った見方かもしれないけど、長い間、反差別運動を僕は僕なりに興味をもって見てきて、89年の藤田敬一さんの『同和は怖い考』では、部落解放運動を巡って、当事者だけがそれが差別かどうかのジャッジをするという考え方は間違っている、被差別者の不利益は全て差別が原因だと言うのはおかしい、という主張がなされ、その視点がかなり衝撃的だった。
その次に小浜逸郎の『弱者とは何か』という本が出て、これも僕にとっては差別問題をきちんと考え直していく流れきっかけになった。今回の伏見さんの本はその流れの中にあり、いろんな意味でそれらを越えていると思う。
まさに被差別の当事者として、理論的な意味での差別運動のオピニオンリーダーというポジションから、さらに差別の問題から欲望の問題として物事を転換していくという新たな視点を示したと思う。日本の差別問題を巡る言説の中でこの本は重要な転換点に位置づけられると思ってるんです。
野口●反差別運動というのは往々にして運動自体を自己目的化しやすいんですね。とりわけ抑圧が強かった人、ルサンチマンを強く抱いている人は、差別問題という枠組みに乗ることでメタに立とうとする傾向が強くなる。その枠に乗れば社会を否定し、抑圧の対象を否認することができ、マジョリティより優位に立てますから、ある意味楽というか快感になるんです。
そうした状態を一旦全てリセットして作り直すというのは最初にも言ったように、そんなに簡単なことではない。この本で伏見さんはそれを実行した。これは反差別運動の成熟形態と言えます。
今後の反差別運動、社会運動はこの本で提示された視点を繰り込んで成熟していく必要があると思います。先に述べたように反差別運動は「正義の純化」が起こりやすいので、そういう領域で、フロントランナーであった人が成熟形態に移行していく道筋を提示したのは画期的だと思います。
差別の問題、社会問題に関心がある人、特に若い世代の人にぜひ読んでほしい。きっと、何か受け取れるものがあるのではないかと思います。
「命がけで書いたから命がけで読んでほしい」と書いてありますが、むろん伏見さんも読者が命がけで読んだりしないことは十分分かっているわけです。面白いと思うのも思わないのも、またどのように読むかのかも読者の自由であるということは当然で、そんなことは十分分かっているんですね。
ただ、人は表現をする場合、他者へ何らかのメッセージを伝えたい、受け取ってほしいという思いを抱いている。ある場合その思いは軽いものかもしれないし、楽しんでもらおうというものかもしれない。
しかしこの本において、伏見さんが他者へ受け取ってほしい気持ちはこうした言葉でしか表せなかったのだと思います。このような言葉でしか表現できない思いを込めた本を書かざるをえないときがあるということなんですね。この言葉は、伏見さんのそうした「倫理性」の表明と考えたらよいと思います。
そして、こうした本では読み手もどう生きてきたのかが問われてしまうんですね。自身の信念を補強することに終始していたり、捉え返すことをやってこなかった人は、面白くないでしょうし、ともすれば感情的な反応しかできないかもしれない。
しかし、自分の生き方を考えざるを得なかった人や、自身を一から作り直さなければならないような経験をした人には伝わるかもしれない。その意味で読み手の「倫理性」もまた問われてしまうのだと思います。
沢辺●ありがとうございました。