月別アーカイブ: 2007年2月
これが本当の今年最後!
ナッツ&アビ
この前じゅんちゃんが買ってきてくれた、
雷さまのかつらを那須家で飼っているナッツも装着。
ナッツはゴールデンレトリバーのメスで、年齢が推定6才。
那須家にきたときは、ガリガリに痩せていたが、十分すぎる栄養を摂取し、
一時は「京塚マサ子」と呼ばれていたほど。
これではいかんと思ったナースが、エサを手作りおじやに変えたところ
見事ダイエットに成功。今は、泉ピン子くらいだろうか?
ゴールデン用に作られたヅラだけあって、見事着こなしています。
ちょっと気分を変えて、トラ柄のバンダナはいかがでしょうか?
ついでに、猫のアビちゃんもトラ柄のバンダナを巻いてみました。
気の強さでは、右に出る者のいないアビちゃん。
人間に遊ばれていることに、怒っている様子。
ホーキング青山[芸人]●伏見さんが提示した本質を芸人として庶民の目線で伝えていく
この本を読ませていただき、まず最初に感じたのは「なんて重い本だ」ということ(笑)。
正直読み始めたときは「これは重いし堅苦しいし、読みづらい本だなあ」と思ったが、読み進むうちに「ここまで書かないと伏見さんの考えは伝わり切らないし、表現し切れないんだ」ということがよく分かった。
で、そこまで分かるとこの本は面白い(笑)。ただこういう問題ってもっとオープンにすべきだと思ってる。“史上初の身障者お笑い芸人”としてやってきたオレはとても強くそう思う。それにはこの本はちょっと取っつきづらすぎないかな?という気がした。むろん、前述したようにここまで書かないと伏見さんの考えは伝わり切らないし、表現し切れないから仕方ないというのは分かるんだけど。
これまで伏見さんとは三度ご一緒にお仕事をさせていただいた。いずれもすごくクレバーで、デリケートかつ複雑に絡んだ性をはじめとするあらゆる『差別』の問題を誰もが興味を持てる“オモシロさ”と“分かりやすさ”をもって語る「差別問題を一般化する力」を持つ方だと思ってる。
忘れられないのが、はじめてお会いしたときに舞台でオレが乙武をネタにして笑いを取ってたら、伏見さんから「青山さんはそうやって乙武さんを悪く言うけど、ボクなんかからすると乙武さんはオナペットであり、あんまり悪く言われると困っちゃう」と言われた。ひっくり返った。立場が変わるとここまで見える風景、景色が変わるものか?と大笑いしたっけ。
でちなみに「乙武はそんなに良くて、オレのことはどう思ってんの?」と聞くと「次元は違うけど同じ被差別者のマイノリティー」だって。要するに友だちにはなれても恋人にはなれない、ってことだろう。ゲイじゃないオレは、こう言われて本当はホッとするところだが、なぜか妙に悔しかったりして(笑)。
そんな伏見さんの本だから、つい“オモシロさ”や“分かりやすさ”を求めてしまう。それだけに最初のギャップは大きかった。
といろいろ書いてしまったが、オレのこの本の総合的な感想は「面白かった」の一語に尽きる。っていうかやっぱりご自身が差別運動に挺身しながらここまで差別という問題を客観的にとらえ、体系化してしまうという技はそう簡単に真似できるものではない。
おかげで差別問題というものの構造が改めてすごくよく分かったし、ホモということや少年愛ということをただの差別問題でなく欲望の問題と明示してくれたことで昨今の性犯罪の病理、本質がよく分かった。解決策がないという現実も……。
芸人である以上、こうした世の中で起きることから目を背けるわけにはいかない。伏見さんみたいな人がこうした問題の本質を提示し、それを芸人は庶民の目線で庶民に伝わるように表現し、皆に関心を持ってもらえるようにする。
その意味でもこの本で昨今の性犯罪の本質を理解できたことは本当にありがたい。
伏見さんに言われた言葉で忘れられない言葉がある。
「まあ私たちはゲイと身障者という立場は違うけど、でも同じように“いわれなき差別と戦ってきた”という意味では“同志”なんだから、お互い頑張りましょうね!」
このとき伏見さんの言われた言葉がこの本を読んではじめて分かった気がする。
そして、オレみたいな生まれながらにしての身障者はその現実も伏見さんよりはるかに受け入れやすかった。
ゲイの方が自分がゲイだという現実を受け入れ、そこから周囲の理解を得て、そして世の中の差別と戦っていくというプロセスには、同じ被差別者のマイノリティーとはいえ、オレら身障者とはまったく異なる苦悩があったことを、この本を読んではじめて気づいた。
そうなのだ。あのとき伏見さんがオレに「同志」といってくださった言葉は、実は伏見さんが謙遜しておっしゃった言葉だったのだ!この本を読むまでまったく分からなかった。伏見さんすみませんでした。自分の浅はかさが情けない……。
ともかく、この本は本当にあらゆる人が読んだ方がいい本だと思う。これ読んだら今の性犯罪の本質はじめ、差別の問題が分かり出すのだ。性犯罪に関しては絶対に容疑者をただ悪者にする感情論だけじゃ片づけられなくなる。そうなってはじめて差別の問題が他人事でなくなり始めるのだ。
【プロフィール】
ホーキングあおやま●1973年、東京都生まれ。“史上初の身体障害者のお笑い芸人”としてデビュー。
HP;ホーキング青山 オフィシャルホームページ
http://www.hawkingaoyama.com/
ブログページ
http://blog.hawkingaoyama.com
【著書】
お笑いバリアフリー・セックス/ちくま文庫/2005.9/¥680
日本の差法(ビートたけしとの共著)/新風舎文庫/2004.11/¥562
ホーキング青山の傍若無人/創出版/2004.8/¥1,400
Listen!〜あなたに聞いてほしい話(共著)/2004.5/¥1,500
日本の差法/新風舎/2002.10/¥1,300
身障者・お笑い芸人という生き方/エイ出版社/2002.7/¥1,400
UNIVERSAL SEX/海拓舎/2002.1/¥1,400
七転八転/幻冬舎アウトロー文庫/1999.12/¥457
笑え!五体不満足/フーコー/1999.11/¥1,600
言語道断!ホーキング青山自伝/情報センター出版局/¥1,165
半ズボンはどこに
欲望問題の書評が毎日アップされています。おもしろがって読んでいます。
今週末は社長と松沢さんのゆかいな話も聞けるようなので(もちろんママも!)
夜中から友人と参加するつもりです。
若い女の子のショートパンツが冬に引き続いて春も流行る模様です。
欲しいような、躊躇するような。春に浮かれて買って後悔しないだろうか?
昔もっと男子の半ズボンもポピュラーだった気がします。
ジョージマイケルがデニムきりっぱなし短パンでウキウキしていたり、
外人さんはよく半ズボンはいてたイメージがあります。
そういえばジャニーズもみんな半ズボンはいていました。
最近はマッチが半ズボンでコンサートした事が話題になってましたけど。
小学生の男子のズボン丈も、いつのまにか一斉に長くなっていました。
どこにいったんだろう、男子の半ズボン。
総括
ポットの会長
快楽亭ブラック師匠が渋谷区長選挙に出馬!
竹下真一郎[大学生]●他者と繋がろうとする切実さ
私の不勉強と読書内容の偏向のためであるが、本書は、伏見氏の論考、特に2000年以降の雑誌『クィア・ジャパン』やゲイ雑誌『Badi』への連載記事などの内容から外れるものではないように感じられた。私は、過去の著作からは、「正確な分析だけど、みもふたも無いなあ」というのが、伏見氏の著作に対する印象であった。それはつまり、私が「読書を通じて安心したいタイプ」であり、もっと言えば、本の著者に対する「甘え」──「自分の価値観を権威によって肯定して欲しい」という欲求──があったというだけの話であり、恥ずかしい話である。
また、著作をちゃんと読んでいないからだと叱られそうだが、伏見氏の著作には、他人の生き方を茶化して痛烈に笑いのめす箇所と、一方で他人の痛みを深く理解しようとするような箇所があり、どうしても統一的な「伏見憲明」像が浮かんで来なかった。しかし、本書を通じ、雑誌等で見られる「怖いオカマ」スタイルと、あとがきで「命がけで書いた」と告白するような「真面目さ」とが、「伏見憲明」という1人の人格の中に同居しているということが、何故か腑に落ちた。腑に落ちてみると、単に、自分の「好き嫌い」や直観を誤魔化さずに発言する知識人が珍しいというだけのことだったのかもしれないという気がするし、「ゲイ・リベレーション(こう言われることを好まないかもしれないが)を引っ張るような知的な人=真面目で観念的で耳に心地いいことを言う」という勝手な決めつけが私の中にあったのだろう。またしても恥ずかしい話である。
本書からは、伏見氏の「人が他者と繋がろうとすること」に対する何か切実な想いが感じられた。本書の内容から外れることかもしれないが、私は、今までのところ孤独ではなかったし、恵まれた人生を送って来たのだなあと思う。そしてそれ相応にだらしなく育った。
『欲望問題』は、未成年の同性に性的欲望を抱く男性のエピソードから始まっている。かつて大学時代に、「アナタはゲイで、人生を謳歌してるでしょ?ゲイであることが今何か大変ことなの?」と遠まわしに言われたことがある。今でも私は、例えば「セックスに関して、何をどこまで許容できるのか」と詰め寄られれば、上手く答えることができない。成人の男性が好きな同性愛者である自分は、今の日本では、安全圏内に入っている上、幸せなことに、だらしなくても生きていられる。
そういう中で、私は、他人の痛みを感じ取れているのだろうか。映画を見れば過剰に感動したりするのに、果たして生身の他人とぶつかり合っているだろうか、ぶつかった上で相手を理解しようと努めているだろうか。最近そういう痛い「ぶつかり」を一つ経験したような気がする。
家の中のことで家族の1人と口論になった際、それまで積もっていた思いを一気にぶつけ、私は相手を言い負かしてしまった。そんなことは生まれて初めてだったし、いつかは一言ガツンと言ってやろうと思っていた。しかし、自分の言葉で、いつも強気な人間があんなに取り乱してしまうとは思ってもみなかった。
自分は何がやりたかったのだろう。決まっている。『欲望問題』の中の表現で言えば「痛み」を「正義」と錯覚して、更に、相手の気持ちをずたぼろにしたいという欲望にも基づいて動いていたのだろう。この場合、私の家の中における「欲望問題」は、「痛み」「楽しみ」の他に、「恨み」のファクターも介在しているのだろう。
相手は、私の欲望どおりにずたぼろになりながらも、私の言葉を受け止めてくれた。しかし私は相手の何を受け止めているだろうか。今も相手は私の言葉で苦しんでいるのかもしれない。
今まで家の中で等閑視されてきたことを暴き立てたいという私の「欲望」は、結果的に皆を幸せにしないのかもしれない。「私は家という小さな社会の一員として、家族1人1人と向き合いたい」。こう言えば学校の先生に褒めてもらえそうな気がするが、それはつまり「欲望問題」なのだ。伏見氏が「欲望問題」と言ってくれたおかげで、私も家のことを冷静に考えられる気がする。
一方、私は「日本」という大きな社会に対しては「憎しみ」も無いが「痛み」も無く、「楽しみ」の関係性しか持っていない。しかも、かなりだらしない種類の「楽しみ」の関係性だろう。
結局、『欲望問題』で伏見氏は、「読書で安心したい」という私の甘えをまたしてもぶち壊してくれたわけだが、今の自分には必要な読書体験だったと思う。ところで、こうして感想文を書くと、大体「いい子偽装の反省文」のようになるので、自分でもどれ位本音なのだろうかと疑問ではある。
【プロフィール】
たけしたしんいちろう●1978年、福岡県生まれ。大学生、政治学専攻。
伊藤信男商店
単行本の仕事で花布やスピンを選ぶときは、伊藤信男商店の見本帳をつかいます。先日、チャリンコで池袋方面から帰る道すがら、下板橋のあたりでふと見あげたところに、伊藤信男商店って看板が出ていました。伊藤信男商店こんな通り道にいたのですね。