ず・ぼん6●[わたしの図書館宇宙6]図書館員のファッション感覚

[わたしの図書館宇宙6]図書館員のファッション感覚

新海きよみ
[1999-12-18]

文◎新海きよみ
しんかい・きよみ●
立川市図書館レファレンス・地域行政資料担当。
引退したら、あの窓際のキャレルで終日好きな本を読み暮らしたい。

 図書館員におしゃれは不要なのだろうか。
 見てるとどうも「おしゃれってなんのこと?」みたいな人が多いように思うのはわたしだけではないだろう。
 そもそも、世間一般に流通してる図書館員のイメージってどんなんだろう。
 女性だったら、白いブラウスに紺のスカート、髪はロングのストレートをうなじのあたりでひとつ結び、色白で化粧っ気はなく、物静かに微笑んでいる。
 男性はストライプの綿シャツにベージュ系のチノパン、髪はサッパリ系のやや長め、メタルフレームの眼鏡といったところか。

 きゃー、貧困。書いてるだけで恥ずかしくなってきちゃった。実際には、特にわたしのように公共図書館で仕事をしている人間の周囲には、そんな方はめったにいない。
 どうも先ほどの世間のイメージ(と言っても新海の勝手な推測だが)とは異なり、ジーンズにポロシャツといったモロ筋肉系アルバイト、みたいな服装の方が数としては大変多いですね。実際、現場の肉体労働者だし、汚れ仕事・力仕事なことは百も承知してるし、動きやすいのが一番てこともよくわかるんですけれども。
 でもね。
 わたしはおしゃれも大好きなのね。なんたってミーハーだから。わたしだって時にはジーンズで出勤することもある(主に土日勤務の日。世の中は休みかあ……と思うとちょっと悔しいときがあって、そういう気分の日はカジュアルする)けど、年取って来てからは、カジュアルな着こなしをしたいときの方がむしろ気を遣う。若い頃と違って、どうでもいいようなカジュアルはそれこそびんぼーくさくなるから。
 誤解されては困るが、「びんぼー」はいいのよ。困るのは「びんぼーくさい」の「くさい」の部分。
 最近はモード界の動向もカジュアル系だし、仕事場では絶対カンベンしてね、の体操着関係(信じられないことに、ジャージにサンダル履きでカウンターに立つ人がいるのだ。これは即刻やめて欲しい)も若者達はしっかりファッション・アイテムにしてしまっている。それはそれでひとつのファッションというカタチでの自己表現なんだと思う。でもわたしがここでいいたい「びんぼーくさい」カジュアルってのは、どうもそういうのとはちょっと違うんだな。「子どもの運動会を見に来た父母」みたいな妙に馴染まない雰囲気になっちゃった人。「年増の浪人生」みたいなとりあえずの感じ。そこそこで目立たなくて、その人らしさも何も感じられない。

 それでも背広にネクタイのスーツ姿ではなくて、ジーンズ系のカジュアルでいたい人って、その方が心が自由だとか、市民の味方なんだとかいう幻想があるのでしょうか。でもそれって大いなる勘違いだよね。そんなところで主張するリベラルって、薄っぺらなもんだって気がする。汚れたエプロンに「みなさんの○○図書館」とか書いてあっても、市民はちっとも気持ちよくなんかないだろう。
 いわゆるサラリーマンの定番スタイルが図書館のカウンターに馴染まないと思ってた時代が確かにわたしにもありました。利用者にとっては、親しみを感じられないような気がして。でもそれもまちがいだった、今にして思うと。わたしも基本的には制服関係が好きではない。服装なんてそれぞれの自由が一番って思ってる。でもピシッとした服装してるからって必ずしも中身が管理的だとかコンサバだとかって訳じゃないんだよね。逆にそんな風に思うこと自体、ものの見方が硬直化してることの表れだったかもしれない。
 しかし。
 逆の例についてもやっぱり一言いいたい。
 最近はどこの図書館でもお役所からやってきた事務系の方が増えたせいか、スーツにネクタイ着用の例も多くなりました。それはそれでよい。上記のような理由により。でも、「わたし男の人のスーツ姿って結構好きなんだ。ただしかっこいい場合に限る。だからできるだけかっこよくキメテね」とは希望します。趣味の悪いネクタイはごめんだし、どうでもいいような上下ちぐはぐの安っぽいコーディネイトも止めて欲しい。定番スタイルに隠れていればラクだけど、だからこそそこにピリッとひと味、自分らしさを加えなくちゃ。
 別に服装だけに憂き身を窶せという気はない。奇抜で派手な恰好をしろとか、お金をつぎ込んでDCもので固めろとかいうことではなくて、その人らしくすてきでいられたら、それが一番いい。女でも男でも。

 でもその「自分らしさ」をよく吟味せずに、なんの疑いもなくダサイ恰好してても平気になっちゃったら、センスも何も干からびちゃうよ。
 自分のその時の「こういう服を着たい」って気持ちと、それが場所と状況にふさわしいかの判断、そしてほんの少し客観的な他人の目で「これでかっこいいかな」って点検してバランスをとる。図書館員はとりわけ、そういったセンスをもっともっと磨くべきだと思う。
 だって選書もセンス、棚づくりもセンス。わたしたちの仕事は、センスなしではやっていけないはずなんだから。
 じゃあセンスって何なのか説明しろと言われても困るけど。いいもの、すてきなものを嗅ぎ分ける微妙な感覚とでも言っとこうか。それは生得の部分が大きいかもしれないけど、いいものを見て、いいと感じて、磨いて光っていくものだ。
 大体、ビジュアルなセンスがダサイひとに面白い棚は作れないでしょ。
 わたしたちは客商売なんだから、垢じみてちゃいけないのはもちろん、すかっとかっこよく、ちょっとは知的にも見えた方が、利用者の信頼も得られるってものじゃない? これは別にキャリア系ファッションだけに限らない。カジュアルだってかっこよく演出すれば充分それは可能だと思うよ。

 かくいうわたしにも一部では厳しい批評があるらしい。品がないとか若造りしてるとかマダム入ってるとか。なんかこれだけ聞くと、一体どういう性格なんだと思われそう。
 実はその日の気分でいろいろ雰囲気変えるのが好きなの。品がないというのは体にぴったりしたトップスをよく着てることからくるらしい。これについては自分的には言い分があって、わたしはデブな上に胸がデカイので、ブカブカした服を着たらそれこそダサダサになっちゃう。でもある友だちが言うには、高くていいものを着れば、ボディコンシャスでもきれいで上品なラインが出るって。ふーん、なるほどなあって感心したものの、困ったことにわたしは安いもの好き。お買い得に弱い。チープシックに決められないのはまだまだ修業が足りないということね。もっとセンス磨かなくちゃ。
 まあ批評の当否はともかくとして、わたしの美意識では下品なのもケバイのもダサイのと同じくらいだめ。若造りってのは若いのとちがって「似合わないのに若ぶってる」、だからこれもだめ。マダム系は、うーん、これは趣味の違いだからなー。ロンタイ見ただけでマダム系って感じる人もいるだろうし。品がよければいいんじゃないの。
 で、とにかく図書館のみなさん、もっともっとおしゃれしましょう。わたしもまだまだ修行中の身でございます。