月別アーカイブ: 2007年2月

『日本のゲイ・エロティック・アート』トークショーの模様を公開

以前私もちょっとだけ関わった『日本のゲイ・エロティック・アート』の、田亀さんと村上隆さんのトークショーの模様を一部ポットサイト内にて公開しています。

当日トークショーの場にいながら「次は何をああやって、こうやって…」なんてことが頭の中を巡っていたので話をちゃんと聞けず。もう一回見直して思い出してみます。

おかべよしひろ[東京レズビアン&ゲイパレード2005・2006実行委員長]●自分と重ね合わせてみて

 大阪生まれで大阪育ちの自分が、仕事の都合で東京に移り住んだのが1992年の春。あれからもう15年になりますが、その間に我々同性愛者をとりまく状況は大きく様変わりをしました。東京に来た頃は、まだゲイムーブメントとかゲイリブといった動きが身近ではなく、一般社会に向けてメッセージを発信する、などということは思いもよらなかったし、また、もしそういうことがあったとしても、自分がそれに参加するだなんてとてもじゃないけど考えられませんでした。
 
 二丁目の片隅で(よく通ったバーは厳密には三丁目でしたが)、週末にひっそりと(うそ。結構にぎやかに)お酒を飲む、普通の「ホモ」だったのです(ほんの15年前の当時、まだ「ゲイ」という呼称すら今ほど一般的ではなかったなんて、今の若い人たちには想像できるでしょうか?)。
 
 それがどうしたことか、そんなクロゼットな自分が、こともあろうに東京のど真ん中である渋谷の街を3000人もの「同志」が歩く、東京レズビアン&ゲイパレードの実行委員長を務めることに。しかも2回も。「一公務員の自分がこんなことしちゃって大丈夫なわけ?」「一体自分、どうなっちゃてるの?」「でももう後には引けないし・・・」、と半ば捨て鉢(笑)になってここ数年走ってきました。とはいえ、全方位的にカミングアウトしてオープンリーゲイとして活動しているわけでもなく、「これくらいまでなら大丈夫かな・・・」などと薄氷を踏む思い(大袈裟)で姑息にというか中途半端にというか(笑)、ともかく「今、自分のできること」をやってきた、という感じでしょうか。

 こういった自分のあり方の「変容」を振り返ったとき、たとえば、伏見さんが若いときに大きな悩みや苦しみを抱え、それを解消するためにまず問題を立て、それに立ち向かい続けてきた、というあり方と自分のそれとはずいぶん違うということを感じます。自分は、ゲイであるという自認を持った思春期のころから、ゲイであることで理不尽さや不自由を感じたりしてきたはずなのに、それが「問題だ!」などと思う回路を持っていなかったのです。「お、自分はフツーとは違うみたいだぞ! バレないようにしなきゃ・・・。」(実際は大阪弁)と思っただけで、「それをなんとかしたい!」などと建設的な方向に意識が向くことなどなかったのでした。
 
 しかし、ちょうど東京に来た頃から、徐々にゲイムーブメントが起こり始め、時代が動き出すことになりました。時代の声に接するなかで、自分のなかで潜在的にあった(と思われる)混沌として言葉にもならなかった思い(つまりゲイであることで受けざるを得ない理不尽さや不自由さなど)が徐々に整理されて、自分の言葉となり、そしてその言葉を表現する場が与えられたり、行動する場が与えられたりするようになってきたわけです。ようするに、時代の動きに導かれてというか、影響されてというか、揉み解されてというか、その時々に必要だった(もしくは、やりたかった、やりたくなった、やらされた(笑)、などの)小さなアクションを徐々に徐々に積み重ねていくうちに、いつのまにかこんなふう(どんなふう!?)になってしまったわけです。
 
 このように、自分のあり方の「変容」を振り返ったとき(『欲望問題』のなかで、伏見さんは私のこういった「変容」についても鋭く分析してくれています。ナルホド!)、常に私は「時代」に導かれてきたということができるのですが、一方伏見さんは、「時代がどうだから」などということに突き動かされてきたわけではなく、自分自身で問題意識を明確にし、問いを立て、それに立ち向かってきたわけです。つまり、伏見さんは私が導かれてきた「時代」というものを切り拓き、創ってきた張本人(もちろん彼一人の功績ではないのでしょうが、その中心的存在であったことは確かです)だといえます。

 この『欲望問題』は、その「時代のフロントランナー伏見憲明」の思想の軌跡を知るうえで恰好の書です。後代になって第三者がある人物の思想の変遷を整理する、ということはよくおこなわれるのですが、本人が、しかもまだ第一線で活躍しているさなかにこのような仕事をしたということに私は非常に興味を覚えました。ジェンダーやセクシュアリティの問題やそれらを取り巻く状況は、それほど短時間でいろんなことが変化していくのだ、といえばそれまででしょうが、それを自分自身の手で整理したというところに、伏見さんの研究に対する誠実さを感じます。そしてその視線はつねに未来へと向けられており、彼の問題意識に対する視座は、私にもいろんな示唆を与えてくれました。

 冒頭に書いたように、私が東京に来たのが1992年。そして、伏見さんが『プライベート・ゲイ・ライフ』でデビューしたのが1991年。彼がリードしてきた「時代」を、新宿二丁目という街で感じ続けることができたのは、とても幸運なことだったと思います。同世代(というか同い年)としても、今後の活躍に期待しています。

【プロフィール】
おかべよしひろ●1963年大阪市生まれ。高校教員。東京レズビアン&ゲイパレード2005・2006実行委員長。東京プライド理事。セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク事務局長。

づがれだー!

「昭和のゲイバァ」先週の土曜の営業はハードでした。お客さんが非常に多かったのと、トークイベントのダブルパンチで明け方はヘロヘロでした。ママ業とへ理屈業は両立しませんね。トークのときは頭が朦朧として自分が何をしゃべっているのか、質問されても相手が何を言っているのかも定かではなく(笑)、お越し下さった方々には申し訳なかったです。でも松沢さんと沢辺さんのお話しはとても面白く、皆さんにお楽しみいただけと思います。
さて、来週3/3(土)の追加営業で「昭和のゲイバァ」も終了です。後半は片付けなどしつつまったりとお客様と語り合いたいと思います。すでに来店された方も、まだの方も、遊びに来て下さいね。お待ちしております。

落とし物

鉄のクビにつけていたロケットが、いつの間にかなくなっていた。
ロケットの中には、私やポットの電話番号をかいた紙を入れている。
鉄が迷子になったときのためだ。
これは、鉄を世話してもらったアニマルパートナーの人から
こうしてくださいね、と教えられたこと。

一度、会社のドアがちょっと開いている隙に、
外に出かけた私のあとを追って行方不明になってしまったことがある。
そのときに、鉄を発見してくれた人がロケットの電話番号をみて、
連絡してくれた。
早く新しいのを買わなくては。

RIMG0047.JPGRIMG0056.JPG

おせっかい

ナースが子どもを連れて出社した日のこと。

指に切り傷をつくった子どもが、ナースに絆創膏をはってもらっていた。
すると、背後から近づいてくる一匹の犬……。

R0012961.JPG

二人が何をしているのか、気になってしかたない様子。
犬は気配を察するというから、二人の醸し出している雰囲気に、
鉄なりに心配しているのかもしれない。
しかし当然のことながら、あごを乗せるだけで何の役にも立たない。
……というよりも、邪魔だよね。

R0012960.JPGR0012958.JPG