ずっと前に、読売テレビの辛坊治郎と森たけしが、プロ野球いれコミ情報のコーナーで歌っていたうたで、大阪ソウルバラード 番外編 というCDに収録されています。
やってくれたね タイガース〜
家庭円満 タイガース〜
勝った 勝った 勝った 勝った タイガース〜
という歌です。通勤中にエンドレスで1曲リピートして聞いていると、ちょっと気が狂います。
ずっと前に、読売テレビの辛坊治郎と森たけしが、プロ野球いれコミ情報のコーナーで歌っていたうたで、大阪ソウルバラード 番外編 というCDに収録されています。
やってくれたね タイガース〜
家庭円満 タイガース〜
勝った 勝った 勝った 勝った タイガース〜
という歌です。通勤中にエンドレスで1曲リピートして聞いていると、ちょっと気が狂います。
またまた懐古趣味的な日記になるが、本日、12月8日はジョン・レノンが暗殺された日。もう四半世紀も前のことになるが、伏見はそのとき、高校2年生。音大の付属高校でクラシック音楽を勉強していたのだが、バッハとかモーツアルトには全然関心がなく、遅れてきたビートルマニアだった。とくにジョン・レノンの大ファンで、彼のちょっと神経質で尖った雰囲気に憧れていた。
といっても、1980年頃のジョン・レノンはパッとしていなかった。ビートルズ解散直後こそ注目されていたが、レコード売り上げは下降線をたどり、ウィングスで大ヒットを連発していたポール・マッカートニーに比べると過去の人という印象だった。判官びいきの伏見は、それでジョンに肩入れしたのかもしれない。
ジョンは75年からは半ば隠居生活に入っていて、80年に鳴り物入りでカムバックしたものの、オノ・ヨーコとのアルバム『ダブル・ファンタジー』は初動ではそれほどの勢いはなかった。シングルの『スターティング・オーバー』も、心待ちにしていた伏見少年でさえ、内心、ん?という疑問符が浮ぶほど肩すかしな作品だった。
それが彼が暗殺されるや、新作は大ヒットし、72年の発売当初はスマッシュヒットにすぎなかった『イマジン』が、世界中でもてはやされるようになった。70年代後半は滅多にラジオでかかることもなかったのに、だ。反対に、『イエスタデイ』と並ぶスタンダードと言われていたポールの『マイ・ラブ』は、今日では稀にしか流れなくなった。何が楽曲を普遍化していくのかわからないものだ。
でも、すっかり平和の伝道者として語られるようになったジョンは、伏見のアイドルではなくなってしまったみたいだ。彼はそんなに立派な人でも政治的に正しい人でもなかった思う。もっといいかげんで、直情的で、暴力的な人間だったのではないか。もちろん理想論の人でもあっただろうけど、ヨーコの語るレノン伝説は美化されすぎている。それが疎ましい。
とは言え、25年前の今日、伏見はジョンの死にショックを受け、平和を願ってもっと行動しなければ!とか純粋に決意したものだった。後日行われた日比谷公園での追悼集会(写真はそのときのチラシ)にも参加し、数千人もの参加者と行進をし、一体感を味わった。おめでたい左翼であることがまだ許された時代だった。
でもあの頃の反逆精神は伏見のゲイリブにもつながっていったし、いまだって、「あたしゃ、闘うときゃ、からだ張ってでも闘うよ!」てな気持ちは失っていない。ただ、それが左翼的な方法論ではもう駄目だと考え直しただけ。つまり転向なんだけど(その辺りのことを人間学アカデミーの講演で話せたらいいのだが)。
*写真は、当時の新聞記事などを集めたファイルの中から取り出したもの。
試写状をもらったときからすごく観たかった映画『オープン・ウォーター』。が、なにせ出不精ゆえ、試写の日程はいつのまにかすぎ、気づけばロードショーさえ終わっていた。そしてやっとDVDになって観ることができた。
ツアーガイドのミスで海上に取り残された観光客ダイバー。大海にただ浮いて救助を待つ恋人同士に、運命は厳しかった。近くを通りかかった船には、手を振っても気づいてもらえない。サメは姿を見せる。刻々と時間は過ぎていく。いつしかサメの群れに囲まれ、足を喰いつかれ、出血しながら力尽きていく男性。恋人の遺骸を海に放し、ついにそのときを覚悟する女性……。
『ジョーズ』のように絶叫する怖さではないが、観終わった後、しんしんと恐怖が効いてくる。ラストの、女性の絶望とあきらめの表情が、脳裏を離れない。こんな特殊なケースでなくとも、いつか自分にも訪れる「それを受け入れる瞬間」。その痛みが重なり合わさって、いっそうリアルに迫ってくる。
阿佐ヶ谷に狸が出ると友人が言っていた。あの辺り、雌豹(オカマ)がたくさん生息していることは知られているが、野生の狸までいるとは。都内に狸がいるくらいだから、伏見の散歩する河原に狸ほかキツネやアオダイショウなどさまざまな生物が住んでいてもおかしくない(写真左)。だけど、そんなものたちが身近に暮らしていようとは、ウォーキングをはじめるまで知らなかった。
数日前の早朝、人影もほとんどない河川敷を歩いていた。すると、前から二人連れが近づいて来る。50代くらいのおじさんたちだった。気のせいか、一瞬手をつないでいたように思えた。すれ違うときには並んで歩いていただけだったが。いや、におう! と、くのいち伏見は振り返った。すると、その白髪のまじったおじさんたちは、案の定、手をにぎり合っていたのだ。こんな田舎にも雌豹が生息していたか!
それにしても、その後ろ姿がとてもルンルンしていてかわいらしかった。よく見れば、お揃いのウェアーまで着ているじゃないか。早起きは三文の得。なんだかとってもいいものを見せてもらった気がした。愛……
今年の1月、生まれて初めて!というくらいひどいインフルエンザにかかって、難義した。肺炎をほとんど起こしかけていて、医者に行ってもらった薬は効かなかった。それでだいぶ肺を痛めたのか、その後も長く咳を引きずった。
その際、母(82歳)にまで移してしまった。彼女は早期発見で薬ですぐに直ったが、あとから考えたら、高齢者を危険な目に遭わせていた。その反省でこの冬は親子で予防接種を受けることにした。こんなことまで配慮するようになったのかと、母の加齢が身にしみる。
それにしても注射一本3500円! それでも感染の確率を下げたり、かかっても症状が比較的軽く済むといった効果しかないそうだ。しないよりはマシということだろう。でも4,5年前、オカマ界でA型肝炎が大流行したときに、取材をかねて予防接種したときは、10000円近くした記憶があるので、それよりはリーゾナブルだが(A型肝炎は空気感染しない→特別なことをしないとかからない→ご想像におまかせします)。
ちなみに風邪の初期症状なら葛根湯がよく効く。たいていこれだけでOKだ。
「日本のための運動」(Mouvement Pour le JAPON.略称・MPJ)プロジェクトを構想しています。
同プロジェクトでは、
①:『PHOTOエッセイ Gay @ Paris』出版プロジェクト
②:PHOTO 100人プロジェクト
③:日仏ゲイパレード交流プロジェクト
④:欧州ゲイパレード写真展@TOKYO
⑤:「日本のためのマニフェスト2007」発表
⑥:LGBT議員・誕生プロジェクト
⑦:ベルトラン=ドラノエ・パリ市長、カミーユ=カブラル市議
再選キャンペーン2008
が企画としてあがっています。すべて時系列に並べてます。まず、予約が100人集まれば出版化?!という『PHOTOエッセイ Gay @ Paris』を発刊させることが何よりも優先事項です。これをバイブルにして、日仏LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランス)交流事業を進めていき、パレードになれば双方が遊びに来る……という関係になれればと思います。
②以降のプロジェクトは①の実現に目途がたった時点で公表していきます。
あなたの予約が日本を変える!
Parisien(e)とともに
『PHOTOエッセイ Gay @ Paris』の挑戦に力を!